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普通に書いているのに、許可されていない属性があるとか言われて意味がわかりませんし写真を載せるのも大変面倒なのでこの楽天ブログは中止いたします。ぜひfacebookに移行するか、アメブロcafefleur96の方をお読みください。広瀬この
2019年05月23日
元号が新しくなって、5月からは新しい天皇と皇后と共に新しい時代が始まると思うと、何となく心が浮き立って来ます。我が家も丁度同じ時期に新しい場所での新しい暮らしが加わることになりました。現在の住居に70年以上暮らし、こんな良い所はほかにないと自慢していた夫が急に「田舎暮らし」がしたいと言い出してどんどん決めてしまった所ですが、もともと自然が大好きな私に異存のあるはずはありません。それがまず先にあって、庭で遊ばせたいという発想から飼うことになったアンビーですが、明日は一晩義姉の家に預けて手続きに行って参ります。我が家の変化のほかに世の中の何が変わるかと考えた時に、平成の間にじわじわと広がって来た「心の世界を知ること」がますます広がって行くのではないかと思っています。人間が肉体だけでなく、目に見えなくても心や精神や意識を持っていることは誰でも承知のはず。でも、それが肉体の脳の中の世界と思っている人がまだ多いのではないでしょうか?違いますよね?脳は一つの臓器に過ぎませんから肉体が灰になってしまえば消滅してしまいます。けれど肉体のどこかに潜んでいた「意識」というものは灰にはならず、三次元の私たちには触ることも見ることも出来ない空間に溶け込んで行きます。(実はもともとその中に自分がいた、という方が近いかもしれません)そんなことを世界中のお医者さんや科学者や大学の先生たちが沢山の本に書いていますから、今からでも勉強を始めないと時代に置いて行かれてしまいます。精神世界を知ることがこれからの時代の新しい「教養」となることは間違いありませんから。
2019年04月03日
昨日は小倉の朝日カルチャーセンターで精神科医の越智啓子さんといつもフルール会に来てくださる古屋ネネさんのかけ合い漫才のような楽しいトークショー「天使につながる」があり、そこでフルール会や4月14日に行なわれるミネハハのコンサートの紹介をさせていただきました。用意して行ったフルール会の案内のプリントやコンサートのチラシが飛ぶようになくなり、今日はさっそくコンサートのお申し込みが何件かあって嬉しい限りです。そして今日はまた嬉しいことが!19年前の初めてのフィンドホーン訪問以来の仲間であるまきちゃんが私の誕生日祝いと言って、下関の彦島のカキ小屋へ連れて行ってくれたのです。そこは地元の彦島産のカキだけでなく、広島産と兵庫産のカキもあってどれも粒揃いの大きなカキ。まきちゃんが慣れた手つきでどんどん焼いてくれるのでついつい食べ過ぎました。私にはどれも美味しくて産地による味の違いはよくわかりませんでしたが、舌の肥えたまきちゃんにはよくわかるみたいです。帰りは関門海峡が一望出来る素敵なカフェでデザートまでご馳走になってしまいました。私には娘が二人いますが、3女とでもいうべきまきちゃんにはいつも助けてもらい有難いことです。貴重な休日だったのに、まきちゃん、本当にありがとうございました。
2019年03月31日
千葉県のお友達からすごいものが届きました。大きな封筒に入ったスクラップブック。???と思いながら開いてみてびっくり!!私の身内の作家が、ある新聞に昨年秋から2月まで連載していた小説の切抜きがすべて貼り付けてあったのです。うちは夫と二人で新聞は2紙取っているので、更にもう1紙は取れないから単行本になるのを待ってから読む、と言った私の言葉を覚えていてくださって、毎日切り取って貼ってくださっていたのです。すぐにお電話をして、留守電にお礼の言葉を吹き込んでいる最中に涙が出て来てしまい、半分泣き声になってしまいました。いくらお友達でもなかなかここまでは出来ないことと思ったら言葉が詰まってしまったのです。本当に有難いことです。168回分の切り抜き、これからゆっくり読ませていただきます。S子さん、ありがとうございました。(お礼の電話は夜になってから改めてしました)
2019年03月04日
今日は下関の義姉夫婦のお宅へアンビーを連れて行きました。4月に入ったらどうしても一晩だけ預かって頂かなければならないので初お目見えです。義姉たちは以前シェパードを2頭飼っていたこともあって大歓迎してくれたのでアンビーも安心したのか、すぐに慣れてひとしきり遊んだ後はうちでもしないような爆睡。お雛祭りとあって、8年ぶりに飾ったというお雛様を見せていただきました。一緒に飾られた赤ちゃんくらいの大きさの日本人形に義姉がお宮参りの時に着たという着物が着せてあるのにびっくり。77年前のものです。もう一体のほうには、義姉の娘さんのお宮参りの時の着物が着せてあり、物持ちのよさに感服しました。私にはこういう繊細さや丁寧さが欠けているとつくづく思います。現に2月27日に20歳になった下の孫娘の誕生日をすっかり忘れていて、昨夜あわててメールを送ったくらい。わんちゃんを連れに行くので頭がいっぱいだった日です。今は南仏の大学に通うAちゃん、立派に成人になっておめでとう!
2019年03月03日
わんこが増えたお陰で日常生活がかなり変化しました。先ずは早起きになったこと。私たちの朝食より先に朝ごはんを上げなければならないからです。夫のトイレでの新聞を読む時間も短くなって、私たちの朝食も早まりましたから午前中の時間にゆとりが出来ました。私のカーブス(筋トレジム)通いも午前中に行ければ、午後の時間を有効に使えるようになります。いちばんよかったことは、ほとんど1日中パソコンの前に座り通しだった夫が家の中を歩き回り、天気がよければ庭のウッドデッキでわんちゃんと遊んだりして身体を動かすようになったことです。お散歩はまだ5月に入ってからになりますが、それが始まったら1日2回は外へ出かけますからもっと運動になるでしょう。そうそう、わんこの名前は「アンビー」に変わりました。自分で「アディ」とつけておいて、言いにくいと言い出し、彼なりの意味がある名前なのだそうです。ともかく毎日が規則正しくなったことは大いにけっこう。飼った以上は寿命までは私たちも生きなければなりませんから責任重大です。4月からは彼が夢見ていた別荘も増えて、まだまだ変化し続ける老後となりました。ちょっとワクワクしております。
2019年03月02日
今日から我が家に家族が増えました。アディと名付けた生後6週間のジャーマン・シェパードの女の子です。昔シェパードを2頭飼っていたことのある夫は犬を飼うならシェパード以外考えられないと以前からほしがっていたのは知っていましたが、今回急にうきは市のほうに広い土地と家を買うことになったとたん、そこの庭を駆け回る姿を想像したら矢もたてもたまらなくなったらしく、ネットでさがしてどんどん決めてしまったのです。私は特に動物好きというわけではありませんし、室内犬は14年飼ったことがありますが、大きな犬はかわいいというより、こわいというほうが先にたつのです。でもウキウキしている夫を見ると反対も出来ず、なんとかなるだろうと思っています。それで今日往復10時間かけて宮崎まで連れに行って来ました。夫も子犬から飼うのは初めてなので、いろいろと細かい注意を受けて来ました。電車に酔わないようにと、朝から何も食べさせていなかったそうで、帰るなりフードをぱくぱく、お水をがぶがぶ。夫はお散歩を楽しみにしていたのに、4ヶ月経つまではダメだそうでがっかりしています。急に家が増えたり犬がやって来たり、いろいろと変化があって面白いのですが、忙しくなりそう。でもリタイヤして6年経った夫には新しくすることが沢山増えて活気付いていますから良いことだと思います。私も出来る範囲で協力して行こうと思っています。
2019年02月28日
1週間前にした歯の手術の今日は消毒と抜歯。4日前にも消毒に行きましたが、下の歯茎がぐるりとが縫われていたようです。腫れもあってこの1週間ほんとに軟らかいもの、小さく切ったものしか食べられませんでしたが、今日の夕食から普通のご飯が食べられるようになりました。おかゆもおじやも、とろとろに煮たお雑煮も嫌いではないので何とかなりましたが、下の前歯が全然使えないとかじったり、噛み切ったりが出来ずいかに不自由かが分りました。難関は越えたので、あとは回復と義歯が出来るのを待つばかり。早く何でもバリバリ食べられるようになりたいです。
2019年02月08日
昨年2月6日から始めたアメブロ、毎日書いて勝手に「ブログマラソン」と名付けましたが、先ほど今日の分を投稿して丁度丸1年、完走いたしました!ところが表示された累計は365にはならないのです。2回だけ抜けたのは自覚していますが、足りない分17はどこへ消えてしまったのかわかりません。でもとりあえず1年間は書き続けたのですからいいことにしましょう。見も知らぬ方がフォロワーになってくださったり「いいね」をしてくださったり、本当に有難いことです。これからは「毎日の課題」とはせずに何か書きたいことがある時だけ書いてみようかなと思っています。一番面白がって読んでくれていたのが夫で、校正係りを勝手してくれていました。なのであまり悪口を書けなかったのがちょっと残念でしたけど。https://ameblo.jp/cafefleur96/
2019年02月06日
今日は運転免許の更新のための高齢者講習の一部「認知症検査」に行って来ました。以前は同じ日に講習と機械による検査や実際に車を運転する実地検査も同じ日に行なわれたのに、今は別の日になり、もう一回3月1日に行かなければなりません。前回から3年の間に法律が変わったのだそうです。認知症検査のほうは100点満点のうち94点だったので問題ないのですが、16個のまったく分野の違う絵を見せられて、その後ちょっとした問題をやった後覚えているものを全部書きなさい、というのは毎回同じ。前回はすらすらと14個書けて、2個思い出せなかったのですが今回すらすらと書けたのは10個。2~3分考えてあと3個思い出して合計13個書けましたが、それで6点のマイナスでした。やはり3年で記憶力が落ちていることが分り、今回を最後に3年後には免許証返納を決めました。今後、車がなければ生活出来ない所に住むことも、カウアイ島でレンタカーを運転することもなければ、こんなめんどくさい講習も受けなくて済むわけですから。
2019年01月21日
うっかりしていましたが、今年私は年女でした(笑)。これまではお正月が来る前に翌年の干支は自然に知っていて、特に自分の干支の時は忘れたことがなかったのに、人様からいただいた年賀状の絵で気がつくとは!まあ、どうでもいいことなんですけどね。でも7回目ということは、もしかしたら最後の年女かも?8回目は96歳ですからね。何とも言えません。しぶとく古だぬきならぬ古イノシシになっているか、それとも天国で若返って優雅に下界を見おろしているか、神のみぞ知る、でございます。うちの家族はとり、ねずみ、うさぎ、ひつじと小動物かおとなしめのばかり。私だけが獰猛みたいですが、決してそうではないことは皆さんがよくご承知と思います。猪突猛進だけは合ってるかもしれませんが。
2019年01月06日
昨日の朝、四国のある女性から突然電話がかかって来ました。「四国のNです」というお名前にびっくりしました。私が北軽井沢へ移住して間もない頃、うちへ1週間泊まりにいらした方です。彼女との共通点はお互いに当時精神世界のリーダーとして活躍していらした、今は亡き津留晃一さんの発行されていたニュースレターの読者というだけ。お会いしたことのない方でした。当時何か悩みをかかえていらしたようで、それを津留さんに相談したら私をご紹介くださったようなのです。私は当時気の置けない一人暮らしだったので、涼しい自然の中にいるだけで癒されると考えられたのでしょう。私も自分の気に入っている自然を共有してくださる方は歓迎でしたので、喜んでお受けしました。その時何を話したかなど全く覚えていませんが、ただ宿とご飯を提供しただけで何も特別なことはしないのに、帰りのバス停までお送りする車の中で「来てよかった」と涙を流されたことだけ覚えています。その後何度か讃岐うどんを送ってくださったり、互いに年賀状のやり取りなどしましたが、いつか立ち消えになったままです。それが21年前のこと。その後偶然お電話で一度だけお話ししたのが今から6年前。たまたま高松へ行くことがあって、その前年に初めて乗ったピースボートで知り合った方が香川県の方だったのでお電話したのです。そしてその方とお食事をした時「私は四国にはもう一人だけ知っている人がいるんです」と言って名前を言ったら、何とその方が知っていて、その場で電話をかけてくださったのです。そこで15年ぶりに電話でお話をしましたがそれっきり。それで昨日突然のお電話だったので本当にびっくりしました。今年は野菜の出来が良いので送ろうと思って、という内容だったので、今は北軽ではなく北九州にいることを告げました。そして今日ダンボールいっぱいの新鮮な野菜が届いたのです。何と嬉しいこと。よく覚えていてくださったとお礼を言ったら、21年前のことを今でも感謝しているとのお言葉。感謝はこちらこそです。覚えていてくださってありがとう。お野菜はこれからお正月にかけて大事にいただきます。
2018年12月20日
毎朝の夫と二人の読書会で「心の扉を開く」のほかに「平家物語」を読み始めてから何ヶ月経ったでしょうか。厚さ4.5センチ。解説まで入れて905ページある長さですから、毎日2,3ページではかなりの時が経ったと思います。それでもやっとあと少しと言う所まで来ました。(一人だったらおそらく読み通せなかったでしょう)一の谷で敗れ四国の屋島にまで逃げてほとんど勝ち目のなかった平家軍ですが、ここで夜襲をかければ完全に義経率いる源氏は敗北して歴史が変わったであろう一夜がありました。源氏勢は三日三晩寝ずに戦っていたのでほとんど全員が前後不覚に寝入ってた時に夜襲をかけようとしたのに、二人の男が先陣争いをしているうちに夜が明けてしまい、平家は千載一遇の機会を逃してしまいます。明日はいよいよ壇ノ浦。奇しくもこの辺りと縁の深い所です。ここで平家が滅亡するのは誰もが知っているお話。源義経は大体が悲劇のヒーローのように思われていますが、かなり残虐で冷酷な人物でもあったようです。確かに勇敢で、奇襲が得意、巧みな戦術に長けた人ですが、夜道を親切に道案内してくれた地元の男を用が済んだら殺してしまったり、那須与一が見事に扇を射落とすのを見て感服した平家の侍が、船上で舞を舞ったら、その男も射殺したりと情け容赦ありません。まあ、戦争とはそういうものなのでしょうが、この辺りから日本の武家社会が生まれ、その精神が後の太平洋戦争にまで受け継がれていることを考えると複雑な思いがします。武士道って、やはり男の世界のものですね。朝ドラ「まんぷく」の松坂慶子扮する母親が、何かと言えば「私は武士の娘です!」と威張りますが、女がどんな扱いを受けていたかを考えると、価値観が揺らいで来ます。私も武将の子孫ですけれど、あまり自慢にはならないなあ、と思います。
2018年10月26日
1996年に北軽井沢の別荘地に移住してカフェを始めて間もなく、お客さんとしていらした30代のご夫婦Aさんと知り合いになりました。お二人は関西の方で、将来自分たちでペンションを経営するのが夢で、そのための勉強にと近くの会社の寮の管理人助手として働いていました。しばらくして別の土地に移られ、その後もあちこち移動されましたが時々連絡しあっていました。そして遂に北海道の美瑛にご自分たちの宿を建てられたのです。お祝いは何か贈るより泊まりに行くことだと思って友達を誘って行ったのが7年ほど前。それからは会う機会もなく、年賀状だけのやり取りになってしまっていましたが、そのお二人から夏に連絡があり、昨日我が家へ来てくださいました。すでに50代になられていましたが、積もる話に時を忘れ、最後にはうちの夫も一緒に夕食に出かけ、楽しい時を過ごしました。するとうちの夫の話し方や雰囲気が奥さんの亡くなったお父さんにそっくりとのこと。ご主人のご先祖は元は山口県の萩で、義姉の嫁ぎ先も萩。私にも萩で生まれ育った親しい友人が二人います。なんとなくご縁を感じます。途切れ途切れながらこうして長く続くご縁は本当に嬉しいものです。お二人は今は美瑛の宿を人に譲って新しい宿の候補地を探しているところだそうです。それが出来たら必ず泊まりに行くとお約束して別れました。
2018年10月17日
昨日の朝、スマホを充電しながら別の部屋へ行っている間に不在着信があり、留守電が入っていました。「広瀬さぁ~ん、今福岡の友達の所へ来てるの。お電話くださ~い」という元気な女性の声。けっこう親しそうな声ですが、お名前は入っていません。残された電話番号は「非通知」。念のためタップしましたがもちろんかかりません。一体誰なの?またかかって来るかと待ってましたがそれっきりです。あちらは、せっかく留守電入れたのにかけて来ない、と怒っているかもしれませんが、かけようがないじゃ~ん!。
2018年10月10日
いよいよ明日のせりが最後で築地市場が来週から豊洲へ移転するそうです。昔は魚市場とか魚河岸とか呼んでいましたが、私の父は若い頃この中にあった水産社という会社で業界紙の記者をしていました。全国の漁村を調査のために歩き回っていたそうで、後にその部分だけを引き受ける「水産経済研究所」というのを友人と立ち上げ、少し離れた鉄砲洲という所に事務所を構えていました。銀座一丁目から一本道で1キロの隅田川の河口近くの場所です。そこが戦争で皆出征してしまって空いていたので、母と祖母と私は中野で空襲に遭った後そこへ移り住み、そのままそこが実家となりました。結婚後の住まいも晴海だったので、築地は何かと縁のある懐かしい所なのです。場外市場はそのまま残るということなので安心しました。いつも真っ先に行くのが小さな鮭屋さん。厚みが5センチほどもある鮭の切り身が5枚で1000円!この春に行った時は「値上がりした」と感じたので、1200円になっていたか、4切れになっていたかのどちらか。定かでありません。今は中国人観光客でいっぱいです。生鮮品を買って帰れないので、その場で食べられるようなものが沢山売られていて、ずい分様変わりしましたね。
2018年10月05日
やっと見つけました、アロマのサロン。東京にいた頃は毎月一回、シーツやタオルを詰めたリュックを背負ってアロママッサージをしに来てくれる方がいたのですが、九州へ来てからはなかなか見つからなかったのです。一軒だけ古い家の壁に「アロママッサージ」と書かれた所があったのですが、どうしても入ってみる気分にはなれず3年が経ってしまいました。それが先日のエドガー・ケイシーの映画の上映会に来てくださった方の中にすぐ近くでサロンをなさっている方がいらしたのです。それで昨日さっそく行って来ました。最初の音叉で頭の中がお掃除されたような気分。とても丁寧にリンパのマッサージもしてくださり、久しぶりにい~い気持でした。自分の身体へのご褒美です。(なんてご褒美もらえるようなことしてるかな?)ちゃんと筋肉がついていてとてもしっかりした身体です、とほめていただきました。(カーブスのお陰?)でも足首が固くてむくみがあるのは自分でもわかっていて困っているところです。終わっていろいろお話しましたが、スピリチュアルな世界を理解している方との話は楽しいです。ツーと言えばカーで余計なことを言わなくてもすぐ心と心がつながるのが嬉しいですね。来週はヘッドマッサージとフェイシャルをお願いすることにしました。
2018年09月21日
昨日は朝日カルチャーで英語の歌を歌う日。今はカーペンターズのTop of The Worldをみんなで歌っています。帰りにボードを見ると山川紘矢・亜希子夫妻の講演会が来年2月2日にあると書いてありました。タイトルは「精神世界を知って楽しく生きる」だったように思います。(すみません、うろ覚えです)すると同じクラスの一人Tさんが「精神世界って何?」と言うので「心の世界のこと。見えない世界のことよ」と言ったら「へえー何だか怖い」と言うのです。もう一人のEさんも「うん、怖い」と。「怖くなんかないですよー、楽しくなりますよー」と言いながら4人で近くのデパートのティールームでお茶しました。そこで山川さんの話をし、いつのまにか自分の身の上話までするうちフィンドホーンのこと、「心の扉を開く」のこと、主人との出会いのことやら、畑仕事の最中に湧き上がってきた言葉などいろいろしゃべってしまいました。すると最初に「怖い」と言っていた人が感嘆したように「今日は良いお話を聞かせてくださってありがとう」と言うのです。帰り際にはもう一度同じことを言って私の手を握ってくれました。次に会う時「アウト・オン・ア・リム」を持ってくる約束をして別れましたが、山川夫妻の講演会も勧めてみようと思います。
2018年08月26日
やっぱりだまされましたね。まだ8月ですもの、秋になるわけないのに、虫ちゃんまでだまされて鳴いてしまいましたがまたもや猛暑続きです。エアコンの効いた部屋から出たくないなあ、と思いつつ買い物もあるのでせっせとカーブスに通っています。水はしっかり飲んでいますから大丈夫。と言ってもなかなか2Lは飲めませんねぇ。お茶は別としてせいぜい1Lが限度です。ところで最近甘いものが全然ほしくなくなりました。以前は毎日必ずおまんじゅう1個くらいは食べていたのですが、目の前にあっても手が出ないのです。それなのに頂き物などがあると毎日減って行く怪!もちろん犯人はわかってます。うちに一匹おなかの出たネズミがいますから。独り占めされるのはシャクだから私もたまにつまんでみるのですが、美味しいと感じないのはこれ如何に?味覚が変わったんでしょうか?そう言えば東京にいた頃は時々ジャンクなものが無性に食べたくなって、月に一度は必ずKFCに行っていました。それが最近買って来たら全然美味しくないのです。場所が変われば味も変わる?ってわけではないと思うのですが・・・
2018年08月24日
北軽井沢では8月のお盆を過ぎると急に風が秋の色を帯びて、夜には虫たちが鳴き始めるというのが常でしたが、九州の平地で同じことが起きると何だかだまされているようで落ち着きません。朝夕エアコンがいらなくなったのは有難いですが、尋常でなかったこの夏の暑さを思うと、この急変が素直に受け入れられないのです。本当にこのままどんどん秋になって行くのでしょうか?数日前スマホをiPhone6から8plusに変えました。最初が6年前の5で次が6、これで3代目です。近くのauショップへ行ったら長々と見積もりの計算やら説明を受けた後、品物は2ヵ月後になりますから予約をと言われて愕然。これまではいつでもその場で買えてデータも移してもらえたのに、と言ったらヤマダ電機に行けば在庫があるかもしれません、とのことなのですぐ近くのヤマダ電機へ。すると8plusの250なら1台だけあります、と言うのでそんなに容量はなくていいと思いましたがOKしました。それからが大変。40分ほど待たされて、説明を聞き、又更に待たされてようやく品物を手にしたのは家を出てから4時間後のことでした。帰ってから調べたら移してもらった連絡先は5時代のものだけでそれ以後増えた分は入っていません。電話がかかると先ず女性の声が入って呼び出し音が鳴ります。送ったと言われたメールが届いていません。Gメール受信の仕方がこれまでと違います、などわからないことだらけ。画面が大きくなって見やすくなり、メールも書きやすくなったのは有難いのですが、新たにログインし直すのやら、使えなくなったサイトなどがあって悪戦苦闘しております。
2018年08月21日
一昨日から急に朝夕涼しくなって、今日は夏の間ずっと避けていたサンルームにいても涼しい風が吹きぬけて行きます。北軽井沢では8月のお盆を過ぎると風が秋風に変わるのが通常で慣れていましたが、九州でこんなことは初めての体験です。9月に入ってからならまだしも、まだ8月も大分残っているのに、何だか妙な感じです。エアコンなしはもちろん有難いのですが、あまりにも例年と違うと何だかだまされているようで落ち着きません。服装も何となく白いパンツなどははく気分になれず、かといってまだすっかり秋の服装では少し暑いですし困ってしまいます。とりあえず今日の午後は黒の短めパンツに白の七分そでのブラウス、グリーン系の夏用スカーフ、靴は黒のオープントウで出かけることにしました。こんなことが取りあえずの関心事項とは本当に平和な世の中、ありがたいです。間もなく自民党の総裁選ですが、安倍さんはなぜ改憲をそんなに急ぐんですかね。戦後初めて憲法を変えた首相としての名を残したいからなのでしょうか?石破さんが特に好きなわけではありませんんが、国民に十分な説明をしていないこと、改憲に緊急性はないという意見には賛成です。現憲法のどこをどう変えたいのか分りやすく書いたものを全国民に文書にして配布してほしいです。最終的には国民投票なのでしょうが、それに向けての準備がなされているとは思えません。モリカケ問題にも誠意ある対応はしないままうやむやにして、これからも好き放題されるのはごめんです。信頼できない政府を持つ国民は不幸ですね。
2018年08月19日
先日のNHKスペシャル「駅の子の闘い」をご覧になった方いらっしゃいますか?(8月30日に再放送があるそうですが、こちらからもご覧になれます)https://www.facebook.com/gomizeromirai/videos/2321756771197780/?hc_location=ufi「駅の子」とは戦災孤児のことです。この言葉自体知らない方がほとんどでしょうね。まだ70年ほどしか経っていない頃の話です。日本中の主要都市がアメリカ軍の空襲で毎晩のように火の海になっていました。その空襲で親を失った子ども達が12万人もいたのです。私の家も空襲で焼かれましたが、母も私も火の中を逃げ、父は復員して来ましたから孤児にはならずに済みましたが、上野駅の構内に大勢の子ども達が寝ていたのを覚えています。ほとんどの子どもたちの父親は招集されて、日本中が母子家庭になっていましたから、空襲でその母親を失えば当然子ども達は孤児になります。家もなく親もなく、行く所がないので駅の中や地下道で、地べたに寝るしかなかった子ども達を「駅の子」とか「浮浪児」と呼んでいました。食べ物を得るために盗みをしたり、万引きしたりして生きていましたが、中には餓死する子どもも大勢いました。政府は何もしてくれません。戦争は大人が始めたのに、その大人は何もしてくれない、おにぎり一つくれない、と今80代になった当時の「駅の子」が語っていました。国民は皆ひもじい思いをしていましたが、食べ物はある所にはちゃんとあったのです。それをこっそり売って大儲けした人たちもいました。進駐軍がやって来て「東京から浮浪児を一掃しろ」とのお達しがGHQからあって「狩り込み」が行なわれ、子ども達は一部は施設に収容されましたが、檻のようなものに閉じ込められたりした子もいたようです。番組では出ませんでしたが、施設が足りなくて収容できなかった子ども達はトラックに乗せて山へ「捨てに行った」そうです。ひどい話ですね。私は未だに日本の政府を許せないし、戦争しておいてその結果に何の責任も取らない日本政府が大嫌いです。国民を大事にしない国は大嫌いです。だから愛国心が持てません。
2018年08月17日
このたび長年親しんでいただきましたカフェフルールのサイトを閉じることになりました。もうお店をやめてから5年経ちますのに、シーズンになるとアクセスしてくださる方が多く有難いと思いつつとても心苦しく感じておりました。そこで名残惜しいのですが閉じることになりましたが、楽天ブログは引き続き下記をクリックしていただければご覧いただけるようになっております。今後ともよろしくお願い申し上げます。https://plaza.rakuten.co.jp/cafefleur/
2018年08月17日
ずい分長くご無沙汰してしまいました。7月25日から8月9日まで北軽井沢の山荘「マナハウス」へ行っておりました。私が若い頃に結婚した夫と二人で1964年東京オリンピックの年に建てた古い山荘です。東京都心の狭い団地に住んでいた私たちにとって庭のある暮らしは憧れだったのですが、とても高くて手が出ません。そんな時北軽井沢の別荘地の広告が目に入り、夫と見に行きました。月賦(今の言葉ならローン)なら何とか買えると、200坪の土地を手に入れ、最初の年は近くの廃止になったキャンプ場から6畳一間のバンガローを運んでもらってそこで親子4人でひと夏過ごしました。涼しくて緑が豊かでのびのびと暮らせるそこが大好きになり、当時5歳と3歳だった子どもたちも気に入ったようでしたがお風呂とトイレがないので、翌年母屋を作りました。そして毎年夏はそこで過ごすようになったのですが、17年後離婚となり私は行けなくなりました。5年後に夫が再婚してからは子どもたちも足が遠のき、大好きだった私たちの「ふるさと」はなくなってしまったのです。ところがその又17年後久しぶりにその近くの友人の別荘に泊まりに行ったことが縁で、そこから2キロほど離れた所に私は土地を買うことになり、家を建て移住してカフェを始めました。楽しい楽しい、毎日が発見と感動の日々でした。大勢の人が泊まりに来てくれて、みんなの実家のような役目も果たしていました。しかし奇しくもまたその17年後、突然の骨折とある事情からそこに住めなくなり、東京のワンルームマンションでの賃貸生活が始まりました。そしてその2年後、これまた思いがけなく再婚をすることになり夫の住む九州の家へ移ることになったのです。昔の山荘は9年前に前の夫が亡くなって次女が相続することになり、自分の名前を取って「マナハウス」と名付け大改装を行なって今はリトリートハウス兼貸別荘となっています。そこへ行って来たわけですが、まわりまわって故郷に帰って来た感じがします。東京生まれの私たち親子にとっては原点とも言える家です。昔より大分気温は上がっていますが、それでも日中最高でも28℃、夜は窓を閉めて軽い布団をかけて寝られる高原の夏は快適です。うれしいのは野菜が安くて新鮮で美味しいこと。夫は生まれて初めて食べるとうもろこしの甘さにびっくりしていました。殺人的とも言われる今年の猛暑。健康を守るためにも避暑は贅沢とは言えなくなった感があります。今は渋谷から高速バスが北軽井沢まで3時間半で3500円で行くので大助かり。バス停からはゆっくり歩いて10分。スーパーやコンビにも歩いて行けるので車がなくても暮らせます。来年も行きたいと思っています。
2018年08月14日
昨日の福島先生のお話の続きです。先生のお人柄や技術が優れていることへの感動のほかに、もう一つ感じ入ったことがあります。それは手術を受けられた女性の「意志の力」です。最新式のMRAを備えた病院での検査の結果、その病院では手術出来ないことがわかり、あとは自分で医者を捜し歩かなければならない状態になって、全ての画像やその他の資料を抱えて病院まわりをするのですがどこからも断られます。それでも彼女は決して「諦めません」でした。そして偶然目にした福島先生のメールアドレスにメールを送った「行動力」があったからこそ手術が受けられたわけです。左右両方の脳に沢山の血腫が広がっていたため術後しばらくは全身麻痺状態だったそうです。先生からまた日本に来る時には車椅子ででもいいから会いに来てほしい、と言われ「絶対自力で歩いて行く」と決心し。辛い辛いリハビリに励むのです。そしてその通りになったという「意志の強さ」。諦めない、行動する、強い意志を持つ、というこの三つがあってこその現在の健康と明るさ強さがあるのだと思います。これはすべてのことに通じることではないでしょうか。スケールは全然小さいのですが、私も3年前に旅行先で股関節を骨折して手術しました。一刻も早く退院して家に帰りたい一心で翌日からのリハビリに励み5週間で退院しました。異例の早さだと言われました。同じ年齢で同じ場所を同じように骨折して手術を受けられた方は3ヶ月の入院だったそうですし、別の方はリハビリをいやがって娘さんを困らせています。どんな病気も怪我も気の持ちようとその人の考え方、行動力でその後のことが決まってくると思います。昨日は沢山のことを学ばせていただきました。
2018年07月24日
今日はとても良いお話を聞く機会に恵まれました。あのゴッドハンドと言われる脳外科医の福島先生に手術をしていただいて一命を取りとめた女性のお話です。横浜から山口県にいらしたついでに北九州へも来てくださったのですが、11年前の交通事故が原因で頭の中に沢山の血栓が出来てしまい、それがいつ破裂するかわからない状態なのに、東京中の名だたる病院すべてから「手術出来ない」と断られたのだそうです。(最悪な対応だったのが有名なTのつく大学病院だったそうです)それほど難しい手術で、先ず現在日本では手術出来る医者はいないということで、思い切ってアメリカの福島先生にメールを書き、全てのデータを添付して送ったところお返事があり、先生が日本に来られた時に手術を受けられることになりました。手術室へ入って驚いたのは中央の福島先生のまわりに放射状に7人の患者が寝ていてそれぞれに一人ずつ脳外科医がつき、数人ずつのスタッフが控えていたのだそうです。福島先生にしか出来ない手術を7人が同時に受け、その中でも今日の女性のが最も難しく、先生のなさった中でもトップクラスの難度のものだったとか。何しろ130針近く縫ったそうですから。(この7人全員が今健在だそうです)その後の壮絶なリハビリ体験なども話されましたが、何よりも感動したのは福島先生の今でいう「神ってる」言葉、患者に対する暖かさに聞きながら涙が出てしまいました。お金でも名誉でもない、純粋に患者を助けたい一心の先生のような方が捨てたくなるような日本の医学会って何なんでしょうね?
2018年07月23日
うちには開かずの間ならぬ開かずの戸棚がいくつかあって、2年前この家に来てから一度大整理をして、シミのついたシャツやシーツなどごっそり捨てたことがあり、台所の戸棚からも賞味期限が切れて9年も経った食品を沢山捨てたことがあります。9年というのは夫が一人になってからの年数そのままです。台所にはまだ開かずの扉が2箇所あって、古い食器やら鍋やらが入っているのでそのままになっているのですが、昨日忘れていたそうめんが一包み出て来ました。賞味期限を見ると2008年3月!なんと10年前です。夫が「そうめんは時間が経つほど美味しくなるんだから大丈夫」 と言うので、昨日のお昼にゆでてみました。少し黄色味を帯びているので油分が酸化しているのではないかと心配でしたが、味は何ともなく、おなかも今日に至るまで何ともないので大丈夫なのでしょう。30年前に自然食品店をしていた頃、卵、豆腐、パンなど生鮮品はもちろん、他の食品も売れ残りの賞味期限切れのものばかり食べていた経験があるので、今も賞味期限より自分の舌を頼りに生きていますが別にまずいと思ったことはありません。これも子どもの頃に戦中戦後の飢餓時代を体験しているお陰でしょうか。有難いことです。
2018年07月18日
昨日自殺について書いたあと、ふとシルバーバーチはどう言っていたかしら?と思い、読み直してみたらこう書いてありました。「地上生活を自分で勝手に終わらせる権利は誰にもありませんが、自殺に至る事情には酌量すべき要素や環境条件がいろいろとあるものです。いずれにせよ自殺行為は絶対にためになりません。地上生活を勝手に終わらせることが魂にプラスになったということは絶対にありません。自殺は精神異常者や、霊に憑依される場合もありますが、大多数は臆病者の逃避行為です。果たすべき義務に真正面から取り組むことが出来ず、死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れるいちばんラクな方法だと考えるわけです。ところが死んだつもりなのに相変わらず「自分」がいる。そして逃れたはずの責任と義務の観念が相変わらず自分につきまとう。その精神的錯乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。その状態から抜け出せないまま何十年も何百年も苦しむ者がいます。しかしいちばん大切なのは動機です。動機が利己主義でなく利他主義に発している時、つまり自分がいなくなることが人のためになるという考えに発している時は、たとえそれが思い過ごしであったとしても、先の臆病心からの自殺とはまったく違います」(「シルバーバーチの霊訓」より引用)この最後の文章を読んで、戦争中の特攻隊で片道燃料だけで飛び立って行った若者たちのこと、そして題名は忘れましたが、北海道でブレーキの効かなくなった列車の前に飛び込んで列車を停め、多くの人の命を救った人についての実話に基づいた三浦綾子さんの小説が頭に浮かびました。
2018年07月16日
2月12日から「アメブロマラソン」を始めて今日で丁度5ヶ月になりました。その間ネット環境のない所に旅行した2回以外は毎日書いたのでざっと150回は書いたことになり、我ながらよくタネが尽きないと感心している次第です。その日に書いたことの中から連想したことが翌日のタイトルになったり、あるいは毎日の瞑想の中で浮かんできたりします。タイトルが決まって最初の一行を書くと、あとは自動的にどんどん言葉が湧き出てくるので面白く、自分でも楽しんでいます。大変だと思ったことは一度もありません。読者になってくださる方、「いいね」をしてくださる方も少しずつ増えて励まされています。最初夫には内緒にしていたのですが(彼のことも書いたりしているので)いつのまにか読者になっていて、毎日楽しみにしてくれています。とても面白いから娘たちにも読ませたいとURLを送ったりもしているようです。この楽天では日常のことを書いているので同じではつまらないと、最初は自分が辿ってきた道や導いてくれた本のことなど書いていましたが、今はその時々に思いついたこと、思い出したことを書いています。「広瀬尚子のスピリチュアルエッセイ」というタイトルにしていますが、必ずしもスピリチュアルな内容ばかりではありません。長い人生の中で経験したこと、そこから学んだこと感じたことも題材になっていますが、当然その人生観はスピリチュアルな考え方に基づいています。少しでも多くの人が「自分が肉体だけの存在ではなく、魂というものが主体の肉体以上の存在である」ことに気付いて目を覚まし、世間の目を怖れず、絶対的な安心感の元に生きることが出来るようになってくれたら、というのが私の願いであり、私自身の人生の目的ともなっています。よかったら読んでみてください。読者になっていただければ嬉しいです。ついでに拡散もお願いします。https://ameblo.jp/cafefleur96/
2018年07月12日
今日で3日間大雨が続いています。4日前に1日だけ台風一過の晴天がありましたが、その前も台風で雨続き。予報では明日も明後日も雨のようです。今回は近畿地方や四国まで広範囲に降っているようで、すでに被害や死者も出ており、うちのほうの地域でも道路が水浸しになっている所があるようです。幸い我が家は山の側でもなく大きな川も周りにないので、避難命令の警報は鳴っていますが、避難所へ向う途中の方が危険なので家の中でおとなしくしています。明日は朝日カルチャーセンターで山川夫妻の講演会があるのですが、飛行機は飛ぶかしら?会場へは行かれるかしら?と心配です。会場近くを流れる紫川の水位がかなり上がっている映像が映りましたのであふれないよう祈るばかりです。
2018年07月06日
昨日までの大雨がウソのように今日は100%のピーカン!洗濯機2回分の洗濯物を干して気持よかったです。今日から7月。関東地方はもう梅雨明けだというのに、順番が違うんじゃない?沖縄だってまだでしょ?台風とのダブルパンチで大雨だそうです。九州もまだ明けません。どうなってるんでしょうね。日曜日の午後はBSで「ファンタジーオンアイス2018静岡」を堪能しました。羽生くんはもとよりコストナー、フェルナンデス、プルシェンコといったオリンピック組のほか、久しぶりの安藤美姫さんや織田信成さん、ほかに初々しい新人やペアのみなさんがそれぞれ思い思いの衣装や曲を選んで、点数とは関係なく自由にのびのび滑る様は楽しげで、こちらも安心して楽しめました。サッカーもそうですが、熱狂はいいけれどあまりに「国」を意識し過ぎると対立や差別も起きるし、「何としてでも勝ちたい、勝たせたい」となってしまってついて行けなくなります。競技だから、スポーツだから当たり前かもしれないけれど、一歩間違うと先だっての日大事件のようなことも起きてしまいます。私はあまり愛国者ではないので、今日のスケートみたいに国境のない、競争のないイベントのほうが性に合っています。
2018年07月01日
私はインド人のお医者様ディーパック・チョプラ博士の「原初音瞑想」を毎日しているのですが、その先生である渡邊愛子さんの一昨日のメルマガに面白いことが書いてありました。一部を引用させていただくと・・・「私たちの感情は腸内細菌の状態に左右されているので、悪玉菌が優勢だとネガティブな感情に支配されやすく、善玉菌が大多数を占めていればポジティブ、穏やか、落ち着いた状態で瞑想のクオリティも高いようなのです。それでも、腸内環境を良くする過程でデトックスが起こっている時は感情のデトックスや解放も起こることが多く、そんな期間は瞑想中に考えや感情が沢山浮かびやすく落ち着かないものですが引き続き皆さんと瞑想と腸の関係性について実験?探求していっているところです。」(6/28/18 BODYMINDSPIRITメルマガより引用)とてもうなづける内容です。腸が血液を造っているとの報道で腸内の環境がとても重要なのは知っていましたが、それが感情にまで影響しているとは知りませんでした。心と身体は密接に影響し合っていますから、逆にネガティブな感情を持ち続けると腸内の悪玉菌が増えるかもしれませんね。昔波動の研究をなさっていた今は亡き江本勝氏が言っておられたことを思い出します。感情と身体は連動しているから、例えば「寂しい」という感情の波動と脳の海馬(記憶を司る所)の波動が似ている。金属波動ではアルミニュームもとても近い。だから常に「寂しい」という感情を抱えていると海馬にアルミの波動を呼び込み、アルツハイマーになりやすい、という説です。当時科学者たちからはせせら笑われましたが、私はあり得ることだと思っています。感情をバカにしてはいけませんね。そして食生活にも気をつけて腸内をいつもきれいに整え、過去をくよくよしたり起きてもいない未来を心配して不安でオロオロしたりしないようにしましょう。明日は明日の風が吹く。スカーレット・オハラはいいこと言いましたね。
2018年06月30日
昨夜から今朝にかけて凄い雨。そしていつになく大きなカミナリの音にあわててパソコンの電源を切りました。今は小雨になっていますし、この辺は大きな川がないので水害の心配はなく安全です。昨夜はサッカーを横目で見ながら眠ってしまいましたが、夫は遅くまで見ていたようで、夜中につけっぱなしのテレビの音で目が覚め、リモコン探しに起きたため今朝はかなり寝坊してしまいました。今日は寝不足の方が多いのではないでしょうか。いつも思うのですが、国内が内戦やら紛争やらで落ち着かない国からもスポーツとなるとちゃんと世界大会などに出場するチームがあることに感心します。日本は戦争中とてもスポーツや芸術に精を出す余裕などありませんでした。国中が一致団結して「敵を倒す」ことにすべての力を注ぐよう強制されていたのですから。小学生が竹槍を持ってわら人形めがけて刺しに走って行く映像が残っていますが、戦争はひとことで言えば殺人以外の何ものでもありません。子どもに殺人の練習などさせる日が二度と来ないよう、そしてみんなが寝不足になりながらサッカー観戦が楽しめる時代がいつまでの続くことを祈らずにはいられません。
2018年06月29日
ニュージーランドの30代の女性首相が事実婚で出産したという新聞記事を読みました。フランスの若い大統領も親子ほど歳の違う子連れの方と結婚していますね。進んでるなぁ、諸外国は。そこへ行くとまだまだ日本は「世間体」とやらに首根っこをしっかりと押さえられている感じ。選択性なのに夫婦別姓制度だって何度も提案されてはボツにされています。家庭が崩壊するからですって。同じ姓の夫婦・兄弟・親子の事件がこんなにも毎日新聞種となっているのにね。きっと賛成しない政治家たちは奥さんが別姓を名乗ることを想像した時、とても頼りなくなって自信が持てないんでしょうね。
2018年06月26日
やりましたね、トランプさん!史上初の米朝首脳会談!2018年6月12日は間違いなく歴史に残る日となるでしょう。11月の中間選挙のためと言われていますが、何でもいいです。北朝鮮から核がなくなるのなら。宣言文書に二人して署名するところが全世界を駆け巡ったのですから、これがよもやひっくり返ることはないでしょう。昨年暮れ頃の緊迫した情勢、二人の首脳のお互いの悪口の言い合いから思うと本当に夢のような出来事です。日本とすればこれで拉致問題が解決すれば言うことありませんが、安倍さんにはもっと前から積極的に動いてほしかったですね。自分と奥さんの身を守ることとウソのつじつま合わせだけで精一杯なんて情けない。思えば冬季オリンピックに南北合同の競技があったり、応援団が北からやって来たあたりから少しずつ南北朝鮮の融和の兆しが見えていましたが、それが南北首脳の握手となり、今度は更に米朝の握手につながったのでしょう。誰もが願う世界平和が一歩進んだようでとても嬉しい日でした。
2018年06月12日
今日は夫に付き合って佐賀まで往復7時間かけて行って来ました。2年前の3月末、3回目となるピースボートを降りてからずっとまだ船に揺られているような感じが治らないと言って、耳鼻科3軒、内科、脳外科のほか整骨院や鍼灸、「私なら治せます」というヒーラーさんにもかかりましたがまったく変化なし。そこへ友人からの情報で佐賀市のYクリニックを紹介されました。先ず予約をし、送られて来た問診票に記入して出かけました。駅からのタクシーの運転手さんが「Y先生はいいでしょう?」と言うので「初めてです」というと患者さんは日本全国からだけでなく、外国からも来ているそうな。町外れの緑豊かな場所に立つ大きな旅館のような外観のクリニックは床も壁もドアも全部木製。スリッパはありません。診察は先生が開発したと言うエネルギー検査装置「ゼロ・サーチ」を使って先ずは脳のどの部分にどんな金属が沈着しているかの検査。これをバイオレゾナンス医学と言うのだそうです。実際に身体が揺れるわけではないので、脳のどこかが誤作動しているか、間違った記憶をしてからいるだろうと思っていたのは当たらずとも遠からずだったのですが、指輪やネックレス大好きな夫はそれらが電磁波を呼び寄せるからはずすように言われて大ショック。特に薬指は免疫系の経絡だからそこにはめる指輪は最悪と言われ、私もショックでした。食べ物は魚も野菜も生ものはいっさいだめ。毎朝スムージーだと言ったら即刻中止を言い渡されました。必ず加熱したものを食べなさい、そうでなければ野菜は50℃のお湯に3分、果物は20分浸してから食べるように言われ頭の中はぐるぐる。ローフード主義の人なんかどうなっちゃんでしょう?2週間後にまた来るように言われ、それまでに夫のふとんやシーツにフィルターかけた掃除機をかけて、そのフィルターを専用の袋に入れて持って来ること。使っているせっけんやシャンプー、ヘアトニック、歯磨き、などを少量ずつ入れる容器、日頃使っている椅子やテーブル、座布団などを拭いたティッシュをまるめて入れる容器などいろいろ渡されました。2年以上続いているこの症状を何とかしたいと思っている夫はけっこう真剣に受け止めていますから私も協力しなきゃ。でも二人とも大好きなお寿司が食べられないのはとても残念。トホホ・・・
2018年05月30日
今日は1日雨。また寒さが戻って来ました。夫のマージャン友達が急に一人来られなくなってピンチヒッターを頼まれたので久しぶりに仲間に入りました。おじさん3人を相手に奮闘しましたが、数ヶ月に一度くらいしかやっていないので最終的にはマイナス。でも面白かったです。たいてい一番になるのはうちのダンナです。そりゃそうでしょう、私が洗濯や食事の支度している間もパソコンでマージャンやってるんですから、と時々いやみを言いますが馬耳東風。強くて当たり前ですよ。私がマージャンを覚えたのはもう50年以上も前のこと。私の父は段を持っていたくらいの人なので、教えてもらった母もすっかりはまって、82歳で亡くなるまで毎月半分くらいはあちこちのグループとマージャン旅行に行ってました。両親がお正月に家に来た時、子ども達も少し大きくなっていたので今更七並べや双六でもないだろうと家族そろって教えてもらったのが始まりです。私たちの世代はマージャンをする人がけっこういますが、これは認知症予防に打ってつけだと思います。現に今マージャンする知り合いの中に、80歳以上でも認知症は一人もいません。頭をフル回転させ、指先も使うので効果があるのだと思います。母がよく言っていました。「お父さんはお金は残してくれなかったけど、私にマージャンや囲碁、競馬など遊びを教えてくれたので老後退屈せずに済んでいる。これが何よりの遺産よ」って。私もそのお陰を引き継いで楽しんでおります。
2018年05月23日
今日もまだやってますね、TOKIOの山口さん問題。何でこんなに長く、しかも一斉攻撃なのはなぜ?ってうちでは二人とも首をかしげています。ま、言ってみればどうでもいいことなんですが、ウソつき通しの政府が国民の目をそらすためにTV局にさせているなんて説もありますけれど本当はどうなんでしょう?財務省のお偉いさんだったら、たとえみっともない発言を世にさらして辞任しても退職金も年金ももらえるでしょうが、さして大物でもない一芸能人が全ての番組をおろされて事務所からは契約解除、23年だか一緒にやって来た仲間からも救いの手は一切なしとなったらこれから先どうやって生きて行けるのでしょうか?(アルコール依存症問題は別のこと。入院したって治りません。自助グループに行きなさい)自業自得と言えばそれまでですが、「被害者」と言われる(ほどのものでもない気がしますが)人からも処罰感情なしということで不起訴にもなっているのに、あまりにも厳しすぎる気がします。いくら知り合いだからと言って女子高校生が男性の一人住まいの家に夜行くこと自体は問題にならないのかな?って思いますよ。前から思っていますが、淫行とかでよく男性が逮捕されていますが、最初から承知でお金目当てで相手をした未成年者はお咎めなしなんですかね。援助交際とか違う言葉使ってますがまぎれもなく売春ですよ。そういう子も売春禁止法で逮捕されなくていいの?子どものうちからそんなことでお金稼ぐこと覚えたらまともに働けなくなるでしょうし、男性を尊敬出来なくなるんじゃないかと他人事ながら心配になります。
2018年05月08日
連休最終日。朝から冷たい雨が降って少し寒いです。高速道路は帰宅の車で混雑していることでしょう。北軽井沢にいた頃はGWからお店をオープンしていましたから畑仕事の開始と同時に毎日が急に忙しくなり、朝6時から夜中過ぎまで食事の時以外は動き通しでしたが楽しかったですね。61歳からの16年間を思い出すと楽しい思いでばかりです。10月でお店も畑もおしまいになるとカウアイ島へ行って疲れを癒し、冬の間は堀コタツで窓越しに降る雪を眺めながらのんびりと過ごして幸せでした。急にこんなことを書き始めたのは、2月から宿題として出されて毎日更新しているアメブロに丁度今その頃のことを書いているからなのです。私がスピリチュアルな世界に目覚めたのは今から40年くらい前のこと。学校が中高大ともキリスト教で、就職先もそういう関係の所。教会にも毎週通っていました。なので宗教的雰囲気にはなじみがありましたし、その後いくつかのいわゆる新興宗教的な所にも首を突っ込んだことがあるのですが、どこにも「天井」がありました。どの宗教にも教祖がいて教義があり、人間の作った集団があって限界がありました。そんな時、限界のない大宇宙とつながり、自分の中にも同じ宇宙があり神がいると言う考え方に出会って初めて目覚めたのです。40代半ばの頃からのことを思い出しながら順を追って毎日書いているうちに丁度北軽へ引っ越した頃の所まで来ました。それから今まで20年。まだまだ続きそうです。https://ameblo.jp/cafefleur96/
2018年05月06日
昨日今日とお天気もよく予定もなしでのんびりムードです。今日は近くのホームセンターへ野菜用のプランターや土や苗を買いに出かけました。種まきの時期は忙しくて過ぎてしまったのと、もう余地がないのでやめて、昨年成績の良かったししとうとミニトマト、ピーマンの苗だけ買って来ました。パセリと青じそはすでに元気よく育っているのでもう使っています。キュウリはなぜか去年全滅だったので、今年は違う種類のを2本植えてみましたが果たしてうまく実がつくかどうか。場所がないのでお花は買わないつもりだったのに夫がいろいろ選んでいるので、自分で選んだのなら愛着が湧いて世話をするだろうと私はお金を払っただけ。世話はお任せです。彼にとってみればこんなこと人生で初めての体験でしょう。現役の頃は仕事のことしか頭になく、家族は2の次、まして園芸などまったく眼中になかったようですから、新しい世界が開けたようで狭い庭であれこれ動き回って楽しそうです。私は軽井沢にいた頃お花も野菜も毎年沢山世話して来たので、今はもう卒業気分。でもきれいなお花を眺めるのは好きなので見るだけにさせてもらっています。
2018年05月03日
今日で4月も終わり。私の4月の「お仕事」も今日の満月瞑想会で全部終了しました。今日は遠くからの方、初めての方、珍しく男性もお二人いらしてくださって10名。30分瞑想した後それぞれ持参のお弁当でランチ会をしました。いろいろな話題が飛び交い予定の時間を大分オーバーしましたが、みなさんに楽しんでいただけたのではないでしょうか?私自身には何も特技がなく何も出来ない身ですが、たまたま夫が用意しておいてくれた場所のお陰でみなさんにいらしていただくことが出来て有難いと思っています。これまで北九州にはこうした集まりがなかったようで、喜んでくださる方があるのは、私自身が話の通じるお友達に出会えるということでもありとても嬉しいことです。知る人のほとんどいないこの地に住むようになって2年半。お陰さまでずい分多くの方とお近づきになれました。これからも大したことは出来ませんが、皆さんと仲良くお付き合いできればこれ以上望むことはありません。勿論いつも会に参加して仲間に入ってくれる夫には心から感謝しています。(いつもちょっとしゃべり過ぎでご迷惑かもしれませんが)
2018年04月30日
4月15日から始まった一連の行事が今日でほぼ終了しました。まだ明日の外出と30日(月)の瞑想会が残っていますが、ちょっと一息と言うところです。今朝は神戸へ向かうジュディスと麻奈と一緒に家を出て、途中までは一緒。それぞれ別の新幹線で私は博多へ。以前から知り合いの、,タンゴとシャンソンの歌手、香坂優さんのコンサートへ行って来ました。骨折で東京の病院に入院していた時にお見舞いに来てくださって以来5年ぶりの再会です。相変わらず美しく声量のある歌声に懐かしい思い出でいっぱいになりました。25日のジュディスの会は昼夜共に盛況で、彼女の快活で飾らない人柄と笑顔に多くの方がフィンドホーンスピリットの片鱗を感じてくださったのではないでしょうか。彼女は来月で70歳。まだまだ元気です。昨日は1日オフだったので、夫の運転で山口県の川棚温泉へ案内しました。大きなホテルの中の温泉だったのでとてもきれいで緑の中の露天風呂も気持ちよく、のんびりとしました。お昼は名物の瓦そば。焼けた瓦の上のおそばがパリパリとして美味しかったです。夜はうちでゆっくり蒸し野菜と冷やっこ、サラダと味噌汁。ジュディスが焼き海苔と海苔の佃煮が好きなのにびっくり。お茶は日本茶党でした。これからまだまだ続く日本ツアー。オーバーワークにならないよう無事終了することを願っています。
2018年04月27日
19日午前中築地へ行った日、夜は日生劇場へ行って来ました。大竹しのぶさんと風間杜夫さん主演のミュージカルです。しのぶさんは軽井沢の別荘へ来られるとよくカフェフルールの酵素玄米を食べに来てくださいました。そもそもは私の40年来の友達の娘さんがしのぶさんと大学入試の時からの大親友で、うちの長女もみんな同い年ということからよくお話は聞いていました。でも実際にその娘めぐみさんにお会いしたのはカフェフルールが出来てから。お母さんと一緒に来られたのが最初です。店の本棚の本をみて話しかけられ、それからすっかり仲良しになりました。そしてしのぶさんとよく来られるようになったのです。二人とも同じようなのんびりした話し方がそっくり。まるで双子みたいでした。私が軽井沢を離れ武蔵境にいた頃、実家が荻窪のめぐみさんが遊びに来てくれました。今の夫とのことが決まった直後だったので報告すると「嬉しい!」と言って涙を流してくれました。みんなびっくりしたり喜んではくれましたが、泣いてくれたのは彼女が初めて。さすが作詞家、感性が違うのでしょうか。そして「しのぶちゃんに知らせなきゃ」と携帯の番号を押すと私に渡すのです。「自分で言って」と。いやだと言ったのですが、仕方なく報告しました。そんなわけで夫の紹介を兼ねての楽屋訪問でした。丁度めぐみさんも同級生達と一緒に来られていたので写真に入ってもらいました。後から「優しそうな旦那さんで広瀬さん幸せそうでよかったね」としのぶちゃんが言ってました、とのメールが来て私も嬉しかったです。
2018年04月24日
帰宅した夜は早めに寝たせいもあってメラトニン10ミリ飲んで寝たにもかかわらず夜中に6回も目が覚めてトイレに通うという異常事態。朝まだ疲れが取れません。食欲まったくなし。でも冷蔵庫をからっぽにして行ったので、今夜のお客様のためにもスーパーにだけは行かなければと夫の運転ででかけました。ビールやワインも入れて三つのかごに山盛り買い込んだら愛用のマイバッグが破れてしまいました。帰って来てすぐ、お魚はいいけどお肉はダメのお客様に約束したチラシ寿司を作り終えたところへ駅に到着の電話。すぐに車でお迎えに行きました。フィンドホーン仲間のちえちゃんはよく東京での読書会に来てくれていましたし、ギャザリングやアイオナ島でも共に過ごした仲間です。新婚のだんな様は産婦人科医でとても若々しい方。フィンドホーンのNew Year Celebrationで知り合ったのだそうです。くたくたに疲れていたのに若いお二人と話しているうちにぐんぐん体力が回復して来るのがわかりました。しかもだんな様のディジリデューとちえちゃんのシンギングリンを使ってのヒーリングをしていただいたので食欲も湧いて来ました。急いであと何品か作って4人で夕食。片づけが終わるとまたドドッと元へ戻ってしまい、シャワーもそこそこに寝てしまいました。そして今朝は上天気。急に暑くなったので掛け布団を薄いのに換えるついでにシーツやらカバーやら洗濯機を3回も回し、普段しない押入れの整理まで初めてしまいました。いつもの元気に戻ったということです。明後日から来るフィンドホーンのジュディスとお世話役件通訳の麻奈を迎える準備も整いました。もう大丈夫。こんなに疲れを引きずったのは生まれて初めてです。今週いっぱいもうひと頑張りです。
2018年04月22日
4泊5日の旅行を終えて今日4時過ぎに自宅へ帰って来ました。珍しく何だかとても疲れてしまい、上着だけ着替えてズボンはそのままベッドに倒れこみ爆睡。2時間近く正体不明で寝ていたようです。これまで元気印で通っていた私ですが、さすが寄る年波には勝てず、完全ダウンです。「体調を崩す」というのは8年前と6年前に一度ずつありましたが、それ以来のことです。最初の原因は18日に雨模様の東京へ逗子から移動した時。やはり湘南とでは2度くらい気温差があるので寒くて寒くてたまりませんでした。何とか高田馬場のホテルにチェックインして、下着を一枚余分に着込んで私だけ前から予約していたミディアムの方に会うため茗荷谷へ。いろいろお話しているうちになぜか途中でガタガタ震えだしたのです。普通の寒さとは違う寒さでした。そばにはストーブもありますし、ひざ掛けや毛布も貸していただいたのに一向に震えが止まりません。顔だけがぽっぽと火照っていてやたら喉が渇きます。いくらか落ち着いたところでその方もお仲間のヘミシンク関係の方たちにお会いするため池袋のレストランへ。その日ホテルで7時に食事のお約束があるので、皆さんが交通の便を考えて池袋にしてくださったのです。みなさんと楽しくおしゃべりしているうちにすっかり落ち着いて時間通りにホテルへ戻ることが出来ました。なぜ震えが来たのか、何となく思い当たるふしもあるので、供養すべき人はちゃんとしないといけないな、と思ったことでした。
2018年04月20日
もうすっかり春になったと思っていたら今日はまた真冬の寒さへ逆戻り。昨日からの雨が今朝まで残り、おまけに強風とあってガラス戸に吹き付ける雨に、何を着てどんな靴を履いたらいいか迷いました。と言うのは、今日は朝日カルチャーの英語の歌のクラスのM先生の発案で、以前から下関の有名なお料理屋さん「古串屋」へみんなでランチをしに行く日だからです。食事の後は高杉晋作の銅像のある功山寺や毛利邸へ行く予定なので、歩きやすい靴でないと困るしなどと迷いました。結局は寒くないようにコートを着てスカーフを巻き、足元はおシャレ靴はやめて柔らかいモカシンにしました。幸いにして出かける時には雨はやんでいました。待ち合わせは下関駅前。そこからタクシーに分乗して、途中「壇ノ浦」や関門橋を眺めながら目的のお店へ向かいました。「古串屋」はお義姉さんの家のすぐそばなので、何度も車で通ったことのある道です。眺めのいい2階のお座敷での久しぶりの女子会。先生が朗らかで楽しい方なので、和気藹々の美味しいランチ会でした。食後、先生から突然2年後のPresentationの発表。それぞれが選んだ曲を順番に、その人を中心にみんなで歌い、LOVEとSinging in the Rainを全員で踊る。そのためのバレエシューズを買うために積み立てをする。監督、演出、衣装、会計、プログラム制作、司会進行などの役をどれか一つは引き受けることetc.etc.観客は誰を招いてもいいそうです。私はさっそくプログラム制作を申し出ました。パソコンで打ってコピー取るだけですから楽チンです。LOVEは去年からいつもクラスの最後に踊ってますからもう覚えましたけど、もう一曲?どんな振り付けかしら?それより2年後、認知症になったりあの世に行ったりしてないかしら?外へ出たら冷たい風がびゅーびゅー。お散歩はやめにしてまた駅までタクシーで戻りました。
2018年04月07日
昨日の土曜日、小倉で行なわれた越智啓子先生とエンジェル・ネネさんの対談本「天使とつながる生き方」の出版記念講演会へ夫と言って来ました。沖縄に住む精神科医のDr.啓子はクスリを使わずアロマやクリスタル、カラー、ヴォイスヒーリングや過去生療法、笑いなどを用いて患者を癒しておられることで世界的に有名な方ですが、笑いが重要ということはあのバッチ・アダムス博士から学んだそうです。フィンドホーンへもいらしたことがあり、そこの合言葉All is Going Very Very Wellを「すべてはうまく行っている」と言いながら両手をチョキにして横へ動くカニ踊りや、いるかや天使の着ぐるみで講演をなさることで有名ですが、私はまだ一度もその姿を見たことがありませんでした。(以前沖縄のある個人宅で一度だけお目にかかったことはありますが)たまたまうちの近所にお住まいの古屋ネネさんが「フルール会」のことを聞きつけて来てくださるようになり、お二人が昔からのお知り合いで、同じように天使に遭遇するという体験をお持ちのことから今回の対談が実現し、それが本になったというわけです。あちこちに気功の教室をお持ちのネネさん(本名です)も啓子先生に劣らずド派手な方で、今回もピーターパンのような衣装で、教えてもいらっしゃる「鈴舞」を披露してくださいました。啓子先生は第一部はスカートが大きく広がった白いウェディングドレスのような天使の衣装。二部は桜の花びらのような袖の巫女さん風で会場を大いに沸かせました。先日の山川夫妻の講演会でも紘矢さんが「人生は笑って歌って踊って楽しく」とおしゃっていたように、ここも踊りと歌と笑いに満ちた講演&対談会でした。夫曰く「女きみまろ」だね、と。自分もうちでは大声で歌い、たまにへんちくりんな踊りをして十分笑わせてくれていますけど。
2018年04月01日
ずいぶん長かったけれどようやく[枕草子」を読み終わりました。これは宮中で中宮定子(ていし)に仕える清少納言が、人に見せるためではなく、日々の出来事や心に浮かぶ諸々のことを折に触れて書き留めたもの。現代語訳はこれまでに大庭みな子訳と橋本治訳があるそうですが、上野千鶴子さんの評によれば、今回の酒井順子さんを選んだ編者(池澤夏樹氏)の見識に大拍手とのこと。清少納言という機知に富んだ才女で、意地悪で辛辣な人間観察、イケメン大好きなミーハーのワーキングウーマンの言葉を訳すにはピッタリのキャスティングだというのです。ただ難を言うなら下ネタが上品過ぎるとのことで、それに相応するところがあったかしら?と確かにあまり思い出せないのは残念です!高校の古典の時間になじんだひとも多いと思いますが、おそらくそのほんの一部だったのではないでしょうか。私など冒頭の「春はあけぼの~」くらいしか覚えていません。今回初めて最後まで読んだわけですが、当時の宮中での暮らしぶりが目に見えるようでとても興味深かったです。ある程度の身分の女官たちは庭に面した広縁に並んだ「局(つぼね)」と呼ばれる個室にいて、帝がいらしたり中宮様の用事があるとき以外はその局で訪ねて来る男を待ったり、歌を詠んだり、何人か集まって人の噂やら男たちの品定めやら、とりとめのないおしゃべりをしたりして日を過ごしていたようです。局の廊下に面したところには簾を下げ、局と局の間仕切りは几帳だけだったようですから、隣りに男性が訪ねて来たり泊まっても今ほどプライバシーがどうのこうのうるさい時代ではなかったようです。暖房といえば炭をいけた火鉢だけなのに、庭の雪の描写などがありますからさぞ寒かったことと思います。それで十二単など着ていたのでしょうか。男性は女性のもとへ来ても明け方には帰り、必ず後朝(きぬぎぬ)の文を従者に持たせてよこします。女性はすぐにそれに返歌か、あるいはそれに代わる何か意味のあるもの(有名な和歌や漢詩などに関するもの)を持たせて返すというのがしきたりだったようで、男女共にかなりの教養を必要としていたと思います。どこかへ出かける時は牛車がマイカー。男車女車の別があったようです。現代のバンのように何人も乗れる大型車もあって、祭りの時などの駐車場争いは今も変わりません。次は「方丈記」。これがまた高橋源一郎訳なので面白そうです。小見出しが全部カタカナで、鴨長明がカモノ・ナガアキラとなっています。
2018年03月31日
あちこちから桜の便りが続く中、うちのまわりには桜の木がないためまだ見ていなかった私を、昨日本の受け渡しで待ち合わせたHさんが、車で近くの公園へ連れて行ってくれました。彼女はいつもフルール会へ来てくれる人ですが、これまでフィンドホーンやヘミシンクに興味があっても語り合える人がいなかったと、私がこちらへ来たことをいつも喜んでくれています。私は桜の花を通して青空を見るのが好きで、なんとも言えない平和を感じ幸福感に包まれます。特に春休み中の子ども達が遊んでいる公園は実に平和そのもの。私が同じ年頃だった時はいつも防空頭巾を被って、夜寝るときも服は着たままで空襲警報のサイレンにおびえていました。Hさんとベンチに腰掛けてしばらくおしゃべり。郵便局や買い物、カーブス以外には近所に出かけたことのない私にとって、ちょっと嬉しい非日常のひとときでした。
2018年03月29日
行ったり来たりしていた春が、今日はようやく落ち着いたかのように思える、とてもお天気の良い日となりました。大勢の皆さんから誕生日のメッセージをいただきありがとうございます。本日で83歳となりました。耳が少し遠くなり、身長が少し縮み、歩くのが遅くはなりましたが、健康には異常はなくすこぶる元気です。今日はとても嬉しいことがありました。こちらへ来てから週に2,3回女性専用の筋トレジム「カーブス」へ通っていますが、そこまで20分ほど歩く途中に整骨院が6軒もあるのです。そのどれかに通いたいと思いながら全く情報がないのでどこが良いのか分からず、前を通りながらずっと決めかねていました。でも1軒だけ何となく気になるお店があって、何かほかとは違うものを感じるので思い切って初めてそこへ行ったのが1年前くらいのこと。何回か行くうちに、そこの先生が「オステオパシー」をなさっていることを知り、ちょっと嬉しくなりました。奥様も治療師で瞑想をなさっているらしいことを先生からチラッとは聞いていましたが、ベッドが6,7台あっていつも誰かしらそこにいらっしゃるので、個人的な話は差し控えていました。すると今月初めに少し離れた所に移転なさることになり、保険診療のほうはこれまでの患者さんだけにして、オステオパシーのほうを主にし、自然食品のお店を始めることになったのです。お店には30年ほど前私がやっていたお店で扱っていた創健社の食品がいくつも並んでいてとても懐かしいです。そして今日[カーブス」の帰りに立ち寄ったら、前より狭くなった治療室にはベッドが3台しかなくほかに誰もいないので、治療してくださった奥様といろいろな話が出来ました。夫も何度か治療に来ているので、二人の出会いのこと、「心の扉を開く」を二人で毎日読んでいること、フィンドホーンのこと(はご存知ありませんでしたが)など話していたら奥様が「広瀬さんが心の中で大切にしていることを大事に思って共有してくださるご主人は素敵ですね。お二人はソウルメイトなのかもね。」と仰ったのです。こんな話はきっとほかの整骨院では出来なかったでしょう。やはりこの整骨院を選んだ私の直観は当たっていたと思いました。帰り際に「私もその”心の扉を開く”を買って読んでみます」と言われ、その言葉が今日いちばん嬉しかった誕生日プレゼントとなりました。
2018年03月23日
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