秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2022.12.24
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カテゴリ: 映画 Cinema
マグダラのマリアは日本では未公開の映画です。以前観たイエス・キリストの生涯を描いたドラマで演じていた女優さんが美人だったので関心を持ち、イエスが十字架につけられ息を引き取るのを見届けたり、最初に復活の証人となった点など注目していました。

十戒みたいな派手なアクションは無くキリスト教に関心のある方以外には地味な映画ですが、男性中心の家父長制社会で、親の決めた夫のもとを飛び出しイエスの弟子となった点、男性ばかりの弟子たちの中での一段下での扱い、最初にイエスの復活を目撃したことへの男性の弟子からの男の嫉妬等、様々な困難を克服して信仰を貫いた点は立派だと思いました。男女共同参画の第1号で、第一人者だったのではと思います。まさに使徒中の使徒と思います。ますますマグダラのマリアファンになりました。

マグダラのマリアは長い間、他の女性と混同されて一部の宗派では娼婦と見なされていましたが、2016年になりようやく名誉が回復したということを知り良かったと思いました。 

石川雄一さんの「マグダラのマリアはどのようにして人気の聖女となったか」が興味深いです。

イスカリオテのユダが、イエスを裏切った経緯についても触れてあり興味深かったです。

のちにイエス役の俳優とマリア役の女優さんがパートナーとなり、子供が生まれたというニュースにびっくり。









■参考リンク
Wikipedia:マグダラのマリア (映画)
『マグダラのマリア』(Mary Magdalene)は、2018年のイギリス・アメリカ合衆国の伝記映画。新約聖書に登場する聖女マグダラのマリアを主人公とする、ヘレン・エドマンソン(英語版)とフィリッパ・ゴスレット(英語版)の脚本に基づき、ガース・デイヴィス(英語版)が監督を務め、ルーニー・マーラがマグダラのマリアを、ホアキン・フェニックスがイエス・キリストを演じている。 マグダラのマリアが長編映画の主人公として描かれる初の映画である[2][3][4]。
2016年夏に撮影開始。アメリカ合衆国では当初は2017年11月24日に公開予定[5]であったが延期になった。その後イギリスで2018年3月16日より、オーストラリアで同年同月22日より封切された[6]。

2016年頃から交際していると言われている[9]主演のルーニー・マーラとホアキン・フェニックスの間に2020年9月、息子が産まれた[10]。

マグダラのマリアはどのようにして人気の聖女となったか 2022年7月16日 NATSUKI:「AMOR−−陽だまりの丘」

Wikipedia:マグダラのマリア

Wikipedia:Mary Magdalene
抜粋
Googleページ翻訳
売春婦としてのマグダラのマリアの描写は、591 年に教皇グレゴリウス 1 世が、ルカ 8:2 で紹介されたマグダラのマリアを、ベタニアのマリア(ルカ 10:39) と、イエスに油を注いだ無名の「罪深い女」と混同したときに始まりました。ルカ 7:36–50 の足。教皇グレゴリウスの復活祭の説教は、マグダラのマリアが悔い改めた売春婦または無差別な女性であるという広範な信念をもたらしました. [4] [1]その後、西ヨーロッパから中世の精巧な伝説が生まれ、マグダラのマリアの富と美しさ、そして南ガリア (現代のフランス) への彼女の旅の話が誇張されたものになりました。マグダラのマリアとベタニアのマリアおよび名前のない「罪深い女性」との同一視は、宗教改革に至るまでの数年間、依然として主要な論争であり、一部のプロテスタント指導者はそれを拒否しました。反宗教改革の間、カトリック教会はマグダラのマリアを苦行の象徴として強調しました。1969 年、教皇パウロ 6 世はマグダラのマリアをベタニアのマリアおよび「罪深い女」と同一視することを一般ローマ暦から削除しました。、しかし、元売春婦としての彼女の見方は、大衆文化に固執しています.
マグダラのマリアは、カトリック、東方正教会、英国国教会、ルター派の宗派によって聖人と見なされています。2016 年、教皇フランシスコは 7 月 22 日に典礼の記憶のレベルを追悼から饗宴に引き上げ、彼女を「使徒の中の使徒」と呼ぶようになりました。[5]他のプロテスタント教会は彼女を信仰のヒロインとして尊敬している. 東方正教会はまた、西方の三聖母の伝統の 1 つに相当する正教会のミルベアラーの日曜日に彼女を記念します。

Wikipedia:マリアによる福音書
マリアによる福音書(まりあによるふくいんしょ)は、グノーシス主義の福音書文書の1つである。
初期キリスト教の『新約聖書』の外典としてこの名の書籍の存在が伝わっていたとされるが、不明点が多く、全容は知られていなかった。しかし19世紀に偶然に発見され、内容から外典とされていた『マリアによる福音書』であることが確認された。『ナグ・ハマディ写本』から発見された諸文書とともに、グノーシス主義の原典資料として貴重であるだけでなく、初期キリスト教や当時の地中海世界の宗教状況の研究にも重要な文書である。
この文書において登場人物の名前はマリハムと表記されている。[1]。マリハムは、マリア(マリヤ)と訳されている。[2]。一般的には、イエスの母マリアではなくマグダラのマリアと考えられている。[3]そのため、本文書は『マグダラのマリアによる福音書』とも呼ばれる。
日本語訳
日本語訳は、岩波書店が刊行した『ナグ・ハマディ文書 II 福音書』(小林稔訳、1998年出版)に収録されている。ただし、日本語版の『ナグ・ハマディ文書』全4巻は、『ナグ・ハマディ写本』のみの翻訳ではなく、この写本群を中心にしているが、それ以外のグノーシス主義文献や、エイレナイオスなどの異端反駁文書からの抜粋も含み、『マリア福音書』も『ナグ・ハマディ写本』には含まれていないが、本訳書シリーズに収録されている。
内容

マリアは文書後半部分に登場する。写本では「マリハム」と記されているが、この登場人物はキリスト教の『新約聖書』中に登場するマグダラのマリアのことであると考えられている。 後半部分の概要は次のようになっている。
救い主から福音の宣教を託された弟子たち(使徒)は怯むが、マリアは使徒たちを励ます。
ペトロがマグダラのマリアに対し、「救い主が他の女性たちにまさってあなたを愛したことを、私たちは知っています。」として、彼女が救い主から授かった秘伝を他の人々にも話すよう求める。
マリアは幻の内に見た救い主の啓示について話す。
アンデレ、ペトロはその内容を信じない。マリアは泣いて抗弁する。

前半から後半を通して全体を見ると以下のようにまとめることができる。
これまで、救い主は、聞く耳のあるもの(これはマリアらを指しているようだ)に対して、聞いたこともないような話をしていた。
そして、それらのことをいまだによく理解できていなかった弟子が、「世の罪とは何ですか」という、世の罪(イエスを刑死させた罪)と人の原罪とを暗にほのめかすような質問をした。(マリア福音書7)。そうしたところ、それに対してイエスは、「罪というものはない」という答えをした。そして、(罪よりの救済に関連した福音ではなく)人の内部にいる「人の子の王国の福音」を宣べ伝えよという命令を下した。
しかし、イエスの与える平安からは遠かった弟子たちは、「あの方を容赦しなかった世間の人がわれわれを容赦しないはずがない」といって恐怖した。どうしていいかわからなかった弟子たちの中にあって、マリアは、イエスへの信を失わないでいた。そのマリアに対して、ペテロは、「私たちのまだ聞いていない話を聞かせてください」といった[4]。マリアは、人の中から出てくるものがその人を汚す[5]という言葉と関連したと思われる啓示が、イエスから啓示されたときの話をした。心の中から出てくる欲望や怒りから、人は自由になれるという話である。しかし、話を聞きたがったペテロは、その彼女の話を否定し、彼女の受けた啓示を否定した。それに加えて、「われわれに隠れてイエスが一人の女性とそのような話をしたのだろうか」、という推察を皆に述べた。それは、弟子を対象としたイエスの教えの、自力救済的な悪に関する啓示の多くを否定する結果となった。そして、弟子たちは、それぞれの考える「王国の福音」を宣べ伝えるために解散した。





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Last updated  2022.12.30 05:29:49


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