秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2021.04.01
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カテゴリ: 宗教
毎月の築地本願寺の掲示板ですが、4月は1日の朝9:00過ぎに通りかかったら、まだ掲示板が先月から切り替わっていなかったので、4月のしおりからの引用です。

4月8日はお釈迦様の誕生日だそうで、西林寺さんのブログによれば、江戸時代はお休みだったそうですが、今は認知度は高くないそうです。
明治期の神仏分離、廃仏毀釈も影響したのでしょうか。
今でこそ、イエス・キリストの誕生日と比べてなじみの薄い日になっていますが、単に商業主義にうまく乗るだけでなく、釈尊の教えを人々に地道に浸透させていくかが、認知度向上にとって大切に思います。



■参考リンク
お釈迦さまのお誕生日。2020/04/08西林寺
昔は『休日』だった花まつり
意外かもしれませんが、日本では江戸時代、
4月8日のお釈迦さまのお誕生日の日は、役所は全て休日だったようです。
寺子屋も休校。

現在では、国民の7割が『花まつり』を知らないそうですが(苦笑)、
今年開催できなかった「花まつり – おてらマルシェ- 」のイベントや、Webサイトを通じて、
沢山の方に『4月8日はお釈迦さまのお誕生日=花まつり』を知ってもらえたらと思っています。

Wikipedia:灌仏会
灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う仏教行事である。日本では原則として毎年4月8日に行われ、一般的には花祭・花祭り・花まつり(はなまつり)と呼ばれている[1]。
釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦4月8日に生誕した伝承に基づいている。降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)の別名もある。
以下略

Wikipedia:廃仏毀釈
明治期の神仏分離と廃仏毀釈
大政奉還後に成立した新政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発せられた太政官布告[5](通称「神仏分離令」「神仏判然令」)、および明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」[6]などの政策[7]を拡大解釈し暴走した民衆をきっかけに引き起こされた、仏教施設の破壊などを指す。
日本政府の神仏分離令や大教宣布はあくまでも神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかったが、結果として仏像・仏具の破壊といった廃仏毀釈運動(廃仏運動)が全国的に発生した。特に長年仏教に虐げられてきたと考えていた神職者たちは各地で仏教を排撃し、仏像、経巻、仏具の焼却や除去を行なった[1]。
浄土真宗の信仰が強い三河国(愛知県東部)や越前国(福井県北部)では廃仏の動きに反発する護法一揆が発生しているが、それを除けば全体として大きな反抗もなく、明治4年(1871年)頃には終息した[8]。同年正月5日(1871年2月23日)付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。
出羽三山については、明治7年(1874年)以降に廃仏毀釈が始まる[9]。

奈良興福寺でも食堂が明治8年(1875年)に破壊され、現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔も、明治の廃仏毀釈の法難に遭い、25円[11]で売りに出され、薪にされようとしていた。また大阪住吉大社の神宮寺の二つの塔をもつ大伽藍は、明治6年(1873年)にほとんどが壊された。大寺として広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる内山永久寺に至っては破壊しつくされ、その痕跡すら残っていない。安徳天皇陵と平家を祀る塚を境内に持ち、「耳なし芳一」の舞台としても知られる阿弥陀寺も廃され、赤間神宮となり現在に至る。
廃仏毀釈がもっとも徹底された薩摩藩では、藩内寺院1616寺すべてが消え、僧侶2964人すべてが還俗させられた。廃仏毀釈の主たる目的は、寺院の撞鐘、仏像、什器などから得られる金属で、天保通宝を密かに偽造し軍備の拡充を図った[12]。小西孝司によれば2019年(令和元年)9月時点で鹿児島県内には『宗教年鑑』平成30年版の引用で481寺あるが、国宝や重要文化財の仏像は1点もないとしている[13]。なお文藝春秋と小西の記事では廃仏毀釈時の寺院の数が異なる(小西は1066としているが、いつの年月の時点かは記していない)。
美濃国(岐阜県)の苗木藩(東白川村)では、明治初期に徹底した廃仏毀釈が行われ、藩内寺院17の寺すべてが廃寺となり、仏教の要素を含むものはことごとく廃却させられた。東白川村では、現在でも仏教徒はほとんど存在せず、葬式は神葬祭で実施されるのが通例である[14]。
一方、尾張国(愛知県西部)では津島神社の神宮寺であった宝寿院が、仏教に関わる物品を神社から買い取ることで存続している[15]。
廃仏毀釈の徹底度に、地域により大きな差があったのは、主に国学の普及の度合いの差による。平田篤胤派の国学や水戸学による神仏習合への不純視が、仏教の排斥につながった。廃仏毀釈は、神道を国教化する運動へと結びついてゆき、神道を国家統合の基幹にしようとした政府の動きと呼応して国家神道の発端ともなった。

尾鍋輝彦は、近代国家形成期における国家と宗教の問題として、同時期にドイツ帝国首相オットー・フォン・ビスマルクが行った文化闘争との類似性を指摘している[8]。





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Last updated  2021.04.05 05:51:54


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