秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2023.02.16
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カテゴリ: 宗教
バレンタインデーの明けた2月15日、久しぶりに寝床の中からスマホで築地本願寺の晨朝勤行で法話を聴きました。当日の講師は野田茜先生という本願寺布教研究専従職員の方で、話方がお上手で5分程度の短い時間で、中国の四害駆除運動を例に生きるものをすべて尊重するという仏教の動物観をわかりやすく、興味深く説明していただいて勉強になりました。

この日はお釈迦様が亡くなった日で、涅槃図に描かれているように臨終に多くの人や、お釈迦様が大切に思っている動物が集まってきました。仏教が動物の命を大切にする例として、中国政府が昔、雀が田んぼの米を1羽当たり1.8kgも食べるような害鳥とみなして、収穫高を上げるために、国をあげて駆除したことがあったことを挙げられました。その結果は、雀という天敵がいなくなったことにより、田んぼの虫たちが繁殖し、米を食い荒らし、かえって収穫高が減り3000万人が餓死したそうです。雀の大切さを知った中国政府はその後、駆除をやめたとのこと。

あとでネットで検索したら、これは中国の四害駆除運動のことだと知りびっくり。こういったお話を聴くと、無駄な命や不要な生きものは無いことと、命はつながっていると改めて思い、生きものを大切にしようと思います。また、北朝鮮でも、耕作地拡大のため森林伐採して、保水力の喪失で洪水が発生したという話を聞いたことがあります。トップダウンの国はこぅいったことが起こりやすいと思いました。



■参考リンク
Wikipedia:涅槃会
涅槃会(ねはんえ)は、涅槃講や涅槃忌とも称し、陰暦2月15日、釈迦の入滅の日に、日本や中国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要である。現在では、3月15日に行なわれているところもある[1]。
概要
涅槃とは、迷妄のなくなった心の境地を指す言葉であったが、この場合には、釈迦が亡くなったという意味で用いられている。
実際には、釈尊が入滅した月日は不明であり、南伝仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日(ウェーサーカ祭)と定められている。ヴァイシャーカ月が、インドの暦では第2の月であることから、中国で2月15日と定めたものである。
法要中は、釈迦が娑羅双樹の下で涅槃に入った際の、頭を北にして西を向き右脇を下にした姿で臥し、周囲に十大弟子を始め諸菩薩、天部や獣畜、虫類などまでが嘆き悲しむさまを描いた仏涅槃図(涅槃図)を掲げ、『仏遺教経』を読誦することとなっている。仏涅槃図の絵解きを行うところもある。平安時代には、山階寺の涅槃会がとりわけ有名であり、常楽会(じょうらくえ)とも称されており、『三宝絵』の中でも「年中主要法会」の一として記されている。

涅槃図解説:青岸寺公式サイト

もう一つ有名な話があります。「十二支の順番」が関係しています。
お釈迦様の入涅槃の話を最初に聞いたのは牛です。ネズミは牛の頭に乗り移動しました。移動の途中猫が寝ていましたが、日頃より仲が悪かった、ネズミと猫でしたので、ネズミは起こさず向かったそうです。お釈迦様の元に近づくと、ネズミは牛の頭から、飛び出して、一番に到着しました。猫は結局お釈迦様の涅槃に間に合わず、十二支にも入らなかった、というお話です。
恐らく、時代が遡り江戸時代頃につくられた寓話だと推測されますが、中々面白い話です。




抜粋
四害駆除運動(簡体字: 除四害, 拼音: Chú Sì Hài)とは、1958年から1962年にかけて実施された毛沢東が主導する中華人民共和国の大躍進政策において最初にとられた行動の1つである。 駆除の対象となった四害とは、すなわち、ネズミ・ハエ・蚊・スズメのことである。
スズメ絶滅の試みは、スズメ打倒運動(簡体字中国語: 打麻雀运动, 拼音: Dǎ Máquè Yùndòng)またはスズメ撲滅運動(簡体字中国語: 消灭麻雀运动, 拼音: Xiāomiè Máquè Yùndòng)とも呼ばれ、深刻な生態系の不均衡とその結果としての中華人民共和国大飢饉をもたらした。1960年、毛沢東はスズメ撲滅運動を終わらせ、第4の焦点をトコジラミに変更した。
運動
「四害」駆除運動は、毛沢東が1958年に導入した衛生キャンペーンであり、マラリアの原因となる蚊、ペストを蔓延させるネズミ、空気中に蔓延するハエ、そして伝染病を媒介し穀物の種子や果実を食害するスズメ属、中でもユーラシアスズメ(学名:Passer Montanus)を撲滅することを目的としていた[1][2]。中国共産党政府はまた、鳥は資本主義の象徴である旨を宣言した[3]。
市民は鍋・フライパン・バケツ・洗面器といった音の鳴る物を叩いて、スズメが木の枝で休む隙を与えず、空から死んで落ちるようにした[1][4]。スズメの巣も破壊され、卵は割られ、雛が殺された。これらの戦術に加えて、市民はまた、飛んでいる鳥の射殺も実施した[5][6]。
これらの大量攻撃によってスズメの個体数は減少し、絶滅寸前まで追い込まれた。さらに、企業(zh:国有企业・zh:公司)・政府機関・学校の間で清浄コンテストが開催された。ネズミの尾、ハエや蚊の死骸、スズメの死骸を最も多く提出した者には、名誉的報酬が与えられた[7]。
一部のスズメは、治外法権となっている国内のさまざまな在外公館の敷地内に逃げ込んだ。北京のポーランド大使館職員は、そこに隠れているスズメを追い払うために大使館敷地に入りたいという共産党政府の要求を拒否したが、その結果大使館は太鼓を持った人々に包囲された。2日間の絶え間ない騒音の後、ポーランド大使館職員はシャベルを使用して大使館のスズメの死骸を処分しなければならなかった[9]。

運動中は、転落や銃の誤射による事故が多発し、仕掛けられた毒入りの餌により多くの他の動物が巻き添えで死んだ[10]。チベットでは、チベット仏教の教えから殺戮を拒み、監禁・自死を選ぶラマ僧が現れた[6]。
1960年4月までに、スズメは穀物だけでなく多くの昆虫を食べていると指摘した鳥類学者の鄭作新(中国語版)[3]の影響を受けて、指導者たちは意見を改めた[11][12]。撲滅運動後のコメの収穫量は、増加するどころか、大幅に減少した[6][13]。スズメを駆除することで生態バランスが崩れ、天敵のいなくなった虫が農作物を荒らすことに気づいた毛は、スズメ撲滅運動の停止を命じて今度は「益鳥」として"名誉回復"し、対象をトコジラミに変更した[1]。
しかし、もはや手遅れであった。それらを食べるスズメがほとんどいなくなったため、個体数が急増したワタリバッタは国中を襲い、大躍進政策によってすでに引き起こされた、広範囲にわたる森林伐採や毒物や農薬の誤用などの生態学的問題をますます悪化させた[13]。さらに人民公社が野生動物を食用として捕まえるためにデメトン・ジメドンや劇薬を使用したために(劇薬で汚染された食物は、中毒を引き起こした)本来の目的である殺虫剤としての在庫を欠乏させており、畑はズイムシ・ヨコバイ・ワタキバガ・ハダニなどの害虫の天国となったのである[10]。生態学的な不均衡は、同じく大躍進政策によって引き起こされ、1500万から4500万人が飢餓で亡くなった中華人民共和国大飢饉をさらに悪化させたと考えられている[14][15]。
中国政府は最終的に、ソビエト連邦から25万羽のスズメを輸入して、個体数を補充する羽目になった[16]。

旭照寺の法話 ほうおんこう①野田茜さん「南無阿弥陀仏のおいわれ」2022/11/22





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Last updated  2023.02.19 03:15:56


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