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5月25日深夜、母は静かに息を引き取りました。平成11年5月に直腸がんが見つかり丸七年。その間に直腸の手術4回。そけい部リンパ節2回。肺2回。腸閉塞1回。合計9回の手術をしました。そのほかにも、抗がん剤。骨盤内の放射線治療。直腸局所再発の重粒子線治療。多発性脳転移のガンマナイフ治療。 合計3回の放射線治療をしました。腸閉塞の手術をし、4月7日退院した母は、手術の後遺症で下痢になってしまいました。今まで使用してたストーマーでは処理しきれず、便が出たときは、パジャマからシーツまで汚れてしまい、1日2~3回は着替えなくてはいけず、しかも手術後ということもあり体も思うように動かせなくてそのたんび悲しくて母は泣いていました。その後、ストーマーのサイズをかえたら漏れ出す心配がなくなり、処理も楽なタイプになったので母もトイレ行って処理できるようになって母からも笑顔がこぼれてくるようになりました。4月に介護保険が改定され、2号被保険者にも癌末期で介護認定が申請できるようになり、早速介護認定の申請もだしました。それからは、手続きとかで毎日のように市役所の人やケアマネ、訪問看護、訪問診療来たりしてて忙しい日々を過ごしていました。同時に私もヘルパーの資格が取得でき、事業所に登録をし、仕事の準備をはじめてました。4月18日退院して初めての診察。母はお小水の出が悪く、色も血尿みたいと心配してて血液検査をしました。すると腎機能が弱ってて自力で排泄するのが難しくなってきてることがわかり、バルーンをいれることになりました。母は袋を常時ぶらさげてないといけなくなり、もう外出はできないと泣いてました。4月21日。夜、父から普段と違う下血してるから見てくれ。と電話があり、見に行くと確かに今までとは違う下血でした。心配になり病院への診察をうながすと、このまま入院になるから嫌だと泣き出す母。発熱もあったので救急車で病院に行き、診察をうけました。結果、貧血もないので大丈夫だろうということで帰宅。母は入院せずすんだことに喜んでいましたが、思うように歩けないと言ってました。私は熱のせいだと思っていました。4月22日。前日まで発熱や普段とは違う下血があった母が歩けないと言って泣いて電話してきました。発熱があったのでそのせいかなとも思ったんですが、脳転移をしてたので悪化の心配もあり、病院に行って入院になりました。検査をすると、脳転移の部分が大きくなってきてしまっててそのまわりもむくみがあり、そのせいで歩行に支障がでてきてると言われてしまいました。一番嫌なことが起きてしまいました。治療法は・・・もうありません。ただまわりのむくみを取るステロイドを注射すればむくみが引いてくるので歩行もできるようになってくると言われ、治療をしました。が、そのステロイドは欝になるという副作用がありました。GW,リハビリを受けた母はベッドに戻るさい、ふらついてしまったそうです。父が帰宅してすぐのことでした。病院から電話があり、母の精神状態がおかしいのですぐ来てください。と言われました。行くと母は個室に移されてました。何日か前に、歩いてトイレにいけない母はストーマーのケアを病室でしてました。そのとき、同じ病室の1人ににおいが我慢できないと窓をあけられてしまい、自分はここにいてはいけない存在なんだ・・と泣いてたときがあり、その2つが原因で母の生きたい!と今までがんばっていた糸がプツリと切れてしまいました。個室に移ってからはおお泣きすることはなくなったものの私たちに会うたびに涙を流すようになりました。ベッド上で座りながらも食事してた母が起き上がれなくなり、寝たまま食事をとるようになりました。痛み止めもパッチ10だったのが、あっというまに17.5までなってしまいました。5月13日。母は泣きながら「孫に会いたい」と私に電話してきました。夜しか顔を出せない日だったので「もう少しで行くから待っててね」と言って夜顔を出しました。母はとても喜んでくれました。そのとき、母は「お父さんのことよろしくね」と言いました。それが母との最後の会話になってしまいました。また明日来るからね。と帰り、次の日行くと、母は会話ができなく、寝てばかりの状態になってました。5月14日。父から「母が痛いから殺してくれ」と看護婦さんに言ってると電話がありました。12日の日にも看護婦さんが栄養点滴しようか?との声に母はもう治療はいいと拒否してたので無理な治療は本人がのぞんでないから自然にまかせてあげてと頼みました。5月15日。先生も母からの確認が取れたようで痛み止めと栄養点滴を開始。そこから母は起きても目を開けるだけ。で、またすぐ寝てしまう。状態になってしまいました。12日の時点では後3ヶ月くらい。だから気分転換のためにも来週の水曜に退院していいですよ。と言われてたのに・・・・在宅介護の体勢も退院した翌日から利用できるように整えたのに・・・・15日の先生の話は、後1週間くらい・・・と厳しいものでした。でも、本当最後の入院してる母は本当辛そうで、その母にこれ以上がんばれとは言えませんでした。「先生、お願いですからこれ以上苦しい思いだけはさせないでください」とお願いしました。5月25日。母は父も気づかなかったくらい安らかに眠りにつきました。最後まで自発で呼吸をし、痰をからませたりして苦しむとかそういうことはまったくなく、この10日間はスヤスヤと今までの痛みとのたたかいとは無縁のものでした。意識がわからなくなって10日間。さよならなんてしかくなかったけど、母は私たちに覚悟する時間をくれたんだと思います。今日は納棺でした。25日のうちに自宅に戻った母は久しぶりに自分のベッドに横たわり、その顔は微笑んでいました。葬儀も住職の都合で1週間も先になってしまいました。遠くからきてる親戚は正直困ってる顔してましたが、きっと母は1週間くらい家にいさせてよ。と思ってる気がするんです。私も母とすぐにさよならするより、1週間の時間があるのはうれしいです。お母さん、今までありがとう!私はお母さんの娘で本当よかったです。
May 27, 2006
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