秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2020.10.25
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秋を感じる曲でまず思い出すのはサトウハチローさんのちいさい秋みつけた。歌詞にあるハゼの葉の紅葉を調べたら俳句の季語になるくらいきれいでした。

旅愁が米国で生れ、日本経由で中国に渡った可能性を知りびっくり。

里の秋は今まできちんと聴いたことがなかったのでのどかな田舎の秋とばかり思っていましたが、戦争の影があったとはびっくり

これまで主人は冷き土の下にはYouTubeにあまりありませんでしたが今回立川清登さんのものを発見、懐かしく聴きました。唱歌は作成を指導した米国人音楽教師の影響で賛美歌が多く用いられたことが興味深かったです。
2022.7.19リンク切れにより差し替え。
2024.7.11リンク切れにより差し替え。











■参考リンク
Wikipedia:ちいさい秋みつけた
作詞のきっかけ


櫨紅葉 はぜもみじ(はぜもみぢ/はじもみぢ)

2020/10/09佐藤愛子『気がつけば、終着駅』を読んでスカッとしたきれいの秘密を見つけよう♪

Wikipedia:旅愁 (唱歌)
旅愁(りょしゅう)は日本の詩人である犬童球渓が明治40年(1907年)に詞を訳した翻訳唱歌である。
1907年8月に発表された音楽教科書「中等教育唱歌集」で取り上げられて以来、日本人に広く親しまれてきた。原曲はジョン・P・オードウェイ(John P. Ordway)による“Dreaming of Home and Mother”(家と母を夢見て)という楽曲である。2007年(平成19年)に日本の歌百選の1曲に選ばれた。
中国では、李叔同の作詞により『送別』の題で広く知られている。日本と同様にアメリカ音楽だと気がつかない人も多い。1982年の中国の映画『北京の思い出(城南旧事)』(沈潔主演)でも劇中歌として使われた。李叔同は1907年当時日本留学生であったから、日本でこの曲に接し中国語で作詞した可能性がある。

Wikipedia:里の秋
概要
1945年(昭和20年)12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で、引揚援護局のあいさつの後、川田正子の新曲として全国に向けて放送された。
放送直後から多くの反響があり、翌年に始まったラジオ番組「復員だより」[1]の曲として使われた。
1番ではふるさとの秋を母親と過ごす様子、2番では出征中の父親を夜空の下で思う様子、3番では父親の無事な復員(ここでの椰子の島、船という言葉から父親は南方軍麾下の部隊にいることが窺える)を願う母子の思いを表現している。
2003年(平成15年)にNPO「日本童謡の会」が全国約5800人のアンケートに基づき発表した「好きな童謡」で第10位に選ばれた[2]。

Wikipedia:主人は冷たい土の中に
概要
「故郷の人々(スワニー河)」が発表された翌年の1852年に発表された。プランテーションの年老いた主人が亡くなり、そこの奴隷として働いていた黒人らが、優しく皆に慕われていた主人を偲んで嘆き悲しむという内容。フォスターが南部を旅行した際に書かれたプランテーション・ソングの1つであり、表題の"Massa"("Master"の訛り)をはじめフォスターの他のプランテーション・ソングと同様に黒人英語が歌詞に多用されている。
この楽曲の旋律は、ジョセフ・C・ラドゲイト(1864年 - 1947年)が新規に歌詞を付けて1898年に発表した賛美歌"A friend of Jesus!"(聖歌519/新聖歌426「世には良き友も」)に転用されている[1]。

この楽曲は昭和初期に日本で紹介され、現在も広く歌われている。最初期のSPレコードは「お優しかった御主人様」の表題で[2]、後に直訳の「主人は冷たい土の中に」が広く用いられるようになったが、その他にも様々な訳題が存在する[3]
訳詞は武井君子による「静かに眠れ」の副題が付いたものが広く知られており、音楽の教科書にも採用されている[4]他、勝承夫や水田詩仙の訳詞も存在する。また、加藤義清作詞の「春風」はこの楽曲の旋律を転用しているが、歌詞は原曲と無関係なものになっている[5]。また、吉丸一昌作詞の「夕の鐘」[6]は、1953年に公開された映画、小津安二郎監督の『東京物語』の最後の方で挿入歌として使われている。小津安二郎のフォスター好きは有名であり、映画の公開当時は音楽の教科書にも載っていた。[7]

CiNii:唱歌『夕の鐘』と映画『東京物語』--日本におけるキリスト教文化の受容と変容の一断面A Song (Shoka) "Yube no Kane" and a Movie "Tokyo Story" : A Case Study of the Acceptance and Modification of Christian Culture in Japan伊藤 利行ITO Toshiyuki岡崎学園国際短期大学人間環境学研究所
抄録
小津安次郎監督の松竹映画『東京物語』(1953年)は、親子・人間の絆を扱った世界の映画史上の傑作である。そのクライマックスに唱歌『夕の鐘』が用いられている。この歌のメロディーは、フォスターの『主人は冷たい土の中に』であるが、このメロディーは、キリスト教の『聖歌』519の中でも用いられている。この聖歌の歌詞の内容と『東京物語』の主張は不思議に合致するように見える。日本の唱歌は、米国人音楽教師Luther Whiting Mason (1818-1896)の指導の下で1882年に誕生した。彼の選択した歌の中には、キリスト教の讃美歌に由来するものが多く、以来唱歌を学んだ日本人の心の中に讃美歌のメロディーが入り込むことになった。従って、映画『東京物語』のクライマックスで唱歌『夕の鐘』を聞く時、観衆は幼き子供の頃の素直な感受性に引き戻され、それが聖歌519番を知る者である場合には加えて深い愛への思いを抱かされるにいたるのである。ここに一つのメロディーを通して知りうるキリスト教文化の受容と変容の姿がある。





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Last updated  2024.07.11 23:23:37


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