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ブルボンのお菓子「J’sポップスの巨人たち」のおまけについていたCDです。この曲は私が生まれる数年前にリリースされた曲なので歌い出しのはじめのフレーズしか知らなかった曲でした。ただ、以前から「坂庭省悟作曲」というは知っていました。省悟さんは私が学生時代から愛好していたアメリカのブルーグラスという音楽を日本で精力的に演奏されていた方でした。とてもマイナーなジャンルなのであまり知られていないし、狭い世界なので何度か省悟さんの演奏を間近で見て歌う高音の嗄声にしみじみ聞き入ったりおしゃべりの中に人柄の温かさやかっこよさを感じたり楽器の巧みさに感動したりしていました。昨年秋頃に「J’sポップスの巨人たち」を近所のスーパーで見かけてラインナップの中の「花嫁」がかなり気になっていたのですがそれほど買う気にもならず買い物に行くたびにジャケット・・・と言うかパッケージは確認していたけれども結局買わずにいました。そのうち70年代から今度は80年代の私にとっても覚えのある懐かしいシリーズがでてきた頃に省悟さんの訃報が舞い込んできました。なんとなく、「買っておかなくちゃ」と言う気分になりすぐに、いつも横目で見ながら通り過ぎていたスーパーのお菓子売り場へ行き商品入れ替えの中一つだけ残っていた「花嫁」を見つけレジへ行ったのでした・・・。北山修作詞という驚きもありましたが、ヴォーカルの藤沢エミさんの声や歌い方は今聞いても古くさくなく、格好良く昭和30から40年代の歌姫・・・と言う感じがしました。いろんな曲がカバーされている今日この頃、この曲もカバーしてみたら結構売れるのではないかと思ってしまいました。
2004年01月28日
卒業した3年制の短大が来年度より医学部の保健学科となり4年制になります。自宅に届いた同窓会の会報を見ると短大と4年生の学科の表札とが二つ並んで掲げられている写真が載っていました。これからの学生は入試がさらに難しくなって気の毒だなぁと思う反面カリキュラムに余裕ができるのはうらやましく思ったり・・短大時代は同じサークルの全学(四年制)の人たちが教養時代(今は違うけど当時は二年生の前期まで教養部というところで勉強してそれから学部移行していたのです)は空き時間とかたくさんあっていっぱい遊べてうらやましいなぁと思っていたものでした。
2004年01月22日
今年の札幌は雪が少ないと思っていたら先週の大雪で一気に平年並み(実際の積雪量は確認していないけど印象として)となりました。車通勤の私は夏場は20分で行けるところを冬は40分からひどいときには60分くらいかけて通勤しています。雪道が滑るのでみんなスピードを緩めて運転しているしさらに道幅が狭くなったり交差点での流れが悪くなったり・・・で夏ではあり得ないようなところで渋滞してしまうのです。特に木曜日は勤務時間が始まる前に会議があるのでいつもより30分早く出勤しなくてはなりません。明日はうんと早起きしなくては・・・。
2004年01月21日
今日は保育所の運営委員会がありました。毎月1度金曜日の13時から、セクションの代表者が保育士の代表と病院の事務次長(保育園の園長先生の役割)とで話し合いをします。ほとんど保育士からの業務連絡を受けて会議は終わるのですがそのなかで自分が普段当たり前に思ってやっていることができていないお母さんがいるということがわかりました。たとえば何の連絡もなしに2時間以上もお迎えの時間を遅れたり伝染病の疑いがあったりそれが完治していないのに預けたりなど・・・・・・。職場内保育所だと同じ病院の職員ということで融通が利いたり甘えたりというところはあるけれどそれに甘えすぎたりほかの子供やなにより自分の子供に迷惑をかけてはいけないなぁと思いました。私もたまに「あと10分で迎えに行きま~す」といいつつ20分後にお迎えに行ったりするのでちょっぴり反省しました。
2004年01月16日
昨日、水ぼうそう休みがあけて出勤第一日目にものすごい天気!台風並の低気圧で雪が降るとどうなるかというと、雪が真横に降り、道を歩いて風を正面から受けると息ができなくなるくらいのすごさでした。幸い家からも病院からも駐車場まで五分と歩かないのでちょっとの間だけの辛抱でした。娘は長らく家で母と過ごしていたのがよっぽど暇だったのか保育所に着いたとたん超うれしそうにおもちゃで遊んでいました。今日も昨日ほどではないけれど天気が悪く外遊びはなかったけれど、お友達と広い室内で思う存分遊んで来たようです。水ぼうそうもかさぶたがとれつつありほぼ完治という感じで一安心です。
2004年01月15日
娘の発疹はほとんどかさぶた、所々まだ乾いていない治りかけ・・・という状態です。一応病院に連れて行ったところ「明日から保育所に行っていいよ」とのこと良かったよかった。しばらく家で過ごしていたら朝は寝坊するし夕方頃から昼寝はするし・・・・で生活リズムが乱れまくっています。明日から早寝早起き・・・がんばらねば。
2004年01月13日
せっかくテーマにしたのだからどうせ仕事も休んでいて時間もあるだろうから毎日書いて経過を記録して行こうと思っていた娘の水ぼうそう記録。そんな時に限ってパソコンの調子が悪くなりさっぱり動かなくなってしまいました。復旧に2日程かかり、作業中にインターネットの書類が一部どこかに消えてしまったようでブラウザのブックマークやメールの今まで送受信したテキストとアドレス帳がなくなってしまいました。いま、個人的な連絡用に利用していた掲示板のURLや友人達のメールアドレスが全く分からず困っているところです。バックアップはきちんととっておくべきですね。この日記をに見た私とメール交換したことのある方は救済メールをぜひください。閑話休題娘のみずぼうそうは前回日記を書いた8日がピークだったようで9日には痛がって泣くことはなく薬を塗る時にいやがるほかはいたって御機嫌で、かさぶたも数カ所にみられるようになりました。10日は私は仕事に行って夫と一日過ごしていましたが、かさぶたも増えてきて御機嫌もすこぶる良く薬もあまりいやがらず塗れるようになりました。病院であたたまるとかゆみが増すからと言われ控えていた入浴(湯舟に浸かること)もこの日から始めました。そして今日、ほぼ発疹はかさぶたとなりました。こうなればもう治ったも同然。あとはずっと家で過ごしているので生活パターンが乱れているのが心配なところです。
2004年01月11日
昨夜発疹がかゆいのか娘は夜中に何度も起きて泣いていました。朝はいつもなら出勤時間に合わせて無理矢理起こして不機嫌だけれど今日は自然に起きるのを待っていたのでさわやかに目覚めていました。着替えようと服を脱がすと発疹が昨日よりも増えていました。特に陰部がひどく粘膜の弱いところにも出来ているのが気の毒でした。時間とともに発疹がどんどん増えていき夜にはお腹と背中一面にぷつぷつが末期の水ぶくれと初期の赤い点が混在して出来ていました。幸い熱は上がっていません。けれど相当痛がゆいのかお昼寝しようとうとうとしても「痛ぁ~い」と泣いてしまいずっと抱っこしてなだめている状態でした。病院でもらった抗ウイルスの塗り薬をとても嫌がり多数あるぷつぷつへ塗るのに骨が折れました。
2004年01月08日
年末から職場内保育所では水ぼうそうにかかる子がぽつぽつでてきていました。娘も予防接種をしていなかったのでうつりそうだなぁと、心配していました。年末は何とか持ちこたえましたが昨日の年明け一日目、家に帰るとなにやらぷちっと手に発疹が出来ていました。お風呂にはいると背中にもニキビのようなプチプチが出来ていました。ついに来たなーと思い、今日は保育所を休ませ今日だけは夫に仕事を休んでもらい病院に連れて行ってもらいました。やはり水ぼうそうという診断がつきました。職場内保育所で伝染病流行=各セクションで長期休み者続出と言う訳で、私もその渦中の人となってしまったのです。とりあえず有給やらシフト休みを振り替えてもらったりで休みのめどを付け、残業で仕事を出来るだけ片づけて家に帰ったら10時近くになっていました。いつもは子供のお迎えもあるし、職場からまっすぐ帰ってこんな時間になったのは初めてでした。娘はもうねていました。でも、とりあえず眠れるくらい状態は良いようです。
2004年01月07日
お正月は夫の実家(長崎県)にて過ごしてきました。夫と娘は12月30日に先に帰り、仕事のあった私は31日に遅れて1人で行きました。31日当日は大掃除を済ませ身支度をして準備万端にして出かける時間を逆算した後タイマーを40分にかけ一本勝負で年賀状書きをしました。結局間に合わず移動中の電車まで持ち越しましたが年々帰省前が慌ただしくなっているような気がします。自宅から夫の実家までは自宅→徒歩→JR駅→乗り換え→新千歳空港→飛行機→福岡空港→地下鉄→JR博多駅→JR駅→乗り換え→第三セクターローカル線駅→徒歩→実家と言う移動で正味8時間はかかる大移動です。けれど荷物は全部送っていたのでカバンに本だけ入れて道中身軽な1人旅気分でした。実家でも楽しく過ごし普段合うことの出来ない孫に会えた義母も喜んでいたようでした。ハウステンボスに行ったり佐賀の焼き物の里を見てきたりと盛りだくさんのお正月でした。
2004年01月05日
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