秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2023.03.07
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カテゴリ: 季節
さくらプロジェクト(ウェザー・ニュース)に登録した緑町公園のマイ桜です。墨田区亀沢にある公園なのに、緑町公園とはこれいかにと、調べたら、明治になり町の区画が再編されたそうです。隣にすみだ北斎美術館があります。


天気予報によれば来週木曜あたりに咲きそうで楽しみです。写真を撮りに15日間通えば歩くし、健康にもよさそうです。


ついでに調べたら先日ご紹介した小林一茶の旧居後は高速道路の近くにあったそうで初めて知りました。さらに調べると勝海舟も同じ町内に住んでいたとわかり、地元なのに知らないことが多いなと思いました。

■参考リンク
Wikipedia:緑 (墨田区)
歴史
居住地としての始まりは、江戸時代の明暦年間にさかのぼる。明暦の大火により本所一帯の開拓整地が行われた。その後、元禄元年(1689年)に「緑町」という町名が付けられた。当時は、緑町一丁目から五丁目まであり、道路が碁盤目上に走り、町屋や武家屋敷が整備された。
明治時代に入ると、現在の北斎通りに当たる南割下水までが緑町として扱われることとなった。その名残として、北斎通りの亀沢二丁目付近にある公園には「緑町公園」の名称が使用されている。なお、この緑町公園は、総武線の高架線を挟んで南北に分かれている。昭和に入り今度は南割下水から国鉄総武線のガード部分について亀沢に分割され、代わりに三ツ目通り以東を編入し、この時点でほぼ現在の形が整った。なお、このときに緑町はほぼ現在の形に町名変更が行われた。第二次世界大戦中の東京大空襲時には火災によりほぼ町内すべてを焼失しており、鉄筋コンクリート構造の東京市緑国民学校など一部の建物が残るのみであった。戦後は、緑町から町名を「緑」に変更したが、町域等の変更はなかった。緑町内は町工場が多く見られ、工業を中心として発展していたが、近年の規制なども相まって、町工場の閉鎖が多くなり、人口が減少傾向にあった。しかし、これら町工場の撤退に併せて、マンション建設等が進められ、人口も少しずつ回復を見せるようになった。

小林一茶 立川焉馬の旧居跡碑:フォートラベル

江戸散歩 勝海舟ゆかりの地:Holiday





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Last updated  2023.03.08 00:25:49


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