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21号台風は現在枕崎市付近にあるようで、予想によると太平洋側沿岸を北上するらしい。

小学生の子は休校で、家で寝ているその姿を横目で見つつ、自分は出勤してきた。ビルの外を吹く風は、それなりに強く、窓辺に響く風切り音は、なかなかのものである。

昨夜は長女の英語の勉強を手伝ったが、多少なりとも直訳的にならざるをえないとはいえ、プリントに書かれている”日本語”の部分には奇妙なものが多い。

直訳調のメリットはある。学習するという場面で英語と日本語の対比を考えた場合、どの言葉がどの言葉に応じ、応じているはずの二つの言葉の概念がどのように異なっているか、ということを把握するには便利だ。

だが、その対訳の日本語で、良い直訳調と悪い直訳調がある。良い直訳調は不自然だが日本語の文章として成り立っている。悪い直訳調は、不自然以前に日本語として成り立っていない。

そうした悪い直訳調に対する違和感を、問題を作成した側が感じていないのなら、大きな問題だろう。

英語力のない英語の教師の問題は以前から取りざたされているが、国語力のない教師或いはプリント作成業者(?)の問題にも目を向けるべきなのかもしれない。

先日読んだ某著に(この本は読後まさしく我が意を得たりと膝を叩いたものだったが)”英語ができず英語コンプレックスを抱えている人間ほどカタカナ語を使いたがるような気がする”といった意味の文章があった。

自分の仕事の中でも、コア・コンプライアンスだとか何だとかカタカナ語が多くなっている。その大半はきちんとした日本語にできる概念だ。或いは、既存の日本語が無くとも造語できるはずの概念だ。が、しかし、行政からの文書の中にさえ、敢えて言えば”独りよがりな”カタカナ語が増えつつあるように思える。



日本には日本語の枠組みをベースにしたクレオールだけが残っているのかもしれないと思えば、何やら恐ろしいような楽しいような、二律背反の奇妙な感覚にとらわれる。

果たして”日本語”は何処へ行くのか…300年くらい生き抜いて、見て聞いてみたい気もしてきた。ああ、不老不死になりたいぞ。





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最終更新日  2004年09月29日 10時08分17秒
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