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大文字を模した焼き菓子を「大文字焼き」と名乗るのは何等問題は無いのだが、毎年八月十六日の夜 京都の大文字送り火の事を 『大文字焼き』と言われると情けない思いがする。奈良の若草山の山焼きや 方々で行われる秋の火祭とは 全く意味が違うと思うのだ。特に京都生まれ 育ちの人が、何の衒いも無く大文字焼きと言われたり書かれたりすると その家の常の営みの様な事を考えるのだ。 京都の大文字送り火の起源は、幾つもの説が有る。桓武天皇の御世鹿ケ谷の峰に 北辰を祀り 木々を切倒して 其れを焚き、山川の神に捧げる これを「御燈」と言い 大文字の中心地は この御燈の炉の址という説 又 嵯峨天皇の御世 悪疫が流行り 弘法大師は如意嶽に登り 玉体安穏を祷られた。其の記念が何時までも続く様にとはじめられたという説又 山麓には浄土寺が在った 御一条天皇の時 この寺が火災で全焼したのだが 焼失したと思われたホンゾン弥陀如来像が山上に避難され 毎夜光明を発せられた 仏の偉大さを広めるために大文字を始めたという説 他にも幾つかの起源についての説が有るのだが 何時の頃からか お盆に返ってきた先祖の霊を又送り返す送り火という事に定着した様だ。 田舎では 今でも先祖送りの火を 母屋から道に面した所まで 送り火を点すところが在る。 大勢の人が済む都 京都で各戸が送り火を点すと 火だね沢山 大火になる恐れもあるから 各戸の送り火を 大文字に仮託したのかなと柳居子は考える。山焼き 火祭は 虫送りの意味が有る 折角実った作物を虫に先取りされないように 松の灯明を隣りの部落との境界まで送るのが目的 先祖の霊を送るのとは本質が違うのだ 大文字焼きを使う人ばかりになると 送り火という言葉も消えるのかなと危惧する。余談だか 幕末前後 明治になってからかも知れないが 大文字の供奉をする鹿ケ谷のざいしょ一部落全戸が火事になって 今年は点灯のお役は出来ないと嘆いていたら 鳩居堂の直恭さんか其の先代か後継かの主人が 金銭的な事も含めて応援され 伝統が途切れず開かれたと 聞いた事が有る。
2023.08.19
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幾つまで仕事が出来るかは 判らない。 同業仲間の多くは、もう仕事の現役から離れて、隠居生活を送っているのが多い。 一応の目途として眼が極端に弱って来たら潮時かなと思ったりする。 お迎えする御常連の客人も年取られ 柳居子より年上の少なくなってきたのだが、年若い常連さんも居られる。 名古屋から散髪だけに京都までお越しになる若い人 以前京都にお住いで 月に一度 日を決めたように見えていたのが 二年程前 二・三カ月伸ばしてお越しになった。 『随分伸びましたね。』と言うと『名古屋に引越しまして なかなか京都まで 散髪に越られなかった』と仰った。常殆どお喋りにならない。『上の毛 少し短いめに〗とか『裾は余り刈上げないで』と必要最小限の会話で済ませているのだが この日は如何いう風の吹き回しか 『名古屋の自宅は 理髪店の直ぐ隣です。』 床屋の隣りの名古屋の御仁が 何故京都まで散髪だけにお越しになるのか? お喋りにならないからこちらからも声掛けない。無愛想とも取れる接客姿勢が 其の人に相応しい接客対応をしているのだと気付いたのと同時に 年を取っても変らぬ仕事のレベルを落とす事なく 頑張っている姿勢を評価して頂いているのかなと思うようになった。美辞麗句を言うより 思った事をストレートに言うのは 時としてお叱りを受けたり 不機嫌を招く事も有るが、変えないスタイルが良い 又今更替え様が無い。 度々書く事だが 始めて見えた客人には、『こんな腰の曲がった年寄でも言いの? 今風の刈り方は出来ないとか 自分のできる範囲の事を予め客人に了解を頂いてから仕事に取り掛かる こういうスタイルの店と言うのは無いだろう。 年若い客人は ご自分のお身内の年寄と比較される事も多い様だ。又殆どの客人の来店動機は SNS情報を介して 元気な老人の頑張っている店 其の現場とか 本人確認にお越しになる様だ。元気現役を印象深く見せる事は。自分に取って爲になる事だが 自分だけでなく 多くの人にとっても営業を続けていく上でも 大事な事と考える様になった。 昨日 五十年近く頑張ってくれた 電動バリカンが 修理不能の状態となって退役した、 この先 いつまで使えるか判らないが 新兵を徴用した 明日現場に立つ 今日は久しぶりに 手動バリカンを使ってみる。
2023.08.18
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『終戦の日』というのを、何か奥歯に物が挟まった様な思いをずっと持ってきた。 交戦国の代表が集まって「降伏文書」にサインして取り交わす事が 正式に戦争が終わったという事なら 終戦記念日と言うのは 勝敗が正式に決まる前に 一方的に戦争は終わったという宣言をしたと言う不思議の日になる。 今歴史の一部分と考えると不思議に見える事でも、其の時代の背景 雰囲気と言うのか 空気 書き記されていない歴史の背景を知る事は無意味な事では無い。 終戦記念日は、敗戦を国民皆に周知徹底するための一つのプロセスと見ると必然と解って来る。 終戦前後国政に関わった人の日誌とか回顧録をこの夏読んで、其々の立場でのご苦労な事が判った。明治期以降のシステムだが 天皇制を絶対君主として立てる事で 覇を唱えて 形成不利と見ると責任取らずが罷り通った様だ。又 陸海軍との確執も大きく 開明派と言われる海軍は 高らかに戰を唱える陸軍は距離感を持っていた様だ。敗戦という国際的にも屈辱の日本全体を束ねる力のある総理大臣の人選から始まって 陸軍系の総理大臣の後を引き受けたのが鈴木貫太郎総理 海軍の猛将だった人。絶対君主とされた天皇は未だ若かった。 政府が 和平への展開にソ連を仲介に仕立てて 近衛公を派遣する事を画策していた時、 天皇はバチカン市国を介して和平の道を探ろうとしていたという。公式記録は一切存在しない。 鈴木貫太郎の総理任命は、 天皇の意を汲んでの任命か? 海軍の軍人上がりだが 学習院の院長や 侍従の職蹟も有り 鈴木以外に人無しと託された様だ。1945年2月 ヤルタ会談では チャーチル ルーズベルト スターリンの三巨頭が会談 7月にはポツダムでの戦後処理の巨頭会談では 英国アトリー 米国トルーマン ソ連スターリンと顔ぶれが変わった ルーズベルトが亡くなった時 鈴木は 外信社を介して ルーズベルトの親族および米国民に哀悼の意を伝えたという。 独・イ と日本は少し違う 未だ武士道が生きていると印象付けた様だった 9月2日のミズリー艦上での降伏文書の調印に出掛ける 全権特使の派遣は 人選にとことん困ったそうだ 皆が固辞する中で 外務大臣重光葵 『現況に逆らう事は出来ない。』と大役を引き受けた。 副官は梅津美次郎 片足の重光大使に対して 連合国軍は特に椅子を用意して、 決して屈辱的な雰囲気では無かったと伝えている。 迫水久常氏の事績も面白い。 天皇ご一家の疎開先として 信州松代に大防空壕をつくり 其処に移御という話しを流布して 徹底抗戦を叫ぶ人達を 陛下のお守り役と云う様な名目で 信州へ移し 其の僅かな日数の間に 終戦の詔勅の起草を手伝い 詔勅の読み上げという事になった様だ。 迫水久常氏などは、完全にバイプレーヤーとして 後の世の人には余り話題にもならないが 幾多の名も残らない人達の骨折りで今が有ると思わねばならない。「終戦の日」「敗戦の日」 どちらでも良いのだが 少しばかり理解が深まった。
2023.08.17
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小学校・中学校の同窓会は、卒業以来 殆ど柳居子が仕切って来たが、古稀を境に、出欠を取る同窓会は止める事にした。 昔を懐かしむという歳でも無いし 合えば病気の話し 体が衰えてきたという話しが主流 又案内状の返事ら欠席を伝える人 出掛けたいけどもう体が無理とか 老々介護で無理とか 集まる事の出来る人は良いなぁと 思わすだけ 其れも酷と思うようになった。 随分前に開いた同窓会の席上での面白い事を思い出した。小学校卒業時 学年二クラスだった。 男の先生 女の先生 同窓会はクラスの会では無く 学年全体 二クラス会だった。男の先生は。 軍隊の上がりか 薩摩の士族か 我々生徒に対しては、声掛け 喋る事も上から目線 何時も 『おい こら お前ら』 小学校の時は こういう物だと何の違和感も無く過ごしたのだが 何回目かに開いた同窓会 先生を招待しての会に 『おい こら お前ら』が卒業後何十年も経っているのに抜けて無かった。聞き流せば良い事だが 「なにだ こんな先生だつたのか」と失望する人も居るかと思い 宴席に移って、先生に酒を注ぎに行ったついでに『先生の眼から見ると 何時までも我々は 子供の頃と同じ 『おい こら お前らの思いは変らないと思いますが 歳月が経って この中には社長とか 大勢を束ねる立場の者も居ります。おい・こらは止めて せめて『君達』と仰る方が 品性に適いますなぁ』 注がれた酒には口にせず一言『済まん』柳居子のストレートな物言い 教えられたとか 諭された 思いも掛けなかった言葉の様で 消沈された。次に開いた同窓会では、我々皆の事を『君達』と言葉が改まった。 直言諌めた時 直ぐ隣に居た同級生が『この前 君が先生に言った事 相当堪えた様だねと言った。その次の会 何と「君達」が『あなた達』に替わった 横に居た件の同級生が おい こら お待ら が 君達になつて 『あなた達』 我々は 大きく出世したのだねと笑いながら言った。今は おい こら お前ら は保護者が承知しまい 旧き良き時代の話である 『警察権威の象徴のように使われた『おい こら』は、薩摩士族の『もしもし』くらいの意味の言葉 薩摩士族は明治になって、警官になった人が多かったという』
2023.08.16
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珍しく午後の八時に寝付いて 朝四時まで 一度も目覚める事無く 八時間睡眠なんて 何十年ぶりか記憶にない。ラジオのスイッチを入れると。台風情報ばかり 雨音も激しい。 こんな日は家に潜んでいるのが良いのだが、自宅は寝に帰る家という思いが浸み込んでいて 又前夜手の込んだ弁当を作った事も有り 完全に夜が明けて 雨が小降りになった頃合い見計らって 防水コート上下の完全装備だが 蒸し暑い。 誰一人自転車に乗っている人とは出くわさない。家の前疏水の脇道には かなり大きな木の枝が 強風に捥ぎ取れた様に落ちている。台風下 朝の六時前でもウロウロ散歩と思しき人何人かに出合ったが、皆さん犬のお伴 お犬様の生理現象に付き合っておられる。 犬の排泄物の処理 主従逆転 日本だけの風景であろう。木々の枝が強風で折れる位だから 葉の落ちる量は半端では無い。落ちた大量の葉は排水口を完全に塞ぎ あちこちに大きな水溜まりが出来る。 店に至るまでで 一番強風を感じたのは、 荒神橋の橋の上 川の水位は左程高くはなって居なかったが 横殴りの強い風 二輪の自転車に乗っていたら倒されるような風 ホンに我が乗る三輪自転車は 己の足より 遥かに頼もしく これが無ければ活動の範囲は大きく変ると思う。 伝説のホームレス『新京極のジュリー』の後継と柳居子が定めているホームレスは、身に付ける衣装すら 服の体裁を取っていない。 足 靴に替わってビニールをグルグル巻きにした二つの塊 衣と住は無くても命を繋ぐ事は出来るが 食は如何しているのだろうか? お金拾ってコンビニで食糧買い求める事は出来ない 身なり体裁で多分入店お断りするだろう。二代目ジュリーは、今朝は 鳩居堂の 向かい側に陣取っていた。裸で掛け布団の替わりに段ボールを被っていた。 道筋 自転車や バイクまでが 強風に煽られて沢山倒れていた。 朝の珈琲屋も コロナ過が始まって暫く営業を控えていたが それ以来 今朝は久し振りの休業の張り紙 従業員に何処から毎朝早く来るの? と尋ねた事が有った 結構皆遠方から始発に乗ってとか 又かなりの距離を自転車で来るのも居る。今日の様な日は 絶対人出が揃わないと思うから絶対休業だと思ったが 年の爲店の前まで行ったら やはり臨時休業の張り紙 何処かで珈琲のも無いと体調が狂うかな。
2023.08.15
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朝の珈琲屋で、時々同席する男が居る。 若い時からの顔馴染み 彼は一歳年下だったと思う。 一緒に出掛けたり お互いの家を訪問したりする関係では無いが、諸々の事情も 良く知っている。柳居子徒然のプリント版を時々読んでいて 先日彼が言ったのは、『あんたの記事読んでいてなぁ 一体自分は何をしてきたか? という事を考えるよ』と言うものだから 彼に似合いの事を少し喋った。『あんたが居たから 息子や娘ができたのやろ 種の保存と言う意味では あんたは立派な役目を果たしたでは無いか』 『子育ては嫁ハン任せやった』 『其の嫁ハンに追い出されず大きな顔をしているではないか。』『コソコソと目に付かないように一日一杯の酒が呑めたら其れで充分』と言うから 『我々の歳になると 寝たきりになる人も居るから 自分の事 自分で出来たら 見れ自体が家族思いになるのだよ。』『こうして 過不足無く過ごせる事を 喜ばんとアカン 感謝を先ず考える事やねぇ 世に何の足跡を残さなくても良い 何か残そうとすると 葛藤が始まる。又 今更 何かが残せるという事も無い。 毎日 感謝 感謝で 過ごしては如何かな?』 『相手見て法を説けと言うか゛何の意味も無い命は無い。』少し離れた席に座っていた九十歳のお婆さんを指さして あの人は『なかなかお迎えが来ない』と言うから『貴方が生きているから 息子二人が仲良く過ごしているのだよ 兄弟仲良くいつまでもと思うのなら 長生きする事やと言ってある』 少しは柳居子の話しが判ったのか これからは感謝・感謝で過ごします。」と言うから ルイ・ヴィトンのシャツを着てるなぁ 飽きたらクリーニングに出して、届けてんかと言っておいた。
2023.08.14
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寺勢とか社勢 という言葉が有るのか如何か知らないが、お寺や神社に勢いが有るか その逆衰微の兆しが有るかは、寺・神社の数が圧倒的に多い京都では。市民の見る眼も、街の中一つ二つを構える町とは違う見方をする。 何処の家にも 氏神さんと言って。祭域が決まっている事は神社域もその場所に住めば自動的に氏子と言う事になる。例大祭の御供えと言うのは 新興宗教に凝り固まっている人以外は、町内のお付き合いの延長程度の感覚で 毎年筆頭に書かれた金額に準じた額を出して 世話役にご苦労さんですと言う 氏子とは言ってもその程度の感覚の人が多いのではと思う。 神社には 社格と言うのが有り 式内社 延喜式制定以前から伝わって記載の有る神社 それ以外の式外社 と言う区分けが有り 官幣・国幣・府社・村社という分け方も有り調べてみると奥深い。 又 寺も大本山 本山から 末寺に至るまで 観光収入の金が 湧き出でる様な寺も有れば 其の逆も有る。 朝の珈琲屋の向かい側に在った寺は、参拝者どころか人の出入りを見た事も無かったが 突然寺が無くなり 洛北に移転したと言うが、その後の事も何も聞かないから廃寺になったのではと思う。 毎朝の通勤路に在る神社 大昔に亡くなった人の御霊を慰める神社だから 今の時代 現世利益を高らかに謳って 収入を増やす事は出来難い事情が有るとは思うのだが 荒廃が甚だしい。子供の頃は毎月十八日 縁日の夜店が出てよく通った神社ではあるが 今は見る影無い。先ごろ神輿蔵だけ 寄進では無く クラウドファンディングで新しくなったのだが、本殿や付属の建物の荒廃を際立たせている。殿舎の上に雨漏り除けに被せた防水シートが 劣化して穴だらけ 多分建築関係者に見せたら 補修の出来る段階を既に超えていると言うだろう。 又聞きの話では 先代か 先先代が 大酒呑みで今日の荒廃を招いたのだという。 表門から 本殿に至る道の直ぐ傍に ゴミ焼却炉が設置されている 其の直ぐ後方には 移動式のトイレか? 表門の塀には 色々なポスターが所せましと貼ってある 政教分離を基本に置かねばならないのに 特定政党のポスターが 貼ってある。氏子の中には反対政党支持の人も居るだろうと思うに 現宮司は知らない人だが、多分何か他に仕事を持って 食扶持は神社の上がりとは関係の無い人だろう 人々が神社に抱くイメージと言う事を少し考えられると良い ゴミ焼却炉の煙が 参拝者の浄めにはならない。 寺・神社の悪口を書くと 罰が当るかも知れないが 神域とん山内は結界を引いた内と外というイメージを保って欲しいから 思う事を書いただけ 罰が当るとは思わない。
2023.08.13
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日曜・祝祭日は、一応定休日と定めてはあるのだが、昨日『山の日』カレンダーの赤印は、遠来の外国人 入れ替わり途切れず三人お越し。 日本での床屋の日と決めこんだ御仁たちには 旗日の定休日なんて通用しない。 入って来るなり ユーチューブの動画画像を指し示し 『やっと来る事が出来た』等と言われると 用事後回しにしてでも仕事をする事にしている。このところ日曜日は外人さん専門店の様に 必ず何方かがお越しになる。 外人客を迎えて 何が愉しいかと言うと 全世界から柳居子の店を目指して人がやって来る。これは絶対嬉しく愉しい事なのだ。 偶然居合わせた客人同士が まるで「床屋仲間」のように話しが 盛り上がると 何を喋っているのか判らなくても嬉しくなるのだ。 過日 細君同伴同士の四人が 客待ちの椅子を占領して話しがマリ挙がっていた。先に散髪を済ませた客人は 米国ニューヨークからお越し 俄か床屋仲間が送り出して 次の客人に取り掛かり ご機嫌よく仕事が終り メッセージ帳にもコメントを描き込んでもらって 何処から来たのかも書き込んでと頼んだら 『ロシア』柳居子の店は『米・ロ会談の舞台になっていたのだ。 昨日来た客人は、夫婦間で交される会話は全く判らない、地球儀廻して何処から来たのかと尋ねると『ベネズエラ』と英語で答えてくれた。散髪終わってカードを出され 『キャッシュオンリー』と言うと『何処で両替してくれますか?』と尋ねられた『経験が無いから判らない』と言うと 鞄と細君を置いてマネーチェンジに行くと言うから 鞄も細君も連れて行ってあげて 貴方は絶対料金を持って来るという顔つきをしているから 信じているから』と言うと 十五分程で 一万円札一枚持って階段を上がって来た。一緒の散髪記念撮影は大受けする 大抵握手をもとめられる。 楽しかった日本での床屋体験のプロデューサー役を兼ねている ブログの連載を始めた頃には 考えもしなかった事。 仕事もせずに 訳の判らん事を毎日書いているのやなぁ と言う人には 外人客の評判は 仕事もちゃんとしていますよという証しになるから有り難い。
2023.08.12
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立集を過ぎたとは言え 暑い日が続いている。クーラーが無かった時代 暑さにどの様に対処していたのだろう。 昔とは言っても柳居子の記憶に残る範疇の事だから せいぜい数十年前の事 今も昔も変らず熱かったのだと思う。 昔と今の体感温度の差とか違いを少し考えてみると、まず医師の処方 終末期医療の現場で 家族に対する余命宣告。 柳居子の祖父母の時代 『この夏は越せても 秋風が吹く頃は・・・・』『この冬越すのは難しい』 とか 気温 温度による絶対条件を医師の口から告げられた。夏なら蚊帳か団扇の時代 冬は 炬燵か火鉢の時代 肺炎でも起せばひとたまりもない。 生活の場での温度環境と言うのは 劇的に改善されている。一年中殆ど温度気温が変らない事は 其れ自体が命を繋ぐ重要器機と言う事になる。以前 介護施設が 経営が成り立たず閉館をした時 入所者を他の介護施設に移した途端 亡くなる人が続出した 設定温度が三度程違ったのが 原因と聞いた事が有る。 ヒートアイランド現象は、特に人口密集地帯に影響が多いと思われる。昼間の強い日差しも地道で 地中に吸収されるのと違って アスファルト舗装とか 蓄熱性の高い建物ばかりになると昼間の日差しが其の侭残る事になる、 又単純に五十坪百坪の敷地に一世帯か二世帯が、地面に接して暮らしていた時代に比べて 階層を高く建てて 所帯数人口も 過大になると 排熱どころか 其の人数 これも大きな熱源となるだろう。 地球温暖化を唱え出して久しいが、 温暖化を冷房で凌ぐという姿勢も 大きなエネルギーが要るのだろう。クーラーの室外機の前に立つとよく判る事です、
2023.08.11
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料理は量を沢山作った方が 微妙 妙なる味が出ると信じ込んでいるから、何を作っても半端な量は作らない。 大匙一杯 小匙一杯 何CC 等と言うのは一人前 二人前と少量を作る時の単位 調味料の眼加減 手加減は経験加減と心得ている。 当然の事ながら 柳居子の口に入るのは 作った全寮の一割か二割まで 残った分は殆ど 他人様に差し上げる。大体家族数の多いとか。会社や病院の昼食のおかずとして。 ブログ記事の読者ばかりだから 『いつもお目を汚して申し訳ない ご愛読御礼ポテトサラダです』とか 切干大根の煮つけとか ちりめん山椒 長芋の甘酢和えとか レハートリーが広い訳ではないが 手際よく二品同時に作る事も有る。 冬場は灯油ストーブが活躍してくれる、 時間潰しとか お遊び感覚の料理作りではあるが やはり男が作る手料理と言うのは 御婦人方から見ると ご自分の旦那さんとの比較をされるのか 『うちの主人なんて ぜったこんな手の込んだもん 作れへん。』と言って褒めて頂く。 ご亭主との比較だから 味の点は 大甘かと思う、以前に書いた事も有ると思うが 切干大根の煮つけ 柳居子は人参 揚げ豆腐 椎茸に加えて 干し海老を入れる。味が何となく深まって来る感じがするのだ。上出来を近所の奥さんに差し上げたら 戻ってきた器に立派な鯛の切り身が入っていた。『大根差上げて 鯛を頂くのは 一寸 つろくしませんなぁ』と言うと『頂いた千切りには 海老が入っといたから 海老に釣られて鯛持参ですと言われた。 昨日早朝 ポテトサラダを沢山作って 何軒かに配って 一番大きなブラケースに入れたのを 何時も何かと頂く 松長の若女将に届けようと思っていたら ご本人がやってきた、 『横浜のお土産 食べて下さい。』『あんたが来るかと思ってポてサラ作って待ってたんや』゛『物々交換ですね。』 このポテトサラダは、あなた達の 賄い用だから。客に出したらアカンと念押ししておいた、 昼に差し上げた物が 晩に客用に出ていた事があつた。 『それでも 下さんの作る料理 美味しいもの』 本当に褒められているのかは 判らない。料理を作ると 女性との会話がスムーズに展開する事が有る 『一寸胡瓜が安くなったね。』男がそう云う事を話題に上げる事は少ないと思う『野菜類は付いている値段に惑わされたらアカンねぇ 手に取ってみないと。』『よう判ったはる』と言われる。年も年だがもう男とは見て貰って無い と思う事が時々ある。
2023.08.10
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被爆の語り部という人達が高齢化して、実体験を語る事の出来る人は、もう年齢的には 殆ど居られないのではと思う。後世に伝えねばという志は、能動的 再び原爆の惨禍を繰り返さない様にと考え行動に移すのは崇高な事だと思う。 父 柳居は、終戦時 広島県宇品で 陸軍に軍籍が有ったにも関わらず 浅薄砲兵として護衛艦にのるのが軍務 尤ももう乗る船も無く 軍隊では上官の頭を刈っていた様だ。広島に原爆が投下された直後 支援の爲広島に動員されたのだが、 原爆投下直後の広島の話は一切しなかった。それでいて支那事変 金鵄勲章叙勲の軍功の話は耳に胼胝が出来る程聞かされた。 町内 山中表具店の先代は 仏印インパール作戦に従軍され 生き残りが稀だった人 『一将 功ならず 万骨枯れる』と言われた牟田口 廉也中将の判断ミスで 数多くの戦友が餓死する様な凄惨な戦場となった、補給路を作らず現地調達 興味の赴くまま インパール作戦の事を尋ね 答えを頂いていたが ある日 もう想いだすのが辛いから インパールの話はしないでほしいと言われた。 父 柳居の原爆投下直後の広島の話しが出てこないのも想いだすのが辛い そういう感覚は 平和な時代に生きた我々には判らない事だと思う。先日ご恵送頂いた 畏友川本さんの御本にも 原爆で亡くなった父君からの手紙や 沢山の子供を残され寡婦となられた母上宛ての手紙など 今後どの様に処分すべきか 内容を触りが無いように御本にされるのは良い方法だと思う。 御本には載っていない事だが ご自身も被爆者の身として 結婚の問題 子供がちゃんと出来るか そして五体満足な孫が出来るか 立派な孫が出来て やっと 原爆症と言われる呪縛から逃れられたと仰っていた。核抑止の爲の核を持たない 世界中の人がこういう考えを持つ事は出来ないと思う、戰が終ったら次の戦に備えると言うのが、人類の長い歴史が証明している。 限定核等と云う言葉使いも有るようだ。
2023.08.09
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何時もブログプリント版をお届けして読んで頂いている老婦人。柳居子より年上は敬いの意味 思いを込めて『老』を付ける。 盆・暮れには必ず購読・配達料に替えてと 季節物を送って頂く。 先日も道端で、バッタリと出逢って立ち話 否柳居子は自転車のサドルに座った侭。話しが少し長くなった。 配達して読んで、印象に残った記事の読後感を聞かせて頂く。やはり印象深く残るのは。旧い京都の街並の記事 今日は何も書く事無いから 横町の旧い町並み 営みの事でも書いて お茶を濁すカ そういう軽い乗りで書いた物が、大受けする事も有る 『親しかった人の名前が出て 昔が甦り 今 何されているのかな? 久し振りに電話を掛けたら 相手も私の事を元気にしているかな 一度電話でもと思っていたところへ 電話がご本人から掛ってきたから 吃驚したと言ってました。』『是非 近い内にお目に掛かりましょう。』という長電話になったそうだ。 流行り歌と言うのは、其の期間が限定されているから 値打ちが有るのかも知れない。常時流れる曲だとそう云う耳で聞くが 期間が限定されると その曲を聴くと自分自身の当時の記憶 体験が甦って来る この曲流行った時 ○○チャンに熱を上げていたなぁ とか 最初の失恋記憶だなぁ 昔を想いだす便として懐メロは値打ちが有るのだろう。 その曲を懐かしむ人が居て 成り立っている一つの世界だろう カラオケで軍歌を唄う人が皆無になったという 時として人と人とを繋ぐ様な役割も有る柳居子徒然も 見かたよっては 懐メロ感覚盛り沢山 昔を懐かしむ多くの読者に支えられているサイトと思う。
2023.08.08
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昨日日曜日は店の定休日だったが、店の一階 扉の施錠を忘れて、ご恵贈の本を読んでいた。 何故店で読書かと言うと、この猛暑自宅で掛ける冷房は経費扱いにはならない 店の電気代は経費として処理できる。 逆にタオル類の洗濯は自宅でする。 基本料に近い水道代の節約になる。慎ましく生きている。 施錠してなかったので、体の大きい外人さんが入って来た。『今日は定休日だが、』と言うと 『明日朝は何時から営業開始か』と聞かれた。 朝は既に予約が入っているから『今日は休みだが 遠くから来たのだろう 明日より今日の方が都合が良いのだろう』とか言いつつ 椅子に招じ上げてカットと髭のトリミング シャンプーをしている時 又一人 白皙の美丈夫が入って来た。一人仕事をするのも二人するのも同じ事と『一寸待っててね。』と声掛け 先の客人の仕事を終えて 例のメッセージ帳に書き込みをして貰った。後から北客人と何やら楽しそうに話し込んでいた。五千円札一枚だしてお釣り差し出したら其れは心ばかりのチップ 受け取って下さいと言って帰られた。 二人目の客人は ルーマニア出身で 今はオーストラリアで心臓外科の医師をしていると言われた。『若い時だけの仕事 私のように78歳になったら 出来ない仕事だね。』と言ったら『判っておられる』と言われた。定休日の散髪終わって珈琲でも振舞って 話しの続きをしようかな 誘ってみるかと思ったが 次の用事も有るので 止めにした。 一緒にコーヒーし言ったら絶対喜んでと付いて来る雰囲気だったが。 ブログプリント版の配達や 遠来の客人二人の仕事 夜のお付き合いも有り 一日フル稼働だった。
2023.08.07
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朝の珈琲屋の円卓で交される話題は、高邁で、この席に座る幸せを感じる様な事は 滅多に無い。 誰も彼もが好き勝手な事を持ち出して、其れを皆が突きあうと言うレベル。 只 同卓仲間には其の道に詳しい人が居たりして 会話の内容が 拡がり 深まる事が有る。先日誰が言いだしたか 風俗営業の変遷と云う様な話題となった。 遊廓の存在 花街は、今、おもてなし文化の最高峰と言う位置づけになって、特定の場所に残っているが、昔は何処の街にも遊廓は在った。昔の人は今より好色家が多かったのかと言うとそうでは無い。男として生れて 長じて一家を構えて妻子を養う事が 現実には叶う事の出来ない男が沢山居たのだ。女と生まれても兄弟姉妹の沢山居た家は、 娘を奉公に出す 奉公先が遊郭だった事も有るのだろう。 女衒(ぜげん) この言葉も聞く事絶えて久しいがほぼ死語領域 言葉悪く言うと 人身売買の斡旋業と言う事か。 昭和20年の敗戦後 この世界 風俗業界もガラリと変わった。洋風のハイカラモードとなり 飲屋と言うのが キャバレーになり ナイトクラブ・洋酒喫茶・アルサロ・昼サロ・ 長襦袢サロン・・・・枚挙にいとまなく出来て すぐまた廃れていった。『キャバレーは、フランス語ですよ。』と声が上がった 19世紀末 パリで始まった 小さな舞台を設えで 寸劇や歌を愉しみつつ飲食をするというスタイルが ヨーロッパ中に拡がり 其れが戦後日本に伝わった。ライザ・ミネリ主演の同名タイトルの映画を見た事があった。アルサロ 多分 アルバイトサロンの省略だろう。 アルバイトで構成されているのなら 本職の女給・ホステスさんは居ないのだから 主婦とか 女子学生の小遣稼ぎの場と云うのが 本来の意味とは思うが 昼サロ 長襦袢サロンと進化して廃れていった。女給は 『女給仕人』の省略か? -ホステスも 他所の国では催しを主宰する女性 と言う意味で使われるケースが多いと思うが 日本では酒席に侍る女性の事。 キャバレー談議は続く。
2023.08.06
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例年になく暑い今年の夏 例年になく色々と行事・予定が混み入っている。今日は何処へ 誰と行くのだったかな? 誰が訪ねて来る予定だったかな? 約束した事を紙に書いて 又其れを見忘れない様に 毎朝見るブログ記事の下書き帳の表紙に書き込んである。朝の珈琲屋仲間だった 寺町の丸三洋服店の 野上純一さんは 約束した事を小まめに手帳に控えておられた。手帳に控えたのをチェック出来ていなかったのか 大事な用事に無断欠席 手帳以外に電話の横に設置の黒板に書く様にしたが、其れも読み忘れ 『もうアカンわ。』と言われ程なくご他界になった。 頭の機能の劣化を自覚できる内に 遠いところへ出掛けたいと考えている。読み忘れの無いように 行事予定 予約でお知らせ機能の付いているスマホを持っているのに 使わずに老いの段階の自己確認をするようにしている 小学校同窓仲間に 忙しい 忙しいと こぼしたら 『何を贅沢言うてるのや 僕らは、誰とも話を交さない日も有るし 誰も訪ねても来ない。 君は羨ましいだけだよ。』と言うから話題を変えた。 珈琲屋仲間のO君 天衣無縫と言うのか お坊ちゃま育ちが其の侭大きくなった様な人 卓の誰からも 坊や 坊やと可愛がられている。幼い時の床屋体験が トラウマになって、散髪は大嫌いだが髪は伸びる。いつも手短にと言われ 一寸時間を掛けようものなら 『大体で結構です。』 要するに理髪の椅子に座るのが大嫌いの様だ。 其の彼が 珍しく 『柳居子さんが 鋏を置いて引退される日に フルコースの散髪をお願いします』と言われた。『引退せざるを得ない状況になってから 顔剃りも含めたフルコースより 未だ手が動き 眼が見えている間に 印象に残る最後のフルコースの散髪をしよう。』 と言ってある。大嫌いな散髪を、散髪好きにしたい。。
2023.08.05
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受けた仕事 時間指定をされたら、 絶対間に合わすというのが、プロとしての当然の矜持と考えている。 時間内に納まりそうも無い時は 顔剃り省略とか 洗髪なしというケースも有るが。 何時もお越しの客人の場合 受けたフルコースが何分掛かるかと云うのも判っているから、少し時間足りないなぁと思いつつ受けてしまう。 寺町のすき焼き屋さんの御主人も 猛烈にお忙しい人で、何時も出来上がりの時間指定を受ける。顔剃りに手間が掛るから 髪の毛カットは、超スピードカット シャンブーして 頭髪頭皮 カラカラにドライヤ使って乾燥させて 何時も指定時間の一分・二分前に仕上げる、手抜き無く定められた時間内に出来上がった仕事は 客人より柳居子の方が嬉しくなる。 七十八歳 現役一線という思いがするのだ。 二・三分前の対処に プロとしての本領発揮と言うシーンに 出交した 眼では無く 耳で。 今朝 3時から 井上揚水を取り上げた歌番組を聞いていて 最後の一曲と言われて掛った曲が 音が小さくなって途中で消えた、『曲の途中ですが これから全国の天気概況と 各都市の天気 最低気温 最高気温をお伝えします』というアナウンス ふと枕元の時計を見ると 3時57分 何時もは55分から始まるお天気のお知らせが 2分遅れのスタート 枕もとの時計はデジタル表示 秒までが数字で表示される 常は考えられないほどの早口だが アナウンス 喋っている事はちゃんと聞き取れるレベル。天気概況を喋り終えたら58分50秒 4時の事報まで後70秒 秒針と睨めっこしながら 全国の各都市 沖縄から北海道の根室までの天気・最低・最高温度を喋り終えたら 4時15秒前 『10秒ほどで 四時の時報 続けてニュースをお伝え致します。直ぐに時報のモードとなり 無事にゴールイン。 天気予報を間違いなく 定められた時間内に納める 此方は時計の秒針見て手に汗握る思い 秒針を見なかったら 天気予報四時までに納まるか やきもきしなくても良かったのだが 其れでもブログ記事ネタと思えば 朝の一仕事が済んだ思いがするのだ
2023.08.04
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相手に関心を示すという事と同列に 相手から関心を持たれる事は、会話や対話が円滑に進む重要な要素になるかと思う。例え言葉が通じなくても 又根柢の考え方が違う人でも 自分のスタンスとか考え方を伝える事は お互いの爲になる事と思うのだ。 昨日お越しの遠来の客人は、イタリアから 風貌は完全に外人さんだが 日本人の母とイタリア人の父との間に出来たハーフです。と仰った。産まれてからのイタリア育ちだから 会話はゆっくりとこちらが言葉を選んで喋ると問題無く意を伝える事の出来るレベル 先ず来店目的が面白かった。 『二年程前 偶然 ユーチューブで貴方の顔剃りの動画を見て 若し日本に行く機会が有ったら 必ずこの人に顔を剃って貰おうと期待して来ました。』『顔剃りの動画を見たのがきっかけですから 私も動画を撮ってもよろしいか?』断る理由は何もない。腰の曲がった現役老人の動画を撮るのだね。』と言ったら『腰が曲るまで 頑張って来られたから 今が在るのです』嬉しい事を言ってくれる。『二年程前に見た動画は600万程ヒットしていたのですが 今回日本に来るので改めて顔剃りの動画を見たら 870万にもなっているのですね。世界上で870万の人が見たのを 私はそのうちの数少ない体験者になります。 髭の量は多かったが、 剃り易い髭だったので 文字通り ツルツルに剃り上げる事が出来た。感動 感激の態 暫く言葉発せず 顔を撫ぜ廻していた。 イタリアで この人の周辺で動画と共に日本の理髪師の神話が始まる。日本の人なら 極 当たり前の理髪店での顔剃り体験も 国が変ると神話の様な扱いになるのだろう。『又 日本に来るときは 必ず又このお店に来ます』と言って帰られた。再来日まで体がもつか 伝説になるのだから其れも良しとしよう。
2023.08.03
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昨日 昼食を始めようと手作り弁当を拡げた途端 客人が入って来られた。弁当の中身を見せたくない人 十九日 誘い合わせて朝粥に出掛けるお店のご主人 『どうぞ 先にお済ませください。』と声掛けられたが『お客さま待たせて 目の前での食事は 喉に通りません。』と 拡げた昼食に布巾を掛けて仕事に取り掛かる。 さあこれから鋏というタイミングで 又一人入って来られた。 『先の御客さまこれから取り掛かりますので 大分待って頂く事になりますか゛?』と血げると『待たせて貰います。』 という返事 ものの二分もせぬ内に 又一人 東南アジア系人 『ウェイト?』と言うとOKのサイン 二人の客人が待合の椅子で先に来た人の散髪を待つというシーン 一番気を使うのは今仕事をしている人 混んできたから手抜きと思われない様に一所懸命 ふと 客待ちの二人に眼を遣ると 二人血も スマホの画面と睨めっこ一人は ゲラゲラと笑い声が聞こえてくるような顔つき 柳居子の心中 何かが弾けた。先に来た人の後を待つのは 決してロスタイムでは無く スマホ対応時間も兼ねているという事か 特に迷惑を掛けている時間では無いという事に気付いた。 本当に急ぐ人は又出直しますと帰られる。スマホ時代は良い時代なのだ。 最近客人から チップを頂くケースが増えている。グーグルマップには 下前理髪店 紹介のクチコミの新たな書き込みに 『気持ちよく 指示した時間内に高いレヘルの散髪をして貰った 皆さん 気に行ったらチップを弾みましょう。』と書いてある スマホのこの記事読んでくる人が多いのだと解った・スマホ様さま 昨日書いた記事と裏腹になったが どちらも本音だ。
2023.08.02
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何か判らない事や、知りたい事は、今は瞬時にスマホにキーワードを入力するだけで 解説 教えてくれる。知る事に何等煩わしい手間を掛けなくても何でも知ることが出来る。昔なら考えられない事が今の世の中の現実となっている。 柳居子は毎日掲載の記事を自宅で書いている。自宅は持ち帰る新聞と ラジオと本以外は何もない。 辞書類は 常に手許に置いている物だけでも二十冊を超える。 辞書のお世話になる事は多い。SNS ネット情報に挙がった内容が、決して無責任とか 信憑性を疑う様な事は無いのだが、余りにも簡単即座に 物事の説明が為されると 解ったと瞬時に思っても 何となく身に付かない様な思いがするのだ。 辞書を引き 専門書を読んで身に付ける事は、頭の中にしっかりと刻み込まれている様な気がするのだ。一つの事象との関連 前に知り得た知識と関連付けると云う様な事は、 スマホの画面で仕入れる情報とは 本質的に違う様な気がするのだ。 時代の移り変りのスピードは速い 決して昔風が秀でていると云う心算は無いが 自分のスタイルは 崩さずにこの先も過ごしたいとは思うのだが、重い辞書を机の上に よっこらさと置き ページを捲る作業も 荷が重くなってきている、家にテレビが無いと思索の時間は増えますよ。
2023.08.01
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二年程前まで、散髪にお越し頂いていた客人 『もう お店まで出掛ける事が出来なくなりました。長い間有難う。』という連絡を頂いて『お差し支え無ければ 私がご自宅までお伺いして、髪の毛刈らせて頂きましょうか?』と申し出たら 『お願出来る事なら 是非に』と言われて三回お伺いしている。昨日も散髪の道具一式持って出掛けた。『本当に長い間 お世話になってます。』と仰るから『まだまだこれからも続きますよ 百歳に為られるまでお伺いしますよ』という話しをしたら、『六十五年程お世話になってますと言われ、 ふとこの方が 大正五年(1916)生まれの父 柳居の干支一回り下の辰年だった事を思い出し 辰年のお生まれでしたねと言うと お父さんが辰年生まれのお客さんを集めて一杯飲みの会をされていて 私も誘われましたが 一度も行けず仕舞いでした。 父が存命なら 百七歳 一回り下なら1928年生まれの昭和三年、前で頭を刈っている人は九十五歳 百までと言ったのは射程距離内の話しなのだ。そう言えば理髪の仕事に就いた六十三年前もうこの客人はお越しになっていた。 訪問介護を受けて一人で住んでおられる 何処も悪いところが無いしいう。『何をして一日お過ごしですか?』と前々回散髪の時に尋ねたら 新聞を隅から隅まで読みます。 世の中にはこういうお年寄りも居られるのだと感心して 柳居子徒然プリント版を何枚か差上げたら しっかりと読んでますよという証しの様な会話が続く。 御尊父もご本人も教育界に身を置かれた人 現役教員時代のお話も承る。散髪は 残った髪の毛も少なく 手早くすればあっと言う間に終わるのだが、髪の毛を切るという目的以外の訪問意義が有る様に感じるのだ。古い昔の話を交す事は何よりもこの人の元気のファクターになる様に思うのだ。 奥様は介護施設に入ったきり 色々とご事情が有っての九十五歳の独居と思われるが そんなことはおくびにも出されない。散髪終わってお茶でもとと言われて 『とんでもない 九十五歳と知ってお茶の接待なんて 口が腫れあがると固辞した。例によって次の散髪の日をカレンダーに赤字で『散髪』と書き込んだ 九十五歳と普通の会話が交せる事が嬉しい事なのだ。
2023.07.31
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朝の珈琲屋の常連メンバーは、平均年齢が七十歳を越えているから、話の内容はともかく 旧い表現、今はもう滅多に使わない様な言葉がポンポンと飛び出す。 その言葉を誰もが理解しているから 会話はスムーズに移行する。 いつも少し遅れてやって来る若い医師は、顔つきも童顔 テーブルのマスコットボーイの様な存在 其の人が席に着くと平均年齢が 何歳か下がる。 先日柳居子の隣りに座っていた人が 何か思う事が有ったのか 卓の皆にアップルパイを振舞われた。遅れてやって来る若い先生の席の前にも一皿置かれた。『まるで 陰戦ね。』と隣の人が言う。 旅に出る人や、出征中の 夫や息子り平安無事を祷り 供するのが陰膳の意味だが 未だ姿見せないから陰膳と言った様だ。遅れてやって来た先生に『陰から 本膳になったねぇ』と言ったら 何の話か? という顔をされた。陰膳 久し振りに聞く言葉『死語ですか?』と聞かれ 『休眠語』ですと言っておいた。 此の類の言葉は、 我々の世代は辛うじて理解が出来ても使う人は仕え人は消えていくのだろう 母が常に使っていた『おおきに はばかりさん。』 聞く事絶えて久しい。
2023.07.30
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チップと言うのは、飲食や宿泊 又 柳居子の仕事等 サービス業全般の、「従業員」に対して 客が与える料金以外の金 祝儀とか心づけと理解している。遠来の客人からは このチップを頂く事が多い。 従業員の懐に入ったのなら問題ないのだが 柳居子は売上金の一部として処理している。 昨日 カナダと中国からの客人が続いた。殆ど同時に入って来たが カナダを先に取り掛かった。 カナダ人の散髪は 左程伸びては居なかったのだが、こんなお粗末な散髪で料金を取る理髪師も世界には居るのだなぁと驚いた。頭頂部の 髪の毛の処理が全く手付かず。例によって「私に任すか」の言質を取って 頭頂部の髪の毛を梳き鋏で量を減らし すくい刈りという技法で 前から後ろ 左から右へと細かく刈り揃えると 全体のシルエットが左右均等のシンメトリーになる。『これで良し』というアクションを客と共有すると 後は裾の方を刈り揃えるだけ 客人はカットだけで大満足だが 加えて ツルツル顔剃り体験 ドキモを抜かれた様だ。例の朱印帳のメッセージ欄に長文の書き込みをして 一緒に記念撮影 料金 4000円を請求すると 1000円札5枚を差し出され 一枚多いと返そうとしたら どうぞ受け取って下さいという所作 握手を求められ ゴッドハンドと言われ 『又日本に来たら必ず此処へ来ます 何時までもお元気に』と言って帰られた。 一部始終を見ていた中国からの客人 先に帰ったカナダ人と 同じプロセス1000円札5枚だして一枚は心づけと言う事まで 目の前の前例を踏襲された。休みなしの二人続けての徒事は ハードと思う事も有るが チップの受け渡しを次の客が見てくれるのは、結構な事だと思った。
2023.07.29
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昨日は月に一度の 整形外科通い。営業日だから、出来るだけ早く診察を済ませて店に戻りたいから、朝一番の順番席取りに出掛ける。半年ほど前までは、毎日 自注射の注射薬を貰いに行っていたが 容態が改善されたのか 診察の後両腕に 月一度 注射を受けるだけで住ませる事が出来ている。朝の珈琲屋の定刻 柳居子が姿見せないのは 診察の順番取りと皆が知っているから 『今朝は何番やつた』と声が掛る。四ケ月に一度 骨密度を計って貰うのだが 先生の言うセリフは決まっている『随分 数値が良くなったね。 もう一頑張り』誰にでも同じような事を言うモノだから尋ねた事が有った。『大分良くなったとは言っても 若い時と同じレヘルに戻る事は無いのだから 年寄同年代の平均値に近付いてきたという事ですか? 絶対 元通りにはならないのですね』と言ったら 他に患者もいた 先生との遣り取りを聞いて居る人も居るから 先生 眼で『貴方の仰る通理です』と返事された。 まあ 何も手を入れなかったら もっと状態が悪くなっているかも知れないと思い 月一度通っている。両腕に受ける注射は 痛い注射 受けた後も暫く痺れた様な痛みが残るが 散髪の仕事に取り掛かると 不思議と雨霧消散する。いつも注射をしてくれる看護師さんに 『痛みに我慢強いのですね』と言われた。『痛いと言ったら 誰かが傷みの分だけ替わってくれる訳でも無し 平成を装っているのですよ 痛いと大声あげたら 薬の効果が増すのなら大声あげる』と言ったら笑っていた事故 怪我で時々若い患者もやって来るが、大体年寄特化 症状がもう少し進み 重篤な患者は来ない。故に診察受けて家に帰るのだから 終着駅では無いが、鈍行列車の各駅停車 幾つか前の 停車駅 待合室に似たり。
2023.07.28
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人と 人とが繫がるというシーンは、昔なら想像もしない事が、現実の事となる。 ブログ記事の連載が 古くからの知己 松井孝治さんの眼に留まり、東京での 『京語り』の会を開いて頂き、今迄何の接点も無かった 誰もが居るお偉い方や 元外交官とか 沢山の 東京友達が出来た。又 京都にお越しになると、朝の珈琲屋仲間としてお迎えしている。 日曜日 山口源兵衛さんのお店で、旧いレコードを聴く会が有って 参加したのだが、妙齢 柳居子から見ると何方も若い女性二人から声掛けられた。持参のブログプリント版を差上げた。東京での「京語り」の会に何度か参加されていたそうだ。 腰の曲がった床屋の隠居を『先生』と呼ばれると 面はがゆい。横に居た赤シャツは、気を効かした心算か消えていた。祇園祭の見物兼ねての京都入り 古レコードを聴く会にも参加 柳居子の登場は想定外だった様だ。フェイスブックお友達申請も有ってお受けした。 書き人をよく知る読者とは、会話を交わすような仲間繫がりとなる。眼には見えないか細い線や電波で繋がっている紐帯は、切れる事が無いる現役で未だ仕事をしている事が やはり好奇心を呼びお越し 又色々な人から聞く話しが ニュースソースにもなっている。 現役一線らしく振舞ってはいるが 昨日 グーグル絡みの広告会社から電話が掛って来て 『マップのお店情報 クチコミ欄には 海外の人の評価が高く 満点に近い4・.8が付いてますが 営業時間とか予約制の事 又料金の表記が有りませんが 弊社でお客様に判り易く御作りしましょうか』し云う内容 前も一度掛って来た。『私の店の より繁盛を考えてのご提案だと思いますが、私はもう78歳の老人 一人で仕事をしています。何時廃業しても不思議の無い店ですから 慣れきった今の営業形態で充分 折角のご提案ですが ご辞退致します。』と言うと『七十八歳なんて信じられない 私の祖父より年上 仰る事よく判りました。いつまでもお元気にご活躍ください。』と返ってまた。教えられた接客電話トークとは 少し外れた内容だった。
2023.07.27
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体力の衰えを如実に感じるのは、無理が効かないという事かと思う。床屋稼業の現役は、若い時から続けているから出来る事で。かなりハードな部分も有る。喉仏に鋭利な刃物突き付けているのだから、生半可な取り組みでは出来ない仕事でもある。 一昨日 店の終い掛けに、二人連れだって入って来た客人 フランスからお越しの客人と判ったが 先に取り掛かった人の散髪・顔剃りを終えて ふと時計を見ると 午後六時五分 途端に疲れがどっと押し寄せてきた。次は自分の番と待っていた客人に『誠に申し訳ないが 私の心は貴方の散髪をしたいのだが 指先と手が、疲れ切ってもう仕事するのを嫌と言ってます。明日朝九時に又来て頂けるかな?』 『判った』と引き揚げてくれた。 昨日午前九時にやって来たのは 地元紙の記者 先日の大叔母の事を書いてくれた記者『上手に纏めて有ったねェ。』と伝言したらご丁寧に挨拶に見えた。 前夜の予約客の話をしていたら 九時二十分過ぎに 前夜散髪無しで帰った客人が、また新しい客人を伴って入って来た。 九時に来ていた記者は 一昨日と同じく その前来に来た時も 外人客の来訪で話の途中で席を立った。『外人客の多い店特集に柳居子の店を取り上げる』とか言っていたが『御免被る』と言ってある。
2023.07.26
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京舞 篠塚流の六世 篠塚梅扇家元氏とは、親しくお話を交す様になって随分と歳月が経つ。 最初の出逢いと言うのが、前世の曳きあわせの様な面白い会話で始まった。 朝の珈琲屋だつた。 店の混み具合も有って、某日朝 柳居子の隣りの席に座った。何処の誰か判らぬ人と隣同士では 相手は女性 緊張するだろうと声掛けしようと思った。 家庭の主婦という雰囲気ではないが 水商売浮かれの稼業にも見えない 不思議な人に『何の仕事しているの?』単刀直入に聞いたら『京舞を教えています。』と言う答えが返ってきた。 『京舞はなぁ、今は井上流が、一頭地とびぬけて 宗家の様に見えるが、昔は篠塚流という流派が有ったが 流派を継いだ人が若死にしたり 師匠が 大酒のみとかで 廃絶したのだが 今から三十年程前か 他流の名跡の人だったが 京都一中を出た人が篠塚流を再興して 五世梅扇を名乗っていたよ。 郷土史家 田中緑紅氏の 京を語る会発行の 『京都の舞踊』冊子を読了して直ぐの事だから 澱みなく井上流で無い 篠塚流の話をした。相手の女性は口をポカンと空けて呆れ顔 『私は、五世梅扇の娘です 篠塚瑞穂と申します。』 相手も吃驚したが 此方もまさか流の再興をした人の娘とは 事有る毎に、人集めや 部外者だから言えるアドバイスや 篠塚の応援をしてきた。 後援会が有るようだが 会に入ると縛られる様な気がして 後援会費も払わねばならないから 自称応援団長を名乗っている 団員はもう一人だけ俳優の 栗塚旭君 先代梅扇の高校の後輩でもあって 一度一緒に舞台に立った事も有るという。社中の皆さん何方とも親しくさせて頂いている。 先日社中の一人が 九月十日 甲部歌舞練場で開かれる 在京の邦楽の家元を集めての踊りの会のチケットを届けて頂いた。 家元と最初に出逢った時は 未だ六世を襲名されて無かった、其の出会いは 邂逅とでも言う始めて合うのだが 思いも掛けない巡り合いの気分家元自身が 地唄 『菊の露』を舞うそうだ 応援団員 栗塚君には 場を盛り立てる『ぞめき』の練習をするようにと言っておいた。
2023.07.25
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毎朝更新アップする フェイスブックに 一番最初のアクセスを頂く方が二人居られる。一番乗りは一人だから 競うように柳居子のサイトにお目通し頂く。 畏友のお二方は、御厨貴さんと三浦武さん お二人の「いいね」や「コメント」を頂くと さあ 今日も始まった 頑張ろうという気合いになる。 世界的なSPレコードの蒐集家でもある 三浦武さんが、昨日祇園祭後祭りの宵山で 人が溢れ返っている 山口源兵衛さんのお店の奥座敷で 三十人程集めて 旧いレコード 手回し蓄音機で聞く会を開かれ 柳居子も出掛けた。バッハとショパンの 耳に馴染みの有る曲 二十世紀前半に活躍した演奏家の貴重な音源を蓄音機で聞いた。残念な話だが クラシック音楽は、ほぼ門外漢では有るが 三浦さんの蓄音機のレコードを聴く機会は、何度か有り 判らずとも理解出来る事も有る。古いレコード音源を蓄音機で聞くのと 今の音源と根本的に違うのは自然に集音してレコード化した音源に比べ 今は演奏者以外の人の手で音源として完成品に作り変える程の加工が為されているという事 SP番だと奏でられた音の拡がりの様な物まで集音する 再生すると其れは臨場感を与えるという 今の録音だとそれは 雑音と言う事になり綺麗に削除される様だ。興味深く聞いた。 ビクターの犬が蓄音機からの音に聞き入っている図の説明とか SPレコードは六百回掛けると、溝がすり減って来るとか 今に残る優品は お金持ちのコレクターが 発売ごと買求め 其れを大事に保存されたモノ 三浦氏の レコードの扱い方を見ただけでも レコード中心の生活の営みか? この人の奥さんはどんな人なのか? 門外漢の関心事は、やはり門外漢のレベルとしか 言い様が無い。
2023.07.24
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他人(ひと)に、話しかけるとか 会話を交わす事が出来る事は、惚けを先送りになると聞いていた。 幸いな事に眼も指先も若い時からの延長で 床屋稼業が続けられている。 稼業とは言っても 完全に隠居仕事で、自分の梃子に合う人限定だが 精一杯頑張る。 若い対応の出来そうもない客人には、入って来ると則降参両手上げる。 『もう そんなハイカラな頭 よう刈らん ハイカラて知ってる?』『・・・・・?』『今 流行りのトレンディなヘアカットは。出来ないと告げる。 SNS 自分自身は、店の事は何も発信していないのだが、今は結構な時代で、グーグルとかユーチューブとかで 柳居子の店が 情報として挙がっているから 客人が方々からやって来る。 余禄を頂いているのだが 多くの人と接する機会を頂く事は有り難いと思っている。 加えて6314連載 17年前から欠かさず掲載を続けている毎日一文の投稿 自分の覚えの記録では無く 他人が読む事を前提にした連載は、友人の医師から 『何か文を書いていると惚けないよ。』というアドバイスも有って始めた事だが 結構な数の御愛読者が居られる。 世の爲 人の爲にという高邁な心掛けで書いた物等一つも無いと思うのだが,先日馴染みの割烹屋へ何枚か届けた中の一枚を持ち帰り 母親に渡したところ 食い入るように読んだ一篇が、何か 迷いを解きほぐす様な内容だったそうで。毎日 必ず読みたいと仰ったらしい。どの記事に触発されたのか 読み返しても判らない。ご大層な事を書いている訳では無いと自覚しているが 些かでも 他人のお役に立ったのなら嬉しい事である。小学校時代から仲良しの女性から『あんた 結構質の高い老後を送っているネ』と言われた。褒め言葉として聞いておいた。
2023.07.23
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一つの事象を流れの中の一つ 一部分と捉えるか 点と捉えるか 物事の理解は大きく違ってくると思われる。 例えば京都の街を特定の場所を点として見る事は、余り意味が無い様に思うのだ。長い歴史の紆余屈折 積み重ねが在って現在がある。過去に於ける事象に附いても それ以前の歴史の上に成り立っている事も度外視出来ない。長い歴史の中で 色々と反応し合って重ねてきた事 知ろうと思えば幾らでも其の事を伝えるその時代の生の声を聴く様な資料が 際限なく出てくる事も 日本の歴史文化の厚さを構築していると思うのだ。 先日 日韓関係の記事を検索していて出てきた 韓国の大学の老先生へのインタビュー 日本の統治時代学生だったから、もうご存命では無い人だが 流暢な日本語の受け答えの中で 柳居子が 一番感じ入った事は、我々の世代は皆が日本の統治時代を懐かしく思い出します。 誰もが学校へ行けなかった国に生まれましたが 日本のお蔭で別け隔て無く学校へ通う事が出来ました。 差別なんて私は意識した事も無かった。懐かしい旧き良き時代でした 其れに控え 戦後の韓国の教育は、抗日・反日の一辺倒 先ず歴史の判る人が 教育に携わるという事が有りませんでした。老学者は自嘲気味に 教える歴史の始まりは 日清戦争に日本勝って中国から分離独立出来た事 日本は国生みの母の様な存在 日本もし清国に敗れ ロシアの版図になっていたら今韓国は鳥様な国になっていたか 国民が正しい自国の歴史認識を持つための゜資料と言うのが皆無の状態 古い時代に書き記された物など 何も正しい物は残っていません。 老学者は自分の先の短い事も考えた上でインタビューに応じたと考えられる。 常識的に考えると、今の韓国にとっては 非国民という事になるのだろ。 知ろうと思えば何でも知ることが出来る 改めて結構な国に住んでいると思うのだ。
2023.07.22
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朝の珈琲屋の5番テーブルは、国際色も豊かで、又色々なキャリアの人が 京都旅行のついでに 朝のミーティング体験に出席しようという御仁が 次々にお越しになる。店外にまで立ち並ぶ空席待ちの観光客を横目で無視して『柳居子さんと待ち合わせ』と一言声掛けるだけで座る事が出来るのも快感事かも知れない。 台湾からお越しのご婦人は大学の教授と FB繫がりは長いがお眼に掛り話を交すのは始めての方 薄物の上布涼しそうに着ておられた 又京都大学で学ばれて今韓国でご活躍の先生とも同席した。少し時間が外れるが 遠来の客人を伴って5番テーブルに出掛ける事も有る。 つい最近まで 中央省庁の次官をされていた方も 話しの輪に入って貰った。『何一つ誇る事は有りませんが この店のこの席に61年間毎朝座っています。』と言うと 誰もが一様に驚かれる。 『珈琲屋は創業80年になります』『大変な老舗ですね。』と仰るから 『京都では創業80年は老舗とは言わない ランク外れです。珈琲を客に提供する仕事を始めたのは戦後 戦後の創業は京都では新参ですよ。』と言うと不思議な顔をされた。京都の時間軸の話を少しする。〖あのお店 結構古いですね。』と口の端に登るのは明治以前の創業 自他ともに古いと皆が認めるのは江戸時代以前の創業 『私の店の前の乾物屋さんは 宝永4年 富士山が大噴火して宝永山という火山が出来た年が創業 業歴は300年を越えます。一つの町内とか通り筋に 明治以前の創業の店が何軒も有るのが京都の街です。只 伝統とか継続と言うのは今の時代大変難しい事が多々あって この先如何なるかは、予測は付かない状態ですと 京都の街の裏事情を色々と話しすると 『毎朝 興味深い事を色々と論じておられるのですね。』と言われたから 閑な人間と 閑が有る様に見せる事が出来る人の゜集まりですよ。』と言っておいた
2023.07.21
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蕎麦は好きだが うどんは手が出ない 素麺は年中欠かした事が無い。真夏の胃袋まで涼しくなる ちょうど今頃が素麺のたべ時と考える人が多いとは思うが、 柳居子の様に昼食時が一定しない仕事は、昨日の様に昼ご飯が午後四時とか五時近くなると 家に帰って夕食を食べる気分にならない。何か軽いモノと考えたとき 素麺早茹で 冷凍庫から氷を取り出したら形ばかりの夕食が出来る。 素麺は麦で出来ているから ビタミンは摂取出来るが 元気の元 蛋白質が摂れない これも欠かした事が無いロースハム二枚を 素麺と同じ細さには切れないが、細長く刻み 汁に付けて素麺と一緒に食べる。 蛋白質も食べているよと体に言い聞かせつつ 寒くなると ハムの替わりに 鶏肉が活躍する 小さく刻んで鍋にかけ 出汁の出てきた頃合いに素麺加えて温麺として食べる。 素麺は ついつい 栄養が偏る おかず無しのご飯だけを食べている様な気分になるが 何でも良い 一品蛋白質を加えると、おやつから一食料理の様になる お試しあれ 夏場は素麺つゆに マヨネーズを入れる事も有る。卵の蛋白質が加わる。
2023.07.20
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今朝 三時台四時までの、ラジオの歌番組を聴きながら、しっかりと乾いたタオル 客に供する事が出来る様に、丁寧に折りたたんでいた。 番組は古賀正夫特集 エレジーを流していた。 ギターの前奏が入ると あの曲だなぁし察しがつくから 柳居子は歌番組を聴きながら、しっかりと乾いたタオル 客に供する事が出来る様に、丁寧に折りたたんでいた。 番組は古賀正夫特集 エレジーを流していた。 ギターの前奏が入ると あの曲だなぁし察しがつくから 柳居子は(いにしえ)完全に古(いにしえ)に生きる人である。前奏が終って「伊豆の山々 月淡く」のタイミングで ニュースが入った『北朝鮮が大陸間弾道ミサイルが発射された』と言うニュース 航行中の船舶は気をつけられたし 注意せよと言われても、何が出来ると云うのか等と考えながら 此方が幾ら 自衛 自衛都言っても 全く攻めて来ないと相手が判断すれば どんどんやって来るなぁ 潜在的武力と言うのを相手がどの程度認識しているのか 日本の平和呆けの様な事を考えていた。 歌番組が終り 四時のニュースの一番は、自衛隊の隊員数がある時点から、三万人も減少したとか 一旦務めた一版企業からの 離職者再雇用の受け皿として待遇を良くするとか 髪型の長髪禁止 短髪奨励の内規が時勢に合わないから見直すとか 又 増々高精度化する 軍用の山々IT技術に対応できる隊員を好待遇で雇用するとか 盛り沢山の事が述べられていた。新卒で 自衛隊志願という若者は、居るのだろうか? 徴兵制の無くなった日本 戦争放棄 不戦を謳う憲法下 自衛隊に生涯身を置くという若者は数少ないと思う。 自分達の平和は、各国間の微妙な軍事バランスで保たれていることを理解する必要がある。メディアが取り上げる自衛隊の活躍は 災害時の支援活動に特化されている様に見える。日本の自衛隊は、国民の無関心とは関係なく 他国に誇る存在感が在るという。人の命を守る 国を守るという名分は多くの国民がもっと認める事だと思うのだ 北のミサイル発射から 20分も経たぬ四時のニュースで 自衛隊の現況を伝える まさか其のタイミングを狙って流したニュースであるまい。
2023.07.19
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秋田や九州では、未曾有の大雨で被災されたところが有ると言うに、京都の町は 祇園祭一色 空模様も一片の雲も無い上天気 気温も体温近くまで上昇 柳居子の個人体験智では、祇園祭の日辺りが、完全梅雨明けと決めこんでいる。 市バスの始発(5・31分発)で通勤していた頃は、東山の稜線に陽光が昇ってくる位置が毎日のように微妙に変るから あの梢から陽が昇ると何月何日と決めこんで外れる事は無かった。祇園祭前後の日の出は、一年の内か稜線の一番北から陽が昇る 一年の内とは言っても 日の出が遅くなる季節は 闇夜の深夜出勤と言う事になる。 降るより照る好天の方が祭りは盛り上がる。特に今年はコロナ規制の解除で 久し振りの祭りという気分で 盛り上がって居る人が多い。 いつでも見られると言う思いから 宵山も山鉾の巡行も全部を具に見た事が無い。祭りは色々に人に支えられて続いている。山鉾を出す鉾町と言うのは、今は居住者の少ないビル街になっている。祭りを支える大勢の人が 鉾町から出て行ってしまったのに 祭りの続く理由は一体何の力が働いているのだろうか 祭は 神や先祖を祀る以外に 直接人々の生活に関わる問題についても補完 耳を傾けてくれる 春は豊作祈願 夏は病魔退散 秋は収穫御礼という実利の確保を祷る事も多い。近頃の神社・寺院は、もっと生活に関わる実利 家内安全はもとより 商売繁盛 千客万来 又 悪縁払い 人間生活に密着している。 祇園祭の始まりは、熱い京都の街 流行り病は、病原菌では無く 神の勘気に触れたと 病魔退散を願って 鉾を神泉苑の池に沈めたという古事から始まっている 今の実生活とはかけ離れた祭祀の目的。 鉾町住いから離れて祭りとは縁が切れたかと言うとそうでは無い もう誰も住んでいない鉾町に 過っての御縁の人が祭りを支える爲 自ら進み出て諸々の役柄を担う 京都人の気質の一つ 続く 続けるという拘りの有る人達 自分の代で潰したらアカン 先祖に顏向け出来ない そういう意識を持つ人たちで 祭りが続いている そう云う事を考えるのだ。
2023.07.18
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昨日 御池東洞院の嶋臺画廊で開催中の、戸倉英雄日本画『黄金航路の宵』に出掛けた。贅沢な事に画家本人が作品の説明をして頂いた。 展観の一点 鉾の巡行の図 瓦屋根の間を鉾が通過するのを沢山の人が見守っている場面だが、鉾より背景に眼が点になった 職業本能と云うのか鉾を見る人の髪型 女の人の髷を結った何人かを見て 瓦屋根と髷だけで、旧い時代の祇園祭の想像図のように 決め込んでしまった。 画家本人の説明では、瓦屋根を背景に置いたのは、鉾の大きさを描き表わしたかった ビルに囲まれて鉾を建物の階上から見下ろす図なんで描く事無いと言う話しだった。 そう言われてもう一度 鉾を見る沢山の人物を見ると、男の髪型は髷姿は一人も居ず 観覧席と思しきに髭を蓄えた外人の姿すら見える。よく見ると 女の人も洋服姿 スラックスに長い脚を誇示している人も描かれていた。 二階屋根の家を描く事で 鉾の大きさ 立派さを描くのが 画家の立場としてのメインテーマ 背景は引き立て役 描いた人の説明はよく判る。 鉾がどんどん柳居子に迫ってくる。 サングラスを掛けた人 髭の外人が鉾を見ている図 瓦屋根の建物の間から出てくる鉾に違和感を持つのは 江戸時代を想定した復元図と見た柳居子の狭量 画家の訴えたかつたのは 鉾の存在感 背景は 鉾を引き立てる爲のお添え物 これから絵画の観賞は 画家は何を訴えたいのか そういう視点で見る事も大事と教わった。
2023.07.17
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都会と田舎と言うのは、人が住む町 人が住めない町くらいの差異が出てきているのではと思う。お百姓さんが居た時代、都会に住む人は田舎の人に支えられて命を繋いでいるという事を 子供心に身に付いていた。 米を作るまでの苦労とか ご飯を残したら罰があたるとか お百様感謝の心が涵養されていた。政治家の票田も、当選回数を重ねられるのは田舎出身 地元優先 利益誘導も肝心の票数が無くなると、使われなくなった様だ。子沢山の時代 長子以外は都会へ出た。 教育の機会均等と言うのは口先だけの事で 都会へ出なければ学校が無い 又学校を出て田舎に帰っても仕事が無い 役場に勤める位しか仕事が無ければ、都会で就職 所帯を持つのも都会田舎は 先祖代々の拘りで 終の棲家と定めた人ばかり。耕作をする人が居ないから 休耕田も想像する以上に 多いらしい。 田舎は 年取って幾つになっても、毎日自分の食べる物は 自分で調理しなければ、食にありつけない。 外食に選択肢の有る都会では考えられない事が 田舎では常識 以前聞いた話だが、鹿児島空港から市内に至る道路沿いには、老人の介護施設が建ち並んでいるという 鹿児島は若い人の就職先が少なく皆が都会へ出ていく、 国に残した親を時々見に故郷へ帰るのだが、空港から又乗り換えての時間ロスを考えると飛行機降りて直ぐの介護施設が便利という事らしい。 人口減少は何も田舎だけの事では無く 都会の町でも高齢者の独居と云うのが増え続けている。隣の人の事は干渉しないと言うのが都会生活のルールと考える人も居るから 孤老死 死んでから暫く経ってから見つかるケースも沢山有るらしい。世の中は 大きく 刻々と変っていくのだと思う。」
2023.07.16
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柳居子の店の直ぐ東の通りは、富小路と言う。 秀吉の京都大改造の前は、無かった路で、公卿富小路家が在って 富小路内裏とも言うから里内裏という歴史も在る。 柳居子の知る範囲は、強制疎開後の事 多くの知人・知己は 御池・三条間に集中している。御池北西角には、『滄浪亭』という中華料理店が在った 瀬尾章君の店だった。 御池下がる東側には何度か取り上げている 日本レースの社長をされていた信江さんの家が在った、 今光華大学の学外キャンパスとして使われている。真向かい『吉川旅館』は、経営鬼十則で知られる 電通の吉田社長の肝いりで 立派な商家が料理旅館になった、それ以前は細田さんという呉服屋さんの店舗兼住宅 細田さん以前は画家の家だったと聞いている。 吉川旅館の北側 隣接か敷地内か 派出所交番が在った 未だ中学校に通って無かった頃 十円硬貨二枚拾って交番へ届けた。其の時代でも十円二枚は、拾得物として警察が取上げない端した金だったのか 『その金 ボンに上げるよ』と言われ 『巡査が落したお金なの?』と尋ねたので 巡査あわ喰っていた。又 吉川旅館は、又河野一郎さんを始め名の知られた人が沢山止まっていて ある日 南一方通行の道に 北向きに黒い車が何台か止まって旅館から出てくる人を待っていた。『この車 北向けで動かしたら違反車や』と交番に注進した事も有った。煩い坊主だと交番の札付きだったかも知れない。 宇治の顔役だった人の別宅も吉川旅館の並びに在った。娘さんは同級生 同級生の兄上も親しくして頂いている 錦で店を出していた塚本さんという方も居られた。 昔の館が残っていると 其処に出入りする人の顔も連動して想いだすのだが、建て替えられると判らなくなる。 姉小路下がる東側には 美木屋という旅館が在った 奥には舟木さんがお住まいだつた。とんかつの「とん曼」は、姉小路御幸町西で 市役所の職員さん相手の弁当屋さんだったが 富小路に移られた。山口新聞舗は、先々代が 確か夕刊京都か都新聞かの 社長をされていた。何度か店にお迎えした事も有る。 光太郎さんというお名前だったかな 先代 新司さんは レコードのコレクターで、時々 レコード聴きにおいでと誘われた。岡墨光堂の先先代は、表具・表装の仕事を 古文化財特に国宝・重文・重美等の指定文化財の保存・修復を目的として『装溝師』連盟を創りだされた方 最近は脇目振らず一途に業に励むというのが女性向きと言うのか 女性装溝師の数が増えていると聞く。富小路と言えば 岡崎重之さんを外す訳にはいかない 岡崎さんの居られた家は 今 山口さんの居宅になっている様だが、甲子園四番町のお屋敷が 空襲が激しくなって京都に疎開の心算が長居されていた。松下幸之助さんの前の裏千家の筆頭老分をされていた。色々なお話を散髪にお越しになる度 聞かせて頂いた 佐竹本三十六巻の内 重之同名の一葉と お姫様もお持ちと聞いていた。 訳知りの女中さんが 『何故 あんなものに 大騒ぎするのでしょうね』『御上覧の一幅の方が立派と思います』 佐竹家歌仙の断簡を睥睨させる物をお持ちだったのだ 上田君 三栖君の消息も聞かなくなって久しいが 何十年もの歳月が経っている致し方無い 地域限定瑣末な年寄の階級談で申し訳ない。
2023.07.15
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昨日午後 オーストラリアからやって来た夫婦連れ 奥さんは超肥満体だが顔つきは可愛らしい人。ご停主の散髪の終わるのを待って頂く。 理容椅子に替わるやいなや 『お任せネ。』と、言われた。郷に入れば郷に従うという言葉は有るが、 外人さんから聞くとは思い掛けない事。貴方に託すというオーダーは、何となく遣り甲斐が有る。一つひとつ指示をされると、言われる様に刈ったら良いだけと軽く考えるが お任せは 全部振りかかって様な思いがする。 毛質やその人に似合うスタイルを考えねばならない。 グーグルのお店マップに載っている柳居子の店を取り上げた書き込み(クチコミ)には、 〖78歳の老人に全て任すと椅子に座ったら 伸び放題の髪と髭 店を出る時は ジェームス・ボンドに変身した〗という記事が有ったから多分其れを読んでのご来店だったのか大体仕事に取り掛かって聞かれる事は、業歴何年位かと言う事 昨日の客人は五十歳台か もう少し若いかも知れない方で 『仕事をはじめて 未だ63年間しか経っていない 其れでも貴男の産まれる前が同じ事を続けてますよ。』音声自動翻訳機は便利 鏡の前に客人の眼鏡をケースに入れて預かっていた。カットが終り後ろの出来映えを合わせ鏡で前の鏡で確認してもらい 親指二本立てて『Good beautiful』と言われ 再度眼鏡を受け取った時 『貴男よく勉強をしたから眼が悪くなったのだねぇ 私は何も勉強しなかったから 今も眼鏡要らずですよ』というと『勉強はしたけど 其れほど賢くなったとは思わない』という返事 まあ 他愛もない話を交すのは 何と言っても鋭利な刃物を振り回す仕事 客に緊張感を与えずに 仕事の流れがスムーズに移行すれば良いだけの事 此方から話しかけると 殆どの客人は 気持ちよく愉しい時間を有り難うと言い 二人を見守っていた奥さんは 盛んにノートに書き込みをしていた 散髪の模様をスケッチしていて 後で見せてもらった。 福沢諭吉を一枚出され 樋口一葉と野口英雄をお渡ししたら 野口英雄は又柳居子の手許に戻ってきた 客人の財布と店のレジの間を 三人が右往左往していた。v
2023.07.15
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滅多に京都の生活圏から外へは出ない柳居子は。観光地と言われる他の町へ出掛けた事が皆無 何一つ知らないから京都の町との違い等 論じる立場では無いのだが、京都の町の実体験は充分に積んでいる身としては、京都の町観光は何でも有り 目的別・季節分け・東西南北・・・何所へでも出掛ける事が出来る 選択肢の迷いはあっても 一か所出掛けたら後が続かないリピーターとして訪れる事の少ない事が、他の観光地の違い 京都以外 共通の問題点かと思われる。 何でも有りと言うと 祇園祭は今の季節に特化されている。山鉾がぼちぼち建ち並び 宵山に人出のピークを迎える。京都の三大祭 葵祭 祇園祭 時代祭 「葵祭」は、勅祭 勅使が東京からやって来る 公の伝統ある祭り 「祇園祭」は、当初 雑色と呼ばれる公家・公卿の雇われ人 色による官位の無い人たちが始めたのだが 後急速に力を付けて財政基盤の確かな町衆の祭りとして今に至る。山鉾の出る町内と言うのは二条以南 これは昔は下京と言われた区域に限定されている。町衆の祭りと言われる由縁でもある。「時代祭」は、平安遷都千百年を記念して、平安神宮が造営されて 其の祭りは、都に時代衣装を着用して練り歩く。神事としては、二基出る牛車の後の一基に 神宮から事前に御所に移して有った御神体(石)を乗せて 神さんに京都の町を見て頂くという祭りである。 明治の造営で 氏子の居ない神宮 講社を作って各学区に割当てて 京都市民が直接支える祭りと神社 横に習えという京都人の生き方が時代祭を支えている 祭り一つを取りあげても 語り尽きる事は無い 京都市内には 小さな神社が数多く在る。 何処かの神社の氏子となって神社を支えているが 昔 貴族の邸内社が其の侭残ったケースも多い。神社の社格は邸内社だから 当然の事だが無い 其れでも支える人が居なくなったからと言って 神社の店じまいは 合祀の移御以外 聞いた事が無い。
2023.07.13
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『書き続ける事の 秘訣って、何ですか?』 柳居子徒然の読者から時々尋ねられる。 秘訣なんて有ろう筈が無い。 継続と言うのは途切れる事への拘り 何となく止まる事に勿体ないと言う思い それは書く事の内容とは無関係。思い付いてた事 最近印象深かった事等 一貫性の無い軽い上辺ばかりの文になるのだ。何度も書くが毎日のノルマとは考えないから 何も書く事無いから今日で連載の終了かと思う日でも 最初にお越しの客人との会話とか 朝の珈琲屋で仕入れた書きネタを思い起こすと 何となく文が出は上がるのだ。 朝の珈琲屋での 六十年間に渡る多くの人々との接触 交流は、 尋常な数では無く しかも共に珈琲を挟んで毎朝の会話 相手の人物像 考え方・・例えば人物像を本サイトに書くだけでも何百人にもなろうかと思うが 珈琲屋で見せてくれる顔はその人の一部分だけと思うと話題にすべき事では無い。ご家族や絡みの人が沢山居られると思うと 余り軽々しく取り上げる書きネタでは無いのだ。 書く事は後に残る事を念頭に置かねばならない。先日珈琲屋で出た会話 何十年も同席していた男 元々言いたい放題を言う男だったが 自分の仕事が時勢に合わなくなって、もう昔盛りだった頃の繁盛は二度と戻っては来ない お先真っ暗 という話しを度々していた、ところがある日 『息子が 店を引き継いでくれる事になって 嬉しい事や』と言うから『もう先が見えた この商売は お先真っ暗と言っていた仕事を何故息子に継がすのか 息子が継ぐと言ったら息子の将来先行きを考えたら 継ぐのは止めておけと言うのが親として言うべき事だろう。』と言った 『それでも自分で継ぐと言ってくれた』『エー息子持ってるのやなぁー』と話しは終ったのだが 其の後暫くは 柳居子の座る卓には近づかなかった。話すのはその時限り書くよりは余程制約が少ない 『そんな事言ったかなぁー』と呆ける事も出来る。
2023.07.12
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十七日の山鉾巡行にお出掛けの機会が有れば、是非お立ち寄りをお勧めしたい催事が有る。 友人の戸倉英雄君の日本画個展 『黄金航路の宵』祇園祭をテーマとした絵画の展観 場所は山鉾の巡行路沿い 御池烏丸東北側 嶋臺画廊で開催される。戸倉氏は、東京芸大の出身で、平山郁夫氏に師事 敦煌莫高窟の壁画の模写にも同行 先ずは平山画伯最後のお弟子さんと言うところか 又 戸倉氏は、上久世綾戸國中神社の氏子で 祭りの神事 神輿の渡御の先導玖を務める 駒形稚児を出す家柄である 彼自身何十年か前 氏子の中から選ばれて稚児の役を務めている。子供の時の強烈な想い出 又敦煌での模写という体験は、彼の画業の大きな流れとして 個展の名乗を『黄金航路の宵』と名づけ 祇園祭を大きく取り上げている。 自画像以外 自分自身の体験をモチーフ 画題として取り上げる画家は少ないと思う 駒形稚児に扮した彼を彼自身が思い出して描いた絵も展観されている、加えて今年は、彼の息子が駒形稚児として登場する。 何かと思い込みの強いと思われる今年の祇園祭 御池の嶋臺画廊での展観は明日十二日から十七日までです。
2023.07.11
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広沢虎造の十八番(おはこ) 清水次郎長伝 森の石松の一節唸った最後に出てくる曲回しは、『馬鹿は 死ななきゃ 治らない、』侠客とされる 次郎長の子分衆の中でも 賢くても逸れた外れた人や 如何しようも無い人 種々雑多な人の集まりだったと思われる。 『馬鹿』馬と鹿が、其れほど ノロマで人の話し命じることを全く理解しないかと言うと そうでは無い 労役にも役立つし 人々を興奮・落胆させる競馬馬等 人との関わりは大きいし 鹿も 奈良公園で、鹿が人を襲ったという話しは聞いた事が無い。 ノロマ 他に劣るという状態を 何故 馬と鹿の二頭の並びに付けたのか? 『馬鹿』という字句を広辞苑で引くと 馬とか鹿は全く無関係の梵語 サンスクリット語の音訳 梵字という説明が為されていた。すなわち MoHa モーハ 馬鹿以外にも幾つかの同意音訳字句が有るそうだ、サンスクリット語にも BAKA が有って それは鳥のアオサギの事を言うらしい。 まあ 馬と鹿の名誉の爲 決して人間界のノロマ 常識はずれとか 頭の働きの鈍い者を言い表す例えに使ったほけでは無い、たまたまサンスクリット語梵字のよく似た言葉音訳に使ったまでの事。馬と鹿を見下した訳では無く 身近に居た馬と鹿 口答えしないからと軽く 馬鹿と名づけたのだろう。知らなかった事を知ったという馬鹿と言うのか 他愛ない話である。
2023.07.10
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初代の内閣危機管理室長だつた 佐々淳行氏は、現職時代 下から上がってくる報告とか報告書を聞いたり読んだ後、『没になった情報は?』と尋ねたという。自分に届く情報は、部下がセレクトした部下の判断 責任のある立場は広範な情報を身に付けねばならない。又没情報に 大きな意味が有ったり 大事な事の端緒であったりするから、蔑(ないがしろ)には出来ないと判断されたのだろう。 我々の元に届く情報と言うのは、 振るいを掛けた従前の文字情報は少なくなり SNSを始めとして画像情報が主流となり 考え方の基本となる者は画面画像が典拠となりつつある。 子供の眼が昔に比べて極端に早期の衰えは 其の影響の大なる物と思う。 本当に伝えねばならない事とか 大事な事 多くの人が知らねばならない事等は、何処かでコントロールされているのか 知らない 知る手段が無いと思う事が時々ある。 安倍元総理が銃弾に斃れて一年が経つ。犯人の取り調べは進んでいるとは思うのだが、事件の核心部分は何も報じられない。 確証が無ければ報じないという姿勢は悪い事では無いが、何故安倍氏が市井の一青年に殺害という手段を使ってまで問題を起したか 母親がマインドコントロールの末大金を問題の宗教法人に献金して 其の金がどの様に流れたのか? 日本の政治家にどれだけの金が流れたのか? 問題が大きすぎる 天地がひっくり返る程の大問題になるから 確証もない事 敢えて取上げないのか 国民の関心はそう云う所にに有ると思うのだが 判っていても書けない報道の自由をも凌駕する問題なのかも知れない。
2023.07.09
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京都の地名というタイトルの話を、四月東京でしたのだが、地名・町名・痛リ筋名という話題は、際限播く語り尽きると言う事が無い。長い歴史を積み重ねてきた結果とも言えると思う。朝の珈琲屋で何十年も同卓で親しくしていて 早逝された新谷正順さんは、生前、下京区高倉高辻下がる『葛籠屋町』に住んでいた。昔は葛籠を編む人が多かったから町名になったと思うのだが 若い人からはこれは何と読むのですか?sと。尋ねられ「つづらや町」と教えると『つづら て なんですか?』質問の連発を何度も経験した 又 住所表記をしたり求められた時 葛籠屋は 画数も多く煩わしく思った という話しをされていた、『新』新しいを『今』と呼んだり 音訓入り混じったり読み方の難しい町の名も珍しい事では無い。『太秦』と書いて「うずまさ」と読める人は京都の人か 余程の京都通 地名の冠に『元』の付く地名も多い。町の歴史が長いから 名の有る寺や貴顕の屋敷跡個人名が町名になる事も多い 門前町を名乗っていても寺が移転すると門前で無くなる。新しい町名を考えるより 元を付けるだけで通用すると考えたのだろう。東京での講演の中で 上がる・下がる・東入る・西入る表記の有る所が 洛中ではという自説を述べたのだが 洛中・洛外の話題が 昨日の朝の珈琲屋の話題だった。 以前この事を取り上げた記事が有るので 再録する。〖先日、ある会合で洛中洛外のことを少し喋って呉れませんかと頼まれて。私の見知る範囲でよければという事で、僅かな時間だったが、話を聞いてくれた人が二十人程数えた。柳居子が、京都新聞題字下のコラム欄を批判しているのを知っての頼みだったと思う。〖相変わらず 洛中洛外の線引きとか 差別に拘って京都新聞題字下のコラムを苦労して書いている御仁が居ます。この人は「京都きらい」という本を出して、大凡手持ちの書きネタを出し尽くしたその上に その続きを掛けとか絞り出せと言うのは少し酷な話で、これは出稿を依頼した新聞社に問題が有るのではと私は考えます、さて 洛中洛外につきましては、私のブログ記事にも色々と視点を変えて取り上げていますが、「洛」の由来は、古代中国の王都であった洛陽 其の洛に因む事は間違いないのですが、洛陽の町を模して平安京が造られたかと言うとそうでは無く 唐の時代の王都 長安の町がモデルになっています。 長岡京から山背の国に都が移された最初、朱雀大路を挟んだ東側左京坊を洛陽城 西側右京坊を長安城と呼称しましたが、平安時代末に既に右京坊 長安城は廃れ 洛陽城だけが繁栄・発展しました、これには地政学的な原因が複奏します。洛陽城のみが発展して都に洛の冠が何の不自然も感じられなくなったと思われます、即ち 洛は、最初の平安京が潰れたから発生した言葉でも有るのです。 また 応仁の乱後の都市開発として秀吉が築いた『御土居』も これに囲まれたゾーンが洛中と捉えられた時代も有ったかも知れない。 秀吉は、碁盤の目の様な正四方の街区割りになっていた 旧通り筋の東西を貫く様に南北に一本道を通して。より多くの人が住む事が出来る様にと計り、洛中・洛外との人口格差を実現させました。この様な大胆な都市計画は、着手まえの様子が洛中であっても洛外の様に寂れていたのだと思います。 我が国最初の国勢調査をしたときの記録が手許に有りますが、洛中と洛外との人口対比は グラフ表示が出来ない程の差があり 洛外其の地で住んでいる人は、代々住み続けている人に限定されていたのかも知れません、だから例の人が洛中・洛外差別云々と言うのは 感覚的な問題で余り根拠が有る説得力のある話だとは思えないのです。私の友人には 通り筋 上がる・下がる・東入る・西入ルの住所表記が洛中と言う人も居ます。堀川通りから西は 坊城とか西ノ京というエリア名が町名の上に附きます。洛外という認識を持っているのだと思います、〗洛外 何所までが洛外かと言う詮議は、左程意味ある事とは思えない。洛中以外の地という解釈が至当ではと考えるのだ。
2023.07.08
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町とか町並みと言うのは、人々が営々と築いてきた営みの結果として存在すると、京都の旧い人は考える。戦時下でも空襲を免れ古い街並みが生き残った事が 京都人の物事の考え方 捉え方の基本の中の一部分になっているのかも知れない。 戦後 一面焼け野原となった 京都以外の都市の復興の声と共に大きく建てよと奨励されて出来上がった町並みとは本質的に違うのだと思う 外から見ると 何となく狭量に見えると思われる事が幾つも有る。 柳居子は、何気なく使う『町つくり』という言葉が 本当に京都の町に相応しい言葉なのか? 町並み保存というキーワードは、町づくりでは無く町の保存では無いのか 勿論保存も含めての町つくりと 承知はしているのだが。 柳居子の店の前 姉小路に隣接地に建てるというマンション建築計画に 当初計画の見直しを求める運動を起した時 会の名称を町づくりでは無く 『界隈を考える会』と名づけた。 守るとか考えるという命名は 予算や助成が付けにくいのか 町つくりという名乗りが巷間を飛び回っている。お上の威令で物事が動いた江戸と違って 京は 町式目という自主的な申し合わせで、日々その決め事によって運営されていた。マンション建築当初計画を取りやめという反対運動の成果を これから先の町並に活かす目的で 式目の再興を図った。 条文は忘れたが 現代版町式目と書いたのを平成版と書き改めさせた。現代版とすると制定時の苦労話は飛んでしまうし申し合わせの歳月の経過も判らない。 口煩い爺さんは 後を継ぐ人の邪魔になるだけと 一切の役を退いた今『姉小路町づくり協議会』という名乗りをしている様だ。
2023.07.07
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何度か取り上げている事だが、最近 客筋様変わりという感じがする。遠来海外からのお越しの客人が 四月の56人 五月の52人 六月の48人 七月に入ってから7人 ほぼ営業日数の倍の人数 単純に一日二人を迎え入れてる勘定になる。これも又 何度も言う事だが、柳居子の仕事の腕が特別秀でていると思った事は無い。日本の理髪師の平均的なレベルである事にも関わらず 遠来の客人が次々とやって来ると云うのは SNS ネット社会の流に上手く乗せて貰っているだけ。 絶えることなくやって来る外人遠来の客人に 如何いう対応をすれば良いのかと考えた時 仕事を精一杯頑張る事は当然の事だが 先ず自己紹介だと気付いた 『15歳から63年間 この仕事を続けてきて 78歳になります。もうトレンディな今風のカットは、出来ないかも知れませんが 63年間のキャリアで 貴方に似合う髪型にカットする自信はあります お任せ下さい。若い時は 散髪が上手で手が早かった。 若い時に貴方と出逢う事が出来たらと 残念に思います。』 英文・中文・仏文のメッセージを準備した。 日本での散髪体験が 長く思い出に残る事は 何だろうと考えた時 世界地図を買ってきて 地図上にサインをしててもらう事を考え付いた。自分の名前が旅先に何時までも残っているのは一つの思い出になるだろう ところが地図のヨーロッパ圏が直ぐにサインで真っ黒になって致し方なく 巡礼の朱印帳に一頁ずつサイン メッセージを書きこんで貰う事にした。『遠来』のタイトルを付けた朱印帳は裏表余白なく書いて貰って もう十冊目となつた。加えて 必ず来店記念の写真撮影 アングルも決まっている 客人のスマホ 自撮りに 柳居子が入る 客人の自撮り画像は もう200人は越えていると思う、先日は香港からのリピーターも居られた 又 客は客呼ぶと言うより 日本での散髪体験記を帰国後広められ 客が客を送り込んで頂く事も有る いつまで仕事が出来るかは判らない。今日無事に出来た事を感謝して 明日も頑張ろうという気分になる。老いて七十八歳が こういう展開になるとは想定外だつた。 全世界の理髪店を廻る旅 有名なユーチューバー ヘアーカットハリー』さんの動画 柳居子の店も取り上げられたが 新しいバージョンのアップの爲 四月に撮影が入った 近い内 公開されると思う。
2023.07.06
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朝の珈琲屋で出た話題の派生で。木屋町の話しが出た。物流を船に頼っていた時代の水路は、今の道路にトラックが行きかう様と考えて良い。荷傷みが少なく大量に運ぶ手段は船に勝る方法は無かったようだ。 水路沿い 荷揚げや積み込みは、特定の業種 特定の画所 材木商が多ければ木屋町 米屋が軒並べると米屋町 木屋町の名付けは材木を扱う店が多かったとみて間違いないと思われる。 本筋 タイトルから脱線するのは、常の事だが、中世以降の木屋町の事を書くのなら 高瀬川 高瀬川の事なら角倉了以の事を書かねばならない。 本サイトでも取り上げた事も有るが、 柳居子は角倉了以の京都に於ける最大の功績は、保津峡の水路化 丹波の用材を京に運ぶ水運 筏を組んで大量の木材を京に運ぶ事が出来た、それ以前 鴨川の上流 都の北 木野辺りの材木を用材として使っていた。 需要も大きく 材木の切だしが多くなると 保水力が無くなり、大雨が降る度 浸水とか流失が繰り返され 何の役にも立たないが 『防鴨河司』という役職まで在った。 高瀬川も 方広寺大仏像を作るため 資材運搬の爲 開鑿されたのが最初 後に二条まで 延伸された。 了以は琵琶湖から京までの水路計画まで立てていたという。 明治になってから出来上がった琵琶湖疏水は 当初計画は山科盆地を南行して 伏見で高瀬川と繋ぐという予定だったが 北垣国道知事の英断で蹴上までの通船路として開鑿された、高瀬川には 今も数多くの橋が掛っているが、元禄期には二条・五条間には 五十一もの橋が掛っていたという 公の掛けたのは二ヵ所 維新に功績のあった貴顕の邸宅に掛けた橋が数か所 百姓の掛けたのが二十カ所 角倉家が掛けたのが 二十二ヵ所在ったそうだ。柳居子は、木屋町三条辺りには 親しい人が何人か居る。皆古くからこの辺りに住んでいる人ばかり,先日柳居子の店に始めてお越しの中井さんという御仁確かガラス店を経営されていたと思うが 今は画廊を経営されている様だ。親戚筋の画家が時々 個展を開くのにお世話になっている。 次に見えた時は 木屋町界隈の事で話しが弾むだろう。 始めて見えた時も古くから木屋町に住む人の人国記で話しが弾んだから。
2023.07.05
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殆ど毎日 柳居子のフェイスブックサイトを開いて 見て頂いているのだが、時々 読み落しが有るとか仰って、プリント版を職場にお届けしている人が居る。 昨日は、同性婚訴訟を報じる新聞を見て 浅薄ではあるが柳居子の感じた事を書いた。同性婚だと種の存続に問題が有るとか 今迄日陰に居た人が表に出てくる様に時代が変わった。 裁判所の判決文を読まないと゜詳しい事を論じる事は出来ないと結んだ。 届け先の人は、仕事中の手を止めて 『今朝アップされた記事ね、』とご自身の見解を話して頂いた。 『大筋判るのですが 少子化の原因とか 対応等は同性婚の訴訟問題より遥かに大きい課題です。』と薀蓄の深い話を聞かせて頂く。『決して異性婚で 子供が授かるという保証は無く 又 晩婚化も子供を何人も作るという事が難しくなり 離婚率のもんだいも子供二人を目指す国の指数に届かずと 数字を上げて説明されると 超納得 やはり 軽々しく取り上げる問題では無かったと反省すると同事に、大勢の人が読むサイト ご自分の意見を公にする事に憚りの有る立場の居られると言う事に気付いた。『Fさん 又何かとお気づきの事が有りましたら ご教示下さい。』
2023.07.04
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同性婚訴訟が 世間の耳目を集め大きな話題にもなっている。一昨年 札幌地裁では 憲法違反判決が出て以来 大阪では憲法違反に当たらずと逆の判決が出たが 其の後 東京 名古屋 福岡では 違憲 若しくは違憲状態という判決が出ている。 憲法の下 人は皆平等という 精神論としての同性婚には 何等口挟む事は無いと思うのだが、男女異性婚によって 種の保存が出来ているという事も考えに入れねばならない。男同士 女同士を認めよという人達も全て異性婚でこの世に居る人ばかり。女性同士なら男子の精子の提供を受けて子作りも出来るが 男性同士ならそれも出来ない。 仮に子供を迎えいれても 母親役 父親役はどちらがするのか 子供の教育にも問題が出てくる事だろう 生物学的に見て やはり 尋常では無いという思いがするのだ。 どの様に生きようと 人生を過ごそうが 個人の問題 とやかく言う事では無いのだが、゜日陰に居た人か堂々と表に出てきたという感じもする。法の定めが無い故の拘りが訴訟に結びついている様だ。 身近にそう云う人が居ないから、又各地の地裁での 判決文も読んでいないから 軽々しく論じる事は出来ない、
2023.07.03
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足かけ十七年間に渡り 毎日記事を書き続けていると、書き手も読んで頂く方も 当然の事ながら同じように加齢と言う事になる。ブログプリント版は、本来ネット環境に無い お年寄り対象に作りだしたから、読者の高齢化は、致し方ない。 昨日 夕刻 妙齢のご婦人の来訪を受けたのだが、何処の何方かは暫く判らなかった。 近所のマンションの一室 メールボックスに プリント版を配達する様になって 随分歳月が流れていた。名前こそマンションの表札で知っていたのだが 道で出逢って 丁寧に挨拶をして頂く人 どういう人か知らないし 又 何故発刊毎 プリント版を届け始めたのか 217号室〇○さんとしか記憶に無い人 昨日お越しになったのは 其の御婦人の娘さん。お母さんと一緒に柳居子の届ける文を読んで頂いて方。 『実は 母が先日亡くなりまして マンションも昨日を限りに引き払いました。 長い間 母親の数少ない愉しみをいつもお届け頂き 本当に有り難うございましたと 菓子折り持参で ご挨拶に見えたのだ。柳居子より 年若い人だったが 病魔は年齢関係なく襲ってくる。ステージが進んでからも 病院にまで娘さんが届けた柳居子徒然には ずっと眼を通されていたそうだ。 書き物と云うのは 本にしろ新聞にしろ 書き手を直接知っているというケースは少ないと思う 柳居子のプリント版は ああ横町の散髪屋さんのご主人が書いている事 書き手読み手の距離感は無く 同感、同感も有れば 私の考えとは 一寸違うなぁ 毎日会話を交わすような読み方をして頂いていたようだ。長い間のご愛読に感謝しつつ ご冥福をお祈りする 合掌
2023.07.02
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降るか照るかは、毎日仕事に使うタオル等の洗濯物がカラッと乾くか 干す前より雨水吸って重くなっているかの差が有る。自宅に持ち帰ってこれ等の洗濯をするのだが、゜この時が一番未だ現役で仕事をしているという気分になる。 直接客人と接して 刈る・剃る・洗うの時間は、そう長くは無いのだが、事後の掃除とか 材料の調達とか 刃物の研磨とか クルクル回転する 赤・青・白の回転看板が廻っている時だけが 現役で仕事をしている時間では無いのだ。 ラジオの天気概況とか 新聞の照り降りマークは注意深く 聞き見る。 先日も 大気の状態が大変不安定 突然強く降る事も有るから外出は傘持参を進めていた。タオル類を縁側に干して 自宅出て店に向かったのだが、青空が広がる好天気 天気予報に騙されたかなと思いながら昼も過ぎ 帰宅時間は夕焼け空 雨の気配が無い 自転車に乗って五分程 五分前が信じられない様な空模様 大粒の雨が間断なく降り注いてきた。 寺町今出川辺りの軒下で 携行のビニール製のレインコート 祇園町のお茶屋の大女将 十歳年上のガールフレンドからの頂き物のコートを着こんで ほうほうの体で 帰宅する事が出来た。 天気予報はいい加減という記事を書すまいと 頃合い見計りあって柳居子の帰宅時間に合わせての降りのように感じた。 余談だが一昨日お越しの遠来の客人 何処からお越しか尋ねたが 返事の国名が記憶にないのか 思い出せなかった 再度尋ねたが判らない 頼りの地球儀で さし示して貰ったら サウディアラビアの東側 アラビア湾に浮かぶ 島々で成り立っている『バーレーン』という国からお越しの客人と判った。何方もグーグルのマップ お店情報を見てお越しの様だ 日本人の客人に見放されたという思いのする日も有る。
2023.07.01
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