なんとなく、おいしい・・・・
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例年今年の振り返り、なんて書かないのですが、今年のような「人生最大の試練の年」と思えた年は無かったかなと思うので、記録として残しておこうと思います。5年くらい前のことでしょうか?夫が仕事を辞めて、長野の実家に戻って両親の面倒を見ていました。戻ってから1年後に義父が亡くなり、義母と夫と2人で暮らし、夫は月1回くらいのペースで神奈川の自分の家に帰ってきて、大好きな落語に行ったり、私と一緒にコンサートや飲みに行って介護の息抜きをしていました。その夫から連絡が来たのが6/23。いきなりの末期がん宣告です。すぐさま、私は長野に飛んで夫の入院の手続きや付き添い、そして、認知症を患う義母の介護をすることになりました。神奈川の病院への転院を希望し、10日くらいで戻るつもりでいたのですが、どんどん夫の容態は悪化。そして、7/9に夫は亡くなりました。6/27に入院してわずか13日。本当にあっと言う間!と思うほど短い入院。早朝に亡くなり、家に戻った時には空に虹がかかっていました。この虹の写真を見るとあの時の空っぽになった私の気持ちが蘇ってきます。もう少しで亡くなりそうな時、夫が亡くなった時はきっと大声で泣き叫ぶと思っていたのに、そうじゃないんですね。悲しすぎて泣けないのです。その後長野で火葬と通夜、神奈川で葬儀とめまぐるしく過ぎ、息を付く暇が無いってこういうことなのだな、って言うことを実感しました。お金の管理はまるっきり出来ない、自分で料理も食事の用意も出来ない義母をひとりにさせておく訳に行かず、私が面倒を見ることになりました。話好きな義母は、食事を私と一緒にしたがりました。義母は、何度も同じ話を繰り返し、繰り返し、私にしてきて、いい加減にうんざりしていたのですが、認知症を患っていると、さっきのことも忘れてしまうのですよね。火の不始末が心配なので、仏壇のろうそくの火も私が付けてあげて、チャッカマンは隠していたのですが、お線香をあげたばかりなのに、ガス台をひねって、また線香の火を付けようとしていましたし、エアコンをかけているから、ドアを閉めてね、と言ってるのに一日に何度もドアを開けっぱなしにしていました。市にケアマネさんをお願いしても、すぐには対応してもらえず、介護保険を使ってデイサービスに通えるまでの1か月くらいは常に一緒にいる生活。夫の保険の申請や預貯金口座、ケータイやサブスクの解約など、それだけでも大変なのに介護をしながら、義母がお世話になる施設選びも並行して行って息の詰まる思いでした。いちばん辛かったのは、義母が仏壇に手を合わせる度に夫の名前をつぶやき、すすり泣きするのですよね。こっちだって胸がつぶれそうなくらいにしんどいのに本当に堪えました。その中でも救いは子どもたちでした。2002年にこのブログを開設した時に園児だったちあもそれから20年以上も経てば立派な大人で、今は理学療法士の仕事をしています。仕事柄、認知症の老人のことも良く知っていて、私の愚痴を優しく受け止めて聞いてくれました。義母の施設選びも一緒に付いていってくれて、アドバイスもしてくれ、本当に頼りになる子どもです。そしてお兄ちゃん夫婦は、相続に関わる手続きを全て行ってくれました。土地の名義変更だけでも法務局に4回くらい足を運んでいました。夫が亡くなって、認知症の義母の介護を一手に引き受けて・・・・個人的には人生で最大の試練の年だったと思っていたのですが、ここまで来られたのは子どもたちが居たお陰。これからも頼りにしています!!!
2023年12月31日
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