書評日記  パペッティア通信

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Mar 25, 2005
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カテゴリ: 歴史



『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)で話題になったからか、坂野潤治を引っ張ってかかせたこの本書。まったく、『ダシガラ』でしかない、見る影もない愚作になりさがっています。というか岩波新書に言いたい。他社で新書を書いた人間を引っ張ってきては、つまらない新書を量産させるのは、金のムダだからやめてほしい。坂野潤治の著作の一連の悪質さが、ここであらわになったことを喜ぶくらいしか、この書は使い道がない。

そもそも戦後歴史学は、戦前について「上からの民主化」を強調するあまり、「下からの民主化」「民主主義の伝統」をとらえてこなかった、という。このご託宣こそ、まったくもって噴飯もの。敗戦直後、大正デモクラシー研究を開始した松尾尊允『大正デモクラシー』(青木書店、1966年)をみればよい。そこには、日本ファシズムによって中断されたデモクラシーの「伝統」をあきらかにしたい、と高らかに宣言されているではないか。坂野は、松尾の大正デモクラシーに関する古典的ともいえる研究をまったく読んでいないのであろうか。おそろしい程の「歴史の捏造」としかいいようがない。

内容をみよう。この書のモチーフは、坂野のレベルにあわせて、かなり単純なものだ。福沢諭吉・徳富蘇峰、中江兆民・植木枝盛といった、明治期デモクラシーのイデオローグたちの議論を2つの系列に腑分けしていく。キーは、改進党系=イギリス議会主義・二大政党論、自由党系=ルソー主義・人民抵抗議会、の対立です。1880年代から90年代、この2つの流れの分裂と交錯が展開していく過程。もはや、明治憲法の成立によって、ルソー主義的人民抵抗議会路線をとれない、自由党。本来なら左派に位置づけられる自由党系は、やがて板垣退助の路線転換を介して「地租軽減」から「開発」へと軸足を移し、「官民調和」路線へと転換していく。その過程で、藩閥と自由党がむすびついて成立した立憲政友会。この成立をもって「官民調和」体制とみなし、明治デモクラシーの終焉をとく。それなりの説得力があることは確かです。

たしかに、ここから教唆される内容は大きい。地主のデモクラシーであった明治。しかし、政論を実現するため奔走する自由民権運動の志士たちの姿。一年に一度あつまるだけのことが、いかに大変なことなのか。この時代のイデオローグと党員たちの息吹は、ここからはたしかにつたわってきます。しかしです。それは、変に政策決定過程を描かないから、平明に展開されているだけでしかありません。はじめから自明とされた2つの流れ。そこから導きだされた、イデオローグの発言の時系列的展開と、おざなりに政党の決定がえがかれるだけ。そして付け足し程度の政党内力学の分析がくわわります。そこには、藩閥政府の政策決定過程とその周辺や、自由党・改進党など政治団体の意思決定過程(首脳部)と、そこに働くさまざまな外部からの力学は捨象されたままです。そりゃ、分かりやすいに決まってる。そのかわり、おそらく何も正しくはないでしょう。

なにより胡散臭いのは、「伝統」を【発見】しようという欲望そのものにあります。松尾にも通底していた坂野潤治の問題意識。たしかにその結果、無限の史実があるのですから、「伝統」はかれらに答えて報いてくれるでしょう。しかし、そんな【発見】など、無限の史料から恣意的に抽出した、史実の捏造に近いのがほとんどです。たまたま、うまく説明できるかもしれない。今回も、説得されそうな部分は、たしかにありました。

しかもその「伝統」は、終局的に「昭和ファシズム」などの、破局に至ったことについて、どう説明するのでしょうか。その答えは、きまって「外部」からの暴力的な「中断」でした。実際、松尾も坂野も、「ファシズム」「戦争」「明治憲法」などによって片づけてしまう。ここから、あらかじめ完全に排除されてしまっているのは、「下からのデモクラシー」こそが、「ファシズム」や「戦争」など、デモクラシーそのものを挫折させる土壌をつくるのではないか、ということにあります。「社会帝国主義」なるパースペクティブが完全に欠落した本書。21世紀にもなって、こういう愚鈍さは、ゆるしがたい。

最後に、大正デモクラシーを語る坂野潤治。ここでは、吉野作造が否定的にとりあげられます。かれの民本主義とは、すべて明治のデモクラシーに備わっていた。しかし、吉野はこれを欧州からの移入思想として説明した。自国の伝統として説明しなかったから、やがて新しい思潮にとってかわられるのだ。やがて、ソ連型の社会主義にとって替わられ、吉野はその役割を終えてしまうのだ。坂野はこう主張します。

しかし、福沢・中江から、美濃部達吉、北一輝、吉野作造にいたるまで、自国の伝統からデモクラシーをくみとった人はいません。それは、すこしまえの民主党「オリーブの木」構想まで続く、日本の120年もの「伝統」であったのではないでしょうか? いや、そもそもイタリアで採択され成功をみた「オリーブの木」構想は、1935年コミンテルン・テーゼ「人民戦線理論」の焼き直しであることを想いおこせばよい。そもそも、伝統的なデモクラシーというのは、あるのだろうか。イギリスの議会政治は、ギリシャ民主政の参照なしに、ありえたであろうか。そもそも、「下からのデモクラシーの伝統」にこだりたい欲望に秘められた「政治性」こそ、坂野は再点検すべきではなかったか。



評価 ★★
価格: ¥735 (税込)

追伸

ちなみに坂野潤治『昭和史の決定的瞬間』は、それなりに評価できる面があります。たしかに面白い。それは、視角や方法論もさることながら、そもそも社会大衆党自体、戦後歴史学に大きな影響をもたらした、社会民主主義~共産主義にとって否定的媒介でしかなかったことにあるでしょう。あわせてご参照いただければ幸いです。

決定





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Last updated  Nov 4, 2006 03:02:40 PM
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