秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2022.09.01
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カテゴリ: 宗教
日本では仏教は江戸時代以降、葬式を担当する宗教のイメージが強くなりすぎて、人の生き方の規範を示すような本来の宗教的な役割が、一般の人々にも宗教者にも重視されなくなってきたように思います。この掲示板は、両者へ本来の仏教の役割を再認識させるような言葉と思います。

この言葉をGoogle検索したところ熟女を導く非聖職者ABさんの「聞法は死の準備ではなく生の糧である」が出てきました。「聞法(仏教の教法を自己をむなしくして聴聞すること)」という言葉はわかりやすくするために、「仏の教え」に言い換えられたと思います。

紫寶山眞廣寺さんの解説でご紹介されている蓮如上人の言葉『わかきとき、仏法はたしなめ』『としよれば、行歩もかなわず、ねむたくもあるなり』はまさにその通りだと思います。若いころは実利的なことばかり追求していましたが、当時宗教にもっと深く接していれば、自分の生き方や人との接し方も変わり、もう少し充実した人生を送れていたように60歳を過ぎて思います。また若いころの方が吸収力も高かったように思います。

検索していく中でUnder the Canopyさんの「光あるうちに光の中を歩め」(トルストイ)が出てきました。高校生の頃に読んだ本で大変感動したけれど、その後題名を忘れて探していたものですがようやく見つかりました。てっきりトルストイの民話のひとつと思い込んでました。早速キンドルで購入しました。昔読んだ米川正夫さんの翻訳が現代風にわかりやすく改めてあるようです。
ある男が、いくどかある人生の転機にキリスト教の門をたたこうとするも周囲の説得に断念して、老境に入って再度チャレンジするときのお話です。ブドウ畑のたとえが強く印象に残っています。上述の蓮如上人の言葉も、このトルストイのお話も、それぞれ真実だと思います。

2022.9.25内容の追加







■参考リンク
聞法は死の準備ではなく生の糧である:いま仏教があなたを癒す! 

聞法は死の準備ではなく 生の糧である 2012年10月:紫寶山眞廣寺
お寺まいりは「まだはやい」という人がいる。「もうすこし年取ってから」。それも結構だが、蓮如上人は『わかきとき、仏法はたしなめ』と仰る。なぜか。『としよれば、行歩もかなわず、ねむたくもあるなり』と。この真意は年齢によらず、そのうち聞こうなどと思っていると、本当に聞きたいときに聞けなくなっているかもしれないよ、ということだろう。
さて、今年も秋が来た。夕暮れを見ていると無性に「今」という時間がいとおしく感じられる。それは、同じ夕暮れが二度と来ないからか、それとも明日また夕暮れを見られる保証がどこにもないことを感じるからか。


2016年6月7日火曜日トルストイ『光あるうち光の中を歩め』の感想:Under the Canopy







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Last updated  2022.09.25 03:31:55


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