ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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カテゴリ: 橋物語


 かつてヴェネツィアには、たくさんの「救護所」がありました。巡礼の途中で行き倒れた人のための宿泊所。ハンセン病患者のための救護所。貧しい人々のための避難所に孤児院など、ヴェネツィア本島内にも周りの島にも散らばってありました。

 この橋の前にあった救護所は、コルティジャーナ(高級娼婦)として名を馳せた、ヴェロニカ・フランコ(1546-1591ヴェネツィア生まれ)が設立した、娼婦たちのための救護所でした。

 美しさだけでなく、文学、特に詩人としての才能で、ヨーロッパの宮廷や貴族の男たちに賞賛されていたヴェロニカのような女たちは、以前書いた「おっぱい橋」のまわりにいたような娼婦たちとは、全く別のカテゴリーに属するものでした。

 扱われる時は貴婦人で、行動には貴婦人よりもずっと自由があり、男たちからだけでなく、女たちからも憧れられる美と知性を持っていたからです。

 本当の共和制に近い政治形態を持っていたヴェネツィアでは、「市民」の力が強かったため、女性も他の国よりは、比較的自由に振る舞っていたようです。それでも、女性が自分で選びとった意志で自立して生きるのは、ほぼ不可能な時代でした。

 ヴェロニカの残した詩や手紙の中にも、それを嘆く言葉が見られます。だからこそ、名を馳せ財を成した後も、女性、とりわけ人々からも蔑まれる貧しい娼婦たちを援助したい気持ちがあったのでしょう。

 病気を移されたり、経済的に困窮した娼婦たちを一時的に救護し、転職したい者には、手仕事を教える、職業訓練的なところも持っていました。
 この救護所は、ヴェロニカが亡くなった後も、200年以上続いたということです。





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Last updated  2008/08/15 06:06:08 PM
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