1

アメリカのAI開発の大手企業のトップが、イスラエルによるガザのホロコーストで大きな利益を取得したことを、ある国際学会の晩さん会で自慢げに披露したことについて、文筆家の師岡カリーマ氏は8月22日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 「わが社にとってガザの出来事はすこぶる有益だった」。ある国際会議の晩餐(ばんさん)会で参加者の一人がそう宣(のたま)ったそうだ。たまたま隣に居合わせたギリシヤ元財務相で経済学者のY・バルファキス氏が明かした。その「わが社」とはパランティア・テクノロジーズ。米国のデータ解析大手である。爆撃下、人口密度の高いガザで逃げ惑う住民のスマホが発するデータがAIの学習に役立ったと説明。事実なら、無防備な市民の殺戮(さつりく)から利益を得つつ、良心の呵責(かしゃく)などかけらもない発言だ。そして今、こういう会社が開発したAIを自衛隊の指揮系統に導入することが検討されている。日本国民の理念にふさわしい血税の使い方だろうか。 同社のシステムは、イラン戦などで軍事利用されている。利益を享受する一方、3年連続で連邦所得税を納めていないという。そのかわり、幹部がトランプ大統領の支援団体やご自慢の宴会場建設に数億円を寄付。 ただし、テック業界最大のトランプへの献金者はチャットGPTで知られるオープンAI社長夫妻で、約40億円。こちらも軍との協力に名乗りを上げた。一部米国市民の間でボイコットや解約運動が広がっているのも頷(うなず)ける。有料版でトランプへの寄付に貢献するなど論外だし、無料版なら「ある商品が無料の場合、実はあなたが商品だ」という誰かの言葉も浮かぶ。(文筆家)2026年8月22日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-理念と血税のAI選び」から引用 この記事では、筆者の心の中の怒りが筆者の意図に反してほとばしり出ているようで、その影響で表現が難解になっている気がします。結局、英米はドイツのユダヤ人に対するホロコーストを「人道に反する蛮行」などと言って批判はするが、それではドイツ人と違って英米のアングロサクソンは「決して人道に反する蛮行などはしない、善良な民族なのか」と言えば、答えは「ノー」であり、条件さえそろえばイギリス人もアメリカ人も、また日本人も、ナチスドイツと同じレベルの残虐な事件を起こしかねない「危うい」存在なのだということを、つくづく考えてしまいました。
2026年09月06日
閲覧総数 25
2

能力がない上に根性が悪いときたのでは、周囲の補佐官がどんなに辛い思いをするか、毎日新聞特別編集委員の伊藤智永氏は7月25日付同紙コラムに、次のように書いている; 高市早苗首相に仕える政府高官がぽつりと漏らした。 「考えるのがつらい」 言葉はそれだけだが、前後の会話から察するに、のみ込んだ一言は「総理のことを」だった。 そんたくの少ない別の高官に水を向けると、こういう解説になる。 「そんなことも分かってないのって驚かされることが多く、知っているつもりでも目配り不足で間違っているのに、資料読むだけで誰の説明も聞かないから」 国会が終わる。通常国会は召集日に「私を選んで解散」のため1日で閉幕。選挙後に召集された特別国会が約5カ月続いた。 手続き以上に異常だったのは中身だ。何せ行政府の長が国会に出たがらない。議論を嫌い、一方的に話すか、ごまかす。議会の慣例を無視し「首相の命令や」でゴリ押ししようとする。批判には「私寝てないの」「家事も大変」「体が痛い」とSNSで愁訴する。 型破りな行状は人柄か能力か。周囲は「両方難あり」と口をそろえるが、低落気味でも依然高い支持率におびえ、言葉をのみ込む。省庁・閣僚・党役員人事が近いだけに、なおさらだ。 自民党職員が昔「条件の不利な自分はウソをついてもいいと信じている人」と形容していた。 それを思い出したのは、ネットのニュース番組で田中真紀子元外相が、1993年初当選同期としての思い出を語っていたからだ。32歳と49歳で議場席は隣同士。ある日、トイレで高市氏に呼び止められ、言われたという。 「なぜ政治家になったの。あなたは角栄さんの娘だからだろうけど、私はそうじゃないのよ」 「あなたと私は違うんです」。そう宣言されたと田中氏は受けとめ「アホか」と思ったが、むき出しの若き野望はSNS選挙の時流に乗り、権力を極めた。 今国会の目玉となった国旗損壊罪創設や皇室典範改正の衆院本会議採決で、くたびれた顔のおじさん議員に囲まれ、高市氏は一人感無量の面持ちでほほ笑んでいた。あの一種異様な笑みを、人柄や能力で理解するのは難しい。 日の丸と天皇制。戦争の記憶と結びつく国の二つの象徴は、戦後日本を築く上で日本人が自らを省みる戒めとなり、軍事タブーのフィルターでもあった。 二つの象徴を「戦後の呪縛」から解き放ちたい。先には憲法がある。野望を抱き続けるには、大きな物語も必要だったのだ。 それを無邪気な「サナエ推し」がもり立て、健康な議論を封じているなら、そこには紛れもない政治責任が伴う。(専門編集委員)2026年7月25日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-サナエ推しの政治責任」から引用 この記事は、一応高市批判の内容となっているが、私は「まだ甘い」と思います。むかし自民党職員が「条件の不利な自分はウソをついてもいいのだと信じている人だ」と形容していたとのことであるが、それは現在の彼女にも言える状態なのだと思います。世論調査に現れる高市支持層を「無邪気なサナエ推し」などと表現してますが、それはもしかしたら、内閣機密費を「スマホ農場」につぎ込んで野党候補者を誹謗中傷した結果で得られた「衆議院議席3分の2超」によるもので、「政治責任」どころか「刑事責任」を問わなければならない事態なのかも知れないという「観点」から、問題を追及する使命が、報道機関にはあるのではないかと思います。
2026年08月16日
閲覧総数 46
3

皇位の継承は2600年の伝統などと言うデタラメを公の場で発言する自民党議員が出てきたことについて、法政大学名誉教授で元総長の田中優子氏は、8月21日付「週刊金曜日」の巻頭コラムに、次のように書いている;「皇室典範改正」に関わる自民党議員や日本維新の会の発言を聞いて、私は仰天し吹き出してしまった。複数の自民党議員が「皇位の男系継承は、2600年以上にわたって先人たちが守り抜いてきた皇統」と公式に発言しているのである。維新共同代表の藤田文武衆院議員は「本年は皇紀2686年」と言ったらしい。これを計算すると、天皇制は紀元前660年から存在することになる。 年表を見ればわかるが、日本はまだ縄文時代だ。世界史の区分では新石器時代である。日本には文字も存在しない。そもそも私は学校で、神武天皇は実在しないと教わった。ではなぜ神武天皇が最初の天皇だと力説するのかと言えば『古事記』『日本書紀』にそう書いてあるからだ。根拠はそれしかない。その根拠で言えば、神武天皇の父は雌のサメから生まれた。文献ではワニとあるが、日本列島にワニはいなかったのでサメのことだ。その母サメは産後、海に帰ってしまった。神武天皇の父が大人になると、母の妹(つまりおばさん)は神武天皇の父との間に神武天皇を産んだ。サメの妹はやっぱりサメでしょう。 「それは神話だ」と言うのであれば神武天皇も神話になる。記紀の記述が事実と言うなら、サメとの近親相かんも事実になる。これを信じる議員たちの頭の中はサメなみにすごい。 では事実を科学的に検証するにはどうしたらよいか。奈良県橿原市に神武天皇陵つまりお墓があるので、その中から骨を取り出してDNAを調べればよい。そうすれば万世一系かどうかも簡単にわかる。127歳まで生きたというが、その真偽も明らかになる。なぜそれをしないのだろうか。 理由がある。この墓は1863年に公武合体政策でなんとか生き延びようとしていた江戸幕府が天皇家に命じられたのか、神武天皇陵だと決めた場所だからだ。根拠は不明である。その後修復が重ねられ、今の形になったのは1940年だというから戦時中だ。恐らく発掘しても何も出ないか、骨が出たとしても誰のものかわからないだろう。サメのDNA入りだったら「当たり」だが。 中国由来の「天皇」称号を最初に使ったのが天武天皇だった。神武から1333年後のことだ。『古事記』『日本書紀』の編纂もこれ以降に始まったので当然、「天皇」と記載している。 詐欺が横行している。私たちにできることは、自分で調べ学び、確かなことだけを心に留めておくことだ。2026年8月21日 「週刊金曜日」 1581号 3ページ 「風速計-サメのサギにご注意!」から引用 戦前の日本は、政府が「天皇は神様の子孫だ」と号令をかければ、それに異議を唱える者は「非国民」と呼ばれて刑務所に収監され、「天皇陛下は神様の子孫です」と言うまで出てくることができない、そういう社会であったが、今では科学に基づいた歴史観が世間の一般的な認識になっており、天皇が神様の子孫だなどと思う人間は皆無であると、私は思っていたが、優秀な大学を卒業して官僚から政治家になった「優秀なはず」の議員が誰はばかることなく「皇紀2600年の伝統」などと言い出すのでは、もはや「世も末」と思わざるを得ません。しかし、事実は、「皇紀2600年」の根拠は今から1300年ほど前に書き記された「古事記」であり、そこには「神武天皇の祖先はサメだった」と書かれている、それが「事実」であって、「神武天皇の祖先は神様」などとは書かれてはいない、これが「事実」であることを、私たちはこれからを背負って立つ若い人たちに、しっかりと伝えていくべきだと思います。
2026年09月05日
閲覧総数 26
4

安倍晋三首相は、かつて自派の下関市長の再選のために暴力団「工藤会」を使って対立候補への誹謗中傷をやらせ、首尾良く仲間の市長を再選させることに成功しました。ところが、そのとき「工藤会」に約束した500万円の支払いを300万円に値切ったため、アタマにきた暴力団は安倍氏の自宅に火焔瓶を投げ込むという事件に及び、犯人は逮捕されて裁判にかけられ、その法廷で安倍氏の事務所と暴力団の関係が世間の知るところとなってしまいました。その詳細を、フリーライターの山口祐二郎氏が「週刊金曜日」2月5日号に、次のようにリポートしています; 近年、警察の暴力団に対する弾圧は異常なレベルに達している。昨年から分裂騒動に見舞われる山口組は言わずもがなだが、とりわけ、特定危険指定暴力団にまで指定されている福岡県北九州市小倉北区に総本部を置く暴力団「工藤会」に対する警察の弾圧は、私には過剰としか思えない。 2015年6月、警察庁の金高雅仁(かねだかまさひと)長官は東京都内で開かれた記者会見で、工藤会対策についてこう言い放った。「組織のトップを死刑や無期懲役にもっていき、二度と組に戻れない状態をつくり、恐怖による内部支配を崩していこうという戦略だ。徹底した捜査を遂げるということで臨んでいる」 勇ましい発言だが、この工藤会、実は安倍晋三首相とのただならぬ関係が指摘された組織である。◆安倍後援会事務所と安倍宅に火炎瓶 2000年、山口県下関市にある安倍晋三の実家と後援会事務所に、工藤会組員が火炎瓶を投げ込むという衝撃的な事件が起きた。被告となった工藤会関係者らはのちの裁判で、火炎瓶を投げ込むに至った経緯をこと細かく暴露している。判決文を読めば安倍首相および安倍事務所の所業は”クロ”であることがわかるだろう。 判決文の「犯罪事実」には淡々とこう記されている。<被告人Aは、指定暴力団D組長、同Bは、同Aと親交を結ぶ者、同Cは、上記D組副組長であるが、被告人3名は、E及びFと共謀の上、同Bが恨みを抱いていた衆議院議員Gの後援会事務所あるいはG方に火炎ぴんを投げ入れてこれらに放火しようと企て、平成12年6月14日午前3時13分ころ、山口県下関市a町b丁目d番2号付近路上において、ガソリンを注入したビールぴん2本の口部に布片を装着して点火装置とした火炎ぴん2本にそれぞれ点火した上……(後略)> 判決文のいう「衆議院議員G」が安倍晋三のことである。「被告人A」が工藤会組長、「被告人B」が小山佐市(当時、会社社長・ブローカーで裏社会と太いパイプがある人物)、「W」が佐伯仲之(当時、安倍晋三の秘書、のちに下関市議)、「E及びF」は当時の工藤会組員である。 判決文は事件に至るまでの経緯をこう記す。<被告人BがG議員に対し、怨恨を持つに至った経緯(中略)自己の経営するSの資金繰りが苦しかった被告人Bは、G議員の地元秘書でかねてから交際していたWに対し、平成11年に行われた下関市長選挙で自派と対立するX候補を当選させないように活動して貢献したと主張して金員の支払いを要求し、300万円の提供を受けた> さらにこの判決文には、G議員側から頼まれて下関市長選でX候補を当遺させないよう活動したのに、G議員(安倍晋三)の秘書にハメられて、警察に逮捕されたと「被告人B」小山佐市が話していたことが出てくる。 やや複雑だが、事件の概略はこういうことだ。 工藤会関係者・小山佐市と、安倍晋三の秘書・佐伯伸之は昵懇(じっこん)の仲であった。1999年の下関市長選で、安倍事務所は安倍と近い現職の江島潔市長(現参議院議員)を再選させるべく、対立候補の古賀敬章氏を誹藷中傷する”業務”を工藤会に依頼した。依頼したのは佐伯であり、依頼を受けたのは小山である。約束した報酬額は500万円だった。工藤会はこの”業務”を貫徹し、江島氏は再選を果たす。しかし安倍事務所から支払われたのは300万円だけで、残り200万円は支払われなかったため、安倍事務所に火炎瓶が投げ込まれた!。 事務所や自宅に火炎瓶を投げ込むなど、もちろん犯罪行為だ。しかし工藤会側からすれば、頼まれた”業務”を完遂したのにもかかわらず、安倍事務所側は約束を反故にした。約束していた報酬額が支払われなかったとすれば、怒るのも当然といえる。 本誌は安倍晋三事務所に質問書を送り、判決文の内容に間違いはないか、事実だとすれば、暴力団に”業務”を依頼したことを現在どう考えているのか見解を問うた。しかし安倍事務所から誠意ある回答はなかった。事務所員は「担当者に質問内容は伝わっている」と説明したが、期限をすぎても返事はなかった。工藤会との間に後ろめたいものが何もなければ、そう説明すれば済む話ではないか。◆都合悪くなれば切るのか 1月28日には安倍内閣の重要閣僚である甘利明経済再生相が金銭スキャンダルで辞任した。このスキャンダルでも告発者が元右翼団体に所属していたなどと政府を擁護したいメディアが書き立てているが、そうであるなら、安倍晋三事務所が暴力団を利用していた事実はどう評価されようか。ここでも安倍は甘利のように「秘書がやった」で済ますつもりか。 私は暴力団の味方はしない。しかし、2010年から各地で施行されはじめた暴力団排除条例は、日本国憲法が定める基本的人権の尊重を無視している、と言わざるをえない。部屋も借りられない、銀行口座もつくれない。それでこの社会でどうやって生きていけというのか。現在の日本は、暴力団員であるというだけで人間扱いしない国になってしまった。 福岡県警のホームページには、目を疑う写真が掲載されている。安倍晋三が、福岡県の中洲暴力団追放パレードに参加し、「暴力団を利用しないぞ!!中洲を笑顔と夢がある街にするぞ!!」と訴えて歩いているのだ。この人は安倍事務所がかつて工藤会を利用した事実をどう考えているのだろうか。 この国の総理大臣がこれでは、警察庁が推し進めている暴力団排除条例の説得力はゼロである。安倍晋三は本当に「暴力団を利用しない」と主張するのなら、自身の過去を国民に説明すべきである。 暴力団を裁くのであれば、暴力団を利用してきた者や団体も同時に裁くべきだ。利用するだけ利用し、暴力団との関係が問題とされる時代に変わると関係を絶ち切り、まるで何もなかったかのように振る舞うのは卑怯きわまりない行為である。◆安倍晋三首相は辞任せよ 昨年国会で大揉めとなった安保法制をはじめとし、特定秘密保護法、マイナンバー制度、軽減税率導入など、安倍政権は国民が求めたものではなく、米国や与党公明党の声を重視した施策を一つひとつ断行してきた。国民の批判の声を無視しながら。 安倍晋三は工藤会との関係まで無視するつもりか。堂々と言うべきである。政治家にとって一番大切なことは、在野の民に対して潔白であることだろう。いつまで民を欺くつもりか。 いまだにメディアは事件の検証をやらない。判決文が眠ったままでいるのなら、ここで表に出し、安倍晋三という総理の資質を問わねばならない。工藤会を利用した人間が一国の総理大臣であるのはおかしい。暴力団を利用してきた総理を国民は望んではいない。速やかに辞職するべきである。(文中一部敬称略)<やまぐち ゆうじろう・フリーライター>2016年2月5日 「週刊金曜日」1074号 14ページ「暴力団『工藤会』を利用し、自宅に火炎瓶を投げ込まれた安倍晋三首相の過去」から引用 しかし、いくら厳しい選挙戦だからといって、暴力団を使って相手候補を誹謗中傷するというのは、いかがなものでしょうか。こういうことをする人物がわが国の首相に相応しい資質を持っていると言えるでしょうか。その上、いくら相手が暴力団だからといって、一度約束したことを履行しないというのも問題で、誰も知らないと思って「暴力団追放」のパレードの先頭にたって歩く神経は尋常ではありません。安倍首相は、この問題について正式な記者会見を開いて、どう思っているのか国民に説明する責任があると思います。「週刊文春」も芸能人のスキャンダルを追いかけるヒマに、こういう問題も徹底追求するべきではないでしょうか。
2016年02月12日
閲覧総数 46794
5

3月の国会審議で維新の会の議員が「河野談話」に対する疑念を口にし見直しを要求する発言をしたとき、日ごろ「河野談話」を継承していると公言している安倍政権は、この維新の会議員の発言に反論せず、かえって迎合する答弁をして世の中を呆れさせました。この事態を憂慮した日本共産党の志位委員長は、政府に成り代わって「河野談話」発表のいきさつと見直しが必要ない理由など詳細を記述した「歴史の偽造は許されない」と題する見解を発表し、関係各方面から高く評価されました。3月23日の「しんぶん赤旗」は、次のように報道しています; 日本軍「慰安婦」問題での河野洋平官房長官(当時)の「談話」(1993年8月4日)について、「日本維新の会」の議員らが国会で攻撃し、「見直せ」と主張しています。そんな動きに全面的に反論したのが、日本共産党の志位和夫委員長の見解「歴史の偽造は許されない-『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題の真実」(14日発表)です。ポイントを紹介します。 全文は15日付「赤旗」日刊紙と党ホームページに掲載されています。 まず「河野談話」とは何か-。 日本軍「慰安婦」とされた韓国などの女性たちが日本政府に謝罪と償いを求めるなか、政府は1991年12月から調査を開始。一連の調査の結論として示した政府見解が「河野談話」です。◆「談話」が認めた事実と攻撃の特徴 「河野談話」は、次の五つの事実を認定しています。 (1)「慰安所」「慰安婦」の存在-「長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在した」(「談話」以下同) (2)「慰安所」の設置、管理などへの軍の関与-「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営され」「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」 (3)「慰安婦」とされる過程が「本人たちの意思に反し」強制性があった-「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」 (4)「慰安所」における強制性=強制使役のもとに置かれた-「慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった」 (5)「慰安婦」多数が日本の植民地の朝鮮半島出身者で、募集、移送、管理などは「本人たちの意思に反し」、強制性があった-「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば朝鮮半島が大きな比重を占めていた」「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」 こうした事実認定のうえで「河野談話」は、「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」「従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と表明。「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」とのべたのです。 「河野談話」を攻撃する勢力は、(1)「慰安婦」強制連行の証拠はない(2)元「慰安婦」証言に裏づけはない-と主張。前述の五つの事実認定のうち第3に攻撃を絞り、全体に信びょう性がないかのように攻撃しているのです。 しかし、こうした手口そのものが一面的です。 志位氏は、女性たちがどんな形で「慰安所」に来たにせよ、「ひとたび日本軍『慰安所』に入れば性奴隷状態とされた事実は、多数の被害者の証言とともに、旧日本軍の公文書などに照らしても動かすことができない」と強調しました。「河野談話」見直し派が口を閉ざすこの事実こそ、「軍性奴隷制」として、世界から厳しく批判される日本軍「慰安婦」制度の「最大の問題」なのです。 では、「慰安婦」とされる過程には強制性はなかったのか-。志位氏はこの主張にも反論しました。◆経過を無視した「談話」攻撃 この主張の第一の問題点は「談話」にいたる経過を無視していることです。 日本政府は韓国から「強制運行の事実を認めよ」と提起され、91年から本格調査に乗り出しました。その結果、92年に、加藤紘一官房長官(当時)が政府(軍)の関与を認める談話(加藤談話)を発表。しかし、「強制連行」、つまり「本人の意思に反して慰安婦とされた」事実を立証する公文書が発見されないとして再調査しましたが、結局、見つけられませんでした。 当時の国内法や国際法でも、拉致や誘拐などは犯罪。それを指示する公文書が仮にあったとしても、敗戦で処分されたことが推測されます。 政府は、最終的判断をするため調査団を韓国に派遣。初めて元「慰安婦」16人から直接聞き取り調査をしました。その結果、政府は「慰安婦」とされた過程にも「強制性があったことは間違いない」と判断したのです。 その理由を河野氏は次のようにのべています。 「話を聞いてみると、それはもう明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信びょう性がある、信頼するに十分足りるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えるということがわかってきました」(注) 見直し派は、日本政府が証言の「裏付け調査をしていない」と主張します。しかし、聞き取り調査の目的は、刑事裁判のように個々の異体的犯罪事実を特定することではありません。「意思に反して慰安婦とされた」という訴えの真実性を総合的に判断することが最大の目的でした。 当時の政府は、仮に「局部的な思い違い」などがあったとしても、16人の証言の全体と当時の資料等を「総合的に判断」すれば、「慰安婦」とされる過程で強制性があったことは否定できないIと判断しました。「公正で正当」(志位氏)な判断でした。 (注)『オーラルヒストリー アジア女性基金』に収録されたインタビュー◆日本の司法が事実を認定 見直し派による攻撃の第2の問題点は、「談話」発表後、明らかにされた無数の証拠を無視していることです。 なかでも、日本の裁判所による事実認定はきわめて重い意味があります。 各国の元「慰安婦」が日本政府を被告として謝罪と賠償を求めた裁判は10件にのぼります。それらの裁判の結論は原告の賠償請求を認めませんでした。しかし8件の裁判の判決は、女性35人(韓国10、中国24、オランダ1。26人は10代の未成年)の全員について、「慰安婦」とされた過程に「強制性」があったと認定しました。例えば-。 「日本人と朝鮮人が来て『日本の工場に働きに行けば、1年もすれば嫁入り支度もできる』と持ちかけられ、断ったものの、強制的にラングーンに連れて行かれ、慰安所に入れられ(た)」(韓国人) 「3人の中国人と3人の武装した日本軍兵士によって無理やり自宅から連れ出され・・・日本軍駐屯地に拉致・運行され…監禁された」(中国人) 被害事実を認定しただけではありません。判決は「ナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」などと厳しく断罪しています。2014年3月23日 「しんぶん赤旗」日曜版 6ページ「『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題」から引用 従軍慰安婦の問題も南京大虐殺と同様で、学問的な研究によってその実態が明らかになっており日本政府に責任があることは明白な事実で、そのことは司法によっても認められています。ところが、安倍晋三を代表とする「都合の悪い歴史はなかったことにしたい」修正主義者は、「強制連行を指示した公文書がない」だの高齢化した元慰安婦の女性の証言内容に部分的な思い違いがあると「うそを証言している」だのと本質とは関係ない部分を針小棒大に取り上げて騒いで、それで従軍慰安婦など無かったという話にもっていこうとする。一国の首相のとる態度ではありません。「河野談話」に対する意味の無い攻撃はやめるべきです。
2014年04月01日
閲覧総数 23
6

鯨やイルカを食べると、体に水銀が溜まることが明らかになったと、10日の朝日新聞が報道している; 「捕鯨の町」として知られる和歌山県太地町の住民約1千人について、環境省国立水俣病総合研究センターが調査した結果、毛髪の水銀濃度が全国平均の約4倍に当たることがわかった。同センターが9日、発表した。うち43人が世界保健機関(WHO)の安全基準を超えた。鯨肉を食べる習慣との関連が示唆されたという。水銀中毒症状など健康被害は認められなかったが、同センターの岡本浩二所長は「高濃度の人もいるので調査は続ける」として、研究班の設置を検討している。 調査は同センターが太地町の要請を受け、2009年6~8月と10年2月に実施し、住民3526人のうち協力の得られた1137人について測定した。 その結果、毛髪水銀濃度は平均8・26ppm(ppmは100万分の1)で、同センターが調査した全国14地域の平均2・12ppmの3・9倍だった。男性は11・0ppm、女性は6・63ppm。WHOが神経障害などを発症しかねない基準とする50ppmを超えたのは43人で、最も高かったのは70代男性の139ppm。 水銀濃度が高かった人や希望者の計182人を対象に、神経内科の専門医が視力や聴力、手の震えなど健康への影響を調べたが、水銀中毒の可能性が疑われる住民はいなかった。水俣病を発症した患者の水銀濃度は100~700ppm程度との調査がある。 最近1カ月の間に鯨やイルカを食べたかどうかも調べた。「食べた」という住民の水銀濃度は男性が15・2ppm、女性が9・75ppm。「食べていない」とした男性は8・30ppm、女性は5・64ppmだった。同センターは「鯨肉などの摂取量と毛髪水銀濃度の間には関係が認められた」とした。 鯨の水銀汚染については、地表から流れ出た水銀がプランクトンから魚、鯨へと食物連鎖で濃縮され、連鎖の上位にある大型の魚や鯨に多く含まれるようになっていると指摘されている。(長崎緑子)2010年5月10日 朝日新聞朝刊 14版 30ページ「『捕鯨の町』太地、毛髪の水銀4倍」から引用 鯨肉以外にたんぱく質摂取が難しかった昔ではないのだから、もう鯨を食べる習慣はやめたほうがいい。
2010年05月28日
閲覧総数 53
7

元放送記者の藤田文知氏は、衆議院の選挙戦について22日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている; 衆院選公示日の各党首の第一声について、テレビのワイドショーは11日の放送で、各党首が何を訴えたかを項目別の時間数を出しながら分析しました。「森友・加計(かけ)」の世論調査では、7~8割の人が「森友・加計問題は政府の説明不足」という結果が出ています。このテーマを安倍晋三首相がどう言い訳するか、注目されました。 テレビの分析によると、各党首の第一声では、この問題について安倍首相は一言も触れず、もっとも時間を割いたのは共産党の志位委員長でした。 安倍首相は、8日の日本記者クラブの党首討論会では、「これまで国会でていねいに説明してきた」「妻の昭恵については自分が説明してきた」「(加計学園の)加計孝太郎理事長が会見するかは本人の問題」などと発言。疑惑解明にはほど遠い答えでした。 党首の討論会がテレビ各社で行われましたが、「森友・加計」疑惑を積極的に取り上げたのは、「NEW23」(TBS)と「報道ステーション」(テレビ朝日)の2番組。国民の「政府の説明不足」の声を代弁し、健闘しているといえます。しかし安倍首相の答弁に新しい内容は一切なく、依然として疑惑は闇の中です。 この間題のキーマンは、志位委員長が語っていたように安倍昭恵氏と加計孝太郎氏の2人。この2人さえ国会に呼んで話を聞けば済むことです。 公示前には、聴衆のヤジを警戒して、安倍首相の遊説日程を公表しませんでした。レーダーに感知されないステルス戦闘機に例えて「ステルス作戦」と称されました。 安倍首相は、遊説日程を公表しないことへの批判を受け、公示後は公表しています。しかし、いっときとはいえ、遊説日程を隠したことは、「安倍首相自身が批判を浴びたくないから逃げ回っている」ことにほかなりません。隠したいことを暴くことはメディアの重要な役割です。(ふじた・ふみとも=元放送記者)2017年10月22日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-『森友・加計』の闇を暴け」から引用 安倍首相の目論見としては、衆議院を解散して総選挙ということになれば、選挙戦が過熱して世間は「森友」や「加計」を忘れるだろうという計算だったと思いますが、その目論見はどうも外れたようで、丁寧に説明するという口上とは裏腹に、逃げ回っているばかり、さすがにテレビ局のスタジオの中は逃げ回るわけにもいかず、そういう場合は「これまで国会で説明してきた」と強弁する始末。そんな態度の首相には世論調査の結果を見せて、国民は納得していないのだという現実を見せつけて追及するべきでしたが、そこまでやるテレビ局がなかったのは残念でした。しかし、都議会選挙で秋葉原の洗礼を受けた自民党は、首相が演説する場所には屈強な体躯のガードマンを多数配置して、一言でもヤジを飛ばそうものなら、瞬時に数人のガードマンに取り囲まれて「排除」されてしまう暴力的な環境ができていました。その上、演説が始まる前には君が代が演奏されたり日の丸の旗が振られたり、ファシズムに向かって一直線という雰囲気でした。選挙戦最終日の様子を報道した産経新聞の一面トップは「安倍首相、最終日の訴え」と大きな見出しにもかかわらず、その下の大きな写真の中央でマイクを握っているのは立憲民主党の枝野代表でした。さすがの産経新聞も、日の丸の小旗に囲まれた安倍首相の演説の異様な写真を一面トップに飾るのは憚られたようですが、そういう異様な光景があったことも報道するのが、本来の新聞の使命というものではないのかと思います。
2017年10月30日
閲覧総数 161
8

ジャーナリストの本多勝一氏は、「週刊金曜日」8月29日号で笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件』(大月書店)に関連して、次のように述べている; このたび新著『「百人斬り競争」と南京事件』(大月書店)を刊行した都留文科大学の笠原十九司(かさはらとくし)教授は、1944年すなわち日本敗戦の前年生まれだから、戦争中はもちろん戦後しばらくの日本の具体的風景を体験的に認識してはいないだろう。その笠原氏が中国の近現代史、ひいては南京事件に強い関心を抱いてその分野の専門家にすすんだ動機は、学生時代のベトナム反戦運動にあった。 ベトナム戦争は、アメリカ合州国という現代最大の帝国主義の侵略性を世界にようやく明確に認識させ、しかもそれを初めて敗北せしめた世界史上の大事件だが、これには当の合州国や米軍基地のある日本も含めて世界的に広範な反戦運動がもりあがったことも大きな特徴だった。反戦運動はとりわけ学生の間で全国的な大波となり、この時期に生涯の方向を定めた例が実に多い。 笠原氏もその一人だった。ベトナムでの米軍のやりくちを知って、それでは中国で日本軍は何をしていたのかに注目しはじめたという。その結果が、のちの笠原氏の著書でいえば南京大虐殺に関連する『アジアの中の日本軍』『南京事件と三光作戦』(いずれも大月書店)とか『南京事件』『南京難民区の百日』(いずれも岩波書店)、『南京事件論争史』(平凡社新書)、『南京事件と日本人』(柏書房)、『体験者27人が語る南京事件』(高文研)となったのである。まぼろし派は敗退 笠原氏よりひとまわり年長になる俺の場合も、ベトナム戦争が生涯の方向への曲がり角になった点は共通している。あの『極限の民族』(朝日新聞社)シリーズで「カナダ=エスキモー」と「ニューギニア高地人」を発表したあと、すでに『第三次世界大戦』とさえ言われはじめたベトナム戦争への取材を編集局長(朝日新聞社)に申請したが、当時の局長から(もうひとつだけ)このシリーズをと命ぜられた結果が「アラビア遊牧民」(1965年)であった。 その翌年の暮れから1967年の10月にかけて取材したベトナム戦争での米軍最前線と解放戦線(ルポ『戦場の村』)。これが、かつての日本軍を取材する発想に結びついてゆく。その結果たる『中国の旅』や『南京大虐殺』は、ジャーナリストとしての後半生の主要な柱となった。 笠原氏の新著にちなんで連想するままにペンをすすめたものの、この本自体についても無論ふれておかねばならない。その序論で述べられているように、いわゆる「南京大虐殺論争(南京事件論争)」は拙著『中国の旅』で百人斬り競争にふれたことがきっかけとなっている。南京大虐殺を「まぼろし」や「虚構」と主張する否定派は、これを史実と証明する圧倒的な資料集や歴史書が出たため90年代半ばまでに学問的に敗退していた。しかし百人斬り競争それ自体についての解明は十分ではなかったため、敗退した否定派は巻き返しをはかるべく、百人斬り競争を事実無根とする名誉毀損(きそん)裁判を起こした (2003年4月)。 これで被告とされたのは俺のほか朝日新聞社・毎日新聞社・柏書房を含む四者、原告は百人斬り競争で死刑になった野田・向井二少尉の遺族である。しかし裁判は一昨年の最高裁判決で原告(遺族側)の敗訴が確定した。これらの経過については南京事件調査研究会編『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房・1999年)、渡辺春己・星徹・本多勝一共著『南京大虐殺歴史改窺派の敗北』(教育史料出版会・2003年)、拙著『南京大虐殺と日本の現在』(金曜日・2007年)などを参照されたい。 それにしても、改めて嘆息せざるをえない。百人斬り競争は今から71年前の事件である。このような明白な事件をめぐっての「論争」など、同じ敗戦国ドイツではありえない。ところが最高裁で確定した後でも、マスメディアでは否定派の『作品』が大量に出まわって、日本の恥を世界にさらしている。笠原氏のこの著書は、歴史学の立場からこの馬鹿げた恥さらし論争に「ひとまず決着をつけることができたという思いでいる。」(「あとがき」から) おわりに、第一章の最後の一文を引用しておきたい。 -「日中十五年戦争において、中国戦場に『何百・何千の野田・向井」がいて無数の『百人斬り』をおこない、膨大な中国の軍民に残酷な死をもたらしたということが、決して誇張ではないことが推察されよう。」2008年8月29日 「週刊金曜日」716号 59ページ「貧困なる精神-決定版『「百人斬り競争」と南京事件』」から引用 本多氏が指摘しているように、「百人斬り競争」があったことが裁判で明らかになったにもかかわらず、それを否定する出版物が出回るのは嘆かわしいことである。これは一重に日本人社会の民度の低さによるのではないだろうか。
2008年09月18日
閲覧総数 122
9

中国では、人権を侵害する制度として評判が悪かった「労働矯正」の制度が廃止になる見込みであると、2日の読売新聞が報道しています; 【北京=杉山柘之】中国の英字紙チャイナ・デイリーは1日、中国共産党政権の人権侵害を象徴する代表例として知られてきた労働矯正制度が廃止されると報じた。今年10月、全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会で関連法審議を行うという。 労働矯正は、毛沢東が右派を徹底的に粛清していた1957年に制度化されたもので、裁判もないまま、恣意(しい)的な行政権限で公民の身柄を長期拘束する手段だ。反体制派を簡単に消せる制度とも言える。 82年の政府通知などによると、矯正対象は、刑事処分の必要はない反共産党分子や犯罪者ら。当局の「決定書」「通知書」によって武装警察官が警備する労働矯正管理所に送られ、「強制的教育改造の行政措置」を受ける。収容期間は最高4年間にもなる。 公的機関のインターネットサイトによると、中国には03年時点で約300か所の労働矯正管理所があり、約26万人が収容されていた。同制度は、中国紙が「ブラックホール」と呼ぶほど不透明で、司法との間にも大きな矛盾があり、中国国内でも廃止論が高まっていた。2007年3月2日 読売新聞朝刊 12版 7ページ「中国『労働矯正』廃止へ」から引用一党独裁の中国といえども、非民主的な制度をいつまでも継続することはできません。人間社会はこのようにして少しずつ進歩、発展していくわけです。
2007年03月04日
閲覧総数 14
10

日本が戦争に負けた年の夏は冷夏で、コメが不作で国民生活が困窮した様子について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は、8月19日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 81年前、1945年の夏は記録的な冷夏だったという話がある。 冷夏のイメージがあまりないのは8月15日の東京や大阪が例外的に暑かったためで(東京の最高気温は32・3度)、この年の夏の気温は全国的に低かった。7月の平均気温を見ると・・・ 札幌16・7度(21・1度)、東京22・0度(25・7度)、大阪24・6度(27・7度)。平年より3~4度低い(かっこ内は現在の平年値)。 影響は秋に出て、コメの収穫量は激減、空前の大凶作となった。作況指数(平年収量を100とした場合の収量指数)は67。作況指数90以下は最低ランクの「著しい不良」だから、どれほどの凶作だったかだ。 こういう年に日本は敗戦を迎えたのである。 しかも9月には枕崎台風が、10月には阿久根台風が西日本を直撃。多くの人命が失われると同時に農作物も壊滅的なダメージを被った。 かくて45年から46年にかけ、日本は絶望的な食料危機におちいる。 注意すべきは、そうでなくても当時の食料生産力は極限まで落ちていたことだ。労働力の不足、肥料や資材の枯渇、軍用地への農地の転用、空襲や爆撃。すべて軍事を優先した結果である。 熊本の地震や千葉の豪雨に見舞われた2026年の夏。災害が多いこの国で軍拡に向かうなど、頭がおかしいとしか思えない。(文芸評論家)2026年8月19日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-寒い夏の話」から引用 天候不順になると国民の主食であるコメが不足するという決定的な弱点があることを計算に入れずに、諸外国と戦争をした当時の指導者は、指導的な立場に立ってはいけない無能な輩であったということを、私たちは上の記事から読み取るべきだと思います。欧米諸国の工業生産力や経済力を知る人々は、この戦争は勝てないと知っていても、それを発言すると「非国民」のレッテルを張られるからおとなしくしていたために、知識も才能もないのに、やたら威張って周囲を恫喝して人の上に立つという者たちが、この国を悲惨な戦争に導いて、あげくの果てに「敗戦」となったのは、必然的であったわけで、そのことを80年前の日本人は、あまり良く反省はしていなかったために、現在もまた、総理大臣の資質をまったく持ち合わせない人物をその座につけて、再軍備の道を進もうとしているとは、一体どこまで愚かな民族なのか、ため息が出ます。
2026年09月02日
閲覧総数 20