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2022.04.29
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小学5年生のころ、1970年の大阪万博に連れて行ってもらったときは、近未来的な各国のパビリオンに驚かされました。ただもっと驚いたのは関西の鉄道でした。ホテル神戸というホテルに泊まって千里の会場へ電車で行く際、東京では機関車とかに使われていたけれども姿を消した茶色い色の電車が走っていたり、駅が自動改札になっていたのにびっくりしました。結局東京のJRに自動改札が導入されたのは1990年頃と、大きく遅れました。たしか東急は1978年頃大学の時、東横線ですでに導入していたので、もう少し早かったと思います。

今回のプロジェクトXは立石電機(現オムロン)による自動改札機の開発の話です。実用化の成功に至るまでのいくつもの難題を解決していく技術者の工夫が興味深いです。パンチ式で穴が券面に空くタイプから磁気式への転換や、大きな荷物を持った人を正しく認識するセンサーの開発、ななめに入れた切符を正しく認識する技術の話は面白かったです。

オムロンの創業者立石一真氏の私の履歴書を中学生のころ、日経新聞で読んだことがあります。いまだに印象に残るくらいですからすごく面白かったと思います、内容は忘れましたが。日経電子版で読めるそうなので、時間をみつけて読んでみたいと思います。今なら2か月無料ですし。

立石一真氏は若いベンチャー経営者の育成にも熱心でした。デイリー新潮を読むと、日本電産の永守会長とのかかわりが面白いです。

NHKプロジェクトXの中でもおすすめの1本です。



■参考リンク
新価格版 プロジェクトX 挑戦者たち:通勤ラッシュを退治せよ ~世界初・自動改札機誕生~
【収録内容】
今や全国の鉄道駅で2万台以上設置されている自動改札機。この機械を世界で初めて開発したのは、日本のある部品メーカーだった。壁に突き当たる度に小さなヒントを見逃さず、斬新なアイディアで切り抜け見事に解決。ついに、昭和42年、大阪の北千里駅に日本初の自動改札機が誕生した。

オムロン創業者の立石一真 駅の自動改札機を開発した男の「7:3の原理」ビジネス 企業・業界2021年11月08日:デイリー新潮
抜粋

オムロンの創業者の一真は晩年、日本初のベンチャーキャピタルを創設し、日本電産の永守重信ら若い起業家の育成に力を注いだ。京都から京セラ、日本電産といった有力企業を輩出し、ベンチャーの都といわれる礎(いしずえ)を築いた。
オムロンはオートメーション時代の必需品となった交通管制システムなどの情報システムや自動券売機、キャッシュ・ディスペンサー(CD=現金自動支払機)、オートマチック・テラー・マシン(ATM=現金自動預け払い機)を開発してきた。近年普及が著しい非接触型ICカードを使った乗車券/プリペイド・カードは得意とする分野だ。
 1960年代は、1964(昭和39)年の東京五輪開催に向けて社会全体がうねっていた。通勤地獄と呼ばれ、毎朝、駅の改札には長い行列ができ、けが人も出た。
 混雑を解消するために名乗り挙げた企業が立石電機、現在のオムロンだった。取り組むテーマは改札の自動化である。
大阪万博と自動改札
培ってきた磁気や光学の技術を結集して、自動改札機の開発に名乗りを上げた。
 日本初の自動改札機を、どこに設置するかが議論になった。「人類と進歩の調和」をテーマとする世界的イベントが間近に迫っていた。1970(昭和45)年の大阪万国博覧会である。タイムリミットが決まった。
 大阪万博の開催を3年後に控えた1967(昭和42)年、〈開発が進む千里丘陵に新設された阪急電鉄北千里駅に、多能式自動券売機、カード式定期券発行機、自動改札装置を組み合わせた世界で初めての「無人駅システム」を実現〉させた。
 オムロンのホームページの「創業者物語~立石一真、挑戦の90年~」に、こう誇らしげに記されている。
 もっとも、最初は乗客も戸惑ったようだ。改札機に定期券ごと入れたり、紙幣やコインを入れたり、混乱もあった。このため、立石電機の担当者や駅員たちが改札に待機して、使い方を丁寧に説明したという逸話が残っている。
以下略

日本経済新聞:立石一真(立石電機社長)1974年5月24日~6月21日掲載

貧困の中で人生学ぶ 祖父の盃屋は父の代に傾く
「最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる」──これが七十余年に及ぶ人生を振り返って得た結論であり、同時に私の信条信念でもある。
私の人生で、貧困は少年時代から始まった。従って生い立ちを話すと「ずいぶん苦労されましたね」とよくいわれる。しかし、その貧しい境遇が今日の幸せをもたらしたといえる。また、よそ目には非常に苦労しているとうつっても自分自身にとっては初めての経験ばかり。「人生とはこんなも...
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Wikipedia:自動改札機
自動改札機(じどうかいさつき、英: automatic ticket gate[1])は、改札業務を自動化するために鉄道駅や空港の改札口(搭乗口)に設置されている機械。ただし、信用乗車方式を採用している地域では一部の路線を除き一般的には導入されておらず廃止された地域もある(後述)。

日本
日本では主に改札方式がとられており、駅には自動改札機などの設備が設置されている。(地方の一部路線や、無人駅を除く)
なお、簡易改札機(主にICカードの簡易読み取り機)は扉付きではないため、自動改札機には含まれない場合が多い。
改札方式が採用されている理由としては、運賃収入の確実な収受(不正乗車の防止)のほか、旅客の安全確保の観点から都市部の狭い駅スペースへ多数の旅客が集中しないように駅構内へ立ち入る旅客数を制限することができるといった理由がある[20]。

現在の主流である磁気乗車券を使用した日本初の自動改札機は、1967年(昭和42年)に京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)北千里駅に設置された立石電機(現在のオムロン)製の10台で、定期券専用である[21][22]。その後、札幌市営地下鉄(1971年、昭和46年)や横浜市営地下鉄(1972年、昭和47年)がそれぞれ開業時に全面導入しているほか、他の鉄道事業者においても部分的な導入事例があったものの、自動改札機の導入への動きはあまり広まらず、営団地下鉄(当時)有楽町線のようにいったん撤去した例もみられた。しかし、国鉄の分割民営化で発足したJR東日本が導入に舵を切ると、関東地方の各私鉄や地下鉄、四国旅客鉄道(JR四国)[注 6] を除くJR他社でも自動改札機の設置が標準となり、1990年代後半からは大都市圏以外の地域や新幹線の駅などでも導入する動きが加速した。2000年代以降はICカードの導入に合わせて自動改札機も導入することが多い。
磁気乗車券用改札機の実用化
現代の主流である磁気化乗車券を使用した自動改札機は、1969年に近畿日本鉄道が学園前駅で試験導入した日本信号製[注 8] が実用化の端緒である。
日本で最初に本格導入されたのは、前述の通り1967年の京阪神急行電鉄北千里駅であった。当初、定期乗車券と普通乗車券とでは改札方式が異なり、定期乗車券はパンチカード方式、普通乗車券は磁気化情報読取(バーコード)方式を採用していたが、その後、定期乗車券も磁気化方式に統一され、1972年には、定期乗車券・普通乗車券共用の自動改札機に更新されている。
一方、首都圏では、1971年2月20日に東京急行電鉄が東横線の3駅[注 16] に15台を設置。翌'72年には都立大学駅にも5台を設置することで実用化試験を開始した。その結果、1974年6月に7駅[注 17]に39台を設置することで本格採用に踏み切った。その一方、自動改札機については「首都圏特有の交通体系から連絡運輸の比重が高く、国鉄・私鉄界での同時的大量普及が行なわれない限りシステムメリットが生じないため、これ以上の導入は考えていない」[37]と評されていた。
その中、1977年4月7日に新玉川線が開業すると、三軒茶屋駅に当初より設置され、その後の1980年代に入ってからも、入場改札の自動化が中心であったとはいえ順次拡大[注 18]されてゆき、東急は、当時の首都圏でもっとも積極的に導入を進めた鉄道事業者となっていた[注 19]。





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Last updated  2022.05.01 05:01:06
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