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最近、ここ上海での唯一の楽しみではないか、と言われている買い物を楽しんでいる。布市場、美容市場、食器市場、子供服市場、パールシティー、子供服市場、ニセモノ市場等に加え、営業さん?を自宅に呼んでの、ジュエリー販売、シルク雑貨販売などなど、何でもある。まだ行ったことのないところも沢山あるが、何と言っても破格の安さが一番の魅力ではないだろうか。布市場では自分の好きな布で、好きな形の服を自分のサイズぴったりに作ってもらえる。カシミアのコートが1万円もせず、ワンピースは2000円前後から作ってもらえる。シルクでも4000円前後、ベロアで3000円ほど。もちろん、店の人との交渉次第で高くなったり安くなったり。最近の一番のお気に入りがこちら。布市場で作ったチャイナ風ワンピパールシティーで買ったパールのリング&ピアス (両方で¥300なり!)来週もオーダーしたワンピースとトレンチコートを取りに行く。オーダーしては取りに行き、取りに行ってはまたオーダーする。こうして、市場から離れられずにいる。
2006年09月29日
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2学期が始まってすぐに長男がおたふく風邪になり、それに続いて先週金曜日からチビがかかった。次の日の土曜日は長男の初めての運動会だった。長男は小学校に入学し、1学期が終わって中国に来て入った学校は中国の現地校。運動会はなかった。2年生になった今年、小学校になって初めての運動会。午前中だけで終わるお遊戯会の様な幼稚園のそれとは違い、今回は中学生も一緒。かなり迫力のある運動会らしい運動会だろうと期待していた。家族でレジャーシートを敷き、一緒にお弁当を食べるのも楽しみにしていた。ところがチビのおたふく。何故かうちはいつもタイミングが良過ぎる。泣く泣くチビとダンナ様がお留守番。 私と長男はお友達家族に混ぜてもらった。運動会はとても楽しく、迫力のあるものだった。が、おたふくの凄さはそんなものではなかった。幼稚園に電話し、おたふくなので1週間くらいは休むことになると告げ電話を切った。しばらくして同じクラスのお友達のお母さんから電話があった。「チビ、おたふくなんだって? 幼稚園、すごいことになってるよ。」と言う。「おたふく」で「すごいこと」?おたふくで、どんなすごいことが起こり得るのか、一瞬の内に頭をフル回転させたが想像すら出来なかった。そしてそのお友達が続けた。「私達のクラスの子供たちは全員、今日の帰りから3週間、スクールバスに乗れない。 社会見学も行けない、園での外遊びも禁止、教室に閉じ込められるらしいよ。」・・・?? ・・・!!!ぇぇぇええええーーーーっ!!その瞬間、うちの子はとっても悪い病原菌の扱いを受けたようでショックだった。と共に、毎朝、毎夕送り迎えをしなければいけないお母さん方に申し訳ない気持ちで一杯になった。とても悪いことをしたようで、でもただのおたふくなのに、と嫌な気分。そこまでの扱いをされなきゃいけないのか。顔を合わせたお母さん達には謝った。 が・・・。そして次幼稚園に来る時には医者のもう治りました、という診断書を持って来いと。分かりましたよ、分かりました。顔の腫れも引いた今日、あさってから始まる9連休の前の一日だけでも行かせようと病院に行った。明日は丁度、中国の国慶節前ということで、園児は皆チャイナ服を着て行き、写真撮影をしたり、お祝いをする。医者からOKをもらい、担任に連絡。同じクラスのお母さんに連絡し、彼女が自分の子供のために買いに行くチャイナ服にチビの分も追加してもらった。これで明日は幼稚園!と家でコーヒーでも、と思ったら電話が鳴った。園長からだった。「明日1日園に来ると担任から報告を受けたが、おたふくにかかってからまだ1週間しかたってないし、校医はまだ他の園児に移る可能性があると言うので、登園はあと1日休んで9連休明けからにして下さい。 それから、連休が明けて来る時も、1週間はスクールバスには乗らないで。」なんで。お前は医者か。もう診断書ももらって、チャイナ服だって買って来てもらった。連休明けからしか登園できないならどうして始めからそう言わないのか。担任には金曜日には行けそうだと伝えていたのに。連休明けにはもう完全に他の園児に移す可能性はないのに。たかがおたふくでこんなことになるのか。この幼稚園には35ヶ国から来た子供たちがいる、日本のようにおたふくぐらい、と思う親もいるがそうでない親もいる。 感染が広がったときの園の対応に関しては私に責任がある、というのが彼女の言い分だが、なんとまぁ。兄弟がおたふくになった時点で園には来るべきでなかった、と担任が他のお母さんに言ったようだが、感染しなかったらどうなのよ。兄弟が感染してから本人の潜伏可能期間も含めて6週間も家にいろと言うのか。バカ。
2006年09月28日
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ピンポ~ン。ベルが鳴った、夜7時半。誰かしら?とインターフォンを覗くと同じマンションの知り合いの顔。「これいる?」と恐々手に何か黒い物体を持っている。もしやこれは・・・!「そこにおったんやけど、お宅のお兄ちゃんいるかなーと思って。 いるんやったら早く来てー!!」兄とチビと3人でマンションの下まで急いだ。彼女はもう手に持っていられず、下に置いて逃げない様に監視していた。「おおぉぉぉ~ぉお!!」 二人の息子は歓声をあげ、駆け寄って行った。そこにいたのはヒラタクワガタ。もう随分弱っていてあまり動かないが、中国に来て初めて見る野生の甲虫にヤツらは嬉しくて仕方ない。日本にいたときは、夜中に山に入って捕まえていたカブトやクワガタ。来年の夏くらいには、ここでもどこか捕まえられるところを探してやろうと思っていたが、まさか相手の方から出向いて来てくれるとは。大事に家に連れて帰り、虫かごにリンゴと枯れ葉と共にセット。弱っているクワガタに二人は「ガンバレ、ガンバレ!」とエールを送り、踊って祈っていた。そしてヤツらが付けた名前は、ヒラタクワガタのヒラタを姓に、元気になってくれるように、との願いを込めて「ヒラタ・ゲンキ」。ヒラタ・ゲンキ → 平田 元気 = めっちゃ日本人 、となった。
2006年09月19日
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この夏日本に帰った時に、同じく帰省していたドバイのお友達、というか先輩からお土産に目覚し時計をいただいた。この目覚し時計、時間がくるとアラーム音の代わりにコーランが流れ出す。ぁぁぁあああ~パッパりら~~♪と始まり止めるまで延々と続く。お土産としては最高の選択。これを聞くだけで中東の空気に包まれる。時計自体も黄金に輝くモスクの形をしている。この神聖なコーランの調べ、なぜか我家のバカ兄弟が気に入って離さない。 特にチビ。もちろん寝る時も一緒。朝はこれで起きたい!とアラームセットまでして寝る。寝起きにぐずることもなくなった。そして、家に帰って来るとまたコーラン。時計と一緒に「ぁぁぁああああ~~、パッパりら~~ぁぁあ~♪」と延々歌う?。前世は中東の人だったのだろう。
2006年09月14日
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先々週の土曜日(長男がおたふく風邪になる前)、宿題をするように言うと宿題の計算ドリルを学校に忘れたと言う。 学校に宿題を忘れてくるのは勿論初めてではない。またか、と思っているとダンナ様がじゃぁ学校まで取りに行こう、と言って二人でわざわざタクシーに乗って行った。くだらない不注意のためにいちいちタクシーに乗って取りに行く、その労力とタクシー代がもったいないわい!、と私の機嫌は悪くなった。しばらくして帰って来たダンナ様がくっくっ!と笑いながら入ってきた。?? なんだろう。 毎度の不注意に文句を言ってやろうと思っていたが、何か違う感じ。聞くと、教室を開けてもらい、ヤツの机の中を見るとゴミ溜めのように汚く、ぐちゃぐちゃに色んな物が入っていたそうだ。「何やねんこれー。 クラスに一人は絶対いてるアホの机やないかー。」とブツブツ言いながら計算ドリルを探すべく中身を出したところ、名前の欄に「○○バカ」(○○は名字)と書かれたファイルがのっていたと言う。その、あまりにもタイムリーでその通り!という名前に笑いが止まらないまま帰って来たと言うのだ。でも私は笑わない。そんなことはとっくに知っている。ゴミ溜めと化した机、名前にバカのついたファイルx2、虫のわきそうな筆箱、ゴミ箱ランドセル、その中からは3-4日前の靴下だって出てくる。グシャグシャに押しつぶされたプリントは、広げて見る度に力が抜ける。シャボン玉の絵を見て「□□□□玉」にあてはまるカタカナを書きなさい、という問題に、「シァブォン玉」。フランス人かお前は。 しかも字余り。新しく習った「知」という字を使って文章を書きなさい、に「ぼく知らない」。 ドラえもんかお前は。出来の悪い国語のプリントの、次への意気込みを書くところには「次がんほる」。がんほってみろ。彼は海外生活を何年もし、母国語があやふやになってしまった帰国子女ではなく、オリジナル帰国子女だった。
2006年09月11日
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月曜日から、長男と私の二人で体調を崩している。と言っても、実際崩しているのは私だけで(胃腸炎)、長男はおたふく風邪。顔はふぐのように膨らんでいるが、熱は初日に少し出ただけで至って元気。元気過ぎてあまりにうるさいので、そんなに力が余ってるなら勉強しろ、ふぐ!と普通に勉強させてやった。私はようやく今日の午後からうろちょろ歩けるようになり、夕飯を作れるまでに回復した。チビはと言うと、まだ膨れることなくテンテンとその辺を転がるように走り回っている。が、彼の場合、常にしもぶくれのため、おたふく風邪にかかっていても誰も気付かないのではないか、と言われている。そう、彼は「母を訪ねて三千里」のマルコ・ロシ似のしもぶくれ。この夏までは、マルコ・ロシと呼ばれていた。そしてこの夏、新たな名前が付け加えられた。その名も「レッサー」。レッサーパンダにそっくりなのだ。 言い出したのはうちの姉だが、私も以前から何かに似ていると思いつつ、それが何なのか思い付けずにいた。姉がレッサーと言った時、目の前の霧がサーっと引き、それだっ!と長年のもやもやが晴れた。あー、すっきり。 姉もずっともやもやしていたらしい。 でかした、姉ちゃん。それ以降、彼の名は「マルコ・ロシ・レッサー」だった。そしてつい最近、彼の伸びた髪を切った時、間違ってハゲ用のバリカンでいってしまった。ツルっぱげは免れたが、ちょいハゲぼうず。するとなんと、今度はきびだんごにそっくりなのだ。今、彼の名は、「マルコ・ロシ・レッサー・きび」
2006年09月06日
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大変なことをしてしまった。どしゃ降りの雨の中、タクシーに一緒に乗るはずだった友達親子を置き去りにしてしまった。理由はどうであれ、してしまったことに変わりない。しかもその後がまた最低だった。自分から電話をかけなきゃいけなかったのに、タクシーのおじちゃんに出来ない中国語であーだこーだと言っても通じず目的地に着いてしまい、着いた先でもバタバタしている内に目先のことでいっぱいになり、私の頭から「友達を置き去りにして来たこと&その謝罪の電話をいれること」が抜け落ちた。そして電話が向こうからかかってくる、という最悪の事態に陥った。しかも、電話で「待っててくれた?」と言われてようやく自分のしたこと、しなきゃいけなかったことが頭に戻ってきて汗をかいた。謝って「いいよ。」と言われ、とりあえず他の話で笑いながら電話を切ったが、自己嫌悪真っ只中2日目。向こうにしたら待っていてくれるはずの私とタクシーが見当たらず、どしゃ降りの中二人の子供を連れてびっくりしたことだろう。どういうこと??と情況が理解できなかったことだろう。その後、笑って話をしていても自分のした事の大きさに心が痛む。ダンナ様にこの話をしても「うわぁ~、最低やな。」と言われた。そうなってしまったことは仕方ないにしろ、自分から電話をかけなかったというのは救いようがない、自分だったらその人の人格を疑う、と。その通りです。 逆の立場なら私もそう思う。今日も家でボーっと考え込んでいたら、息子達の声が耳に入ってきた。「お父さん、虫ごっこしようー!」「え? 牛ごっこ? じゃぁお父さん三田牛!」この救いようのないバカ達に囲まれて、私は少し救われているのかも。いつまでも考え込んでいても仕方ない。今後こんな恐ろしいことをしないよう、落ち着いて、スケジュールはタイトに組まず、周りの状況にかき乱されることのないよう、日々過ごしていきたい。アーメン。
2006年09月02日
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