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コドモごころに
こんなにキレイな顔してるのに
なんで
相撲ナンカ
とってるんだろうと
テレビで観るたび思っていた
第48代横綱大鵬・納谷幸喜さんが
亡くなった。
合掌。。
昭和30年代
ちゃぶ台にのぼる「卵焼き」
は御馳走だった。
巨人は置いといて、、
と言いたいが
悔しいが置いておけないほど
草野球、
というか
草も生えてない泥んこ空地
で野球に興じる少年たちの
背中は
ぜ~~んぶ
3番
で
サードばっかりいてどーすんだよ状態であった。
ベル姉は男の子とも
よく遊んだので
「コンバットごっこ」
をよくやっていた。
石ころを手榴弾に見立て
しゅっ!
と投げては
臥せっ!!
そして匍匐前進
てなことをやって喜んでいた(笑)
そういえば
「丸」
なんていう
軍艦やら戦車やらゼロ戦やらが
いっぱい載ってた雑誌があったな。
かといってまた戦前に戻るのかムードなぞ
まったくなく、
東京タワーはできるわ
新幹線は走るわ
ついには
東京オリンピックである。
「日本のいちばん幸せな時代」
とのちに言われることになる
「あの頃」である。
高度成長という太陽が
燦々と輝いていたが
光には影がつきもの。
オリンピックのために
壊して壊して
建てて建てて
人は溢れ
また反対に追いやられ
特に東北からの出稼ぎ者が
過酷な環境での労働を強いられた現実は
奥田英朗さんの
「オリンピックの身代金」
で今さらながら思い知らされる。
好青年がヒロポン中毒になり
秋田出身の白い顔は
どす黒くなり
ギラギラとした目で
「オリンピックを誘拐」
し
「国」
に身代金を払わせようとする
たったひとりの戦いに
肌が粟立つようなその様は
読んでいて胸が詰まり
彼の計画の
「成功」
を強く願ってしまう。
北京オリンピックのとき
かの国の
ムチャクチャな光景を見て
日本は、日本人は
上から目線で
批判したり笑ったりしたが
なんのことはない
あの時の日本も
ほとんど同じだったのだ。
そんなことなぞおかまいなく
小学生のベル姉たちは
授業を中断しての
テレビ観戦に夢中だった。
そして今また
「東京オリンピック招致」運動が
盛り上がっている(?)。
玉木正之氏は
「東京はオリンピックを招致するには
成熟しすぎている」
と言われたが
その感覚はよくわかる。
ベル姉も
「東京オリンピックよもう一度」
の心境にになるには
成熟
というより
「煮詰まり」
過ぎている。
9歳のこどもにはもう戻れない(笑)
その子供たちのために若い世代のために
というが
勝手に(?)託してしまわれる当事者は
果たしてどうなのだろうか。
カープとはぜんぜん関係ない日記ですが
ぽちっとしていただければ嬉しいです
大鵬さんだけでなく
長身痩躯の明武谷
(かっちょえかったわ~)(*^。^*)
若秩父
(「わかちちぶ~」、って
「コマネチっ!」と同じくらい
ウケた)(笑)
個性的な力士がたくさんいたなぁ(*^。^*)
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コレを書いた後
タクローさんのブログを見たら
「月刊丸」の広告が載っていた
びっくりしたーーーー!!\(◎o◎)/!
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komatta3さんコメント新着