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1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒氏は北海の高潮の、正確・迅速な 定時的予測を実用化された。 石黒氏による 電子工学と 海洋研究の 学術的イノベーションは 独創的であり 時空を越えて大きな インスピレーションを与えるもの 石黒氏の研究の形に残る物としては テームズ・バリアーという高潮対策の構造物が有るという。 又石黒氏は 英国における子育ての結果として、ノーベル文学賞を受賞した『カズオ・イシグロ』氏を世に出した。カズオ氏によると BBCのドラマ「ドクター・フゥー」のタイムマシン「ターディス」が、父を想いだす内側を捉えていると聞いてる。 関係の無い別件だが Ips細胞の生成で ノーベル生理・医学賞を受賞した 山中伸哉も 英国 ゴードン博士の先行研究で。同時樹諸された。 滅多に読む事の無い 訪英中の天皇の 公式晩餐会での陛下の挨拶文全文を読んだ。我々日本人の殆どは 陛下の海外でのご挨拶て 当たり障りのない事を喋られると 余り関心を持たないが 今回のご挨拶 英国民に与えるインパクトは大きいと思う テームズ・バリアーは日本人のお蔭で出来たのかと 思い起こす人も居るだろう。 挨拶文の草稿を書き上げた人の労をねぎらいたい。
2024.06.28
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ゴルフ場のパブリック・コースの話は横に置いて、通常パブリックと言うと 公衆とか公共・公式・・等。プライベートの反対語として使われるかと思う ラテン語で、人々 人民・大衆という意味の言葉と聞く。 パブリックを 公(おおやけ)という意味で使うと少し話がややこしくなる。公(おおやけ)の元字は大宅で 大きな家 御殿 天皇の住まいする家の意味に帰着する。言語学者 大野晋氏は著書 『日本語の年輪』の中で、奈良朝時代 既に大宅が、御殿天皇の住居を指し示す言葉となり そこに住む人 そこで仕事をする人 朝廷・政府・官庁を意味する言葉の概念が出来上がっていたという。 公的に決まった事と お上が決めたこと同意語で使われることが多い。消費税を最初に導入した時、アメリカのあるエコノミストが面白いことを書いていた。 『国民の生活に一番影響の大きい新税(消費税)の導入が閣議決定で決まると、日本では民が率先して税の勉強を自発的にして施行されるとほぼ100%の捕捉で国庫へ金が流れる。米国なら大変な反対運動が起こって支払わぬという人もでてくるだろうに。お上の決めたことは従わねばならぬ こういう国を我々は相手にせねばならない』という内容である。 『お上の決めたこと』と言う人は少なくなったが、『公式に決まった事』にはひれ伏し従う国民性は色褪せる事が無い。無意識に天皇の赤子などと言う刷り込みが民族記憶として身に付いているのかと思う。 パブリックは人民・大衆 公(おおやけ)は天皇となると我々の立場はと考えるが、主権在民と唱えられてからまだ60年少々 ひよこのパブリックなのだ。 柳居子花徒然 パフィオ
2011.01.02
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昨日 所用が有って高島屋百貨店へ出掛けての帰路 足の向く侭 花遊小路・新京極の四条・三条間を久し振りに時間気にせずゆっくりと歩いて、余りの変り様に、自分自身の記憶に未だ留まっている事を書き残す事、全く無意味な事で無いと思い、店の変遷 人々の思い出などを記してみる。建物・館が変らないと その場所の旧を想いだす手だてが有るのだが、新京極の商店街に限っては、個性的な店構えの店舗が数少なくなり 殆どが同じ店構えシャッターを開けたら商品が山の様に積まれて吊るされてという感じの店が多く ましてや 今の商いの前は何が並んでいたか ある意味変化しているのだが新味を感じる店が少ない、テナント募集の張り紙のしてあるシャッターが、昔の新京極を知る者には考えられない程多い、商店街共通で作られたと思うアーケード下の店舗サイン灯で辛うじて前にどの様な店が有ったのかを知る事も出来るが。其の店其の物が思いだせないケースも幾つか有った。営みが営々と続けられている事は、間違いないにしろ その主役が刻々変わる事は只々時の流れでは有るが、些かでもその場所 その時 こんな店をこんな人が頑張っていたという思い出話を書く事は 一種の存在証明を書く事だと思う。新京極草莽の頃の話は、以前本サイトに書いているが 一部分再録してその続篇という事にする。≪≪・・・・ 明治五年頃(正確に実証する資料を欠く) 祇園町上知に続いて槇村正直知事は、寺町三条東南の大寺誓願寺と四条上がるの時宗金蓮寺の寺領 寺町側の塀の内側を没収してその間の浄土宗系の小寺も右に倣えとなだめ脅して、三条四条間五五〇mの道路を作った。寺町通りの古名とされている東京極通りの一筋東 新京極通りと名付けられた。寺町通りを東京極大路と呼ぶのは異説が有って、寺町は秀吉が都市計画で洛中の諸寺を寺町に移した時に作った道路で、一筋西 御幸町通りが東京極大路説もある 柳居子は御幸町説をとる 御幸町の蛸薬師・錦間に厨司道の様な細道が有る事と。昔は多分通路だったと思われる細長い敷地の家の有るのを根拠としている。 さて 槇村に依って開かれた新路も当初寺領墓地のせいも有って、商いや住み着く人が無く人気が無く 整地して坪五〇銭で売り出したが買い手が付かぬ。槇村は、当時この界隈の芸人や香具師(やし)を束ね取り仕切っていた坂東文次郎 と云う人に託して 芸人やその筋の業者を集めさせ街並みを整える事が出来たという。新京極の古を知る最初の記録は三条下がるにすんでいた原田与三松という人の書き残した記録が有る。揚弓場・室内射撃・鰻屋・ぜんざい屋・うどん屋などの飲食 身振狂言『夷座』写真師角倉玄建と云うのもあり、一覧を見ていて今に残るのは『大藤漬物店』当時の記載は食料品店になっている一軒のみ 大藤創始の藤三郎は千枚漬け発案者 先斗町歌舞練場も当時は四条道場 金蓮寺内に在った。・・・・≫≫花遊小路 四条通りから通り抜けの両側にワシントン靴店が細路の両側に店を張ったので、一軒の店舗の体裁になり 店縦断しての四条から人の流れが途絶えたと問題になった事昔話 入って直ぐ 喫煙具だけを扱う軒店 新京極六角下がる 西田喫煙具店の番頭さん 確かウエマツとか言う店だった。可也の期間パイプ煙草を愛用していた柳居子 同じくパイプ愛用だつた三月書房宍戸恭一氏と三人で 狭い店舗の中でパイプ談義をしたのはもう三十年近く前の昔話 刃物や菊一はそのまま 鰻の江戸川 昔は毎週一度のように出掛けたが 店舗を新しくしてからはご無沙汰の店 花遊小路南側東端 よーじやの店は今は事務所使い 北側 昔ハモニカ長屋の飲食店街の有った入口のスペースで盛業中と見た、星野レコード店番頭さんの山上忠夫さんと親しくよくレコードを買いに行ったが 今浸け麺屋になっている 記念写真のワンダス館も時勢に合わぬと消えた 向かい側 貴金属を扱う店も舞い 穴沢楽器店は未だ店を張っている。店売りだけでは無理と思われる商い 何所か顧客を確保しているのだろう 楽器屋の横露地奥に中華料理屋が有ったと記憶するが定かでない.花輪丸三の屋号の化粧品屋も 和菓子の仙太郎も岩本呉服店も跡形すら無い。其々の店の後は 何屋さんに替わったと説明では無い若者向きの店 それで良いのだと思いつつ 流行りが廃ると直ぐ退いて 他の店が出来る。年寄が花遊と浮かれる町では完全に無くなった。新京極に出て四条通り上がる直ぐの 坂本漢方薬店 昔は ウインドウの中の大きなガラス瓶の中に 生きた毒蛇マムシを何匹か展示していた、強精剤 嘘偽りなき 原材料表示で有った、坂本漢方の隣りは此処もワシントン靴店だったが今は 呉服り古着の展示かリサイクル 一日レンタルの様な店になっている。一編上人開基の時宗の根本道場染殿院は変りなく存在 ロンドン焼き 乙羽寿司は健在盛業中だか 真向かい婦人服『リラ』黒川さんの御店はもうない今工事中の元SY京映は、松竹発祥の地 古くから在った芝居小屋 坂井座の座主しなったのが松竹の始まりとされている。昭和九年当時 ここは歌舞伎座を名乗っていた。四条通り少し上がっただけで既に常の一日分以上の長文となった、明日に続くとして 今日はこれまで。
2016.12.26
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朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も有る、 相手女性の場合 前の日と違う髪の毛の色でやって来ると 『えー色に染まりましたね』とか 短く髪の毛切ったのだね とか 誰もが声掛け無い事を喋るから お節介な爺さんと思われているかも知れない。 相手は床屋の隠居に為り損ないと知っている。相手に関心を持つ 其れを言葉で表わす。悪しき事では無いと思って居る。 其れでも 臨機応変に対応して 喜んでもらう事も有った。昨日の事 朝の常連席がほぼ埋まり 四方山話に興じていた時、柳居子の隣りに座っていた男が突然立ち上がり 店員の誘導で奥の席に座った客の下に進んだ。 多分旧知の友の突然の出現に 本人確認も兼ねて近付いたのだと思った 暫く談笑をしていたが 常連席に戻り 椅子の上に置いたバッグや 財布の中等を改めている。何事かと頭を回らせると 彼は最近新しい職場で シニア・アドバイザーの名刺を作って 間が無い。 久し振りに出会った友に渡す 名刺を取り出そうとしたが中々出てこない。 彼に貰った新しい名刺 未だ財布の中に入っている筈と弄ったら直ぐに出てきた。幾ら探しても出てこない名刺を諦めて 此方に振りむいた『これを探していたのと違う?』と名刺ヒラヒラト見せたら 自分の名刺 お借りしますと 友の方へ持って行った。誰か私の名刺を持ってないかと 常連席の仲間に声掛けたのでは無い。名刺が無ければ具合が悪いと言う事でも無い 只状況 所作様子から 名刺を探しているのだなと 気付いたのは 冴えていたと自画自賛しても良いだろう
2024.06.25
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祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を持っていて 祭りが終わると町家の蔵等に保管していたのだが、諸般の事情 世の移り変りで 保管の難しくなった町内が出てきた。寄町(よりちょう)制度という広い範囲で祭りを支える政治もなくなった 鉾町(ほこちょう)で体表される 伝統の祭りを支える企業も大きく様変わりしている。和装文化の頂点としての存在感は。昔日の幻 時勢の流れに 飲みこまれ 山鉾を町内で維持管理が出来なくなった町内が幾つも出てきて 昭和四十三年 八坂神社の東 円山公園内に 祇園祭山鉾館が立てられ 町家保管蔵から 移された。一年一度の出番の 祭りの諸道具の保管庫 祭りを途絶えさせてはなるまいと言う先人たちの熱意は充分伝わるが 収蔵庫も築六十年近くなって 少々傷みが表に出てきた様で 今年の夏から、修理に着工すると云う。収蔵庫の事は 久しく忘れていたが 過日 増山実氏のフィクション『河原町のジュリー』の中で 厳寒円山公園 山鉾収蔵庫の 『岩戸山』の納まっている蔵の下で 凍死していたという話しを聞いて 収蔵庫を思い出した次第。
2024.06.24
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ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見えたと思うが、お話を聞くと一年ぶりだと言う。口の周りは、ご自分で剃っておられるのか 余り長い産毛は伸びてはいなかったが 耳下 顎の部分などは 長い産毛が伸びきっていた。 最近は遠来の強い髭ばかり剃っているから。小顔 女性の顔剃りは、何か余りにも手短に仕事が終わるから 頼りなく思ってしまう。それでもシェービングソープを泡立てて 一度剃りをして 石鹸分拭き取ってから 湯で肌を湿らせて男同様 産毛の逆剃りをして 本当にツルツルに剃りあげた。 毎年六月 夏越の祓の頃 顔剃りと決めておられるそうで、来年も今頃お願いしますと 御予約第一号を頂いた。 続いて客人がお越しになる様子も無かったから 時々話題に出る 朝の珈琲屋の常連席 五番テーブルへ 御予約御礼振舞い珈琲をお誘いした。『所用で三十分程外出 申し訳ない』という張り紙して珈琲屋へ出掛けた。丁度雨が降ってきた。 自分の娘より若い女性だが 逢いあい傘 腕を組んでもらった。『腕を組んだ方が 他人が見た時 あの女性親切な人 年寄が転ばぬ様にサポートしていると見えるよ。』と云うと しっかりと腕を組んでくれた。一年先の予約 何か目標を設定して頂いた気分になっている。
2024.06.26
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文のタイトルを付けるのは、考えれば考える程難しい。 拙い書き連ねでも五千八百回を越える 一話完結の文の連載 又内容も多岐に渡るから 書いた自分自身でも前に書いた事を忘れ よく似た文を書く事が有る。タイトルも然り 起承転結というご大層な事は、余り考えないのだが、タイトルを見て 又冒頭の書き出しを見て先を読み進めようと思う人も多いはずだし タイトルは疎かには出来ない。『些事』なんてタイトルを付けると 些細な事に大事な時間を煩わされていると読み手に失礼にならないか 読み進めを止めて貰っても良い様な文も結構多いと思う。 先にタイトルが決まって文を書き進めるのはある意味楽な事だが、何を書くという当てもなく書きはじめて、書き終わり 全体読んでからその中からタイトルを思い浮かべる事も有る。前に書いた事あもなぁ よく似た文では有っても 同文は有り得ないし 書くタイミングが変れば視点も替わる。書いた本人がうろ覚えの事等 読み手はもつと薄い淡いと思うから タイトルも『続』とか 『其の後』とか 漢数字を打ったりして対処する。 ブログ記事の連載から派生した 東京に於いての京語りの会は『床屋談議』のタイトルが付いている。人前で喋る時でも タイトルの替わる最初の出だし 『枕』とでも言う部分が,上手く出せるかが 此の男の話を聞いてやろうと言う気分になって頂けるのだと思う 来月又東京へ出掛けるのだが この枕詞 前置を思いつくのが大変なのだ。喋る事が素人故の苦労で有る。
2022.04.05
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殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る。 毎日の通勤路 寺町丸太町下がった東側 鋪道脇に『横井小南殉節地』と言う石碑が立っている。元々立っていたのを再建されたのが昭和七年(1932)『京都市教育會』寄付者四名の名が刻まれているが黒ずんで判読できない。市の教育會が 再建したのだから 昔は偉人として奉られていたのだろう。勝海舟が生前 「今迄 天化で恐ろしい人物を 二人見た 横井小南と西郷隆盛だ」という話しが残っている。坂本竜馬 勝海舟 西郷隆盛・・・・幕末明治に掛けては 多くの人が活躍して 歴史に名を残す人は 表舞台で活躍した人ばかり。 横井小南の事を書いた本を 持っているのだが 何処に仕舞いこんだか忘れてしまった。 世の中を先取りしての開国論を掲げる小南に対して。時勢の読めない公卿などには反対勢力として 対峙して 結局 暗殺される事になった。今に残る石碑の場所が 襲われて落命した場所 殉節地とは 志を貫いて 心ならずも命の尽きた場所 その様に解釈すれば 良いのだと思った 小南の伝記を書いた本が 出て来たら 再度記事を載せます。
2024.06.23
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海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画像を見ていた隣席の人が『トルーマンが載ってますよ。』と指摘された。同じ年 2月に開かれたヤルタ会談と勘違いしていた。 ポツダム会談は、対日の戦後処理を 米ソ英の巨頭を含めた列国で行われた。もう八十年近く前の出来事。ヤルタ会談には参加していた 米国大統領 ルーズベルトは、ポツダム会談の時は既に鬼籍の人 トルーマンが国際舞台に登場していたのだ。原爆投下を躊躇いなく命じた大統領を擁する国に対して、被爆国である日本が米国の最友好国なんて、喉元過ぎれば熱さを忘れるという日本は不思議な国だねと話しが盛りあがる。ふとルーズベルト大統領が亡くなった時の日本の対応 昭和の天皇に『お前しか居ない』と託された鈴木貫太郎総理大臣 終戦に導く役 軍人としては最も難しい決断 ルーズベルト大統領の訃報を聞いた鈴木は、公式では無かったが 外信社を通じて 鄭重な弔電を米国に送った。 武士道未だ廃れずと米国は驚いたという。公式には何も残っていない話ではあるが 柳居子が知っているくらいだから 沢山の人も知っている筈 二つの会談が行われた年 もう生れていたが 襁褓をあてた乳飲み子だった昔の話しである。
2024.06.27
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NHKの深夜番組 ラジオ深夜便は、午前三時に『早々と今日一日が始まった方 お早うございます。昨夜からお仕事の続いている方ご苦労さまです。』という決まった様なナレーションが入る。午前三時が起床時間と定まった柳居子は、「おはよう」という感覚だが、夜明けには今の季節随分時間が有る。 三時から小一時間『日本の歌 心の歌』という番組 年末・年始特集か『時代を彩った名曲』のタイトルでヒット曲の数々 唄い継がれている曲を流していた。大凡レコード大賞とか有線大賞とかの受章曲 数多く売れた曲ばかり。レコードのプレス等一枚も無いと思うに 未だレコード大賞を冠しているのだろうか?小柳ルミ子さんの『私の城下町』という曲 アンカー(番組司会者)が、この曲の作詞者 安井かずみさんが 京都の町の格子戸 多分窓の位置に設えられた千本格子と思うのだが 其れをイメージして作詞された。作曲の平尾正晃さんは北陸の何処かの城下町に曲想を得たとか言っていた。柳居子は、この曲の唄い出しの歌詞フレーズ『格子戸をくぐり抜け 見上げる夕焼けの空に ・・・・・』格子戸はシースルー 視界遮らず風通し良い 引き戸も有れば。前後に動く扉も 格子で組み立てられたら格子戸になるのだが、如何考えても潜り更けは出来ない代物 安井かずみさんが格子戸を知らなかったとは考えにくい。其の辺りが歌と現実との乖離 耳に心地よく響けばそれでよし 潜りぬけようとすれば格子戸の下を人一人通り更け出来る穴を掘らねばなるまい。神技の様に潜り抜け ミリオンセラーになったから、実現不可能を皆が認知した歌と言えるだろう。北島三郎さんも飛びっきり寒い歌を唄っている。『風説流れ旅』星野哲郎さんの作詞 『破れ単衣に 三味線だけば よされよされと 雪が降る・・・』多分津軽三味線の角付芸人を題材にしているのだと思うが 唄い出しのフレーズ 「破れ単衣に三味線抱けば」星野氏が単衣と袷(あわせ)の違いが判らないとは考えられないが、雪の舞う北国の冬 破れた単衣を着て旅の出来る筈が無い、瞬く間に凍死するようないでたち 破れ袷と唄ってもヒットはしなかったと思う。こういう曲は論理的思考で頭で理解する曲では無く 情緒的思考回路 心で聞く曲で有ろう。 旧い曲で失礼するが 菅原都々子さんの『月がとっても青いから』この曲を知ってから幾度 数えきれないほど月を見続けてきたが、柳居子の色彩感覚で未だに月を青いとは感じた事が無い。白い月 モノクロが認められるのは写真の世界だけ 赤い月幻想的な感じがするが歌にはなり辛い 歌詞フレーズは遠回りして帰ろう』と続くから 寄り道OKの青信号の意味か? 歌詞の上げ足取りばかりしていると 品性を疑われるから よく出来ているとか練れているという歌詞を紹介する菅原洋一さんが唄う曲に『今日でお別れ』という曲が有る。 最後のタバコに 火をつけましょう 曲ったネクタイ なおさせてね あなたの背広や 身のまわりに やさしく気を配る 胸はずむ仕事は これからどなたが するのかしらこれから どなたが するのかしら という下り 字面 字数が合わせ易かった事も有るのかも知れないが どなたの次に出てくる言葉と言えば 『なさる』『される』だと思うに 自分がしていた事を誰かが取って代わるという意味も含めて『するのかしら』が心理的な心の襞を僅かな字数で表している様に思う。本当にどうでも良い些事中の些事だが、格子戸を京都の町並みをイメージした曲と聞いて、思う事を長々と書いた。
2017.01.03
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復興の槌音未だ弱しという記事のタイトルを見るにつけ、道程の厳しさを感じずにはいられない。 一旦衰えたものを震災を契機に盛んにすると云う事が現実問題としては重過ぎる課題のようにも思う。 震災前の状況をもう少し掘り下げて考えてみる必要があるのではないか 其れが復興の道筋として必須のように思えてきた。 原発の誘致 原発依存とまでは言わぬが、原発設置に繋る税収・雇用・インフラ整備など色々な面で色濃く影響が大きかったから、事態の深刻さを如何表現したらよいのか 被災者は戸惑っているのかも知れない。東電管轄の高圧送電鉄塔作業員は、福島県出身が多いと聞く。高所危険作業ではあるが原発所在地と言うことで何某の弾みがあるのだと思う。生活丸抱えが出来るような企業が普通の社会では有るわけが無い。 新たに企業誘致が出来るわけではない そもそも原発誘致は最終選択だってのだ。若者が都会へ出てしまう町に新しい企業が育つはずがない、復興とは云わずに元通りになればと思うのだが其れすら衰微の一途を辿るのなら 全く新しい発想が求められる。 慶応大学の先生が確か朝日に載せておられた記事で、原発被災者に対する住居と町の提供をするのに、ゴルフ場を幾つか転用して用地確保をしてはと言う意見が出ていた 道路や水道などのインフラ整備がある程度できていて 新たな環境破壊のレベルが少ない。 卓見であろう その町に住むことが楽しくなるような街づくりと合わせて 手作り 手仕事 人間らしい営み 失われた日本を復元 と云うようなキャッチフレーズを掲げて、全く新しい価値観創造を掲げると復旧ではなく復興の曙光が射すように柳居子思うのだが。 元どうりの復旧が、新たな衰退のスタートラインにならぬようにと祈る。 柳居子花徒然 炬草
2011.07.02
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長居の客 京都ではお尻の重たい客に、帰宅・退出を促す言葉として使われていると思われている『お茶漬けでもどうぞ』という言い廻しは、全国 津々浦々まで知れ渡っている様だが、実際我々京都人の生活や営みの上で使った事も無ければ、言われた事も無い これは大方の京都人のもつ実感で、世上の認識とは著しく乖離している そういう事を以前にも書いた事がある。相手に悟らす 言外に意味が有るという言葉の言い回しは結構多い。 京言葉と一括りに考えると無理が出てくる様だ。花街で着物を着た芸・舞妓やお姐さん達の使う廓言葉と、市井の人が使う普段の京言葉 加えて昔都が在った頃 室町時代からの伝統的な御所の中で女官達に使われた女房言葉 そして皇族・公卿等大宮人の使った言葉など 幾つもに分かれるのだ。前述の『お茶漬けでもどうぞ』と言うのは今でも花街ではよく使われる営業用語なのだ。誰が広めたかは判らぬが 大方の京都人は使わぬ言葉だと覚え置かれたい。 言外の意味を考えねばならぬ一例だが、相手の言っている事が間違っていると思った時、『それは 貴方の間違いだ』とは言わない。程々の距離のある関係なら『そうでしたかいなぁ』と此方は違う意見 解釈をしていると相手に悟らす言葉を使う。『そうでしたかいなぁ』と言われたら要注意 京言葉のルールである。『ほんまどすか』と言われたら相手は疑っているのでは無く感心・感嘆しての そんな事信じられへん『ほんまどすか』になる 言葉面 疑問詞の様な感嘆詞です。 京都人でも殆ど使わぬが挨拶言葉として『ごきげんよう』が有る これは、おはよう・こんにちは・こんばんは・さようなら・おやすみ 色々な場面で使われる公卿独特の言葉と考えられる。使う人が極端に減ったが今でも使う人が居る。親しくしている友人川本卓史さんの従兄妹 冷泉貴美子さんのところへ行くとこの『ごきげんよう』の連発に遭うそうだ、自分までいつの間にか『ごきげんよう』と返しているという。 そういえば知人の佐藤八寿子さんの著した『ミッションスクール』という本の中にも、良家の子女を集めたクリスチャンの学校でないミッションスクールの下り ゴッドとブッダの握手 共存の中で『ごきげんよう』の挨拶言葉の事が出てくるが、箱が変わっても時代が変わっても 中身は変わらぬ人間の本質的な部分に言語生活は位置するのかも知れない。京言葉が難しいと脅しているのでは有りません。
2014.04.20
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朝の珈琲屋の常連席 考えて見ると実に不思議な時空間だと思う。一寸割高だが、一杯の珈琲を挟んで出てくる話題が 何が飛び出してくるか判らないのが良い。訪ねて行っても直ぐには会えない様な人も居る。喋り好きと喋らせ上手が寄ったら 会話の途切れる事は無い。 常連の平均年齢が七十を越えるが 時々参加の準常連とか 紹介で来る人は 概ね若い人だから 平均年齢は 其の日だけ少し下がる。 交される会話や交流の中で、柳居子の蔵本を、東京から来る準常連氏にお貸ししたところ その後しっかりと読んで頂き 読後感をウェブサイトに載せて頂き その本との関係の深い同席の眼に留まり 其れを契機に交流が始まったという。 五番テーブル 常連席で 時々同席するというよしみで゛市長選出馬の追っかけをした人も居た。 同席繫がりは 朝の一刻足らずだが 聞き流す話しだけでも無く 刮目に価する事も有るから そういう会話をたのしみにやって来る人も沢山居る。柳居子の出掛ける時間帯では 一番古くからの来店歴が有るから 『常連頭』という有り難い名前を頂いている。常連頭は 皆が 楽しく喋り合える様に 適当な間合いを取って 言葉を発する。滔々と自分一人が喋るより 聞き役に過ごす時間の方が長いと思う、平均年齢を下げようと 時々若い人にも声掛けるが 『そんな 空恐ろしい席には 坐れません』と、言う 余程 常連頭の目付悪いのだろうが 今更目付きを変える訳にもいかない。
2024.02.15
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観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋ねた。学識の世界 教育の場で使われる書物と、一般庶民 読書好きという人を対象とする書物については。 最初の書き出しが大事だと 言っておいた 先ずタイトル 手に取って読もう 書店に並んだ場合 読者と執筆者との最初の接点 そして詠みだす 最初の書き出しも大事ではないかと思うよ。次に読み進む事に期待感 面白そうという最初のイメージを読者に植え付ける事落語でいう 枕と言われる部分。 柳居子が 東京で五回 京都の話しをした時 其々の会の冒頭 この男のの話しを聞いてやろうと 胸襟を開いて貰う 扉を開く事が大事。 読者に媚びるのでは無く 楽しく読み進んで読了後 ああ 楽しかったとか 爲になったと言う様な感覚を持って貰うのは やはり筆力と言う事だろう 伝えたい情報は充分に出そろっている。 只 京都の西陣という限られたエリアを詳しく取り上げても 多くの読者が 面白いと認めるのは至難 先ず京都に於ける 西陣の立地とか 何故西陣の奈が今に伝わっているか 其の辺りが 落語の枕に相当するのかな 京都の出版社が 悉く出版を敬遠して 東京の出版社が受けてくれる事になったという。下書き原稿を見せて貰った手前 お金出してその本 買い求めようと思っている。
2024.06.16
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