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2013.06.14
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カテゴリ: 竜馬とゆく
【竜馬とゆく(竜馬がゆく/門出の花)2】
20130614

20130606b

『座禅を軽蔑し「座るより歩けばよいでないか」とひそかに考えた。
座禅に行って、半刻、一刻の座禅をするよりも、むしろそのつもりになって歩けばよい。
いつ頭上から岩石がふってきても、平然と死ねる工夫をしながら、ひたすらにそのつもりで歩く。
岩石を避けず、受けとめず、頭上に来れば平然と迎え、無に帰することができる工夫である。』


江戸へむかう街道にて。

竜馬にとって歩くことはすなわち訓練であり、「無」の境地は歩いて体得した。
維新回天前、新選組を中心とした刺客に襲われた折りに、竜馬はその「心胆(境地)」と剣術修行から得た「間」で難を逃れることになる。

江戸への途上、岡田以蔵にからまれる。

「竜馬は、男のなかでも一番手におえないのはこういう男だとおもった。
小心な男だけに、せっぱつまると、何を仕出かすかわからない。」

~江戸へ~

そこで竜馬は『岩石』のような岡田以蔵に『避けず、受けとめず』そして『平然と迎え』えるのである。
竜馬の対応はこうだ。

「俺は幸い、金に不自由のない家に育った。それは天の運だ。天運は人に返さねばならぬという。」
~江戸へ~

そういって懐中の五十金を岡田以蔵にくれてやるのである。


机上の勉強に合理性を認めなかった竜馬は、ひたすら歩きながら勉強したわけだ。

「あの桂浜の月を追って果てしもなく船出してゆくと、どこへゆくンじゃろ。」
~お田鶴さま~

アレコレ思考をめぐらす竜馬である。
経験や知識と、世間の整合するところから仮説を導き出し、それを検証するためにまた歩くのが竜馬流の勉強である。
勉強が積み重なり、竜馬の知恵となり、そして叡智となった。
竜馬の勉強は現代風にいうと、安岡正篤先生の言われた「活学」の実践であり、また中村元先生の「学問が身についてきた」と評するところだ。

そして、考えるより先に実際に自分でやってみるのも竜馬流である。

「それよりも、おれにやらせてくれ。お前はそこについていて、いちいち手直ししてくれればいい。」
~お田鶴さま~

船中で船頭に梶を教わる竜馬は、「旦那、ひとつ梶を教えましょうか」という船頭の申し出に対しそう答えたのだ。

何事も実際に自分でやってみる、という竜馬のスタンスまた、竜馬の情報収集(取材)の基本姿勢にもなった。
つまり三次情報より二次情報、確かなのは一次情報というわけだ。

1.自分で
2.直接やる(見る)
3.そこから判断(行動)した
のである。

20130124aisatsu





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最終更新日  2013.06.14 06:18:40
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