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山極寿一総合地球環境学研究所長(前京大総長)が、地元紙「天眼」欄に『通リ過ぎる街から 憩う街へ』という一文を寄せておられた。最近 手を繋いで歩く姿が、増えてきたとご指摘。 それは何処かに繋かって居たいという不安の解消と見る事も出来るが、本質的には人間にしか出来ない事 猿や類人猿にも見られない事と ご専門の見識を述べておられる。そして他の動物には 見られない特性として 『動く自由・ 集まる自由 語る自由』これ等が 他の動物には無い事 動き回る自由と云うのは 海外からやって来る観光客 其れを受け入れるという事も、生物学的には、不思議な事かも知れない。我々が何気なく過ごす営みも 視点を変えると 成程と納得する事と 新たな疑問の湧く事も有る。 二足歩行 面と向かい合う事が出来る事で、 生物界に於ける敵対関係にならないのは 人間界だけの事か 目線が合えば生存競争になる世界と人間社会との差は大きい。 遠来の客人に 髭剃りを託されて、 これが人間の髭かと思う事が有る。長年 床屋稼業をしていて 顔剃りが力仕事だなんて 思った事も無かったが、力任せに 打ち込まないと、剃り落ちてくれない髭も有る。山極先生ご専門のゴリラの顔面の如くに。 「通り過ぎる街から 憩う街」のご指摘は、 人が移動するに色々な選択肢が有り 又 短期間に多くを見て廻るという事情も有り 憩うという感覚は持って貰いにくい面も有るかと思う。 江戸時代 仏閣 神社巡りの名目で 京都へやって来た人は 皆長逗留 現地妻と云う様な 春の売り方も有ったという、 昔の方が憩う街だったかも 柳居子は、やって来た遠来の客人に、 この時間 お互い愉しく過ごしましょうという思いを持って仕事をしているから、誰もが満足顏で帰っていく。憩う街の一翼 憩う時間の時間の役割は 果たせていると 思うのだ、
2023.10.10
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先日 朝の珈琲屋の柳居子の隣りの席に、東京からやって来た出版・メディア関係の仕事をしている人が座った。フェイスブック繫がりが有る。柳居子徒然のプリント版を何枚か差上げたのだが、プリント版もウエブサイトに載せる記事も 記事関連の画像を一切載せない、文で綴られただけの連載が、六千回を越えている事の 柳居子の本音の様な話をした。 紙に書いた物に取って代わって 今は 検索さえできたら 知りたい事は何でも瞬時に知ることが出来る。加えて画像を見ると説明文も加えて何もかも知った気分になる。必要な情報を即時に入手できる事は 素晴らしい事とは思うのだが、果たしてその情報が、自分の頭にどの位入っていくのか 検索のキーワードを覚えておけば別段自分の頭に入れなくても良いという考えも出て来るかと思う。 今の 若い人の頭の構造が如何なっているかは 判らないが、我々は経験上、人の話をしっかりと直接聞くとか 書かれた物を読むという事で、覚えた事が多い。 検索機器を落としたり 壊したりすると 自分の頭も壊れたのと同じ事になる。ネット環境に無いお年寄り向きに作ったプリント版を 若いスマホを介して読んでくれている人が プリント版を求められる。『見ると読むの差』を口にされる人が多い。画像を載せず文だけの連載 出版・メディアの世界に居る人なら 其の辺りの事情が 判って貰えると思って話した。画像の怖さは、司馬遼太郎さんもよくご存知だった様で 『坂の上の雲』勃興期の日本の事が書かれている 多分GHQの命かと思うが 明治時代の事を書いた歴史書が消えてしまって 自分の書いた物が 正史の様な捉え方をされると心外 書いた物は訂正文を大きく掲げれば良いが 本を読まないドラマを見るだけの人には 正しい歴史の復元の様な捉え方をされて 其れが生涯記憶に残ると 画像 ドラマ化する事を禁じたという。柳居子徒然プリント版は、「忘れた漢字思い出してね。」 と言って手渡す。
2023.10.09
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左程 忙しい土曜日では無かったが、自宅に帰り着くと直ぐに横になりたくなって 八時前から、今朝五時過ぎまで寝込んだ。丑三つ時、掛けていた夏蒲団だけでは 寒さを覚え 毛布一枚加えた。 四・五時間寝て、「あーよく寝た」と自己暗示を掛けるのでは無く 目覚めが清々しい。九時間寝た事なんで 記憶が無い。クーラーが要らなくなったら もうストーブ ヒーターが欲しくなる。季節の移ろいの早い事 『錦秋』木々の葉の色を自分の眼で 確かめる暇も無い、隣接のガレージの御主人を煩わして 柳居子の庭の梅の木の散髪が終った。以前は 脚立を使って自分でしていたことが出来なくなった。 考えてみると最近は自宅の庭に眼を遣る事も無かった。朝早く家を出て 陽が沈んでから帰る三百六十五日 致し方が無い。 昔と同じように 時は刻まれている事は、変わりないと思うのだが 季節の変動は地球温暖化とやらで大きく変わり 我々の季節感覚も随分変わってきたのだと思う。 団扇が扇風機になり クーラーが普遍的な夏の器械 子供の頃は冷房のよく効いた百貨店に避暑に出掛けた。 囲炉裏 火鉢 炬燵 を知っている 懐炉は進化して今も生残っている ヒーターは 進化して床全体が温かくなる 床暖房と云う物まで有る。暑さ寒さに対応する爲の機器と云うのは 平均寿命の延伸に大きな貢献をしていると思う。 クーラーとかヒーターの普及する前の死因には急激な温度差で 肺炎を起すケースが多かったという。一年間均一の温湿度が保たれている生活環境は 長寿の何よりの与えられたプレゼント 意識する人は少ないと思うが 我々の 一世代若しくは二世代前の生活に思いを馳せるとよく判る事だ。最近の新聞に載る死亡告知や葬儀の案内に 肺炎が死因と云う記事を見た事が無い。昔風に書けば殆どが、天寿全うという記事になる。よく寝て今日は一日長いと思うから 冬物片づけて 夏物引きずり出す 衣替えをする心算だ。
2023.10.08
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コロナ禍の及ぼした影響は、果てしなく大きいと思う。完全に終息した訳では無い今の時点でも 世の中のシステムが複雑になった分 直接・間接影響を受ける人の数が 昔とは比較にならないと思うのだ。 約一世紀前に流行った スペイン風邪の時も大騒動だったと思われるが、余り人の移動が無かった時代 流行は長い間続いた。 そもそもスペイン風邪という命名其の物が 世界的流行の発祥地の様に捉えられるが そうでは無くアメリカに移住した中国人の集落で発生したと言われている ヨーロッパ戦線に派遣の 米国の軍艦内 ほぼ 密室の状態で蔓延して 其れが全世界に広がった様だ。 スペインはこの新しい病に余りに無防備 ペストとかコレラの様な病感覚が無く 王族や閣僚の罹患が続き センセーショナルな事件として世界に広まり スペイン風邪の名が付いたのだという。今回のコロナ禍が引き起こした影響の一つ コロナ以前は順調に廻っていた雇用関係とか コロナで営業規模の縮小 受注が極端に落ち込み 致し方なく解雇した員数が 規制が緩んだ今・現在でも解雇した数が戻らない。京都は 市バスの運転手の員数が揃わず 女性の雇用が多くなっている様だ タクシーも然り 先日親戚の法事でタクシーを何台か手配したのだが、発注タクシー会社以外の別社の車が詰っていた。員数合わせ 客の求めが有れば 各社助け合うという事だった様だ。 調理師という職域も新築のホテルとかレストランがオープンする爲 絶対必要な数は 高額提示で引き抜きが常態化しているようだ。 柳居子の様な隠居仕事は有り難い事で 営業時間も勝手気儘 定休日でも興に乗れば仕事をするし 好きな事 言いたい事を言って過ごす。 確実に終着駅が近付いているという自覚も有るが 今日しっかり務まったから明日も 昨日出来た事 今日もという思いで頑張っている。
2023.10.07
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昨日お越しの客人との会話 ご来店歴は古く、又 楽天のブログ記事『柳居子徒然』を、スタート時から しっかりと読んで頂いている。『普通 読み物と云うのは 本や新聞でも書いた人を直接には知らないケースが殆どやが、あんたが書いとるのを読んどると 読むだけでは無く会話を交わしている様ななるなぁー。』と仰った。「時々其れを言われます ネットに上げる記事には 書いた事に対するコメントや 読みましたよというマークがつくから 直接顔を見る事は無くても 何時も会話を交わしている様な気分になります。『時々 あんたの書いた事に私はこう思う 私の主義はこうやと 散髪の時に言おうと思ってくるのやが あんたの舌先に丸め込まれてしまうと思うと何も言わない』『其れにしてもヨー続くなぁ 十七年越えて十八年目に入ったねぇー』『針小棒大』という言葉が有りますが、私の記事は、針の穴の様な事柄を太い棒のように書く事が、十七年間で身に付きましたが 棒を針孔の様に書く事は難しい事です。 そもそも何の爲に書いているのか判らないのです。還暦を過ぎた頃 何か毎日文を書くと 呆けが遠退くと言われて書きだしたが 確実に呆けは進行しています そんなに数が多い訳でもないのに 朝からお越しの御客さま 何方がお越しだったか 思い出せない。僅かな人数なのに若い時は そう云う事はありませんでした。『年取って エー事て 何もありませんね』こういう締めで終わる会話が多くなってきた。
2023.10.06
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京都市民の間で 毎年秋開かれる『区民運動会』と云うのは、選手としての参加は元より 運動会を見に行く老若男女関係なく 日頃顔合わせの機会が少なくなった今の世相の中で、ご近所顔合わせで 旧交を温めあう大きなイベントになっている。この場合の『区民』とは 行政区の区民では無く 昔の番組小学校の流れを汲む 京都独特の地域感覚で 元の学校が統廃合で中学校になったり 学校其の物が無くなっても 学区名は残り 学区民意識は其の侭踏襲されて残っている。コロナ禍で 暫く途絶えていた運動会は 学区の体育振興会の主催で開かれる。運動会プログラムの広告という名目の賛助金を出し 賞品の提供を受けての お楽しみ抽選会を開き 秋の一日の大きな行事になっている。 学区制度が出来たのは、 京都には明治以前から 私塾が沢山有って 明治になって学校制度が布かれた時、私塾を市か府に上納したとか 住民一同の寄金で学校が建ったというケースも知っている。又番組小学校は行政の一部分を託されていた様だ。其の名残として 固定資産税の配布 勿論密封されているのだが 学区の末端 町内会長の最末端組長が 各戸に配布していた事を覚えている。通っていた学校 通わせていた学校が 統廃合で無くなっても 学区民のシンボルだった学校校舎は其の侭残っているケースも多々ある 学区民の先祖の寄金で建った学校 市側も簡単に役目が終わったからと 処分 売却等出来ないのだろう。柳居子の母校『京都市立柳池中学校』は、有信堂という私塾を 市か府に寄贈されて開かれた学校 御池柳馬場に開校されたので 柳池校と名づけられた 二台目知事 槇村正直 揮毫の『柳池校』の大きな扁額が柳馬場正門に掲げてあった。運動会の お楽しみ抽選会だけ参加しようかなと考えている 運動とは 無関係の体になり果てた。
2023.10.05
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廃墟探訪というサイトが有る。時々覗き見るのだが、過って沢山の人が住んでいて 其の地で仕事もして 人々の営みの場で有った所が。色々な事情の重なりで誰も住まなくなって 荒れ果てて 建物全体が、草木に覆われ いずれ大地に戻る 痕跡という所 概ね過疎の地で起こる現象かと思うのだが 過疎地の現実と云うのは、実際其の地で生活をしてみないと判らない事が多いかと思う。衣・食・住 衣と住は足りても 食は食材の調達が大変かと思う ランチタイム ディナータイム 食べに出掛けようは都会に住む者だけの特権 自分で作ったものを口に入れる事が多いかと思う。仕事が有るか無いか若者が世帯を持って子供が出来ても 友が居ない 学校が無いとか遠い。産婦人科なんて来るのに乗って何十分も駆けなければ 病院の門にたどり着けない。 病は診療所に毛の生えた様な 常設で無い医療機関に 命を委ねる事になる。子供が 高校・大学と進むと 都会に出る。 一旦都会に出たら田舎に還る事は考えられない。 老いた年寄だけが住む町は。何れ廃村 廃墟に 日本全体が都市化 都会にしか住めない様になってきているのだ。 廃村 廃屋が、過疎の地だけの話かと云うとさに非ず 都会 街中でも結構廃屋 誰も住まず荒れ放題になった家も有る。店と自宅の行き帰り 自転車に乗ると 車が入らない細い道を通る事も有る。 メインストーリートと言われる商店が立ち並ぶところは 流石に廃屋は無いのだが、河原町通り丸太町から荒神口に至る西側 入り込んだところには 何軒かの廃屋が在る。敗れた戸 割れたガラス窓から 鳥が 自由に出入りしている。又何よりも庭の木が、尋常でない高さ大きさに成長して 周囲を圧している。手入れをしない庭木は ご近所の迷惑この上無いのだが、全く人の出入りが有るとは思えない。住いとしては結構広い二階屋 建物取り壊しても 地価だけでも高額になると思うに 何故 廃屋の様になっているのか? 最近気付いた事が有った。誰も住まないその家 玄関の扉にまで蔓草が巻き付いている 門の柱に 真新しい表札が上がった。何と家族全員と思寄れる五人の名前列記 郵便物が来るとも思えない何故新しい表札 柳居子思うに 多分この家を廻る係争が有るのだと思い至った。 過疎で見放された廃屋と、財産争いの真っ只中いる都会の廃屋 存在価値は都会の方が大きいと思うのだ。
2023.10.04
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京都市立芸大の洛西(沓掛)から、京都駅前に移転を報じていた。洛西から駅前移転の ゴーサインが手たのは、市内東山区から洛西へ移転した時の学長で 移転に伴う諸々の一切を取り仕切られた 梅原猛さんが未だご存命の時に表に出てきた話し。自分が移転させて創りあげた学校の廃校移転を どの様に仰るか 然るべき人をたてて 駅前移転の話を 梅原先生に伝えると、『そこも エーなぁ』という先生の一声で 実質的な移転の動きが本格化したと言う。 伝え聞く話しだが 東山から 山科の名神高速道路沿いに 移転の沙汰が出て その計画には大反対をされ 其れならばと言うより 洛西の方が選択肢としては山科より良いかと云う様な事情で移転が決まったという経緯が有ったそうだ 洛西沓掛が決して最高 最適の場所とは 考えておられなかったのだろう。京都市立芸術大学は、元を辿ると、京都絵画専門学校として 官・公立としては日本で最初の開校で 百五十年近くの歴史がある。我々の上の世代は 絵画専門学校のことを『絵専』と云っていた。藤川学園という洋裁学校を 掌中に納めたT氏が、北白川瓜生山に美術系の学校を設立した時 京都造形大学では無く『京都芸術大学』という校名を申請されたのだが許可が下りなかったが 先年校名 名乗りに制限が無くなったとかで芸術大学の申請が出されて 私立と訴訟沙汰にまで発展しているる市立芸大の方は 絵画と音楽に限定しているのに対して 瓜生山の方は 服飾とか 映像とか 総合的 多岐にわたっているから 『京都総合芸術大学』にしてはどうかという提案をされた人も知っている。 知っている事 書く事憚ることが多いのだが 書き残された都合の良い事が 正しい 正史として残るのだろう。表題も『些事』が良い。
2023.10.03
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『日本語がお上手ですね。』と 遠来と思しき客人に言ったら『とんでもない』という返しが有った。相手の言う事を打ち消すのに とんでもない 『この言葉が 瞬時に出てくる事が 我々には考えられない程 日本語を深く理解されている。』と言うと 日本人の妻と結婚して 周囲皆日本人ですから しっかりと聞いているから とんでもないと言うのも出てくるのです』『日本人でも とんでもない と言える人は少ないと思いますよ、日本語は日本人の私でも 発音一つだけで、全く意味が違う事が有りますよ。』という会話になった事が有った。 発音 一字の違いが 大きな芋の違いと気付く事が有る。あおげばとうとし わが師の恩 教えの庭にも はやいくとせ思えばいととし この年月 今こそわかれめ いざさらば『思えばいととし』 愛しいと解釈すると 先生が愛しい 年月が愛しいのかいざさらば 別れに愛しいは無いだろう いとし と いととし 『い』と『し』の間に 『と』 が 一字入るのと二字入るのでは 意味が大きく違う。 いととしは 『いと疾し』と表記する、いとは非常にとか大変を表わし 疾しは早いという意味 疾風という語句も有る 卒業式のシーンでは 入学と卒業が瞬時だったが先生の御恩忘れぬ様にという意味の歌詞になるのか 小学校や中学校を卒業する時 我々の世代は 『仰げば尊し』を唄った。いととしは、後年歳月が早く過ぎ去る意味と知った 『とんでもない』と言った客人も 愛し いと疾し の言葉の使い分けなんて 絶対出来ないと思う 日本人でも大方の人は知らないと思うのだ。
2023.10.02
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九月の仕事納めが土曜日になり、ご来店控えの様な手帳をパラパラと捲っていて、 今更のように驚くのが、遠来の客人の多い事。 九月の三十日間は、日曜祝祭日六日が加わりクルクルと営業中を示す回転看板を回したのは 二十四日間だったが、遠来客は六十二人に達した。営業形態が大きく変わってしまった。 アメリカから来る人が一番多いのだが、オーストラリア・ニャージーランド・カナダ・メキシコ・インドネシア・シンガポール・ドイツ・イギリス・イタリア・フランス・オランダ・スイス・チェコ・・・・・ 仕事内容も様々 とは云っても 柳居子の梃子に合う 出来る仕事だけだが、柳居子の年齢に免じてか 皆さん機嫌よくお帰りになる。 流暢な会話が出来なくても 喜ばす事は出来る。旅先での散髪 出来るだけ印象深く思い出に残る事。 今迄考える事も無かった 丁寧に気持ちよく仕事をすれば 其れで充分事が足ると云うのでは無く 楽しい一時 共に過ごす。 遠来のメッセージ帳への書き込みは 日本の京都の床屋に自分の名前が残るという事 来店の記念写真は客人のスマホに残り 柳居子の手許には一枚も無いが 国に戻られ日本旅行のトピックになる事は間違いない 今月だけで画像は、62枚になる。 海外から柳居子の店を目指してやって来る人に 大きな役割を果たして頂いているのが アメリカのユーチューバ ヘアカットハリーさんの 顔剃りに特化した動画 三年前の二月にアメリカでアップされて 既に880万余のアクセス視聴を頂いているのだが、この四月 新しいバージョンの撮影が入って 内容は 初回と幾らも変らないのだが、アップされて五日目 既に十五万件の視聴回数を数える。 『何時の非か この店に行ってみる。』 というコメントも入っている 有り難い事だる
2023.10.01
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昨夜六時半(18時30分)頃、仕事を終えて自宅に戻るべく 東に向かった。 進行方向道路の突き当りは、鳩居堂の店 屋根の真上に 過って見た事も無い月が、煌々と輝いていた。ビルの林立した街中では、常 月を見る事等殆ど無いのだが 満月 中秋の名月とは、よく言ったものだ。 向こうからやって来た若い女性に 声掛けた。『後ろ見てごらん』と柳居子が指し示す指を訝しく見ながら 振り返った 『うわ、綺麗なお月さんですね。』『一年に一回 今日は中秋の名月と言って 特別月を見る日 見ずに通り過ぎたら 損をすると思って 突然だが声を掛けたと言うと『有り難うございます。』と礼を言われ スマホで月を撮っていた。 月見る位置で、背景が微妙に変化するが、鴨川荒神橋の上でも、西向う人に声掛け 百万遍の交差点でも、 三人の人に声掛けて 皆が滅多に見ない月に感激の様子。 ビルの林立で月見る機会が減ったと書いたが、遮蔽物の無い高層階に住む人は、毎日の陽の出 月の出を見て 季節が判る、空見れば陽や月と馴染み深くなる。こういう時 柳居子は、下世話な事を考える。新築マンションの販売 キャッチコピー 中秋の名月の写真掲げて、こんな立派な月は年に一度の事ですが、毎月の月の満ち欠けを見る事が出来ます、 一夜明けで今朝も西空に大きな月が輝いていた、東側に住む人だけが対象で無く西の夕焼け・朝の月 〖高層は、空見る住いです、』こういう謳い文句も有るかなと思ったのだ。
2023.09.30
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東京・銀座は、日本一地価が高いとか 流行の発祥地とか 時々頂く『銀座百点』という地域誌 戦後間もない頃からの月刊で 名の有る色々な人が寄稿されている。要するに日本で一番有名な場所 盛り場である。 江戸幕府の 開府以前から 銀座 金座と云うは存在した。貨幣経済が進歩してくると 貨幣を管掌する役所が在った場所が 銀座・金座の地名 町名に定着して今に至る。 金座・銀座の元締めと言うのか 実質的に動かしていたのは、中世からの豪商 後藤氏 後藤祐乗の子孫 庄三郎光次が 家康に招かれて江戸で小判の鋳造をしたのが 嚆矢とされている。 後藤家の貨幣作りは 鋳造・発行も支配下に置いて 明治維新まで専従だった。水利 水運で知られた 角倉家も一旦入手した権益を明治になるまで保持し続けた。 京都に於ける 金座・銀座の所在地は 両替町通りに在ったという 役所名 金座・銀座は使わずに 鋳造された貨幣が 両替商に渡り 今以って両替町通りが残っている。両替という言葉も不思議な言葉 貨幣単位の 『両』は百五十年以上前に無くなっているのだが 現役の言葉として残っている。 銀座一丁目から四丁目まで 町名で残っているのは伏見区 伏見にも太閤さんの時代 金座 銀座が、両替町通り沿いにあり 南端は大手筋 両替町八丁目の町名が消えて 銀座と呼称する様になったのは 明治元年の町組改正に伴う町名提出の時と言う。秀吉の没後伏見から京都へ移したというから 京都に於ける 金座・銀座の歴史は 伏見の方が古いらしい 東京の銀座に比べるまでも無いが 歴史はこちらの方が 古いと思われる。
2023.09.29
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六十年程前の 東京オリンピックの事を鮮明に覚えている。コロナ禍の最中とは言え つい先年の第二回東京オリンピックの事は何も頭に残っていない。柳居子世代 もう少し上の人達の オリンピック認識は第一回東京大会の思い出に尽きるかと思う 何が印象深く残っているかと云うと 真紅の上着に純白のズボン・スカートを穿いて一糸乱れぬ入場行進 先頭の旗手が掲げる日章旗 又個々の競技会場表彰台の メインポールに日章旗が 他国を圧して君が代の奏でと共に揚がる様が、我々日本人の代表が頑張ってくれた 日本の誉れ 何となく身震いするような感動をした事をよく覚えている。 話しが大きく飛躍するが、 メジャーリーグ 大谷翔平選手が 大リーグ初の日本人ホームランキングがほぼ決定したと言う よく頑張ったなぁ」という思いはあっても 日本人の誇りとか我々の代表 同じ日本人と云う様な意識は無い。 プロ・アマ関係なく イチロー選手の活躍の時も日本人の代表という思いは微塵も無かった。職業人としての野球選手としては 本人も誇りに思い 又其の医業を眼にする人は拍手するが 日本人としてよく頑張ったと 思う人は少ないと思う国旗や国歌を 見たり聞いたりする側の意識も 変化していくモノ ある意味グローバル化が進んでいるのかも知れない 若い人が読んでも 訳羽ならない記事になった。
2023.09.28
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朝の珈琲屋では お爺ギャグが頻発する。本筋の話をしているのかと 思いきや 席に居る人を笑わす爲にギャグが入る。『出たー お爺ギャグや』と言うのが、柳居子の役どころ 皆の笑いを呼ぶ事も有れば 明らかに不発ギャグも有る。 耳も遠くお爺ギャグを理解出来ない人は 無関心顏になる。 ウィットは、その場の雰囲気をしっかりと読みこんで 発せられるから ギャグよりは 大分上等の物言い 但しその場ですぐに出てこず 後からああ言えば良かったというのは遅い 日本語はあらゆる場面を想定して人場が作られている。まさしく『当意即妙』理に適っているという意味 若しかしたら仏教用語化も知れない。ユーモアは 諧謔(かいぎゃく)と訳されている。洒落気が有って上品ユーモア・ウイット・ギャグ 共に 一人相撲を取る訳では無い 相手との会話の狭間 相手が居て成り立つ物 柳居子はギャグの連発形か 真面目な話しが出来ないから ギャグで誤魔化す手合いかと 自己分析する。
2023.09.27
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毎朝 出掛ける珈琲屋では、常連仲間との会話が有り、又 店に戻ってからも、客人をお迎えして 接客会話 短時間で物の販売とか ご機嫌取りの会話では無い 接客時間が長い故の特殊な接客会話が在る。一日中 数多くの人と色々な会話が成立しているというのは、柳居子の世代としては 喜ばねばならない事と思って居る。 『生涯現役で 若い時と変わらず 仕事が出来るのは 羨ましい』と仰る方には。「ある年齢に達したら 纏まった退職金を頂く人が羨ましい」と返す。 昨日お越しの二人の客人 午前中にお越しは 柳居子よりは随分年下だが、昔 店の横町に住んでいた人 お父さんも店にお越しだった。三十年程前に向日町の方へ引っ越しされたのだが 散髪はずっとお越しになっている。 昨日は引越された当時の町内に誰が住んでいたかという話しになった。お宅の隣りは〇○さん 真向かいは布団屋さん パン屋さんも在りましたね カップ・トロフィーを扱う店も在りました 淡々と思い浮んだ店や 人の事を話している内に 仕事が終わった。 此処にきて 古い昔 自分の子供の頃 ルーツと思う様なお話を聞くのが 愉みという顔をされた。午後やって来た 白皙の大きな人 入って来られた時がら 馴れ馴れしいと言うのか雰囲気の明るい人 前に一度お越し頂いたかなと思うが 思い出せない。 始めての御客さまだと思い 仕事に取り掛かると 一年程前 オランダから 私の友人から この店の事を聞きました。日本の京都という町に行ったら 必ずこの店に行ってごらんと言われて来ました。以前来た人の推薦 柳居子の事は 其の人から色々と聞いてやって来たに違いない。 体験を語り伝える事を『伝説』 と言うのなら 伝説の店 伝説の理髪師になるのかな? 等とちょっぴりご機嫌 『貴方をこの店に紹介してくれたお友達に 『未だ頑張ってます有り難う』と伝える様に頼んで 送り出した。
2023.09.26
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定休日と決めている日曜日の仕事に、出張散髪と言うのが有る。 お年を召されて 柳居子の店まで 又 店に着いても二階の店まで、辿り着くのが無理な人 此方から出掛ける出張散髪が 二人居られる。 昨日は二人が重なって、大忙しだった。 お二人とも九十歳台 店へは父の代から 六十年間以上通って頂いている。 昨日松ヶ崎まで出掛けた方は 髪の毛は未だ多く 奥さんに先だたれ 娘さん達が ご自宅で面倒を見とおられる。 元々の資産家だが 大きな仕事を幾つも手掛けられ 滋賀県にゴルフ場もお持ち 今もお持ちだと思う。長いお付き合い故 面白い話が幾つも有る。 柳居子が未だ若かった頃 大阪の羅紗屋(服地屋)で 何反かの生地を買い求めた帰路 散髪にお越しになった。『服の生地 買うてきてなぁ。』 と見せて頂いた中の一点 替え上着一着分の生地 其の人には似合わない若者向きの柄だつた。『これはご主人より もう少し若者向きですなぁ』と言わなくても良い事を 後から大後悔する事を言ってしまった。『儂も 今見て そう思た。この生地 あんたに上げるわ』しまったと思ったがもう遅い 生地を貰ったらどんな事が有っても 仕立に回さして 次の散髪の時に間に合った 着て見せたら 『よう 似合っとる。』と一言 仕立て代の出費を忘れる様な思いがした。 服は何時も神戸のスコッチテイラーの誂え品ばかり その後 もうこの服着ないからと 次々と十着程頂いた。靴のサイズもぴったり合って フェラガモとかエルメスなどのブランド製を 同じく十足程頂いている。 昨日散髪にお伺いした時は。頂いたエルメスの靴を履いて行った。玄関で靴をからスリッパに履き替えたとき 出迎えの娘さんが 柳居子の履いていた靴をご覧になったので『床屋らしからぬ靴を履いているでしょ この靴は元もとここに在る室箱に入っていたのですよ。』というと 二人で大笑い靴だけでなく 背広の上下も頂いてますよと 生地を頂いて仕立て代が高くついた話し等をしていたら 『沢山服や靴が残ってますが 誰彼なく誰彼なく差上げるものでも無いし サイズの問題も有ります もう服着て靴履いて出掛ける事も無いから 次お越しの時 持って帰って貰うものを準備しておきます』と言われた。 『頭やお顔に直接肌触れ合う間柄 頂く事に失礼なんて 思った事は有りません』と返した。頂き物渡世 これからも続きそうだ。
2023.09.25
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考えてみると、恐ろしい仕事に就いていると思う。 喉仏に飛びっきりよく切れる刃物突き付け 皮膚を引っ張りたおして これ以上無理をすると 顔が血まみれになると云う様な 刃物による処置 処理業。 以前 白衣の魔法という記事を書いた事が有るが、医者と同じく白衣着用が仕事に取れかかる前の重用事。見ず知らずの相手に自分の体の事 包み隠さず言うというのは 白衣とぶら下げた聴診器が作用している。 遠来の客人が毎日の様にお越しになるのは、この白衣の図式とは関係が無い。此方から 幾らウェルカム 繊細なカット ツルツル髭剃り体験を謳っても誰も来ないと思う 柳居子は一切広告めいた事は ウェブ SMCには載せては居ないのだが、グーグルとかユーチューブ等 此方が依頼した訳ではないが,動画とかお店情報に挙がったりすると 自分も行ってみようという気分になられる様だ。 先ず雰囲気作りが大事な事だと思い ご来店お礼の様なプリントされたメッセージを手渡す。読み終わると 皆が笑みを浮かべる。『若い時は 散髪が上手で 手も早かった、。 もっと私が若い時に お目に掛かりたかった 今78歳 もうじき79歳・・・・』と書いてある。仕事中に話しかける事は無いが、時々 前の大きな鏡に映る客人の散髪の途中経過を確認する様な所作をする この箇所は是で良しと次に移ると 念入りに上手く刈ってくれているという認識に繋がる。 散髪が終ってからは ご出身の其々の国の散髪屋事情を聴いたり 貴方の仰る事は よく判りますという返事を送る。もう15年も若ければ色々と別の展開も有ったと思うが。このスタイルを続けるしか道は無い。一即日も散髪終わってスマホに時間掛けて入力された日本語文を読んだら『伝説の理髪師に 髪の毛 髭剃りをお願いする事が出来て、今日は幸せです。』と書いてあった『今日一日だけの幸せ 髭は明日になれば 伸びる。』 と返しておいた。
2023.09.24
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歴史に名が残るという事 ご本人が生前どの様に考えていたかは判らない。名の残る形は色々と有ると思う。 忠臣蔵の因を作った 浅野内匠守長矩は 忠臣蔵の脇役として登場するが、切腹の時の辞世 『風さそう花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん』この一首で歴史に名を止めていると柳居子は 思う。名君と言われ、名が歴史に残るかと言うと 必ずしもそうでは無い 後の世の人の評価は、特に後継と言われる人は、先代に対する考え方も有って 大きく変るものだと思う 庶民の営みは 其の人を知る人が居なくなれば。歴史の闇に消えていくものだが 歴史に名の残る人であっても 其の人の事績の表の部分 後世に伝わった部分 一部分の 名が残っているのだと思う。 歴史的に名のみ広く知られて 実際は誰も何も知らない人も居る。エジプト考古学に興味のある人なら 誰でも知っている 否 世間一般の人も知っている 『ツタンカーメン王』という名前 英国の歴史学者ハワード・カーターによって 未盗掘の王墓が発掘されて 黄金のマスクを始め 豪華に副葬品が世に出たのは もう 一世紀前の事 発掘其の事が歴史的な事件で 爾後 ツタンカーメンの名は発掘とワンセットで皆に覚えられた。 ツタンカーメンの父 アクナトンは、多神教だったエジプトを 太陽唯一神とした『ラー』信仰を起した人で 最初の宗教改革者として知られ ツタンカーメンよりは 余程生前活躍した人で大きく取り上げねばならない人だが、世上に知れ渡っては居ない。ツタンカーメンの死んだのは十歳にもならない幼帝だったという 生れた直後は アテン伸に綾かって 『ツタンカーテン』という名前だった 歴史に残る事跡は何一つ無いが 世界一有名なエジプト人 これからも変る事無いだろう。
2023.09.23
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京都市発行の 市バス・地下鉄の敬老乗車証の有効期限が、この月末三十日に切れる。今まで五千円だったのが一万五千円 三倍の値上げになる。常時乗らない人には 回数券を発行すると言うが 基本的には値上げと言う事 電動アシストの三輪自転車に乗る様になって 市バスに乗る事は極端に減った。 如何しようかと迷いに迷ったあげく 一万五千円出して 全線一年間有効の乗車証更新の手続きをした。 この敬老乗車制度が、何時ごろから始まったのか 定かで無いのだが、明治生まれの人も恩恵を受けたと思われる。父柳居は大正五年生まれだが 明治時代にお生まれの客人が居られた。 姉小路富小路東に 小川鐘良さんし云う呉服屋さん。 店を張って商いをするのでは無く 担ぎの呉服屋さんと言って 一反風呂敷に 呉服包み込んで 背負うというより肩からぶら下げるというスタイル 訪問販売 顧客の好みを知り抜いて 客が目移りしないようにと 商品の数の展示をしない。今は無い商いの手法だと思う 某年 某日 『こんなもん 貰ろたわ』と敬老乗車証を見せられた時『儂はなぁ 手や肩に何も持っていない時は、これを使わせて貰うが、荷物商品を持っている時は 必ず乗車賃を払うようにしている』と仰った。『いちいち バス代払うより便利と思いますが?』と問うと『商いに、只券使ってと人の見る眼も気になるが 自分自身が年寄になり果てたと思うのが癪に障るのだ せめて仕事は現役と思って居たい ある種の気概だろう。 権利とか 合理化等と云う今の世の中には居ない人の話とよく覚えている。 毎年煩雑な手続きを経て 敬老乗車証を発行する 京都市の職員のご苦労は 大変な人手と労力 煩わしい事も多々有るに違いない・柳居子は 七十歳の年を迎えたら 毎年更新をしなくても良い敬老乗車証を発行して 紛失の対応だけで済ませる事にしたら 大変な人員の節約になると思うと同時に 多くの人が職を失う 三倍の値上げとは そういう人達の食扶持を我々が担っていると 解釈する事も出来るのだ 複雑な世の中だと思う
2023.09.22
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新京極は、子供の頃からの遊び場だった。 夏休み・冬休み 盛り場へは行かない様にと云う様な 学堂指導要綱は通用しなかった。一緒に遊ぶ仲間は、盛り場で商売をしている子供達 旧い盛り場の風景は鮮明に覚えている事も有る。『たたき売り』という店が二・三軒在った。映画『フーテンの寅さん』の様な口・舌のよく廻る男が、客の買気を誘うように 商品の置いてある台を 竹か木の端を叩く様に 滔々と喋り捲る。 タイミングよく客と思しきが 『もう一声 安く為らんか』と声が掛かり 叩きが入って『ええい 採算度外視や』と値段を言うと 『買うた』『儂も買うた』と声が上がり 釣られた様に他にも声が上がる。 毎日叩き売りを見ていると。最初に声を掛けて 安く為らんかと 声掛けする人も 買うたと最初の売上客も同じ人と気付いた。 台を叩いて販売商品を高らかに謳いあげる役 少し安くせよと声掛ける役 買うた 買うたと 客の買気を導き出す役 皆 仲間だと知ったのだ。 買い手の側に回った仲間 グルの事を 『さくら』というのを後に知った。 買う気が全く無いのに 思わせぶりを言う言葉に『ひやかし』と言うのが有る。これは『さくら』より語源が定かで、江戸時代吉原の遊廓の近くに 紙漉き職人が沢山すんでいた。紙の材料を水で冷ましている間 手すきに近くの吉原遊廓に出掛け 格子の中の遊女をからかうだけ 金も時間も無い 紙漉き職人連中を 紙を冷ましててきた男たち 『ひやかし』 という言葉が出来た。吉原だけで使われていた言葉が、津々浦々に行き渡った。
2023.09.21
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昨日は、お昼ご飯が、午後五時過ぎになった。朝からほぼ立った侭の仕事の連続。客人十一人のお迎えは、一人で出来る限界人数か? 日本人客は、朝一番の方と 午後一人の二人だけ 他は全員異国の人 散髪順番待ちに準備している二脚では足らず 補助いすを動員。 ニューヨークからお越しの客人のお伴の女性は、日系か 日本語がとても上手、あっと驚く事を言われた。『私は ニューヨークで床屋を開いてます』『ユーチューブ動画に挙がっている ヘアカットハリーさんの顔剃り動画を見て 何時か日本に行く機会が有れば、絶対このお店をお尋ねしようと思っていました。』 少し遅れて入って来た大きな人と 話しを交していて 彼女から声が掛った 『私達の次に入って来た人が どの位待たねばならないか?』と言ってますよ』というから『一時間くらいかな』 と云うと それを伝えてくれて 『二時間程後にまた来る』と言い残して帰られた。 『ハリーさんの顔剃りの動画は この四月 新しいバージョンを載せる爲 撮影が入りましたよ。』と言うと 『楽しみにしています 何と言っても私は動画画像では無く 本物 実物を見た人間ですから。』 同業者の来店は 一寸緊張もするが 遠来を喜ばねばならない。一旦帰られた人は 二時間程後に お越しになった 仕事全て終えた時 『二回も 狭い階段 上り下りして貰って申し訳ない。』 し一声掛けたら 其の言葉に対してか 千円札一枚余分の支払いを受ける。他に サウジアラビアからの客人は請求金額に加えて アラビア通用紙幣一枚頂いた 邦貨幾らくらいになるのか判らない 使う事も無いから 価格価値は関係が無い 柳居子にとっては 記念紙幣である。
2023.09.20
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昨日は、親戚の法事 叔父の十三回忌 菩提寺東福寺山内の塔頭の一つで行われた。黒服上下 黒ネクタイ 黒靴下に 黒靴 髪の毛だけが真っ白 もう涼風が吹いている頃と構えていたが 真夏日だった。 親戚の出逢いと云うのも 柳居子の世代になると.葬式とか法事ことに限定される様だ。 久し振りに 同じ年の従兄弟に会っても 共通の話題も少なく 話しの弾む事は無かったが。 法要が終ってからの ご住職のお寺経営の話題が面白かった。寺から市中の料亭に移してからの会話が盛り上がった。 前住職が 大変な食わせ者 偽住職だったという話し。 在職中の法要の時 真言宗の所作と思われる 「五体投地」から始まって『私は 伝法潅頂を受けた身です』と披露する。 最澄ですら空海の元で 最初は結縁潅頂を受けたという 灌頂歴麺帳を知っている柳居子は 『何方を師として伝法潅頂をお受けになられましたか?』と尋ねたら 此方の質問は一切無視 多分真言宗の貧乏寺が 金稼ぎの手段として 灌頂の大安売り 其れに乗った 箔がつくと思ったのだろう。 誇大妄想とか虚言 放っておく人では無いと 本山にご注進と思ったが 親戚に迷惑とも考えて止めにした『あの 坊主は今は? 』 と聞いたら あの人の人は今山内でも触れない事になってます 又 住職としての第何世という数には入れない事になっています。 という話しだった。 従兄弟が 『祇園界隈にもお坊さんが繰り出していますね?』と云うから 柳居子は『祇園で遊ぶのは 滋賀県の坊主 京都の坊主は神戸まで遠征する。 其れもタクシーを借り切ってタクシーで往復 衣は着用せず ベレー帽姿 電車で出掛け 遅い時間 赤い顔して法衣を着て 顔見知りに出合ったら大変だから タクシー会社は神戸まで遊びに出掛ける坊主客 往復の料金 遊び終わるまでの待ち時間料金も含めて 大のお得意様と言っていた。柳居子の隣りに座ったご住職は 未だ若い人 在家から仏門に入った当初 柳居子の話を彷彿させる様な先輩が居たらししい。 山内 墓地でのお墓の建碑に付いても様変わり 出入りの石材商に直接注文して 墓が出来て始めてお眼に掛ると云う様な事も有るらしい。日本の仏教界は 未だ 檀家制度が根強く残っているから 持ち堪える事が出来てますが キリスト教圏 牧師の空席の教会が在るという 東福寺の伽藍面 建仁寺の学問面 妙心寺の算盤面 大徳寺の茶面 算盤面と呼ばれる妙心寺の 係数管理の厳格な事 管理人が輪番制になっていたとか 知っている事を色々説明した。十三年前に冥界入りした 叔父を偲ぶより これからの宗教界を憂う様な話になった。年嵩と見込んで質問をされた 『こういう事を言われたら如何答えたら良いでしょうか? 』『意味の無い命と云うのは無い 其れを立派に果たされたから冥界入り』と言われるのも良いかと思いますよ』言っておいた。図らずも 坊主に゜垂れる様な一日 敬老の日だから許されるかな。
2023.09.19
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均一価格 其れも百円で、何種類もの買い物が出来るのは、購買意欲をそそられるものだ。 一世風靡したと思う。 自宅近くの 百万遍の角 銀行跡地にも百均スーパーが在って、買う・買わぬ関係なく出掛けたが 帰路は何か買い求めていた。 百均は、食糧品を扱っている店も多く 朝の珈琲屋帰りに立寄る店は、元は百均が謳いだったが、税込み百円と云うのは無くなって 食料品消費税8パーセント上乗せで108円 税込100円の百万篇之店も扱う品数がどんどん減って とうとう廃業して 今は24官営業のドラッグストアになっている。百均は、語呂覚えも良いが 百八均は 除夜の鐘を連想したり 語呂も悪い。 食料品の値上げは、本当に軒並み 約二万五千種の品目が値上げされたという。原材料価格が上がり 商品を作る光熱費が上がり 価格に転嫁しないと経営が成り立たない 給料も払わねばならない。毎朝 夜明け前に店へ出掛けるのだが、 幹線道路にトラックが列為して止まっている。コンビニへの商品納入の順番待ち 商品の輸送コスト 深夜作業従事の人件費 誰もが未だ寝静まって 目の覚める前の仕事が 昼間のレジ打ちより忙しい様だ。 値上げをすれば済むという話しでは無い 何時も買い求める金額が上がると節約 買い控えが常態化する。身入り給与の上がらない購買者は、必要最小限とか グレードを下げたりで。其の分だけでも景気は悪くなると思うのだ。まあ 年寄は 他減る量も少なくて済ます事が出来るし エンゲル係数の下がる頂き物も多いから 気にしなくても良いのだが 育ち盛りの事もを抱える世帯には 食料品関係の値上げは 骨身に堪える事と思う。百均に浮かれていた頃が 懐かしい。
2023.09.18
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上乾のちりめん雑魚を、柳居子風の煮方で。山椒の色が変らないというタイミングで 加えて「ちりめん山椒」を作りだしてから もう何年にもなる。 海産物の無い京都の土産にまで作り上げた『はれま』に控えて『くもり』というブランドを立ち上げ レッテルも親しい書架にお願して「ちりめん山椒 くもり 柳居子製」 レッテルを張って差上げる 未だに代金を頂いた事は無い。 昨夜は ちりめん山椒を大量に作った。 出来・不出来が有るが 作り方は何一つ変えていないから、調達する材料に問題が有るのか? 実山椒は出盛りに大量に買って、冷凍してある。自分で作る様になると、味に拘りを持たなかったら、出来合い買い求める物の何と割高な事か。 勿論商いで人が作る手間をなり代わって作る 手間賃乗せるだけでも割高になる。 ちりめん山椒だけでなく 『ポテト・サラダ』も 他人に大盤振舞いの出来る程作るのだが、先日弁当にもう一品と 食品スーパーで『ポテ・サラ』を買い求めた。値段は手ごろな金額だったが 量が極端に少ない 一口 二口で全部腹に納まると 何か自分の作る量を思い起こすと 勿体無いなぁという思いがする。切干大根の煮物にも 同じ思いをする事が有る。ちりめん山椒も然り 只 副食 おかずでは無いから 冷蔵庫に入れておくと 多少は日持ちする。 防腐剤の類は一切入れてないし 砂糖で煮詰める訳でも綯い差上げたら 早く召し上がっていただきたい。 柳居子のちりめん雑魚作り レシピ通り作り 柳居子の弟子と仰る方が 名古屋に居られる。 この方は、「はれま」に控えた「くもり」の弟子の〖くもま』を 名乗っておられる。 毎年お手製 拘りの梅干しを頂く ちりめん山椒仲間である。
2023.09.17
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流行り 廃れが有るから 流行歌と云うのだと思うが、歌詞の内容が時代にそぐわないとか 理解出来ないという場面が出てくると 幾ら流行っても忘れ去られて行くもの 後の世の歌手がカバーすると寿命は伸ばせるが限界が有る。宮さん宮さん 御馬の前󠄁にヒラヒラするのは何じやいな トコトンヤレ トンヤレナあれは朝󠄁敵 征伐せよとの錦(にしき)の御旗(みはた)じや 知らないか トコトンヤレ トンヤレナ貳一天萬乘(いってんばんじょう)の 帝󠄁王(みかど)に 手(て)向(むか)ひ する奴を トコトンヤレ トンヤレナ 覗(ねら)ひ外さず 覗ひ外さず どんどん擊ち出す 薩長土(さっちょうど) トコトンヤレ トンヤレナ叄 以下 省略 流行り歌が、 地域を限定せず 又 身分序列 老若男女に唄い囃されたのは、この曲が最初だったと思われる。 官軍・幕軍 入り乱れての戦乱の世 表題の宮さんとは、『有栖川宮 熾仁親王』の事。孝明帝から 討幕の総司令官として錦の御旗を授けられて 東征に出掛ける姿を歌った物 歌詞の中のお馬の前でヒラヒラするのは 錦の御旗だが、 討幕軍の爲 錦の御旗を着くっている余裕は無い、 誰が考え付いたか判らぬが 御室仁和寺の本尊を荘厳する『幡』を旗指物にして 錦の御旗とした。皇室の信仰も篤く菊の御紋章が 付いていた。余談だが、有栖川宮は、徳川家の政略結婚で徳川に嫁いだ公女『和宮』の 許嫁(いいなづけ)だった人 その時既に和宮の夫君は世を去っていたが 熾仁親王の心根は 如何ばかりだったか? 宮さん 宮さんは、ある意味進軍の軍歌とも考えられるが、大勢の人に知れ渡ったというから 最初の流行歌と位置付ける事は出来ると思うのだ。
2023.09.16
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毎朝 珈琲屋で、眼と指先のトレーニングを兼ねて、配達される新聞の折り込み広告を細かく手札型くらいの大きさに折り畳んで、其れを折り目に差し込んで 分厚い手札の紙の塊を作るのが日課 仕事に取り掛かる前の眼と指先のトレーニングを兼ねている 上手に畳めると配達の ビニール袋にこれもまた綺麗に袋詰めして ウエイトレスに「はい これゴミ」と言って渡す。上手に畳めた 今日も仕事が出来ると、自己暗示を掛ける。 貧乏症だなと思うのは、広告の中に裏表両面印刷が殆どだが 裏が何も印刷されて無い広告は、メモ帳替わりに使えると残しておく。 使うより残すのが多いので 時々一括処分する 月捲りのカレンダーは 裏は完全余白 A4 くらいに切って 裏の余白を 店を留守にする時の客人に対するメッセージ用に使う『excus Me just ranchTime close PM 1 oven』 週に一度の昼食の外食にはこれを掲げて出掛ける。新聞の余白を見ると 想い出す人が居る 未だ小学生の頃 学校から帰るとすぐに 裏余白の新聞広告に向かう 漢字の篇・造りが書いてある 母親の手書き 何時も三字ときまっていた。 毎日の事だから飽きぬ様に三字にしたのか 『木』という字が書いてある 前後上下漢字添えて 其れが如何いう意味か 説明をしてくれた 木を二つ並べて林(はやし)その上にもう一つ乗せたら森(もり)という意味になると まるでゲーム感覚で教わった。お蔭で漢字の書き取りテストは何時も満点で解答書き終えるのも一番早かった。漢字学者の白川静先生の講習会も 欠かさずに出掛けた。今柳居子の日常で 漢字という字句を一番よく使うのは ブログのプリント版配達の時 『懐かしい漢字 思い出してんか―』と言って手渡す時が多いと思う。
2023.09.15
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相変らず 相手は、柳居子の事をよくご存知なのに 此方に覚えが無いか 忘れたのかで 失礼するケースが時々ある。 どちら様でしたかと聞く事が失礼と思われる程 にこやかに話し込んで来られると、お名前聞く事が失礼になると考え 適当に時候の話題 今ならさしずめ『もう秋と云うのに 何時までも暑い事ですね。』これは一番無難な受け答え 相手の話の中にお名前と関係を思い出す糸口になる様な一言が出てくればと思うのだがそれも出てこない 先日は其れは無いだろうという話しが有った 実話である 連載のブログ記事 『先日載せてはった あの記事ねぇ・・・・』 と言われるとブログの読者かと判った次第 『お目に掛った事有りましたか?』と尋ねると『いいえ』という お店の所在地はご近所の事だから昔から知ってます フェイスブックにお顔の画像も出てますから 姉小路通るとき 時々お目にも掛っています。 ご近所とか 昔馴染み 又仕事の上だけの知り合いで、成り立っていた昔の庶民の対人関係と云うのは 実に狭隘なものだったと言わざるを得ない。 時勢と云う時代の流れに乗り遅れても ゆっくりでも後に付いて行くという志さえあれば 今の世も愉しく過ごす事が出来ると思う。考えてみれば 遠来の客人達は 誰一人柳居子の知らない人ばかりだが 相手は柳居子の事を良く知って世界中からやって来る。SNSの影響力の大きさを改めて思う。 顔剃りツルツル体験 幾ら柳居子の方から呼び掛けても誰一人来ないと思うが 『この親父に顔を剃って貰うとまるで赤子に戻った様になるよ』グーグルのお店マップ クチコミ欄が面白い 『髪も髭も伸び放題でこの店に入ったが 店を出る時は ジェームス・ボンドになったよ』などと書いた記事が沢山載っている。店の宣伝なんて 一言も頼んだ事も無いが 柳居子の店の宣伝・客寄せを担ってくれている。 目下の考え事は 何時まで仕事が出来るか 仕事と併せてブログ記事の連載が何時まで続けられるか 今のところ 元気に生き続けていくファクター担っている事は確かなようだ。
2023.09.14
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昭和を43年間 平成を30年 令和を5年 78年間 物心がついてからの記憶と云うのは、人其々に残っている物 若い時に印象深く刷り込んだ事柄は、何時まで経ってもよく覚えているもの 鮮明に思い出す記憶が 一体何時ごろの話しだったかと云う事になると 全く心許無い。遊び仲間もどんどん人替わりして 旧い仲間とは 何処でとか 何の話を交したというのも 徐々に消えていくモノの様だ。 気楽な独り身の 某年・某日 仕事を終えて 夜の徘徊が始まる。 今日は誰に出合うかな? どこかへ連れて行って貰えるかな? 自前(自払い)で、出掛ける時は、衣装改めて出掛ける。立派な身なり遜色ないが 背広 コートから靴まで頂き物 言葉替えると(安上がり人生)今も変わりない」店を出て 東向いて 姉小路通り寺町で 何か腹に入れようと、河原町西南側に在った『飛雲』という中華料理屋さんに向かう。 正面には 京都朝日開館の西側壁面いっぱいに 東郷青児画伯の癖画が 又高い建物も無く しっかりと見る事が出来た。 この壁画は、寺町姉小路東の 公衆便所の屋上から 青児画伯の指示で書き上げられたものである 未だ携帯も無かった時代 伝令が居たのかな? 飛雲は 第一楼の系列店で 確か村上さんという名前だったと思う、二号さんと思っていたが 本妻さんと理解していた人が二号さんで 本妻さんは神戸に居られたとか 三号さんの店だった。 王貞治が 何か記念のホームランを打った時 飛雲のテレビで、見ていたなぁ。朝日会館には、アラスカというレストラン 小野春という貴金属を扱う店 柳居子の店の客人も お店を出して居られた。壁画のビルも無くなり 壁画のレプリカが掲げてあった新しいビルも 老朽化とかで 建て替えの様子。 新築ビルの老朽化 建て替えの話しが出ると 長生きしているなぁという気分になる。河原町 六曜社に出掛ける心算だったが、其の時間帯 先斗町の珈琲屋に 宍戸恭一さんが要る事を思い出して、叶珈琲へ出掛けた。畏友 年の離れた仲間 宍戸さんとは、古くからのお付き合い。 叶は長谷川潤という人が経営していたと思う 三条東に 叶万倍社という新聞販売店が在った 其処の関係らしい。潤君はその後 嵯峨の方へ転居 暫くは珈琲店を開いていた。坂東三津五郎丈が フグ毒で亡くなった時 叶屋の抱えの妓が同席していた、と聞いている。役者の死因の目撃者と云う事か。 叶屋の斜め向かい 質屋の主人が強盗に襲われて 落命したのも随分旧い話になった。栄籐さんの前を木屋町に抜ける駐車場の南の道 突き当り手前の角 よし子バーと裏々の関係かテナント募集の張り紙の店へは 足しげく通ったが もう其の店の名前すら忘れてしまった、よし子バーの最初の旦那 布浦の繁君とも 親しくしていた。開揚亭 別所の一郎さんの子分の様な関係だった。 開陽亭も先斗町の店を閉めた。一品香という店は未だ残っていた、上野君が始めた店だった。取るに足らない 伝える事も必要のない事でも 何れ歴史の闇に消え失せる話は 書いて置いたら良いと思っただけの事、 最後までのお付き合いに謝す。
2023.09.13
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昨日は、完全に日本人客から、見放された一日だった。ニュージーランド・オーストラリア・アメリカ二人 フランス 四か国五人のご来店。内 三人が奥さんと思しき女性同伴だった。ご亭主か恋人の、気紛れ日本の床屋体験に付き合わされる女性の事は 余り考える事も無かったのだが、昨日朝一番の ニュージーランドからの客人は 頭髪丸剃りにしてくれというご注文 髪の毛薄いから残り剃り落してくれと云うのでは無く しっかり残っている髪全てを剃り落してくれと言う。 手間と時間の要ること この上ないが、ツルツルに剃り上げて、待合の椅子に座っていた奥さんに手招きして 御主人の頭 タッチ・タッチといたら 頭全体を撫ぜ回し 〖オー」と一声発して、ツルツル頭の頭頂部に 「キス」をした。丸ぞり体験の余禄 ツルツル頭の貴方の大好きと言わんがばかりに この「キス」を見て 柳居子の心中も何かが弾けた様な感じがした。思い付いた事は 仕事終わって 一緒に写真を撮る 必ず客人の自撮りに 柳居子賀入り込むというアングルだったが 二人の写真を奥さんに撮って貰う事に決めた。 散髪の終わるのを ひたすら待つ身より 一緒のツルツル体験と 自分の撮った写真画像 帰国後旅行記を人に話す時 女性の床屋体験が必ず出てくると思うのだ、帰り際 二人ともが最高の笑みを残してくれる。
2023.09.12
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ご大層な名乗りだが、始まって五十回を迎える会。 日本舞踊協会関西支部主催 京滋合同の会 在洛の舞・踊りの流派の代表が、日頃の研鑚を披露する会。コロナの影響で暫く途切れていたのかも知れないが 満席の盛況 京舞 篠塚流の家元から 招待状が届いたから 出掛けない訳にはいかない。招待状が届いた時 誰を連れて行くかの迷いは一切無し。柳居子は篠塚流の応援団長をしているが たった一人の団員 栗塚旭君に 直ぐに開催日を伝え 体を空けておくようにと頼んだ。 篠塚の現家元の父君 五世梅扇さんと 栗塚さんは 京都一中 洛北高校と 先輩・後輩の間柄 其の誼で一緒に舞台に立った事も有るという また 何よりも彼の『ぞめき』が天下一品 男らしくよく通る声 声掛けの内容もよく判る。ぞめきとは(騒き)と書き さわぐという意味が有るが 舞台への声掛け 場を盛り立てる雰囲気作りの様な役柄舞台に立つ役者の屋号〖成駒屋・音羽屋 喜熨斗屋 又 大統領〗と云う様な声掛けである 一緒に会場入ろうとした時 客人のお迎えをされていた 井上八千代さんが栗塚さんに親しくご挨拶をされたら 今日は御一緒の下前さんのお招きでお伺いしましたと言った。八千代さんと目礼を交わした。公演終わって出口で 八千代さんに よく栗塚さんを連れてきて頂きました。場が盛り上がりますね。と言われた 篠塚の現家元 瑞穂さんは、 このところずっと体調が悪く 随分心配したのだが、曲選びもよく 滞る事無く幕が下りたら 応援団長として ぐっと目頭が熱くなるような思いがした。お家元の 華やかな舞台は もう見る事が出来ないかも知れないと 台湾からやって来たお弟子さんと 隣同士で千穐楽までたっぷりと三時間半 聞かせ見せて頂いた。
2023.09.11
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以前 NHKの大河ドラマ 髷物(まげもの)と言われる番組を見ていて俗に言う「チャンバラ場面」が終った直後のシーン 髪の毛の処理を生業としている身で 必死の斬りあいを刀を鞘に納める場面 元結も伐れてザンバラ頭になっている筈が、今結いたての様に一糸乱れぬ頭が整っている事に違和感を持ち NHK充てに 「少しおかしい」と思いを伝えた。 返事は思いもよらぬものだった。 『全く ご指摘の通りです。時代考証の先生方からもご指摘が有るのですが、史実に近く髪の毛振り乱すシーンを放映したら 視聴者の皆さんから 主人公の姿がみすぼらしいとか 食事中御飯が不味くなるとか 色々な投書や申し出が沢山居りまして 致し方無く 結いたての髪型になっているのです。』という内容 大河ドラマも 今の 視聴者サイドに立って 作られているという事が判って その後 ドラマは作り物という意識が働いて、殆ど見なくなった。 式亭三馬の『浮世床』には 嬶束ね(かかあたばね)という言葉が出てくる庶民 市井の細君は 髪結床に行くのは余程の行事事の時だけ 常は油を付けず一つに束ねた髪型をしていた様だ、浮世絵に見る描かれた美女は 髪の毛を一本一本が判る程 髪を薄く書いてあるが 髪結床へ行けない人に対して 絶えず床へ行くから髪の毛も薄くなる 髪の毛の薄いのは美女の証しという時代が有った様だ昔の子供の髪型は『わらわ髪』と言って 元服までは散り髪にしていた。武士が戦闘で、髪の毛振り乱して。わらわ髪になる 髪を気にする事も無く 艱難を対処する事を おおわらわ というが わらわ髪が語源の様だ
2023.09.10
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『よくブログの書きネタが続きますね。』と言われる 六千三百連載 十七年間の休み無しに 皆さん呆れ顔をされる。ノルマと感じたら出来る事では無いが 今日が最後かという気分になる時は時々ある。 書きネタが尽きずに、常に有るというのは、客商売 マンツーマン 滞留時間が類を見ない長さの 特殊な接客業のお蔭と考えられる。 無駄口せず 一所懸命に仕事をするのも 一つの方法だが。柳居子は客人と会話を交わす事が 客人をリラックスさせ 此方も気楽に仕事が出来るというメリットを感じるのだ。 客人に聞いた話を其の侭ブログ記事に刈る事は無いのだが 体験とか考え方などの諸々は 毎日の記事ネタを提供して頂いていると思う日が多々ある。 昨日午後お迎えした客人は 柳居子より少し年下『今年は 暑かったなぁ 自分より年上が 頑張ってると 元気を貰える。 相変らず外国からの客が多いか?』と言うのが会話の口火 『貴方のお越しの少し前 カナダからお越しが帰られたとこです』と答えたら『私は仕事で ルーマニアで何年か住んだ事が有るが 散髪は困ったなぁという話しから ルーマニアの歴史の一端 絶えず他国からの侵略を受け続けてきた 教会は高い障壁に囲まれた中に在る 異民族が侵入すると 教会へ逃げ込んだという 異民族の支配という話しから 話しが飛んで マッカーサーは日本を英語圏にしようとしたが 全く学が無いと思われた 娼婦とか底辺に居る人も字が書けて 計算も出来るから英語圏の話は 諦めた様だと仰るから 柳居子も少々薀蓄を披露した。『漢字学者の 白川静先生から直接聞いた話ですが、難しい日本語の読書きの出来るのは 日本人のほんの一部分の人が使う言葉と考えていた様ですが 誰もが使いこなし読む事も出来る 識字率の高さに眼を剥いた 難しい漢字を訳すのが面倒と当用漢字という漢字制限をしたようです。 この当用という言葉が 事の本質を突いていると思います 当用とは 暫くの間 とか 当面とか 指あたってと言う意味がります。 終戦直後 GHQの命で 天皇の全国行脚が始まった。護衛を一切付けずに国民の前に身を晒す様に これは自分達が天皇の処遇を考える前に 日本国民が、自分の親とか 息子を奪われた戦争を引き起こした人間 親の仇 息子の仇と考えて 襲うだろうという判断が有ったと思われるが 何も起こらなかった。そういう話を交していた時 又 外人さんが女性伴って入って来た。話を交していた客人に 入って来た外人さんに『待たせたなぁ』と一声掛けてくれますかと言ったら 一言では無く 結構話し込んでいた。 ルーマニアの面白話しは 項を改めて書く事とする。
2023.09.09
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今月に入ってからだけでも、もう十五人の遠来の客人を迎えている。 何となく仕事のプロセスも、如何すれば気に入られるかが判って来た。 日本の理容師の平均から、大きく外れている事は無い。 むしろ 年齢からくる仕事内容の狭さが気になるのだが、途切れずやって来る外人さんにしては 何等かの期待が有り 其れにある程度答えているのだと思う。 剛毛の髭剃り 逆剃り等思いつきもしなかったが、其れが呼びになっている様だ。仕事中は殆ど何も喋らないが、ツルツルの髭撫ぜ回しては 結構会話が弾む。今月になってから オランダから三人の客人が来た 『何処から来たの?』の問いに『ネーデルランド』 言われたが 発音が聞き取り難く 地球儀 クルクル廻して 指示したところ 『オランダ?』言うと『そうそう オランダ』と言った。 二人目のオランダ人は 同じ質問をすると『オランダ』と言うから『ネーデルランド?』と言ったら『オー』と返ってきた。ベネルックス三国と云うのは ベルギー・オランダ・ルクセンブルグの事を言うのだと知っていたから 三人目のオランダ人の客人には,ネーデルランドから来たと云った時『ベルギーとルクセンブルグと隣同士だね』と言ったら『散髪の神様は何でも知っているのですね。』言われた。 仕事をするのなら する方もして貰う方も 其の時間 楽しく過ごさないと勿体ない メッセージを書いて貰い 握手をもとめられ 記念写真を撮らせて下さいと言われるのは 床屋冥利に尽きる事であろう 幾らツルツルに剃り上げても。ツルツルは一日二日の事 髪の毛も一カ月も経てばもう人によっては納まりが付かない程 伸びる 束の間の愉しい京都旅行の記憶作り。 料金を頂きながらも『おもてなし親善大使』の 役を果たしていると思うのだ。
2023.09.08
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柳居子が 中学校を卒業して二年目 理髪師の免許を受ける試験に臨んだ。免許試験の受験資格は、中卒以上 理容師養成施設で 一年間公衆衛生とか 消毒 又法規等の定められた授業を受け その後理容店で実地修練(インターン)を受けて 免許試験を受ける事が出来る。柳居子が理容師の試験を受けた時は未だ 仕事は充分過ぎる程出来るのだが 中卒の学歴が無く 免許を貰えない人も居て そういう人には 学科試験免除の仕事が出来るか否かの 検定試験制度で 免許を貰った人も居た様だ。 先日 終活の蔵書・書類整理をしていたら、 理容学校在学中の教科書や実地修練当時の記録が出てきた。 パラパラと捲っていて、今の時代は考えられない様な法律とか 規制が面白かった。 理容所開設の際は、必ず椅子数に゜見合う『痰壺(たんつぼ)』を、置かねばならないと義務付けられていた。 たんつぼと言っても 今の若い人には判らないだろうが、痰の中に結核婚が混じっているから 琺瑯製の蓋の付いた壺の中へ痰を吐きだす事 実際壺の中に痰を吐きだす人を見た事が無かったが、其れが 有効と考えられた時代の遺物だった様だ。 学科試験には 法定伝染病を 必ず覚えて置く様にと言われ 実際試験にも出た。チブス・コレラ・ペスト・猩紅熱・・・・・伝染病と言うのも 我々が試験に受かる様に学んだ時代とは 伝染病も 様変わりしている。生活環境と言うのか 社会インフラが進み 我々の知る法定伝染病なんて 日本に於いては 臨床のお医者様でも見た事が無い人が殆どかと思う。我々の知る法定伝染病は、今は 届出伝染病というゾーンに入っている様だ。人対象より 食糧・食材に対する規制が厳しい様だ。 開発途上国に旅すると、お腹をこわす人が多いという。現地の人は免疫が出来ていても 日本で生活するレベルとは格段に違い 発症と言う事になるのだろう。
2023.09.07
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京都で 生まれ育った人は、八坂という言葉の後に 『さん』とか『はん』 と言う親しみを込めた送りをする。おけら参りとか 円山の桜見る集い 又祇園祭の神輿の渡御等 とにかく想い出の多い土地・地域名でもある。 元は天台宗系の 神宮寺だったが 明治初頭 神社に改められた。『あんた 京都の事詳しいけど 八坂神社の『八坂』と言うのは坂が、八つあるという事から付いた名前か?』と聞かれて 『八坂は、賀茂とか 鳥辺野 粟田とか 古くから人が住み着いた『郷』と言われる集落の一つで 渡来の人という説も有ります。八つの坂に由来した名前では無いと思われますが、以前八つの坂を列挙した物を見た事が有りますから 何処に載っていたか 時間作って調べておきますといった。 確か 架蔵の本と見込んで 何冊かの本を見ていて 『山州名跡志』に 八坂の語源は、【祇園坂・長楽寺坂・下河原坂・法観寺坂・霊山坂・三年坂・山井坂・清水坂】の八坂が八坂の語源と書いては在るが 山州名跡志は、江戸時代の正徳年間に出された 山州(山城の街)の観光案内の様な読み物 八つの坂の位置関係は正しく列挙されては居るが 名跡志の著者が考え付いたのではと 柳居子は思う。 地名言葉の語源を探るだけでも 千年とか二千年遡る事が出来る 手強い街だと 住んでいても判る。
2023.09.06
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加齢が進むと、一旦覚え込んだ事が頭から離れず、対象が時代と共に変化しているにも関わらず、昔のままのイメージを持ち続けている事が有る。 自分だけの現象かと言うと そうでは無く 先日お越しの客人との会話で 『錦小路』が、すっかり変わったね 買い物籠下げて近所の奥さんに出合う事等無いね。』という話しから、町並みの変化という話題で盛り上がった。 買い物籠下げて 近所の奥さんが買い物をする姿は、 今から五十年近く前、NHKアーカイブス 新日本紀行という番組で 放映された物を最近見せて貰いましたが、其の時代と今はどの様に変ったのかを、考えてみました。 先ず近辺の所帯数 所帯を構成する家族数 錦で買い物済ませ持ち返って調理して食べさす人数 昔は子沢山 又住込み店員も沢山居たから 買い求める単位も多かった筈 肉等販売の最少単位が百匁だった 所帯の細分化が進み、生活様式の変化は、町並みにも大きな変化をもたらす。食料品に特化したスーパーの出現は、献立を考えて食材を幾つもの店を廻って買い揃えるのでは無く カートの籠に棚の商品を放り込むだけで買い物が済ます事が出来る。 店によっては宅配サービスまでしてくれる。これ等の変化は駅前商店街の衰微を招く。 今 錦小路は、外人観光客で溢れ返っています。串刺しの逸品が、馬鹿に出来ない売り上げになっているという。外人客の買い喰いに 色々と批判の声もおがっているが これも一つの進化と見るべきと思います、。 外人客が一人も来なくなった時 本当に生き残りを掛けた錦の取り組みが始まると思いますよ。』と客人に話した。 錦以外にも 寺町 三条・四条間の洋服屋さん街 今も残っているが、昔日とは比べようが無い。 寺町四条南は、家電商品を扱うお店が軒を並べていた。夷川通りは 家具の店として売り出していたが 時々烏丸・寺町間を自転車で走ると 家具のみと言うより 料理 酒食を提供する店の数が増えている様に感じる。買い物にわざわざ出かけなくても 欲しい物は直ぐ手許に届く 通リ筋に 特定の店が集中する事の メリットと言うのは無くなって来たのだと思いますよ。 柳居子の話を聞いていた客人『ほんまや あんたの言う通理やなぁ』という話しの〆になった。
2023.09.05
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朝の珈琲屋の5番テーブル 常連客の柳居子の席の隣りに座る人は、この店に通い出してから六十余年 随分色々な人と隣同士で 珈琲一杯挟んで、四方山話に興じてきた。 今も印象に残る人としては 宮川町のお茶屋『駒屋』の駒井富太郎さん 寺町ノムラテーラーの先先代 カタログ販売『ニッセン』を創業した川島達三さん 糸偏は 新谷正順三さん 高田宗男さん 京舞篠塚の篠塚瑞穂家元 ・・・枚挙に暇が無い。 このところ二十年程は、今年の三月に亡くなった人が 柳居子の隣りに座る事が決まっていた。この人との最初の出逢いが面白なった。 柳居子の席は、入ってくる人皆を確認できる 門番 守衛様な席。店が混んでくると 空席待ち赤毛氈の敷いた床机が準備してあった。ある日 其の毛氈の上に 柳居子よりは大分年嵩とおぼしき座って席の空くのを待っていた。 偶然 柳居子と眼と眼とが合った。 ちょうど柳居子の横の席が空いていたから 相手や指指し 手招きで隣が空いているからと おいで おいでをした。 相手は自分を指さして『私が?』 という仕草を手でした。『あんたや 茲に座り』とパントマイム 声無し対話でその人は座った。 私の隣りに座った人は『ここは 常連さんだけが座る席と聞いてますが』と言うから 『かまへん かまへん 最初から常連さんて一人も居ないよ。』 人品卑しからぬ其の男に 『何してるの。』と尋ねた。名刺を出された。京都大学名誉教授 中央診療所所長 泉孝英と書かれてあった。 裏を見ると キャリアの肩書や前職などが 所せましと書き並べてあった。 一つ一つをじっくりと拝見して 表に反して『裏の職歴肩書きは載せない方が 表が生きるね』と言ったのが 最初の声を出しての会話だつた。 親交を重ねているうち 生涯に渡る取材の結果が結実した『日本近現代医学人名事典』の上梓出版が決まった時 序文の草稿を見せて貰った 草稿には無かった 山中伸弥氏のノーベル賞受賞の事も 広いスタンスで医学界を見ているという意が伝わるから 加えると良いとアドバイスをした。 頂戴した御本には 『謝 ご支援 下前國弘 兄 著者〗のサインが在った。お祝いに京都新聞に書評を書かすと言って 本の内容 取材のご苦労を一人で成し遂げられたという事実を書いた書評執筆のお願をしたら 柳居子の書いた物がほぼそのままで 一面 凡語欄に載った。コピーしてエレベーターの横に張ってあった 追補版を出されると聞いた時 柳居子が極 親しくしていた伏原春男先生[山極前京大総長の義父]の事も 是非取り上げて貰いたいと言って実現した事も有る。 随分 色々に所へ御一緒した事 例えば『飛田新地探訪』等 項を改めて書いてみる。
2023.09.04
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先日 本サイト御愛読者から、東寺百合文書の新聞連載が終了したという記事を送って頂いた。 百合文書の事は、以前二度書き載せた事が有ったが、二万四千点に及ぶ古文書類の 京都府の買い上げの状況が興味深い事だった。 百合文書に付いては、桐箱師 前田友斎(先代) から 色々な話を伺っていた。この膨大な歴史資料を後世に伝えねばと最初に着目したのは、加賀藩主 前田綱紀公だった。分類整理をされて 立派な桐箱を調進された。其の箱も経年劣化で 作り変えた人が 同姓 前田友斎さん 因果を覚えますねと言った事を思い出す。 東寺の様な大寺になると 僧侶間での確執が色々と在る様で,個々に金回りの良い部署と そうでない所も有った様で、寺宝とも言える百合文書の売り払いが決まった様だ,昭和四十年当時 古文書類の価値とか意味が余り理解されておらず 学術的な興味のある部分だけの 細切れの問い合わせに対して 京都府が一括購入の英断を下した。文化財行政で京都府が行った最大の功績だつたと思う、散逸しての個々は 何等価値の無いもの 一括購入 整理保存が為され 後から其の価値に気付くという事も有る。購入が実現した年次の 京都府の決算委員会では 『ポロ屑の様な古手紙に 何故大金を出したのか>』 という質問も出たという。府の購入の当事者か 如何答えたかは 聞いていないが 多分『貴方に幾ら説明しても判って貰えない理由 散逸を防ぐ目的で取り敢えず買求めて置いたのです。と言ったのではと 想像する。千年以上前から 連綿と伝わってきた資料類は 歴史の生き証人 子や孫に正しく伝える事が 今を生きる人の責務と考える事が有る。
2023.09.03
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異常気象が原因で有ろうとは判るのだが、この夏 空の雲が実に千変万化 お天気の劇変も体験した。 雲の無い好天気 傘など絶対必要ないと決め込んで 仕事終えて自宅に戻る道 一天俄かに暗くなったかと思うや否や 大粒の雨が滝のように落ちてきた、雨宿りの向きの場所を探す間もなく 軒下張出したテントの中で 待つ事三十分 小降り止みそうになったから 水も滴る良い男で帰るかと 自転車のペダルに足を掛けた途端 又猛烈な雨。天気予報はしっかりと当たっていた。『突然 本格的な降りになる可能性を説き お出掛けの時は傘を忘れずに』という予報は 完全に当っていた。 予報官と言うのは 私の予想どうり しっかりと降ってくれて良かったと 思うのだろうか? 入道雲は、積乱雲と呼ぶのだろうか 眼で見ていて雲の端が もくもくと音を立てるが如く 大きくなっていく。雲の流の早い事は時々眼にするが。雲其の物が命ある動物の様に動く様は、 雲の真っ只中に身を置けば 翻弄される嵐の中かと思ったりする。 夕焼け空が まっ赤か とんびがくるりと 輪を描いた。 三橋美智也の若い時のヒット曲だが 赤く染まるのは 夕焼けと決めこんでいたが、この夏 朝陽が昇る前゜鶏が啼くころ 東の空が夕焼け空の様に 赤く染まるのを度々見ている。 雲は 十種の見分け方が有るという、其の中でも空の 高層 空の高い所に現れる雲 中層界 低層界現れる雲 色々な呼び名が有るようだ。体験したテント下の大豪雨は、低層界まゲリラ雲の仕業か。新幹線に乗る機会が 滅多に無いから 富士山の上に掛る 傘雲と言うのも見た事が無い 多分見ず終いになるだろう。飛行機雲は、人為的に出来た雲だが、彩雲という美しく色づいた高層界の雲も有る 彩雲を屋号に使っている店が有る。雲が屋号の由来とは想像就いていたが 伊勢熊と名乗っていたのを 冨岡鉄斎に『彩雲堂』と名乗る様にと 屋号の揮毫を貰ったそうだ トルコのノーベル賞受賞の作家 オルハン バムクもこの店を訪れている。 『行雲流水』自然の在り様に 自然の侭過ごすべしと思う其の事が現代人の拘りとか 制約が有る様に感じるのだ。
2023.09.02
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白川が、新橋通りと並行して 西に向かい鴨川に流れ抱いて 直ぐに辰巳大明神が祀られている。川の流れの上には、巽橋が掛っている。伏見稲荷の連綿と続く赤鳥居と共に 京都を代表する様なスポット 映画の撮影などにもよく使われ 其れが又観光客を呼び寄せる事になっているのだろう。巽橋は元は木造で 民が掛けた橋である。 土地の古老は、巽橋の事を狸橋とも呼んでいたという。狸に騙されて、橋の上を川中とだまし 芸妓と客が着物の裾を大きく手繰り上げて橋の上の川を渡っていたという。 辰巳大明神へは芸事の上達 商売繁盛を願ってお参りするのだが 元は巽橋の北西 一坪にも満たない小祠だったが 昭和二十五年現在地に移された。鹿橋通りと白川との間には 一本道路が通っていて 道路の南側を 終戦間際の強制疎開で 今の石畳みの道になった 文芸芸後として有名な 磯田多可女の大友も強制疎開で潰された。吉井勇の『かにかくも 祇園は恋し 寝る時も・・・・・・』の歌碑は 大友の在った場所里の直ぐ前と聞いた事が有る。 今から 二百五十年近く前には、元吉町と末吉町との間には 橋が無く 川原の飛び石伝いに向かい側に渡っていた様だが 前述の悪戯狸に掛け合って お前が悪戯を止めて 祇園の新地を守ってくれるのなら お前の祠を建ててあげると言ったら ピタリと悪戯が無くなったので 小祠建てたのが 辰巳大名神の始まり 狸の悪戯封じに建てたのが今に至る。
2023.09.01
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世の動き 出来事を知るという手段は。時代と共に変化して。 近年増々進化のスピードが速くなって。柳居子の年代などは、付いて行くのが精一杯 早々と変化の流から降りる人も沢山居る、 情報の速報性と言うのは、もう紙の媒体で、最初を知る事は少なくなった。テレビでも 臨時ニュース以外は、定時のニュースが第一報になる。SNSの普及は、誰もがニュース発信者になる。其の情報の真偽とは関係なく 瞬時に誰もが知ることが出来る時代 誰もが自分自身が持っている知識とか知見で 其のニュースを処理する。ある意味怖い時代でもある。 紙の媒体 新聞は 発刊する新聞社の色と言うのも有るが、一貫したスタンスで 情報処理が為され 紙面が出来上がっているものと思う。 八十路近くなって 今振り返って、地元紙を始めとして新聞を読んで 社会に遅れを取らじと 大袈裟に言うと新聞に育てて貰ったと思う事も多い。地元紙経営陣には 旧知 知己の人も多い。 白石古京氏の事は、本サイトに何度か取り上げているのだが、回顧談に『軍部の嫌がらせ 提灯記事を書かないと 用紙を回してくれないという制約の有る時代 廃刊する新聞もあつたが、其れでも発刊に拘った。発刊を続ける事でいつか 提灯記事其の背景を読者に判って貰える日が来ると信じていた。地方紙のトップが 新聞協会の会長職を務められた。 古京氏の活躍の時代 自社株を占有するのも、自分の発言を何処からも 誰からも 口出しさせないという様な事情があつたのか等と推察する時代が下がって、株を相続した遺家族の専横か゛紙面を賑わした。 柳居子は,古京氏の未亡人と親しくして頂いて 又社内の多くの事を長年に渡り見続けてきた。 今の紙面を見るに 昔と比べ 今のスタッフだけで よく頑張っているなぁという思いが強い。同一名の記事が間おかずに載る事も多い。時間日数を掛けて綿密に取材 推敲の許されない状況かも知れない。『私の京都新聞評』欄に 旧知の藤野正弘さんが『市井のちょっとした記事に期待』という一文の中で 株主への違法報酬の事件を取り上げておられた。違法報酬だけの問題では無い 人事とか他にも公開出来ない事も知っているが 只今以って大株主であることは変わりない。御苦労は続くだろう。ここ何年か ジュニア版 子供向けの記事が充実していると思う 大人が本紙を購読しないと 子供たちの眼には届き辛い。子供達が新聞に馴染むというのは 新聞社の未来にも影響する大事な事 コンピューター画面とか スマホばかりを見ていた 眼を幼くして潰している子供が続出しているという。『眼』 紙媒体 新聞の復権のキーワードになると良いと思う。
2023.08.31
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昨日 夕食を共にした友人から『柳居子さんは、政治の事は殆ど何も書かれないのですね。 健筆だから 政治 まつりごとを書かれると 読者も喜ぶと思いますよ かくいう私も興味が有ります」と言うから『私は連載を続けていく上で、決めている事が有ります。宗教と政治の事と 亡くなった人の事を悪しく書く事はしない 』旗幟を鮮明にしないのは 父 柳居の遺戒 客を迎える仕事は 色々な立場や考えを持つ人がお越しになるから 政党とか宗教とは距離を取れ 宗教は 人間をある意味狭くするから どの宗教とも等間隔を取る様に これは 理容の仕事をしていく上での 処方箋の様だが 頑なに守っている。 日和見主義の様に思う事も有るが 個人の身で 政治に影響を与えるなんて考えられない 今迄参政権の行使で あの政治家に投票して良かったと思う事は一度も無かった。 投票した事で 裏切られたという思いも経験が無い。幅広く 色々な政党支持の客人がお越しになる。散髪屋自ら色を付けて発言や記事にする事はこれからもしない。宗教と言うのは 言葉の魔術 身近に居る者が 新興宗教に凝り固まって 読み本は 其の教祖さんが書いて者だけ 一辺倒 他の本とか諸々は何一つ興味を示さない 洗脳状態 一つの価値観だけで 世の中が動いていると思わせる木インドコントロールは 怖い。政(まつりごと)と 宗教に決して無関心では無いが、書かず話さずは柳居子自身の決め事にしているのだ。
2023.08.30
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『京都の事 何でも良くご存知ですね。柳居子さんの様な人を、通と言うのですね。』と 時々言われる。通とは通暁 知り抜いているという意味か? 自分が京都通 京都の物知りなんて考えた事も無い。京都の街は個人がフォローできるような町では無い。 拡がりとか深さが尋常では無いのだ。 知っているつもりの事が、少し時代を変えた視点で見たり読んだりすると。自分の持っていた知識・理解と言うのが、如何に脆弱なものかが判る事が有る。又特定の時代に特化して深くを知る事も出来ない事と思う。最近 新たな歴史認識の変った事が有った。 昭和三十三年四月 売春防止法が、罰則と共に成立した。それ以前京都の街には 遊廓 公娼 私娼含めて岡場所と言うのが 至る所に在った 御所の直ぐ近くの 白梅厨子や三本木 古くは公許の最初の廓は 柳の廓 万里小味冷泉 柳馬場押小路辺りに 秀吉が作ったのが最初とされているが 御所に近い 今の人が 方々に性欲の処理の場としての遊廓が有った事を 其の時代の人は好色な人が多かったのだと 考える人が多いかも知れないが、一概にそうとは言い切れない事情も有ったと推測するのだ。 古い資料とか書かれた物を読み解く時 其の時代の平均寿命とか 町と町との移動手段 掛る日数 そう云う事を頭に入れた上で読まないと 本当の事は判らないと思うのだ。先日 高瀬川溯上の船曳き人夫の写真と其の解説文を見て 柳居子思うに 其の時代の男たちが 幾ら頑張っても妻を娶り子を作り育てる 一家を支えるという事の出来る男は居なかった様だ 一家構えて子を為し生活を支える事の出来るのは 頑張り屋のエリートか 若しくは家柄良いという事。単純に食欲と同じく性欲の処理場が必要だったのだ。船曳き人夫の写真の解説には 高瀬川東 木屋町筋には これ等人夫を相手の私娼窟が軒を並べていたと書いてあった。売春防止法が施行されて、売春が御法度となった時 一番嘆き悲しんだのは 娼妓と言われた女たちと言われる『私達は これから如何して 食べていくの』という悩みを口にしていたという女性が社会に出て 活躍の出来る時代で無かった。 働き口と言うのは限定されていた。運よく器量よしに生れても輿入れ出来ないのは其れなりの苦労が付き纏う 全てに於いて今現代と単純比較は出来ないと 通のように振る舞って書き記す。
2023.08.29
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毎日曜日の決まり事の様に、祇園切り通しに在る喫茶店に出掛ける。 週一の客なんて そう売り上げに寄与する訳でも無いのだが、柳居子の訪問時間に合わせて、待って頂いている女性が居られる。喫茶店の直ぐ近くのお茶屋さんの大女将 柳居子より十歳程年上の人。 昔の話をしても もう其の年代になると 話しを聞いてくれる人も少なくなっている。たまたま柳居子の知っていた人が 其の人と大変昵懇の間柄だったりして 話しの途切れる事が無い。 殆ど聞き役に徹しているのだが、時々柳居子が口開く事に喜んで頂く事が有る。年顧みず脚立に乗ってバランス崩して 手の骨に怪我を負った時 手術を受けた。 『若い 若い 麻酔掛けて手術の出来る事が若いという証しや 本当のお年寄りなら 痛みの緩和ケアを選ぶと思いますよ』女性の身で 若いと言われて 気分悪くされる事は無い。 先日は 喫茶店を一緒に出て 別れ際 痛めた手を摩って『痛い 痛い飛んで行け』と唱えて『とうとう 肌触れ合う仲になったね。といった。大部前から 珈琲代は彼女が払ってくれている。多分最高齢のカールフレンドである。
2023.08.28
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コロナ過の影響が大きいと思うが、葬式とか回向の集まりと言うのを控えるケースが多く 家族だけで済ます人も多い。又 新聞の死亡広告も、葬式・告別式の案内では無く 生前のご交誼を謝すという内容が多い。このところ社葬と言う言葉を聞く事も無い、 身内を送る側に立つと、身内だけで送る事 これだけで良いのかと云う様な思いになる人も居られる様だ。 昨夜は『水谷道一 啓二からの 感謝の集い』水谷富子を偲んで という会にお招きを頂いた。 食事をしながら 啓二君のステージを聞きつつ ご母堂を良く知る大勢の人達に 若い時 飛びっきり別嬪さんだった 母親の思い出話しを聞かせて貰った。 サックス フルート ピアノ ベース ドラムスの入った 本格的なライブだが 演目は 参加者の年齢に合わせた皆がよく知る曲ばかり 一曲だけ 彼が ちあきなおみさんに提供した曲は聞き始めだったかも知れない。 啓二君の京都のライブには 必ずご母堂の姿が有った。お仲間誘い合わせてのその席は 超老席だった。曲と曲との間の母親語りは 皆がご母堂を想いだすという趣向 こういう弔いの方法も有るのだなぁと ふと 案内状の挨拶文を見たら 呼び掛けの筆頭は 故水谷富子 長男水谷道一 次男水谷啓二と書いてあった。 姿は見えぬが多分母親も会に参加していたのだろうる故富子さんとは面白い話を思い出した。 町内で手作り料理持ち寄りで一品作って皆で食事をするという会 柳居子は出し巻を三本作って持参 後日富子さんから出し巻を食べた感想を聞かせて貰った。『今迄食べた出し巻の中で、一番上品で、美味しい出し巻やった 又 作らはったら宜しく』という声掛けを頂いたまだが 果たせなかった。 年末に買い求めた 花かつお冷蔵庫の奥に仕舞い忘れたのを 残っていた物袋ごと全部 たし巻の出汁に使ったのだ。残り物利用の出し巻 『今迄食べた一番の出来』と言われると 穴が有ったら入りたいという気分になったという想い出が有る。 楽しく 二時間あまり゜ 過ごさせて頂いた、 水谷さん有り難う。
2023.08.27
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福島の原発処理水の海洋放出が始まったそうだ。 其れと同時に放出処理が完了するのに三十年程掛るという事も 明るみに出た。原子力発電も化石燃料の一種と見做して、以前『パンドラの箱』という記事を十三年前と 四年前に載せている。一部分引用を考えたが 今処理水の問題は世上の大問題 全文載せるのが良いと判断した。2010.05.31パンドラの箱 ギリシャの神々が最初に人類に送り込んだとされる女性パンドラは、災いが一杯詰った箱を持ってきた。断り置くが女性パンドラが持ち込んだのではない 神々のご意思である。 ギリシャ発の経済不安はEU欧州全体を巻き込んで、経済統合のメリットを謳うつもりがデメリットを呼び 尚暫くの不安定要素をギリシャの神話が暗示するように全世界に撒き散らす。 米 ルイジアナ沖の石油掘削現場での原油流出事故も、パンドラの箱を開けて災いが飛び出してきたという感じがする。 何が凶暴かと言って 人類ほど質(たち)の悪い邪悪な種は他に類例を見ない。原油流失によって『生態圏への影響が懸念される』というコメントに人類以外の生き物という奢りが出ている。深刻な海洋汚染は、数多くの生物の直接生命や種の保存ための環境全てを奪う事になる。 地表に住むものは地表で採取できるもので命を繋ぐのが正しい方法 今流行の地産地消 エネルギーも然り 膨張し続ける人口を養うには海底深くの資源にも頼らねばならない。地下資源は我々の子孫も当然使う権利があると思うに 枯渇する其の日まで使い尽くす事だろう。 原油掘削のプラツトフォームでは、流失防止に懸命だが実効が上がっていないし失敗の報もある。開けたパンドラの箱は誰かが閉じねばならないが開き放ちの状態。 ギリシャの神々もまさか海底深くに置いたパンドラの箱まで開けると想像もしていなかったと思うに。2019.09.18パンドラの箱〖汚染水問題〗 環境省前大臣の発言を巡り、色々と取沙汰されている。増え続ける汚染水の処理 今の人智に、海上投棄以外にどの様な手段が有るのだろうか。皆が其の事を薄々知っている。しかし誰も口にはしない。国の環境面の安全を束ねる人の発言だから 頗る発言の重さ影響が大きい。 絶対突いてくると予測した 彼の国が 国際原子力委員会で、高らかに反日のアピールをしていた。単に汚染水だけの問題では無くなってきた。このタイミングで、原発全面廃止を唱える人の息子が 環境大臣になった。この任命と前大臣の発言も、何となく筋書が有ったのかと思うほど まつりごとの世界は魑魅魍魎の集まりという思いがするのだ。 ギリシャ神話の最高神 ゼウスが 全ての悪災を封じ込めた箱を 人間界にいくパンドラに持たせたのだが、決して開けるなと言われると開けたくなるモノ 好奇心からその箱を開け あらゆる厄災が箱から逃げ出し 人々に色々な災いをもたらしたとされる。箱底に希望だけが残されていたという。 化石燃料 地中や海中から燃料 〖火〗を取り出す事を会得したのが、人類の近代化に大きく寄与したが、同時にパンドラの箱を開けたことになったと、以前『化石燃料パンドラの箱』という記事を 大規模な原油流出事故の時、本サイトに載せた事が有るが、原子力も然り正しくパンドラの箱を開けた事になるのだろう。環境省の汚染水対策 処理技術が確立するまで 此の侭増やし続けて行くことが出来るのか。何等かの対策が有るとすれば 海洋投棄以外に手は無いと思うのだ。 汚染水処理とか除染に付いては その作業をする人が全国から集まり、結構な稼ぎになるという。そう言えば昔 建築労働者の確保の爲 殆ど監禁と言われた「たこ部屋」という話しも聞かなくなった。 原発反対を声高に訴える人も沢山居られる。目下台風の影響で停電中の千葉県の被災地にも居られる筈。この際原発発電も致し方なしと思っていられるだろう。常に原子力発電の電氣を使っているという事は、議論の対象から外れた関係の無い話し 空論の様に柳居子は思うのだ。今更パンドラの箱を閉めても意味が無い 行き尽く所まで行くしかないとも思う。三〇年という期間は、今の政治の世界では考えられない話し 全責任を負うと総理は仰ったが、明日は判らぬ我が身の事 案外影響軽微という大局的判断をされたのかな 当面漁業関係者のサポートをすれば納まると見たのかも知れない。
2023.08.26
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青天の霹靂と言うのか 予想も下馬評にも上がって無かった学校が、頂点を極めた。 日本人なら誰でも知っている一万円札に描かれた人が、教育の場として開かれた「蘭学塾」として始まった学校は、その後『慶応義塾』と改名学制の変化も有ったが今に至る。 未だに『塾生』という言葉が飛び交う。 朝の珈琲屋 柳居子の一席置いて隣に元塾生が座る。自宅と仕事場は歩いて二分も掛らぬ距離だが、朝の出勤は大遠回りして値の張るコーヒー一杯飲んで仕事場に向かう 高校は母校では無いが 慶応絡まりは我々が想像も出来ない程強固。 勝残っていよいよ決勝の朝 とてもテレビ観戦では身の置き所が無いとおもったのか 朝一番 これから決勝戦見に甲子園まで出掛けます 『如何考えても 相手は強豪 勝てる相手では無い』と言いながら 負けた時の自分慰めを言いながら出掛けた。 ヒートアップは球場に着いた時から 大応援団だったという。当日売りの内野席はあっという間に即売 外野席で見ていたという。 慶応義塾出身の人と言うのは 老若併せてどの位の人数になるのだろう 万の単位では無い 何十万の人が テレビ画面で手に汗して応援したに違いない。 彼は外野席では有るが 優勝の現場に居た 其の事は大きい。「慶応が百七年ぶりに優勝した時 私は其の現場に居た。これは数多くの塾生仲間に誇れる事 朝の珈琲屋では、何処かへ出掛けたとか 特別旨い物を食べたという話しが出ると 平均年齢的に「良い冥土の土産が出来たね。」と声が掛る。数多くの塾生差し置いて百七年ぶり二度目の優勝の現場に居た゜ これは立派な冥土の土産になると思うのだ。 未だ本人には言って無い。
2023.08.25
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度々書いている事だが、 父柳居は、十四人兄妹の末子 八男で姉が六人いた。 一番上の姉は、私から見れば従妹だが父より三歳年上 親娘で競って子どもを産んでいたのだ。 昔の子沢山は、其れなりの理由の有る事で、育つか育たないか 見極めてから出生届けを出すという事も有ったらしい。百年以上前に流行ったスペイン風邪(インフルエンザ)では、父の姉や兄が続けて四人も死んだのだが、 其れでも十人残っている。悲しんでいる間は無かった様だ。 今から三十年程前、柳居子が音頭取りで 十人残った兄妹の次の代 従妹会を開いた。末子の子の柳居子は当然の事ながら一番年若い。始めての会は大盛況 洛北高尾で茶店をやっている従妹の店に集合した。 店始まって以来の賑やかな客だったそうだ。 儂が喋るから皆黙って聞けという者ばかりだと 収拾がつかなくなる。 話しが会うというのは 柳居子より父柳居 共に育った年代が沢山居るから 儂も一緒に仲間に入れてくれと言うのを これは従妹会やから お父さんは参加資格無しと断った。 残念そうだった顔が眼に浮かぶ。 その後何度か従妹会を開いたのだが、 従妹の一人が商いが立ちいかなくなって 親戚に金を借りまくったという事が有って 皆が集まるとそう云う話になって、本来の同じ木の枝分かれという会の本旨から外れる事になって このところ十五年程 会は開いて無かったのが 次々と従妹も欠けて行き 消息の判っていた最後の一人も先日亡くなって 従妹会は完全に終焉を迎えた。 親戚付き合いと言う言葉も 姿を消しつつあると思う。
2023.08.24
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若い時に比べてという書き出しで始まる記事は、いつも年取ったとか、レベルが下がったという内容の文になる。 遠来の外国人客が 店に入って来たら.直ぐ渡すのは『もう七十八歳の老人だから 今風のトレンディな髪型に刈る事は出来ないかも知れませんが 精一杯頑張ります。若い時は散髪が上手で 手も早かった。若い時貴方とお眼に掛れなくて残念。』というペーパー 英文・仏文・中文を準備している。七十八歳の老人で良いのか_? という言質を取っておくことは必要な事と思うのだ。 先日やって来た外国人 散髪全て終わって 例の朱印帳 メッセージ欄を開けたら この前来た時 メッセージを書きましたョと言う 大事なリピーターの顔を忘れていたのだ。一年半程前にお越しだった 其のページの余白に 仕方なく 『この前来た時と同じ 腕は落ちていない』という内容と日付書いて下さいと頼むと 『OK OK』と英文で短い文を書いてくれた。 名前とか顔が判らない 声掛けられて 話しが始まるまで何処の誰かが良からない事が時々ある。惚け呆けとは違って 記憶の糸が少し混乱しているだけと勝手な解釈をしている。 何時も出掛ける 食品スーパーで 胡瓜を買おうと思って出掛けても 店頭で野菜市 ネギ・茄子・かぼちゃ が特価販売しているとそちらの方へ眼が行き 胡瓜の事は家に帰るまですっかり忘れている。翌昼は胡瓜の酢の物の無い弁当になる。刃物扱う客商売 体躯の老いは隠す事は出来ないが 相手に不安感を与えてはいけない。 未だ現役で通用しますか? と時々客人に尋ねる。 弱ったなぁと思った人は お越しにならないと思うし 大丈夫と言われても額面通り受けて良いものか 等と考える。大勢の人との繋がりが今を支えて頂いているのだと思う。
2023.08.23
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地元紙の 情報ワイド版という欄に、 豪華執筆陣 新たな切り口で『左京区を多角的に読み解く』という企画を載せている。 旧知の樺山記者の記事 又佐藤守弘同志社大学教授の名前も載っている。左京区 鴨川東は、古くは水利の関係で 米作りには適さなかった様で 果実、花造りが伝統的な仕事だった様だ。京都市が未だ 上京・下京しか無かった時代 今の左京区域の人口は、今では想像の付かない程少なかった.第一回の国政調査の資料が手許に有ったが、如何見ても洛外 洛中洛外の接点とでも言える 出町界隈に 農機具とか 花や種苗を扱う店が今も残っている事で判る。 仁丹の琺瑯看板を凝る限り 市域ではあっても 生活営みをする人は少なかった。 替わりに天皇家由来の人とか 高僧の居た事を以って寺にしたケースも多い 遥か昔に廃寺になった寺名が其の侭町名 地域名に残っているケースも有る。それぞれの時代 読み解く材料は 際限なく有る。 北白川に住む身で 身近な疑問は 北白川が在って何故「南白川」は無いのか? 横町の東洋文献センター【東文研】今は京都大学の管掌になっているが建物は外務省予算で建てたと聞いている。 大陸侵攻の一つの基点だったのか? 琵琶湖疏水 松ヶ崎支流の開鑿当時と 今の利用目的は如何変ったか 店から自宅に戻る道筋 旧名『滋賀越え』と言って 荒神橋少し北から 北東にまっすく伸びる道を通るのだが 東一条 京大前 吉田神社石の案内石碑の前から 真東に道が屈折して居る 京都大学を立てる時に道を曲げた様だ。 京大の塀沿いに自転車を走らせ 北にむかい 今出川少し下がった所から 滋賀越え旧道が復活して北東に進み 巨大に石仏『観音像』に至る。 学校を建てる時 人々が通る道を曲げる事の出来る時代だったのだ。生れ育った地では無いが 住み始めてもう三十年位になるかな 多少の事は判って来る、多角的な読み解きに期待したい。
2023.08.22
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