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暑い日々が続く。そして、仕事は厄介な問題が山積みしている上に、明日と明後日は出張だ。上の二人が行く予定だったが、お前も聞いておけ、ということで、急遽、出張が決まった。先月末には鹿児島での会議に行ってきたばかりだというのに。さて、自分の休日はネットで動画を見たり、本を読んだり、たまにカミさんの用事を手伝ったり、個人的な仕事を片付けたり、実にインドアな生活を送っている。定年迎える前に早々に粗大ゴミ化しているという噂もあるが、今の我が家では、カミさんも二人の子供も各々の好きな事をやっている為、自分としては実に気楽だ。夏休みの時期、例えば小学生など幼いお子さんをお持ちの方は、本当に大変だろうと思う。そういうわけで比較的自由に時間が使えるのだが、最近、身近な知り合いが動画作成とブログを始めたおかげで、少しばかり刺激を受けて、再度ブログを書き始めようかと思い始めた。とはいえ、暑い最中、パソコンに向かうのも少し億劫で、古い二階建ての二階は、夏には暑く冬には寒い季節通りの天然冷暖房。文章を書く作業には実に不向きな環境なのだ。今に始まったことではないが、そう、二階にはクーラーが無いのである。一階のリビングに行けばクーラーがあり、それなりに快適だが、下の子(男)は二階の一室にこもり、この暑い中でも部屋のドアを締め切っている。オヤジとして干渉する気はないので、熱中症にだけは気をつけておけというくらいしかない。上の子(娘)の方は、自分と同じ部屋で、彼女所有のノートパソコンで動画を見たり、最近はPSPでモンハンやったりと忙しい。時折、**が倒せたとか死んだとか報告してくれるが、二十を越えた娘が小学生のように一喜一憂する姿を見ると、オヤジとしては、恋人の一人でも作って、どこか遊びにでも行けと(心の中で)言っている。そして、テレビっ子のカミさんは居間でテレビを見つつ、飲みものを取りに降りた自分に、子供らが幼い頃から言い続けてきた言葉を、毎日口にしている。二人とも全然勉強せずに遊んでるから、どうにかして、と。特に下の子は大学受験の年であるにも関わらず、成績が下の下でありながら遊んでばかりいるのだから、言いたくなる気持ちも判らなくはないが、やれと言われてやるくらいなら、その愚痴をこぼす状況に今なっていようはずもない。自分は子供達が若い内にいろいろ失敗して欲しい。失敗することでしか学べない事は多い。若い間の失敗は買ってでもした方がいい、というのは至言であると思う。年をとり責任が増せば、様々な事情にがんじがらめになっていくのが、社会の中に生きる人間というものだ。若い時ならば失敗を新たな飛躍の為の翼にもできるが、年齢を重ねれば重ねる程、失敗は翼ではなく重い鎖へと変わり、当人を締め上げることになりやすい。それは意識の問題ではなく現実である。とりあえず住宅ローンも終わったオヤジの役目としては、定年までしっかり働いて日々の生活費を稼ぐことが最重要ではあるが、それだけでは社畜であり家畜であり、人生の奴隷を続けるだけの日々となってしまう。いっそ、このブログ、じたばた日記から「枯れ記録」にでも名称変更しようか(笑まぁ、ぼちぼち再会しようかな。
2013年08月20日
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さて民主党の支持率が酷い事になっている…が、これも当たり前と言えば当たり前。前回衆院選時と比べれば、自民党と民主党は完全に逆転する結果となっている。当時の状況は、誰が言い出したか、「自民党にお灸を」だった。マニフェスト選挙と言われているにも関わらず、民主党のマニフェストをまともに読まずに民主党に票を投じた人も多かったように思い、付和雷同することの愚かさに失望もした。そして、与野党逆転。お灸をすえた効果があったかどうかは、更に時間を経なければ判らないが、一つだけ言えることは、お灸が終わればモグサは灰になるだけ。現在の民主党はモグサの灰と燃え残りのような状況だ。当時、民主党の躍進をメディアは歓迎したように覚えているが、メディアの煽りに動かされる大勢の姿に、自分はそれこそ軍靴の足音が聞こえてきた。国を戦争へと駆り立てる「空気」を作り上げるのは、やはりメディアの仕事(苦笑)なのであろうと得心した次第だ。今回のPC遠隔操作事件によって改めて見えてきたと思うのは、メディアは何処かの広報であって、それ自体に意志は無いということだ。もちろん、スポンサーの事は悪く言えないという大人の事情は含みおきながらも、未だメディアによる報道を真実ととらえる人達は多い。マスメディアとマスコミの違いというのは判り辛く、意図的に混同されてきたようにも思うが、マスという言葉を外してしまえば、メディアとコミとなり、コミは元はコミュニケーションの略語だ。マスはmassであり、集合した全体を表す。メディアはmediaであり、媒体のことだ。マスコミは、マスの為の通信・情報・伝達ということになり、マスメディアと意味上で大差はない。今も昔も一部のメディア関係者による広報であったと言える。マスコミに対してミニコミという言葉もあるが、ここには規模の大小による対比があるのみで、コミの部分についてはマスもミニも変わらない。情報の送り手と受け手とが比較的明確に別れている。さて、既存の「コミ」にとって脅威となりつつあるのが、実は「発言する場を持った個人」だ。メディアはマスコミのモノで、メディアとコミが一体であった時代には起こらなかった現象が、今起こっている。インターネットは正しく「情報を媒介」する仕組みであり、世界規模で広がるという意味において、既存のマスメディアを凌駕する。それが当初アメリカの軍事目的であったかどうか、あるいは接続の仕組みを大手企業が握っている、等々の事実があったとしても、一個人が簡便に使用できる超巨大メディアであることは間違いない。広域ネットワークが無い頃、かつて一個人が意見を全国的に発する場所は、マスコミによって用意された場所しかなかったと言っていい。もちろん莫大な資金があれば別だが、そうした個人の資産状況に左右されずに、例えば一人の私人が日本中に自分の言葉を伝えることなどできなかった。企業等で新聞に広告を出すという作業は、マスコミの中に金銭で場所を借りるということである。ヤクザのしのぎではないが、ショバ代を払うということにおいて構造は変わらない。であるから、極端な話、マスコミ側の資金が潤沢であれば、スポンサーの顔色を伺う必要もない。NHKがまさしくその状態である。マスコミはマスメディアの使用権を企業に貸しだし、それによって利益を得ているのは、小学生でも知っているが、ネットワークが発展しインターネットに誰でも接続できるようになれば、マスコミの握るマスメディアを利用する価値は減少していく。現実に広告収入の統計では、その傾向を強めていることが見てとれる。マスコミがメディアを独占する時代は終焉を迎えつつあるのだ。そうした状況の中で、マスコミによる欺瞞が様々な人から批判され始めている。マスであれミニであれ旧来の「コミ」と関わりをもったことがある人間ならば、時に容認し時に憤激した経験を持ち、旧来の「コミ」の問題点に気付かされたことと思う。多くの人々がマスコミは「火種の存在を伝える」ものだと思っていた。現在もそう思っている人がいるだろう。しかし、マスコミは時に「火種を作る」作業も行っていることに気付いた人達が増えている。マスコミもまた、消えかけたモグサであるのかもしれない。個人の情報リテラシーが更に上がっていけば、遠くない日に、旧来マスコミは存在しえなくなるのではないか。もちろん、ネットというメディア上でマスコミは生き続けるだろうが、その時、果たしてそれはマスコミと呼んでいいものだろうか。一時期、雨後の筍のごとく生まれたミニコミ誌には廃刊したものも多く、広告チラシを集めた無料誌がコンビニを含め様々な場所に置かれている。会社勤めをしていれば、OLさん達がそうした無料(チラシ)誌を時に熱心に読んでいることに気付くだろう。好んでミニコミ誌を購入する人達も減っている。テレビであれラジオであれ印刷物であれ、最後まで残っていくのはエンターテイメントだけなのかもしれない。しかし、おそらくはニッチな存在としてのみとなろう。事実として、我々はダイナミックなパラダイムシフトの真っ只中にいるのだと、確信している。
2013年06月25日
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PC遠隔操作の件をネット上で読み漁っていて、知ることになった。「立件」…普段から目や耳にする言葉だが、これが法律用語でもなく、行政による定義もなく、ただメディアによって便利な言葉として使われているだけ、という事実。日本誤報検証・報道被害救済サイトで今回のPC遠隔操作事件のことが特集されている。そこの代表で弁護士の楊井人文氏のブログは必見。我々が(自分だけか?)法律用語であるかのように錯覚していた「立件」という言葉が、なんのことはなく、根拠のないイメージ語であったことを知り、個人的には冷や汗をかいている。ニュース等で「立件」という文字を見聞きすれば、おおよそ一連の流れが脳裏に浮かぶようになってしまっており、裁判所で有罪判決を受ける前から「こいつが犯人か」というようなイメージが作られる。自分の無知を恥じ入るばかりだが、これを機会に「刑事訴訟法」をじっくり読んでみようかと思う。
2013年06月25日
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すっかり Kindle にハマっている(笑購入した有料本を読まないまま、無料本ばかり読んでいる気がするものの、そこはまぁどうでもいい話で、Kindle を使ってそうした本を読んでいると、下部のじゃまにならない場所に読了までの時間が表示される。これは最初気にしていなかったが、少しばかり中弛みして読み続ける意欲が薄れた際に、残りどれくらい読めば読了するかの目安になる為、では読んでしまおうかという気分を取り戻すことができる。読了までの時間がおおよそであれ判れば、次は何を読もうかなどという気持ちも漂い始めるわけで、読書好きを加速させる装置とも言えそうだ(笑Kindle洋書の無料版は想像以上に多く、何を読もうか、どんな内容なのだろうかと通覧すれば、あっという間に時間がたっていく。これも楽しみの1つではある。これは英文科に通う学生さんたちには必携の製品であろう。現代文学ならば紙の本よりも安く、英文学史上に名を残すような作者の作品は無料で読むことができる。お金は無いが意欲はあるのだという学生さんには、購入をお勧めするというよりも、一言、「買え!」と言いたい……「買わないと損だぞ」と(笑Kindle Paperwrite は、実感として本当に読みやすい。紙の本よりも読みやすい。日中の日差しの中で読んでも、帰宅途中の薄暗いバスの中で読んでも、極めて快適だ。自分は滅多なことでは後悔しない人間だが、こればかりは、早く買っておけば良かったと感じた次第だ。有限にして短い自由時間の中で、書籍の海を漂い、時に寄る島を見つけ、しばし読書という安楽の時を過ごす。買おうかどうか迷っているのなら、そして英書を読むのが好きであるのなら、迷わず買った方が良い。さて、表題の件だが、先日書いたように標準の中辞典では間に合わない為、早速「英辞郎」を導入した。初見の言葉や遠い昔に忘れてしまった単語を調べるのに、大変便利だ。「英辞郎」導入で助かったのは、何よりも発音記号が併記されていて、音を知りやすくなったことだ。読書速度という観点から言えば、脳内で音を再生しつつ読書することは速度を落とすことと同義であるから、あまりよろしくはないが、楽しみの為の読書でスピードも何もない。言葉のリズムを楽しみながら少しずつ読んでいくことを、個人として楽しむのを躊躇う必要などあろうか。Kindle Whitepaper … コンビニ受渡しで、7,960円英辞郎 … 銀行振り込みで、1,315円合計すれば、9,725円久々に「いい買い物」ができた。大満足だ。
2013年04月17日
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アマゾンで注文したのが先々週の金曜日だった。ファミリーマートでの入金と受け取りをを選択し、入金したのが明けて月曜日の朝だったが、その翌日、火曜日には指定したファミリーマートで品物を受けとることができた。仕事が忙しく実際に起動してみたのは、その日よりも後のことだ。3G無しのタイプを選んだのだが、最初はとにかく無線LANでアマゾンに接続しなければならず、それまではパソコンに接続しても中身を覗くことさえできなかった。無線LAN経由でアマゾンで登録作業、というよりは登録確認作業を行った後は、無線LANはオフにし、PC本体を母艦にしてUSB経由で購入書籍をダウンロードした。有料分は6冊程で合計すれば1500円に満たなく、その他で無料分を13冊程をダウンロードした。初見の感想としては、通常のペーバーバック(印刷物)よりも圧倒的に見やすく、周囲が明るかろうが暗かろうが関係なく読める。正直なところ、早く購入すれば良かったと少しばかり反省したが、更に嬉しいことには、洋書ならば欲しい物が印刷物よりも安く早く手に入る。といっても無制限に購入すれば破産するのは見えているし、Paperwhite の容量を考えれば、自宅PCでダウンロードしてUSB経由でKindleに転送というのが、自分にとってベストな使い方であろう。最初に読んだものは、”The Shortest Bible In The World” by Will Spann学生時代をミッション系で過ごした人間としてついニヤニヤ笑いながら読んでしまった。無料版の多くは著作権切れの物だが、中には著作権が有効な物の一部や一冊が無料版として提供されている。昨今、時間が無くて古書店や新刊書店をさまようことも無くなったが、Kindleのおかげで久々に、そうした本の海をさまよう楽しみを思い出した。残念なのは、標準で入っている英和辞書が「プログレッシブ英和中辞典」であることで、この辞書では語彙数不足な為、自分が読む本で判らない単語があった時、Kindleから離れて辞書を調べねばならないことだ。ネットを調べてみると、英辞郎のKindle Paperwhite版があるようだ。近いうちに、それを購入しようと思っている。今日でおよそ一週間持ち歩いたことになるが、その薄さは上着のポケットに入れてもポケットが膨れ上がることもなく、扱いに苦労することもない。目が疲れている時には文字フォントを大きくすればよく、液晶画面のように読書の場所を選ぶこともない。もちろんのこと、動画やカラー写真を見る必要があれば、Paperwhiteでは機能不足ということになるが、自分のように文字を読むことだけが目的であれば、これはベストな製品だ。ところでKindle Paperwhiteは画像表示機能も隠し持っているらしく、imagesという名称のフォルダを作成して、それに画像を入れれば表示してくれるらしい。画面は758x1024ということらしいので、16階調グレースケールにコンバートした画像を放り込んでおけば、いつでもそれを見ることができる。最終的に自分の使い方は、書籍はPC経由で購入・転送し、通常はネットワーク・オフの状態にしておいて、純然たる読書端末とした。通勤の往復時にポケットから取りだし、読める分だけ読んで、読めない場所ではそのままポケットに放り込む。或いはボタンを押してスクリーンセーバー状態にしてポケットへ。これはひょっとしたら紙の本よりも便利かもしれない。少なくともペーパーバックと比べて、ということだが。和書を購入する予定はないし、和書を購入する経済的メリットもないので、洋書専用の読書端末となるが、kindle版洋書は驚くほど安い。紙の印刷物を買えば数千円はするようなものが、場合によっては10分の1以下の価格だ。その上、先ほど書いたように、古いものならば無料で読むことができる。ペーパーバックが好きで頻繁に購入しており、そのせいで本の置き場に困ってしまっている人達にとっては、Kindle Paperwhite はマストバイな製品だと言えそうだ。強くお薦めしたい。欠点としては…アマゾンのクラウドにも本体にも、分類格納の概念がないことだろうか?しかし、そこは母艦とするPC本体で管理すれば、ある程度は解決できるだろう。
2013年04月15日
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今日になって知ったのだが、声優の納谷悟朗さんが亡くなった。自分にとって昭和一桁世代はオヤジの世代だ。享年83歳を大往生と見るか、まだ若いと見るか、それは人それぞれに思いがあろう。今頃は先に亡くなった山田康雄さんと肩を並べて、ルパン三世の往年の名場面を再演していそうだ。お二人はとても仲が良かったらしい。改めて、ご冥福をお祈りする。合唱。
2013年03月11日
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遠隔操作事件の行方は模糊として判らない。そもそも本当に犯人が国内からネット接続したかどうかさえ判らない。自分が真犯人なら国内からの送信は行わない。ネットセキュリティの甘いサーバーは海外に幾らでもある。海外出張やちょっとした旅行で海外のネットワークを利用することは、今の時代、たやすい事だ。もちろん自分は海外出張などのある会社に勤めているわけではないが、ネットの利用は日常の一部なので、国内出張の際には宿泊先ホテルにネット環境があるかどうか、間違いなく調べる。それが無ければマクドナルドなど無線LANの利用できるスポットを探しておく。間にTORのような仕組みを介在させれば、そこから先を追求することは、おそらく不可能に近い。今回の遠隔操作事件は、誰も皆一様に国内に犯人がいるとの暗黙の了解があるように思えるが、その根拠は自分には推測しえない。K容疑者が会社のPCを利用して遠隔操作を行ったというのは、個人的にはピンと来ない。会社のPCは通常、私物ではないから、他者が触っても文句も言えない。まして周囲には同様の技術者がいるわけであるから、へたな事をすれば単純に疑われる。事件で公表(報道)されている部分だけ見ると、警察は、ある種、魔女狩りで用いられた手法のような、恣意的な決め付けの裏付けを得ようとしているように見える。推定無罪、疑わしきは罰せず、そういう言葉は理想に過ぎないのだろう。仮にK容疑者とは別に真犯人がいたとしたならば、その人間は、K容疑者が犯人として有罪判決により、実刑を受けて服役するまで名乗りを上げないだろうと想像している。仮にK容疑者が犯人だとしたら、どうして身元の割れやすい会社からの接続を使ったりしたのだろうか?この事件には2つのフェーズがあって、それは前半と後半とでも呼べるのだが、TORを利用した前半では警察が犯人の足取りを追うことは不可能であったと言っていいが、後半になるとあっさり突き止められてしまう。この事に違和感を感じない方が不思議なのだが、自分がどこかで勘違いしているのだろうか?実に謎である。ついでながら、今の時代、無線ルーターを使っている家庭や会社は多い。その全てがきちんと認証設定をやっているとは限らない。いわゆる野良フリースポットは結構ありそうに思う。また、windowsは標準でリモートデスクトップの仕組みを持っていたりもする。成りすましというのは、案外簡単にできそうな気もするが、如何であろう?
2013年03月04日
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盗み撮り実にあほらしい(笑
2013年02月27日
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先ほどの記事中で、「盗_撮」という言葉を使った。間に不自然なアンダーバーを入れたが、これは楽天ブログの仕様として、とう(盗)さつ(撮)という言葉が書き込めなかった為だ。「盗」と「撮」を続けて書くと →→わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれていますとして赤文字で警告が出て、記事を書き込めない。試してみたが、下書き保存さえできないのは、勘弁してもらいたいところだ。こうした安易な言葉狩りは、単純な事なかれ主義からくると想像するが、それはさておき、企業の自己防衛として判らないではない。とはいえ、一人の利用者としては、やるせない気持ちを抱かざるを得ない。又、成人男子として猥褻なものが嫌いなわけじゃないが、話す時と場所や書き込む場所は弁えているつもりだ。これは少し頭が痛い問題だ(苦笑さて、楽天ブログでのタブーワード一覧は、どこかで見ることができるのだろうか。先ほどの書き込みで、最初は何の事やらさっぱり判らず、無駄に時間を費やしてしまった。タブーワードを予め知っておけば、文章作成時に避けることもできるのだが……。
2013年02月25日
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今回の遠隔操作事件を考えているうちに、過去の体験を思い出した。今となっては古い笑い話である。それはまだMS-DOSの時代、パソコン黎明期とでもいえる時代のことだ。8ビットCPUの時代から16ビットCPUの時代に移行し始めた頃、ある人と話していて、PCの性能の話になった。自分が持っていたのは8ビットCPUの、古い人なら良く知っているNEC製PC-8801mk2であり、その上でBASIC + アセンブラでプログラムを遊んでいた時代だ。ある年配者とパソコン通信で知り合い、「金があれば16ビットPCが欲しいものです」など愚痴をこぼした自分に対して、その時、その人は「16ビットなんて古い、自分のは48ビットだ」と胸を張った。更に「君も早く48に乗り換えれば良い」というお薦めまで頂いてしまった。当時のインテル社に、或いは懐かしきモトローラ社にも、48ビットCPUの開発計画などあるはずもない。話を聞いてすぐに思いついたのは、彼が新しく買ったプリンターの、印字ドット数であった。後になってパソコン通信で知り合った他の仲間にそれとなく尋ねてみると、はたして自分の思った通りではあったのだが、ご当人の自信満々の言葉を聞いた際には、それを訂正する気にも反論する気にもなれなかった。そもそも、そのような間違いをする程にパソコン関連に無知である人に、わざわざ説明するのも面倒であるし、相手が年長者とは言え、人を見下すような物言いをする相手に対して、まともな対応をするのもバカバカしく、ただ「羨ましいですね」と応じるしかなかった。元来自分は他と競いあう感情が薄い方なのだが、世間には、どちらの方が新しいだとか上だとか、そういう事を比べたがる人もいる。パソコン関連は日進月歩どころか分針秒歩の世界で、そうすることに何かの意味があるとも思えないが、今の時代もそうしたがる人がいるのは現実だ。比べたがる人は結局モノに振り回されているとしか思えないのだが、だからといって、それを指摘することも大人げない。しかし「すごいですね、最新ですね」とご当人の自己満足を追認してあげればいいだけのことなので、扱いは楽だが、それをもって生半可な知識を押し付け、自らの言葉に恭順であれと無駄に諭してくる相手は厄介だ。「千人中一人になっても俺が正しい、残り全員間違っている」などと言うこともある自分だが、その意見を他に押し付けようとは思わない。件のビットとドットの勘違いからくる笑い話はご当人以外に実害はないが、こうした無知から来る判断が、例えば今話題になっている「遠隔操作」事件に影響しているかもしれないとしたら、笑い話ではすまない。古株で豊富な捜査経験を有する上司が、仮に生半可な知識で陣頭指揮をとるとすれば、それは最初から誤謬を含んでいることもありえ…即ち出発地点を誤っており、その結果、誤ったゴール(冤罪)へと到達してしまうこともあり得るわけだ。もちろんのこと、かといって、若い世代がネットに詳しいかと問われれば、ネットの利用は盛んであっても、利用時間が多いもしくは多くのサービスを利用しているからといって、仕組みに詳しいとも言えない。各県警のサイバー犯罪を捜査する職員が一般利用者レベルであるとは考え難いし、又、考えたくもないが、自分としては実情を知らないので何とも不安と不審感を拭いされずにいる。しかしながら、一人の男としては、サイバー犯罪関連の冤罪より痴漢行為の冤罪の方が怖いので、はてさて自らの身を守るにはマイカー通勤しかないのかと溜め息混じりに考えたりもするが、そういうわけにもいかず、日々細心の注意を払いつつ危険を避けて行動するのみである(笑今回の「遠隔操作」事件のK容疑者が真犯人であるかそうでないかは、自分には判らない。先日書いた通りに違和感を感じていることに変わりはないが、それとは別に、どうやら警察側は決定的な証拠を持たないのではないかという疑いもある。同時に、やはり、警察側は犯人の目星として、サイバー犯罪の前歴者リストからK容疑者を犯人と見做して、「予断」から証拠固めも不十分なまま、身柄を拘束しのではないかと思えるふしもある。そしてまた、「絵」を欲しがったメディアが「予断」による警察からのリークにより、K容疑者の身柄を警察が確保する前から「盗_撮」を行ったとしたならば、捜査方法の問題とは別に、警察による個人情報の流出という問題、及びメディアの人権意識の低さが際立つこととなる。話を少し変える。若い頃、スピード違反で捕まったことがある。基本的に安全運転を心がけていて、免許をとった頃から追い越しスピード以上に出したことは…高速道路上でぜんぜん無いとは言わないが、その時も高速道路でのことだった。山口県警に捕まったわけだが、後になって無性に腹が立ってきたことは覚えている。高速道路の本道に合流する時点で、本道の後方に小さな車影が見えたのでアクセルを踏み込んで本道に入ろうとしたところで警察から呼び止められた。合流地点の手前からスピードを上げ始めたのだが、スピード違反であるとして切符を切られた。どこに計測装置があったのか尋ねたところ、手持ちの計測装置で計ったのだという。手持ちではブレの問題があり誤認もあり得るというが、その時には急なことでそうした反論も思いつかなかった。後に知人に出来事を伝えると、点数稼ぎが必要だったのだろうと笑われたが、他の件もあって、警察という存在は「犯人」を捕まえるというより、「捕まえやすい犯人」を捕まえるという考えが自分の中で大きくなったと言える。警察組織は我々国民にとって無くてはならないものではあるが、第三者による監視が不可欠でもある。本来なら警察を管轄する「公安委員会」がそうした役目を負っているはずだが、実質的には、公安委員会は警察の身内も同然であるから、仮に警察が暴走したとしてもそれを是正する能力を行使しないように見受けられる。冤罪事件の根は相当に深いように思うが、警察のお先棒を担ぐメディアもまた腐っていて、一部のジャーナリストや弁護士の言葉は世間に大きく広がらない。実に情けない状況である。
2013年02月25日
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例の遠隔操作事件で捕まったK容疑者は犯行を否認しているようだ。本人は無実を主張し「真犯人」に助けを求めている。その一方でマスメディアはK容疑者について、あれこれ「分析」と称するゴシップめいた記事を書き連ねている。この事件が難しい点は、犯行を実証する直接証拠がまだ表に出ていないことだ。もっとも、出ていないのか存在しないのか、そこも不明である。警察が捜査する場合、未知の「新」犯人を探し出すことと平行して(と想像したい)、同様の犯行を行った過去の犯罪者を当たる…再犯を疑うわけだ。今回、K容疑者が犯人としてあげられたのは、過去の「のま猫」騒動時に一度ネット上で脅迫書き込みを行った記録が残っていたということもあり、犯人候補としてリストアップされたことは想像に難くない。もし仮に捜査する側に過去の事件を元とする予断があったとしたら、それは冤罪を生み出すこととなる。過去の冤罪事件は、そうした捜査する側の「予断」によって自白が強要され、犯人が作り上げられてきた結果であると言えまいか。奇妙なのは、完全匿名を貫こうとしたはずの「真犯人」が、ある時から急に世間(捜査当局やマスメディア)に対して物証を提供し始めたことだ。その時になって、個人的に非常に違和感を感じた。物証を与えるというのが「真犯人」にとって極めて危険な行為であることは、真犯人ならずとも容易に想像がつく。つまり、物証を提供し始めたのは「真犯人」とは別の便乗犯(愉快犯)によるものではないかと想像した。物証提供のメールを送りつける前と後とでは、犯人像に違いがあるような気がするのだ。匿名化する為の手段を様々に行使して、結果的に捜査員を海外まで派遣させることまでした犯人が、後半になると、まるで自分を見つけてくれと言わんばかりの行動に出るというのは、どうにも矛盾を感じる。この事件、例のiPS細胞騒動の森口氏を思い出す。失礼な例えだが、物証提供メール前の犯人が京大の山中伸弥教授なら、提供から後の犯人は虚偽で売名した森口氏のような感じだ。それくらい、自分にとっては違和感が感じられたのだ。話は少し変わるが、先日、久しぶりにテレビで警察関連の番組を見た。娘が見ている番組を偶然に見たわけだが、「酔っ払いってぇのはどうしようもねぇな」等思いながら見ていたのだが、番組最後の方で、福岡県警のサイバー犯罪対策課であったろうか、ネット通販関連の嫌がらせ(業務妨害)事件で、容疑者に迫る過程を映像にしていた。専門家といえる程でもない自分でも、呆れてものが言えないような状況が画面に映し出されていたが、あれはおそらく番組製作側の意図によってそういう「絵」にしたのであろうと思う。捜査員の少しばかり棒読みなセリフも、まぁご愛嬌として微笑ましくさえあった。ただ、プロバイダから提供されたログを検証し、その接続元に迫るやり方は真っ当ではあっても、非常に冤罪を起こしやすい流れであるように個人的には思えた。中にはインターネットの仕組みを知らずに、そうした嫌がらせをする人間がいても不思議はないが、それをすれば法に触れるということが判っていて、なおかつ身元が隠れていないということを知らないというのは、あまりにも稚拙と言わざるを得ない。番組中で、削除したファイルを復元するツールについて、特別な秘密めいたソフトのような演出をしていたが、日常的にパソコンに触る人間にとってはありふれたツールである。検索すればフリーソフトとして提供されているものも多い。「絵」的に必要だということで県警の皆さんに演技してもらったのだろうが、打ち出したログを目で追うなどというやり方を当たり前のごとく放映するのは、頭痛がする程に馬鹿げていて、番組製作側は警察と視聴者を馬鹿にしているとしか思えない程だ。最後に、インターネットの基礎が知りたい方は、JPNICのサイトで、インターネットの基礎について読まれることを推奨する。
2013年02月19日
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知り合いから、パソコンを一台組みたいという相談があり、個人的な意見をメールで伝えたが、ドスパラやツートップの頁を見ているうちに、自分でも一台組みたくなってきた(笑例によってストレスが溜まる一方の生活であるし、新しいパソコンといえば、1年半ほどまえにAMDの石で組んだっきりだ。AMDのAPUも昨年には新製品も出て、内臓GPU機能もアップしている。その時のmini-itxで組んだパソコンは立派に働いてくれているが、筐体が小さすぎてクーラーと電源が干渉しあう為に、蓋をまともに閉められないという情けない状況で放置している。今回も同じパターンでAMDのAPUとmini-itxのマザーを使うつもりだが、筐体はitxボックスではなく、ミニタワーにしようかと考えている。電源が干渉しないような筐体があれば、それが一番だが…。OSについてはWindows7のOEM版を使うつもりだが、Windows8のアップデート版を選ぶかもしれない。XPに見切りをつける気になれれば、そうするだろう。メインとなるハードは次の通り。CPU : AMD A10 5800K Black Edition (12,000円)マザー: ASRock FM2A85X-ITX (11,000円)これにメモリー、HDD、筐体(電源)を適当に揃えるか、使い回しするか……。光学系ディスクは使う予定がないので無視し、後はOS代が12,000〜24,000円というところか。とりあえず4万程が当面の必要経費だな。さて、どこから捻出しようか(苦笑
2013年02月18日
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よくよく考えてみれば相当数の隕石が、この地球上に落下している。そのほとんどは大気中で燃え尽きたり或いは小さな欠片が人里離れた場所に落ち、人的被害が出ることも滅多にないが、それはただの偶然、僥倖ともいうべき状態であって、隕石がわざわざ人を避けるということはありえないから、今回のような出来事は今後も起こりえるということだろう。ひょっとすれば、宝くじよりも当たりやすいやもしれん(笑笑ってすまされる話しではないが、笑いとばすしかないほど対処しようのないものであることは、間違いない。負傷者は多く、又、建造物その他にも大きな被害が生じたのは事実だが、死者が出なかったことは幸いに違いない。仮に隕石が人口の密集した都市部に落ちていれば、その被害規模はシャレにならない程のものであったろうと想像する。凡人としては、ただ、影響の少ない海洋などに落ちてくれることを願うばかりだが、宇宙空間では無数とも言える隕石が太陽系に降り注いでいると聞く。我々が日々の生活を営めているのは、実は奇跡なのかもしれない。
2013年02月18日
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今年も様々な出来事があった。来年も様々な出来事があるだろう。結局の所、ブログの引越し先は決まらなかった。幾つか覗いては見たものの、どれもピンとくるものがない。仕方ない。ここで再開することにしよう。公私共に多忙で、自由に使える時間は少ないが、日々のグダグダを記録していくこととしよう(笑
2012年12月14日
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ブログの引越し先という意味だが、理由は単純で、楽天ブログではブックマークが使えなくなってしまったためだ。複数のPCと複数のブラウザを使う場合、それぞれのPCの各ウェブブラウザにブックマーク登録するのは非効率であるため、そういうものは一ヶ所で管理しておきたい。ブログのブックマークは、その点で大変便利であったが、サービスが終了してしまっては、どうしようもない。そういうわけでブログそのものの引越しを考えている。過去に書いた内容も、ブログのサービスが終了すれば当然消えてしまうであろうから、早めにwgetしてどこかに保存しておこうかと思う。たいした事を書いたわけでもないが、ある種の日記には違いないから、我が身の過去を振り返る縁(よすが)にはなりうるものだ。余人に必要なくとも自分にとって必要となる日が来ないとも限らない(笑幾つか候補を考えてはいるが、決まれば、そのURLを最後に張って、楽天ブログの利用を最後としよう。
2012年01月19日
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滅多に芸能ネタなど取り上げることはしないが、それでも吉本興業の大崎社長の言葉は気にかかる。吉本興業・大崎社長、紳助さんに言及「戻ってきてもらえると信じている」九スポで同じ記事を読んだばかりだが、ヤクザとの付き合いは、特に古い時代からの芸能人ならば避けようがなかった。いわゆる地方巡業の仕事の中で、地場のヤクザが介入してくるのが、古い時代の芸能界であったからだ。今もあまり変わらないかもしれない。大物と言われる演歌歌手などはヤクザとの関係のみを取り上げれば、付き合いが皆無な人間を探すことの方が難しいだろう。もちろん、しかし、それは当人には避けようのない状況である場合もある。島田紳助の場合も、それと同様であったならば、社長の言うところも分からないではない。だが、島田紳助の「黒さ」については週刊誌が既に何度も記事にしている。その記事に対して島田紳助と吉本興業は訴訟を起こすか起こしたからしいが、実は島田紳助のイメージダウンはヤクザとの付き合いという事実ではないと思う。島田紳助という芸人についてしまったイメージは、自業自得とはいえ、嘘つきである。ヤクザとの付き合いはある程度仕方ない部分もあろう。有名になれば金儲けを企む連中は近寄ってくる。指定暴力団であろうが芸能ゴロであろうが、有名人が稼ぎ出す金に引き寄せられるのである。もちろん本人がいわゆる舎弟であれば、それは暴力団組織の一員であるし、舎弟でなくても利害を共にする関係であれば、それもまた外部員のようなものだ。週刊誌は島田紳助をそうした外部員の一人として見ており、訴訟の進み方によっては島田紳助と吉本興業にとってマイナスな部分も明らかにされるやもしれぬし、逆に禊となる面もあるやもしれない。しかし、そういう状況はさしおいて、記者会見で嘘を言い、その嘘が直ぐに判明し、持ち番組での横暴さが暴露された以上、もはや嫌悪感を感じる視聴者の方が多くなるのではないかと想像する。若手芸人をいじる番組がひととき増えたが、それが「いじめ」に見える人は多い。自虐は笑いの芸になるが「いじめ」は笑えない。かつて似たようなコントをやっていたドリフターズの場合、いじられる役は基本的にリーダーであるいかりや長介さんだった。リーダーであるから謂わば強者であり、その強者に対してメンバーである「弱者」の側からの意趣返しのような形であるから、嫌味のない笑いにつながった。それはトムとジェリーの関係に似ている。強者である猫と弱者である鼠の立場が時に逆転し、しかも互いに嫌ってはいない。夫婦漫才で「婦」の側が「夫」の側より強くなるのも、そうした仕掛けである。強者が弱者を「いじ」るのは芸ではなく「いじめ」である。そこに逆転劇がなければ、人の心の黒い面を増長させるのみの、あまりにも暗い憂さ晴らしである。元々お笑いの世界は好きだが、そうした番組があまりに多くなりすぎて、自分はお笑い番組を見るのを止めた。芸能界は虚飾の世界ではあるが、そこには虚飾であってはならない部分もある。吉本興業は別の芸人を育てた方が良いと思うのだが…?
2012年01月05日
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わがままな人間としては、これを区切りとして強制的に気分を変えようとすることを、心のどこかで嫌っている。今年の一番のトピックが大震災であることは間違いないが、その結果として起こった原発問題は、この二つを並び考えることで、人と自然との関わりを考えなおす契機にできないかと思う。原発事故は悲惨な出来事だが、それは人が招いた事故であり、自然はきっかけを与えたに過ぎない。自然は人の思惑など大きく超えたところで変化し、人の驕りを嘲るがごとく全てを破壊していく。仮に「自然」というものに意志があるとすれば、その意志の中には人間を殊更に他の事物と分けようとする試みなどなく、ただ己が内包する全ての内の一部に過ぎないことを認識するのみであろう。「自然」を「神」という言葉に置き換えても同じことである。福島原発の事故が公表された時、「バビロンの塔」を想像した人間がいたことは想像に難くない。自分自身がそれを連想したのは事実であるし、脳裏に浮かんだのはタローカードの16番だ。寓意画の描かれた大アルカナの16番目のカードは、天から雷が落ちてきて高い塔を打ち壊し、そこには人の落ちる姿がある。しかし、そのカードは絵柄によっては、塔から炎が立ち上がる姿にも見える。「自然」=「神」が全てを内包して偏在する存在かつ非存在であるならば、キリスト教系のオカルト信者の目には、福島原発はまさしく贖罪の炎に映ったやもしれぬ。津波(水)と原発(炎)の二つに混乱させられた今年の日本という国は、終末論者が時折口にする火と水の浄めを受けたかのようだ。もちろん、自分はこうした戯言に与するつもりはない。現代においても過去においても、人の叡智によって生み出された物が幾度となく大自然の猛威によって打ち壊され、大地に封じ込められてきた。昨日まで栄華を誇っていた「人」が「自然」のきまぐれによって無に返されるのは、人の視点から見れば悲惨な出来事であるが、人ではない存在から見れば、変化とも言えぬような変化である。大晦日は一年の終わり。暦の上で我々はそう口にするが、実はそれは大した意味などなく、ただ共通のルールを用いたいという多数の人の願望によるものであり、そうは思わぬ人々がいることも事実だ。多数の人の願望という言葉を用いたが、これは自分がそう思ってのことではない。多数の人が思っているわけではなく、多数の人が思っていると思い込まされているにすぎない。仮に決め事として一年の終わりがあったとして、太陰暦から太陽暦に変わった時に、その決め事もその変化に連れて変わった。決め事などあっさりと変わりうるものであり、絶対にそうでなくてはならないというものではない。様々なルールは最大公約数のようなものである。それは実は法律であれ、そういうものなのである。法律も非文のルールも倫理でさえも、人が決めたものである以上、人が変えることができる。我々が一番恐れねばならないことは、我々が常識として金科玉条のごとく守ろうとする「何か」を絶対のものとして思い込む、もしくは思い込まされることではないだろうか。これまで安全と言われ続けてきた原発が、あっさりとその安全神話を裏切った今年こそ、その最後の日であればこそ、もう一度、貴方は貴方自身に問いかけてみて欲しい。貴方が信じているその「常識」は本当に正しいのか、貴方自身が熟慮の結果に見出した答えであるのか、それとも根拠も知らず誰かの言葉を鵜呑みにしているだけなのか、貴方が正しいと信じているソレは妄想に過ぎないのではないのか、貴方は貴方自身の真の主人であるのか、そうではなく、貴方以外の誰かの奴隷になっているのではないか・・・・・・などとサラリーマン(社畜)の俺が喚いてみる(苦笑皆様、良いお年を(笑)
2011年12月31日
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やりたい事があり、それをやり続けると縁ができる。かつて自分自身で経験したことであり、誰かが今どこかで経験しつつあることだろう。自分が生涯の友とする趣味は、残念ながら詐欺商売でもしない限り喰えない道であるから、それを糧とすることはできないが、そうであっても、そこから様々な縁が生まれた。やりたい事があり、それをやり続ければ縁ができる。問題は多くの人が自分自身の本当にやりたい事を見出せぬまま日々を過ごしていることであり、それどころか定年退職したら何をしたらいいのか分からないと嘆くオジサンまでいる。縁会って偶然あるいは必然として言葉を交わした3人の若い女性のことを思えば、それぞれに生き方がありそれぞれに苦しみがあり、もがきがあり、迷いがあり・・しかし、それぞれの足で自分の人生を生きようとしていることが実感される。一人は先ほどブックマークを書き加えたばかりの「つきのあひる」さん。もう一人はかつて仕事で何度か会って話をした「だ**」さん。そして、かつての同僚で今は別の道を進む「ぐ**」さん。似たような年齢の女性3人の生き方は、それぞれに異なる。当然のことながら、生活や人生に対する考え方もおそらくは別々で、しかし、自分の足で行動し生きていこうとする、ある種のひたむきさがあるように感じられる。言葉を交わしたといっても、あひるさんはこの楽天ブログを通じての文字のやりとりであるし、同僚であった女性は仕事の中でのやりとりである。かつて仕事で出会った「だ」さんは数年来会っておらず、時おりメールでやりとりをするのみだ。だが、そこには何かしらの共通点が感じられて、こういう言い方は誤解を招くかもしれないが、三者三様に魅力的(チャーミング)であり、未来に目を向ける姿には眩しささえある。昔話で恐縮だが、かつて大学を出たての頃、自分は塾の講師をしていた。自分の目指す道は決してお金にはならない道、お金に換えてはいけない道であったので、糊口を凌ぐには何か探せばならないのだが、さりとて会社勤めなど考えていなかった…今は名実ともにサラリーマンだが(笑教室と、そして、個人指導(家庭教師)をやる中で、その学課に興味を持ち始めた子供達の、目の輝きが変わることに気づいたとき、自分でも何かやりたくなった。ただ喰う為だけの仕事ではなく、何か新しいことに触れてみたくなった。たまたま地方情報誌の小さな広告でコンピュータの専門学校のことを知り、そこに通うことになった。その当時、とある副業仕事もあって、ある意味悲惨な一年を過ごすことになったのだが、今はいい思い出だ。どういう生活かというと、朝6時半に起き、午前中はコンビニでアルバイト、自宅で昼飯を食い、午後から専門学校、帰宅して風呂と飯を済ませ、そこからとある分野の専門書に向かい翻訳をする。就寝は3時前。これをおよそ1年続けた。睡眠不足の日々、若かったとはいえ、寝る際には折りたたんだ布団を足元に置き、少し足を上にせねば寝られないほどに疲労が溜まっていく。コンピュータの専門職として今の会社に入った時には、基本システムがあるだけの状況で、そこからあれこれ要求があり、仕事としてのプログラムなどしたことがない若造が頭をフル回転させねばならぬ日々。午前0時になるとビル管理の人が鍵の確認に回ってくる。午前0時を過ぎると一階の管理室脇の裏口も締めてしまうためだ。更に残業するのであれば非常口から出るよう、教えられ、実際に非常口から帰ったことも何度かある。しかし、これら全てが楽しめた。それは・・・その当時、自分がやりたい事であったからだ。やりたい事がやれる時間の、なんと素晴らしいことか。そういう会社勤めとは別に、余技としてやれる事があり、それを続けることで縁が生まれ、表家業とは別の副業を続けることになった。やれる事と書いたが、それは当時やりたい事でもあった。やりたい事があり、それをやり続ければ縁ができる。一人の人間の思いはちっぽけな炎のようなものだ。燃やすものがなくなればアッという間に消えてしまう。しかし、その炎を燃やし続けるための燃料は、その人自身の中にある。諦めずにやり続けることが燃料となり、ちっぽけな炎はやがて大きな光になる。多くの人が己の炎を絶やすことなく、いつか大きな光に変えることができるよう、祈りたい。ついでながら・・・某友人に昔「俺はどんな仕事が似合うと思うか」と尋ねたところ「宗教の教祖」と一言返ってきた(笑「ばかいえ、坊主は嘘つきの始まりだ」と自分は笑って応えた。
2011年12月28日
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カミさんから子供の勉強の話をふられたのだが…英語を勉強した記憶がない自分に、楽に覚える方法やら尋ねる方が間違っていると思うぞ(笑以前も書いたが「読みたい本を辞書を牽きながらひたすら読んだ」というのが英語という分野でやったことで、これは別に英語の勉強のためにやったわけではない。日本語で翻訳が出ていれば、わざわざ(当時は)高い洋書を手間暇かけて買い込んで読むなんてことはする必要がなかったわけで、そうでなかったから背に腹は代えられぬ気持ちで洋書を読み込んだわけだ。おかげで高校の英語の成績は良くはなかったが、結果的に大学では英語が楽だった。天才でも秀才でもない人間が気軽にペーパーバックを持ち歩けるようになったのは、知りたい内容が先にあって、それが英語で書かれていたというスタート地点にこそ、英語ができない/分からないと悩む人達との違いがあったのではないかと思う。もちろん英語を日常的に或いは仕事で使うようなこともなく、ただ時おり面白そうなPBを買ったり、海外のサイトを覗くだけの役にしかたってはいない灯篭の斧にすぎないと思っている。その読みたい内容が仮にフランス語やドイツ語であったら、そちらの方を優先させただろう。そしてたぶん英語などわからないままになったに違いない(笑大学受験の時はいわゆる「出る単」を買いはしたものの、最初の10頁ほどでやめてしまった。理由はただ「面白くない」からだ。つまり英語が好きでたまらなかった時期など少しもなく、英語は面白いと思った時期も中学生の最初の方だけだったということになる。学び始めた時は未知なる世界であるから、好奇心に燃えていたのは事実だ。当時、中学生の頃、英語のテキストの本文は全て暗記していた。書いて覚えるのは苦手というより、覚える為に書くことが嫌いだから、覚えるときはひたすら朗読と暗唱の繰り返しをした。教科書を一行読んでは目を別に向けて暗唱し、それをある程度繰り返したら、一度に暗唱する量を増やしていく。中学の英語の試験など、この方法だけで80点くらいは楽にとれるはずで、実は高校でも試験に関しては似たような対処でいけるだろうと思っている。思っていると書いたのは結局、その「読みたい本」の方に夢中になって、それが為に教科書をあまり開かなかったという現実があった為だが、何せ教科書というのは面白くない。内容に惹きつけられない本をどうして読もうと思うものか(笑そうしたものを読まされることは苦痛以外の何ものでもなく、好奇心を刺激しえない教科書や教師は害悪でさえあると思う……というような毒を吐いておいて、さて、勉強法だが(笑知識や情報を楽に覚えたいのなら、それを好きになることだ。英語(含む語学全般)なら自分が好きな分野の本を辞書を牽きながら読んでみることが一番であるし、他の分野でも好きな分野に関連した部分がないか探ってみることが、結果的に一番の早道ではないかと思う。効率にとらわれると結局は「効率の良い方法」を探すだけで堂々巡りし、金銭的時間的費用対効果は低下するばかりだ。英語が得意になりたいと思う学生諸君は、思い切って自分の好きな分野の英語の本を買って、自分なりに翻訳してみることを勧める。後で自分の翻訳文を読み直したときに、おそらく日本語力の無さに愕然とすることが多いと思う。そうした翻訳文は、しかし、実力の貴重な記録となり、後になって自分がどんなにバカげた勘違いや失敗をしていたかに気づくための路傍の標識になるはずだ。だがまぁ、完璧主義者には向かない方法ではある(笑知人がブログで書いていた「知っている知識について英語版Wikipediaを読んでみる」というのは、役に立つ方法だろう。頭の中で日本語に変換したさいに、自分が知っている知識と矛盾していれば、それは記述を正確に理解していないか、あるいは逆に誤った知識を仕入れているかのどちらかだ。もちろんWikipediaの内容が間違っている場合も無いではなかろう。いずれであれ修正の方法はある。Wikipedia などの文章は、基本として解説文であるから、文学にありがちな技巧的文章はない。感情表現は感情表現が必要な文章の中で触れていけばいい。手に入れようと思えば、違法ダウンロードなどに頼らずとも、インターネット上で必要な教材は揃う時代だ。英語の生の音も、面白い話題も、感情剥き出しの文章も、そして文法解説でさえ、多くの善意と多くの人の知的活動によって、目の前に提供されているのである。大半の言語活動は母語でさえ、10のインプットに対して1のアウトプットが可能であるといったレベルだ。普段の会話を文字に起こしてみれば、如何に適当に文章を作って発話しているかに気づき、愕然としてしまう人が多いだろう。逆にいえば、1のアウトプットをする為には10のインプットが必要であるということなのである。英語という分野に限らず、大量のインプットこそが重要であり、最小限のインプットで済ませようとしてあれこれ「勉強法」を無駄に探しまくるのは結局のところ、下手の考え休むに似たりではないだろうか?最後に「本」はインターネットのサイトと置き換えてもらって結構だ。見かけ上であれ常時接続が当たり前の時代であるから、むしろお金を使わないというメリットがある(笑
2011年12月12日
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某ドラマの主題歌としてJUJUさんが歌っていると同僚から教えてもらった。60年前の古い歌だが、いい歌なので久しぶりに試訳してみようと思う。オリジナルの歌についてはJazzStandards.comが詳しい。試訳しようとして最初に歌詞を見た時に悩んだのがbirdlandという言葉。そこでJazzStarndards.comの解説を読むと、Birdlandというのは、ニューヨークのブロードウェイにあった有名なジャズクラブであったらしい。詳しくはリンク先で読んでいただきたい。この「歌」が有名になったのは、もちろん曲に歌詞がついた後のことで、それを歌ったのがSarah Vaughan。なので歌詞は女性の立場からの歌と仮定して訳すことにした。まぁ、素人翻訳であるため、誤訳の恐れについては勘弁いただきたい(笑----------Lullaby of Birdland, that's whatI always hear when you sighNever in my woodlandCould there be words to revealIn a phrase how i feelバードランドの子守唄…あなたが溜め息をつけば、その歌がいつも聞こえてくる一言で私の気持ちを打ち明けられる言葉なんて私の(森の)中にあるわけないじゃないHave you ever heard two turtle dovesBill and Coo when they loveThat's the kind of magicMusic we make with our lipsWhen we kissあなたは二羽のキジバト、ビルとクーが愛し合うのを聞いたことがある?まるで、私達がキスした時に二人の唇が鳴らす魔法の音楽みたいだわAnd there's a weepy ol' willowHe really knows how to cryThat's how i cry in my pillowIf you should tell meFarewell and goodbyeそれから、涙で目をうるませた年老いた柳がいてねどんなふうに泣けばいいか良く知っているのもしあなたが私に「元気で、さようなら」って言うことがあれば私は自分の枕に顔をうずめて、そうやって泣くわLullaby of Birdland whisper lowkiss me sweet & we'll goFliyin' high in BirdlandHigh in the sky up aboveAll because we're in loveバードランドの子守唄低く囁いて、そして甘くキスしてそうすればバードランドの中で高く飛んでいける空のはるか彼方まで飛んでいけるわだって本当に私達は愛し合っているから----------キジバト(正確にはコキジバト)は夫婦仲がとてもよい鳥として知られているようだ。主人公「私」と彼女が思う「あなた」は恋人同士か夫婦かは分からない。ありふれたジャズクラブ、ジャズの調べを聞きながら二人が座っているところを思い浮かべつつ、主人公の女性は彼への気持ちを一人呟く・・・そんな感じに想像したが、大きくは外れていないだろうと想像する、あくまで自分の想像だが。追記 2011/11/10 最後の箇所に明白な誤訳があったので訂正(苦笑再追記 2011/11/15 訳部分の言葉を少し変えた。
2011年11月09日
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AMDで一台作ろうという計画を立てたのが今年の6月で、そこから毎月一つずつパーツ購入を始めて、やっと全て揃った。OSについては一年前にWindows 7 (32)を購入していたのだが、ついに出番がやってくる(笑)筐体は既存のmini-itx用を用いる為、残りは作業時間の確保だけ。この週末には久しぶりにOSのインストールをすることになる。文章書きと音楽用のPCはMandriva Linuxを載せたATOM機が静かに活躍してくれていて、こちらは日々のアップデートだけしておけばいい。一台作ろうという気になったのは、やはりdm1-3000のグラフィック能力に惹かれた為で、その延長線上にあるA8-3850をターゲットにしたのが6月終わりだ。パソコンショップと通販サイトを時折覗きながら、その時に一番安く手に入るパーツを衝動買い(笑)して、組み立ての日を虎視眈々と待ってきた。実費としては3万程度であるから、一月辺りのパーツ購入費用はおよそ6千円くらいなものか。現実には昨年購入のOS(一万二千円前後)と既存の筐体(9千円前後)も加えれば、総額はおよそ5万円強というところ。一気の出費は、しがないサラリーマンの小遣いでは無理な話で、だからこそ時間をかけてパーツを集めるしかないのだが、懐具合に余裕がある時に一つずつを購入していけば、それほど苦しいこともない。どこかのサービス営業広告的に言えば、月6千円ならば一日200円だ(笑)それくらいならばお父さんの小遣いの中からどうにかなるはずで、その半額しか使えないというのであれば、単純に毎日百円を貯めるパソコン貯金をすればいい。機能するパソコンを構成するものは、大きくわけて5つ。1) OS(MS-Windows、もしくは無料OS)2) CPU3) マザーボード4) メモリー5) ハードディスク 6) マウス、キーボード等の入力デバイス7) 筐体(要するに箱)上を目指すのなら、これに音源ボードやグラフィックボードが加わるが、そこは用途に合わせて考えればいいだけのこと。今回は(1)を昨年、(2)~(5)までをこの5ヶ月で集めた。想定したのはオンラインゲームがそれなりに動く格安PCで、シビアなグラフィック環境は必要ではない。このように楽しみを一つ増やしつつ、今月も仕事を頑張るのである(笑)
2011年10月12日
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経済状態は公私共に厳しさを増してはいるが、精神的に少し楽になってきた分野もあって、なんとか乗り切れそうだ。とまぁ、こんな主語述語のハッキリしない文章を書かざるをえないのは、自身、慚愧して未来に目を向ける意思表明ができかねている面もあるからだが(笑) **ともあれ、心と現実の乖離というものは、それを受け入れてしまえば何ということもなく、自らの棲まうべき場所を求める者のことを思いつつ、ひがな暮らすのもまた良しとするほかにない。 **余人には分からぬ言葉を羅列して一人ほくそ笑みつ、事情と我が心情を知る者あれば、いささかなりとも同情もどきを抱いてくれればと夢想するが、他者の心をあれこれいじくるなど叶わぬ人の身であれば、ただ偶然の重なりが導かんとする未来を楽しみに日々過ごすのである。 **残暑の候、我が思いが潰えることはない。
2011年09月12日
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安月給うのサラリーマンで家族4人で暮らすにはなかなかツラい時代だが、それでもお父さんとしては自分の遊びもしたい。趣味にも優先順位はあるのだが、HPのdm1-3000を手に入れた後は割と満足してしまい、しばらくパソコン関係はお留守になっていた。しかし、そろそろパソコンをいじくり回したい欲求が高まってきて、現在、秘かに中身一式を揃え用かと画策中だ。中身というのはパソコンの中身のことで、筐体以外の全てを指す。随分以前にも書いたが、自分の場合は、パーツ一つ辺り一万円以内を目標にしているので、毎月こっそりパーツを購入しておいて揃ったところで週末の時間がある時に一気にやりかえる。パソコンという代物は増えれば場所をくう為、又、一般的には高価であるというイメージがある為、小遣いの少ないお父さんがパソコンを新しくすると、家族の目は厳しくなる。その厳しい目を回避するには、中身だけこっそり入れ替えというのがベストなのである(笑)自分の小遣いから出費し家計を痛めつけることもないのであるから、暖かく見守ってくれてもよさそうなものだが、カミさんという生き物の辞書には「旦那の趣味を暖かく見守る」というフレーズは登録されてないらしく、皮肉の一つもいいたくなるらしい。愚痴はさておき、今回狙いを定めているのは、一昨年辺りからマイブームとなっているmini-itxを使用したミニPCだ。小型の筐体は既に利用していて、ATOMの乗ったマザーボードが日々活躍してくれているのだが、これまで遊び用に使っていた別のパソコンの中身を息子に渡したもので、日常使えるお父さん用パソコンが一台になってしまった。ひとまずdm1-3000でしのいではいるが、据え置きしてモバイルノートを使うというのもバカバカしい。息子に渡したIONマザー含む中身一式は新しいミニケースに収まって息子の机の上なもので、元のmini-itx用筐体が一つ余っている。箱だけあって中身が無いというのも哀しいものがある上、一年前に購入したWindows7は手付かずのまま放置してあるわけで、この二者を有効活用するためには筐体の中身を揃えねばならない…まぁ、これが遊びの言い訳であることは自覚している(笑)あれこれ逡巡の結果、dm1-3000のコストパフォーマンスの良さに敬意を表して、というより経費節減の為に、マザーボードはE350なGIGABYTEのGA-E350N-USB3か、ASRockのE350M1/USB3あたりを考えている。価格は1万2千円程度。これにメモリーとストアレッジを足してやるだけで、中身は完成だ。更にパワーが欲しければSocket FM1な一万前後のマザーとCPUはA8-3850を組み合わせ場、おおよそ上記に+1万程度でかなり性能は期待できる。後でグラボ等の増設を考えるのならば後者が良いのだろうが、省エネを考えれば前者となる。自分は実はまだ迷っているのだが、現実に実行に移すのは手持ち資金の関係もあって、10月になる予定で、それまでに新たな品物が出てくれば、そちらを選択肢に加える可能性はある。急ぐわけではないから、安い時にHDDを買っておくことも悪くなかろう。元々AMDのCPUは好きなのだが、dm1-3000を使うようになって、Fusion APUの良さに惚れ込んでしまっている。いっそ、自宅内のパソコンを全て入れ替えてしまいたいくらいだが、それをやるメリットも資金もない為、実現することはないだろう。どんなタイミングで作ろうかと考えている時が一番楽しいのは間違いないが、思い立った時にすぐにできないのが貧乏の辛さだな(笑)
2011年09月07日
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素直に話し、それが素直に受け取ってもらえる或いはまっすぐに生き、そのまっすぐさを認めてもらえるそんな時代が過去にあったかどうか定かではないが、人は自ら共感したいものに共感し、しかし、一旦異を感じれば裏切られたと思う。仲間だから友達だから同じ思いでいて欲しいと思うことは間違いではないが、それを強制することは「俺に独裁させよ」と言うに等しい。フジTV批判以後、俳優の高岡蒼甫さんのブログを読んでいるのだが、一つ一つの日記に膨大なコメントが付けられている。多くは賛同・励ましであるが、もちろん批難の声も寄せられる。余談ながら、彼のblog記事を読んでいて一つ違和感を感じることがある。膨大なコメントがありながら、トラックバックが無い。トラックバックできない設定にでもしているのだろうか。少しばかり不思議であるが、人気がある方のblogであるから、それを自らの利益の為に利用しようとする人が多いだろうことは想像に難くない。おそらくその為であろう。話を戻せば、その時々で、素直な自分の感情・感想をブログに記すことは、なんら問題ないし、その時に思ったことであるから、別の時には真反対からの感想になっても不思議ではない。人はそんなに一貫性のある生きものではないし、ブログは論文ではないのだから、一貫性がある必要もない。今回はtwitterの呟きから始まった事ではあるが、その呟きのある一面に共感した人達が大勢いて、それを利用したい人達も大勢いる・・・そんな印象がある。利用したい・・・という言葉は悪く聞こえるかもしれないが、利己的存在としての「人」はそう振舞うのが当たり前であるから、批難しているつもりはない。ある言葉を発する時、その裏にある感情は複雑だ。そして残念なことに、その複雑さは言葉を発した本人でさえ全てを完全に意識しているわけではない。演技をしている人や演劇に興味がある人ならば理解してもらえると思うが、舞台で発せられるたった一言の「はい」という言葉の裏に、どれだけの背景と情景が込められているかを思えば、発せられた言葉の表面だけを見て共感し、別の言葉に違和を感じて批難するなどということはできるはずもない。もちろん、討論となれば別であるが。対面してのコミュニケーションで言葉を尽くしてさえ尚、互いの真意を知り尽くすことなど不可能に近い。ましてtwitterの140文字だけで何が伝えられるのか・・・その言葉を目にする受け手の方はそこにこそ集中しなければ、本来は安易に共感したり反発したりはできないはずだが、これも「言葉」が軽くなった時代故なのであろうか。とまぁ、偉そうに書いてはいるが、有名俳優で人気者の高岡蒼甫さんが人権救済法案に言及してくださったことは、その法案に危惧を持つ者の一人として、素直にあり難いと思う。そのおかげで愛読紙?である九(東)スポでも、この法案のことが取り上げられた。「あぁ、九(東)スポかい」という枕詞は付く(笑)にしても、大手メディアで取り上げられれば衆目を集める結果となる。こうした極めて危険な法案を十分な議論もなく与党が成立させようとしていることを、多くの人が知ることこそ重要であり、それの危険性に多くの人が気づくことは更に重要だ。人権救済法案の危険性・・・それは裁く側の恣意的な運用が極めて容易であるという点にあり、同時に言論の自由を奪う恐れが極めて大きいことだ。話は少しズレるが、マスメディア関係で使われ今や一般でも知らぬ者のない言葉に「放送禁止用語」という珍妙な言葉がある。憲法で言論の自由が認められている通り、本来は「放送禁止用語」などというものはない。「放送禁止用語」という言葉は恐らく放送業界の中で最初は自嘲的に使われたのだと想像するが、本来は「放送自粛用語」だ。自粛であるから憲法に違反するはずもない。業界的には「自粛」であって「禁止」ではないのだが、現場の人間にとっては上からの「自粛要請」=「禁止」であるから、それゆえに「放送禁止用語」という言葉の方が目立つことになってしまったのだろう。仮に放送局が「禁じている」のであれば、それは違憲であり、それこそ、特定の言葉を使用する人間の人権を踏みにじっていることになる。ハゲ頭の知人が昔、面白いことを言った。「自分で俺はハゲだという時はむしろウケ狙いで喜んで言っているが、他人から言われると腹が立つ」誰が口にしようと客観的事実は変わらないのだが、言葉を耳にする側の感情は別だ。それ故に言葉を発する側が自粛することは悪いことではない。だが、それを誰かが禁じることは人権侵害である。・・・個人的にはボールドヘッドだったユル・ブリンナーなどはかなりクールだと思うのだが、まぁそれは別の話だな(笑) 言葉は一人歩きする。その言葉の一面にのみ惹かれてやってきた人間達が拡大し、さながらその言葉の真意はこれにあると言わんばかりに、その言葉を借りて己の言葉を正当化しようとする。もちろん、それは日常的に行われていることであり、特段に常に悪いということでは決してないが、精緻な部分を全て切り捨てた後の言葉は、本来言葉を発した人の複雑な思いとはかけ離れていることも多い。韓流が嫌いな人もいる。好きな人もいるだろう・・・自分の回りにも国産ドラマと同様に韓国産ドラマを見る人がいる。自分自身はドラマそのものを見なくなって20年以上になるが、そこは周囲に「人間以外のモノがでない作品は見ない」と断言する趣味嗜好ゆえである(笑)これから先、高岡蒼甫さんを自分達の意見の代弁者として政治的活動に引っ張り出そうとする人もいるだろうが、彼自身が望んでそうするのであれば陰ながら応援しはするが、役者好き・演技好きの人間であろうと個人的には想像するから、俳優業に邁進なさるのではないかと思う。いや、今回のことで個人的には、むしろ俳優としての仕事を見てみたい気になった。上から目線に聞こえるかもしれないが、かつて学芸会ドラマばかりになってドラマそのものを見ることに疲れた自分の本音である。できれば「人間以外のものが出てくる」映画の出演を期待したいが、それはホラー特撮映画ファンの無茶な期待か(笑)いずれにせよ、高岡蒼甫さんに(限らず全ての人)は、己の意志を貫いて生きていただきたいと思う。他人の意志に乗せられて行動することは、それは人間ではなく操り人形にすぎず、一人の人間の生き方を決める者は、本人自身以外にあってはならないと思う。
2011年08月05日
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スクープ!“売国菅”国辱の「訪朝写真」 頭下げプレゼントを…北朝鮮の元工作員で拉致実行犯である辛光洙元死刑囚の釈放を求める韓国政府への「要望書」に署名した、菅直人という人物。はたして、その裏にあるものは…!?
2011年07月20日
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かもしれんw……ただの皮肉だ。全てが計算し尽くされた結果としての行動なら、見事なテロリストだ(笑元々3流以下と揶揄される日本の政治は、しかし、かつて存在していてゼロではなかった。だが、菅直人首相の下、日本の政治はほぼ完璧に崩壊したのではないかと、そんなふうに思えてくる。何かに例えると、その何かを汚すような気がして、何かに例えることさえ控えたくなるのだが、しかし、軍事独裁ではなく、いわば民主的手法によって首相になったわけであるから、道筋はある意味正常だ。不支持率は8割近くになるが、仮に不支持率が100%になろうとも、首相を辞めることはないだろう。菅直人が辞任表明するときは、恐らく彼自身にとって「かっこいい退き際」が見つかった時ではないかと思う。それまでの混乱や政治的空白は彼自身にとっては何の意味もない。もし民主党内部の連中が、本気に菅直人降ろしを考えるのなら、首相を除いて閣僚全員が辞任する以外になく、任命されようとも全員が固辞するしかない。それくらいの行動をとる気がない限り、即退陣などということにはならないだろう。頭の痛い話だ。
2011年07月12日
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菅直人という人間のしたたかさには舌を巻く(笑)絶対に自分から「辞める」という言葉は言わないだろうし、それと思わせる言葉は吐いても、後でどうにでも意味を後付できる言葉であるから、「辞める」とは言っていないと開き直ることができる。政治ネタはもちろんニュース等で追っているが、与野党共に一人の人間に振り回されている。まさにゲリラと組織の戦いの様相を呈していて、なかなか興味深いが、日本と日本人の幸を目指す理念があるわけでもない人間が、受けそうな思いつきを口にするだけであるから、混乱はひどくなるばかりだ。この状態はいつまで続くのであろうか…?
2011年07月07日
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人間、ストレスが溜まるとろくなことをしない(笑HP Pavilion dm1-3000 Notebook PC 2011春モデル気づいた時には購入ボタンを押していた。俺がやったんじゃねーと肩先を指差すわけにもいかないので、小遣い口座からお金を引き出してきた。購入を急がねばならぬ状況でもないのだが、ここ2年、ノートPCには手を出していなかったので、久しぶりの衝動買いであり、なおかつ、10数年ぶりの新品ノート購入だ。いつものように勤務先に代引きで届くようにしたので、実際に手にとるのは23日の月曜日以降だが、それまで実にワクワクとして待ち遠しい気持ちでいることができる。モバイルノートであるからスペックは推して知るべしというところだが、これでCPU性能がもう一段二段上なら3Dゲームもストレスなく動くのではないかと、そんな気持ちにさせてくれる。購入の決め手になったのは、バッテリ性能(カタログ値)9.5時間というのが大きい。グラフィック性能もそれなりに立派だが、ゲームの類をこの画面サイズで行う気はない。もっともオンラインゲームについては丸1年以上開店休業状態だが(笑)衝動買いであるから、特段の目的があっての購入ではないが、現在サブのメインで使用中のDELL Latitude D400 の替わりに使おうと思っている。現在のD400にはPuppy Linuxを入れているが、Windows 7機を触るのも今後を考えれば必要なことだろう…とかなんとか屁理屈をこねながら通販サイトの購入ボタンを押した(笑価格は、通販サイトで54,500円+代引き料840円。しばらくはストレス解消の役に立つのではないかと考えている。手元に届いたら、少し使用記でも書いてみることにする。
2011年05月20日
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国を一つの会社組織だと考えれば、国民は株主であり、議員は経営者であり、官僚は社員だ。議員の集まりは理事会であれば、そこに統一したものが何もなく、無駄な喧騒のみということになれば、会社は機能しない。上からの指示に統一感がなければ社員は右往左往するばかりであり、有能な社員がいても組織の態をなさなければ十分に機能することは不可能である。通常であれば株主総会は紛糾し、経営陣の総入れ替えということになるのが本来健全であるが、一般企業でもそうした事態になることは多くない。そこにはいろいろなしがらみであるとか社会情勢も絡んでくる。さて、企業として日本という国を見た場合、経営陣は混乱を極め、臨時総会が行なわれることはありえず、役員が総辞職でもしない限り、現状のグダグダは続いていく。管総理降ろしの声は聞こえてくるが、目の前の惨事を人質にとって、それをよすがに延命を図ろうとしているとしか思えない首相に、その声は馬耳東風であろう。とはいえ、民主党では次の総理候補も見えてこないし、頭数は揃っているが人材には恵まれていない。ここでそもそも論を持ち出しても意味はないが、リーマンショックに世界があえいでいる時に行われた衆院選で、大半が素人で、ほぼ全員が政権与党になることが初めてという事実を知りながら圧勝させてしまった有権者の鈍感さ・無責任さは絶望的だ。私事ながら、ある意味、そこに絶望して、自分自身もブログの更新に嫌気がさした部分もある。もちろん公私共に忙しいというのが、ブログ更新をさぼっている大きな原因ではあるが(笑現実の大地震と大津波は大きな被害をだしたわけで、それになぞらえるのは不謹慎とのそしりを受けることを覚悟の上であえて書くが、現政府含め政界は大津波をうけて一度まっさらになるべきではないかと思う。
2011年05月17日
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震災以上にメディアでクローズアップされている。ニュースや憶測や噂話や知人からの情報を、それらがあてになるかどうか分からないということを踏まえた上で、あえて言えば、これは天災ではなく人災ではないのかと、なんとなく思っている。もちろん東電の社長一人を責める話ではなく、もう少し総合的な観点から見た話だ。簡単に言えば、行政からの天下りを架け橋にした官・民の相互利益確保…利権…が、今回の原発事故に結びついたのではないか、ということ。見に見える原因は地震と津波だが、目に見えない原因は官民癒着の体質にあるのではないか?どうにもそう感じざるをえない面がある。現状が改善され事態が落ち着いたら、そのあたりをマスコミには検証してもらいたいものだが…まぁ、無理だろうな(笑
2011年03月31日
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正式にどのように呼ぶのかまだ分からないが、関東以北太平洋岸を襲った大地震と大津波は、各地に壊滅的な打撃を与えた。想定外という専門家の言葉が、その常識外れな震災規模を言い表していると思う。リスク管理の面でこれからどうすべきかということは、復興が本格的に始まってからの議論となるだろうが、一度は事業仕分けによって削られた防災関連予算を改めて見直す必要も出てこよう。だが、今は、亡くなった方々の冥福を祈り、また、生き延びた方々の心身の安寧が一日も早く訪れることを祈るばかりだ。もちろん、祈るだけでは何も起こらないから、せめて募金などその他自分でできる何らかの「足し」を心がけることも重要だ。かといって消費活動を低迷させるのはプラスとはいえず、できればチャリティを行う店舗や販売サイトを利用するなど僅かでも「役に立つ」消費活動をすることは必要だろう。幸いにして自分の関東以北に住む知人は無事であったが、仕事仲間には今も連絡がとれない友人知人を持つ者もいる。その不安・心労を思えばいたたまれなくなるが、だからといって何かができるわけでもない。大自然の力に対して人間は如何に無力であるか…。思い知らされる今日この頃だ。
2011年03月15日
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外国人献金問題で前原氏が外相を辞任した。前原外相辞任、菅政権に打撃-外交関係円滑化努力に支障も政治資金規正法では、外国からの政治的干渉を防ぐため、外国人からの献金を禁じている。民主党には”日本に帰化したにもかかわらず心の国籍は外国のまま”という人間もいるくらいだが、個人的には、前原氏の辞任はその潔さに好感を持った。襟元をただせない人間が多い中、おそらくは本人の知らぬ間に行われた献金であろうが、「管理責任は私自身にある」と言い切ることは、ある意味、政治家の鑑ともいえる。とまぁ、持ち上げすぎと批判されそうな文を書いてはいるが、親米路線の前原外相が辞任したことで、親中韓の政治家達が頬を緩めているのではないかと危惧している。帰化した人間を通して献金すれば、規正法に違反することなく、特定の外国が政治家に影響力を持つことは可能である。今回は明らかな外国人からの献金であったが為に辞任という結果となったが、はてさて、外国の勢力から献金を受けている政治家は相当な数にのぼるのではないかと思われる。頭の痛いことだ(笑
2011年03月07日
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仕事が忙しすぎてというわけでもないのだが、あれやこれやと考えていると、気づけば2時3時ということもある。考える内容は仕事のことだけではなく趣味や他の事柄もなのだが、おそらく現実逃避したいのではないか、などと自己分析している。現実の問題は現実世界で解決せねばならないことは当たり前で、仕事の問題は仕事場で、プライベートな問題ならばプライベートの場でということになるが、それが微妙に絡み合うこともあるから、まったく難しい(笑さて、いつものように野次馬として政治の世界に目を向ければ、民主党の往生際の悪さだけが目につく昨今だ。思想も意思も異なる者達が、ただ選挙のためだけに集まった烏合の衆と、はっきりいえるほどに馬脚を現した感もある与党・民主党だが、その内部は小沢一郎という名前で二分されているかに見える。しかし、二分されているという見方は誤りで、大元をたどれば旧自民党+左派の集まりであるから、三分・四分といっても差し支えない。いずれにせよ、茶番劇のような政治闘争を見せられる国民としては、一度チャラにして再度出直してこい、と愚痴るしかないわけだ。どうやら菅首相は4年間の猶予を求めているようだが、民主党が政権を握ってすでに1年と半分が過ぎようとしている。残りは2年と半分だ。その2年と半分の間に、マニフェストの実現したいと言うのは勝手だが、1年半たって道筋を立てられないどころか、混乱を深くしてきただけに見える。この混乱の責任を鳩山前首相の発言の軽さに押し付けることは簡単だが、そのような軽率な人間を首相に、その跡継ぎを菅首相にせざるをえなかった民主党の人材の貧困さこそが問題ではないのか。前回の衆議院選で初めて議員となった者ならばともかく、何年も歳費を受け取る議員をやってきて、ただ状況もわからずに己の主張を唱え、他を批判するばかりであったとしたら、それこそ政治家などという存在はノミやダニの類と同じではないか。乱暴な例えであるのを承知の上で、あえて普通のの会社に例えれば株主=国民役員会=政治家社員=公務員であり、国民の委託によって国という会社を運営していくのが国会議員の役割であり、そうした経営陣の管理の下で働くのが社員の役割である。民主党は衆院選のさいに、さも人員削減及び人件費削減をするかのように打ち上げ、株主総会で旧経営陣から経営権を奪取した。新経営陣の顔ぶれをみれば社内労働組合の紐付きであることは分かっているにもかかわらず、ウソと欺瞞の約束を非常に多くの株主達が信じてしまったわけだ。美辞麗句で踊らされた方が悪いのか踊らせた方が悪いのか、そもそも何も考えてずに人気投票のごとく付和雷同した結果であるのか、そのことについては言いたくもないし、書きたくもない。このくだらない現実のゆえに、俺はブログを書く元気が失せたといってもいい。自らの頭で考えようとしない人間ばかりの現実にウンザリしている。考えた末に何が出てくるか何も出てこないのかが問題ではなく、考えずに付和雷同して考えたつもりになることが問題なのだが、それさえ分からない人間さえいる。情報や知識は思考の主体ではなく、重要ではあるがあくまでも材料にすぎない。そうした思考と知識の違いさえ気づいていない人間の何と多いことか。愚痴をこぼしてどうなるものでもないが、たまには爆発したくなるのである(笑
2011年02月28日
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「国担う資格ない」 西岡議長が首相らを批判民主党の中では保守本流ともいえる西岡武夫氏(現参院議長)が菅直人と仙谷由人にダメ出し、という話。”西岡武夫参院議長が八日発売の月刊誌「文芸春秋」に菅直人首相と仙谷由人官房長官を強く批判する論文を寄稿していたことが六日分かった。両氏について「国家観、政治哲学を欠いたままでは、国を担う資格なしと言わざるを得ない」と指摘している。”経歴をみれば、どちらの方向に身を置く人か分かると思うが、よくぞ言ってくれたという感想をもたざるをえない。既に店頭にならんでいるだろうから、今月は「文芸春秋」を買うことにするか(笑)
2011年01月07日
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連休はあっという間に終わり、プライベートなジタバタを交えながら、新年の今日を向かえた。普通の週末連休の方がまだのんびりできるのは何故だ、と心の中で叫びつつ、いよいよ仕事が始まる。とりあえず主なところへ挨拶をすませ、それから本来の仕事に入るわけだが、この3日間に飲んだ泡盛がまだ胃の中に残っているようで、奇妙な感じだ。とはいえ、何があっても時間は過ぎていき、時間だけは止まることがない。その止まらぬ時間に乗って、やれる事を少しずつでも前に進めていく。さぁ、気合を入れて仕事だ。
2011年01月04日
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昨日28日が職場の公的な御用収めだったが、仕事の現実から言えば、今日が本当の仕事納めだ。自分を含めて一定の役職以上の4人が出社し、それぞれに自分の仕事を片付けている。もちろん年内に全て片付くものではないが、少しでも片付けておかないと、明けて新年からバタバタせねばならないから、少しでも多く片付けておきたいのだ。取引先のほとんどが先日28で御用納めであるから、電話が入ってくることもあまり無い。そうした静かな環境の中で、誰に邪魔されることもなく目の前の仕事に取り組めるのは、正直な話、あり難いと思う。未熟な人間としては、一つに集中したい時には、それ以外は全て余計なことであるからだ。さすがに苛立つことはないが、集中力が途切れると思わぬ見落としも発生する恐れが大いにある。特に自分の場合、頭の切り換えがなかなか難しく、平行して何かを同時に行うのは苦手だ。まぁ、愚痴を書いていても仕方ないから、邪魔が入らない今日という日は、ゆっくり集中して仕事を片付けていくことにしよう。
2010年12月29日
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今年も今日が最後…と言いたいが、実際は明日まで出勤の予定だ。もちろん我が社の大半の社員は今日が今年最後の出勤日となる。今日の夕方には、事務所の中で、お酒とつまみのささやかな打ち上げを行い、お疲れ様でしたとなるわけだが、今年は中堅の女性社員が辞め、事務所のトップが辞職し、売り上げも落ちた。古き良き時代を過ごした人間達がこの数年で、定年退職者も含めてボロボロといなくなったのだから、惨状極まると言っても良いのだが、古き良き時代を実感できないまま過ごしてきた我々と我々以下のの世代が、制度披露を起こした会社をどのように建て直していくか、それが来年の課題となる。水面下ではいろいろな事柄が起こりつつある。しかし、その内容について言えば、良い事も悪い事も様々だ。今年を振りかえれば、公私共に様々な出来事があった。ある意味、人の心について、或いは自らの「本性」について考えさせられた年だった。長年忘れていた…というよりも長い年月の間にあえて忘れようとしていた自分自身の…「本性」だ。本来の自分はどういう人間であったか、それをある人との関係の中で思い出させられた。ここで感謝し、その人の前途が多幸なることを祈りたい。
2010年12月28日
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「ノートPC欲しい病」がそろそろ蠢き出しそうな今日この頃、お金も無いのに中古ショップやらジャンクショップのサイトであれこれ物色している。というのも、10月のタバコ値上げもあって、タバコ消費量が相当に減った…というか、一時的に止めていた…ので、その分を考えれば、中古ノートが一つくらいは買える…と(笑)今、日常的に使っているノートPCは、以前に購入したDELLのX200とD400。X200はMS-Windows XP で、D400にはPupy Linux を入れている。インターネットブラウズには D400の方を主に使い、社内LANのテストやフリーウェアの試用にはX200を使っている。日頃からPCの修理?を頼まれることが多く、いろいろな人から各人所有のノートPCを見せてもらう機会も多いのだが、そんなのを見ていると、新しいもの(新製品という意味ではない)が欲しくなるのは、何と言うか、まぁ、欲望の業とでもいうか(笑)基本的に画面サイズが12インチより大きいものを買うつもりはないのだが、今のノートPCはワイドタイプのものが多く、古い人間としては、どうにも食指が動かない。ネットゲームも好きな人間としては、画面サイズはともかくとして、ワイド画面ならそれなりのパワーをもって3D系ネットゲームが動くようなものであって欲しいのだが、なかなかそのようなものはない。今のノートタイプは動画を見るには適しているのかもしれないが、こちらには出先で動画を見る趣味は無いし、いや、まぁ、そもそもノートPCをどこで使うかという根本的な問題はあるのだが、そこは少しばかり夢を見たいところもある(笑)そういうわけで、たぶん買ってもゲームに使うことも仕事に使うことも無いだろうなと思いつつ、何か自分の心の琴線に触れるような中古は無いかと、ネットをさまよっているのだ。これはもう病気としか言えないわけで、そこに「後々友人知人や家族に渡すだろう場合のことを考えて、せめてXP付きがいいよなぁ」なんてことも考えるわけだから、何のために購入しようとしているのか、中古ノートPCを漁る本来の目的がどこかにズレてしまっている感もある。やっぱり病気なのだ(笑)もっとも、あれこれ選んでいる時が一番楽しいというのも事実だが、買わなきゃ永久に選び続けることができるぞという内心の声は無視することに決めている。コッチならテキスト書きには十分である、とか、アッチはOS無しだから Linux放り込むか、とか、買う前から楽しい妄想をする時間は、とりあえずストレス解消になるのである。そんなにパソコン増やしてどうするの?なんて声も周囲にはあったりするが、酒は飲めるが飲まないタイプの自分には、週一で居酒屋に立ち寄る趣味もなく、ましてスナックでお姉ちゃん相手に話をする時間ももったいないと感じるのだから、放っといてくれとしか言いようがない。若い頃からこんな人間だから、まぁ、変わり者ということになっている(笑)実年齢は毎年増えていくが、精神年齢ばかりは10代で止まってしまっているのは自覚しているのだが、三つ子の魂という言葉もあるのだから、それほど他人と違っているわけでもないと思う…などというと仲間から「あんたは宇宙人」なんて言葉が返ってくる。話がそれてしまった。今年もあと2週間ほどだ。政治の世界はグダグダで、経済は一部企業を除いて上昇する気配が見えず、世界に目を向けてもウンザリするような出来事ばかりで、気分に高揚感をもたせるものがない。来年はもう少しマシな年になって欲しいと思うが、この思い、毎年の年末に思い続けていて、随分長いこと叶っていない願いでもある。自分は自分なりに重たい足を引きずって、一歩ずつ前に進むしかないのはわかっているが、時折疲れて崩れ落ちそうにもなる。そういうわけで、楽しいPC選びに邁進するのである(笑)
2010年12月15日
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もともと選挙の為に頭数を揃えただけの政党であるから、遅かれ早かれ、こうなるだろうとは予想していたが…。まぁ、しかし、小沢&鳩山(兄)に舛添&鳩山(弟)が絡んでくるようであるし、政治バラエティとして見れば、面白いと思える。ただ面白いだけだが。結局は、新旧自民党脱退者の集まりかい、という感じであって、あまり新味は感じられないし、大きな政界再編のうねりを起こすこともできないだろう。要は民主党の内紛&分裂であって、政界のキャスティングボードを握りたい小沢氏と、総理大臣職へ虎視眈々の舛添氏の思惑が噛み合ったということかもしれない。鳩山(兄)が使いものにならないのは衆知であるし、まぁ、財布役というところかもしれないが、鳩山(弟)も、もう一旗と考えているのかもしれない。個人的には、日教組への批判を憚らない鳩山邦夫氏には好感を持っているのだが、結局は駒の一つになってしまいそうで、はてさてどう思えば良いのやら。昨年、衆院選の直前に、付和雷同 というタイトルでブログを書いた。マスメディアは付和雷同させるのが好きだ。多くの有権者がメディアに踊らされ、或いは自ら踊り、民主党に圧倒的勝利をもたらした。その構造は小泉郵政選挙の時と全く同じだ。衆愚の極み…悲しい言葉だ。
2010年12月14日
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言葉には個別の色がある。一つの言葉が複数の人間で全く同じ意味を持っているかといえば、それはかなり怪しい。その結果、そういう意味で言ったのではない、と言うはめになる。物の名前ならば間違えることはないと、確かにそう言えるが、その物に付随するイメージは様々だ。リンゴという言葉を耳にして嬉しくなる人もいれば、そうでない人もいる。「リンゴって美味いよな」「そうかぁ?」場合によっては喧嘩になる。たかだか物の名称一つで、人により全く異なる感情が動き、自己主張の強い者同士であれば言い争いにもなる。不毛ではあるが、それが現実でもある。互いが互いの存在を認めあえれば、争いは起こらない。「リンゴが好きな人」「リンゴが嫌いな人」という属性が付加されるだけのことであって、それ以上でもそれ以下でもない。もちろん「リンゴが嫌いなヤツはカスだ」という思いがあれば、それは別の話になろうが(笑)偏狭なものの見方をする人間は何処にでもいるものだ。日本人である以上、日常会話の中で普通に日本語を話しているが、一つ一つの言葉に目に見えない意味のズレ或いはイメージのズレがあるとすれば、コミュニケーションというのは実に危うい、脆いものであると思わざるをえない。詐欺は、基本的に、相手が抱きそうな言葉のイメージを利用する。コマーシャルは言葉にイメージを新たに付加する作業だ。友人や仲間同士で、特定の言葉のイメージを話し合ってみるのも面白いかもしれない。それをすることで、相手の違った側面が見えて、面白い結果が得られるのではないかと思う。
2010年11月26日
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役員会議で、いろいろお世話やら何やら、ほとんど丸一日潰れてしまう。終了後はたぶん精神的にヘトヘトだろうから、今日はあまり残業をする気分にはなれないだろう。急ぎの案件だけ片付けて、明日からまた(残業を)頑張ることにするか(笑幹部連中だけじゃなく、女性社員達もお茶やらコーヒーやら昼食の用意やら、本来の仕事以外のところで気を遣う日だ。とはいえ、片付けてしまわねば先に進まない。電算出身の人間としては実に不効率だと思うが、コストその他の面から現状がベターであるという、何とも歯がゆい部分もある。それはともかく、頭の痛いことが多い為、胃潰瘍が再発しそうな雰囲気だ(笑)自分の現在の役職は内部事務については責任をとる立場だ。全く畑違いの仕事が増えたわけで、前任者(現在のトップ)にいろいろ話を聞きつつ、少しずつ新しい事に慣れようとしているわけだが、その中で来年度に向けて内部の業務態勢について変更を加えようとしている。一つには人事面で縦の流れが不明瞭であった為に、書類の流れにしても案件処理の流れにしても、どこかいびつな形になっていた。或いは事務の特定の部署が専門分野化してしまって、チームとしての支え合いができていなかった。扱う商品部門で配置を決めていた、或いは欠員補充を行ってきたが為にそうなってしまったのだが、それを変える予定だ。その予定の中で、机の配置等も仕事に合った配置にするつもりで、上に対してその了解は取り付けてある。具体的なレイアウト等については、まだアイデアを煮詰める前の段階であるから、他の社員や部下に公表できるものではないが、早めにまとめて彼ら・彼女らの意見をもらおうと思っている。構想については話してあるから、それなりにアイデアも出てくるだろう。そういう意味では、一から作っていく楽しみもあるのだが、一から始める苦しみもある。やりがいのあるモノにしたいと真剣に思っている。
2010年11月24日
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外国人参政権、「国民主権と矛盾せず」の政府答弁書2010.11.19 12:26” 政府は19日の閣議で、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与について「憲法上の国民主権の原理と必ずしも矛盾するものではない」とする答弁書を決定した。自民党の浜田和幸参院議員の質問主意書に答えた。”短い記事なので全文引用した。バカも極まっていると思う。では、地方において、外国人と国民の違いは、被選挙権のみということになるのか。国の根幹がわかっていないバカ揃いなのか、現政府は!地方参政権付与は、国を混乱に陥れるだけであるのに…。仮にAという地方で、特定外国人が支持する日本人Bが首長になるべく出馬したとしよう。A地方に特定外国人が多ければ、Bが首長になるのは自明。議員も同様に特定外国人が支持する者ばかりになれば、そこに国が何らかの施設を作ろうとした場合、特定外国人にとって施設が不利となる場合には、間違いなく拒否される。議会で否決され、国は対応に苦慮することになる。これは特定外国人による地方乗っ取り以外のなにものでもない。有権者が少ない自治体ほど危険性が高まるのは、誰が考えたって間違いないことだろう。住人と国民の違いが分からないバカは多いが、そんなバカが国会議員として存在するとしたら、やはり日本はお終いだ。参政権は行政サービスではない国民固有の義務であり、権利である。外交も防衛もまともに考えることのできない民主党政府が、内政まで外国人に明け渡そうとするのは何故か。愚かにもほどがある。
2010年11月19日
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繰り返される失言…それも政治家としての資質が問われるような失言の数々だ。今、与党民主党に必要な行動は、総選挙をもって改めて民意を問うことではないのかね。独裁状態の官房長官。指導力のない首相。言論統制を当たり前のように考える大臣。責任をとらず自分の椅子にしがみつく大臣。権力に酔いしれるだけのバカ。民主党議員の全てがそうではないが、ひどいのが多すぎる。
2010年11月19日
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自民党政治の不透明さ、例えば政官癒着、が嫌われて、クリーンなイメージの民主党が選ばれ、1年以上が過ぎた。新政権の下で白日にさらされてたのは、大半が過去の癒着や問題点ではなく、与党となった民主党の問題点ばかりだった。まっていたのは、自民政治以上の不透明さだったわけだ。今回の尖閣ビデオ流出の問題点も、その不透明さにある。首相が全公開を口にしていながら、官房長官が隠蔽しようとする。官房長官自身が首相をお飾りだと周囲に認識させる行動を頻繁にとる。仙谷内閣と揶揄されるのも当然というところ。ビデオ流出については、報道等で自分が知る情報では少なすぎて、該当の公務員がどのような処分を受けるべきか、判断はできないが、巷間にささやかれるように内部で教育ビデオとして誰でもが見ることのできる状態であったものならば、その情報が守秘義務のどのレベルにあったのかが問題になる。これは一般企業でも同じことだ。販売促進用ビデオならば公開が前提となる。社内での教育用ビデオは非公開なところが多いとは思うが、それを仮に無駄で流出させたとして、社外秘というくくりの中にある情報でない限り、せいぜいが戒告処分だ。つまり、始末書をとっておしまいにする。実は社外秘なものに社外秘のレベル設定がなされていなかったとしたら、それを管理する人間の責任が問われる。このことについては、一般企業に勤める人間ならば、理解しやすいのではないかと思う。今回のビデオが、いわゆる社外秘ではないものであるならば、件の公務員を守秘義務違反に問うことは難しいし、また、社外秘であったものを流出させたのであれば、内規に従い粛々と処分すれば良いだけの話。ややこしいのは、首相本人が公開するのが当然と考えていたにもかかわらず、官房長官は隠蔽の方向で動いていたということだろう。本社社長はイエス,本社部長はノー(笑)ならば、支店の末端社員の行為は、本社社長にとってはOKだが、本社部長に取っては激怒の対象となる。となれば、そもそもの問題点は、本社内での意思統一の問題ではないかと思わされる。外交に関連する事柄であるから、安易な比較はよろしくないのだろうが、そもそも論で言えば、本来政府内での意思統一ができていない、というよりも、しっかりした話し合いさえできていないのではないかとさえ思える状況が異常と言わざるをえない。民主主義の根幹は言論である。言論とは情報のやりとりであり、それに基づく議論である。議論の場のない民主主義は、民主主義という側をかぶった独裁主義である。さてさて、民主党は民主主義を何と考えているのであろうか。外交は言論による戦争である。そこには権謀術策の限りを尽くす世界がある。どのような国であっても自国の利益と自国民の安全の為に、外交の場では最大限の努力を行う。民主党の外交音痴ぶりには困ったものだが、それは結局のところ、ビジョンのない会社に勤める個々の社員が現在の取引先や潜在的な取引先に向かって、好き勝手な思いつきを話し、結局のところ古い付き合いのところからも見込み客からも愛想をつかされる状況と同様だ。果たして民主党内部での民主主義が機能しているのかどうか、極めて不透明だ。事業仕分けにしても同様だ。事業仕分けを行う議員さん達が、どのような根拠をもって仕分けをしようとしているのか、極めて不透明だ。専門分野の知識ももたず、相手が説明に使う言葉の意味も知らず、全体の中でどのような位置にあるのかも分からないものを、どのように分析し、要不要を決めるのか。公務員が実務部隊であるのならば、政府は役員会である。無能な役員会は会社の問題点をつかむこともできないままジワジワと組織を腐らせるか、あるいは、思いつきの言動で現場を混乱させ、挙句の果てに組織を機能不全に陥らせてしまう。自分には現政府が無能な役員会に見えて仕方がない。無能な社員の自分がそんなことを言うのもおかしな話かもしれないが(笑)
2010年11月18日
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中国寄りの発言を繰り返しているように見える仙谷官房長官。この人の目に移る国民ってのは、いったい何処の国の国民なのかさっぱり分からない。今回の海保の映像流出については「流出」という言葉がよろしくない。本来ならば政府が堂々と公開すべきものであって、そもそも守秘義務に当たるようなものでもないのではないか。守秘義務に当たる情報について考えれば、それが公表されることによって国益が損なわれる場合において該当情報となるべきであり、今回のビデオ映像についていえば、むしろ公表することが日本の国益にかなうことであったと思う。仙谷官房長官の頭には、日本という国の国益ではなく、どこかよその国の国益ばかりが詰まっているらしい。例の「属国」発言が証左であろう。日本国民の大半は、現政府に対して大なり小なり不信感を持っている、のではないか。もちろん、自分も世論調査をしたわけではないから、仙谷官房長官と同じく個人的な感覚で言っているにすぎないが(笑)パソコン通信からインターネットにいたるネットワークの発展に伴って、多くの人に、編集されていない情報(第一ソース)を求める気持ちが強くなってきたのではないかと、個人的には思っているが、そのような流れの中で、未だ情報統制ができると思っている旧態依然の人間がいる。一度ネット上に晒された情報は、まず絶対と言っていいほど、消し去ることは難しい。それは、やはり、第一ソースを知りたいという欲求を消し去ることができないからだ。権力を持つと、その人の本質が見えてくる。仙谷さんが本当に欲しい肩書きは「官房長官な」どではなく、「総書記」なのじゃないかと疑う今日この頃である。
2010年11月12日
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自分は仕事用に常時2台のPCを使っている。会社では仕事用2台、自宅では遊び用と仕事用で1台ずつ。会社でも自宅でも、2台の構成は、 MS-Windows機が1台に、Linux機が1台だ。最近は両方のLinuxともディストリビューションはMandrivaだ。そこでは最近までFirefoxを使っていたのだが、これが結構重く感じられ、SeaMonkeyに乗り換えて利用していた。ところが、最近、Google がChrome のLinux版を出していることに気づき、試しに会社で使用しているPCに入れてみたところ、かなり動作が軽いことを知った。Chrome については、出はじめの頃、MS-Windows版を試してみたこともあったが、MS-Windowsの世界ではFirefoxの方が安定しているような気がした為、すぐに使うのをやめてしまったのだ。 Linux機のWebブラウザは、しばらくChromeにするつもりだ。けっこうオススメだと思う。
2010年11月08日
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組織の中にはいろいろな人間がいる。一番困るのは自らの手柄を言いたいがために、その言葉が他者や組織の批判や瑕疵を晒してしまう、そんな単純なことに気づかないまま口を開いてしまう人間だ。清廉潔白な組織というものは滅多に無い。法律違反をするようなブラック企業でなくても、大抵の会社には内々で収めておきたい話もある。ところが己の能力を自慢・披露したいがために、わざわざそうしたことを時も場所も相手もわきまえず、話し出してしまう。その結果、場合によってそれに尾ひれがついて世間にあるいは関連会社に広まってしまう。本人は自分が喋ったことで何が起きるか認識もしていないから、悪びれるようなところもない。もちろん罪悪感もないから、別のところ・機会でも同じことを繰り返してしまう。本当に困ったものである。
2010年11月08日
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会社の組織が変わった。そこに勤める人間が変わったわけではないが、ともあれ、新体制の発足である。以前のトップが辞め、新しいトップの下で人事移動も行われた。自分も役職が変わった。といっても、以前の仕事が無くなったわけではなく、更に管理職としての仕事が増えたということだ。責任は重く給料は軽く(笑)状況は厳しいが、全員の生活の為にも頑張らねばならない。時折、ふと思うことがある。企業子飼いのプログラマだった自分が、いつの間にやら管理職としての務めを要求されているのは、どこか変なのではないか、と。今更ながら後悔するわけではないが、人生が分岐の連続であるならば、どこかで別の選択肢を選んでいれば今とは全く異なった生活を送っていたのだろう。それが良いか悪いかは分からない。この仕事、この職場で、様々な人と出会い、時には反発し、時には惚れ込み、時にはビジネルライクに…顔を付き合わせてきたわけだ。その全てが、今の自分に影響を与えているのは間違いない。良い事もあったし、良くない事もあったのも事実だ。こんな書き方では、今日明日に辞めるような人間の言葉に見えるかもしれないが、とりあえず過去の自分と過去関わってきた、そして現在関わりを持っている人たちに感謝しておこうと思う。自分自身にありがとう。そして、みんなにありがとう。
2010年11月04日
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どちらかと言えば精神的な影響からか、なかなか風邪が治らない。最初の症状から10日目になるがスッキリしない状態が続いている。我が社では現在のところ風邪が蔓延しており、全員が罹患するのも時間の問題かというところ。管理職としては、各自の仕事の進捗状況は気になるところだが、各々の健康状態の方がもっと気になる。できれば会話のはずむ明るい職場であって欲しいからだが、様々な性格の人間や、彼ら彼女らの置かれた(公私における)状況が十分に把握できないこともあって、職場の人間関係にも気を遣わざるをえない。これがなかなか心の負担となる。こうした状況から逃げ出すのは簡単だ。辞表を出してしまえばオサラバできるわけだが、少なくとも子供たちが独立するまでは、扶養の責任をまっとうするのが親の務めでもある。こうして公私の狭間で自分自身が揺れる面もある。正直、全てを忘れて湯治場にでも出かけ、ゆったりと好きな本を読むという時間を過ごしてみたいものだと思う。「宝くじが当たればねぇ」というのが同僚達と異口同音であるから、まぁ、情けないといえば情けない(笑)それでも今日という日を生きていくしかないわけで、こうして愚痴めいた言葉を連ねるのが、ストレス解消の一助となれば幸いかなと思う。頭が痛いよ(笑)
2010年10月27日
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トップのTさんが会社を辞めた。事情はいろいろあるのだが、それを語っても意味はない。次のトップは決まっていて、役員会から辞令が降りるのを待つばかり。どんな会社でも同じだと思うのだが、古い世代と新しい世代との対立はある。古い世代は古い時代の価値観で生きており、次の世代は次の世代の価値観で生きている。Tさんが辞めたことで、古い世代の残滓はあと僅かという思いが自分にはあるが、これを機に組織の刷新がはかれる状況になった。自分も管理職であるから、全体の把握は不可欠なのだが、専門外の分野については改めての勉強もさることながら、今現場で仕事をしている部下達の実情と意見を十分に聞き、咀嚼せねばならない。上が方針を出すことは当然だが、その方針がただ上意下達の命令になれば、それに納得できない下の者にとってはストレスを増やす原因となる。小さな会社であるから、上下の差なく組織の行く末についての、あるいは現状改善についての意識を持ってもらいたいのだが、なかには、その日が終わればそれで良しとする人間もいる。楽をする為に忙しい振りをする人間は、結局のところ、自らの首を自らの手で締めていることに気づかない。もちろん、する必要のない苦労をする愚かな行為を繰り返す人間も片方にはいるわけで、そちらはそちらで問題なのだが…しばらくは眠れぬ日が続く。せいぜい死なない程度にはしておくつもりだが…早くこのブログで愚痴が書ける日々を取り戻したいものだ(笑)
2010年10月22日
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