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読売新聞記者でありながら社論と異なる主張を他誌に発表したことがきっかけで読売を退職した経緯をもつジャーナリストの山口正紀氏は、2004年に出版した著書「メディアが市民の敵になる」(現代人文社)で、2003年当時の「日本人拉致事件」報道と世論の動向について、次のように論評している; 「被害者の立場に立てば、実名報道もやむを得ない」――これは、犯罪報道で被疑者の実名原則を主張するメディアの論理だ。最近は、「加害者の人権ばかりが尊重され、被害者の人権がないがしろにされている」として、少年事件でも、「実名による制裁」を主張するメディアがある。 「被害者の無念や遺族感情を思えば、死刑もやむを得ない」 これは、死刑制度に関する議論で、最も多く主張される死刑存続・容認論だ。 《被害者の立場》に立って考えるのは、ほんとうに大切なことだ。ただ、実名報道や死刑容認論で言われる《被害者の立場》には、疑問符がつく。被害の悲惨さ、「犯人の凶悪性」を強調するだけで、「事件はなぜ起きたのか」の背景追求はなおざりにされ、「犯人憎し」で終わる。《被害者の立場》だけに身を置けば、犯罪を生み出した社会の構成員としての責任や、「自分も加害者になる可能性」から目をそらしてしまえるのだ。 だから、情報の送り手も受け手も、容易に《被害者の立場》に立つ。立ったつもりで加害者を非難する。そうして、「事件」は終わり、やがて被害者の苦しみも忘れ去られていく。 だが、容易には《被害者の立場》に立たない場合もある。自分自身の加害性が問われるときだ。その典型が報道被害。メディアも、報道を信じた読者・視聴者も、なかなか報道被害者の立場に立っては考えない。 もう一つの典型が、侵略戦争や植民地支配による人権侵害だ。それがいかに残虐非道な犯罪であり、被害者がどれほど苦痛を訴えても、《被害者の立場》に立って苦しみを想像しようとはしない。それどころか、被害者の叫びを無視し、否定する。 1991年8月、一人の韓国女性が名乗り出て、日本軍「慰安婦」=性奴隷にされ、心身をズタズタにされた過去を証言した。以来、在日も含めてアジア各地の被害女性が、次々とつらい体験を語り始めた。 当初、政府や軍の関与を否定していた日本政府も、敗戦後に関係者が処分し損ねた各種の公文書が次々発掘され、93年8月、河野洋平官房長官が政府の直接関与を認めた。 それでも、《被害者の立場》に立つどころか、「加害の事実」も認めない人たちは、「加害の自覚」を持って歴史を見直そうとすることを「自虐史観だ」と非難し始めた。そうして、アジアから侵略と植民地支配の加害責任を追及されることに、ねじれた「被害者意識」を抱くようになった。 それを肥大させ、「国を愛する心を持て」と居直りのナショナリズム=ゴーマニズムに転化させたのが、96年末に発足した「新しい歴史教科書をつくる会」や石原慎太郎都知事ら極右政治家、そして彼らを後押しする右派ジャーナリズムである。 日本人拉致事件は、そんな人たちにとって、晴れて《被害者の立場》に立てるチャンスと見えたのだろう。「慰安婦問題」抹殺願望という「ナショナリズムの糸」で「つくる会」と結ばれる「救う会」が、拉致被害者・家族の取材窓口の立場を利用し、マスコミ報道を統制・支配した。 こうして「9・17」以降の拉致一色報道・「北朝鮮」非難大合唱は、日本人が「安心」して《被害者の立場》に立ち、「在日」も含めた朝鮮人全体を「加害者」として糾弾できる資格が与えられたかのように錯覚させた。 だが、この《被害者の立場》も、犯罪報道と同様、「犯人の悪質さ」断罪一本槍で、事件の背景、原因追求には向かわない。それを徹底すれば、日本の「北敵視」政策、朝鮮南北分断、さらには植民地支配へと、歴史に目を向けざるを得なくなるからだ。 しかも、この《被害者の立場》は、当の被害者自身の思いより、「反北朝鮮」の政治的意図を優先させる。 一時帰国のつもりで帰ってきた5人を「帰さない」という「家族会」の決定は、「救う会」が誘導したものだった(『週刊金曜日』444号・高嶋伸欣氏のレポート参照)。被害者が朝鮮に残してきた家族と「今後」を話し合う機会は、今も奪われている。 さらに、[救う会]は1月25日、被害者家族の訪朝反対を決めた。翌26日、「家族会」は同じ方針を確認し、訪朝を希望していた横田滋さんに「当面、見送り」を同意させた。 ほんとうに《被害者の立場》に立って考えているのだろうか。 「つくる会」の「新しい公民教科書」に「北朝鮮による拉致事件を金正日総書記が認めて謝罪した」との記述を盛り込む申請が2002年末、文部科学省から承認された。「慰安婦問題」にはいっさいふれないままだ。<2003年2月7日>山口正紀著「メディアが市民の敵になる」(現代人文社刊) 168ページ「植民地支配への沈黙を問う」から引用 この記事が書かれた時は、一時帰国という約束で帰国した拉致被害者たちが残して来た家族をどう救出するか方針も決まっていない時点であったようであるが、その後「一時帰国」という約束を反故にして大丈夫なのかという不安を乗り越えて、残された家族は東南アジアの国を経由して日本に来るという「経路」で日本に到着したのであった。しかし、この記事でも言及しているとおりで、「拉致被害者を救う会」というのは、いたずらに「反共」「反北朝鮮」の言動をすることにばかり熱心で、あの「姿勢」は決して「拉致被害者を救う」ためにプラスになったとは考えられません。あれから20年も経っているのに、また未解決の問題が残っているのは、「救う会」の偏向した姿勢が禍したもので、現在の「被害者家族の会」も「救う会」の言いなりになっていては、良い結果を得ることは益々困難になるだけだと思います。
2024年06月09日
歴史家で東京大学大学院教授の小島毅氏が著した「日中二千年史」(ちくまプライマリー新書)の一節に、戦前の日本を支配した「教育勅語」に関する考察が書かれている;2教育勅語の思想背景◆教育勅語は大事? さて、ここでいったん日清戦争前に戻り、明治時代の日本における中国思想の影響について述べておきましょう。一八九〇年に発布された「教育二関スル勅語」、いわゆる「教育勅語」です。今でも一部の人たちが「内容的にはすばらしいのに、戦後教えてこなかったのはけしからん」と主張しているシロモノです。たしかに、教育現場で教材には使われてこなかったため、みなさんはその名前は知っていても、読んだことがないかもしれません。 「教育勅語」は、ひとことで言えば、皇帝を中心とする中国的な国家システムを称賛しています。幸い、二〇一七年三月一四日に松野博一文部科学大臣が「学校で「教育勅語」を教えても構わない」とおっしゃっていますので、あらためて読み返してみましょう。 なお「教育勅語」は、本来であれば校長先生が起立して読み上げ、生徒は起立して頭を下げて聞くのが正式な学び方です。これを奉読式といいます。畏れ多くも明治天皇陛下のおことばということになっている文章だからです。ですので、生徒・児童が声を揃えて勅語を読むなどというのは、戦前なら不敬罪で捕まる行為です。「教育勅語は大事だ」と主張する人たちこそ、少しはこういう歴史を勉強してもらいたいものです。朕(ちん)惟(おも)フニ、我力皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。我力臣民(しんみん)、克(よ)ク忠二克(よ)ク孝二、億兆(おくちょう)心ヲー(いつ)ニシテ、世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此(こ)レ我力國体ノ精華(せいか)ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)、亦(また)実二此にこ)二存ス。爾(なんじ)臣民、父母二孝(こう)二、兄弟(けいてい)二友(ゆう)二、夫婦相和(ふうふあいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、恭倹(きょううけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)二及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常二国憲ヲ重(おもん)ジ、国法二遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)二奉(ほう)ジ、以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。是(かく)ノ如(ごと)キハ、独(ひと)リ朕力忠良(ちゅうりよう)ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしよう)スルニ足ラン。斯(こ)ノ道八、実二我力皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)二遵守(じゅんしゅ)スベキ所、之(これ)ヲ古今二通ジテ謬(あやま)ラズ、之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)二施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ。朕、爾臣民卜倶二拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲー(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。明治二十三年十月三十日御名御璽(ぎょめいぎょじ) 御名というのは明治天皇の名前(睦仁)、御璽というのは「天皇御璽」という大きい印鑑のことです。勅語の正本には署名があり、押印されていました。◆中国由来の「教育勅語」 実は「教育勅語」は日本独自のものではありません。一三九七年、明の洪武帝(朱元璋)は六諭(りくゆ)というものを発布しています。「教育勅語」が発布される五〇〇年前ですね。「明の建国と明治維新の五〇〇年という差はそのまま、中国と日本における文明の成熟度の差である」というのが私の持論です。元号が一世一元になる(中国は一三六八年の明建国以来、日本は一八六八年の明治改元から)のがまさにそうですが、この勅語の例もこの持論を証明してくれています。 六諭というのは儒教の倫理道徳を庶民に浸透させるための教訓で、清ではこれが増訂されて一六箇条になっています。では書き下し文で読んでみましょう。父母に孝順なれ。長上を尊敬せよ。郷里に和睦せよ。子孫を教訓せよ。各々生理に安んぜよ。非為を作すなかれ。 江戸時代に、八代将軍・徳川吉宗は儒学者の荻生徂徠や室鳩巣に六諭の注釈を書くよう命じ、普及をはかりました。明治時代になって六諭のようなもの、つまり国民の道徳にかんする天皇の諭告(「諭吉」という字に似てますが違いますよ!)を出すべきだという議論が盛り土がり、その結果「教育勅語」がつくられたのです。たしかに勅語には六諭と似た儒教道徳を説いた箇所があります。「父母二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆二及ホシ」といったあたりで、勅語擁護派の人たちが「人類に普遍的な道徳で、なんら問題ない」と言う箇所です。 しかし、問題はなぜそれらの道徳が大事かという点です。勅語ではそうすることで一人前の「臣民」になり、「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」としています。いわゆる忠君愛国です。天皇家は「天壌無窮(この宇宙とともに永遠に続く)」であるから、「爾臣民(お前たち家来ども)」はこの「皇運(天皇家の繁栄)」のために命を捨てて戦えと言っているのです。国民の生命・財産を守るためのやむをえぬ自衛戦争ではなく、日本が世界の強国であることを示すために天皇の名で行われる戦争のことです。 明の六諭も同じです。なぜ家族や近隣と仲良くし、生業に励み、罪を犯すなといっているのか。それは明の政治秩序、皇帝制度を守るためです。君主(皇帝・天皇)が国民に対して道徳性を高めよと要求するのは、国民自身のことを思うからではなく、自分が頂点に立っている現行システムを盤石なものにしたいからなのです。「教育勅語」を「拳拳服膺(大事に守る)」することに私が同意できない理由はここにあります。 こういうことをきちんと知らないと、一部の文言にだまされて「すばらしい」と思ってしまいます。その成立経緯を知らないと「日本に伝統的にある考え方」だと誤解してしまいます。ある人が中国を見下していても、それはそれとして思想言論の自由で容認したいと私は思いますけれど、そういう人こそ中国由来のこうした考え方を批判すべきです。本居宣長が漢詩に対して和歌のすばらしさを説いたように、中国由来の儒教的な教育勅語は日本の「国体(国のすがた)」に合わないと主張すべきです。 もっとも、そもそも本居宣長が理想とした「物のあはれを知る心」をもつ人は、こんな肩肘張った教訓を金科玉条にしたりはしないはずです。教育勅語を信奉する人たちは、宣長のことばを借りれば「からごころ」つまり中国的な感性の持ち主だと、私は思います。小島毅著「日中二千年史」(ちくまプライマリー新書) 「第5章あこがれから軽蔑へ-近現代- 第2節教育勅語の思想背景」から引用 教育勅語が明治の政府によって発布されたのは1890年でしたが、それよりも500年前にすでに中国大陸で同じ内容の文章が公布されて、庶民の心得として広く宣伝されていたという、こういうことを教養として知っておくことは大切だと思います。安倍政権の時代には、関西の学園経営者が幼稚園児に「教育勅語」を暗唱させるシーンがテレビニュースで報道されて、昭恵夫人が「感動しました」とコメントしてましたが、あのような「不敬」なことは、教育勅語が「現役」だった時代を知る人にとっては「あり得ない」事態であったということも貴重な情報です。とかく「親を大切にしろ」とか「兄弟は仲良くしろ」とか聞けば、「ありがたい教え」だと思いがちですが、勅語を発布した明治天皇の「本音」は、そんなことを教えることではなく、文章の終わりにある「いざという時には、皇室を守るために命を捨てる気で戦え」を、国民の脳裏に刷り込むことであったわけで、これは別に、日本の伝統文化などというものではなく、中国では日本よりも500年も前に公布された、その二番煎じであったということを、知るべきです。
2024年02月13日
井上日召著「一人一殺」(河出書房新社刊)について、ジャーナリストの斎藤貴男氏は11月25日の東京新聞に、次のような書評を書いている; 大胆きわまる連続テロ計画が、まるで日常生活の1コマでもあったかのように、淡々と書き進められていく。標的どもは総選挙に気を取られて警戒を怠るだろうとして。 <乗ずべき好機はこれを措いてない、と私は考えたのだ。そして、実行方法は一人一殺主義をとり、(中略)同志相互の連絡を禁じ、拳銃・資金は直接私から手渡す、などの一般方略を決定した>。 1932(昭和7)年の2月と3月に、前蔵相・井上準之助および三井合名理事長・團(だん)琢磨を暗殺した「血盟団事件」の首謀者が、獄中で認(したた)めた自伝である。新たな戦前と囁かれる中で復刊された。 当初は20人もの命を狙った日召らの行動は、直後に決行される5・15事件の”第一幕”でもあった。やがて2・26事件に続く一連のテロとも合わせ、今日に至る同時代史も見えてくる道理。現代人必読の第一級資料と言える。 近代化をひた走る明治の日本に生を受け、煩悶(はんもん)し続けた青年が、アイデンティティの喪失をいかに克服せんとしたのか。事後の「建設」には関心を示さず、ただ腐敗した時代の「破壊」のみを目指したとされる魂を、安易に”義挙”だと讃(たた)えてしまいがちな短絡に陥らず、虚心に知り、学ぶ姿勢こそを、具体的な動機は違えど、安倍晋三元首相暗殺事件を経験した私たちは今、求められているのではないか。 北一輝が、頭山(とうやま)満が、藤井斉(ひとし)が出てくる。大川周明(しゅうめい)や西田税(みつぎ)、安岡正篤(まさひろ)らを、著者がどこか軽く見ているように読めるのが興味深い。 日召は無期懲役の温情判決を受けた上、複数回の減刑により数年で仮出獄。1940年の紀元2600年祝典における特赦で判決自体が無効となって、「前科」さえ消えた。近衛文麿首相のブレーンに迎えられる顛末(てんまつ)と相成り、読者を「なんという時代だったか」と呆れさせてくれる。 が、何のことはない。日召一派の中心にいた四元(よつもと)義隆は戦後も歴代首相の参謀であり続けたし、團琢磨を殺した菱沼五郎も茨城県の有力議員になり果(おお)せて、原発推進の旗頭となった。これが日本である。<いのうえ・にっしょう> 1886~1967年。戦後、公職追放後は農村青年への講演活動。2023年11月25日 東京新聞朝刊 8ページ 「読書-時代の破壊 目指した魂」から引用 財界や政界の大物を殺害したテロリストが、温情判決を受けた上に複数回の減刑や特赦で「前科」も消えて、挙げ句の果ては政府のブレーンに迎えられるという、実に呆れた国が日本だった。アイデンティティの喪失を克服するためにテロに走ったと言っても、だからと言って「殺人」の罪が許されるわけもありません。それにしても、カルト団体との不明朗な関係を怪しまれて銃撃された安倍元首相暗殺事件から1年経って、安倍派の「裏金」が5億円もあったことが取りざたされる今日の日本は、井上日召が活躍した時代からあまり進歩していないのだなと思いました。
2023年12月13日
三宅勝久著「絶望の自衛隊」(花伝社刊)について、防衛ジャーナリストの半田滋氏が1月22日の「しんぶん赤旗」に、次のような書評を書いている; 自衛隊は文字通りの階級社会である。上位者に無条件で従うよう日常的に仕向けられるのは、戦場で命を失いかねない命令であっても従わせるためだと聞いたことがある。 将来の自衛官を養成するための教育機関も自衛隊と相似形の世界だ。理不尽としか言いようのない上級生の命令に従うよう強要される下級生たち。火の粉が降りかかるのを恐れ見ぬふりをする同級生たち。ゆがんだ上下意識が若者の人格を破壊していく様子がリアルに描かれる。 下から腐った組織は上からも腐臭を放つ。自衛隊そのものが持つ暴力性が人間の弱さの裏側にある凶暴性を解き放ち、閉鎖された組織の中で熟成される。パワハラとセクハラが大渋滞する部隊での団体生活などまともな神経を持つ人が送れるはずがない。 年間採用数1万5000人に対し、5年以内に退職する人は5000人もいる。本書の中で元自衛官はいう。「はてしなく過酷な環境で働かされ」「退職理由にきれいごとしか書かせない」「そのうち組織が自壊するんじゃないか」 救いを見つけようがない、夕イトル通りの「絶望の自衛隊」。紹介されるエピソードの多くは、初めて知る事柄であり、著者の取材力とわかりやすい表現力には脱帽である。 内閣府が3年ごとに行う世論調査で自衛隊に好感を持っていると答えた人は9割にのぼる。この本に書かれた実態を知ってもなお、支持するだろうか。 普通の人による普通の組織に戻すには、防衛大学校を含めた教育機関すべてを廃校とするほかない。一般の学校でもいじめの問題はあるものの、ゆがんだ階級意識が定着した自衛隊の関連学校ほどではないだろう。 本書にも登場するが、ドイツ連邦軍が取り入れ、軍隊の民主化を進めるのに役立っているオンブズマン制度を日本も取り入れる段階を迎えているのではないだろうか。<みやけ・かつひさ> 65年生まれ。山陽新聞記者を経てフリーに。『サラ金・ヤミ金大爆発』『自衛隊という密室』ほか2023年1月22日 「しんぶん赤旗」 6ページ 「読書-理不尽な暴力 ゆがんだ階級意識」から引用 内閣府が3年ごとに行なう世論調査では自衛隊に好感を持つ割合が9割だそうであるが、それは国民が自衛隊の活躍を見聞するのが災害救助やイベントの際の航空自衛隊のアクロバット飛行のような場合に限定されているからだと思います。しかし、その内実は毎年1万5000人を採用しているのに5年以内に3分の1が退職してしまうという問題を抱えているというのでは、うっかり武器を買い増ししても「防衛力の増強」にはならないという問題が存在するということです。ドイツの軍隊のように、日本もオンブズマン制度を導入することを検討するべきだというのは重要な提案だと思います。
2023年02月07日
ロクサーヌ・ダンバー=オルティス著『先住民とアメリカ合衆国の近現代史』(青土社刊)ロバート&ジョアナ・コンセダイン著『私たちの歴史を癒すということ ワイタンギ条約の課題』(影書房刊)以上2冊の書籍について、法政大学教授の犬塚元氏が1月21日の朝日新聞に次のような書評を書いている;家族を殺し、故郷を奪った侵略者を赦(ゆる)せるか。古くて新しいこの問いに導かれ、入植者植民地の苦難を語る2冊を繙(ひもと)いた。 ダンバー=オルティスの本の原題は、『先住民たちの合衆国史』。先住民の歴史ではなく、先住民たちの視点から、アメリカ合衆国の歴史を語る本だ。 「新大陸」に到着した入植者は、「明白なる使命(マニフェストデスティニー)」のもと、未利用の土地を開拓して西進する。従来のそんな語りは、様々な研究成果をふまえて抜本的に書き直される。ここには以前から文明があり、国家がいくつも存在した。穀物が栽培され、水陸の交通網も整備されていた。 先住民のそうした土地や資源を奪うことで、入植者は富や権力を築く。「ジャクソニアン・デモクラシー」で知られるジャクソン大統領は、先住民虐殺によってキャリアを築いた。 著者は、合衆国史の根底には植民地主義と民間人殺戮(さつりく)があると指摘し、入植から現代の対テロ戦争までが「赤い血の糸」でつながった通史を描く。しかも著者は、合衆国の行いを「ジェノサイド」(集団殺害)と呼ぶことを躊躇(ちゅうちょ)しない。国連条約の定義に照らしてもそう呼ぶほかないというのだ。ここに「贖罪(しょくざい)と和解の歴史」は見つけがたい。 『私たちの歴史を癒(いや)すということ』はニュージーランドを舞台に、入植者(パケハ)による土地収奪や「文化的ジェノサイド」の歴史を語る。先住民マオリとイギリスの間では、1840年にワイタンギ条約が結ばれ、先住民の土地や権利を守ることが約束されたが、その後も収奪が続いた。 著者のひとりロバートは、南アフリカ・ラグビーチームの訪問に抗議して収監された刑務所でマオリと出会って、「国内に人種差別はない」との認識を改め、和解への第一歩として、ワイタンギ条約について学ぶワークショップを主催してきた。 歴史を変えることはできないが、癒やしたり、次世代に教訓を残したりすることはできる。 そんな観点を採る本書は、よりよい未来をつくるという実践的関心に彩られている。参加者に罪悪感を抱かせるワークショップは望ましくない。自己検閲や二次加害を避けるため、マオリとパケハは分けて「パラレルワークショップ」を開催している。こうした指摘が興味深い。 歴史的不正義の是正をめぐって二国の経験から学ぶことは多い。ニュージーランド国籍の政治思想史家ジョン・ポーコックは、『島々の発見』でワイタンギ条約の重要性を説き、主権と条約の先後を反転し、条約によって主権国家をつくった祖国の経験に、複数文化が共存する新しい政治の萌芽(ほうが)を認めている。 評・犬塚元(法政大学教授・政治思想史) * 『先住民とアメリカ合衆国の近現代史』 ロクサーヌ・ダンバー=オルティス〈著〉 森夏樹訳 青土社 3080円 電子版あり 『私たちの歴史を癒すということ ワイタンギ条約の課題』 ロバート&ジョアナ・コンセダイン〈著〉 中村聡子訳 影書房 3520円 * Roxanne Dunbar-Ortiz 38年生まれ。米国の歴史家 Robert Consedine 1942~2022。ニュージーランドでワイタンギ条約に関する教育ワークショップを開催、海外にも広めた。Joanna Consedineは娘。2023年1月21日 朝日新聞朝刊 13版 22ページ 「読書-未来に向け過去の不正義ただす」から引用 この記事が紹介する2冊の本は、すごい。アメリカに住む白人は、今までは極少数の先住アメリカ人しかいなかった大陸にヨーロッパから移住してきて無人の荒野を開拓したかのように語り継がれていた(少なくとも私はそう思い込んでいた)が、実はそれはウソで、幌馬車を駆って西部を「開拓」した白人というのは、実は西部に住んでいた先住アメリカ人の大量殺戮を実行し財産を奪い、そこに元々あった国家を滅ぼした「侵略者」であった、というわけである。国連条約の定義に照らしても、アメリカ合衆国のやったことは「ジェノサイド」であることは間違いないことであり、贖罪と和解の歴史は見つけがたいというのであるから、今さらきれい事を言って誤魔化すことは不可能だ。そんなアメリカが「世界の警察官」と称して、他国の不正を許さないなどと言ってみても、おこがましい限りである。
2023年02月05日
山元研二著「『特攻』を子どもにどう教えるか」(髙文研刊)について、ジャーナリストの斎藤貴男氏が1月14日の東京新聞に次のような書評を書いている; 「特攻」が学校教育の教材になる機会は案外と少ない。徹底的に人権を軽んじ、大規模かつ組織的、異常も極まりない、つまり教訓に満ちた史実であるにもかかわらず、だ。 安易に扱ってよいテーマでないのは当然だ。下手をすれば一面的な、”お国のため”に命を捧(ささ)げた男たちの英霊美談に陥りかねず、実際、それこそが成功とされた「道徳」授業の報告もあるという。 とはいえ、「何もなかったこと」にしてしまうのでは教育の敗北にほかならない。ジレンマと格闘しつつ、長年、「特攻」とは何だったのかを問い、伝え続けてきた鹿児島県の公立中学校の社会科教師による、本書は稀有(けう)な実践の記録だ。 鹿児島には知覧をはじめ、鹿屋(かのや)、万世(ばんせい)など、多くの特攻基地が集積していた。史料館にも事欠かないが、著者はそれだけに頼らない。元特攻兵士を訪ねてはビデオを回し、彼らの家族や「なでしこ隊」の少女たちが出撃を見送った現場に生徒と足を運んでは、質問を重ねていく。 なぜ「特攻」だったのか? 自分なら志願するか? 航空特攻ならぬ人間爆弾「桜花(おうか)」や人間魚雷「回天」、水上特攻艇「震洋」、「伏龍」こと奇矯な人間機雷等々の知識も不可欠。陸軍には多く見られたが、海軍にはいなかった朝鮮人特攻兵士の存在とは。作戦の”生みの親”とされる大西瀧治郎(たきじろう)海軍中将を「殺してから飛ぶ」と公言していた元特攻兵の証言さえ、著者は得た。 彼は強調している。重要なのは事実に基づいて多角的・多面的に考えることであり、授業の根幹には、誰にも異を唱えられるはずのない「基本的人権の尊重」の原則を据えておくことだ、と。 特攻に材を採った劇をいくつも、生徒たちと一緒に作ってきた。シナリオを練るのにも実在の関係者に当たり、万全を期した。巻末に収録された脚本集を読んでいて、愛国婦人会会長の、こんなセリフに目が吸い寄せられた。 「(今は)非常時ですものね」 近頃やたらと聞かされる言葉でもある。本書に学ぶ必要があるのは教師だけではない。現代を生きるすべての人々だ。<評斎藤貴男・ジャーナリスト>山元研二著「『特攻』を子どもにどう教えるか」(髙文研・2090円)山元研二・1964年生まれ。公立中教師を経て北海道教育大釧路校准教授。『「西郷隆盛」を子どもにどう教えるか』など。2023年1月14日 東京新聞朝刊 11ページ 「読書-ある教師の実践の記録」から引用 私たちの歴史には「特攻」というものがあったという史実を忘れてはならないと思います。しかも、それは一体どのようなものだったのか、どう認識し後世の日本人にどう伝えるべきものか、難しい問題です。かたちの上では「志願する」と言いながら、実は上官による半ば強制であったから、「特攻」作戦に出撃する前に「特攻」という「作戦」を考え出した大西中将を殺さなければならないと発言する兵士もいたという「証言」が、当時の若い兵士を取り巻く日本の状況を説明してくれていると思います。「国を守るために、国民が命を犠牲にする」などという事態が二度と来ないように、私たちは国の交戦権を認めず、「専守防衛」に必要な最低限の武装以外は保有しないという「憲法」を守っていくべきだと思います。
2023年02月02日
和田春樹著「日朝交渉30年史」(ちくま新書)について、岩波書店前社長の岡本厚氏が11月27日の神奈川新聞に、次のような書評を書いている; 今年は小泉純一郎元首相が北朝鮮を訪れ、「日朝平壌宣言」を発表してから20年である。そのとき約束された国交正常化はならず、交渉は断絶したままだ。最後に残った「戦後処理」として、これは異様な事態といえる。 一方、小泉訪朝で事実が明らかになった日本人拉致は、女子中学生が被害にあったということもあって、日本の多くの人びとに北朝鮮への憤激と被害者や被害者家族への深い同情を呼び起こした。その衝撃は日本社会を変え、いまも底流で揺り動かしている。 しかし、この20年(金丸信元副総理訪朝から数えると約30年)、何が起き、誰が何をしていたのかを知る人は少ない。 本書の著者和田春樹は、国交正常化を進めることが植民地支配清算のために必要であり、日本国民にとって取り組むべき課題だと考え、民間で運動し続けてきた日朝国交促進国民協会の事務局長である。その立場から、和田は20年を期して日朝国交交渉検証会議を組織し、政府関係者、政治家、ジャーナリストらに話を聞いてきた(私も途中から参加した)。この検証会議で、これまで知られてこなかった事実が数多く明らかになった。 本書は会議での証言などを一部取り入れながら、30年の交渉史をまとめたものである。それは、国交正常化を進めようとする側とそれに反対し、止めようとする側の激しい論争史、政治闘争史としても描かれる。最大の反対勢力として登場したのは安倍晋三という政治家であり、安倍政権であった。「安倍拉致三原則」が国交正常化を阻み、交渉そのものを座礁させてしまった。 和田は、協会の運動は敗北し日本政府も失敗したという。たしかに現状を見れば、その通りだ。しかしこの問題が国民的な課題である以上、敗北は敗北のままで終わることはできない。外交も結局、決めていくのが国民だとすれば、和田の意思を継いだ次の国民運動か準備されなければならないと思う。(岩波書店前社長・岡本厚)和田春樹著「日朝交渉30年史」(ちくま新書/968円)2022年11月27日 神奈川新聞朝刊 11ページ 「読書-”敗北”で終わらせずに」から引用 この記事が言うように、日本海の対岸に存在する国と国交がないというのは異常な状態である。正常な国交があって政府同士の情報共有があれば、国境を越えた不審者の行動なども情報を共有して犯罪を未然に防ぐというようなことも可能になり、不幸にして発生した「事件」があれば、被害を最小限にするための協力を得たり、また提供したりという作業も可能のはずであるが、現在のように「音信不通」であれば無駄に猜疑心やデマが横行するばかりで、何も良いことはありません。次の世代には、是非とも国交正常化を成し遂げてほしいと思います。
2022年12月13日
イメージと裏腹 変化の歴史(5日の日記) 中北浩爾著「日本共産党」(中公新書)について、東京都立大学准教授の佐藤信氏が11月19日の朝日新聞に次のような書評を書いている; 日本共産党ほどイメージが先行する政党もなかなかないだろう。「共産主義」や「共産党」と聞くだけでおどろおどろしく、縁遠く感じる人も少なくない。 その強力なイメージは、日本政治の風景を裏から規定してきた。政財界における共産主義への警戒感は自民党への支持に結びついてきた。旧統一教会と自民党との瓢がりもその一端に過ぎない。非自民勢力でも、昨今の野党共闘に見られるように、日本共産党が結集に加われないのみならず、そのイメージが他党を分断することもある。 ただし、その先行するイメージとは裏腹に、日本共産党の実態がどこまで知られているか、心許ない。非合法時代に限らず機密が多く、また国際的な連関も多いだけに、バランスのとれた入門書もなかったから、仕方ないといえば仕方ないのだが。 そんななか、社会党を中心にした研究からスタートして、近年、自民党や自公政権について定評ある新書を刊行してきた政治史家が、結党100年に合わせて刊行したのが本書である。 最新の研究も踏まえて日本共産党の歴史を簡潔にまとめた本書だが、それでも440ページと分厚いうえに密度も濃い。ヒット作とはいっても積読(つんどく)になっている人も少なくないだろう。 それでも、本書を紐解(ひもと)けば、「共産主義」とか「共産党」とかいった言葉で一徹したイメージで語られる日本共産党が大きく変化してきたことに驚かされるだろう。今では護憲を謳(うた)っている党も、戦後長く日本国憲法を否定してきたのだから。そこには党内闘争や、ソ連共産党や中国共産党などの国際的な権威に翻弄(ほんろう)された歴史がある。これまで変化してきたのだから変化は可能だ、というのが著者のメッセージでもあろう。 こうして、本書は日本共産党の歩みを丹念に追うことで、そのイメージを揺るがす。どういうかたちであれ、「共産党だから」と思考停止しないために。現代政治に関心を持つ人こそ手に取るべきだ。<佐藤信(東京都立大学准教授)> 中北浩爾著「日本共産党」中公新書・1210円=4刷4万3千部。5月刊。担当者は「読者は政治に興味のある層だけでなく、歴史に関心のある人も。ニュートラルな視点が受け入れられているようだ」。2022年11月19日 朝日新聞朝刊 13版S 23ページ 「売れてる本-イメージと裏腹 変化の歴史」から引用 戦前の日本の天皇制政府はまるで徳川将軍の代わりに天皇が人民を支配するような旧態依然の弱点を内包していたから、学問的な根拠を基盤にした労働者の権利を主張する共産主義思想は、天皇制政府にとっては足元をすくわれそうな「恐怖」であったわけで、その分政府の「反共宣伝」は苛烈なもので、その名残はいまだに日本人の脳裏に沈殿していて、何かの弾みで意味の無い「反共宣伝」が繰り返される。しかし、現実の共産党は戦後の70余年の間に様々な議論を重ねて「党綱領」を改善し近代政党に脱皮しており、戦前の共産党とは似ても似つかぬ市民政党になっていることを、多くの人々に知ってほしいものです。
2022年12月05日
浜田敬子著「男性中心企業の終焉」(文春新書)について、日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介氏が11月12日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; 中国共産党と、日本企業と、どちらが先に変わるのだろうか。どちらも、滅びるまで変わることはないのか。 新執行部が全員黒い背広を着た男性という、中国共産党大会の映像は異様だった。しかし、日本の多くの企業や団体の、役員会や幹部会も同様ではないか。 たとえば、林真理子理事長の選任以前の、日本大学の理事は全員男性だったという。学生や職員には、女性が多数いるにもかかわらず、だ。企業はどうか。さすがに上場企業ともなれば、役員会にも複数の女性がいるご時勢だろうが、常務会などの実質的な意思決定機関ではどうだろう。 そんな日本は、まるで幕末のようでもある。当時の幕府や諸藩は、欧米列強の脅威を目の当たりにしつつなお、「政治行政司法に携わるのは世襲の武士身分の者だけ」という体制を墨守し続けた。それ以外で優秀な者も、一部で下級の士分に取り立てられたが、上層部には上がれない仕組みだった。 しかし明治維新から四半世紀も経った頃には、武士階級以外の出身者があらゆる分野で、実力相応にリーダー層の大部分を占めるようになっていたのである。同様に日本の女性が、実力相応にリーダー層の相当部分を占める日は、いったいいつになったら来るのだろう。どういう形で「維新」を起こせば、そうなるのだろうか。 そのような疑問に答えるのが掲題書だ。ジェンダー平等の体制構築こそが企業生き残りのカギであること、「維新を待っている間に藩政改革」ということを、条理と実例をもって語る。「女性に昇進を打診しても断られる」とか、「キャリア志向の女性がお手本にすべき先輩が見当たらない」とか、「女性枠の設定は男性への不平等だ」とか、「あるある」の否定的見解の数々に、「そうではなくて、こうすべきでしょう」と、具体的な回答を快刀乱麻で返す。やったふり(ジェンダーウォッシュ)の企業と、本心から改めている企業の違いを、これでもかと明確に示す。 そんな掲題書の表題は「男性中心企業の終焉」だが、「ジェンダー平等企業の洋々たる未来」と裏返した方が、より内容がしっくりするだろう。そう、この本は、著者がキャリア女性として30有余年を生きてきた日本の、企業社会の不条理への怒りにも満ちているが、それ以上に、ようやく増えつつあるジェンダー平等の経営を実現する一部企業と、多様な価値観や働き方が共生できる未来への、賛意にあふれている。ジェンダーと聞いてどこか冷笑気分になる中高年経営者諸氏こそ、手に取って己の「幕末性」を確認するとともに、維新は不可避であること、そこに対応した先にこそ自社の発展があることを読み取るべきだろう。 いや、昭和型組織の男性幹部諸氏には、それは無理なのかもしれない。身分制度の否定とともに、幕府や諸藩は解体した。ジェンダー平等の実現とともに、昭和型の組織文化を固持する企業や団体も解体するかもしれない。改革の先送りは、要らなくなる側の自衛行動なのだ。だが、彼らの惰性がもう一年許される間に、日本のチャンスはもう一年失われていく。 すべての企業幹部がこの本を読んでほしい。「男性中心企業の終焉」が、「男性中心日本の終焉」につながってしまう前に。浜田敬子著「男性中心企業の終焉」(文春新書・1078円)2022年11月12日 毎日新聞朝刊 13版 14ページ 「今週の本棚-男性中心『日本』の終焉、となる前に」から引用 この記事はなかなかセンセーショナルである。封建社会から近代国家へ脱皮するために私たちの祖先は「明治維新」を実現し、士農工商の身分制を廃止して市民が平等の社会を実現したが、しかし、家制度はそのままで「夫唱婦随」とか、何かと女は男に依存する制度はそのままであったが、それから150年経って、今度はジェンダーによる差別を克服してジェンダー・フリーの社会を実現することが求められている。この記事が言うように、日本は国会も企業も男が支配して女は添え物程度の扱いであるが、これを克服できるか否かで、日本は「繁栄」と「衰退」の分かれ道に立っているというのであるが、果たして私たちの社会はどっちへ行こうとしているのであろうか。
2022年12月01日
大日方純夫著「唱歌『蛍の光』と帝国日本」(吉川弘文館刊)について、清華大学客員研究員の川崎賢子氏が10月29日の東京新聞に、次のような書評を書いている; ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーという美男美女の鉄板メロドラマ映画『哀愁』のクライマックスは、一本ずつ消されていくキャンドル、やがて仄(ほの)暗い闇に包まれたラストワルツだ。が、そこで楽団が奏でるのは、「蛍の光」なものだから、どこかしら気恥ずかしい。正確にいえば、「蛍の光」は四拍子で、『哀愁』のクラブに流れるのは三拍子にアレンジされた「別れのワルツ」。原曲はスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」である。 「オールド・ラング・サイン」は、蛍の光、窓の雪、書(ふみ)読む月日重ねつつ、という訳詞とともに、卒業式ソングの定番の一つとなって、わたしたちの身体に刻みつけられている。しかしながらその旋律は、一方で20世紀の戦時のメロドラマにふさわしい「別れのワルツ」にアレンジされていただけではない。かつて日本が「国民国家」として、ついで「帝国」として東アジアへ版図を拡大した明治・大正・昭和前期には、今となっては幻の日本植民地の境界とその彼方への欲望を読み込んだ、三番・四番の歌詞があった。 「筑紫(つくし)のきわみ陸(みち)の奥」で始まる三番は、九州から東北までをおさえていた。「千島の奥も沖縄も」で始まった四番は、やがて「台湾の果ても樺太も」と書き換えられ、「帝国」日本の領土拡張の野心を反映した。戦時下の内地では、「オールド・ラング・サイン」は米英の、すなわち敵性音楽だとして、追放の憂き目にあったこともある。 「帝国」の支配下に置かれた朝鮮、台湾にも、「オールド・ラング・サイン」の旋律は広がり、時に唱歌としてしたしまれ、時に卒業式の儀式歌となり、また時には「帝国」の植民地支配に抗する愛国歌として、うたいつがれた。 「蛍の光」の変容と越境を通じて、国家や教育のあり方、基地を抱える沖縄や、ロシアと接する「北方領土」など、多様な”今”を考えるという刺激的な試みである。評・川崎賢子(清華大学日本研究センター客員研究員)<おおひなた・すみお> 1950年生まれ。早稲田大名誉教授。著書『世界の中の近代日本と東アジア』など。2022年10月29日 東京新聞朝刊 11ページ 「読む人-領土拡張で歌詞書き換え」から引用 戦後に生まれて戦争を知らない私は、「蛍の光」に3番や4番があって「千島の奥も沖縄も」とか「台湾の果ても樺太も」というような歌詞で私が生まれる4年前までの日本人が歌っていたのだ、という話には大変興味があります。その昔は樺太も千島列島も日本領だった時代があり、私が子どもだった頃は近所に「樺太生まれ」だという大人がいたのを記憶しています。かなり広い領土だったものを、なまじ中国を侵略して下手をうったために、樺太も千島も失ってしまったのは残念なことでした。しかし、元はと言えば北海道や千島列島は、日本領というよりはアイヌが昔から住んでいた地域であり、沖縄は琉球王国だったという「史実」も、日本人としては忘れてはならないポイントだと思います。
2022年11月16日
呉濁流著「アジアの孤児」(岩波現代文庫・1452円)について、評論家の川本三郎氏は10月22日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; いま日本と台湾の国民感情は「相思相愛」といわれるほど良好なためつい忘れがちになるが、台湾は戦前、日本の統治下にあった。そのために台湾人は苦渋の日々を送った。 この小説は、日本統治時代(主に昭和戦前)に生きた台湾人の青年の苦難に満ちた日々を描いている。作者、呉濁流(1900-1976)の体験が反映されている。1946~48年に日本語で発表された台湾文学の古典で、これまで日本でも何度か出版されている。本書は文庫化になる。 主人公の胡太明は台湾の地方の町に生まれた。祖父は読書人だったので太明は子供の頃から四書五経など漢学を学んだ。父親は漢方医。町では恵まれた家といっていい。 とはいえ日本統治下の台湾では台湾人の知識階級の就職口は限られている。太明は公学校(台湾人児童のための小学校)の教師になる。そこで日本人の教師と台湾人の教師との待遇に差別があることを思い知らされる。 さらに台湾人の児童が日本人の教師によってひどいいじめに遭うのを見る。太明は同僚である日本人の女性に恋をするが、「私とあなた……ちがうんですもの」と拒絶される。 台湾人は日本人に軽視される。父祖の地である中国でも折から排日の機運が高まり台湾人は快く思われない。日本人からも中国人からも差別される。まさに「アジアの孤児」として太明の心は揺れてゆく。アイデンティティーの不安がこの小説のテーマになっている。 教師を辞めて日本に留学する。ここでも台湾人であることが重荷になる。先輩からは、台湾人と言わない方がいいと忠告される。台湾人だと差別される。日本に留学している中国人学生の集まりに行く。台湾人だと自己紹介すると相手の態度が一変する。 アジアの孤児であることを痛感した太明は台湾に戻る。そのあと中国に渡る。排日運動が激化しているなか太明は政治に関わるまいとし、中国の古典の世界に逃避する。中国人の女性に恋をし結婚するが、新しい女性で家庭を顧みないため結婚生活はうまくゆかない。 中国人でもないし日本人でもない。太明は中国と日本に引き裂かれてゆく。苦悩から逃れるように学問に打ち込む。しかし、現実のほうは太明を追いつめてゆく。台湾人であるというだけの理由で中国官憲に拘束されてしまう。 なんとか脱出して台湾に戻るが、日中戦争が勃発すると日本政府の締めつけは強まり、台湾人は米の供出や皇民化政策の強化に苦しめられてゆく。この小説は日本統治下時代、いかに台湾人が植民地政策に苦しめられたかを克明に描いてゆく。日本人が読むと、現代の「相思相愛」とは正反対の日台関係の厳しさに愕然(がくぜん)とする。 呉濁流は「何人もあえて筆にしなかった史実ばかり」(「自序」)を書き込んでいるから執筆当時、日本の官憲に見つかったら、と命がけの思いだったという。 軍属として中国の戦地に赴いた太明が、抗日抵抗者の処刑(軍刀で首を切る)に立ち会う場面は凄(すさ)まじい。精神を病んでゆくのも無理はない。 日台関係が良好な現在だからこそ、統治下に生きた台湾人の苦しみを知る必要がある。終始、事実の積み重ねの冷静な文章で書かれているだけに、主人公の悪戦苦闘ぶりが素直に伝わってくる。<川本三郎・評論家>呉濁流著「アジアの孤児」(岩波現代文庫・1452円)2022年10月22日 毎日新聞朝刊 13版 11ページ 「今週の本棚-日本統治の辛酸 台湾青年の証言」から引用 呉濁流著「アジアの孤児」は、日本人なら一度は読んで戦前の日本が「琉球処分」を行ない、朝鮮半島と台湾を植民地支配したという「史実」を学び、中国東北地方に傀儡国家を作り、中国本土を侵略したという歴史を学ぶ必要があると思います。戦後に生まれた者にとっては、共産党政権が支配するソ連と中国は、アメリカや台湾と違って少し距離を置く国家で、中国よりは台湾のほうが親しいのだというような気分でいたものでしたが、実際に観光やビジネスで台湾に行ってみれば、日本人と知って親しく声をかけてくれる台湾人は多くおりましたが、しかし、そういうふうに振る舞ってくれる人たちの過去には、植民地支配という「史実」が存在しているのであり、そこを見落として上辺だけ親しく付き合うという態度では、しっかりした信頼関係の構築はできないだろうと思います。
2022年11月07日
竹内康人著「佐渡鉱山と朝鮮人労働」(岩波ブックレット)について、15日の毎日新聞は次のような書評を掲載している; 今、政府は佐渡鉱山の世界遺産登録を目指している。推薦書に記されているのは江戸期の金生産だ。本書は、推薦書が伝えない近代以降の「鉱山史」を伝えている。 推薦書いわく、鉱山は全盛期には「世界最大級・最高品質の金を生産した世界に類のない」遺跡とのこと。その成果は非人道的な強制労働に支えられていた。たとえば幕府は「無宿人」をつかまえて鉱山に送り、排水労働に当たらせたという。 朝鮮を併合した大日本帝国は、人権無視の労働政策を引き継いだ。たとえば朝鮮の人々を事実とかけ離れた好条件(甘言)で誘い、危険でつらい現場に動員した。戦時には1500人以上の朝鮮人が強制動員され、多くが過酷な坑内労働に投入されたという。低賃金、食糧不足でも転職、退職の自由はない。逃亡したら厳しく罰せられる……そうした負の歴史の実態が、動員された人々の名簿や争議の記録など、豊富な史料と証言で明らかにされる。 世界遺産になるかもしれない遺跡で何があったかを知りたい人はもとより、「強制労働などなかった」と信じる「歴史戦」の論客にも読んでほしい一冊だ。(栗)竹内康人著「佐渡鉱山と朝鮮人労働」(岩波ブックレット・682円)2022年10月15日 毎日新聞朝刊 13版 12ページ 「今週の本棚-佐渡鉱山と朝鮮人労働」から引用 日本政府はかつて長崎県の通称「軍艦島」と呼ばれる海底炭鉱遺跡を世界遺産として申請し、ユネスコからは「日本がかつて植民地支配した朝鮮半島から多くの労働者が送り込まれて、強制労働を強いられたという『史実』も過不足なく説明する文書を展示すること」という条件付きで「世界遺産」として承認されたにも関わらず、日本政府は現在に至るも朝鮮人強制労働の「記録」を拒否したままになっている。この度の「佐渡鉱山の世界遺産登録申請」については、江戸時代の金鉱の採掘だけを申請書に書けば、明治以降の朝鮮人強制労働の「史実」に触れる必要はないという子どもの理屈のような姑息な考えのようで、一時期は「ジャパン アズ ナンバーワン」と言われた時代もあったことを思うと、随分と落ちぶれたものだとため息を禁じ得ません。
2022年10月31日
斎藤真理子著「韓国文学の中心にあるもの」(イースト・プレス刊)について、新潟県立大学名誉教授の波田野節子氏が9月25日の神奈川新聞に、次のような書評を書いている; 第一線で活躍中の翻訳家による待望の書である。最近、現代韓国文学の翻訳出版が目覚ましいが、歴史に照らした手引書に欠けるうらみがあった。本書は、著者が翻訳してベストセラーになった「82年生まれ、キム・ジヨン」が出た2018年からさかのぼり、韓国が日本の植民地から解放された1945年までの韓国文学の流れを、作品に沿って分かりやすく解説してくれる。 植民地から解放された後の朝鮮半島は冷戦体制に翻弄され、ついに朝鮮戦争が勃発する。この戦争は日常生活の場を戦場にする地上戦であり、その上イデオロギー戦争であったことが被害を甚大にした。そして現在まで休戦協定のままであるという状況が、この戦争をいや応なく韓国文学の「中心」に据えたのである。だが韓国文学はこの逆境を強みに変えた。 著者が主として翻訳しているのは、87年の民主化宣言の後に成人した若い作家たちの作品である。世界中のカルチャーを吸収してナショナリズムから解放されているこの世代に共通するのは、後に続く世代のために責任を持とうという感覚であり、それを支えているのは、日常的に耳にすることで継承した朝鮮戦争の記憶である。それが「一歩前へぐっと踏み出させるような力」を今の韓国文学に生んでいるのだという著者の言葉は、翻訳する者の実感にあふれている。 一方、日本で朝鮮戦争は忘れられた。隣国の戦争を意識していた柴田翔の小説「されど われらが日々-」の中には高校生が朝鮮戦争について討論する場面がある。その場面を完全に忘れていた読書経験を語りながら、著者は、日本人がこの戦争を早々に記憶から消し去ったのは「特需」を恥じたからではないかと問う。過去に植民地にした国で起きた戦争で儲(もう)けたことが忘却を促したという疑いは、現在ウクライナ戦争を眼前にしている私たちの心をヒヤリとさせる。(新潟県立大名誉教授・波田野節子)斎藤真理子著「韓国文学の中心にあるもの」イースト・プレス/1650円2022年9月25日 神奈川新聞朝刊 13ページ 「読書-現在に続く戦争の記憶」から引用 この記事には大変興味深いことが書かれている。韓国の若者は世界中のカルチャーを吸収してナショナリズムから解放されているとのことであるが、それが本当であれば素晴らしいことだ。そういうことが可能であるのは、朝鮮戦争の記憶をしっかり継承しているからだそうであるが、日本の若者がナショナリズムから解放されるためには、何が必要なのか、考えざるを得ません。この記事の最後の部分では、日本人が朝鮮戦争を早々に記憶から消し去ったのは、過去に植民地にした国で起きた戦争を利用して儲けたことを「恥」と思う気持ちが日本人にあったからではないか、と書いているが、私は朝鮮が日本の植民地であった時代を知っている日本人から「朝鮮戦争のときは儲かったよ」という自慢話は聞いたことがあるが、そのことで心を痛めたり「恥」と思うような日本人には会ったことがない。
2022年10月07日
エマニュエル・トッド著「第三次世界大戦はもう始まっている」(文春新書)について、ジャーナリストの斎藤貴男氏は17日の東京新聞に、次のような書評を書いている; 私たちは、ウクライナとロシアの戦争を「民主主義VS権威主義の戦い」と表現し、あまつさえ「普遍的価値を共有する我が方こそが前者だ」と絶叫したがる。だがそれらは、米国およびウクライナ発の情報のみに依拠した、偏狭な独善以外の何物でもない。 まずは自らの置かれた情報環境を正しく認識した上で、一歩引いてみることだ。まるで違う光景が見えてくる。 そんなことを教えてくれる本だ。著者は経済よりも人口動態に基づいて人類を捉え、ソ連崩壊やトランプ大統領の登場等、数々の世界史的大事件を予言してきた。「現代最高の知性」だと帯にある。 本書によれば、今回のウ・ロ戦争を仕掛けたのは米国と北大西洋条約機構(NATO)に他ならない。ロシアの侵攻が始まる以前から、ウクライナは事実上のNATO加盟国に組み入れられ、米英の軍事顧問団や高性能兵器類を大量に送り込まれていた。NATOのとめどない東方拡大に追い詰められたプーチンが、窮鼠(きゅうそ)猫を噛(か)んだ構図。 なぜ? とどのつまりは米国の焦りに尽きる、と評者には読めた。衰退が不可避の覇権国家が、まるで手負いの熊と化している。戦争は「もはやアメリカの文化やビジネスの一部と言って過言でない」との指摘に思わず膝を叩(たた)いた。 だが冗談ではない。危うい米国は、「同盟国日本にとっては最大のリスクで、不必要な戦争に巻き込まれる恐れがあります」と、著者は述べる。そこで改めてウクライナの状況を直視しよう。米国のあたかも傀儡(かいらい)としてロシアとの戦争を続けている彼らは、私たちの明日の姿ではあるまいか。相手は中国だよとまでは、本書には書かれていないけれども。 本書の議論の大半に、評者は大いに共感できた。ただ一点だけ、だから日本は核を持つべきだとする提言には強い違和感がある。そんなことをしたところで、傀儡であることをむしろ誇っているかのごとき自民党政治が、米国の支配から「自律」などできるはずがない。ただ単に、中国に先制攻撃の口実を与えてしまうだけである。<評・斎藤貴男(ジャーナリスト)><エマニュエル・トッド> 1951年生まれ。フランスの歴史人口学者・家族人類学者。『最後の転落』など。2022年9月17日 東京新聞朝刊 11ページ 「読む人-米国の傀儡 明日はわが身」から引用この記事が冒頭で指摘しているように、わが国のメディアがウクライナ戦争を「民主主義のウクライナが権威主義のロシアに侵略されている戦争」であるというように表現をするのは、私は間違いだと思います。この戦争はアメリカが仕掛けた戦争であることは、ゼレンスキー政権の前の親ロシア派の政権がアメリカCIAの違法行為によって転覆させられた事実が証明しています。アメリカは表面上は民主主義を標榜していても、その中身は巨大な軍需産業を抱えている関係で、常に世界のどこかで戦争をやらないと生きてはいけない国家になっている。そういう事情を抱えた国は、やがて滅びる運命にあるのですから、日本もそろそろアメリカとは距離を置いて付き合うことを考えるべきで、このままアメリカの言いなりになっていては、いつかウクライナのように近隣の国と戦争を始めることになりかねません。今までは、共産党を中心とする「平和勢力」で日本の平和をまもってきたものの、今後は「れいわ新選組」やその他のリベラル勢力を結集して平和憲法を堅持し、東アジア集団安全保障体制の構築を目指すべきだと思います。
2022年09月29日
渡辺延志(のぶゆき)著「日清・日露戦史の真実」(筑摩選書)について、佛教大学名誉教授の原田敬一氏が10日の東京新聞に次のような書評を書いている; 戦争とフェイクニュースは連動すると、ウクライナ戦争によって広く知られるようになったが、戦後日本でも「大本営発表」というジョークが長くつかわれた。自分に有利な大げさな発言をいった。本書は、日清戦争と日露戦争の戦史といういわば「参謀本部発表」のフェイクを、丹念に追究したといえよう。 参謀本部が10年間かけてまとめ公刊した『日清戦史』全8巻に対して、その草稿類が歴史学者の大谷正氏や中塚明氏によって発見されたのは、1994年。中塚氏も複数の著書で、草稿による新事実を解明されたが、それらを踏まえて日清戦争の全体像や、戦前日本の歴史像にも迫ろうというのが本書の狙いである。 戦史は、戦争を担当する部門(参謀本部や海軍軍令部、陸海軍省)が次の戦争の教訓を得るために必須の材料であり、以後の士官学校教育などで頻繁に使われる。同時に国民に戦争像を示し、国民教育に資する。このバランスが重要だが、日本はそれに失敗し、いわば国民に良い面だけを見せるものに変更した。 日清戦争後、参謀本部は、当初「忌憚(きたん)なく事実の真相を直筆し」、批評も加えた「草案」を数度練り直したが、最終的には、「我が政府常に平和と終始せんとせしも、清廷は我が国の利権を顧みず」日本はやむなく応戦した、という筋に沿う記述に変更され、公にされた。本書では、1894年7月23日の朝鮮王宮占領、第五師団の釜山上陸の混乱、豊島(ほうとう)沖海戦など2つの戦史を比較して丁寧に解き明かしている。草案を改竄(かいざん)したものが公刊『日清戦史』だった。 日清戦争で真実と異なる戦史を刊行した参謀本部は、『日露戦史』編纂(へんさん)にあたっては最初から、部隊や司令部の意見対立や兵姑(へいたん)輸送の遅れや影響、国際法違反や中立違反の事実などを書くなという「注意」を与えていた。 戦前日本人の戦争観、さらに歴史観は、こうしたフェイクによって創られたものだった。果たして私たちはそれから自由になっているのだろうか。120年前の出来事の再発掘からも、鋭い問いかけが投げられている。 評・原田敬一(佛教大学名誉教授)渡辺延志(のぶゆき)著「日清・日露戦史の真実」(筑摩選書・1760円)<わたなべ・のぶゆき> 1955年生まれ。ジャーナリスト。『歴史認識 日韓の溝』『関東大震災「虐殺否定」の真相』。2022年9月10日 東京新聞朝刊 11ページ 「読む人-参謀本部のフェイク追究」から引用 この記事も指摘するように、戦史というものは次の戦争に備えるに当たって過去の実績から教訓を得るという重要な目的があるのだから、勝利した戦争の記録であっても「部隊や司令部の意見対立があったことや兵站輸送の後れ、国際法違反など」反省や改善が必要なことも明記すれば、次の戦争には万全の体制で臨むことができるというものです。しかし、戦前の政府も軍部もそのような考えに至らず、都合の悪い事実を隠ぺいしたために、後の日中戦争や太平洋戦争では進軍した先で現地住民から食料を略奪したり、多くの将兵が戦闘以前に食料不足で餓死するという「大失敗」を犯したのでした。その上、戦後になると司馬遼太郎という小説家が、改ざんされた「戦史」を元にして「明治は輝いていた」などという小説を書いて一世を風靡したのだから、そのようなフェイクから日本人が解放されるには、少し時間がかかるかも知れません。
2022年09月24日
鮫島浩著「朝日新聞政治部」(講談社刊)について、日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介氏が9日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; 当欄紹介の本は、各書評委員が他人に相談なく選ぶ。・・・と冒頭から、評者の前回書評(5月28日付)と同じ書き出しを繰り返してしまった。そう予防線を張っておきたくなるくらいにこの本は、雷雲のごとくエネルギーに満ち、強烈に濃いコーヒーのごとくに脳天を突いてくる。 多彩で有能な人材を抱え、衿持(きょうじ)を持って権力に対峙(たいじ)して来た大新聞社と、その経営の要を握っていた政治部。しかし昭和の色を残す内部体質の下、様々な問題への対応に失敗し、組織は機能不全に陥っていく。 掲題書に描かれた部門間、有力者間の相克と、外からの攻撃や事業環境変化への対処の遅れ、結果としての管理強化と組織の活力の喪失は、「いかにも大新聞社らしい」とも読める。しかし実際には、戦後に肥大した日本の官民の大組織のほぼ全てで同様のことが、多くはさらにずっと悲惨な結果を招きつつ起きているのだろう。 書中に実名で登場する朝日新聞社の(当時の)幹部の皆さんには、仕事を通じて存じ上げている方も多い。しかし著者の鮫島浩氏(政治ジャーナリスト、元朝日新聞記者)は、もう少し若い世代だ。前者の方々に聞けば、著者より広い視野で、さらに多面的な実情もわかるだろう。だが書評は調査報道ではないので、以下では著者の視点をなぞって、評者の理解したところを書く。 「異次元の金融緩和」2年目の2014年。GDPは一向に増えず、輸入物価は上がり、日本の経常収支黒字は4兆円未満と、第2次石油ショック以来最低に落ち込んだ。しかし株高への支持を得た第2次安倍晋三政権は、政財官マスコミ各界の掌握を進める。この年の朝日新聞は、従軍慰安婦に関する吉田証言問題、それに関連した池上彰氏のコラム掲載拒否問題、さらにそれらとは別の吉田調書問題と、3つの激震に揺れた。 吉田調書とは、11年の震災津波に伴う東電福島第1原発の爆発事故直後、現場で指揮を執った吉田昌郎所長(13年に癌(がん)で逝去)の証言だ。特別報道部のデスクだった著者は、政府がひたすらに秘匿するその内容を分析し、「事故時の混乱の中、発電所所員の9割が、すぐには戻れない福島第2原発に退避していた」と報道する。この大スクープは調書の公開につながり、事故対応の体制の不備という根本問題が明確になった。 だが、「所長が発した『近くに待機せよ』との命令が、所員によく伝わらずに」と書くべきところを、「所員が命令に反して」と書いた点が、政権およびその周辺の諸勢力から、所員を貶(おとし)める「誤報」だと攻撃される。高まる朝日バッシングで、じり貧傾向にあった部数がさらに大きく落ちる中、同社は社長以下が辞任するところまで追い込まれ、著者も報道の現場から外された。 官邸側の攻撃の裏には、朝日新聞とテレビ朝日の関係を弱める意図があったと、著者は読む。その後の展開から見てその通りだろう。社内でも、旧来の縦割りを無視して活動する特別報道部に対する、政治部、社会部、経済部などの各部からの反撃が、それぞれと結びついた政治家、官庁、企業などをバックに起きていたのではないか。 新聞社は伝統的に特オチ(自紙だけが特ダネを逃す状態)を嫌う。そのため、縦割りの記者クラブを通した当局の発表への依存は強まるばかりだ。だが速報はネットで見る今の時代、新聞に求められるのは、読者個人の興味を超えた多様な記事の提示と、裏を知る記者ならではの解釈・解説だろう。だからこそ朝日新聞も14年までは、調査報道・オピニオン報道に注力するという、的確な戦略を強く進めていたのである。だが吉田調書問題で調査報道がミソをつけたことを契機に、逆回転が始まる。これは、権力に対しても、ネットに対しても、新聞が力を弱めていくことにつながった。 ところで本書は、さらに大きなストーリーも示唆している。 1999年、若き著者の「権力って、誰ですか」との問いに、大物政治部長は「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そしてアメリカと中国だよ」と、静かに答えた。その2年後に小泉純一郎首相が登場すると、彼の属する清和会の町村信孝会長は著者に、「これまで日本を牛耳ってきたのは経世会で、その相談を受けるのが宏池会。根回し先が社会党で、そのリーグを受けるのがNHKと朝日新聞」と恨み言を述べたという。 そこに名の上がった諸組織が、その後どうなったか。朝日新聞は、経世会や社会党や大蔵省などと同様に、弱体化されるべき標的の側にあったのではないか。 清和会を経産省と警察庁が支えた第2次安倍政権も潰(つい)えた今、日本の権力構造はどうなっているのだろう。アメリカや中国はどういう力を残し、または失っているのか。内実をご存じの方は知る限りを、それぞれ実録に遺(のこ)してはいただけないだろうかと、評者は心から思うのである。 参院選投票日も直前、リアルタイムで政治の今と疾走している著者にも、いつの日にか一歩下がって、政治権力というものの深層をさらにえぐっだ著作を書いてもらいたい。<評・藻谷浩介(日本総合研究所主席研究員)>鮫島浩著「朝日新聞政治部」(講談社・1980円)2022年7月9日 毎日新聞朝刊 13版 17ページ 「今週の本棚-一組織に限定されない『失敗の本質』」から引用 今から22年前の日本の「権力」は、経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そしてアメリカというところまでは、そうだったような気がする。経世会は竹下登が田中派から独立する形で組織された派閥で、宏池会は分裂したが岸田首相を輩出している。アメリカは日本が戦争に負けたときから、日本を子分扱いしておりアメリカ政府の要人が入国するときは日本の税関を通らず、直接東京の横田基地に専用機が着陸し、日本国の「主権」を無視して行動しており、今年バイデン大統領が東京に来たときもそうだった。そのようなアメリカに匹敵する「権力者」として「中国」も存在していたとは、にわかには信じられない話ですが、新聞記者をしていると、我々一般人が知る由もない「事情」をいろいろ知っているのかも知れず、興味深い本のように思われます。
2022年07月26日
ヴィンセント・ベヴィンス(著)竹田円(訳)「ジャカルタ・メソッド」(河出書房新社刊)について、京都大学准教授で食農思想史が専門の藤原辰史氏は、4日の朝日新聞に次のような書評を書いている; 1955年、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が開催された。参加国の総人口は世界人口の半分以上を占めた。「人類史上はじめての、有色人種による大陸間会議」とインドネシア大統領のスカルノが開会式で宣言。戦後も続く欧米の植民地主義と人種主義を批判し、社会的正義の追求を訴えた。 インドネシア共産党もスカルノを大筋で支持した。ソ連や中国のそれとは異なり、民族主義的で武装闘争を否定した大衆政党であった。スカルノは、白人に頼らない中立的な国家を目指したのである。 反共を国是とするアメリカにとって、バンドン会議もスカルノも気に入らない存在だった。国務省の官僚たちは会議を「気取り屋有色人種の祭典」と揶揄(やゆ)した。反共主義的政治家とCIAはバンドンの精神とスカルノを崩壊させるべく、港湾都市アンボンを空爆したり、彼の評判を落とす画策をしたりしたが、ほとんど効き目がなかった。 が、1965年、アメリカとパイプのある軍人スハルトが共産主義者の反乱を鎮圧するという体裁のクーデターに成功(9・30事件)。彼とその部下は「ゲルワニという婦人団体のメンバーが、裸になって踊りながら、将軍たちの手足を切り刻み、拷問し、性器を切断し、目をえぐり出し、その挙げ句に殺害した」とデマを流す。アメリカ政府はデマの拡散を助け、CIAは共産主義者の名簿を軍に渡し一網打尽の殺害を後押しした。結果、100万の人々が共産主義者だという理由で拷問され強かんされ殺害されたのである。「ジャカルタ」はアメリカが世界各地で繰り広げた反共作戦の隠語となっていく。 筆者は、闇に葬られてきた上記の過程を、10年に及ぶ12力国の調査で明らかにした。壮絶な虐殺を生き抜いた被害者たちの生々しい声と、読んでいて心音が聞こえるほどの緊迫した筆致が暴く冷戦の正体に、読者は震撼(しんかん)するだろう。ヴィンセント・ベヴィンス著、竹田円訳「ジャカルタ・メソッド」(河出書房新社刊) 4180円Vincent Bevins 84年生まれ。ジャーナリスト。米ワシントン・ポスト紙の特派員として東南アジアを取材。2022年6月4日 朝日新聞朝刊 13版 19ページ 「読書-アメリカが展開した冷戦の正体」から引用 世の中はロシア軍をウクライナに侵攻させたプーチンを悪者とする議論一色になっている。私もまさかプーチン氏を擁護するつもりはないのだが、しかし、あたかも「世界中探してもプーチンほどの悪者はいない」とでも言うかのような論調には、辟易せざるを得ません。「力による現状変更」を最も頻繁に実行して終に「世界の警察官の地位」(?)を獲得したのが、他でもないアメリカであり、その悪行の一端を示すのが上記の書評が紹介する「ジャカルタ・メソッド」(河出書房新社)である。このような書籍に触れることで、冷静に世の中を見つめる「視点」を獲得したいものだと思います。
2022年06月20日
遠藤誉著「ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略」(PHP新書)について、社会学者の橋爪大三郎氏は5月28日の毎日新聞に次のような書評を書いている; ロシアがウクライナに侵攻し、世界は変わった。各国はどう動くか。中国の戦略を中心に、当代随一の中国ウォッチャーが読み解いていく。 中国の立場は微妙だ。ウクライナとは関係が深い。失業した軍の技術者を大量に採用し、空母も譲ってもらった。一帯一路の要でもある。ロシア非難決議に棄権しても、侵攻に実は反対だ。ロシアの資源だけは買ってあげる《軍冷経熱》で行く。 次は台湾か? すぐ侵攻はないと見る。党大会前は安定が大事だ。 侵攻の影の主犯は、バイデンだとする。米副大統領当時から、ウクライナに深入りした。親露政権の打倒はアメリカの工作だ。NATOに加入すればとそそのかす一方、プーチンに米軍は動かないと耳打ちした。野獣を野に放った責任は大きい。 ばらけ気味だったNATOの結束が固まった。プーチンの目算は外れた。ロシア産に代え、アメリカから天然ガスの輸入が急増している。 アメリカは日米豪印クワッドで中国包囲網を敷くつもり。でもインドはロシア、中国とパイプが太い。筋の悪い作戦だ。世界の先読みがこんなに下手なアメリカと、つきあう日本はよほど知恵を働かせないと。(橋爪大三郎・社会学者)遠藤誉著「ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略」(PHP新書・1078円)2022年5月28日 毎日新聞朝刊 13版 17ページ 「今週の本棚-ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略」から引用 この記事の主張に、私は概ね賛成です。ウクライナ侵攻の影の「主犯」はバイデン米大統領だという指摘は図星です。巨大な産軍複合体を抱えたアメリカ帝国主義は、絶えず世界のどこかで武器を消費してくれる「紛争」がないことには経済が停滞するという「宿命」を抱えており、停戦後60~70年も経つ「朝鮮戦争」を終結させることなく何時までも中途半端な状態にして朝鮮民主主義人民共和国を敵視し続けるのも、産軍複合体対策の一つと言えます。 一方、この記事では「台湾有事は、すぐにはない」と言ってますが、多分そうだと思います。大きな経済発展を遂げた中国とは言え、そこには欧米の資本投資もあっての「中国経済」であり、ここで台湾問題で武力衝突を起こして欧米資本が一斉に引揚げた日には、中国が被る打撃は台湾を正式に領有したくらいではとても間に合わないほどの「大打撃」になるであろうことは素人目にも明らかです。そんなリスクを犯すよりも、このままの「経済発展」を維持していけば、やがていつかは自然に名実ともに台湾は中国の一部になると思われます。そのような動きの一つに、台湾政府は最近、北京語を公用語の一つと正式に決めたと言われており、まともな経済活動を維持・発展させていけば、その活動がより一層効率的にやれるような環境整備を求める「声」も出てくるであろうし、そのようにして世の中は発展していくのだと思います。
2022年06月12日
水野和夫著「次なる100年」(東洋経済新報社刊)について、経済思想家の斎藤幸平氏は4月17日の神奈川新聞に、次のような書評を書いている; 900ページを超える新刊は水野和夫史観の決定版とでも呼ぶべき一冊だ。 ベストセラーとなった「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)で打ち出した水野の有名な主張はこうだ。利子が認められたことで、13世紀に資本主義は生まれた。だが、その資本主義が、日本を先頭にして、ゼロ金利の時代に突入し、終焉を迎えつつある。 本書はこのテーゼをさらに具体的に論証すべく、現代の世界経済分析と中世の宗教、法哲学、経済史を縦横無尽に展開していく。その知識量には圧倒される。なかでも注目すべきは「ポスト資本主義」に向けて、これまでよりも一歩踏み込んだ提案をしている終章「『次なる100年』はどこに向かうのか?」である。 資本主義の「蒐集(しゅうしゅう)」は、それが生活向上をもたらす限りで正当化されてきた。だが、現代は資本過剰の時代である。それが企業の内部留保であり、富裕層の膨大な金融資産である。ため込まれるだけで、実体経済のために使われない資本はもはや「石」に過ぎない。 コロナ禍のような緊急事態にも、大企業や「ビリオネア」が過剰資本を抱える一方、生死に関わる困窮状態が放置される現状に対する本書の怒りは大きい。「盗み」「罪」「犯罪」「不正義」などの言葉が並ぶ。 そこに加わるのが気候危機だ。資本主義の成長を可能にしてきた化石燃料も有限である。その結果、「より遠く、より速く」経済成長することが今後不可能となり、地球環境も劣化していく。 永遠の経済成長がもはや不可能なのは自明だろう。だが、富は十分にあると水野は言う。内部留保課税、所得税増税、そして金融資産課税といった大胆な再分配政策によって、正義を取り戻し、成長に依存しない経済へと大転換すベきだと、本書は訴える。 では、ポスト資本主義において、人間は何を目指して生きるのか? その答えは、本書を手に取って確認してほしい。(経済思想家・斎藤幸平)水野和夫著「次なる100年」(東洋経済新報社/3960円)2022年4月17日 神奈川新聞朝刊 13ページ 「読書-正義取り戻す大転換を」から引用 この記事は世の中の真実を言い当てているような気がして、読めば愉快になる。私たちの歴史の中に生まれた「貨幣経済」がやがて「資本主義」という経済システムとして、生産技術の向上に伴って発達して巨大な「資本」を稼ぎ出したのは良かったのだが、今ではその「資本」が過剰になってしまい、企業の金庫に溜め込まれ、実体経済のために使われることがなくなったため、本来の価値を失ってただの「石」になってしまっている、というのは鋭い指摘だと思います。これまでは、労働者が一生懸命働いて会社が儲かれば給料も上がるという「目標」があったのが、もう会社は「資本」が過剰で、一部は「石」になっているというのですから、これからの会社は、経営者も労働者も、何を目標に働くのか、考えなければなりません。しかし、これが3960円というのは、年金生活者にはちょっと高すぎる。図書館に予約を入れても、2~3か月は待つことになると思います。
2022年05月06日
横田増生著「『トランプ信者』潜入一年」(小学館刊)について、日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介氏が9日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; 米国大統領ジョー・バイデンの頭痛の種は、プーチンや習近平だけではない。2020年の選挙で倒したはずのドナルド・トランプが、再び共和党を掌握し、22年の選挙で返り咲きを狙っている。 演説ごとに3桁の数の嘘(うそ)をつき、落選後には国会議事堂襲撃を煽ったトランプ。掲題書の著者は、現場でその一部始終を見届けた日にこう書いた。「今日、アメリカの民主主義が死んだ」 選挙結果という民主主義の根幹までをも否定する彼に、なぜかくも根強い支持が集まるのか。支持者の理屈、感情、そして彼らがそれらを持つに至った経緯はいかなるものか。掲題書は、その奥底に迫っている。 大統領選挙と新型コロナ禍に、揺れに揺れた2020年の米国。著者はミシガン州都の田舎町に住み込み、トランプ側のボランティアに登録して戸別訪問を行いながら、支持者と反対者の言い分を聴き取り続けた。 同時に全米をかけ回り、両陣営の選挙集会や、警官による黒人殺害を契機に起きた、ミネソタ州での暴動の現場にも身を置いた。 そのような渾身の取材活動の末にできたこの本の中には、「支持者は要するに、白人のノンエリートだ」といったがさつな総括は、どこにもない。そしてどの章にもあふれる臨場感に満ちた記述は、面白いという言葉で片づけるのが申し訳ないほど面白い。 トランプ支持者の信条には、社会的立場を超えて、銃規制への反対、中絶の禁止、経済的な自由放任の選好などの共通点があった。だがそのトランプは、コロナ対策に失敗を重ねた末に自らも感染し、他方で国民の分断を煽り続けたことで、勢いを失っていく。 しかるに彼への支持は最終盤で盛り返す。原動力はQアノンに代表される、ネット経由の陰謀論だ。トランプは、米国を支配する悪魔崇拝勢力と戦う正義の使徒であり、否定的な情報はすべてフェイクニュースだというのである。郵便投票や開票集計ソフトには不正が仕込まれているという話も広まった。ネットの影響力は恐るべきもので、この荒唐無稽な言説を信じる者は日本にまで増殖する。 そんな彼の再選を阻んだのは、66%という120年ぶりに高い投票率だった。「彼だけはだめだ」と行動した有権者が多かったのだ。しかしその後、自分の敗北を他人のせいにするために言い出した「選挙には不正があった」という嘘が、共和党支持者に浸透。再起の思わぬ足掛かりとなる。 勝ったバイデンが、その後に支持率を落としているのも、ご承知の通りだ。最近は、「トランプ政権のままだったら、プーチンはウクライナを侵攻しなかったのに」という言説も広まっていると聞く。背後にロシアあるいは中国などによる、ネットへの匿名コメント記入を介した世論操作を疑うのは、評者だけだろうか。 適正な人格識見を欠いた指導者を竹とすれば、支持者はその地下茎だ。地下茎がある限り、竹は切っても生えてくる。ネットを介して縦横無尽に張り巡らされた、フェイクニュースと他責感情のネットワークが、これからも日本を含む世界各地で、問題を噴出させるだろう。当面の対処策は、政治の怖さを侮って投票所に足を運ばぬお花畑の住人を、減らしていくことしかないのだろうか。横田増生著「『トランプ信者』潜入一年」(小学館刊・2200円)2022年4月9日 毎日新聞朝刊 13版 17ページ 「今週の本棚-『竹』を支える縦横無尽な『地下茎』」から引用 2020年の米国大統領選挙のときは、トランプ大統領の一期目の言動を見て「彼だけはダメだ」とまともな判断の下に投票所に足を運んだ人々が大勢いて、投票率が120年ぶりに66%に達したという。さすがは民主主義の国だと思います。日本の場合はまだ中々「民主主義」というものが国民に理解されず、昔ながらの世襲の議員に投票する人が多く、しかも世襲も3代目ともなると子どもの頃から「嘘つき」の常習で、夏休みの宿題帳などは家事手伝いのおばさんが、仕方がないから鉛筆を左手に持って子どもの字に似せて書いた、などという「独白」が新聞に掲載されたりする始末で、案の定、その総理大臣は任期中の国会答弁で118回の虚偽答弁をしたと衆議院調査局が発表する始末です。ところで、トランプ氏が2期目を目指した大統領選では、アメリカの良識派が奮起して、対立候補のバイデン氏を勝利に導きましたが、その後の共和党ではトランプ氏が「復活」して今年の中間選挙に共和党候補として立候補し、2年後の大統領選挙では三度、共和党候補として大統領選に出る見込みとのことですから、アメリカの「良識派」と「陰謀論派」の争いはどうなるのか、予断をゆるさない状況のようです。世界をリードする大国の指導者があまり変な人になると、日本のような「周辺国」にはどのような悪影響が及ぶのか、この記事が紹介する書籍を読んで、行く末を考えたいと思います。
2022年04月27日
ジョン・ダワー著、三浦陽一監訳『戦争の文化 - パールハーバー・ヒロシマ・9・11・イラク』(岩波書店刊)について、神戸市外国語大学准教授の山本昭宏氏が3月13日の「しんぶん赤旗」に、次のような書評を書いている; 待望の翻訳書が刊行された。占領下日本の歴史を描いた『敗北を抱きしめて』の著者として知られるジョン・ダワーの『戦争の文化-パールハーバー・ヒロシマ・9・11・イラク』(上・下、監訳・三浦陽一)である。 9・11テロの直後、これを日本の真珠湾攻撃になぞらえたアメリカ国内の議論に、ダワーは不快感を持った。その問題意識を出発点にして、本書では、日本とアメリカによる2つの侵略戦争-1941年に始まった日米戦争と、2001年に始まった対テロ戦争とその後のイラク戦争を、3つの角度から比較分析している。 第一に、03年のアメリカによるイラク戦争開始こそ日本の真珠湾攻撃と比肩する「戦略的愚行」だとした「開戦」。 第二に、9・11テロはむしろ、米軍の焼夷(しょうい)弾による無差別爆撃と広島・長崎への原爆投下との共通点があるとした「テロ」。 第三に、戦争がいかに終わったのか(あるいは終わらなかったのか)を比較した、占領期の「国家建設」である。 一般的な歴史家は、異なる時代の異なる地域で起こった戦争を比較しようとはしない。他方で、ダワーは近現代の世界に作動する「戦争の文化」を抽出するために、大胆にも2つの戦争を比較するという方法を選んだのである。 では、「戦争の文化」とは何か。それは、戦争の原因・継続・結果に関わる人間の営みを総称する多義的な言葉だ。一言で述べるのは難しいので、ここでは「戦争の文化」の構成要素を例示しておこう。ダワーによるとそれは、「大国意識」「希望的観測」「異論排除と同調圧力」「宗教的・人種的偏見」「想像力の欠落」などである。 これらの精神性が絡まり合って、選択の余地があるところで開戦の決断がなされ、情報は都合よく切り貼りされ、聖なる戦争が吹聴される。戦争に適合するための論理がひねり出されたり、よりマシな悪を選ぶという発想が幅を利かせたりすることも「戦争の文化」の一部なのだとダワーは言う。 さて、「戦争の文化」の構成要素を見て次のように感じた人もいるのではないか。当たり前じゃないか、と。たとえば「異論排除と同調圧力」や「想像力の欠落」といわれて、それは戦争に限らない日常的なものだと思わないだろうか。そこに、ダワーが「文化」という言葉を選んだ要点がある。もっとも、ダワーは歴史家らしい慎重さを崩さずに、議論をアメリカ・日本・イラクに限定したうえで、2つの戦争の同質性と差異を記述している。 しかし、本書の読者は、「戦争の文化」が戦時やアメリカに限定されるものでもないということもまた、理解するだろう。むしろ、自分の周囲に「戦争の文化」の構成要素があふれていることを意識せざるを得ない。そこに本書の第一の意義がある。 第二の意義は、ダワーが「戦争の文化」を論じる際に、市場原理主義を考慮に入れている点である。本書ではイラク復興の「民営化」を主導した政治家とそこにビジネスチャンスを見いだした起業家たちの失敗が分析されている。 さらに、エピローグでは、07年に始まったサブプライム・ローンの破綻を防げなかった金融の専門家たちが分析の俎上(そじょう)にのせられる。リーマン・ショックを招いた金融の専門家たちの姿と、テロリズム対策に失敗して9・11を防げなかったブッシュ政権とを重ね合わせている。両者に共通するのは「希望的観測」「異論排除と同調圧力」などであり、つまりは「戦争の文化」だった。 「戦争の文化」は、平時にも作動する「愚行」の体系に他ならない。ここで想起するのは、社会学や政治学にある「積極的平和」という概念だ。これは、ヨハン・ガルトゥングが1960年代末に提唱した概念で、貧困・差別・抑圧など、戦争の原因になる構造的暴力を「積極的」に排除することを指す(安倍政権の「積極的平和主義」とは似て非なるものだ)。 「積極的平和」という概念は平和をめぐる議論に一石を投じたが、ひるがえって、本書は読者に「戦争の文化」を意識させて、戦争認識の更新を迫る画期的試みである。 原著は2010年に出版されたが、ロシアによるウクライナ侵攻が進み、核兵器の危険性が増す現代世界のなかで、本書は結果的に時宜を得たものになってしまった。 私たちの周囲にある「戦争の文化」を自覚し、見極めること。平和の文化への道のりは長いが、そのなかに希望があるというダワーの言葉をしっかりと受け止めたい。(やまもと・あきひろ)2022年3月13日 「しんぶん赤旗」 日曜版 29ページ 「ジョン・ダワー著『戦争の文化』を読む」から引用 この書評記事を介して垣間見る「戦争の文化」という本の内容も、なかなか興味深い。世の中はテレビも新聞も、ロシアのプーチンを邪な野望を持った「侵略者」だとあおり立てているが、アメリカも日本も一皮むけばロシア同様の行動をやりかねない共通の「戦争の文化」が存在するのだと説いてる。日本で言うと「大国意識」は、日清日露の戦争に勝利して「自信」をつけ、天皇は神の子孫だから戦争に負けるわけがないという「希望的観測」、「神話と歴史上の出来事を混同するのはおかしい」という正論に対しては「異論排除と同調圧力」で対応し、朝鮮人や中国人を蔑視する「宗教的・人種的偏見」、朝鮮人にも中国人にも我々と同様の家族があるのだという「想像力の欠落」が、かつて日本人をして戦場に赴くことに疑問を抱かせなかったのは遺憾でした。そういう事柄に関する「反省」について、現代の日本人はどの程度自覚的なのか、顧みるべきだと思います。
2022年04月01日
吉田敏浩著『追跡!謎の日米合同委員会』(毎日新聞朝刊)について、ジャーナリストの斎藤貴男氏は3月12日の東京新聞に、次のような書評を書いている; 年明け早々に爆発した新型コロナウイルスの第6波は、とりわけ沖縄県を悲惨な状況に陥れた。日本の検疫を免れる米軍関係者の出入りが圧倒的に多いからである。 日米地位協定に起因する底なしの「穴」。にもかかわらず政府には見直す気がまったくない・・・と、ここまでは広く知られた現実だ。ただし――。 地位協定にはその先があった。外務、防衛両省等の官僚と在日米軍司令官らで成る「日米合同委員会」。協定の運用に関する協議機関という建前だが、実態は似て非なり。 本書によれば、憲法をはじめとする日本の全法令はおろか、地位協定そのものをも超越した”密約体系”に他ならない。米軍の都合で民間機等の航行を制限し、一定の空域を一定期間、軍事空域として差し出させられる「アルトラブ」や、墜落事故の被害者らが損害賠償を求める裁判に米軍は利益を損なう情報の提供あるいは証人の出頭を拒否できる特権など、彼らの日本国内における異様なオールマイティの数々は、この合同委員会で合意されてきたのである。 国民生活を実質的に支配する議事の内容は、しかも原則非公開で、国会議員にも秘匿されている。法理を尽くした情報公開訴訟も、住民の命と暮らしを無視できない全国知事会による提言も、ブラックボックスは受け付けない。 日米合同委員会の存在を、かつて松本清張は「別の形で継続された占領政策」だと評したという。はたして現代に至っても、この国は植民地であり続けているのみならず、近年はその従属性をいや増してさえいるのではないか。 憲法改正など100年早い。真っ当(まっとう)な独立を目指すなら、癌(がん)細胞の一つひとつを慎重に剥がし取り、解放されていくことから始めなければならない道理だ。その手順を踏もうとしない、というより癌細胞に寄生してやまない政権による改憲論は、米国の意のままに操られる以外の道を自ら閉ざしてしまう愚に他ならないと、評者は確信している。 秘密のヴェールに覆われた密約体系の正体に、敢然と迫り続けている吉田敏浩の仕事は実に有意義だ。同業者として嫉妬を禁じ得ない。<評・斎藤貴男(ジャーナリスト)>吉田敏浩著『謎の日米合同委員会』(毎日新聞社刊・1980円)吉田敏浩 1957年生まれ。ジャーナリスト。著書『森の回廊』『反空爆の思想』など。2022年3月12日 東京新聞朝刊 11ページ 「読む人-『密約体系』の正体に迫る」から引用 日本は主権国家として国会が法律を制定して内閣が行政を司るというのは、実は「表向き」だけであって、実はこの「主権」の行使は「日米合同委員会」が了承した範囲内でのみ認められているのであって、日本国の主権よりも「米軍の都合」の方が優先するのが現実の姿なのだ。そのような現実があるにも関わらず、戦後の70数年間、メディアはそのことには一切触れずに当たり障りのない「報道」だけで国民を欺いてきたのが実情だ。この先、日本はいつまでアメリカの植民地として我慢していくつもりなのか。この先、どのようにして日本が本当の「主権国家」たり得るのか、若い世代の議論に期待したい。
2022年03月31日
坂靖著「倭国の古代学」(新泉社刊)について、経済評論家の藻谷浩介氏は2月26日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; 掲題書は、3世紀の邪馬台国から、6世紀の欽明大王までを取り扱う、古代倭国(日本)の通史だ。著者の坂(ばん)氏は、奈良県立橿原考古学研究所に勤務し、数々の遺跡を発掘しつつ研究を重ねてきた。 坂氏は、関東から北部九州、そして朝鮮半島南部に及ぶ主要な遺跡(古墳や集落跡など)の、位置や規模や出土品から、そこに存在した権力の、年代と勢力範囲を推理する。そしてその理解を、日本・中国・朝鮮半島の史書の記述と突き合わせる。他の多くの史書が、時代を下った8世紀に編纂(へんさん)された日本書紀の、天武朝の正統性強調を意図した記述の解釈にばかり深入りしがちなのとは、真逆のアプローチだ。この本の分析に類書にない納得感がある理由だろう。 第一章で著者は、邪馬台国の勢力圏は北部九州限定だったと推測する。魏志倭人伝にある卑弥呼の勢力圏は29力国であり、近畿から北部九州までの広い領域に対応するものではないと。現在の対馬、壱岐、唐津、糸島、福岡がそれぞれ一つの国に数えられていたことからしても、しごくまっとうな地理感覚に立った議論だ。 大和盆地では、3世紀の後半に纏向(まきむく)遺跡(桜井市)を拠点とする勢力が勃興し、箸墓古墳を残す。しかしそこから北に6キロも離れていない布留(ふる・現天理市)には、百済から七支刀を得るなどしていた、別の勢力があった。4世紀になると纏向の勢力は、奈良盆地北部(現奈良市)や大阪平野(現藤井寺市)にも拠点を築くが、その拠点同士が古墳の大きさなどを競い合う。つまり諸勢力を統一する大きな王権はまだなかった。 5世紀には、「倭の五王」が南北朝時代の中国の宋に朝貢する。そのうち讃(オオサザキ=仁徳天皇)と珍は上町(うえまち)台地(現大阪市)に拠点を置いて百舌鳥(もず)古墳群(堺市)に葬られ、済は飛鳥(現明日香村)、興は布留、武(ワカタケル=雄略天皇)は初瀬(現桜井市)を拠点としたと、著者は推理する。だが同じ5世紀には、奈良盆地南西部(現御所市)に「かづらき」の王がおり、現在の岡山県、群馬県、宮崎県などにも大規模な古墳が築かれていた。つまり畿内の覇権は拠点を異にする諸勢力の間で動き、列島各地にも王がいた。彼らは銅鏡や鉄剣などの威信財の贈与や、前方後円墳を巡る儀礼などを通じて、相互に連合や同盟を結んでいたというのが、遺跡をエビデンスに著者の描く実態である。 6世紀になると、みしま(現淀川流域)に拠点を置き、コシ(現福井県)、オウミ(現滋賀県)、オワリ(現愛知県)などの勢力の支持を得たオオド王(男大建王=継体天皇)が、ヤマトにも勢力を浸透させて、キ(現和歌山県の紀の川流域)を牽制(けんせい)しつつ、ツクシ(現福岡県)の王の磐井を屈服させる。その死後にはまた混乱があるものの、朝鮮半島西南部から渡来し飛鳥を開発して勢力を築いた蘇我氏が、オオド王の子の欽明大王を迎え入れ、畿内から北部九州の間の諸勢力の上に乗っかる王権を確立していく。 粗筋だけでもたどるのがたいへんだ。だが万世一系神話を脇に置き、物証からの考察から入れば、このように生産力開発をバックにした権力者たちの生々しい歴史が浮かび上がる。日本書紀を焼き直して神話を再生産するような「歴史本」に飽き足らない方、ぜひ掲題書を座右に置かれたい。<評・藻谷浩介(日本総合研究所主席研究員)>坂靖著「倭国の古代学」(新泉社・2970円)2022年2月26日 毎日新聞朝刊 13版 22ページ 「今週の本棚-物証の推理から浮かぶ生々しさ」から引用 この記事が紹介する「倭国の古代学」という本は、大変興味深い。我々が学校教育で学んだ日本史は「皇室は万世一系」の前提で神武天皇から今上天皇までの系図が示され、「実在が確認されている天皇は○○代目から」などという注釈がついていたりしたもので、その中には仁徳天皇や雄略天皇、継体天皇、欽明天皇の名前が書かれて、彼らがあたかも一族であるかのような表記になっていたものですが、それは天武天皇の正統性を演出するために当時の権力者が「創作」したものであって、発掘された史料は、そういう「天皇」が「あかの他人同士」だったということ物語っているというわけです。つい最近も「二千年の長きにわたって一つの民族、一つの王朝が続いている」などと発言して物議を醸した大臣経験者がいるが、こういう本を読んで頭を冷やしてみるべきだろうと思います。
2022年03月19日
集英社新書から「シングルマザー、その後」を出版した黒川祥子氏について、2月26日の毎日新聞は次のような著者紹介の記事を掲載している; 教育ローンが原因で自己破産。昼間の仕事が無く風俗へ。正社員になれたが子どもは不登校に――。登場する女性に共通するのは、子どもを守り必死で働いた揚げ句の寂しく貧しい老後だ。 虐待や教育困難校を取材し、母子世帯の苦境も書いてきたが、国の制度で作られた貧困と気づいたのは5年前だ。20代半ばだった自身が、非婚で出産を決めた1985年。男女雇用機会均等法が成立したこの年が「女性の貧困元年」だったとは……。 2人の息子を育ててきたが、次男の高校入学から生活が苦しくなった。公立校に落ち授業料のかさむ私立へ。事実婚だった元夫からの養育費が途絶え、出版不況でライターの仕事が減り、児童扶養手当も医療費助成も子どもの高校卒業時に終了。老後の備えもできず、息子たちは奨学金という借金を背負った。 当時岩手大学准教授だった藤原千沙・法政大学大原社会問題研究所教授の論考「貧困元年としての1985年 制度が生んだ女性の貧困」を読み、問題の根源を知った。均等法と労働者派遣法が成立し、会社員らの妻が保険料を払わず公的年金を受け取る第3号被保険者制度ができ、児童扶養手当は削減につながる改正があった。夫に扶養され非正規で働けば老後も保障されるが、育児と大黒柱を一人で担う女性は想定外。「いろんなことに振り回され気づかなかった」。くやしさを原動力に当事者を訪ね、死ぬまで働くしかない現実をききとった。 学生時代、単身で子育てする年上の女性たちと知り合い、長男の出産でも励まされた。「堂々と生きる姿がかっこよく、私もひとり親を負い目と感じたことはないですね」と振り返る。一方「貧しいなら大学に行かせなければいい」と言われ、自分を責める母親がいる。新型コロナウイルスは非正規雇用や女性の生活に打撃を与えた。「貧困はあなた個人のせいじゃないと伝えたい」。多様な生き方を認める社会へ変わるよう願っている。<大和田香織>2022年2月26日 毎日新聞朝刊 13版 23ページ 「今週の本棚-貧困作り出した政策への怒り」から引用 今日の社会の貧困が、政府の政策によって作り出されたという指摘は重大な問題提起です。労働者派遣法については、法案を国会に出した政府はしきりに「多様な働き方が可能になる」と宣伝して、新しい時代の働き方であるかのような口ぶりでしたが、その本音は景気の変動に即応して簡単に馘首できる労働者層の確保であり、その結果、会社の寮に住んで働いている労働者が、ある日突然、会社の都合でクビになると住む場所と収入を一辺に失ってホームレスになるという事態になっている。企業経営者にとっては都合の良い法律かも知れないが、多くの非正規労働者にとってはとんだ災難です。また、上の記事が指摘しているように、シングル・マザーを想定外にした社会保障の制度も大きな問題です。スポンサーである大企業の都合の良い政治しかしない自民党では、これらの問題には手も足も出ないのですから、これからは政権交代を目指していくしかありません。
2022年03月17日
ジャニス・ミムラ著、安達まみ・高橋実紗子訳「帝国の計画とファシズム」(人文書院刊)について、東京大学教授で歴史家の加藤陽子氏は5日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; 本日の紙面では複数の翻訳書が紹介されているはずだ。元が外国語で書かれた本は、読者の興味をひく序論の書き方から、論理展開を重視する段落構成に至るまで、邦語作品とはやや趣を異にするため敬遠されがちだとも聞く。 だが日本史関連の翻訳書でいえば、外からの目で大きく対象を捉え、通説を十分に押さえたうえで新視点を展開しているものが多く、お薦めなのだ。また、誰もが一度は疑問に思うような問いに、説得的な答えをしっかり書き込んでいるので大局観を得やすい。 今回ご紹介する本もこうした特徴を全て持っている。本書は1931年の満州事変から45年の敗戦までの時期、権力の中核を占めた政治集団としてのテクノ=ビューロクラット(技術官僚)を描いた。この時期の歴史を知るようになると、総力戦に不可欠の石油や鉄鋼等の資源に乏しかった日本が、なぜ世界の超大国を相手に戦争を始めたのかといった問いが浮かぶようになる。このような疑問に、著者は次のように答えている。 明治日本の物語に外せないスローガンの一つに「富国強兵」がある。このテーゼは実のところ、軍事力万能を謳(うた)うものではなく、近代化に成功した証を西欧列強に見せるため、日清・日露戦争の勝利を狙いにゆく明治日本の政治力を意味するものだった。このような富国強兵の含意を、昭和戦中期にあって再定義し、変えていった主体こそが、商工省の岸信介、内閣情報局の奥村喜和男、大蔵省の毛里英於菟(もうりひでおと)らの高級官僚グループに他ならなかった。外国と日本の関係を位置づける世界観の意味内容が、彼らによって書き換えられていたことに要因を求める。 著者が技術官僚と名付けた彼らは、全面戦争を前にして国力の定義を変えることで国民の説得に取りかかった。経済力は国力の一要素に過ぎず、人間の労働力と精神力を最大限に動員すれば、物資の量や資金力の差などはどうにでもなると説いた。今も昔も、政治家が選挙の折などに、国力や国策について演説するのは普通の光景だ。だが、高級官僚が自らのラジオ番組を持ち、そこで国力や国策を熱く論ずることは現代では想像しにくい。これが昭和戦中期に実際に起こっていたことだった。 本書は戦時日本において、国策の企画立案者として登場したテクノ=ビューロクラットがなぜ権力を掌握できたのかをも明らかにする。関東軍や支那派遣軍などの出先が軍事力で叩(たた)き出した傀儡(かいらい)国家・政権の統治機構に参入し、その政治・経済を運営したのが彼ら技術官僚だった。資源の欠乏を克服するため、テクノロジーと国民精神を接着させるファシズムの発想に学んだ技術官僚らが、軍部・財界・汎(はん)アジア主義者をつなぐ環(わ)の役割を果たし、多数派を形成していったとの理解である。 本書の独創性はここにある。かつて丸山眞男はファシズムの政治的機能を分析し、20世紀における反革命の最も戦闘的な形態だと定義した。対して著者は、戦時日本の経済的実態や政治制度の分析に注力し、技術官僚の理念や戦略を解明した。ファシズムの本質と機能を問題とせず実態と制度を一点突破で描いたのは見事だ。 本書は技術官僚がいかに権力を掌握したかを描いた。では、なぜ国民は彼らを歓呼で迎えたのか、それを共に考えていきたい。ジャニス・ミムラ著、安達まみ・高橋実紗子訳「帝国の計画とファシズム」(人文書院・4950円)2022年2月5日 毎日新聞朝刊 13版 17ページ 「今週の本棚 - 精神力の動員 戦争導いた『技術官僚』」から引用 岸信介、奥村喜和男、毛里英於菟らを、この記事では技術官僚と表現しているが、当時の日本では「革新官僚」と呼び、その意味するところは「ファシズムを推進する官僚」というものであった。戦前日本のファシストは自らのラジオ番組を持って、毎日ファシズムの宣伝をしたらしいが、現代日本にも似たような鳴動が始まっており、大阪では新型コロナが何度目かの感染爆発を起こしているのに、関西のテレビは平気で大阪府知事を連日、バラエティまがいのテレビ番組に出演させており、医療崩壊が起きても府知事がテレビでへらへら笑っている始末だ。維新の勢力は大阪に留まらず、兵庫県知事も長崎県知事も維新になっており、なぜ日本人はファシストを歓呼で迎えるのか、早急にそのカラクリを明らかにしてほしいものである。
2022年02月22日
山口昌子著「パリ日記」(藤原書店)について、仏文学者の鹿島茂氏が11月27日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; 1990年代の初め、フランス文学の大先輩の家に遊びにいったらテーブルの上に産経新聞が置いてあった。大先輩は保守ではなかったので「あれっ?」という顔をすると、「君は知らないのか? フランス屋だったら産経パリ支局長の記事を読んでおかなくちゃだめだぞ、ほかの新聞の外信記事とは格が違うから」と言われた。 本書は、この「伝説的なパリ支局長」が1990年5月の赴任から退職後の2021年5月まで毎日つけていたパリ日記の第1巻(全5巻で完結予定)である。 パリ赴任6日目の日記には外信部長から「上層部は反対している。ダメだったら1ヵ月で戻す」と言われたので、アパルトマンは「家具あり」を探したがなかなか見つからないとある。しかし、同じ日には、テレビで見て興味を抱いた仏国防研究所財団理事長のポール・ビュイス将軍にインタビューを試み、冷戦終結後のソ連について「民族運動との対峙は続く。ウクライナ共和国が抵抗する時には事態はもっと深刻になる」との「予言」をすでに引き出している。以後、「ル・モンド」の社長兼編集局長アンドレ・フォンテーヌ、ヌーヴォー・フィロソーフの一人で新型コロナ禍を予測するような文明分析を行ったアンドレ・グリュツクスマン、人類学者レヴィ=ストロース、海底探検家クストーなどに再三にわたってインタビューを行い、彼らを知恵袋とすることに成功する。 ところで、第1巻がカバーしている1990年から95年までの期間はミッテランが2期目の大統領をつとめた時期とほぼ重なるが、この5年ほどヨーロッパが激動に見舞われていた時代はなかった。すなわち、冷戦終了に引き続くドイツ統一、湾岸戦争、ユーゴ内戦、ソ連の崩壊、EU誕生など歴史的大事件が次々に起こったので、パリ支局長は多忙を極めたようで、ほとんど休暇らしい休暇を取っていない。それどころか、ほぼ毎日出稿している。ときには、世紀の大ニュースが重なることさえある。たとえばEU結成準備のためにオランダのマーストリヒトで開かれたEC首脳会議のために大統領記者同行機で現地に到着した翌日の1991年12月9日の日記にはこう書かれている。 「EC首脳会議直前に飛び込んできたソ連消滅章言(12月8日)の大ニュースの会議への影響を送稿。この大ニュースは前夜の真珠湾50周年のニュースと共に、政治統合を巡って対立点を抱えていた欧州に統合を促す促進剤の役目を果たした」 このテクストを読んだ今日の読者は「真珠湾50周年のニュースと共に」という箇所に首を傾(かし)げるだろうが、この時期にはミッテランが登用した初の女性首相クレッソンによる日本車叩(たた)きが激しさを増しており、その日本警戒的な機運がソ連崩壊と並んで欧州統合を促したということなのである。 日本はすでにバブル崩壊の過程にあったが、ヨーロッパにおいてはまだ大きなプレザンスを有しており、EU結成にも影響を及ぼしていたのだ。今日の感に堪えない記述である。 いずれにしても「特派員が見た現代史記録1990-2021」という副題では弱いのではないかと思わせるほどに貴重な「立ち会い証言」であり、ヨーロッパ現代史研究に不可欠な文献となることは確実である。<評者・鹿島茂 仏文学者>山口昌子著「パリ日記」(藤原書店刊・5280円)2021年11月27日 毎日新聞朝刊 13版 14ページ 「今週の本棚-ヨーロッパ激動期の立ち会い 証言」から引用 欧米が日本の経済進出に警戒感をもったのは昔のことで、アメリカの国会議員が東芝のラジカセをハンマーで叩き壊す映像をNHKがテレビのニュースで繰り返し放送したのは記憶しているが、フランスでも「日本車叩き」があったとは知らなかった。しかし、その日本も今ではかなり落ち目になってきており、いい加減な経済政策に「三本の矢」などとそれらしいネーミングはしても実績は上がらず、仕方がないから国の統計データーを改ざんして「経済政策が成功している」かのように偽装して内閣支持率を維持する体たらくである。それもこれも、しっかりした政治思想を持たず親の七光りと既得権益をエサにして選挙に勝っただけの世襲議員が跋扈するような状況から生まれたもので、その程度の選択眼しか持たない有権者の責任である。
2021年12月21日
出版不況にもめげずに売れ行きが好調と言われる武田砂鉄著「マチズモを削り取れ」(集英社刊)について、11月21日の「しんぶん赤旗」は、次のような著者紹介の記事を掲載している; 「政治や社会の問題をたどっていくと、ジェンダー不平等とリンクすることが多い」。ライターの武田砂鉄さんはそう話します。新刊『マチスモを削り取れ』では、日常にねりこまれた性差別をつぶさに観察し、政治や社会に物申します。<湯浅葉子記者>◆ジェンダー平等は基本的人権 マチスモとはスペイン語のマッチョ(男らしい男)が変化した言葉で、「男性優位主義」のことです。 「今回の衆議院選挙では、ジェンダーの問題がだいぶ議論されましたよね。しかし一部のメディアは、野党共闘がジェンダーを大きなテーマに据えたことについて、『ジェンダーでは勝てない』『票に反映されなかった』などと書いています。でもジェンダー平等って基本的人権ですよね。選挙だけでなく、あらゆる政治の局面で言い続けないといけない。ジェンダーを争点にせざるを得ない状況にある、ということを理解していない人が多い」 本書では、女性編集者から投げかけられた怒りや問いかけをもとに、武田さんが実際に街に出かけるなどして観察・取材し、考えます。お題は「街を歩くだけでも女性は恐怖を抱える」「男性同士の会話から女性は排除され、存在を消される」などさまざまです。 駅で女性をねらってぶつかる男性の姿を通して、公共空間でわが物顔でふるまう男性のマチスモを目の当たりにしました。 男性ばかりが会話の主導権を握る背景には、主体的な女性を嫌悪する価値観があることに気づきます。マナー書をめくれば、女性は「聞き上手であれ」「自己主張するな」。会議や会話で男性だけが長々と話していたら、「なじまねえよ!」とばかりに会話を遮るなどして「会話を奪う」ことがマチスモを削り取るのに有効だ、と指摘するくだりは痛快です。 「いま、経済的にも精神的にもギリギリで暮らしている人がたくさんいます。これ以上考えたり状況を変えたりする余力がない人も多い。すると、社会のシステムを握っている人たちは『これでいい』と思ってしまう。そうさせないために、暮らしの中の『これはおかしいな』というものに気づいてもらうことは、有意義だと思ったんです。身近な問題を考えることで、マチスモを維持したがる人や組織は誰だろう? と想像しやすくなるのでは」◆まずい事指摘は当然、「火事は消す」と一緒 ジェンダーを題材にした初の著書。武田さんにとって、ジェンダーを語るのは自然な流れでした。 「いま権力を持つ人は圧倒的に男性です。コロナ禍でも、非正規雇用の女性が最初に首を切られました。社会が困難に直面した時、真っ先に権利をはく奪されるのが女性だということは明らかです。『これまずくないですか』と問いかけるのは、『家が燃えていたら消火器で火を消す』くらいに当然のことです」 「男性はジェンダーを語りにくい」「男性なのによく書きましたね」としばしば言われるといいます。しかし、「自分に思い当たる節があっても、それを受け止めつつ、苦言を呈していいと思う。目の前でマチスモを発動している男性がいたらやめさせる。シンプルです。女性の隣に並んで肩を組む資格がある・なしではなく、男性として男性の問題を考えたい」と気負いません。◆意見言わないと政治家は野放しに 権力や社会の風潮を疑い、個人を抑圧するものへの違和感を発信し続けます。「一回一回立ち止まって考えるのは、面倒くさいですよ」と苦笑い。 「以前、絵本作家の五味太郎さんが『現代人は、反応はするけど考えないんだよな』とおっしゃっていました。与えられたものや常識自体を『それってどうだろう?』と考えない人が多い。でも違和感を覚えた時に、流されずに考えないと、自分がわからなくなる。波風立てずに暮らすのが良きこと、という風潮はとても嫌ですね。個人が意見を言わなくなると、五輪を強行したり説明責任を果たさなかったりする政治家がぬくぬくと維持されてしまう。『俺がやりたいようにやるんだ』という、マチスモの超典型例です」 反骨の気質は、母方の親族の影響が「すごく大きい」といいます。 東京の下町で90代まで下着屋を営んだ祖母。そして伯母と母。「3人とも口が悪く、テレビを見てはいろんな人を批判しまくっていました。おかしいことはおかしいと言い、間違ったことは間違っていると言う。『あなたはどうなの?』とよく言われていました」 中学、高校の運動部では、年上というだけで理不尽な方針をぶつけてくる上級生に反発し、逆に「うまくなってたまるか」と自分を鼓舞したそう。「政治家にちゃちゃを入れている今も変わりません」と。 改憲論議にも一言。 「政治には、市民と政治家の信頼が必要です。いま、それが完全に崩れている。与党は森友学園や『桜を見る会』などの疑惑に、いまだにまともに答えていません。私たちのお金をちょろまかす人たちに改憲を議論する資格はない。テーブルにつく以前の話です。まずは答えてください」<たけだ・さてつ> 1982年、東京生まれ。出版社勤務を経て、ライターに。著書に『紋切型社会一言葉で固まる現代を解きほぐす』『日本の気配』『わかりやすさの罪』『偉い人ほどすぐ逃げる』など。「しんぶん赤旗」日刊紙で「武田砂鉄のいかがなものか!?プラス」を連載中2021年11月21日 「しんぶん赤旗」 日曜版 3ページ 「マチズモ=『男性優位主義』、維持したがっている人は誰?」から引用 多分、人類の歴史が始まって以来この方、世の中は男性中心に運営されてきており「男性が『主』であり女性は『従』だ」という価値観が社会の隅々まで行き渡っている、そういう環境で長らく暮らしていると、ここに来て急に「ジェンダー平等」と言われても、確かに理屈ではその通りなのだが、長年の習慣(?)でうっかり話し相手の女性を見下すような表現をしてしまうことは多々あります。そういうことを、「しょうがない」と言って諦めたりしないで、ジェンダー平等という「理想」を目指して、一歩一歩努力を積み重ねていきたいと思います。
2021年12月07日
毎週日曜日の「読書のページ」に「ヤングアダルト」のコーナーを設けている神奈川新聞は、11月14日付け紙面に次のような記事を掲載している; 英国南端の街・ブライトンにあるユニークな「元底辺中学校」に通う息子の1年半を、母親の視点から描いたエッセー集がベストセラーになったのが2年前。その続編「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2」(ブレイディみかこ、新潮社・1430円)がまたおむしろい。 「人種的多様性」がある「リッチで優秀な学校」とは異なり、「荒れている地域」にあって白人生徒が9割を占めるこの中学は殺伐とした英国社会を反映し、いじめも人種差別もある。しかし、最近は中流化の波が押し寄せ、授業は進歩的。LGBTQ(性的少数者など)教育にも力を入れ、国の総選挙があれば「スクール総選挙」で全校生徒に投票させる。 複雑で刺激的な環境で問題や悩みを案外クールにこなしていく息子と、元保育士で福岡出身のアツい母親の、分かり合ったり分かり合えなかったりする日常が魅力的だ。そこに「どや顔」でたまにまっとうな意見を吐く父親(アイルランド人の元銀行員で、今はダンプの運転手)がいい味を出している。学校になかなか溶け込めなかったアフリカ系の少女が音楽部に入り、見事ソウルークイーンヘと変貌を遂げたエピソードが感動的だ。(後半は省略)(翻訳家・金原瑞人)2021年11月14日 神奈川新聞朝刊 16ページ 「読書・ヤングアダルト - クールな息子とアツい母親」から引用 ひと頃のイギリスは「ゆりかごから墓場まで」と言われる福祉政策の先進国で国民は生活の心配をする必要のない国であるかのように言われたものであったが、私が就職した70年代になると犬飼道子が「黄昏のロンドン」とかいうようなエッセイ本を出してベストセラーになるような斜陽の時代になり、その後サッチャー政権が「新自由主義」の経済政策を推進して自助努力が促され、生活環境はより厳しくなった、というような印象をもっていました。そういうイギリスで実際に生活している人が書いたエッセイからは、イギリスの庶民の生活が垣間見られるようで興味深く思います。特に、国の総選挙があるときは、学校でも「スクール総選挙」を行なうという、これくらいの「政治教育」は日本の教育基本法にも既定されえていることでもあり、日本の学校も当然取り組んで然るべき教育活動であると思います。
2021年12月01日
安田浩一著、金井真紀著・絵「戦争とバスタオル」(亜紀書房刊)について、評論家の荻上チキ氏は6日の東京新聞に、次のような書評を書いている; 安田さんをラジオのゲストに招いた際。「いつもハードな取材で大変ですね」と声をかけたら、「でも、今度は金井さんと、世界の温泉や銭湯の本を出すんです」と返された。「おお、それは楽しい取材になりそうですね」と応じると、「まあ、戦争に関連する風呂ばかり巡る本なんですけどね」とのこと。それはまたバードな取材ではないか。 発売された本書を手に取り、腑(ふ)に落ちる。安田と金井は、タイ、沖縄、韓国など、アジア・太平洋戦争という負の歴史が色濃く現れる地を訪ね、そこで風呂に浸(つ)かる。浴場で出会った人と会話を交わしながら、戦争体験の証言を、時にじっくり、時に短編的に聞き取っていく。 タイのジャングルの中にあるヒンダット温泉は旧泰緬(たいめん)鉄道の先にある。駅のそばには戦争博物館があり、旧日本軍の加害性に関する展示がある。泰緬鉄道は強制徴集された現地住人や捕虜によって建設され、工事の中で万単位の人間の命を奪った。温泉もまた、日本兵が発見し、整備したという。現代ではその温泉を、さまざまな国からやってきた人々が堪能している。 沖縄唯一の銭湯「中乃湯」の主・シゲさんや「中乃湯」の常連客・澤峨(たくし)さんからは、戦前戦後の風景の変化を聞く。日本軍と米軍に翻弄(ほんろう)され続ける島の中で、銭湯に通う人々の日常が垣間見える。韓国で出会つた崔(チェ)さんからは、日本の歌にまつわる思い出や、玉音放送の記憶などを聞く。さらには多くの引揚(ひきあげ)者を受け入れ、請願を受けて銭湯を設けることとなった寒川町(神奈川)。「昔は要塞(ようさい)・毒ガス、いまは温泉・休暇村」とのコピーをパンフレットに掲載していた「うさぎの島」大久野島(広島)。二人の軽快な文章と、金井の朗らかなイラストが、歴史旅行の案内役を務めてくれる。 人の英気を養う風呂に浸かり、人の命を奪う戦争の記憶を聞く。戦争についての本は数多くあるが、こんな本は読んだことがなかった。旅行者という立場で振り返り、過去との向き合い方を問いかける、社会派でありながら情緒揺さぶられる紀行エッセイ。<評荻上チキ(評論家)>2021年11月6日 東京新聞朝刊 11ページ 「読む人-湯に浸かり負の歴史と向き合う」から引用 数年前までは「荻上チキ・南部広美」のコンビで夜の10時から翌日1時までTBSラジオでニュース番組を担当していて、私は毎晩聞いていたのだったが、今はその番組が夕方15時30分からの時間帯に移動してしまったので、最近は滅多に聞かなくなっていた所に、予期せず懐かしい名前を発見した気分になった。荻上氏らしい気の利いた書評記事で、それじゃあ読んでみようかなという気分になった。
2021年11月14日
横村出著「放下 小説 佐橋ノ荘」(新潟日報事業社刊)について、10月31日の神奈川新聞は次のような書評を掲載している; 「三矢の訓」で知られる毛利元就を筆頭に、戦国時代に中国地方の覇者として名をはせた毛利氏。その発祥が、厚木市であることをご存じだろうか。鎌倉時代中期には、越後・柏崎に本領「佐橋ノ荘」を持っていた。この地を巡る一族の家督争いを軸に、毛利氏の秘められた前史を描く。 モチーフは、世阿弥改作の能「柏崎」。相続を巡る訴訟のため鎌倉へ赴いた夫の死と愛息の遁世(とんせい)を知り、狂乱の人となった毛利基親の奥方の物語だ。 毛利氏を巡っては、越後毛利氏第3代当主で基親の嫡男・時元に謎が残っている。鎌倉在住で元朝日新聞記者の筆者は、それを綿密な取材に基づくストーリーで埋めようと試みた。 舞台は、奥方がひとり残された越後と、基親・時元親子が逗留(とうりゅう)する鎌倉をテンポ良く行きつ戻りつする。日蓮や北条時頼、時宗など鎌倉ゆかりの人物が数多く登場するため読みやすい。海辺に咲くアジサイ「サハシノショウ」を色鮮やかに描いた表紙絵は、幸せなエンディングを予感させる。(川村真幸)横村出著「放下 小説 佐橋ノ荘」(新潟日報事業社刊、1540円)2021年10月31日 神奈川新聞朝刊 14ページ 「かながわの本-鎌倉を往還した毛利氏」から引用 「三本の矢」の教訓で知られる毛利元就とは、現在の広島県西部に生まれた戦国武将とばかり思っていた私は、実はその祖先が現在の神奈川県厚木市付近に住んで新潟県柏崎市の荘園を管理する立場の一族であったと知って「びっくり仰天」の気分を味わいました。今でこそ新幹線やテレビ・ラジオの普及で日本全国どこへ行っても共通の標準語が通じる時代と違って、例えば私の父が子どもだった頃(大正末期から昭和)、玄関先に東京弁を話す来客があって、手が離せない仕事中の母親に言われて用件を聞きに行ってみたが、何を話しているのかまったく理解が出来ず、そのことを母親に告げると「まったく、役にたたない子だね」と言われたものだったと聞かされたことがありますが、戦国時代ともなるとテレビも電話もないのに、関東の者がどのように越後の荘園を管理したのか、その一族が静岡くらいならまだしも、広島の方に移住して、どのようにしてその地方を統治したのか、想像を絶するとはこのことだと思いました。
2021年11月10日
手塚孝典著「幻の村」(早稲田新書)について、翻訳家の瀬川千秋氏が2日の東京新聞に次のような書評を書いている; 時がたち風化していく歴史がある一方、歳月を経たからこそ明らかになる歴史もある。本書は1965年生まれの信越放送ディレクターが、長野県内のかつて満州移民だった高齢者を中心に取材を重ね、満蒙開拓の実相に迫ったルポルタージュだ。 満州国建国後、国策により約27万人が開拓民となって大陸に渡った。長野は中でも最多の移民を送り出した県である。国は農村の困窮層救済を宣伝していたが、実際はソ連国境防衛と植民地支配が目的。だがソ連軍が侵攻するや関東軍は逃亡。置き去りにされた人びとは過酷な逃避行のさなか、侵略者の日本人を恨む中国人に襲撃されたり、絶望の果てに集団自決したり。8万人以上が亡くなった悲劇はよく知られている。 取材を始めた当時、すでにほとんどの開拓民は他界していたが、だからこそ存命者は人生の最晩年に、封印していた後ろ暗い過去を語り始める。例えば14歳で開拓団に参加した男性は、集団自決の夜、母親たちがわれ先にわが子の首を絞める光景に呆然としていると、大人に叱られた。「何しているんだ、早く手伝ってくれなくちゃ」。どれほどの時間、何人に手をかけたかわからないと語った。 95人を満州へ送り73人が自決した旧・河野村の村長は、敗戦翌年に42歳で自死した。この話題は一族のタブーだったが、真実を残すべきとの子息の判断で、戦後60年目に日記が公にされた。死の直前まで綴(つづ)られた日記からは、地主の家に生まれ農民を思いやる若き村長が、誤った国策に正義感を鼓舞され、開拓団を送り出すに至った心の軌跡がたどれる。 国策による被害者が、図らずも人を殺(あや)め、侵略に加担した加害者となったというつらい事実。国家は国民に何をし、何をしなかったか。人はいかにして時代にのまれていくのか。本書は満蒙開拓の不都合な歴史をつまびらかにし、様々(さまざま)な問いを投げかける。 今年で満州事変から90年。満蒙開拓の歴史は遠い過去ではなく、私たちが生きる現代と地続きなのだ。若い人たちに、ぜひ読んでほしい。<評・瀬川千秋(翻訳家)>手塚孝典 1965年生まれ。ドキュメンタリー制作者。広告会社を経て信越放送入社。2021年10月2日 東京新聞朝刊 11ページ 「読書-悲劇の裏に・・・今語る真実」から引用 中国を侵略した日本軍が中国東北部に樹立した傀儡国家「満州国」には「開拓」と称して27万人もの日本人が送り込まれたのであったが、日本がポツダム宣言の受諾を決めて中国や東南アジア各国に派遣していた日本軍に戦闘停止と撤退を指示しても、そこのとは現地にいた民間の日本人には知らされず、気がついた時には軍人は一人もいなくなっていたために、民間人だけの逃避行では恨みをもつ中国人に襲撃されることになったわけである。そもそも、日本軍が中国でしていることは何なのか、当時の国民が正確な情報をもっていれば、安易に「開拓団」に入ったりしなかったはずで、最悪の場合はどうなるかということも想定してそれなりの準備をすることもできたはずですが、当時のメディアは軍部に迎合して侵略戦争を煽るような報道をしており、国民の教育も政府の天皇制イデオロギーで洗脳するような教育をしていたせいで、一人一人の国民が客観的な世界情勢などもてる状況ではなかったわけです。そのような教訓に学べば、児童生徒が使用する教科書に政府見解のみを記述するとか、政治家が教科書の内容に介入するというようなこと許してはならないことは明らかであると言えます。
2021年10月18日
鈴木宣弘著「農業消滅」(平凡社新書)について、元農林水産大臣で弁護士の山田正彦氏は10日の「しんぶん赤旗」に、次のような書評を書いている; 最近では口を開けば農産物の輸出と、政治行政サイド、マスコミから勇ましい掛け声だけが聴こえてくる。 本書で指摘しているように日本の農業が戦後最大の危機的状況にあるのに、政冶家や農政関係者の多くは本気で議論をしているようには思えない。 今秋の米価のJA買取価格の各都溥府県概算額がそろった。それによれぱ各県大幅な引き下げで、なんと栃木県では昨年よりも最大4800円の下げ幅である。私が農水大臣の時に全国の60キロあたりの生産原価を調べたことがあったが、全国平均で1万5000円だった。それを割り込めぱ赤字で、もう数年前から1万3000円ほどに落ち込み、農家は実質赤字経営なのに、このままでは1万円をきりかねない勢いである。今JAの組合長の間でささやかれているのは「コロナで取々痛めつけられて、農家は黙って農業をやめてしまうのではないか」と。 氏はコロナで穀物輸出国19力国が禁輸措置をとっていたことを指摘し、食料を輸入に依存する日本の愚かさを嘆き米国の農業政策について詳しく説明する。米国では生産原価をもとにそれより下がった場合にはその差額を補填する支持価格制度(PLC)を導入、それに収入補價制度(ARC)を設けて農家が安心して農業に専念できるような制度を構築している。 さらに米国は今回のコロナ禍の救済のために経済的な安金保障法を成立させて日本円で2兆円ほどの予算を組み、その8割を農家への直接支払いの助成金に、3000億円で農家から穀物、酪農製品野菜などを買い上げて無償で生活困窮者に給付したのである。 氏は英仏が90%、スイスが100%国艮の税金で農家を補助していることから、日本でも早急に生産原価の岩盤部分と市場価格との差額を補填して日本の農家も安心して農業に専念できるようにしなければ日本の農業はついえると警告する。<評者・山田正彦 弁護士・元農林水産大臣><すずき・のぶひろ> 58年生まれ。東京大学大学院教授。「悪夢の食卓」、共著「農業経済学 第5版」ほか。2021年10月10日 「しんぶん赤旗」 11ページ 「読書-農家を支援する欧米 無策の日本」から引用 アメリカは資本主義の本国であるとは言いながら、人間は食料なしには生きていけないのだからアメリカ政府は手厚く農業を保護している様子が、この書評記事からもよく分かります。日本では、このような観点からの農業政策が行なわれているでしょうか。我々が子どもの頃は、米は政府が買い上げるシステムだったように記憶しています。その頃は、政府も農業振興に熱心で、用水路の整備事業などに多大な予算を支出するなどの政策も農家の人々には評判が良く、それで自民党は全国の農家の圧倒的な支持を得て常に与党の座にありついていました。しかし、私が学生時代を過ごした70年代になると、国民の米の消費量が激減し、米が大量に余る事態となり、政府は「減反政策」と称して農家が米作りを断念して「休耕田」の届け出をすると政府が補償金を支給するというような政策が行なわれた時代もあったように記憶しています。そうしているうちに、農家は農業所得だけで生計を立てることが難しい時代となり、かなりの割合で兼業農家となっているのが実態らしく、この記事でも、農家が生産原価を割り込む価格で米を出荷している様子が覗えます。このような事態を放置したのでは離農する人たちが増えて、結果的に農業が衰退するであろうことは素人にも想像がつきます。「バラマキ行政では国がもたない」などと書いた政府高官がいるそうですけど、国に税金を納める国民が、元気に働いて収入を得る環境を維持するためにも、危機的状態の農業救済は喫緊の課題ではないかと思います。
2021年10月17日
與那覇(よなは)潤著「平成史 昨日の世界のすべて」(文芸春秋刊)について、評論家の平山周吉氏が9月18日の東京新聞に、次のような書評を書いている; 同時代日本をいま最も鋭利に、隈(くま)なく全方位で批判できる能力を持っている書き手は、「元歴史学者」を自称する輿那覇潤であろう。 6月に出た時論集『歴史なき時代に』(朝日新書)は、コロナ下の言論のいかがわしさと日本社会の脆弱を、軽やかな筆致をもって批判した、手ごわい本だった。その輿那覇がおそらく満を持して書いた、重量感あふれる必携の同時代史が『平成史-昨日の世界のすべて』である。 バブル崩壊から天皇「生前退位」までの平成30年間には、阪神淡路大震災、オウム事件、3・11があり、政権交代もインターネット覇権も、数々の知識人の失墜もあった。 言論はお手軽になり、あらゆる来歴は忘却され、「インフルエンサー」主導の騒々しい現在だけが消費されていった。崩れと炎上の果てに荒廃しきった日本の表情を、著者は高度な整理能力と辛ロエピソードの摘出で描き切っている。 與那覇は1979年生まれなので、平成元年には10歳である。早熟な少年だったから、彼にとって「平成史」とは頭と目と身体で経験してきたすべてだ。その強みを十二分に生かしているので、誰でもが読める史書となっている。 與那覇の史眼が並でないのは、「平成史」を描くために1970年にまでさかのぼった点だ。三島の自決があり、翌々年にはあさま山荘事件が起きた。與那覇はその時期を「後期戦後」と名づけ、「平成」も含め50年のスパンで歴史を遠望する。その50年は戦争経験者が次々と退場する過程だった。彼らの肉体が下支えしていた「歴史」が失われると、その後には「いまさえ勝ち抜ければ後はどうでもいい」という「瞬間」至上主義がはびこった。それは与野党、左右、老若を問わずだ。 本書を読んでいると、この一年半、幾つもの行けなかった葬儀を痛切に思い出す。コロナのせいで、何人もの先輩知人友人を葬祭場でねんごろに送ることができなかった。本書はその空虚感をいささかでも埋めてくれる。死者との対話をうながす、鎮魂の書でもある。<評・平山周吉(雑文家)>與那覇潤著「平成史 昨日の世界のすべて」(文芸春秋・2200円)よなはじゅん・1979年生まれ。歴史学者。著書『知性は死なない』『中国化する日本』など多数。2021年9月18日 東京新聞朝刊 11ページ 「読書-戦争を忘れた果ての荒廃」から引用 この記事はどことなく秘密を宿しているような筆致で、魅力を感じさせる。平成時代は言論がお手軽になって「インフルエンサー」主導の物語が語られて、何かあるとすぐ炎上する、そういう繰り返しで社会が荒廃したというように書いているが、それは果たして世論のどの程度が同意する表現なのか、私は疑問に思います。自民党が徐々に得票数を減らし公明党と連立しないと政権維持ができなくなり、一時的とは言え細川政権ができたり民主党政権が誕生したことも平成時代の大きなイベントではなかったかと思いますが、與那覇氏の眼ではどのような評価になるのか、興味深く思います。
2021年10月06日
武田砂鉄著「マチズモを削り取れ」(集英社刊)について、ライターの犬山紙子氏が4日の東京新聞に、次のような書評を書いている; 今「立憲民主党が党の女性比率を2030年までに3割以上を目標」というニュースにぶつかり「ああ、リベラルでさえ女性に居場所がない」と悲観していた。9年後に3割という目標、低すぎないか(衆院各党で自民の女性比率が最低)。この気持ちはこれまで何度も感じてきた。保守的な場はもちろんリベラルな場ですら居心地が悪いのだ。 本書にはそんな私たちの怒りや悲しみがぎゅっと凝縮されていた。編集者Kさんが女性として感じる怒りを元に、武田砂鉄氏がマチズモ(男性優位主義)による弊害を、時に自省もしながら丁寧に考察してゆく。ジェンダーの問題ですら「男性が女性に向けてこんな問題があるんだよ」と解説する構図が溢(あふ)れる中、Kさんの怒りや個人的な体験が主体となっていることが心強い。どの章にも私や、私の友人がそこにいた。 特に頷くのはこの指摘だ。「マチスモと聞けば力ずくで突破するイメージが頭に湧くだろう。(中略)しかし、この社会に残存するマチズモは決して強い力が露出しているとは限らず、もっとせせこましい、できればこのままバレずにいてくれれば、自分たちは心地よくいられるのに、という類いのものも多かった」 「差別は良くない」と言いながらコソコソと差別の構造に加担し続ける。そして、そのせせこましさを指摘すると、逆ギレか、別の問題にすり替える、屁理屈で正当化しようとする。こんなにわかりやすく、政治も役員も人事も男性だらけなのに。「俺だって辛いんだ」はより弱い立場に向ける言葉だろうか、辛さの構造を作っている方に向けるべきじゃないんだろうか。 これまでジェンダーの問題を考える時「若い女性や娘には同じ思いをしてほしくない」と思ってきた。しかしKさんが最後に記した「一体いつになったら、私たちは楽になるのでしょうか?」を見て、私の話でもあるんだと当たり前のことを思えた。自分のことは諦めていたのだ、それは「女性が自己主張すると叩(たた)かれるから」の先の諦念だろう。 たくさんの男性に読んでほしいと願う。<評・(エッセイスト)>犬山紙子 1982年生まれ。エッセイスト。出版社勤務を経てライター。著書『紋切型社会』など。2021年9月4日 東京新聞朝刊 11ページ 「読書 - せせこましく残存する差別」から引用 差別の問題も、参政権とか財産相続権のような分かりやすい部分は法律を制定して解消することが出来ている部分もあるが、生活習慣とか社会通念のような部分になると、なかなか「これは差別だから、改めよう」というコンセンサスが得にくい部分があり、「これは差別だ」という認識を持たずになんとなく暮らしている人も多いことと思います。しかし、差別される側の「不満」を私たちは放置するべきではありません。上の記事が紹介するような本が普及して、なるべく差別のない社会が実現することを願います。
2021年09月19日
城山英巳著「マオとミカド」(白水社刊)について、放送大学教授の原武史氏が8月15日の神奈川新聞に、次のような書評を書いている; いまや中国は、米国と並ぶ超大国とされることが多い。しかし米国が建国以来ずっと共和国であり続けたのに対して、中国は王朝の時代が長く、辛亥革命以降も蒋介石や毛沢東、鄧小平、そして習近平といったかつての皇帝に相当する支配者が次々に現れた。 そうした国にとって、革命がなく代々継承されてきた天皇というのは畏敬の対象になるらしい。日本では憲法により戦前と戦後で天皇の位置付けが大きく変わったが、中国の支配者たちはそうはとらえなかったのだ。本書は数々の1次資料や関係者へのインタビューをもとに、彼らが戦後もなお国家主席に匹敵する元首として天皇を重視し、日本側も天皇訪中に向け検討を重ねていたことを明らかにしている。 興味深いのは、第2次世界大戦後に対立しあう蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が、ともにいったんは昭和天皇を「戦犯」とし、天皇制の廃止を唱えながら、後に廃止はできないと認識を改めたばかりか、憲法に規定された象徴以上の権力を天皇に見いだしたことだ。実際、近年公開された「昭和天皇実録」などから、戦後の天皇はなお権力を保ち、日中関係についても政治的発言をしていたことがわかってきている。 中国の支配者たちは、戦前、戦後を問わず、天皇が日本国民に及ぼす影響力や求心力を熟知していた。その背景には、長年にわたって皇帝が君臨してきた中国ならではの歴史があった。彼らが天皇を「戦犯」としてより外交カードとして重視したのは、歴史からの叡智(えいち)があったからだ。この事実を明らかにした本書の功績は、きわめて大きい。 ただ註(ちゅう)を入れて600ページにおよぶ本書は、必ずしも読みやすくはなく、先行研究に該当する記述に紙幅を割きすぎているという印象がぬぐえなかった。博士学位申請論文をもとにしているからだろうが、一般向きの単行本にするにはもう少し構成を工夫する必要があるように思った。(放送大教授・原 武史)城山英巳著「マオとミカド」白水社/3080円 帝政ロシアに共産主義者を名乗る団体が革命政府を樹立したのが1919年で、その30年後には中国にも共産党政権が成立したのであったが、当時の革命政権は「共産主義の社会はこうあるべき」という明確な「構想」を持っておらず、取りあえず実施した政策は、反革命工作を防ぐための「一党独裁」、農業の集団的生産体制、全産業の国営化などで、後発の中国も「一党独裁」と農業の集団化は先行するソ連に倣った。しかし、こういうやり方は、そもそもカール・マルクスが「資本論」で説いた「将来起こりうるプロレタリア革命は、高度に発達した資本主義社会で民主的な訓練を受けた労働者階級によって担われる」という理念とはかけ離れたものであったが故にソ連は崩壊し、中国でも農村の集団体制を目指した人民公社は解散し、産業は株式会社が牽引し株式市場まで出現しており、経済活動は「資本主義」に戻っている。このような現実を踏まえて、中国の現状を見直してみれば、辛亥革命で清朝が滅んだ後、一度は民主的な共和国から共産主義国家へ移行するかに見えながら、実は昔ながらの皇帝が支配する国家体制に戻っているという、上の記事のような見方は「正解」なのかも知れません。少し違うのは、「皇帝」の地位が世襲ではないという点で、これが唯一の「歴史の進歩」というものではないかと思います。
2021年09月01日
益田肇著「人びとのなかの冷戦世界」(岩波書店刊)について、東京大学教授の加藤陽子氏は3日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; その本を読む前と後で、目の前の風景が違って見える本に何冊出会えるかで人生は変わってくる。今回取り上げる本は私にとってまさにそのような一冊だった。 集団的自衛権解釈を変更した現在の日本にとって、米国が中国を「地政学上の最大の試練」と位置づけ、主要7力国首脳会議の宣言中に「台湾海峡の平和と安定の重要性」を書き込むような事態は、容易ならざるものだ。米中対峙(たいじ)という現在の状況を、歴史的にどう見ればよいのか暗中模索していた時、本書に出会った。 思い返せば米国が第七艦隊を送って台湾海峡を封鎖したのは、1950年6月25日勃発の朝鮮戦争の時だった。著者は、東西陣営が対峙したこの戦争の最初の一年を中心に、当事国の社会と人びとの動向を全く新たな角度から描いた。朝鮮民主主義人民共和国側にソ連と中国が、大韓民国側に国連軍を代表して米国がついた戦争は、9月15日の米軍の仁川上陸、10月25日の中国人民志願軍の参戦によって全面戦争となった。 英語で書かれた博士論文を元とするが、明晰(めいせき)に叙述しようとする著者の強い意志によって、実に読みやすい本となっている。特に惹(ひ)かれたのは、参戦に向かう中国を、人びとの動態と政治過程双方から描いた部分だ。著者はまず、浙江省農村部から北京への報告書を分析し、国連軍反撃の報に動揺した地方で反政府活動か活発化した事実を押さえる。次に10月5日の北京、中央委員会政治局拡大会議の場に読者を誘う。非戦論で大勢が決するかと思われた瞬間、後の人民志願軍司令官・彭徳懐(ボンドーファイ)が立ち、参戦不可避を演説する。内外の反動的気運一掃が参戦理由の一つだった点などに注目したい。 続いて、50年秋の米国社会の描写へ移る。人びとが市民防衛活動を熱心に展開するさまを著者は、トルーマン大統領図書館等が保有する市民の手紙から読み解いた。同じフォーカスで参戦後の中国社会も捉えてゆく。共産党主導の動員運動が実施されたのはむろんだが、著者が注目したのは人びとの戦争観である。北京市槽案館が保有する北京大学学生や市清掃局員らの軍隊志願書を分析した。多様な階層の人びとは朝鮮戦争を、米国の世界戦略の一環であり、内戦ではないと捉えていた。この枠組みは、米国市民が中国の参戦を、ソ連の世界戦略の手先と理解していたのと相似形をなす。 そろそろ、著者の立論の論争的な側面を明確にしておきたい。著者は、この戦争の主たる当事国であった米国や中国において、人びとの手によって国内社会へ向けた粛清運動がなされた事実を本書で明らかにした。著者が「社会戦争」と名付けるこの動きは、台湾や日本でも起こるが、米国でマッカーシズムとなり、中国で反革命分子弾圧となって同じく現出する。民主主義体制下の米国で起きた反共主義、権威主義体制下の中国で信奉された共産主義という二極構造で冷戦を捉える旧来の枠組みを著者は崩してみせた。 冷戦期の当事国の社会と人びとは、第二次世界大戦によってもたらされた、地域コミュニティーの急変に対し、秩序と調和を取り戻すため、一種の「社会装置」として冷戦という時代を自ら用いたのではないか。米国と中国はこの観点で見れば同じだとする本書の破壊的な魅力はここにある。益田肇著「人びとのなかの冷戦世界」(岩波書店 5500円)2021年7月3日 毎日新聞朝刊 13版 12ページ 「今週の本棚-秩序と調和取り戻すための『社会装置』」から引用 この記事が紹介する岩波書店の益田肇著「人びとのなかの冷戦世界」は、東西冷戦に関する我々の歴史認識について新しい「視点」を提供するもののようで、大変魅力を感じます。朝鮮戦争にそれぞれの立場から軍隊を送った米中両国の人々が何を考えていたのか、を知ることによって、現在の米中対立の「落とし処」がおおよそ見当がついてくるのではないかと思います。ただ、この本は値段が高いのが難点です。
2021年07月18日
角川新書から『家族と国家は共謀する-サバイバルからレジスタンスへ』を出版した信田さよ子氏は、6月26日の東京新聞で、新著について次のように述べている; 「最も身近な家族ほど、暴力的な存在はない」。そんなショッキングな言葉を語るのは、著書『母が重くてたまらない』などで知られる信田さよ子さんだ。40年以上に及ぶカウンセラーの仕事を通じてDVや虐待、性犯罪などが家庭で起きていることを痛感した。実践から生まれた論考を、新書にまとめた。 冒頭の言葉に私たちが衝撃を受けるのは、「家族は愛情で結ばれた共同体」という思い込みがあるからだろう。本書を読み進めると、そんな「常識」こそが被害者を苦しめてきた現実だと実感することになる。 2000年代の児童虐待防止法とDV防止法施行は、大きなパラダイム転換だった。それ以前は「家庭内は長らく『無法地帯』だった」。家族を束ねる男性(家長)から見れば、暴力など存在しない。「親や夫はやむを得ず『手を上げる』のであり、スパルタ教育も亭主関白も美名とされた。ちゃぶ台返しは笑いとして容認され、殴られるのは妻が生意気だからとされた」。「自分が悪い」と耐えてきた妻子が、法の制定で己を「被害者」と認識し、暴力をふるう家族を「加害者」と呼べるようになった。 それでも「家族は良いもの」という固定観念は社会にはびこる。だからDVや虐待の被害者の多くは訴えを信じてもらえず、今も口を封じられる状態が続く。 そんな実態が「国家の暴力と似ている」と信田さんは思った。きっかけは、戦時中に軍内部のリンチなどで心を病み、送還された日本軍兵士の調査研究書を読んだことだった。兵士らの存在は国によって隠された。「死をも恐れぬ」という軍隊イデオロギーに反したからだ。戦後、薬や酒の依存症となり妻子に暴力をふるう人も珍しくなかった。自分の受けた抑圧を、家庭内でさらに弱い者に向ける現象が起きていたのだ。 今も、児童虐待やDVについて国は「防止」を打ち出すだけで、抜本的な禁止策を講じない。信田さんは「家族の暴力を告発する声が高まると、今度は家父長制を存続させたい政治的な動きが活発化する。家族とは、もっとも力関係の顕在化する政治的世界かもしれない」と語る。「だからこそ男女が平等であろうと努力する、虐待やDVの被害者が生き延びようとする、そんな一人一人の日常の小さな行動がレジスタンスなのです」と説く。(出田阿生)信田さよ子著「家族と国家は共謀する-サバイバルからレジスタンスへ」角川新書・990円。2021年6月26日 東京新聞朝刊 10ページ 「書く人-美名とされる暴力」から引用 この記事は大変重要なことを読者に告げているように思います。特に、2000年代の児童虐待防止法とDV防止法施行は、大きなパラダイム転換だったとの指摘は示唆に富んでいる。それは世の中には麗しい愛情で結ばれた理想的な共同体としての「家庭」もあるかも知れないが、すべての家庭がそうであるという保障はないのであって、「教育」だの「しつけ」だのという「美名」を隠れ蓑にした「暴力」は、家族であるとないとに関わらず許してはならないものです。この記事のポイントは、世の中には「家父長制を存続させたい政治勢力が存在する」という点であり、他人が「選択的夫婦別姓制度」を希望することを認めたくない「政治勢力」と同一の「勢力」であろうと思います。
2021年07月11日
山本昭宏著「戦後民主主義」(中公新書)について、精神科医の香山リカ氏は5月16日の神奈川新聞に、つぎのような書評を書いている; 1960年生まれの評者は、これまで自分は「戦後民主主義の申し子」だと信じて疑わなかった。家庭でも学校でも「平和と憲法の尊さ、自由と平等の大切さ」を繰り返し教えられ育ってきたからだ。しかし、本書半ばには「1960年代以降、戦後民主主義は徐々に批判にさらされ、1970年代にはその輝きを失い始める」とある。 これは一体どういうことだ。そのあたりからは歴史書としてではなく”わがこと”として読んだ。 評者が「日本の平和と民主主義」を信じて疑わなかった小中学生時代、保守論壇では「憲法の『押しつけ』論」や「大衆批判がそのまま戦後民主主義批判になる」という動きが活発化していたようだ。それでも戦中派も健在で、文化人にも憲法9条を擁護する声が多くあった。しかし、80年代になり日本経済が絶頂期を迎えると、平等や幸福は消費の主体になることで達成されるという幻想が広がり、とくに若い世代の政治への関心が一気に低下した。 そして90年代に「論壇は地殻変動を起こし」「戦後民主主義的な価値観が次々に批判される」という事態を許すことになったのである。そこからの改憲論議の活発化や”自虐史観”からの脱却を促す教科書運動を経て2010年代の集団的自衛権行使容認に至る流れは、多くの読者もリアルタイムで目にしたことなのではないか。「この時点でもっと状況を自覚しておくべきだった」とまさに自分史を振り返るようにして最後まで読んだ。 政治思想史の本であるが、政治の問題とその時代の文化や世相とが、あやをなしながら語られるため、そこに暮らす人の息づかいが聞こえてくる。日本の戦後民主主義は、まさに日本に生きる人の営みにほかならないのだ。そして、今こそ「『参加』を通じた『自治』の手段」としての民主主義が求められているという著者の主張に全面的に賛成である。まさにこれからを生き延びるための一冊だ。<精神科医・香山リカ>山本昭宏著「戦後民主主義」中公新書/1012円2021年5月16日 神奈川新聞朝刊 13ページ 「読書-暮らした人の息づかい」から引用 この記事が紹介する山本昭宏著「戦後民主主義」は、面白そうだ。80年代から「戦後民主主義的な価値観が次々に批判される」とあるが、私の印象では、その「批判」の中身は「憲法の押しつけ論」のようなデマのレベルの主張であったために、護憲派は馬鹿にしてまともに取り合わなかったように記憶しています。2010年代の「集団的自衛権行使容認」なども、砂川事件の最高裁判決を曲げて解釈したもので、その不当性は当時の東京弁護士会が声明を出して訴えたものの、国会ではロクな審議もせずに強行採決したもので、「改憲勢力の台頭」というきれい事ではなく、議会制民主主義の劣化という忌まわしい事態であったと思います。その辺の事実は、どのように論証されているのか、興味深く思います。
2021年06月05日
沼野雄司著「現代音楽史」(中公新書)について、評論家の三浦雅士氏が4月24日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; 文化史として秀逸。 現代音楽なんて聞いたことがないという人でも、現代音楽という領域があることは知っているだろう。高級で難しそうな印象を持っているに違いない。まさにその通り。人間は文化的動物だが、文化なるものはその中心に高度で難解なものを秘めていなければ崩れてしまうのである。さしずめ現代音楽は文化の芯のその固い部分の筆頭。自然科学や社会科学の専門家は、音楽や舞踊が人間社会の基礎を成すことにまだ気づいていないようだが、いずれ気づくに違いない。人類は音楽や舞踊のために経済活動をするようになったのであって、逆ではないのだ。 その現代音楽を一般読者にも分かりやすく解説してくれるのが本書だ。20世紀音楽史と言っていいのは、第一次大戦、ロシア革命、第二次大戦、五月革命、ソ連崩壊、そして米中冷戦の現在に至るまで、政治、経済、社会および絵画や文学の動きなどと密接に関連させて論じているからである。柴田南雄(みなお)、諸井誠、間宮芳生(みちお)、松平頼暁そのほか、現代音楽を表題に含む本がこれまでに書かれてこなかったわけではない。だが、文化の中心に音楽を置いてみせるほど大胆ではなかった。 音楽史の最大の切断点はいつかと問うて、著者は1877年と答える。エジソンがレコードを発明した年である。言われてみればその通り。レコードは音楽の享受の仕方を変えただけではない。演奏家のありようまで変えた。人間はそれまで音楽や舞踊のために経済活動をしていたが、以後は経済活動のために音楽や舞踊をするようになったのだ。こうして音楽が水のように広がってゆくようになった。ポップスなる領域が成立する契機である。レコードからCDへ、アナログからデジタルへ、つまり半導体の時代へと移って、変化が加速した。 むろん、著者は音楽学者であり音楽史家である。シェーンベルク、ストラヴィンスキーからシュトックハウゼン、ゲージまで、さらにはシュニトケ、ペルト、ラドゥレスク、グロボカール、藤倉大まで、膨大な作曲家とその作品を挙げ、手際よくその音楽的意味を解説してゆく。だが同時に、コンピュータがどれほど力を発揮したか、ぬかりなく説明してもゆく。 かくして最終章に至り、いまや「楽譜作成ソフト」が急速に普及し、作曲家が「パソコンに向かって楽譜を書くようになった」事実を指摘する。いわば自動翻訳機だ。いまや、誰もが頭のなかに思い描いた音楽をコンピュータによって楽譜化し、さらにはそれを音響に変え、商品化することさえ夢ではなくなりつつあるというのだ。 この変化は恐ろしいほどである。豊かな感性さえあれば、いまや誰でも作曲家になれる時代に入っていると言っていいからだ。大げさな話ではない。その富を実感させるのが本書である。 著者は、本書で言及する作品はその多くがインターネットのしかるべきサイトで触れることが可能であると冒頭に明記している。言及されている作品の過半がインターネットで視聴可能であることを確認して、評者は驚嘆した。名も知らなかった作曲家の現代音楽に耳を傾けながら、その解説を読み進むことができる。半世紀前には考えられなかったことだ。 索引完備。事典としても便利。<評:三浦雅士(評論家)>沼野雄司著「現代音楽史」(中公新書・990円)2021年4月24日 毎日新聞朝刊 13版 14ページ 「今週の本棚-インターネット時代の音楽とは」から引用 この記事はちょっと見たところでは地味な紙面であまり目立たない構成になっているが、少し読むと読者を挑発するかのような刺激的な文章の連続で、一気に引き込まれます。「文化なるものはその中心に高度で難解なものを秘めていなければ崩れてしまう」とは、単なる権威主義に過ぎないのか、それとも世の中の真実を言い表しているのか、興味深いポイントです。人間社会の基礎を成すのは音楽や舞踏であり、人類はそのために経済活動をしてきたという歴史観は、ジャングルの動物たちが「弱肉強食」の世界に生きているために「社会」とは無縁であることを思えば、説得力があるようにも思えます。「楽譜作成ソフト」やインターネットの発達で、昔は恵まれた環境下にいる人物に限定された「作曲家」も、今では豊かな感性を持つ人なら誰でも「作曲家」になれる時代になったという、夢を語っている点にも興味を引かれます。
2021年05月10日
安倍政権の7年8か月を風化させない事実の記録と銘打った立岩陽一郎著「ファクトチェック ニッポン」(徳間書店)では、安倍政権の外交について次のように論評している;◆長期政権の目的と化していた外交 安倍政権の外交を象徴するシーンがある。2017年9月の国連での演説だ。ここで安倍総理は「必要なのは対話ではない。圧力なのです」と語り、各国に北朝鮮との対話を拒否するよう求めた。 国連という対話の場で他国を非難する場面がないわけではないが、民主国家が対話を拒否するのは珍しい。このとき、トランプ氏も演説している。そして、金正恩朝鮮労働党委員長を「ロケットマン」と呼ぶなど挑発しているが、実は対話は拒否していない。逆だ。「国連での彼らの対応を見守ろう」と述べて、対話へのシグナルを送っている。 その結果も私たちは知っている。米朝首脳会談の開催だ。安倍政権は焦っただろう。安倍総理は拉致問題で手を尽くしたかのような発言を繰り返していたが、私か米朝主脳会談前と後の2度にわたって平壌で対日政策担当者を取材した印象とは異なる。彼らは「安倍さんは本気ではないでしょう」と半ばあきらめ顔で語っていた。それが日朝外交の実際のところだろう。 では日米関係はどうだったか? トランプ氏との個人的な関係を強調していたが、鉄鋼関税で日本側が求めた摘用除外にはならなかった。自衛隊の装備はトランプ政権の求めるままに増えて出費は増大。その日米の個人的な関係は、日本の外交力を削いだ斜向も否定できない。例えば、イランを訪問した際は、すでにアメリカの使者のように扱われて成果は出せなかった。それは、日本が築き上げてきたイラン外交が途絶えた瞬間だった。 安倍総理の外交とはなんだったのか? 私は、野球に例えるなら、打てないのに「チームの4番打者だ」と力んだバッターだと思っている。「チーム」をアジアと置き換えてもよい。その「4番」に座るために、トランプ氏からお墨付きを得る必要があった。しかし、力んでバットを振っても結果が出ないように、外交は成果を出せずに終わった。本来の日本の力、安倍総理の力量からすれば、7番か8番打者だろう。 それでもヒットを打ち、チームプレー、つまり周辺国との関係を構築できれば、3番を任されたかもしれない。メジャーリーグに渡った松井秀喜選手がチームバッティングに徹してそうなったように。チームバッティングに徹していれば、周辺国との関係を良好に保ち、拉致問題にも進展が見られたかもしれない。 しかし安倍総理は結果より「4番」にこだわった。そこに計算もあったはずだ。外交成果は選挙で票になりにくい。ならば、「4番」として遇されているほうが選挙映えする。支持者も喜ぶ。かくして長期政権は外交を動かす手段から目的と化した。それが安倍外交の姿だ。 菅政権では安倍外交の継承、つまり「4番」に座り続けるしかない。菅氏は外交については「スタメン」に入るのも難しいレベルだろう。そういう打者が「4番」に座ったらどうなるのか? せめてバントの練習くらいはしてほしい。※立岩陽一郎(たていわよういちろう)※ジャーナリスト。1967年、神奈川県生まれ。 1991年、一橋大学卒業後、NHK入局。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクとして主に調査報道に従事。政府が随意契約を恣意的に使っている実態をリポートし、随意契約原則禁止のきっかけをつくった他、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。以後、化学物質規制が強化される。[パナマ文書]取材に中心的に関わった後、2016年12月にNHKを退職。公益財団法人政治資金センター理事、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)副理事長。現在は調査報道を専門とする認定NPOを運営し「lnFact」編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。毎日放送「ちちんぷいぷい」レギュラー。立岩陽一郎著「ファクトチェック ニッポン」(徳間書店刊) 46ページ 「長期政権の目的と化していた外交」から引用 トランプ前大統領は大統領選に出馬するまではテレビのレギュラー番組に出演するタレントで、本業の不動産業で成功した金持ちというだけの素人政治家で、その点は、世襲とは言え政治一筋の安倍前首相の方が政治家としては一枚上(?)かと思いきや、本人が素人でもブレーンがしっかりしていれば、国連で演説するにも表向きは「ロケットマン」などと言って徴発するふりをしながら、その演説内容ではしっかりと相手側に「対話のシグナル」を送り、米朝首脳会談を実現したのは「お見事」と言うほかはありませんでした。それにひき換え、こっちは後先も考えずに「必要なのは対話ではない、圧力だ」などとぶち上げて赤っ恥をかいたのは無様の一言です。北方領土も騒いだ割に、事態は前進どころか後退してしまっているし、メディアが何をさして「外交の安倍」などと持ち上げるのか、まったく意味がわかりません。今年中には総選挙もありますから、安倍政権の7年8か月をよく思い起こして、投票先を考えるべきではないかと思います。
2021年04月26日
当ブログでは何度か取り上げた藤野裕子著『民衆暴力-一揆・暴動・虐殺の日本近代史』(中公新書)について、長崎大学准教授の森元斎氏が、月刊「世界」3月号に次のような書評を書いている; パリに住む友人が言っていたことがある。いわゆる「暴力」に加担したことがある、と。しかし、その「暴力」と名指していたのは誰なのか。警察である。そして警察発表をそのまま報道するメディアである。そして実際、人間をボッコボコにぶん殴っている主体は誰だったのか。警察である。では、その「暴力」の担い手として暴力的に名指されてしまっていた友人は、何をしていたのか。デモをやり、それが盛り上がり、警察が治安の名の下に、デモ隊を散らそうとしてきたので、それに対抗しようとし、そして周囲が警察に捕まり殴られていたので、それに恐れ慄(おのの)いて、逃げ回った、という事実である。これが、民衆の暴力として、なぜか警察発表され、メディアで報じられた。ただ、フランスのメディアは、「暴徒が発生した」なんて言わず、蜂起や反乱(つまりinsurrection)が生じたと述べていた。 暴力の主体と対象を見定めることなくして、暴力は語れない。暴力が、いかほどの暴力だったのかを見定めることなくして、暴力は語れない。どういった事象を指して暴力と名指されているのかを見定めることなくして、暴力は語れない。本書は、国家が有する暴力ではなく、民衆の暴力を、一揆・暴動・虐殺に定位して、近世から近代にかけて、何がどのように生じていったのかを、丹念に資料を掘り起こし、著者の観点が提示されているものである。 民衆の暴力は、圧倒的に非対称な国家に対して、無力であり、ともすれば国家レベルに匹敵する暴力など持ち合わせず、勝てることなどは、ない。だから民衆の暴力は、国家のそれと同様に語るべきではない。こうした観点が欠如すると、民衆の暴力の見方を私たちは見誤ることになる。 本書の冒頭で酒井隆史の『暴力の哲学』の議論が引かれている。「酒井隆史は『暴力の哲学』のなかで、「暴力はいけない」という道徳的な感覚がはらむ危うさを次のように指摘した。「暴力がいけない」という感覚が、暴力をふるった人への厳罰を要求したり、暴力を抑止するという目的での対外戦争を容認したりするなど、別の暴力(国家による暴力)に対する無感覚を生み出している、と」(本書ii頁)。 これは例えば、神権政治が行われていたジュネーブでも同じようなことが起こっていた。プロテスタントが拠点にしたジュネーヴは、これまでのカトリックのような腐った宗教組織ではなく、また腐った国家に守られる都市ではなく、宗教と生活とが密接に統治が実行されていた。そこで、国家の警察権力や腐ってしまったカトリックのあり方には頼らなくて済む様に、民衆が相互に監視をしあい、時にその度を越して、処罰者を大量に生み出すということになった。民衆が民衆に対して、暴力を振るった事例だ。 また日本でも、戦前でも戦後でも、よくあった。戦前であれば、非国民のレッテルを相互に貼り合う「国民」、現在のコロナ禍であれば自粛警察だってそうだろう。そうこうしているうちに、国家の暴力は増長する。戦争は遂行され、人は死に絶え、COVID-19はパンデミックを起こし、国家の無能により助かったはずの命が亡くなっていく。 これらの観点を歴史学徒らしい手つきで、近世・近代の日本で見定めていく本書は、私が研究している哲学・思想史とはまた違った仕方で、大変興味深い。 近代化の過程の中で、国家の暴力や警察の権力は創設されていくのであるが、民衆の暴力とそれに対峙するという側面がセットになっていくことで、その創設はより強固になっていく。「暴力の正当性を独占」することが可能になった国家、とりわけ警察と軍隊は、新政反対一揆を封じ込めることでその立場を確立していったことが詳らかに描かれている(第一章)。 また近代化の過程には、イデオロギーによって地域や社会や国家を作り上げていこうとする民衆や国家の闘争が浮き彫りになる。本書で取り上げられているのは「秩父事件」である(第二章)。自由民権運動が盛んになる中で、そのイデオロギーが人口に膾炙(かいしゃ)してきたことにより秩父事件へと発展した。しかし、筆者は、それだけではないという。近世から連綿と続く世直し運動からの連続性をも取り上げ、民衆の蜂起へと結びついたのだとまとめている。近代化だけが敵なのではない。生のあり方そのものが問われ、その生のエネルギーの発露が秩父事件だったのではないか。 その生のエネルギーはしかし、近代的な制度化の進行とともに噴出するときに、さらなる展開が見られるようになる。それが日比谷焼き討ち事件である(第三章)。産業労働者、それも男性の労働者の形成過程で、数多くの人々が都市へ移住し、近代日本の下層労働を支えることになる。彼らは「飲む・打つ・買う」の刹那的な生活を送り、日常的に殴り殴られるという経験をしている一方で、その労働のあり方から相互扶助に満ちた仕方で日々を送っていた。「腕っぷしの強さ、豪快さ、剛胆さ、弱きを助ける義侠心」、これこそが価値であった。こうした生のエネルギーの発露は、権力や雇用主、そして富裕層や警察権力といった、自分たちと圧倒的に非対称な存在へと矛先が向かう。東京という大都市での暴動にはこうした労働者が参画したがゆえに、激しいものへと発展していったことが詳らかにされている。ただし、いうまでもないが、やみくもに暴れていたわけではない。「近隣住民と最低限の合意が取れる範囲で暴力を振るっていたのである」(本書、105頁)。 四章と五章は、こうした国家に対峙する暴力ではなく、民衆間の暴力のあり方に焦点が当てられる。ここは2つの位相が見て取れる。1つは、関東大震災時の朝鮮人虐殺、つまり、民衆が民衆に暴力を、それも殺人と虐殺を行なうという仕方でのあり方だ。これについては、わかりやすいものであればイ・ジュンイク監督の『金子文子と朴烈』でもいいし、加藤直樹『九月、東京の路上で』(ころから)も合わせてみてみてもよいだろう。時の内務大臣であった水野錬太郎が朝鮮総督府政務総監時代に、三・一運動の経験から、朝鮮系の人々を虐殺していい旨を容認するという、圧倒的な国家の暴力が前提となっている。 もう一つの位相は、このようにしてまとめられる。「身内の生命が震災で失われた事実を正面から受け止めるよりも、誰かを「敵」として設定して「復讐」できたほうが、やりきれぬ思いを紛らわせられる」(本書、192頁)からではないか。そう筆者は分析する。こうした思いは、朝鮮人に向けられるだけでなく、警察に向けられることもある。暴力のエネルギーは同根なのかもしれない。こうしたエネルギーは、どんな人にだって備わっている。その人が、内務大臣のような人間が垂れ流した国家による流言飛語に乗って、朝鮮人を虐殺してしまったのだ。流言飛語ではなく、警察や国家に抗する流れに身を任せることになれば、本書でも描かれたように、抵抗の暴力として浮かび上がることになる。だから四章・五章では、とりわけ、何を前提として民衆が暴力を顕在化させたのかを注意深く見ていかねばならないだろう。 私たちは、暴力の発露の前提となるもの、前個体的なもの、つまりエネルギーとそれが流れ出る水路をつぶさに見つめなければならないのではないか。ここで、もしかしたら哲学・思想史の出番になるのかもしれない。評者:森元斎(もり・もとなお) 長崎大学多文化社会学部准教授。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了(博士)。専攻は、哲学、思想史。著書に、『国道3号線』(共和国)、『アナキズム入門』(ちくま新書)、『具体性の哲学』(以文社)がある。藤野裕子著『民衆暴力-一揆・暴動・虐殺の日本近代』(中公新書)820円+税月刊「世界」 2021年3月号 258ページ「SEKAI Review of Books -暴力の水源を辿る」から引用 藤野裕子著「民衆暴力」については新しい書評を読む度に藤野先生が何を考えて近代社会の暴力を研究しているのか、次第に理解が深まるような気がします。特に今回の書評は最近公開された映画や芝居を例示して説明している点が理解を助けてくれているように思いました。「暴力はいけない」というのは現代では「常識」のように言われていますが、お題目のように唱えているだけでは暴力を振るった人に厳罰を要求したり、暴力を抑止するという目的の対外戦争を容認するという別の暴力に対する無感覚を生み出す、という警告には耳を傾けるべきと思います。
2021年04月11日
日中戦争に従軍した兵士の日記を書籍にまとめた小林太郎著、笠原十九司・吉田裕編「中国戦線、ある日本人兵士の日記」について、東京大学准教授の岡田泰平氏が4日の「しんぶん赤旗」に、次のような書評を書いている; 最近、歴史学でも注目している自分語りの資料である。この資料を通して戦場の状況と、下級兵士であった著者の心の奥底を垣間見ることができる。奇妙な魅力を持つ日記である。 戦争なき現在の日本の読者にとって、著者の叙述は驚きに薦ちたものであろう。過剰な暴力が、食や自然描写といった日常に並置される。例えば、南京戦後の叙述では、「農園で宿のかざりにするため花をもらって来る。地雷に他の隊のものかゝり7名手も足もぱらぱら。可愛そうに」という具合である。 もう一つの驚きは、死についての叙述の多さと生々しさである。日本人戦友の場合、死に至る経緯が示され、著者の心情が描かれる。その反面、中国人は「弥(にい)」や「豚」とやゆされ、殺害や処刑の場面が淡々と書かれる。例外は、中国人の抵抗があらわになる場合である。村民の一人が日本軍に抵抗し殺される。「可愛さう」だが「北支平和の尊い礎」との感想か加えられる。敵味方を越えた武威が称揚されている。 こうした中、1938年8月に著者は急性大腸炎にかかり、入院を余儀なくされる。当然、武威の称揚は保てない。その代わりに痛みや辛さ、病からの回復、映画や慰問、日本へのノスタルジーが読者を引きつける。 読後感としては、この日記では敵味方に対する価値判断が明らかであり、敵に対する仮借なき暴力は徹底的に正当化される。いわぱテレビ・ゲームのようでもある。この叙述に対して、編者の大変に詳しい解説は、著者(小林氏)の世界観が一人歩きしないためにも必要であろう。ただ、解説により読み方が限定されてしまうのは好ましくなく、1度目は著者の叙述のみを読み、2度目に解説を精読することを勧めたい。最後の驚きは、この著者がここまでの暴力を振るいつつ、全く裁きを受けず、戦後は教育者として生きてきたことである。戦後日本社会の闇の深さを感じる。評者 岡田泰平 東京大学准教授小林太郎著、笠原十九司・吉田裕編「中国戦線、ある日本人兵士の日記」(新日本出版社)3600円2021年4月4日 「しんぶん赤旗」 9ページ 「読書-自分語りから垣間見る戦場心理」から引用 戦争に動員された日本人が中国で何を考え何をしたのかが赤裸々に記述された興味深い本で、通常の歴史の本とは異なる角度から歴史を実感します。ここまでの暴力を振るいながら全く裁きを受けずに、戦後は教育の仕事に従事したとのことですが、そういう事例は多かったのではないかと思います。私の伯父は2回、中国戦線に赴き3回目は国内の駐屯地で初年兵教育に従事しているときに終戦になったと言ってました。これからの日本は戦争はしないほうがいいと思います。国の交戦権を認めない現憲法を守るのが得策です。
2021年04月09日
講談社現代新書から共著で「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」を刊行した鴻上尚史氏は、日本人社会の同調圧力について、3月21日の「しんぶん赤旗」で次のように述べている; 作家・演出家の鴻上尚史さん。評論家・佐藤直樹さんとの共著『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』が評判です。そこに込めた思いとは-。(板倉三枝記者) 著作や演劇を通して「世間」と「同調圧力」について、追求し続けてきました。 「コロナは、今まで水面下にあったいろんなことを明るみに出しました。政府というものの本質、SNSという悪意、”自粛警察”という絶望・・・。世間は変化を嫌う。同調圧力がコロナで狂暴化したことで”自粛警察”が生まれたのだと思います」◆戦時中とそっくり 重ねるのは戦時下の光景です。同調圧力が長じ、「挙国一致」がもたらした悲劇が特攻でした。鴻上さんは4年前、『不死身の特攻兵』で、9回特攻に出撃して9回生きて帰ってきた元特攻兵・佐々木友次さんについて書きました。 「特攻は最初、艦船を沈めることが目的だったのが、途中から『死ぬ』ことが目的になりました。佐々木さんは『とにかく死んでこい!』と何度もののしられた。やっとの思いでフィリピンから帰ってきて、道を歩いていると、石が飛んできたそうです。『おまえらのせいで戦争に負けたのだ』と。切なすぎるエピソードです。これを『分断』といわずして何を分断というのか」 「同調圧力」のシステムとして機能したのが「世間」でした。 「1940年、『七・七禁令』で、ぜいたく品の製造や販売が禁止されました。スローガンは『日本人ならぜいたくは出来ない筈(はず)だ!』。当時は国防婦人会と隣組が一軒一軒回って『反日』を監視し、今はそれをネットが担当しています」◆右も左も関係ない 共著『同調圧力』に対するネット上の評価も、当初は好意的だったのが、途中から「日本の悪口をいってるヤツは反日だ」という意見が急増しました。 「同調圧力を語ることを反日のシンボルにするのかと、悲しい気持ちになりました。だけど保守的な人たちの方が、ガチガチの同調圧力に苦しんでいる人が多いはずで、俺を『反日だ』『左翼だ』と分類している場合じゃないだろう、と。『赤旗』に載ると、保守の人たちに攻撃されるかもしれない。それでも出ることにしたのは、同調圧力は、右も左も関係ないのだと伝えないとヤバい、と思ったからなんです」◆やっぱり大規模PCR もう一つ、右も左も関係ない、と考えるのはPCR検査です。 「昨年の初期は、自治体レベルの大規模な無料のPCR検査をテレビで言うたびに、『医療崩壊させたいのか』と批判されました。気が付いたら、自民党職員が全員PCR検査を受ける、と。『さあ皆さん、抗議しましょう』と僕はツイートしたのだけれど(笑)」 「『たくさんPCR検査をしたら陽性がいっぱい出る。だから医療崩壊する』というのは、『隠せ』ということです。感染者の正確な数字も出ていないのに観念論ばかり押し付けられるところも戦時中とそっくりです」 一方、コロナ禍で前向きな変化も。 「政府へのお任せ意識から日本人が自分の頭で考えるようになったことです。一つひとつ自分で判断するのは大変だし、大きなものに従っていたら今までは何とかなっていた。でも、それではダメかもしれないぞ、と庶民レベルで疑い始めた」◆生徒と光生の信頼壊すブラック校則 話がブラック校則になると、いっそう熱を帯びます。 「僕は、40年ぐらい演出家をやっています。この40年で20歳前後の若者の口ぐせで増えたのは『そんなことしていいんですか』という言葉です。僕は『校則』の刷り込みが大きいと思っています。例えばツーブロックの髪形がなぜ許されないのか。システムそのものを疑う訓練を受けていないんです」 愛媛県生まれ。高校時代、無意味な校則を変えようと生徒会長になりました。しかし生徒指導の先生は「校則は絶対的なものだ」と。 鴻上さんは、県内すべての公立高校の校則を調べます。その過程で自分の学校は女子のストッキングが黒色しか認められていないのに、近くの高校では黒色が禁止と知ります。理由は「黒のストッキングは娼婦(しょうふ)っぽい」・・・。 「いやあ、笑いましたね。校則は絶対なものじゃない。隣の高校さえ、正反対のルールですから。何が悲しいって生徒は先生を尊敬したいわけですよ。その人の口から『黒は娼婦っぽい』と・・・ブラック校則の一番の問題は、生徒と先生の信頼関係を壊すことです。そこには軍隊的な上下関係しか残らない」 両親も小学校の教員でした。鴻上さんが生まれた58年は、教員の勤務評定導入への反対闘争が激しく展開された年でした。 「当時、愛媛県は日教組の組織率が100%近かったけれど、数年で組織率が一桁台に落ちた。最後には父の学校では父一人が組合員。『スト中』という旗を職員室の自分の机に立てて授業をしたそうです。気持ちは『スト中』と。『とうちゃん、それストなの』と子どもの僕は言ってたんだけど・・・(笑)」 両親を尊敬しています。「この人たちは私利私欲なくたたかっていると思ったからです。父親は毎日学級通信を出していましたからね。子ども心に『休めよ』と思った。真理は一つではない、と複眼の視点を与えてくれたのも感謝してます」 鴻上さんは、自分と関係のある身の回りを「世間」、その外側を「社会」と呼びます。「世間は変えられないけど社会は変えられる。政府も”社会”です。自分の頭で考えることがコロナ禍を生き延びる道だと思います」<こうがみ・しょうじ> 1958年愛媛県生まれ。 81年に劇団「第三舞台」を結成。現在は、プロデュースユニット「KOGAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に活動。著書多数。近著に『「空気」を読んでも従わない』『鴻上尚史のほがらか人生相談』、共著『何とかならない時代の幸福論』など2021年3月21日 「しんぶん赤旗」日曜版 3ページ 「『同調圧力』に負けるな」から引用 この記事は日本人社会の同調圧力について、なかなか鋭い分析をしていると思いますが、私が興味を引かれるのは60年前後の教員の勤務評定反対闘争に触れている点です。日教組があの闘争に敗北してから(?)組合の組織率の減少が始まり、民主的な教育委員会が破壊されて国家権力の傀儡となって全国の教職員の労働者としての権利を奪い活動の自由を阻害した結果、教員は生徒の前で政治的発言をすることを避けるようになり、そういう教員の姿を見て育った生徒は「人前で政治の話はするものではない」という妙なマナーを身につけ、日本の学校教育は偉そうな態度で話す人物には忖度するような人間を、大量に育ててきました。その結果、今日のジャーナリズムの世界には、鋭く問題を追及する記者がいなくなり、スクープ記事を書けるのは「文春」と「赤旗」だけになってしまったものと思われます。
2021年04月02日
原子力発電の危険性を子どもにも分かるように説明した絵本が出版されたことについて、20日の東京新聞は次のような紹介記事を掲載している; 原発のリスクを分かりやすく伝える絵本「魔法のヤカン」(愛育出版)が11日に出版された。東大の安冨歩教授が著作「原発危機と『東大話法』」の中で、小さな燃料を放り込むといくらでも熱がでてくる便利なヤカンに原発を例えた文章に、東京都町田市在住のイラストレーター木村恵さん(46)がイラストを添えて絵本化した。(中山洋子) 「原発危機と『東大話法』」は、2011年の福島第一原発事故の翌年に出版された。安冨さんは同書で、危険な原発を監視する役所を「原子力安全庁」と呼ぶような官僚や学者らの欺瞞(ぎまん)的な言い回しが「安全神話」を支え、事故を招いたと批判。その第一章で、魔法のヤカンに例えた原発の便利さと、それを上回る危険性を説いた。 同書に感銘を受けた木村さんは3年ほど前、安冨さんの許可を得て、魔法のヤカンを紙芝居にして学校などで披露。事故10年の節目に合わせて絵本化した。 安冨さんは絵本のあとがきに「この本を読まれた方は、なんだか変だな、という気持ちになられたと思います。それは、原子力発電が、いろいろなことをごまかし、隠すことで、はじめて成り立っているからです」とする一文を寄せた。 2児の母でもある木村さんは事故直後の不安な気持ちを振り返りながら「世界では再生可能エネの普及が進むのに、日本では危機感が薄れている。日々の暮らしで電気をたくさん使ってもその出元について考えてこなかった、私のような人たちに手に取ってもらいたい」と訴える。B5判、36ページ。税別で1600円。2021年3月20日 東京新聞朝刊 23ページ 「東日本大震災10年-原発のごまかし知って」から引用 ウランに中性子線を当てて核分裂を起こすとエネルギーが放出されるが、原爆のように一瞬で爆発させる場合と違って放射線エネルギーを電気エネルギーに返還する場合は、反応速度を極端に遅くする必要があり、発電に必要なエネルギーとして取り出せる時間は数ヶ月から数年で、それを過ぎると人間の技術では制御できなくなるから、制御可能期間を過ぎたウラン燃料は「使用済み核燃料」として原子炉から取り出される。しかし、使用済みウランからの発熱は続くので冷却水をはったプールに保管しているのが現状で、一旦核分裂を始めたウランが放射線を出す「勢い」が半減するのに10万年かかり、さらに放射線を放出して安全な物質に変わるのにさらに10万年かかり、その期間は人間や動物が接近しないように安全に管理されなければらなず、数十万年に渡って安全に管理するコストを考えれば、これほど高価で、しかも危険な発電手段はほかにはありません。昭和30年代は、石炭や石油の埋蔵量には限度があるなどと言われて、原子力は「夢のエネルギー源」と言われた時代がありましたが、これはとんでもない間違いであり「悪夢」であったと言えます。欧米ではその「悪夢」から覚めて、再生可能エネルギーに切り替えつつあるというのに、原爆被害にあった上に原発事故まで経験しておきながら、日本がまだ「再稼働」に拘るのは「異常」と言うほかありません。
2021年03月29日
波多野澄雄著「『徴用工』問題とは何か」(中公新書)について、歴史家で東京大学教授の加藤陽子氏は2月27日の毎日新聞に、次のような書評を書いている; 本書の題名と著者の名前を見て、おやと思われた方は日本外交史に土地勘のある方だろう。日中戦争が日英米蘭戦争へと拡大する論理を、陸軍内の2つの立場に着目し、初めて説得的に描いたのが著者だった。1940年秋のこと、参謀本部は極東からの英蘭の影響力排除こそが日中戦争「解決」の道だと考えたのに対し、陸軍省は対米交渉こそがその答えだと考えた。陸軍の2つの戦略構想を分析したその研究は水際立っていた。 その著者が、なぜ今、日韓関係を揺るがす大問題と格闘しようとしたのか。これをまず考えたい。著者には同じ版元の『国家と歴史』(2011年)という本がある。本書を書いた時、著者の胸に抱かれていた問いは次のようなものだったという。日本政府は、戦争に起因する「負の遺産」にどう向き合ってきたのか。また、国民によって共有可能な歴史認識=公共的記憶はどうしたら持てるのか。 この2つの問いの延長上に今回の本はある。いまだ自国民の公共的記憶すら持てない日本だが、将来的には日韓間で公共的記憶を摺り合わせる作業も必要となろう。その際の土台作りをしておく、これが著者の意図だと思われる。本文と参考文献・資料・年表を合わせて全246頁。決して大部ではない本書からは、書き手の並々ならぬ本気度が伝わってくる。 著者は現在まで、アジア歴史資料センター長等を務めてきた。適切に作成され、保存されて初めて将来の国民の共有財産となしうる公文書の番人、それが著者だ。その人が「徴用工」問題を描くに際し、本分野の最高の成果『歴史認識はどう語られてきたか』(千倉書房)の著者である木村幹氏に初稿の閲読を依頼した事実も、本書の完成度の高さを裏付ける。 事は18年10月、韓国大法院(最高裁)が、原告の韓国人元徴用工に対する賠償を、被告の日本企業に命じたことに始まった。本判決の争点は、原告らの損害賠償請求権が65年の日韓基本条約・日韓請求権協定によって消滅したといえるかどうかにあった。判決は、今回の賠償請求権が、日本企業の反人道的な不法行為を前提とした強制的動員被害者の慰謝料請求権だ、との解釈に立っていた。 本書は実証的な手続きによって、日本の朝鮮統治の特質、戦時労務動員の実態、日韓会談の全容等を精緻に描き出した。その上で著者は、日本の戦時労務動員の性格が、大法院の下した判決、すなわち「植民地支配と直結した日本企業の反人道的不法行為」だと一括するのは難しいのではないか、との判断を下した。 大急ぎで付言するが、著者の議論は、大法院判決を国際法の常識を無視したものだとする雑な評価のレベルの上にあるものではない。著者の着眼点で優れているのは、日本の最高裁判決(07年)を解釈した部分だ。日韓請求権協定によって個人請求権が消滅したとは見なせず、請求権の「放棄」とは、請求権を実体的に消滅させることまでを意味していない、との判断だととらえる。よって、個人請求権が消滅していない、との中核的論点では両国の司法判断は実のところ一致しているのだ。 あとがきで著者は「隣人韓国の歴史的経験を多面的に理解し、それを未来につなげることは、一層重要な営み」とまとめる。共通の土台は作りうるのだ。2021年2月27日 毎日新聞朝刊 13版 12ページ 「今週の本棚-日韓『公共的記憶』への土台作り」から引用 この記事は、一つ一つの文が真実を表現しているように感じられて、読む者の気持ちをすっきりさせてくれる気がする。著者である波多野澄雄氏は、自らの専門分野において先の大戦時に日本側の戦争指導層には、日中戦争の「解決」のために極東から英蘭の影響力を排除するべきという考えと対米交渉を優先すべきとの考えがあったことを明らかにしたことを紹介し、その波多野氏が「徴用工」問題に取り組んだ意義を分かりやすく説明している。いずれ将来は、日韓の間で公共的記憶の摺り合わせ作業をする時代が来るという指摘も示唆に富んでおり、その時までに出来るだけ多くの人々に「『徴用工』問題とは何か」(中公新書)を読んでほしいと思います。
2021年03月14日
義江明子著「推古天皇」(ミネルヴァ書房刊)について、専修大学非常勤講師の伊集院葉子氏が2月28日の「しんぶん赤旗」に、次のような書評を書いている; 女性・女系天稟への関心が高まるなか、わが国初の女帝・推古天皇(554~628年)の評伝が出た。推古が生まれた6世紀は世襲王権の形成期である。天皇の血統を引く男女からまず男性、ついで女性の順で経験豊富な王族長老が、群臣に推挙されて即位した。推古は、夫・敏達(びだつ)天皇死後、皇位をめぐる7年にわたる熾烈(しれつ)な争いを主導し、最終的な勝者として群臣に推戴された。 即位後、推古は仏教を国づくりの中心に置く政策を蘇我馬子と進める。『日本書紀』が記す豊御食炊屋姫(トヨミケカシキヤヒメ)という名は、仏教保護者としての推古をたたえ生前に贈られた名だという。 対隋外交を展開し、長く国政を領導した女帝の死後、後継者選びは難航した。本書の副題「遺命(のちのおおみこと)に従うのみ 群言(まえつきみたちのこと)を待つべからず」は群臣会議での一豪族の発言である。危篤の推古が残した「遺命」に従うべきで群臣の意見は不要というのだ。著者は、『日本書紀』が記録したこのエピソードに、王位継承の歴史上、推古が果たした役割の大きな意味を読みとる。36年にわたり国政で実績を槓んだ推古の言葉だからこそ群臣は尊重せざるを得なかった。推古は、「群臣の推挙によって決められてきた王位継承の歴史に、前王の意志を反映させる王権自律化の一歩を加えた」のである。 推古以後の200年間、天皇の性別は男女ほぽ半々だった。古代は、財産や政治的権威・社会的地位が父方母方双方から継承される双系社会だった。著者が指摘するように、政治から女性を排除するという通念も乏しく、女帝たちは能力を認められて即位したのである。古代の残存史料は大変少なく6~7世紀の人物評伝には非常な困難がともなう。従来、推古の事績の多くは蘇我馬子や厩戸王(うまやどのおう「聖徳太子」)の功績とされてきた。これに対し、可能な限りの史料を精緻かつ批判的に読み直して通説を覆し、推古の生涯と実像に迫ったのが本書である。評者・伊集院葉子(専修大学非常勤講師)義江明子著「推古天皇」(ミネルヴァ書房)<よしえ・あきこ> 48年生まれ.帝京大学名誉教授.『日本古代女帝論』(第40回角川源義賞)ほか。2021年2月28日 「しんぶん赤旗」 9ページ 「実績で王位継承に意志反映さす」から引用 この記事は、普段私たちが意識することのない割には、しかし、重要な情報を提供してくれていると思います。今から1400年前の日本には男尊女卑の習慣がなく、推古天皇の後の200年間は天皇の男女比率がほぼ半々だったとは驚きです。また、仏教を国づくりの中心に置くという政策も、当時としては先進的で賢明な政策であったように思われます。明治の政府のように、にわか作りの国家神道などという怪しげなもので国民を統率するのは、結果論かも知れませんが、うまくは行かなかったし、やはり民族や国境を越えて幅広く支持されている仏教とその文化を国造りの基本とするという政策に着眼した推古天皇は、当時の為政者としては優秀な人物であったことが理解できます。
2021年03月12日
中公新書から「戦後民主主義」を刊行した山本昭宏氏について、2月20日の毎日新聞は次のような著者紹介の記事を掲載している; 「戦後民主主義」を通史として振り返りながら、特に小説や映画、雑誌、テレビなどの文化的な側面からその実像に迫っている。敗戦後の新たな憲法下で育まれてきた「戦後民主主義」は、日本社会にどのように作用し、変容を遂げてきたのか。政治的、思想的な解釈だけでは捉えづらい大きな概念に、多様な領域からアプローチしている。 「戦後民主主義という言葉を土台に皆が好き勝手に議論している、一体何なんだろうと思っていました。厳密に定義するよりも、融通無碍に使われてきた感じを書きたいと考えました」。敬愛する作家、大江健三郎さんが「戦後民主主義者」を自称していたことも執筆のきっかけになった。 「戦後民主主義」の要素として民主主義、平和主義、平等主義を挙げる。軍国主義への深い反省に始まるこの思想は、知識人やマスメディア、教育を通じて幅広く受け入れられた。だが、冷戦下、平和主義は理想主義と批判され、近年では改憲論議が盛んだ。 「戦後民主主義の理想や概念は、人々に内面化されていきます。時代で共有した価値観や気分が流れ込んでいる映画、小説などから、それらを整理したいと考えました」 映画「青い山脈」が提示した新しい価値観、手塚マンガの平和と理想、キャスター・久米宏さんの反戦――。共通して息づいているのは、戦後民主主義的な「素朴」なヒューマニズムだと指摘する。 「戦後民主主義」は批判されるが、それでも「理想を掲げることは大事」と強調した。「自分たちで自分たちのことを決める民主主義、自治の精神は、時代が変わってもなくならないと思います」。さらにコロナ禍での国の対策にも言及し、「主権制限への違和感という形で、戦後民主主義の感性は残っている」と話す。 1984年生まれ。「核と日本人」を巡る論考でも大衆文化を取り込み、検証を深めた。著者のユニークさと幅広さをさらに反映させた一冊だ。<文・棚部秀行>2021年2月20日 毎日新聞朝刊 13版 13ページ 「今週の本棚-内面化された時代の価値観」から引用 今から75年前にスタートした「戦後民主主義」が、その後どのように変容してきたのか、大変興味を引く題名の本だと思います。映画「青い山脈」の原作を書いた石坂洋二郎は、その小説を発表する数年前までは東南アジアの戦場を訪ねて「日本軍の活躍」する報告記事を書いたりしていた作家ですが、どの程度軍国主義を反省したのだろうか、という疑問を感じます。「自分たちで自分たちのことを決める民主主義、自治の精神は、時代が変わってもなくならないと思います」という発言は魅力的ですが、その割には選挙のたびに投票率が下がり続けているのは、気がかりなことです。これからの若い人たちが「軍国主義への深い反省」を正しく引き継いでくれることを願います。
2021年03月03日
渡辺秀樹著『芦部信喜』(岩波書店)について、憲法学者で九州大学教授の南野森氏は1月24日の神奈川新聞に、次のような書評を書いている; 「芦部信喜という憲法学者をご存じですか?」2013年3月、国会でこう問われた安倍首相。歴代首相のなかで突出して憲法改正に執着していたにもかかわらず、その答えはノーであった。だが芦部の名は、専門家でなくとも憲法と真面目に関わろうとする人であれば必ず目にするものである。戦前の憲法学の代表格が美濃部達吉であったように、戦後、美濃部の弟子の宮沢俊義を継いで東大法学部の憲法教授となり、長らく憲法学を牽引してきたのが芦部だったからである。 著者は信濃毎日新聞の記者で、芦部と同じ長野県の伊那北高校の出身である。18年6月から母校の大先輩の軌跡を追う連載を始めた。2年弱、計55回。それをまとめたのが本書である。 芦部の学説を巡る研究は既にあるが、本書が光を当てるのは、芦部がその時々の憲法問題や裁判に実は積極的に関わっていたという、広くは知られていない側面である。 本書には芦部に縁のある13人のインタビューもあり、そのうち憲法学者の樋口陽一が「学者は、研究して論文を著し、後は実務家に任せるのが普通・・・だが、芦部さんは証人として法廷に立ったり、鑑定意見書を裁判所に提出したり、弁護団に助言したりと、多くの憲法訴訟に関与し」たと評価する、その側面である。 自衛隊や生存権、学問の自由など多様で今日的とも言える論点につき、芦部がいかに真摯に憲法理論が裁判実務に反映されるべく努力したかが、本書には活写されている。いわゆる「靖国懇」での芦部の孤軍奮闘についても、著者の情報公開請求によるスクープで新事実が明らかになった。 「自由の基礎法」たる憲法をいかに政治や裁判に根付かせるか。芦部の生き方には、学徒出陣・特攻隊候補生という戦争体験が影響していたのだろう。しかし今や、戦争を知らないどころか芦部の名すら知らない首相が改憲の旗を振る時代である。その前に、本書が読まれてほしいものである。(九州大教授・南野森)渡辺秀樹著『芦部信喜』岩波書店/2090円2021年1月24日 神奈川新聞朝刊 10ページ 「読書-憲法学のスタンダード」から引用 この記事が述べるように、国民主権を規定した新しい憲法が私たちの社会に根付くように努力した芦部信喜先生の功績は高く評価されるべきと思います。記事中の「靖国懇」とは、中曽根内閣が首相の靖国神社参拝を合法的に実施する方法を探るために設置した有識者の会議で、憲法学の専門家として芦部氏も招かれて、おそらく「首相の公式参拝は憲法上は認められない」という当たり前のことを主張したはずですが、結果的にその主張は脇に置かれて、中曽根首相は公式参拝を強行したのでした。しかし、結局国際社会からの批判が強かったために、参拝は一回だけで終わりになりました。その当時の「靖国懇」の議事録は、「公開を前提とした記録ではない」という理由で長らく非公開になっていたものですが、著者の渡辺氏の努力で公開されたのは良かったと思います。
2021年02月15日
赤穂浪士の討ち入りを題材にした小説「いとまの雪」上下刊を発表した伊集院静氏について、16日の東京新聞は次のようなインタビュー記事を掲載している; 開口一番、「どうでしたか」と感想を求められた。面白く一気に読み終えたと伝えると、ほっとしたような笑顔を見せた。「失敗の可能性の方が高いかもしれないが、古希を前にやってみるかと思ったんです」 何十作も書いてきた大家とは思えない謙虚な姿勢だが、それもそのはず。今回挑んだのは「初めての時代小説」。しかも題材は「忠臣蔵」である。何度も歌舞伎や小説の題材となり、誰もが知る四十七士のあだ討ち物語を、中心人物の大石内蔵助の人生に添って描く。まさに直球勝負の高い障壁を自らに課した。 「自分はずっと時代小説の読者でしたが、いいと思うのは藤沢周平の『蝉せみしぐれ』にしても、山本周五郎の『樅もみノ木は残った』にしても、耐える男の物語だと気付いた。そして『忠臣蔵』こそ、じっと耐え抜く、気骨ある男の生き方が描けると思ったんです」 副題に「新説忠臣蔵」と銘打つ通り、新解釈も織り込んだ。「調べて感じたのは、討ち入りの成功は奇跡に近いということ。優れた経済官僚が背景にいたのでは」。その視点から、藩の財政を支えた「赤穂の塩」に注目。そこに四十八番目の浪士という謎も絡めた。「生きるお金とは何かということも伝えたかった」 実は近年、忠臣蔵を扱う小説は数えるほどしか出ていない。君主への忠義を美徳とする物語は、現代にはそぐわないのか――。しかし執筆するうち「浪士たちの根底に流れるものが、実は戦後の日本の経済力を支えたんじゃないか」との考えに至った。「それは忠誠心というより、耐える力だね。耐えると决めたら、とことん耐える。そういう人たちがいるのが日本の国だと分かってもらいたい」 執筆後の昨年一月、くも膜下出血で倒れたが、後遺症もなく回復。小説やエッセーの連載も順次再開させた。「たばこをやめ、お酒も十分の一に減らした。次の時代小説では誰を書こうかと考えています」 エッセー『大人の流儀』シリーズをはじめ、力強い言葉の数々で読者を励ましてきた。コロナ禍の困難な時代にこそ、その言葉を求める人は多いはず。そう伝えると、期待通りの答えが返ってきた。「人類が感染症に敗れたことは一度たりともない。必ず最後は彼らを追いやり、元の生活に戻った。なぜかというと耐えたからです。耐えるという精神を皆で共有すること。大事なのはこれですね」KADOKAWA・各1870円。(樋口薫)2021年1月16日 東京新聞朝刊 8ページ 「書く人-耐え抜く男の生き方」から引用 この記事にも書かれているように、忠臣蔵は実際に江戸時代にあった事件を題材にした物語で、江戸時代から今日に至るまで繰り返して歌舞伎や芝居、小説、映画、テレビドラマで語り継がれてきたもので、その「物語」が伊集院氏によって新たな小説になったことに、私は興味を感じます。ドナルド・キーン氏やサイデンステッカー氏のような熱心な日本文化研究者はいますが、「(何事にも耐える、)そういう人たちがいるのが日本の国だと分かってもらいたい」と、まるで日本人国粋主義者のような発言を聞けば、民族文化という「分類」は単に事務的な分類に過ぎず、民族の血が文化を体現するというのは「錯覚」であり、「民族文化」と言えども血縁に因らず、長くその社会で暮らせば身につくものだということを示唆しているように思います。
2021年01月31日
昨年9月刊行のエッセイ集、小田島隆著「日本語を、取り戻す」の中に、安倍前政権最大の罪は「国の文化と社会を破壊したことだ」とする次のような文章がある; 安倍政権には言いたいことがいっぱいある。まず、対米追従&対露弱腰外交は「売国」という古い言葉を召喚してこないと形容しきれないと思っている。経済では、消費増税によって、アペノミクスの3本の矢を焚き付けの薪として炎上させてしまった。これだけでも退陣の理由としては十分だ。とはいえ、外交は相手あってのことだ。経済もまた、運不運の要素を含んでいる。なので、失策のすべてを安倍さんのせいにするつもりはない。ここは見逃してさしあげても良い。 政権の罪は、むしろ、彼らの日常動作の中にある。たとえば、行政文書を前例通りに記録・保存するという行政の担当者としてのあたりまえの習慣を、安倍晋三氏とその追随者たちは、政権を担当したこの8年の間に完膚なきまでに破壊した。それだけではない。彼らは、自分たちの政治資金の出納を真っ当に報告するという、政治家としての最も基本的な義務すら果たしていない。かてて加えて、安倍政権の中枢に連なるメンバーは、正確な日本語を使い、公の場でウソをつかないという、日本の大人として守るべき規範をさえきれいにかなぐり捨ててしまっている。おかげで、わたくしどものこの日本の社会では、日本語が意味を喪失し、行政文書が紙ゴミに変貌してしまっている。でもって、血統と人脈とおべっかと忖度ばかりがものを言う、寒々とした前近代がよみがえりつつある。 結論を述べる。安倍政権は外交と経済をしくじり、政治的に失敗しただけではない。より重要なのは、彼らがこの国の文化と社会を破壊したことだ。私はそう思っている。一刻も早くこの国から消えてもらいたいと思っている。(「日刊ゲンダイ」2020年2月23日)小田島隆著「日本語を、取り戻す」(亜紀書房刊) 12ページ「最大の罪は国の文化と社会を破壊したこと」から引用 確かに、安倍政権の8年間の国会審議は野党の質問に対して、わざと論点をずらして答えをはぐらかし、形だけ如何にも応答したかのような素振りを見せるだけで、野党が提起した疑問も質問も何も解決しないまま押し通すだけとなり、結果として国会審議が空洞化してしまった。本来であれば、そのような不誠実な国会対応をメディアがしっかり監視し批判するべきであったが、上層部が首相と会食を重ねるような体たらくではそれもなかなか難しく、前政権が破壊した文化と社会を立て直すのは、容易な作業ではないように思われる。
2021年01月26日
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