秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2022.10.29
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横浜ベイブリッジが完成した1989年といえば、バブル景気の真っただ中で、自分も横浜博を見に行って観覧車に乗ったようなかすかな記憶が残っています。

てっきりバブル景気に乗って勢いで建てたような構造物かと思っていたら大違いでした。戦後、横浜は米軍が進駐して、10年以上も港を中心に市の中心部の多くに鉄条網が張られ接収され、道路の整備がされず、大渋滞だった対策として、米軍撤退後、1960年頃からベイブリッジの構想があったそうです。幾多の紆余曲折を経て、1977年に以前横浜税務事務所長の経験のある福田武夫氏が首相の時、陳情に成功し、建設が決定しました。ドイツの橋がモデルになっているそうです。大規模な橋の建設と、深いヘドロを掘り進むにあたっては、当時造船不況と炭鉱不況にあえいでいた三菱重工と三井三池の先端技術が使用されたそうです。

番組中、白に塗られた横浜ベイブリッジが朝焼けに輝く姿と夜景がきれいでした。いつかみなとみらいのホテルの高層階から、ベイブリッジをながめてみたいです。









■参考リンク
NHKプロジェクトX:横浜ベイブリッジ 港町の復活に懸ける
【収録内容】
横浜のランドマークのひとつ、「横浜ベイブリッジ」。この橋の目的は、港町横浜の復活をかけた、物流の道の建設だった。敗戦後11年もの間、街の中心部を米軍に占領された横浜。道路計画が立たず、街は大渋滞。港の物流は麻痺(まひ)、船が次々と横浜から去った。「このままでは横浜の息の根が止まる」。そのとき立ち上がったのは、横浜を愛した男たち。構想から実に40年。横浜ベイブリッジ完成までの長い苦難のドラマを描く。

横浜市:戦後の接収と市街地の返還(昭和20(1945)年~昭和36(1961)年最終更新日 2019年3月8日連合国軍による接収と遅れる戦災復興
昭和20年、第二次世界大戦後に進駐した連合国軍は、横浜市の中心部や港湾施設などを広範囲に接収しました。接収は、戦災を免れ、わずかに残った市街地の住宅、事務所、劇場、百貨店から、官公庁、学校、公園などの公共施設にまで及び、市の都市機能はほとんど麻痺するに至りました。また、中心部以外でも旧軍の施設などが大規模に接収されました。
このため、戦前の横浜経済を支えていた商社、金融機関や企業の本店は、東京その他の地域への移転を余儀なくされ、大桟橋をはじめとする港湾施設の接収とあわせて、横浜市は復興の原動力ともなるべき経済基盤を失うこととなりました。
以下略

マッカーサーなぜ横浜進駐2015/8/30 07:06産経新聞

 昭和20年8月30日、厚木飛行場(大和市、綾瀬市)に、連合国軍最高司令官、マッカーサー元帥が降り立ち横浜に進駐した。元帥と総司令部は9月17日に東京に移駐するが、その後も横浜は日本占領の本拠地であり続けた。なぜ横浜が選ばれたのか。日米の資料や近年の研究によれば、日本政府の思惑と地元の必死の準備の結果、米側が直前に日本の推奨を受け入れたことが浮かび上がる。 (渡辺浩生)
以下略






Wiki8pedia:横浜ベイブリッジ
横浜ベイブリッジ(よこはまベイブリッジ)は、1989年(平成元年)9月27日に開通した[2]神奈川県横浜市にある長さ860m(中央支間長460m)の斜張橋である[1]。東京港方面と横浜港を結ぶ港湾物流の一端を担うことにより、都市部の渋滞を緩和する重要な輸送路である。
 概要
首都高速道路(赤線)および周辺高速道路・有料道路のルート図。左下の大黒JCTと本牧JCTの間にある海上部がベイブリッジ。
湾岸線からベイブリッジ方面を見る
本牧埠頭A突堤(中区)と大黒埠頭(鶴見区)とを結んでおり、上層部は首都高速湾岸線で、下層部は国道357号となっている。下層部も含めて125cc以下の原動機付き自転車は通行できない。また、歩道が無いため徒歩で渡ることもできない。 上層部の制限速度は、開通当初は70km/hだったが、その後80km/hになっている。 建設の目的は、高度経済成長期によって悪化した横浜市街地における渋滞の解消である。設計は名港西大橋のデザイン案を、名称はサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジをそれぞれ参考にしたとされる。横浜市六大事業の一つとして計画され、横浜市が当時の建設省(現:国土交通省)に橋の建設を積極的に働きかけ、難工事の末に開通した。
完成時において日本最長の斜張橋(橋脚間の距離460mにおいて)[注釈 1][注釈 2]であったことから、開通当初は故障以外の駐停車は禁じられている都市高速道路であるにもかかわらず、夜景見物目的の駐車車両が多く問題とされたこともあったが、後にレインボーブリッジなどの吊橋が建設されたこともあり、現在は見かける事はほとんどない。また、故障以外の駐停車を防止するためのアナウンスが常に流れている。                  ◇





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Last updated  2022.10.30 12:13:52
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