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先日 久し振りに先斗町・三条間を 午前中に歩く事になって。余りの変貌に、何処を歩いているのかという気分になった。花街は夜の街 行灯や芸舞妓の歩く姿 そういう風情を懐かしく思う世代は、もう我々の出掛ける街では無いと思い知る。午前中から空き席待ちの行列が店外に並ぶ。販売メニューを店外に大きな看板を掲げる。陰翳礼讃は確か 谷崎が作った言葉では無かったか? 舞妓の白塗りは蝋燭の行灯の灯りに映えると言う化粧だと思う。 歌舞練場の北には、『賓保楼』という中華料理屋が在った。少し下がったお茶屋『叶屋』の表は 息子の長谷川潤君が『叶』という喫茶店を開いていた。よし子バーの 平田さんの元亭主 布浦の茂君とも親しくなった。よし子と別れてからは ホステスの口入の様な仕事を叶の電話を使ってしていた。向かいの質屋の息子が 強盗に刺殺されたという事件もよく覚えている。懐かしい 想い出の有る通りだが 想い出を呼び起こす店は殆ど無くなった。『菊芳』のお茶屋は、宝飾関係の仕事をされていたT氏によく連れて行って貰った。 無くなって一番残念に思うのは。四条上がるの『開陽亭』 今の時代「レストラン」という言葉すら古臭くなったが、其の昔は『洋食屋』が、最新の食文化の代名詞だった。 開陽亭は別所氏の経営で 店の客人でもあり 他い時からよく出掛けた店 もう八十年近く前の事で、当事者は全て冥界入りだから 迷惑をかける事も無かろう 古い事を書き記す。開陽亭には 民造 一郎という兄弟が居て 弟一郎が出征中 嫁が兄民造と出来てしまった。一郎が激戦地に赴き消息が他らなかったという事情も有ったが 男女関係が出来た所へ 一郎が帰還 一騒動 其の頃一番の売れっ子を落石して一郎に与えたが、少々世を拗ねて まともな稼業に就かなかったある日 刺しの茂(よし子の元亭主)が、一郎を伴って店にやってきた。ダイヤを買ってくれという話し 床屋にダイヤは要らんと 父はスパッと断ったのだが、一郎が連れてきた女が、母が華頂幼稚園の保母をしていた時に よく懐いていた女の児 相手の女吃驚仰天 『先生』と一声掛けてきた・母親の吃驚 先生と判って 一郎も『来るとこ 間違った様やな。』と退散した。一郎は一時期 歌手の坂本スミ子とも関係が有ったと聞く。開陽亭が何処かへ移転したという看板を探したが 見つからなかった。 宮川町に 移転された様です。
2023.02.02
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月捲りのカレンダーと言うのは、一ヵ月過ぎた事を思い返すのではなく、もう十二枚捲りを繰り返したら一年過ぎるのか と云う様な事を考える。 しかし変らぬ繰り返しを続ける事の出来る幸せと言う事も考える。 生まれ育っただった地で 今この歳迄 変らぬ繰り返しの出来る事ぱ、ある意味贅沢の極みかも知れない。京都の街中 偶然父の仕事の理容師を続けてきたから 継続は柳居子のトレードマークの一つかと思う。年配の客人から『定年が無いから 何時までも 現役で仕事が出来て 羨ましいと言われる』『定年は有りませんが 定年で纏まった金 退職金を頂く人羨ましい』と返しておく・ 変らぬ場所で 繰り返しを見ていると、町の様子や人々の営みの事などが、経験 体験記憶として少しは身に付く 色々な事を聞きに来る人も居る。又最近は人に声掛けと言うのか 取るに足らない事でも 他人との会話は惚け防止になると聞いて話しかける事が多い。 朝の珈琲屋のウェイトレスの髪型などが仕事柄 気になって。髪を切り揃えたり 短く切ったりすると『髪型変えたの? 良く似合うよ。』と一声掛けると、誰彼なく笑顔になり 『有り難うございます』と返ってくる。昨日出掛けた整形外科病院の婦長さんにも『髪の毛綺麗に揃えたね。』と一声 患者からそんな事言われたのは 初体験が にっこり笑って頭少し下げた。目付きと発する言葉のアンバランスと言う事か 知って貰ったら何事も無いのだが初対面 皆さん怖そうな顔をする。目付き顔つきの悪しき事は。口元・舌先でリカバリー出来ていると思う。一年の十二分の一が過ぎた 次にカレンダーを捲る時は一年の六分の一が 過ぎる どんな月になる事やら。
2023.02.01
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この冬は 例年になく京都の町にも雪が積もり 寒い日が続く。一年に一・二度 大雪が降っても直ぐに溶けてしまうのだが 今年は違う。根雪と云う様な現象を始めて体験した。雪の多い地方の人の艱難を思う。積もった雪は直ぐに融けて地面が現れるのが当たり前の事としか考える事もない自然の営みは場所によって 人々の思考にも大きな影響を及ぼすのだろう。 柳居子の自宅は、哲学の道に沿うて今出川上 少し道路から奥まった細路の先に在るから 道路上の雪は全く融けず その上に新雪が被って氷の様になるから家から公道に出るまでが一仕事になるのだ。仕事場近くも 融けぬ雪で難儀している人が沢山居る。路上の雪は通行の妨げにならない様に 道路隅に寄せたら良いのだが、屋根の上に積もった雪 積雪が例外的な事だから 屋根瓦や屋根全体に除雪・融雪の機能は一切ついていない。間口・奥行き共に長い 大店屋根に積もった雪 融けだすと纏まった量の雪と言うより氷が前触れなく道路に落ちる。 お客様をお迎えする小売屋が 氷のお出迎えでは話にならない。同じ町内で間口が広い(雪の積もる屋根面積の広い)のは 真向かい乾物商『松島屋』と蕎麦ボウルの『河道屋』筆・墨・香の『鳩居堂』 河道屋の前では 小柄なお婆さんが一所懸命 店前の氷化した雪を真向かいガレージ前に移動させていた。屋根面積が広いと大変だね お気ばりやすと声掛けて置いた。 鳩居堂の客が出入りする入口上の氷の様な雪を 脚立を建てて一所懸命下へ落としている御仁が居た。社長自らが脚立に乗って頑張っていた。『慣れぬ仕事で大変だねェ』と声掛け『こんな事初めての経験ですわ』と返ってきた。 其れでももうじき節分 季節は春に一目散 御池柳馬場 早咲きの桜はもうちらほら咲きになっている。
2023.01.31
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昨日日曜日は、ブログプリント版の配達の日だ。徒歩での配達の内 一昨日土曜日の『床屋談議 京都版』の講演を聞きに来て人も何人か居るから 講演の出来・不出来を聞く事が出来ると出掛けた。日曜日の記事 床屋談議京都版も読んでの感想を色々と聞かせて貰った。有り難い事だが 自分が思っている程の不出来では無かった様だ。『そもそもそう期待を持って知識を仕入れるために出掛けるという雰囲気でも無いし 好きな事思い付く事を喋る会と思っているから、其の一刻愉しく過ごせたら良いのだから上出来ですよ』という言葉を頂く。『又 聞こうという声が無ければ わざわざ東京まで招いて話を聞く会 四回も続くかな? 談議とは良いタイトルだね 誰が考え付いての?』とも言われた。思い思い誰もが自由に喋りあう 一方通行の喋りではあるが、談議のタイトルは君の会に相応しい『もっと上手に 滑らかに喋りたい もうそんな事 無理・無理 出来る事 自分の梃子に合う事だけすれば 其れで充分だと思うよ』 しっかりと聞いている人が居るモノで 『如何お考えになりますか?」とか「私が如何対処したと思われますか?」という問いかけも 聞いている人に考える一瞬を与える あんた なかなかのしたたか者や』とも言われた。 東京まで出掛けて 京都の話しをすると 概ね皆さんは愉しく話を聞いてくれると思うのだが 京都で同じ話をしても受けるとは思わないと 緊張して臨んだが 上首尾に終わった様に思う。 開催に際して、関係各位のご尽力に 深甚なる謝意を表したい、
2023.01.30
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人前で喋ると言う事、何度体験しても、自分の思い通りの 滑らかな喋りが出来ないものだ。接客会話とか朝の珈琲屋での与太話しは幾らでも際限なく続けられるのだが、会話・対話では無い 一方的に此方が喋ると言う事は まだ何と言っても経験が浅いと言う事か。 東京で喋る機会を頂き 京都でもとと言う事で 昨日は室町三条の山口源兵衛さんのお店を会場に 一度東京で喋ったことの再演にも関わらず 相変らずの言葉足らずと言い忘れの続出 もう年も年だから 喋りは上達しないなぁと確信した日だつた。 まぁ 人に物事教えると云う様な内容でも無いし 軽く聴き流し 何を聞いたか記憶に残らない内容が 喋る側には気が軽く持てる。喋り終ってからの解放感 縛りが解けた感じである。只柳居子を中心として大勢の人の協力の下 一つの催事が出来た事に付いては 皆さんに感謝の思いが深い。大勢の人前で喋る事 もう十回を越えるかと思うが 何となく身に付いたと思う事は、聞いて貰っている内に 逐一反応の有る人 特定の人だが 其の人に話しかける様に喋ると 上手に間合いがとれる様な思いがする事に気付いたのだ。取るに足らぬ拙い話を 聞きにお越し頂いた皆さんにも 感謝の意を伝えたい。
2023.01.29
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柳居子が まだ子供だつた頃 学校には沢山の友が居て 学校から帰っても大勢の遊び仲間が居た。兄弟 姉妹の数多い友も居た。路上で ろう石で陣取りという遊びや かくれんぼ 正月は凧揚げ 羽根つき メンコと言うのも有った。 今京都の町 特に旧市内と呼ばれる道路歩いても 子供の声すら聴く事が無い。子供が全く居なくなったのかと言うとそうでは無い。一軒の家に世代の違う複数の世帯が住むというのがほぼ無くなったのだ。昔の家には 風呂の無い家が多かった。ゆえに歩いて行き帰り 湯冷めせぬ距離に銭湯が在った。又 住込みと言われ従業員とも同じ釜の飯を食った。起居を同じ場所で共にするというのを『定着人口』と考えると、今京都市内の定着人口は 昔の何分の一というレベルで 尚 減り続けている様に思われる。お爺さん お婆さんの世帯 どちらかが欠けると残された方は介護施設へ 空き家が目立つ。 京都市内でもそう云う状況だから 過疎とか限界集落と言われる市町村の定着人口は減る一方と思われる。誰も住み人が居なくなると 郵便番号が抹消されると聞いた。 定着人口が減った分 空き家・空き店のホテルへの建て替えが増え続いている。動き回って 食事をして 就寝 観光客も人口の内と考えたら 定着人口が減った分人口は昔と変わらないのかも知れないが ひととき 交わって流れ去るという人々の事を 交流人口と随分前に定義付けられたが,将来の京都の爲の対処 対応については 何一つ手出しできない状況が続いている 定着人口が 京都の文化 伝統を支えでいるのだが 何時まで支え続けられるか判らない。
2023.01.28
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二日も続けて、店仕舞いの記事を載せるのは、気の滅入る事だが、旧い縁の店が営業不振 コロナ過の影響も有って 自己破産の手続きを取ったという。 創業 明治二年 京蒲鉾の老舗『茨木屋』池内さんのお店が無くなった。 柳馬場押小路 南側に工場も構えての文字通りの老舗の雰囲気が有ったが 本店創業の地は、既に何年か前人手に渡り、寺町三条の借家が本店になっていた。 現社長だった人のお祖父さん 池内豊三さんとお馴染みで よく都ホテルでの会食にご一緒した。都ホテルが近鉄系列になる余程以前 一時期傾きかけたホテルを、地元の有力者が何某の支えの目的で食事の会を毎月開いていた。未だ柳居子は若かったのだが 毎月お相伴に預かる人が居て 池内さんとも親しくなった。息子さんは家業の傍ら 光華学園の先生をされていた。お孫さんとは面識が無い。木戸孝允の夫人となって三本木の芸妓 幾松 松子夫人と池内さんとは何等かの係累 御親戚と云う様な話を聞いた事が有るが 定かでは無い。 時代の趨勢は 止める事は出来ない。何時も出掛ける食品スーパーでも 茨木屋の商品が 少し前まで並んでいたが手にした事は無かった。棚に並ぶ同種の商品から 一頭地抜けた値が高かっのだ。高級品高額か路線を打ち出しても、時勢に逢わなかったのか 高い商品 特に腹に納まったら其れまでの事と 売れる時代では無いのかもしれない。 時代が大きく変わりつつある。
2023.01.27
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贔屓と言うほど通った店では無いが、バス通勤の時 河原町バス停前の中華料理屋さんが、店をたたむと知った。愛用の自転車修理中、バス通勤を余儀なくされているが、久し振りに覗いたら閉店を知らされた。バス通勤の時 暑い日 寒い日 バスが来るまで 避暑・避寒の爲 店内に座ってバス待ちの席を準備してくれた。バス到着の赤内板が見える位置だった。 中国人夫婦が店を開いて頑張っていたが、コロナ過の影響をもろに受けて大変だろうなと思ってはいたが、一昨日軽く食事と入ったら 閉店三日前という事だつた。 河原町に出店前は。御前通りの丸太町下がる辺りで営業していたが 其の店の家主と柳居子とが親しかったから 縁の深い人と言われていた。下らない話題でも 中国人夫婦にとっては 日本で仕事をしていく上で 結構参考になるとか 勉強になるとかでよく話し込んだ。朝の珈琲屋へ昼間連れていった事も有った。 最初に貰った名刺には 京都府警の嘱託中国語講師という肩書き 綺麗な北京語を喋るらしい。請われて中国語の先生もしているという。一昨日貰った名刺は 閉店する店の名刺に 彼女の携帯番号が書いてあった。店を閉じてからも 仲良くしてねと言う意味か 柳居子の横に座っていた女性客 店主夫婦と親しい間柄の様だった。携帯の番号を手渡すのを見て、『追っかけの ガールフレンドですね。』と言うから『亭主の目の前の事だから 公認のボーイフレンドですよ ボーイと言うのには一寸年取り過ぎてますよね。』と言うと 皆が大笑い。店をたたむ事は残念な事だが、バイタリティーの有る彼女の事 又活躍の舞台を見つける事だろう 応援しなければ。
2023.01.26
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日本人が頭の毛を剃るというケースは、先ず僧籍の有る人を考える。 頭をまるめるのは、得度か謹慎の意を表す事で、柳居子の店でも剃髪の客人は滅多に無かった。随分前だが 松井孝治さんのお祖父さん 治園和尚と 黄檗山万福寺の村瀬玄妙管長の頭を剃った事くらい 海の向こうでは、スキンヘッドと言うのか 髪が無いから髪型では無いが。一つのスタイルとして定着している様だ。有名な映画俳優 ユルプリンナーは若くして スキンヘットだった。歳が明けて 昨日まで。営業日は十六日間 休日は八日間 店を開けている十六日間に 遠来の日本語の通じない客人が゛十五人お越しになり そのうち三人が 頭丸剃り スキンヘッドのご注文、概して頭頂部に少し毛が残っている人が多いのだが そうでない人も居る。柳居子の誕生日にお越しは イングランドから 夫婦連れ スキンヘッドのご注文 夫人は客待ちの椅子でスマホを触りながら待っていた。其処へ誕生日祝いのお花を届けてくれる人が居た。『御誕生日 おめでとうございます。』とご挨拶を受けて 一瞬仕事の手を止めて『有り難うございます』と御礼 暫くすると ガールフレンド ウクライナのカテリナちゃんから 誕生日お祝いの品が届く 宅急便の受け取りにサインして 『二階までご苦労様』と言って飴玉一つ握らす。眼の前の椅子で 其の様子を客人の夫人は 訝しく見ていた。頭 ツルツルに剃り上げ 夫人に声掛け タッチ プリーズ 夫人はご主人の頭撫ぜ回し感激の態 頭の髪の毛剃り落し逆剃りなんて多分体験が無い筈 今後も無いだろう 日本に来て二軒理髪店に電話しましたが 短く切る事は出来るが剃る事はしないという返事だつたそうだが 柳居子の店で頭のけ剃って貰って大喜びのスマホ画像を見つけてやってきましたと言う。 職歴は長いのかと尋ねられ 六十三年間になるしいうと お年は御幾つですかと追って聞かれた。〖今日から七十八歳です』と言うと 届いたお花やプレゼントの理由が判った様で。請求の金額余分に千円札一枚 『これは誕生日のお祝いね 何時までも元気にしていてね』と手渡された。 年齢を聞かれた時 『七十八歳です』と言えばそれまでの事だが『『今日がら七十八歳』』ほんの一言「今日から」が千円札に化けた。
2023.01.25
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大勢の皆さんから、誕生日のメッセージ 又 お祝いをお届け頂き、本来なら個々に御礼申し上げるの至当ですが。本サイトにてお礼を申し上げたいと思います。 七十八歳と言う歳が、自分自身にも信じられない思いがします。体力は確実に衰えてはいますが、一応現役の様な顔をして仕事をして、拙い文を毎日何某を発信して、又 其れを受けて頂く大勢の他人が居る。直接顔を合す事は無くても 繋がっているという感覚は 昔なら考えも及ばなかった事 今の時代にそれなりに適応しているのかなと考えたりします。 何時まで続くか判らないという年台が誕生日に思う事は、又来年の誕生日が来るまで七十七歳の時と同じ一年が続きますようにと願うのです。改めて 頂きました誕生日のメッセージに御礼申し上げます。 アクシデントの三輪自転車は、修理の見積もりを伝えてきた。三万二千円ほど掛るという 新しい自転車が一台買えるなと思ったが、もう既に柳居子の自分の足より 頼りになる足 銭金は言ってられない。納期を聞くと二週間程という 今から貯金する一日二千三百円ほど溜めていったら 多分貯まると言ったら 相手さん 電話の向こうで大笑いしていた。笑い事では無い現実の話し 暫くは始発の市バス通勤が続く。
2023.01.24
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愛用の電動アシスト三輪自転車が、大アクシデント。店の近くで起こったトラブルなら、自転車屋さんは 店から百五十メートルも離れていない御池通り在るから問題ないのだが、自宅の直ぐ傍 突然パンクしたのを気づかずに走っていたら 次々とリムが折れて微動だしない。三輪自転車 大体が年寄特化の商品の様だから、柳居子の様に、店と自宅の往復とか、休日の乗り回し等には対応できないのか 想定外の乗り手だろう。 一歩も動かぬ自転車を如何するか 自転車屋まで持って行かねばならない。思い悩んだ末 前輪と後輪の残った方を使い 車体を大きく傾けて手押しで歩いて店まで持って行くしか手が無いと考えた三輪自転車に乗って自宅から店までの所要時間は、二十分足らず 歩いて重い自転車支えて店までどの位時間が掛るか判らない。早起きして一日をスタートさせねばと思った。昨夜は 自宅近くの会場で、三浦武さんの手回し蓄音機で、古いレコードを聴く会に参加したのだが、帰宅して程なく就寝 七時間寝て午前三時起床 三時五二分に家を出て テクテク テクテク 傾いた自転車支えながら歩く事七〇分 無事店に到着 まだ体力有を実証した様な誕生日の朝 皆さん まだ命の在る事を喜んで祝って頂く日だ。
2023.01.23
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ブログ記事の、六千連載を越える日常は、前に習うとか 変えずに同じスタンスで成り立っている。続ける事の拘りは、着想を先ず紙(帳面)に荒筋を書き上げて、ワードに打ち込み ウェブサイトに載せるという繰り返し。そう云う連続の中で、文を加えたり 削ってたりして毎日の文が出来上がっていく。下書きに使う帳面も十七年前から同じ帳面。ボールペンも同じメーカーの同じ品番 色はブルー・ブラックときまっている。『継続は力なり』と、お褒めを頂く事も有るが、反面 新しい発想とか閃きとは関係の無い世界に居るのかも知れない。 連載執筆の役に立ってくれている ブルーブラックのペンの 書きはじめはブルーだが、時間が経つに連れて 漆黒に変色していく。専門的に言うと タンニン酸の水溶液に、硫酸第一鉄と言うのを加える しかし混合液は 無色高に青い色素で色付けがしてある。 紙に書きおろした直後は、青色でも乾燥が進むと 硫酸第二鉄と言うのに変化して書いた物がどんどん黒くなる。何物にも、存在の理由が有り 絶えず進化している。『昔は良かったなぁ』『今の若者は可哀想』とのたまわく御仁には『今の若い人は 昔を知らないのだから 可哀想は当てはまらない、今と未来を甘受出来る人は、今の年寄には出来ない事が出来るのだから 逆に羨ましいと思いますよ』 と返しておく。過去・現代・未来の連続性の中の 一刹那に身を置いている 人の一生は限りなく短い。今朝は七十七歳最後の朝だ。一寸ブルーでブラックな記事になった。
2023.01.22
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店でも朝の珈琲屋でも、古い映画の話題の出る事が多い。 大昔に見た見た観た映画を、克明に覚えていて 時としてストーリー中の台詞すら出てくる事が有る。 映画が世界中 否人間の娯楽として果たした役割は限りなく大きいと思う。芝居や歌や読み物でも 昔日を思い出す事は出来ても 映像でしかも生き物のように我々と同じ動きをする画像 人間の残存記憶の連続を見せることで あたかも吐息の有る様な動きを伝える映画の草莽期の話題も時々出てくるのだが、日本映画では『牧野省三』とかトーキー以前の『尾上松之助』の事を、ご存知の人も多いが、一番最初に映画と言うのを日本にもたらした『稲畑勝太郎』の事績を知る人は少ない。歴史には隠れた存在ではあるが、柳居子の知る範囲の事を記す。 稲畑は 烏丸御池近くの菓子屋 亀屋正重家に生れたという。本職は染色科学の仕事をしていたそうだ。 明治の初頭 染料科学の先進地の欧州に渡り 海外の諸事情を日本に紹介するという 大きな意義ある仕事に粉身していた。映画の紹介も其の仕事の一つ。三回目の渡欧の時 リュミエールの動く写真を見せられて、日本との文化・科学の差に歴然としたという。多方面での活躍は 多くの人の支持を得て 大阪商工会議所の会頭 後には貴族院議員にもなったという。 明治時代に度々の渡欧 欧州の最新事情の紹介は多岐に渡ったと思われる。案外明治政府の 対外政策の知恵袋的な存在では無かったかと推測するのだ。世間がもっと大きく取り上げても良い人だと思う。
2023.01.21
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人間 生れて後、家族以外の他人と接点の出来る最初と言うのは。幼稚園時代と思われるが、幼すぎて記憶が乏しい。 自我の目覚めは小学校時代かと思う。世の中には 自分とは違う色々な人間が居るのだなと気付く 好悪の情も身に付いてくる。又 親以外の大人との出逢いと言うのも 小学校の先生だったと思う。小学校時代の恩師は 口も手も早かった。殴るというのでは無いのだが 頭を少し小突く 親に訴えても『先生を怒らせたお前が悪い。』と、相手にされなかった。今なら一大事免職事である。今は何か起これば保護者の眼が余りにも強すぎる。直ぐに 教育委員会に訴えるとか 新聞社に実情を云々という話しになるから 特定の保護者は腫れ物に触る様な対応 子供を親と先生が立派に育てるという共通の目標は雨霧消散 学校は無理難題何を言っても訴えても良い所と子供に実地教育をしている感じ 問題児はクラスを潰す 問題保護者は学校を潰す。 心病み現場から離れる教師が後を絶たないという。誰も我が身大切にするから 火の粉振りかからない様に 保護者対応をするから 子供の人格形成云々は 遠い話である。 小学校時代 最初の友が出来るのはこの頃かと思う。自分とは何か違うが、近寄って愉しい友 又 怖い友 色々と選別が出来るのもこの頃からだろう。 小・中学校同窓だった仲の良かった友に『柳居子の学校時代はどんな感じだった?』と聞いた事が有った。女性は一様に『近寄りがたい人 小学校時代直接言葉を交わした記憶は無いと言う。男性も 皆 一風変わった我々とは全く違う事を考えている男』というイメージが残っているという。 中卒で散髪屋になると聞いた時、高校も大学へも行かずにと云う様な思いはしなかった不思議の人に見えた様だ。 今も 不思議の人と良く言われる。『柳居子さんは一体何者?』 決して不思議の人を演じている訳では無い。数多くの友に支えられ、精一杯生きているだけの存在。 其れでも自分から『友達になって下さい』という言葉は今迄一度も発した事が無い。来る人拒まず 去る人追わずの七十八年間だったと思う。
2023.01.20
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家にテレビを置かなくなってもう十年以上になるが、テレビの話題が出ると、黙って拝聴モードになる。話題に加われない事を羨ましいとか、時代に取り残されているという思いはしない。 情報伝達手段が 今のように多岐に渡らなかった時代は、現場中継と云う様な字幕が出ると、眼が吸いつけられたが、今は違う 速報性を謳われた時代が過ぎると 過去を振り返るツールとか ひたすら娯楽性 視聴者に媚びるようなスタンスになっているのだろう。テレビは報道であっても 作り物という事を身に染みて感じる様な出来事が有ったから テレビと言うのを全く信じないから見る迄も無いとテレビを置かなくなった。新聞と本 書いてある事本当だろうか? と考え事をする時間が愉しい。 朝の珈琲屋へ 『魔法のレストラン』とか言う番組の取材が有った。京都の町で行列の出来るレストラン探訪という番組の取材だつた。マイク突き付けられ、柳居子が一番長時間のインタビューを受けた 何故行列が出来るのか? 店と客との変らぬ距離感とか 従業員教育の現場は 店と社員では無く 先輩・後輩の関係の中で施されるとか 行列の出来る背景の様な事を喋ったのだが。其れは番組視聴者には面白くない話と判断したのか 一切柳居子の喋った事は流れなかった。 折角しっかりと質問に答えたのにという思いは何も無い。受けを狙った娯楽番組に 堅苦しい条理の話は似合わないと思ったのだろう。娯楽番組に 本音を喋る男の登場は 芳しくない その部分だけが浮き上がってしまう。テレビの社会に対するスタンスがよく判った。作り物のテレビ番組に触発されてという事になると 制作者の心の負担は大きくなる お笑いの消耗品を作るというのが仕事の主流になっているのかも知れない。ろくろくテレビを見ない柳居子が書くべき話題では無いようにも思う。
2023.01.19
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先週土曜日 床屋冥利に尽きる様な客人をアメリカからお迎えした。度々載せる米国人のユーチューバ ヘアカットハリーさんのサイト 柳居子の顔剃りの動画を見て、日本に行ったら必ずこの店を訪ねて顔を剃って貰おうと決めたのが未だアクセス数が200万足らずの時だったと言う 今は850万程になっている。見る度 顔剃り願望が強くなってきたという。日本に出掛ける大きな目標にしていたという。 ご夫婦でお越しだつたが 奥さんは日本人 当然の事だが奥さんを介しての会話となる。白人の男性として髭が極端に多いと言う訳ではないが、数多く剃ったペスト3に入るほどの難しい髭 特に顎から口に至る顔の真ん中 面積的には左程広い部位では無いのだが ツルツルの剃り上げるには至難の髭だつた。 髪の毛に毛流 毛の生え方の流が有る様に 髭にも生え方の流が有る。流れに沿って髭を追う様に剃るのが順目剃りだが ツルツルには剃りあがらない 生え方の流に逆行しして正味の逆では無く若干角度をつけて剃り上げると ツルツルになるのだ。 一部始終動画を撮っていた奥さんに『ご覧になっていた様に この様にツルツルに剃る事が出来るのは剃刀を持つ手より ツルツルに剃る事が出来る条件を作る 剃刀を持たない手が大事な役を果たすのですよ』『旦那さんの髭はツルツルに剃り上げるのが非常に難しい髭でした。生えている一本一本に対応しなければならない髭でした』と話し 其れを旦那さんに伝えて貰った。『髭剃りの大先生に聞きたい事』奥さん介して質問が来た『自分で剃ると必ず顎から口に掛けて 剃った後必ず皮膚が真っ赤になって炎症を起こしたようになります。直に納まるのですが 何か方法はありませんか?』と問われた。『自分の髭 何十年も剃り続けて剃り後何時も同じ事なら、発想を変える事です 髭が剃られたくないと 剃らずに髭と共存も良いかも知れませんよ』と奥さんに伝えて貰った。『大納得 その言葉を聞きに日本に来た甲斐が有った』とヒートアップ 料金とは別にアドバイス料も頂いた。床屋が髭を剃るなというアドバイス 考えてみると少しおかしいとも思うのだが客人に喜ばれたら良しとする。
2023.01.18
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明治の新政府は、長く続いた従前の権威に対抗する手段として、天皇家を表に戴き 国家神道の制定を大きな国是とした様だ。過去に天皇家に仕えた忠臣の多くが神に取り上げられた。別格官幣社の社格と共に。例えば京都御苑直ぐ西側の「護王神社」和気清麻呂が祭神だが 此処に祀られる前は洛西神護寺の一隅の小詞に祀られていた。清麿の業績を大きく取り上げ 今は京都御苑の真向かい 観光ルートにもなっている 織田信長も武神として 船岡山の山裾に 建勲神社として祀られている。元は東京の織田子爵邸に祀られていた小社を。明治十年 「建勲神社」と改称して 京都の『玄武』北面の守りの様な位置に祀られる様になった。信長・信秀親子共に 天皇家に対する数芸の念が大きく 伊勢皇大神宮の式年遷宮や 名古屋の熱田神宮の造営 京都御所の復興にも多大の貢献が有った事から 明治二年 勅令で神に上ったという。武神として祀るのが一番だと言う事かも知れないが、柳居子は、信長が先例に捉われない 後の世の手本となる様な 大改革家と見ている。 信長以前の合戦は 農閑期ときまっていた 傭兵が集めやすいという事 信長は専門の武闘集団『軍』を創始 常備した戦う事を訓練された集団 軍は信長の強さが判る一面である。新しい事 新しい物を取り上げ事に 何の斟酌も無く 其れを日本という国の価値観の様に取りあげて行った様は 驚き以外の何でもない無い 志半ばで本能寺での落命が無かったら日本は如何替わっていたか判らない。又信長は 作事方という技術集団を率いて居た様だ。思った事 思い付いた事を 直ぐに実現させるスタッフを傍に置くと言う事は 秀吉・家康にも確実に引継ぎが出来ている。秀吉は信長に仕えていたから、主の考える事はよく理解出来ていたのだろう。竹中工務店の祖は信長に仕えていた技術集団の 一職人と伝えられている。 明治の建勲社造営の頃の信長像と 今の印象とは随分違うように思う。少なくとも武神として崇められるだけでの存在で無いように思うのだ。
2023.01.17
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今年の松の内、偶然の重なりとは思うのだが、火事と交通事故の目撃をして、松の明けるのを待たずして 冥界入りした人や、生と死の狭間を彷徨っていると思われる人の 現場からの搬送を目撃したのだ。 火事は京福出町柳駅のすぐ北 叡山行の沿線沿いの集合住宅の七階か八階だった。柳居子が自転車で荒神橋を渡った時、北東に煙が高く上がっているのが見えて。直ぐ横を消防車や救急車 パトカーが続いて 現場に向かっていた。もあ,火種を知って現場を見ないという性格でも無いから 自転車漕いで現場に向かう。集合住宅の七階辺りの窓から 火焔が挙がっていた。結構長い時間燃え続けていた。 梯子車が出動しても 地表より髙い現場での消火作業は大変な様で、煙が鎮まってぼちぼち鎮火と思ったら 又 火焔が出てくる様なくりかえし 翌日の新聞には、この部屋に住んでいたと思われる女性を搬送したが意識不明の重体と報じていた。 十三日は 同じく鴨川畔 荒神橋の直ぐ東の路上で オートバイと乗用車の衝突事故 大津の十七歳の少年二人が載ったオートバイと衝突直後に通り掛った。倒れたオートバイから十メートル以上離れた路上に靴が脱げ落ち 頭から大量の血を流していた。一面血の海 荒神橋の東側の道路は 橋を架ける時大きく盛り土をしたから 少し道路の盛り上がりが異常か様に思う。十七歳の少年たちにとっては、多分始めて通る道と思われる 『しまった。と思った瞬間が人生の終着 一人は即死 もう一人も重篤と報じていた。 昨日の夕方現場橋のたもとには 花束が二つ具えてあった。この正月に思った事は、今が在っても 明日も同じ様に在るとは限らないというのが人の世と言う事。先を見越してという年台では無いが、年若い十七歳でも 昨日まで在った命が今日は尽きていると云う様な現場を見せつけられると 今 今日ある命を有り難く思わねばならない気分になる 異例の正月松の内だった。
2023.01.16
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一人住まいで、ガス代が一カ月4万円を越えたとぼやく友が居る。払える事を自慢している訳でも無かろうが 朝の珈琲屋の話題に揚げる様な事では無いと思うのだが。言わずには居られない性格だから付き合っている。冬場はガスストーブ点け放ちにしているから 又毎日風呂に入ると 冬場の寒い時はガスの消費量が上がる様だ。 毎月 光熱費の集金が有った時代は。月々の光熱費の出費が実感できたか゛銀行振り込みになると 光熱費は通帳の残高の数字実感が無くなる。 確実に物価は上がり続けている。柳居子の場合は、結構な量の頂き物が有って 又 加齢現象だが 金を使うという機会も少なくなり 朝の珈琲チケットも二月半ばまで 頂き物で支払いが出来る。出先の珈琲屋でも珈琲代支払ってくれる友が居る。 考えてみると 本当に安上がりに男 安上がりの人生の様な感じがする。 月 四万円のガス代をぼやいていた友には、一人で住んでるから月四万の負担は大きい様に思うが 二人なら二万 四人なら1万 一人あたりの負担も軽減される 何よりも 厳寒の贅沢生活を送っているのだよ と 言っておいた。人の言う事 聞く耳持たない柳居子には不思議な人なのだ。
2023.01.15
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信仰に流行り廃りが、有って良い物か? 神仏を信じて、手を合わせ 崇める事は、人智を越えた何かが有ると信じての事と思うのだが、初もうで 列為す参拝者の数の多さに 神威と言うのは、現世利益を大きく謳いあげる事で 数多くの参拝者を集めているのは、間違いいないと思われる。 神に祈るという内容は、時代と共に大きく変わってきていると思われる。春の祭りは豊作祈願が多かった様だ。 秋は実りに対する感謝の意を神に捧げる。と言う事 医療や化学が未発達の時代は、流行り病は神のご意思 神に頼るしかなかった時代 疫病退散は実に切実な願いだったと思われる。今病は充分な医療が施され 其れでも手に余るものを神仏に祈るという図式の様だ。 道真が大宰府に流され 客死した後 洛中で落雷の爲命を落とす人が居た。奇禍は 道真の怨霊が起こしたもの 祟りを恐れて北野天満宮を建てて祀った。御霊鎮めの神社だったが、今は学問・学芸上達の祈願所として 上手に衣を着換えた。京都市内で今一番流行りの神社は、「御金神社」 西洞院押小路下がるに在るが、元は方除け 其処に参れば祟りから除かれるという神社 社格は低く 村社か、貴族の家の邸内社だと思う。御金の社名は金属の神様 祭神は「金山彦命」古事記にも登場する神様 社名から金属関係 鉄工所等の参拝が多かったそうだが、金属を貨幣と見立てるという作戦が当たり 参拝者が激増した 御池通りを西に曲がり 堀川辺りまで参拝者の列が続く 多くの神社は、氏子と呼ばれる近隣の町の人に支えられている。氏子との関係が上手に出来ていない神社も知っている。京都は神社が多い 故に色々な葛藤も有るのだろう。
2023.01.14
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ご年配の客人との会話は、お互い体が弱って来たという共通項があって、体調とか、記憶の減退という話題で終始する事も有る。 家族にも言えない事だが、誰かに訴えたいが誰でも良いという内容では無い。そう云う話を承るのは、柳居子の役目と思う事が有る。 腰の悪い人 『歩くスピードが極端に遅くなった』と言う御仁には、未だ二本の足で歩いて、自分が行きたい所へ行けるのだから 幸せ老人ですよ』と言う 『そやなぁー まだ杖なし 杖が有ると言う事考えた事無いわ』と仰る 『腰を上げる時 何かに掴まらないと直ぐには立てない』という御仁には、『トイレの便座の横に 垂直に手摺を付けると便利ですよ』とアドバイス 母と同居する時付けた 便座の横の垂直手摺 今柳居子が重宝している、『そもそも 若い時は 腰を上げるとか 立ち上がると云う様な体の流を、意識する様な外は無かった。今は一つ一つの動作が よいしょとか やっこらさ という掛け声で始まります しかし 其のよいしょ やっこらさと、自分自身に声掛けるのは良い事ですよ。何故ならば これから立ち上がるとか 腰を上げるという動作 突然其の動作をはじめると 各個の負担が突然の事で ぎっくり腰の要因になる よっこらさは自己暗示と言うのか これから体を大きく動かすという命令を体全体に行き渡らせる効果が有る様ですょ。』と言うと『若い者の前ではその言葉控えるが゜本当は言った方が良いのですねー』という話しになる。『年寄への戒めを 色々と知っているのだね』と言われ、『若い時からお年寄りを 数多く見て来ましたし 自分も年取ると お話しする内容に説得力が付くのです。』と言うと『成程なぁー』と 返ってきた。
2023.01.13
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小・中学校同窓だった幼馴染の体調不良を聴く事が多くなってきた。年賀状にも体の弱った事を書いた物も有った。毎年届いていたのが二年続けて来ないのが 人伝に聞いたのでは他界していた。親を看取ると、もう自分が介護対象の年代と言うのも有った。 多くの友は七十八歳 柳居子ももう十日程たつと七十八歳になる。老いによる体の衰え 体調不良を誰に訴えても 誰も身代りになってくれる人は居ない。柳居子は誰にも 何も言わない様にしている、 他人に訴えても如何しようも無いと思うのだが、訴えること・吐き出す事で気分が軽くなる様に思う人も居る様だ。体調だけでは無く 煩わしい事や面倒な事を自分が為さねばならない事を他人に訴えても致し方無いと思うに 其の人の性格の様な物だから 付き合って聞いてあげている。 身の上相談と云う様な内容の訴え事に付いては『貴方一人の悩みでは無いですよ。』とか 『自分のできる事を果たしたと思ったら 後は成り行きに任すという事も選択肢に入れて下さい。』と云う様なアドバイスをする事も有る。先日始めてお越しの客人は。前日奥さんから電話が有って『一寸 体の弱った主人の散髪お願い出来ますか?』という連絡が有った。店が二階に在る事を伝えなかったから、二階まで上がって貰うのが一騒動だった。半年間ほど髪も髭も伸び放題 前回の散髪 お好みが判らないから 髪型のお好みを聞くのだが 上手に説明が出来ない。業を煮やして『私に任せてくれますか?』で一決髪の短く刈り揃え 髭もツルツルに剃り上げてご満悦 テキパキとした仕事振りを年若いと見たのか『若い人は良いなぁ 羨ましい』と仰るからお年を聞いたら柳居子より二歳年下 こちらの年を明かすと『年取って 元気な人は良いなぁー』と前言 翻し。 付き添いで散髪の終わるのを待っていた奥さんが言うのには パソコンIT 一切関係なし テレビ眼が悪いから見ない ラジオ耳が悪いから利かない 他人と話しする事も滅多に無いという事 柳居子の生活 日常とは対極の客人に『若い人 階段下りるのに年寄りが先導する』と言ったら奥さん大笑い。奥さんにブログのプリント版を何枚か差上げた。『必ず又来ます お世話になります』と言って帰られた。
2023.01.12
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不思議・異常現象とは思わないのだが、以前は考えもしなかった事が、柳居子の店で起こっている。 其れははるばる海の向こうからやって来る客人の数が増え続けている事。年明け今日十一日を含めて、営業日は。五日間だが米・英・加・豪などからやってきた客人は七人に達する。二人ご来店の日も二日有った。 日本旅行 宿泊先のホテルの紹介では無く 皆 スマホ画面を頼りにやって来る。決して入り易い店では無い。二階に在って、中の様子は下通る人には全く判らないにも関わらずやって来るのは、事前情報を軽くゲットできる今の時代の特色と言うべしか。 クラシックと言えは゛聞こえが良いが トレンディ今風の仕事は何も出来ない年寄が、世の中の最新情報社会の先端に居る様な不思議な気分になるのだ。加えて 理容・理髪という仕事が実に汎用性の高い 全世界共有の価値観を持つ仕事であることを改めて思わざるを得ない。色々な国の理容に対する知識とか社会的地位 また其の対応等を 客人を介して聞く事が出来る。 最近は 以前に見えた遠来の客人の紹介で『日本に行って京都にも行くのなら 絶対行ってごらん。』という友達の紹介という人が居るのだ。柳居子の店が世界中で話題となっている事自体が 少し前までは信じられない事だったのだ。 遠来の客人の爲 色々と対応を考えて この店にやってきたという証しの爲にと 世界地図を買ってきてサイン メッセージを地図上に書いて貰っていたがヨーロッパ圏が゜サインで埋め尽くされたので 聖地巡礼の朱印帳を買って来てメッセージ サイン帳とした。朱印帳は裏表五冊目がもうじき埋まる 最近は仕事が全て終わると 一緒に写真撮影 持参のスマホで自撮り 帰国して日本旅行の鮮烈な想い出 ツルツルに剃り上げた顔を柳居子が検分しているアングル 又 友人から十二支を刺繍した布袋を沢山貰った。年末来た遠来にはクリスマスプレゼントとして渡し 年明けてからは 新年限定プレゼントと言って手渡している。 皆 喜ぶ 朱印帳は、聖地を廻った証しになる帳面だが 聖地廻りの帳面に遠来の客人が次々と紙面を埋めていく様は。日本旅行京都に於ける参拝すべき聖地となっているのか等と 厚かましい事を考えている。
2023.01.11
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毎朝出掛ける珈琲屋 午前七時の開店前に、扉をこじ開け 開店準備の邪魔をしつつ 常連の席にとっかと腰を下ろす。新聞を開けて一日が始まる。通い詰めている期間の長さも含めて柳居子の事を『常連頭』と名付けた人が居る。 大方 東京大学を優秀な成績で卒業後 中央官庁に勤務 出向で官邸で皇后陛下となる人と机を並べ 事の成り行きで 内閣官房副長官となつて 今は。大学の先生をしている様な人にしか『常連頭』という言葉は思い浮かばない。東京で、京都の話しを『床屋談議』のタイトルで開いて貰った時 地元紙の取材で この常連頭という字句が出た様だ。常連頭の書き出しで始まる 珈琲屋の常連席を取り上げた記事が 七日の朝刊に載った。自分自身が『常連頭』と呼ばれる事に些か戸惑いの部分も有る。来店歴の長さから言うと、柳居子より年長の人の顔馴染みは、沢山居られるし 其の人達を差し置いて『頭』は座り心地が悪い思いもするのだが、毎日定刻に同じ場所に座るという拘りは 負けない物が有る。年長の贔屓客は、家族がもう年だから わざわざ出掛けなくてもと言う話になるから 足の遠退く人も居る。常連席 五番テーブルに、観光客や他の客が座らない 近づかないと言う一つの理由に、卓の中央 柳居子が構えて、入ってくる客皆をチェックする様な 狷介な目付きに対して 怖気づく人も居るのだろう。若しかしたら常連席の 門番 守衛の役を無意識に果たしているのかも知れない。 取上げた京都新聞社に伝えたい事は 新聞に載ってから 柳居子を知る皆さんから 片っ端声掛けられる まだ数多くの読者に支持されているのだと思った。
2023.01.10
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今回のコロナ過以前 インフルエンザが、スペイン風邪の再来と大騒ぎした時、海外からやって来た観光客を成田空港で、検査とか熱の有る人を隔離とかの騒動を報じた地方紙のタイトルに『成田空港で水際作戦』というのが載った。 成田空港の位置を確認して。新聞社の編集局長に、『羽田空港での対応なら水際でも良いが 成田での水際は一寸無理がある。病気が船に乗った人の舶載で拡がるスペイン風邪の時代のタイトルを今使うのは 一寸物を考える人から見ると時代遅れ まぁ多くの読者が何も言わなかったら其れで良いのだか』というメッセージを入れた。返事は来なかったが、意は通じた様だった。四方海に囲まれた日本は、国境線と言うのが無い。一歩踏み越えたら他国と言う経験は日本に住む人には無い。旧藩閥政治の時代でも、国境は川とか山の稜線とか 人為的に国境の線引きと言うのは無かった様だ。外地と呼ばれた樺太には国境線の線引きが有った様だが、日本に住む一般国民に取って国境線は馴染みない言葉だと思う、日本では水際が国境最前線の様だ。中近東とか、アフリカに於ける国境の線引きは、いかにも人為的、その場所に住んでいる人とは一切関係なく 地図上での線引きが為されている。古い世界地図を見る限りでは、強国の利害調整の結果の様に感じられる。石油の埋蔵量とか 特殊な金属の原石を算出するとか 強国の利の爲の国境線引き。今 ウクライナでは、新たな国境の線引きをロシアが画策している。国境の策定と言うのは、人類始まってからの絶える事の無い揉め事の一つかも知れない。こういう事を取り上げた学問は、地理学か地政学と言うのかな? 『判らんけど』これは京言葉 多分そうで有ろうという意味
2023.01.09
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この歳になるまで、判らなかった 気付かなかった事が有る。四日晩の左手親指の切創は,指サックを嵌めての仕事で、中々もとには戻らない。一寸無理をすると 傷口から再出血という感じで、完全復活までは未だ暫く時間が掛るかと思う。 当然の事ながら 反対側右手の指の負担が大きくなるのだが、何となくぎこちない。左指のサポートとして長年の役柄を急に替われと命じられて 右往左往の態である。シャツのボタン掛け 初めてする事 ファスナーの上げ下ろし伯耆持っての掃き掃除 動かす手を常と違う方に持ち替えると実にお粗末な人に笑われる様な掃除風景になる。 何故利き手 左右の能力差がほぼ生まれながらに有るのかは判らないが、利き指と言うのは 利き手に付随して手でする仕事の延長で指先も常に使われる内に一方の指より進化したのではと考える。改めて指の働きに心すると、生活の中で 指が無ければ意思疎通の出来ないケースも有る 例えば手招き 両手を開いて相手に掲げる これは制止の意思表示 近づくな危険と言う様な場面 指を動かすだけで おいで おいでになるのだ 小指一本立てるだけで 複雑意味深な状況ょ語ってくれることも有る。三つ指ついてご挨拶を受けたら 相応の散財を覚悟しなければならない。指も稼ぎの一翼を担っている。利き指 傷つかなかったら 指の事など考えもしなかった。怪我の功名ならぬブログネタにはなった。
2023.01.08
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京都の町は、観光客が途切れることなく 賑わっていて、過疎とか町が無くなってしまう等と考える人は、殆ど居ないとは思うのだが、町の営みと言うのは、大きく変わってきていると考える。 端的な話し 建物や店舗のテナント募集 借り手の募集広告が、以前には考えられないペースで増え続けている。京都では一番の繁華街と言われる 新京極・河原町・祇園町などでもテナント募集広告が眼につく。我々の言う一町 辻から辻までの間に、複数の借主募集が掲げられると、今迄に無い異常を感じるのだ。 新京極で、向こう三軒両隣に近い店子募集の広告が上がると 繁華街の態を為さない。 新型コロナウイルスの影響も甚大 店を借りている身で 客が来なかったら店を畳むしか手は無い。修学旅行と言うのが格好の稼ぎとなって。どの店にも土産物が並ぶようになると 店そのものに個性が無くなった様に見える。昔は一つの業に特化した 其の業のトップという店が幾つも在ったが 今は無い。物を買い求める動機とか方法と言うのも。様変わりしている。出掛けて買い求めるより ネット発注で事が足ると考える人が多数を占めてきた。 祇園町へも時々出掛けるが、軒を並べるお茶屋街に新しく出来る店は、中華料理や焼肉屋 ハングル文字の案内板 表か前は軒を連ねていても、内容は大きく変わってきている。又 スナック併設のお茶屋も多い。客のニーズに合わさねば生き残れないと言う事だろう。NHKアーカイブス 新日本紀行という番組で、錦小路を取り上げた番組コピーを見せてまらったが、朝は近辺の料理屋の仕入れの時間 昼は買い物籠を下げた奥さん・お母さんが流行りのウールの着物着てのお買いもの 夕暮れ 売り切りの爲大幅値下げの時間を待って、子沢山 エンゲル係数の高い人が出掛けるという棲み分けの図式が出来ていたが今は全く違う。観光客相手の串刺しをメインにしている店が沢山在る。買い食いは行儀が悪いと 一時期禁止の議も出たが、金額が低くても利幅が大きい。 又売り上げが従前の仕事の率より大きくなってくると、業態を変えるのも致し方が無いという流れになっている様だ。 錦小路の今 観光客が増えたから今の様な状態になっのでは無いと思う。錦近辺の居住者の変化 高齢化に加えて 所帯を構成する人数の極端な減少 沢山子供が居た 住込み従業員の食に供するもの 錦で買い蓑をする量的単位も小さくなっている。 又 食品特化のスーパーの出現も 簡単な食材調達に利する事も大きい。少子高齢化 人口減少が 目に見える形で表に出てきたのは、テナント募集の広告とか 買い物客の変化 今錦で頑張っているのは、土産・進物として全国発送しますという対応の出来る店か 余程販売商品に拘りを持つ ファンの沢山居る店に限定されている様に思う。 祇園町の賑わいも集まるのは人波だけで お茶屋の売上になる人は九分九厘居ないと思うのだ。
2023.01.07
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今年始めての営業は、指先の切創で 仕事が出来るか如何か心配したのだが、買い求めた傷テープと指サックが殊の外役立って、又最初にやってきた客人が、ボストンから柳居子の店を目指してやってきた等と言われると頑張らざるを得ない。カット・シェーブ・シャンプーのコースを全て終えると ポケットからペンを取り出して、何処にメッセージを書きますか?と尋ねられた。話を聞くと、客人の友人が去年店にやって来て メッセージを書いたという。遠来の朱印帳を捲って この人 彼に日本へ行くのならこの店に行けと言われました。 今更ながら SNSの威力と言うのか 影響力を思わざるを得ない。 長年やってきた仕事を大きく変えたわけでは無い。むしろ出来ない仕事が合うているにも関わらず もうじき七十八歳になる老人一人が隠居仕事の様にやっている床屋稼業が 世界中で話題になっているのが我ながら不思議を感じるのだ。年末最後にお越しは、インドネシアからの親子連れ 年明けて客人も ボストンからの遠来誰の紹介と言うよりスマホの画面見て スマホの案内で 二階に在る店にやって来る人ばかり 初仕事 二人目 三人目は出入りのクリーニング屋さん御子 息子さんと言っても還暦になるという。生れて一度も柳居子の店以外で 頭を刈って貰った事が無いと言う。旧臘十二月の掛かり 血糖値が五百を越えたとかで二週間程入院していたそうだ。赤ちゃんの時から知っているのだが もう成人病世代になっていた。長く続けてきた稼業 今年ももう一年 続けられたら有り難い事と初仕事の日に思った。
2023.01.06
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腕が良いとか 腕が立つという表現 理容の業界では指先の妙なる事を言い表わしている。 指先の微妙な動きそれだけで成り立っている仕事なのだ。朝の珈琲屋で 新聞の折り込み広告を丁寧に小さく折り畳む意味の無い作業を、眼と指先のトレーニングと決めて朝の日課としている。折り畳めて重ねて小さくすると今日も仕事して良しという自己暗示欠ける事が出来るのだ。 指先の大切さを常に心しているにも関わらず 昨夜実にお粗末な事を仕出かした。作り置き二・三日分のおかず 野菜サラダを作ろうと 人参をスライスしていた時 何かの弾みで、スライスされる人参が逃げ出し 掴まえていた親指をスライスしてしまった。傷口深くは無いが広い 血が出てきて止まらない。。柳居子の利き腕は左 サウスポー やはり利き腕の指の方がよく使うとみえて。救急箱の止血剤 絆創膏などの手当てが手際よく出来ない。取り敢えず絆創膏グルグル巻きにして 料理作りは中断 直ぐに寝ることにした。 布団寝具を血で汚さない様にビニールの買い物袋で手首から先を包んで布団に入ったのが午後八時 途中眼も醒めず起きたのが午前四時 完全八時間睡眠 こんなに長い間寝た記憶が無い。指先出血のショック故の完睡眠か。 医者の門を叩くほど大層な事では無いが、グルグル巻きの絆創膏だけではまずい。如何した物かとふと二十四時間営業の薬局を思い出した 直ぐ身支度整えて御池新町辺りの薬局へ出掛けた。内側血で後れたビニール袋外して 消毒剤・止血剤・絆創膏・指サックお願と言いながら 『巻きつけた血を沢山含んだ絆創膏を外すのは 医療行為でも何でもない困っている人助けてくれる?』と言ったら 手際よく処理してくれた。直ぐに治ると思われる 指先の一寸した傷に大層な事とお笑いになるかも知れないが、今日は今年の初仕事 どうなる事やら 八ミリ幅十ミリの長さ薄く削っただけ 直ぐに治ります。お見舞いの義はお言葉だけで充分です。
2023.01.05
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皆さんとは逆に、正月休みを利用して、日頃気になっている掃除をしている。終活を意識して動いている訳では無いのだが、念入りの掃除となると。不用品の処理 要するに断捨離をする事になるのだ。 常 物を捨てるという事をしないから、物が溜まる一方になる。古い客人の写真や手紙等は、捨ててしまえばそれまでの事だが、記憶のよすがが無くなると 一切が無になる様な思いがして、一向にはかどらない。髙い所 重い物も御法度と自覚している。 肺癌を疑われた時 思い切って本 特に小説の類を大量に処分したのだが、又 以前のように溜まりつつある。 体の弱り具合に呼応する様に。店の備品も結わってきたのが有る。業界用語では、バイランドという瞬間湯沸し器 まだ日本に製品が無かった時代 ドイッ・バイランド社からの輸入品しか無かった時代 メーカー名が日本では製品名になった。因みにバリカンもフランスのバリカンマール社の製品 同じく社名が品名になった。 洗髪には必ず要る物だが、最近 湯加減の温度調節とか 着火が心許ない。修理を頼んでも 半導体が無いとかで修理に回すのが無いとの由 新しい設備導入なら直ぐの様だが、何時まで仕事が出来るか判らない身の上 何十万もの投資は出来ない。 昨日出来た事が今日は出来なくなっているそういう歳だから 瞬間湯沸かし器は騙しだまし使っている。 掃除をしていて 大結構では無いが 小結構 ラッキーと思う事も有った。棚の奥の方に仕舞い込まれた箱の中からCDの入ったケースが出てきた。ジャックリーヌ・フランソワの一枚 ダミアは録音技術が未発達の時代の歌手 ピアは迫力があるが 女性と男性の間の中性という感じ。Jフランソワをこれ等の名歌手の仲間に入れて良いのかは、判らないが 柳居子の大のお気に入り 人生の哀切を謳うのでは無く 譜面に正しく行儀よく そして人の心に染み入る歌唱が好きなのだ。 フランスの大手の化粧品メーカーの社長か会長の娘さん 歌手として録を食む人では無かったのだ。存命か亡くなったかは知らない フランソワのCD二・三曲聞いている内にこの記事 駄文を書き終えた。
2023.01.04
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去年 生れて始めて『マクドナルド』へ連れて行って貰った。笑われるかも知れないが、何を食べさせてくれる店かと言う事も 考えた事も無かった。 『ユニクロ』も以前、パンツ売り場は何処ですか?と尋ねてズボン売り場に連れていかれ、もう我々の世代が來る店では無いなぁと思い 買い物せずに帰った事が有った。 厳寒の季節となって 新聞の折り込み広告で、「ヒートテック」という肌着が、防寒になると謳っていたから。意を決して昨日ユニクロへ出掛けた。お目当ては直ぐに見つけることが出来て、下着はアンダーウェアーと言うそうだ。三点求めでレジを探したが見つからない。仕方がないから買い物を済ませた人の後に付いて セルフレジなる物をしっかり見て勉強してから支払いに臨んだ。買求めた三点 指定の場所に置くだけで全て 販売品 数量 金額等を識別して、合計金額 現金決済かカードかの指定をして現金受け入れ口に入れたら一切が終る。『いらっしゃいませ 何がお入り用ですか? 』色々と商品情報を直接売り子から聞いて 現金を渡し領収書とお釣りと『有り難うございました』の声を肉声で聞く 今となっては何と贅沢な買い物をしていたのかと思う。そう云う買い物 買い方しか知らない年寄には戸惑う事が多い。ユニクロでの物の買い方 支払方法を会得したぞ。 店にやって来る 遠来の客人への最初の声掛けは『ソーリ― キャッシュ オンリー』現金以外は何も対応が出来ないのだ。
2023.01.03
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六十年近く前、紫野大徳寺町に数年住んでいた。紫野高校の南隣、 当時ご贔屓頂いていた客人のご自宅だが、庭に築山が有り庭の手入れだけでも大変なお金が掛るというお屋敷だった。お年を召したご夫婦の二人住まいで、或る日飼い犬が毒の入った餌を与えられたのか死んでしまって 何となく物騒を感じて 若い人の出入りが常に有る方が良いと言う事で 頼りにはならないが、柳居子が毎日寝に帰る家となった。 すぐ前は 榊原紫峰画伯の家 当時は京都外大の理事長か学長の森田志津栄さんの家だつた。毎朝迎えの車が早くから待機していた。庭掃除と思しき老人が 女傑の出勤を手を揚げて見送っていた。「いつもお見送り迄ご苦労さんです。」と言うと、アッと驚く為五郎 『家内です。』 市電全盛の頃 今宮神社前という電停が在った。朝早く起きると大徳寺の境内を通りぬけて大徳寺前まで歩く事も有った。今宮神社の朱塗りの鳥居は朝晩潜っていたのだが 先年の台風で損傷したとかで修理していたのが昨秋十一月に綺麗に復活した様だ。親の干渉も無い好き放題の出来た懐かしい場所だった。 鳥居の直ぐ横にはピアノの調律か修理をしている作業場が在った 北大路南側には『いみ』という喫茶店が在った 船岡山北参道を挟んで 『弓下酒店』が在った。 北大路電停北側には○○○という菓子屋が在った。下宿させていた学生さんと奥さんが出来てしまって 大騒動の目の前目撃も在った。鞍馬口通りに向かう斜めに南下する道に洋服屋さんが在った 此処の奥さん電車降りて一歩踏み出した時 車に刎ねられ後続に挽かれた無残な死も目撃した。洋服屋からもう少し下がった所に在った銭湯へよく行った 用心棒下宿先は 五右衛門風呂だった。 若かった頃の旧い記憶は、次々と出てくるのだが、最近の事が覚えられない。新しくなった鳥居の前に『橋本コーヒー』という喫茶店が有る。多分今の店主の親がイノダコーヒーの出身で、近くに行く時は立寄る。頼まれて柳居子の息子が 開店オープンの時のメニューか社章のデザインをした。顔馴染みと感じる店では無くなった。
2023.01.02
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皆さん 明けましておめでとうございます。と、ご挨拶をしても新瑞の歳の始まりが目出度いと思う心は、年々薄くなっている様に思う。特別の日では無くなったのだ。 時々シェアする真向かい乾物商も大晦日は完全休業だつた。昔は信じられない事が当たり前の事になっている。頭刈りたてで無いとお正月は来ないと皆が思っていた頃は 超繁忙だつたが今は違う。マレーシアから来た人と インドネシアからの親子連の散髪 外国からの客人が続くと昔の師走との様変わりを思うのだ。 扨て新年早々 何を書こうかなと思ったが、ブログを書きはじめて最初に向かえた元旦 丁度十六年前の記事『君が代』と翌日の『日章旗』しっかりと書いていたなぁと 自画自賛 十六年前に読まれた記憶の有る人以外 最近の読者の爲 再録するのも良いかと思う。 元旦早々の手抜きである。2007.01.01君が代 新年 明けまして おめでとうございます。 三日続けばと始めたBLOGが一日の休みも無く 二百五十連載を越えました。毎日のようにアクセスを頂いている大勢の方々から 色々とご意見やご指導を頂くことを励みに続けられた事と感謝申し上げます。 元旦に相応しい話題として 国歌『君が代』について柳居子の思うこと書き連ねる。元歌 古今和歌集 賀の歌 三四三は 「我が君は 千代に八千代に・・」 が伝わる。国家安寧を祝う歌として古くから認められ 室町時代から「君が代」と詠み歌われる様になったらしい。詠み人知らずとあるが 清原元輔が藤原実頼の五十歳の賀に詠んだともいわれている。 国歌 君が代を巡る論議は、『君』とという一字をどう解釈するかに尽きるように思う 古くは 二人称『貴方』の意味が 君主・天皇と時代と共に解釈が変わってきて 先の大戦には国威高揚のシンボリックな働きをしたので 反対の声も根強い。国旗掲揚・国歌斉唱を強いて反発を受け広島の高校の校長が自殺した事も記憶に新しい。 柳居子は、国歌に謳われている歌詞其の物を、他国国歌との比較で考えてみたい。 千代に八千代に さざれ石の 巖となりて 苔の生す迄 平安な時代が続きますよう 小さな石が 岩になり其の表面が 苔に覆われるまで 平和を祷る穏やかな歌詞内容だと思う米 国歌 砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中 我等の旗は夜通し翻っていた 恐れおののき息をひそめる敵の軍勢が切り立つ崖の向こうで気まぐれに吹く微風に見え隠れする 『 砲弾があり 敵が居る 』仏 国歌 ラ・マルセーイエーズ 暴君の血染めの旗が翻る戦場に 響き渡る獰猛な兵等の怒号 我等が妻子らの命を奪わんと迫り来たれり 武器を取るのだ、我が市民よ!敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ! 奴隷と反逆者の集団、謀議を図る王等 我等がために用意されし鉄の鎖 同士たるフランス人よ!何たる侮辱か!何をかなさんや!敵は我等を古き隷属に貶めんと企めり! 『血があり 武器があり 鎖がある』英 国歌 謳い出しこそ神よ我らが慈悲深き 女王陛下を守りたまえ我等が高貴なる女王陛下の永らえんことをだが 伏兵や暗殺者らの手から神よ我らが女王陛下を守りたまえ ・・・激流の如きスコットランドの反乱を打ち破らん 『暗殺者や反逆者が出てくる スコットランドの反乱制圧もある』省みて 先の大戦の大元帥陛下讃仰という指摘は有ろうが歌詞そのものは、他国国歌に比べると穏やか 血も無く 武器も無く まして暗殺者や反逆者も居ない平和其のものの歌だ。日本人の思考回路の根底を表す歌とも柳居子は思う。 巖 岩が風化して細石(さざれ石)や砂になると考える人が今の時代は多い さざれ石が 巖となり苔むすのは、堆積岩 水成岩か 昔の人の岩に対する考え方も判る。 今年も宜しく 柳居子 拝 国歌訳詩 http://www.worldfolksong.com/anthem/ より引用
2023.01.01
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大晦日 恒例のNHK紅白歌合戦の放送が終って、突然画面が切り替わって、お寺の除夜の鐘が鳴り響き 番組画面は ゆく年 くる年のタイトル お寺や神社の迎春の模様を伝えだす。僅か十五分経てば元旦の午前零時 時報を告げると『明けましておめでとうございます。』紅白歌合戦が始まっての放送が七十二年目になるのだそうだ。正月を迎える迎春バージョンが、新春になった事を実感する展開をよく覚えている。 紅白歌合戦のタイトル ゆく年 くる年の番組タイトルは今も変らない。紅白を 女・男と分ける事自体今の世相では相容れぬ 一言有りそうな感じもするし 合戦も一寸問題視する人も居るだろう。NHKが男女分れての合戦中継 審査員の数も男女等しくせねばなるまい。テレビ番組を 全く見ない柳居子は、テレビ番組を如何こう語る資格は無いのだが 紅白に付いては ディック・ミネ 淡谷のり子 藤山一郎 菅原通々子 美空ひばりが登場していた時代までは 時々見ていた。昔に比べ何が変わったかと言うと 窮屈になったと言う事『お暇なら来てよね 私寂しいの。』放送倫理規定から大きく外れるだろう。
2022.12.31
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朝の日課 珈琲屋から帰って、夕方までの客待ち仕事、終えると何処へ行く訳でも無く自宅へ一目散 其の生活パターンを変えないで、よく人間関係を築く事が出来ますね。と言う意味の事を時々言われる。 人を迎える仕事とは言いながら、知人・友人の数は客人だけでは留まらない。結構な事だと思う。今は自転車通勤だが市バス通勤をしていた時 始発のバスに乗り合わせた人とは皆仲間 友達になった。『何所まで乗るの 何処へ勤務?』という問いは 何故貴方に言わねばならないの?になるが『帰りのバスの時間も決まっているの?』という問いには必ず反応があり 『気を付けて今日も頑張ってヤー』と言うと 翌朝から会話を交わす仲間になるのだ。道を歩いていて一寸した切っ掛けで親しくなる人 話しても信じて貰えない様な出逢いで、親しくご交誼の続いている人が沢山居る・ 若い頃 よく刑事さんですか?と言われたほど 狷介な顔つき 目付き 今更如何しようも無いが 顔つき目付きは宜しく無いと自覚している。腰と背が曲って来て 流石に刑事さんですかとは 言われなくなった 元刑事さんも一度の言われていない。 仲良くしましょうとか お友達になつて下さいなんて言った事等一度も無い。フェイスブック 誤ってお友達申請をクリックしてしまうと 必ず削除をお願いしている。 其の人のお友達に自分が相応しいのか そんな事考えるのは煩わしいから 削除をお願いするのだ、誰にでも気安く 例えヤクザの親分 橋下のホームレスにも変わりなく声掛けできるのは、生まれつきの資質とは思わない。やはり本職床屋稼業一筋に続けて来た余禄という事だろう。未だ頭の柔らかな十五の春から六十二年間 自分以外は『師』という思いで接してきて、其れでいて 人は皆対等 どんな偉い名の有る人でも 理髪の椅子に座れば皆同じ人 相手の名や肩書に何等臆することなく気安く語りかけられるのは、長年の積み重ねで会得した様だ。 師と頼る人は、殆ど居なくなり 逆に師匠とか親分 先生とか言われる事が多いが、これは加齢現象の証しと言う事だろう。
2022.12.30
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泣いても笑っても 今日を含めて後三日 一年経つのは早い。先日も同年配の客人との対話の中で、『年取ると 何故月日の経つのを早く感じるのだろう』という話しが出た。本サイトで度々描いているが、原初体験と既体験との 厚さ・薄さの問題だと答える。即ち 子供の頃の一日 学生時代の一日は 全て人として最初の体験の日と捉えて良い。初体験は印象深く覚えている。一日も長いのだ。 其れに比べると経年で 例えば去年の今日・今何をしていたかを考えると 今と左程変わった事をしている訳では無い。変らぬ日々の積み重ねだと 日の経つのは早いのかも知れませんね。と言うと何となく納得される。 我々の世代になると この先何が起こるか 希望的観測は出来ない。如何か明けました年が今年と同じ様に過ごせますようにと心から思うのですと言うと 同世代の客人は 皆相槌を打つ 『あんたの 言う通りや』と。 昨日も若い客人が二組見えた。 インドと台湾から インドの人には今七十七歳 年が明けると七十八歳と言うと 多分仕事をしているインド人七十八歳の理容師は居ないと思いますと言っていた。台湾からお越しは 夫人同伴 ご亭主の 散髪・顔剃りを盛んに撮影していた。奥さんは少し日本語を喋る事が出来る。何年仕事をしているのかとか 色々と話しが盛り上がる。ご亭主は仕事全て終わった後 恒例のメッセージ帳に『貴重な体験をさせて頂いたと書いてくれた。ご近所の呉服屋さんの社長から 布製の手提げ干支の書いた物を沢山頂いた『あんたとこ 沢山外人さん来るから差上げて』と頂いた インドからも台湾からにも 差上げた。台湾の夫人は『さよならでは無く 又参ります』とご挨拶『元気で生きていたらお待ちしています』とお送りした。
2022.12.29
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昨晩 二十七日 夕食を,祇園新橋のお茶屋の大女将 若女将の招待を受けていた。柳居子の紹介で、色々と其のお茶屋の催事のお手伝いをした友人と二人の招待だったが。床屋稼業の暮れの二十七日 一寸時間取れないなぁと辞退して 友人一人と女将・若女将の三人で料理屋へ出掛けた。 友人とは毎朝珈琲を共にする。『料理が御一緒出来ないのなら せめて一杯 お仕事終わってからお越しください。』という伝言。 出掛ける心算は全く無かったから、到底祇園町のお茶屋へ登楼する服装では無かった。仕事用のスポン 若い人に貰った防寒ジャンバー 着古しのセーター 安い防寒帽子の重ね被り 手袋も重ね、余りの不恰好で具合悪いかなと思いながらも着替えに家まで往復する時間は無い。 まぁ 年末のご挨拶なら 玄関先で良いか等と思いながら、愛用の電動アシスト年寄り用の三輪自転車で出かけた。 何時も出入りする勝手口から入って 挨拶だけで引き揚げようと思っていたが、結局中へ招じ入れられた軽く水割り一杯飲んだのだが、何となく居心地負担感じて、次の予約の客の電話が入ったのを好機と辞去した。電動アシストの老人専用三輪車でお茶屋へ行く人等始めてでは無かろうか 身支度整えて勝手口から自転車発進しようと 表玄関の方へ廻ったら大女将 若女将が表にまで出て、お見送り迄してくれた。家に帰る客人の自転車のお見送りも初めての体験では無かろうか。
2022.12.28
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相変わらず お眼に掛った記憶が無いとか 忘れた人から声掛けられる事が多い。昨日は店の前 三輪自転車に乗ろうとした時、妙齢の御婦人から『こんにちは』と声を掛けられた。まつたく何方か判らなかったので『マスク取ってお顔を見せて頂けますか?』と言ったら、『マスク外してもご記憶には無い筈です。』出逢った事も無い人から、親しげに声掛けられて戸惑っていると、『勤め先で 何時も柳居子さんのブログ記事を読み 一部コピーして家に持ち帰り 家族皆で楽しく読ませて頂いてますよ。』 表に出ない隠れた愛読者だつたのだ。『それは其れは 拙いない駄文を皆さんに読んで頂き有り難うございます』御礼言上『お店の所在地は判っていましたからお伺いししてお礼も 何事かと思われるし 今日はたまたまご愛用の自転車に乗り掛けられたから、柳居子さんに間違いないとご挨拶させて頂きました。』『最近の記事では〖ガール・フレンド』が面白かった。母は八十歳ですが何時も楽しみに読んでいます。カール・フレンドの記事を読んで。書くだけの人と違うのやねぇ お話も上手な人やねぇ。」と申してました。家族全員ガールフレンドならぬ〖知ってるフレンド〗です。と仰るから 『一寸ここで待っていてね』と言って 六千連載記念コメント集を差上げた。こういう読者は他にも居られると思う。 連載の励みになる
2022.12.27
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昔 蝦夷地は、米が出来なかったと言われたが、品種改良も進んで道産米が結構巾を利かせている。 暖地では二毛作という労働が過酷な作業を今でも行っているのだろか? あらゆる食材の調達が、長年の伝統とか習慣から外れて、我々の想像外の事が起こって言うように感じられる。例えば『鰊』大昔は肥料に使うほど大量に摂れて安価 庶民の胃袋を満たした食材 貴顕は食べなかったが、魯山人が星丘茶尞で、始めと献立に載せて『これは一体何という魚?』と多くの事に尋ねられたという。今鰊も大衆魚の代表と言われた『秋刀魚』も養殖の鯛と並ぶ高価格魚になった。海流とか水温とか色々な自然条件が大きく変わっているのだろう。 漁場から近い水揚げ港も、不漁が続くと機能しなくなる。只今迄の本流メインから外れた 滅多に網に掛らなかった魚が、市場活性化させるようなレベルで水揚げが続いているケースも有るという。『伊勢えび』大体西日本の岩場で獲れていたのだが、最近は福島県・茨城県辺りで漁獲高が増え続けているそうだ。 先日 錦の川魚屋さんから 鮎の稚魚『ひうお』を買い求めた友人のお裾分けで滅多に口に出来ない口福を味わったが。鮎も川の水温が上がると発育に問題が有るそうだ。たった一年春夏秋冬で命が尽きる鮎は 冬に生まれ直ぐに海に向かい 二月・三月頃 生まれ故郷の川に戻る 水温の低い上流で過ごし 秋に水温が下がって下流で卵を産んだら命が尽きる。落ち鮎 子持ちの鮎は愛しい 人間は他の生き物に対して、何と残酷な種で有ろうか。先日 お招きを受けた料理屋さんでは 迷い鰹と言うのが出された。群れから逸れて水温の冷たい日本海で獲れた身が引き締まってますと説明入りだつた。琵琶湖の諸子(もろこ)も久しく口に入れていない。外来魚 ブラック・バスに放逐され個体数が激減したが 近年少し増えてきているという。。御大層な事を書いても 店頭に並んでいる食材 財布に見合う金額を買い求めるか 値の張る物は閉店間際のディスカウント待ちという 慎ましい生活をしている。
2022.12.26
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昨夜は、馴染みの割烹屋の クリスマスパーティと贔屓客との忘年会を兼ねた会合に出掛けた。プリント版の読んでくれている人も沢山来るから、読後感等も聞く事の出来る格好の機会なのだ。 漢字が多い 難解な表現が有る 最後まで読まないと何を言いたいのか判らない。六千連載を褒めて頂く事が圧倒的に多いのだが、感じた事を率直に話して頂くのは有り難い。若い人には 少し読み辛い表現も有る。面白いと思ったのは、『柳居子さんから頂いた新聞 家に持ち末ったら母親や父親が 隅々まで読んでますよ』と言う人が二人も居た。 拙い文でも書き続けていると、新しい人との繋がりが出来てくる。柳居子の場合は、本職を持っての片手間の掲載だから、客人との会話の格好の材料となる事が有るる。『この前の あの記事ねぇ。』と話しが始まると。ブログ記事の延長戦と言う感じになる。『あんたは ああ書いたが、私は少し違う見方をする。』等と仰ると,何故何故と聞きたくなり 其れが又ブログ記事になる事も有る。広く公開された記事では有るが、読者は特定出来ると思う。直接柳居子を知っているか 漢字の多い難解な長い文 最後まで読んで頂く事が則特定の人達なのだ。 本にしろ新聞にしろ 通常読み物の書き手を直接知る事は中と思う。柳居子徒然は柳居子をよく知る人に支えられている。書き手をよく知る読み物は 少ないと思う。 昨夜は 以前 柳居子の後姿を絶妙のタイミングで,撮ってもらったMさんに『何時も難しそうな顔をしている柳居子さんが、一瞬得も言われぬ嬉しそう愉しそうという顔をする時が有る、其の一瞬を撮ってみたいと言われた。
2022.12.25
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明日二十五日は『終い弘法』数多くの露店が並び 多くの人が集う。寺・神社の縁日・忌日・祭礼等は、人集め・金集めの結構な日に違いない。吉田神社の節分会に、露店の出店を取り仕切っているテキヤの親分に声掛けた事が有る。『あんたらが、店を張って 煌々と参道を照らしてくれるから人が集まるのや。真っ暗な夜道なら幾ら霊験あらたかと説いても誰も来ん あんた等は祭りのプロデューサーや。』と言ったら『大将 ほんまにエー事ゆうてくれはる。』と喜んでいたのを思い出す。 東寺 即 弘法さん 弘法大師と言うのは少し違うと思う。弘法大師が創建と言うのは誤っている。平安開府の時、都の南限に『羅生門』が立てられ 内裏の前の応天門との間に朱雀大路が開かれ 大路の東西に官寺として東寺・西寺が建てられた。官営の大寺ともなると、長大な木材が必要となる。材の供給地は都から遠く離れている。広大な領地を持つ貴顕は自分の持つ土地に生える材を寄進する目的で領地を寄進したが材はなかなか集まらなかったという。 平安時代に出された『伊呂波字類抄』には、西寺の創建が延暦六年としている。未完の大寺を 空海に託したのは 嵯峨天皇 深く空海に帰依して 空海に勧められたのか 服制を唐風に改めたり師の礼を取っていた。又空海と同様 最澄に対しても、応援の姿勢を取っていたのだが,顕密最澄の天台に対して空海の真言密教との 軋轢が大きくなるにつれ 先に最澄に山岳密教に印を授けた事に大して、空海には未完の大寺東寺を授けた。弘仁十四年の事である。 東寺の宗教法人登録名は『教王護国寺』正式には 教王護国秘密伝法院 王に教え施し 国を守る 空海と嵯峨天皇との関係がよく判る寺名と思う。 空海は 時代を越えたスーパーマン 讃岐の満濃池 高野山の塔頭も其の在世中に作りあげている、未完の東寺の建築などお手の物 又 人々をひきつける何かが有ったのだろう。千何百年経って 今を見ると、空海は何もかも完璧に作り上げたから、後に続く人に逸材が出なかった。最澄の場合は、浄土宗系列も含めて 師の未完の部分を埋める様に多くの逸材が沢山出ている。 東寺の創建は延暦時代に始まっている。光仁十四年の下賜が記録として残っているから 空海の創建で無い事は確かな事なのだ。
2022.12.24
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コロナ禍は、一時的な禍(わざわい)と捉え難い部分が有る。 感染者・患者が居なくなると終息 終わったという事になるのだろうが。一番大きな影響を受け その対応が将来の人格形成にまで影響を及ぼすのは、教育の現場での問題かと柳居子は思う。 単に知識を授けるだけの存在なら、リモートの画像相手で充分な事かも知れないが、先生も含めて、自分以外の他人と接するという事 良きつけ悪しきにつけ 交わる事の重要性を教育の場は担っているのだと思うのだ。 競う事 優劣を意識すると頑張らねばと思う人と、自信を失う人も居るが 其れが長く続く人生の序章 実世界の疑似体験と考えると 学び舎 「舎」の存在は大きい、 案じていた事 「対面授業なじめない」長引くコロナ禍、学生相談増 京滋の私立大教職員連合のアンケート結果が公表された。リモートで授業を受ける学生達には何の責務も無い。唯一の方法 他に手段が無いから仕方なくリモートになった 其の辺りの事情も学生達に理解させねばならない。『大学生としての実感が持てない。』『友達を作れない』逆に復活した体面授業を『人前で発言する機会があるので慄(おのの)く』とか 『オンライン授業の方が良い』という声も沢山寄せられているという。 人生で一番大事な学生生活時代 時間や日々は待ったなしに過ぎていく。 将来に禍根の残らぬ対応は 難しいとは思うが、未来を担う若者たちの爲 具体的に如何すれば良いと言う事は 何も思い浮かばぬが、出来る事は果敢にやって頂きたいと思うのは柳居子だけでは無いと思う。
2022.12.23
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遠来の客人が相変わらず多い。此処は一体何処かと云う様な思いがする。昨日はロンドンから見えた客人が帰ったら 入れ替わりタヒチからやってきた人。確かこの人の髪の毛切ったなぁと思いながら 髭を剃り出して前回お越しの情景が浮かんできた。フランス語でメッセージを書いてくれた人。 『私が 貴方の髭を剃るのは二回目だね タヒチからお越しだつたと覚えていますが。』と言うと『よく覚えてくれましたね。』『髪の毛刈るだけでは判らないが、髭を剃るとしっかり思い出すのですよ スキンシップしましたからね。』 というと『それでも覚えて頂いたのは光栄です』日本で何か仕事をしている様だが、二度来る人は三度来ると 又の機会に色々と話しを聞こう。色々な国の人がやって来ると。特別難しい話をしなくても タイムリーな話題を出す事も必要かと 新聞の外信記事にも目を通すよになったが 政治向きの話は御法度と心得るから 食べ物 身に付ける物 日常の話題 何より異国で出掛けた床屋の親爺との会話が面白かったと思って貰うだけで充分とも思うのだ。 毎日欠かさず書いているブログ記事の英語版 異国の人が読んで楽しそうな記事をピックアップして作っても良いか等と考えている。誰か英語に堪能で柳居子の雰囲気を伝えて頂けそうな人にお願しようかと考えている先に顔剃り特化の料金表を作らねば。 一泊十万二十万のホテルに宿泊の人が顔剃りにやってくる。生涯に一度の顔剃りツルツル体験 宿泊料に見合う料金を頂かないと失礼になるのではと考えるのだA 何時も行く理髪店の顔剃りと同じレベルなら 〇○○○円B 技術秀でて 気持ちよかったという事なら ○○○○円C 近くに住んでいたら毎日顔剃りに行くと思ったら 〇○○○円以上 チップは不要幾ら稼ごうとか そういう気分は全く無い 海外からの留学生には学生証提示で学割料金を頂いている。顔剃り料金三段階の設定は、話題性 人々の話題になれば良い 又 客側が料金を満足度に応じて支払って貰う 自分自身で面白いアイデアと思うのだ。
2022.12.22
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五十年程前 日中国交正常化を記念して、中国文物展という催しが 京都国立博物館で開かれた。 中国が誇る国宝の展観とあって、どの様な物が展示されるのか、期待を込めて出掛けたのだが、国宝中の国宝と言われる 『越王勾践の剣』の前に立つて、まるで昨日出来上がった様な 金ピカの展示物を見て、伝世の逸品とは言っても 全く経年を感じさせない事に不思議を覚え 周りに立っていた学芸員と思う人に『これは レプリカですか?』と 尋ねた。得も言われぬ顔をして『そう云う事になっています。』という返事。 其の時 悟ったのは、古い形で出土したり残ったものは、その状態で残すのでは無く 元通り 其の剣が使われていた時代戻すというのが、中国における古い物に対する対応の原則になっているのだと言う事が判った。 古色 歳月を経て古くなった色とか 雰囲気の様な物 古風という事物に,趣(おもむき)とか 雅を感じ取るのは、日本人の一つの特色かと思う。木とか紙で伝わった伝世の物 其の経年も完全に消し去ることはしないのが日本の美意識 価値観と言うのなら 石や金属で物が伝わった国とは 話しのかみ合わないのは 当然の事である、古色のタイトルで思い出した事が有る、中国湖南省長沙の 馬王堆漢墓と呼ばれる墓から出てきた副葬品の一つ 朱塗りの椀の様な物 ミイラと共に二千年間 眠って来たものとは到底思えない。こんな華々しい色で出土する筈が無いと 改めて中国人の古い物に対する考え方を思い起こしたのだ。 ウェブサイトに〖廃墟探訪〗というサイトを時々見る。人々の営みの゜跡が、歳月の経過とともに朽ちて行き 最後は草に覆われ野に帰る。そう云う大原則から考えると、古色を残す日本と、 元のように戻す造り直す中国 どちらも意味が有る様に思えないが、美意識のデリケートな日本という国に住み この国で尽きるというのは決まり事様だ。 古色蒼然の〖蒼(そう)〗は 青色の事 陽の落ちたタイミングを言い表す言葉の様だ。
2022.12.21
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昨日は 少し遅めの昼食をほぼ食べ終わったタイミングで、立派な体格の遠来の客人が、奥さんと思しき女性を伴って店にやってきた。「ソーリ― ランチタイム ナウ」と言いながら食事の後片付けを素早く済ませて 散髪の椅子に招きあげ『楽屋裏を見せて 申し訳ない』とボケ・トークに託す。 どの様に伝わったか判らないが判らないが 笑っていた。客人と女性は話を交して゜女性は店を出て行った。こういう髭も有るのだなぁという髭サンプルと連日苦闘している。 顔剃りの最中 一昨日日曜日にやって来て 今日は定休日と言って、明日は営業しているかと言われ 営業時間も伝えた客人 色の白い遠来が入って来た。 『待ってくれるか』と言ったらOKが出た。顔剃り終えてシャンプーをしている時 奥さんが戻ってきた。先に座っていた客人と少し言葉交して隣同士に座った。 カット・シェーブ・シャンプー全てが終わって 恒例のメッセージを書いて貰った 何処からお越しと聞くと シアトルという事だった。順番待ちの客人に お先に失礼と云う様な声掛けをしていた。一休みもせずに取り掛かった外人さんは、 頭の毛を全て剃り落してくれと言う。このところスキンヘッド の注文がよく出てくる。頭の髪を剃り落した後を逆剃りしてツルツルにするという技術海外では無い様だ。ボケ・トークが頼りの拙い会話は、一頻り仕事を終えてから交す事が多いのだが、何処から来たの?問いにロシアと言う。『貴方の先に帰った人蓮アメリカ シアトルカラだ お互い共通の目的を持って 日本の京都のこの場所に居る。共通の目的は気持ちよく顔剃り体験を共にする仲間゜平和的連帯 私は其のつなぎ役 そういう話をして盛り上がった。誰も認めては居ないが 仕事を介して『おもてなし親善大使』を自認している。若し柳居子の店で米・露の会話が弾む事なら 庶民レベルの外交親善特使の称号を頂いても良いと考えている。 昨日 夜 お呼ばれで出掛けた料理屋さんは、油小路姉小路上がるの『宮脇』というお店 開店間が無いそうだ 油小路も姉小路もお公家さんの名前だよと教えて置いた。 今乗っている電動アシストの三輪自転車の 元々の持主は油小路さんの娘さんが乗っていた物 姉小路さんは、確か畏友宍戸恭一さんの従兄弟とか言っていた。京都は色々と複層的なつながりが有るようだ。
2022.12.20
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毎日曜日の午後 所用で出かける祇園町の道筋に在る 喫茶店で、よく出逢う何人かの人と親しくなって 其の中の最長老 「失礼」 老という言葉はこの地域では禁句 お母さんと親しくなってガールフレンドと呼んでいる。何時の頃からか 柳居子の珈琲代は必ず彼女が支払ってくれる。 旧い京都の馴染みの話をすると 周囲は皆 又始まったという感じになるのだが 柳居子との会話は 古い懐かしい人の名前がポンポンと飛び出して 話し相手 友達として格好 彼女がボーイフレンドと思っているか如何かは判らない。 このところ 三週間程 彼女の顔を見ていなかった。転んで手を突いたとかで 手術をしたとか聞いていた。 昨日久し振りに顔を見せてくれた。手の手術をしたとかで 痛々しく巻物をしていた。歩行には問題が無いようだった。 柳居子より十歳程年長 九十に近い年だから、久し振りに逢って如何声掛けした物かと思ったが 咄嗟に我ながら良い言葉が出た。『手術が出来る事は 若い証しや 手術すれば良くなると判っていても、年齢的に麻酔を掛けて体力が持つかと医者が判断したら 手術以外の傷みのケアの方へ 治療の方向性が変ると思うから 手術をして貰ったというのは まだ若いという証明だよ。』 と言うと 意が通じたのか 「上手に言うね」 という顔をされた。 彼女が洋裁学校に通っていた頃 七十年程前 柳居子が仕事を始めた頃に店にお越し頂いていた年配の客人と 彼女と接点の有った人の名前が何人か出てきて一層話しが弾む。 珈琲を飲みに先から来ていた人 後から来た人も全部帰って 二人になった『長い間 引き留めて悪かったねぇ。 次行くところが有るのやろ。』と、言って 例によって 相変わらず珈琲代払わずに『御馳走さま』と言って辞去した。
2022.12.19
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徒弟奉公という言葉 殆ど死語領域に入る言葉と思うのだが 柳居子の若かった業界入りした頃は、日常会話にも良く出て来ていた。仕事を教えて頂くから徒弟 年を期っての奉公が終ると、御礼奉公と言って無給で暫く仕事をする。住込み店員という制度も有った。『三条・室町・衣棚は 聞いて極楽 居て地獄 お粥隠しの 長暖簾』 という囃子言葉が有った。商家の丁稚や部屋住みの身の間は、朝食は前夜の残り物をお粥に仕立てて住込み店員の朝食にした。お粗末な朝食 其れが外を歩く人から見えない様に長暖簾で隠したという意味である朝のお粥以外にも 京都では特定の日には特定の食べ物を食する風習が昔はあつた。毎月の おついたち 月の最初は『アラメ』を食べる 其の月荒い目が出る様に 商いが勢いつく様に食したという。来週は冬至 一年間で一番昼が短い日 この日は一日二十四時間の内 九時間四十五分が昼 逆に夜は十四時間十五分だそうだ。今は一日二十四時間 夏・冬関係なく一時間六十分で過ごしているが 昔の一刻(約二時間)は夜は一刻長く 夏は短かったという。一番昼の短い日は、一年の最後とか 翌は最初と言って 一陽来復 陰が極まって陽が生ずると 冬至の日は 『と』の付く物『唐辛子・豆腐・蕗の薹』等を食べる風習が聖武天皇の時代から在ったと言うが今は無い。冬至と言えば柚子 其れほど古くから在った習わしでは無いと思われるが、この日に柚子風呂に入ると無病息災 多分冬至と湯治の語呂合わせでは無いかと思う。月の満ち欠け 潮の干満 日の出日の入り 昔の人は日や時間の経過を 自然現象を しっかりと観察する事で、営みの区切りとした様だ。今月見る人都会のビルに囲まれた地域では居ないのでは 長年月見た事が無いと言う人も居るのかも知れない。
2022.12.18
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以前 人口減少と、都心部のドーナツ化現象に対応して、少・中学校の統廃合が続いた時、残存校と廃校になる住民意識を考えて、統合されて残った学校には 全く新しい校名を公募して数の多かった名前を新校名に付けた。公募で寄せられた数が幾ら有ったのかは 公表されていない。結果として御所南とか京都御池・高倉・洛央と云う様な名前が決まった。明治期番組小学校のすぐ後に決まって、百余年慣れ親しんで 自分が卒業した学校の校名が 公募の名の下軽く変る事は、伝統の校名を消し去る事に 何のリアクションも起さなかった事に内心忸怩(じくじ)たる思いが有る と書いた。 統廃合では無いが、成人式の解釈 法の下では十八歳が成人と言う事になっているが 成人式も二十歳で行っていた行事を十八歳に行うと 北海道別刈町で決めて 十八歳での町主催の成人式の挙行を事前にアンケート調査をしたところ 反対意見が続出 八割が反対した。十八歳は進学や諸々に金が要り 又二十歳の成人式が、町から外に出て進学や就職したのが故郷に帰ってきて 最初の同窓会を開く事が、もう伝統になっているという理由だつたそうだ。 町は十八歳での開催を取りやめにして 従前に戻したという。校名変更 公募と言ってもほんの僅かな数で素人が考え付く限界の校名 新築マンションの名乗の様な校名 この様に名付けるがというアンケート調査を通学区戦域にして 新校名が良いか 元の侭で良いかという設問が有れば 其の侭残存という流れもあつたと思うのだ 住民に良かれと思って為す事にも先走りが過ぎるという事も有るのだ゛ 柳居子の卒業したのは日本一旧い〖柳池校〗現校名は「京都御池中学校」 旧名に戻す運動でも起すか。
2022.12.17
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旧統一教会の献金問題の終息を、亀のように首を竦めて、心待ちしている人が沢山居る様に思う、信者からの献金の組織的関与の検証とやらで。宗教法人法に抵触せぬ様な状況を作り 組織ぐるみの犯罪か如何かの検証をする事に どれ程の意味が有るのか 個人的犯罪の様にすり替える目的が隠されていたのか 管掌の文部科学大臣が質問していた。 どの様に決着を付けようとするのか ? マインドコントロールされた信者への損害賠償と言っても 協会側に寄金の金が残っているとは思えない。国が賠償と言う事になると、我々税を払う立場から無関係とは言ってられない。我々国民が一番知りたい事は、金集が組織的にしていたか如何かの問題では無く 信者から集めた金をどの様に 誰に撒いたか 其の一点に有る。選挙協力等 ビラ貼りの動員という協力では無い事は確か ビラ貼りを動員して支払う金 使い勝手が最も秀でたモノ しかし 金は魔物 金で失敗の人世間にはごまんと居る。信者からの寄金が誰に幾ら廻したという情報は今後も何一つ出てこないと思う。しかし 政(まつりごと)には 必ず裏表が有るという事 多くの国民が気づく事が出来たのは 奈良で放たれた一発の銃弾と言うのは 皮肉な話 射撃犯の事も殆ど表には出てこない 全てを早く消し去ろうと云う様な空気を感じるのは 柳居子だけだろうか。
2022.12.16
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楽天のウェブログ ブログの連載を始めて五年め よく五年も続いたと,自讃の意味も含めて、読者から五周年連載おめでとう というコメント集の冊子を友が作ってくれた。 五年で止まらず 十年続けられたのは立派と又友が十周年記念のコメント集を出してくれた。 五年毎 コメント集を出す目的は、数多くの人が読んでいるなぁという 共有体験の様な事を感じて貰えたら良いなぁと 十五周年コメント集を出す予定だったが コロナ禍で流れた。それでは連載二十周年に盛大に発刊と言う話しが出たのだが 連載二十周年は、柳居子は もう八十路を越えている。二十周年は一寸無理かな と言ったら キリの良い六千連載記念コメント集を出そうと、友が頑張ってくれてこのほどようやく出来上がった。 数多く頂いたコメントの中で、柳居子が気づいた事は、高校とか大学へは行かなかったから 共に学んだ友 学友がコメント集には誰一人出てこないのだ 又 何故 如何いう経緯で ブログ記事六千連載に コメントを寄せる様な関係になったのかを考えたり思い出すと 自分自身の性格とか 人皆対等と言うのか 遠慮会釈の無い 御縁繋がりが結構多い 傲慢不遜が有って出来た御縁も有るのだ。ブログ記事絡みの御縁も多い。 自分には 常の事と思っている事が、他人によっては考えられない様な事と言うケースは 誰にも有る事だが 柳居子は 確かに数が多い様に思う。友人関係があらゆる業種 多岐に渡るのは やはり理容の仕事で培われた何かが有るのだと思う。 何故そんな人知ってるの? 言われる事が有る。常は没交渉でも『下前』という姓は圧倒的に数少なく 何方もしっかり頭に入れて頂ける様だ。知っていても役に立つ事は殆ど何も無いが 其の人を知っている事で 其れを知った人は。柳居子を見る眼が少し変わる様に思うのだ。本日六千九十四連載を刻む。
2022.12.15
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