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いよいよカンボジアへ。カオサン通りから出発。6人ぐらいの旅行者が集まってきてワゴン車に乗り込む。バンコクからアランヤプラテートという国境の町までのドライブ。どれくらいだったかな、忘れた。タイ人運転がものすごい荒くて、のろのろ走る車が前にあると、対向車線にでて追い抜いてぶっ飛ばしていくのだ。最初ははらはらしていたのだけど、慣れてくると「早く前の車追い抜いちゃえー!」と思えてくるから怖い・・・。私は運転免許を持ってはいけないタイプなのかもしれない。で、国境までは順調だった。いよいよ始めての陸路の国境越え。イミグレーション前にみやげ物屋や売店があり、そこで出国カードのようなものを書かされた。すでにそのへんではカンボジア人もタイ人もごちゃ混ぜだったと思う。ちょっとなんとも言えない表情の帽子を被ったカンボジア人の若い男がカードの書き方を教えてくる。で、イミグレーションに行くまで付いてきて最後はチップをくれという。やっぱりそうか、と思いながらもどう対処したか忘れたが、すでに物乞いの取り囲まれあらゆるものをくれといってくる小さな子ども達に私は釘付けだった。物乞いはカンボジアに入ってからもっとすごかった。子どもがはだかんぼの子どもを抱っこして「ワン バーツ!ワン バーツ!」と駆け寄ってくる。だめー!というと手に持っているペットボトルの水をくれといったり、飴や食べ物をくれといってくる。足のない人が松葉杖をついて懸命に追ってくる。これでもか、これでもかといろんな物乞いがやってくる。はっきりいって、物乞いに追われるのはつらい。見るのもつらい。できれば会いたくない。でもなんというか、彼らには彼らなりの生があって選択があって一生懸命でユーモアもある。私が同情なんかしても彼らはきっと気付かないだろうし、ものをあげたところで感謝もしないだろう。たくましく駆け回る物乞いを相手していると、疲れるけど笑えるときもある。子どもはもちろん、手足のないおじさんや、腰の曲がったおばあさんも可愛くて自分と何も変わらないと思うんだ。私のほうがよっぽど甘くてちっちゃい。で、ここからハードボイルドなカンボジアンドライブが始まる。。。カンボジアの道路は舗装されていなかった。赤土のでこぼこ道だ。中国産のバスに乗り込むがエアコンなんて当然ない。暑くて窓を開けたいけどあけると、ものすごい勢いで赤土の埃っぽい空気が入ってくる。窓を閉めていてもほこりだらけでむせる。普通の道だったら2時間ぐらいで着く距離なのにでこぼこ道をのろのろ走り8時間以上かかった。途中西洋人の旅行者二人がトイレに行きたいといって車を止めた。その時彼女達は草陰にばーっと走っていったが、ここはカンボジア、アンコールワットと地雷の国と思っていた私はひやひやした。無事だったけどね。あの疲労感はたまらんかった。シェムリアップに着いたときはすでに真っ暗で町は静かだった。宿に連れて行かれ、チェックイン。私は日本人の女の人と同じ部屋に泊まる。意外にきれいで、部屋にシャワーもある。ベッドに横になるととたんに疲れが押し寄せてきて起き上がれず、ご飯も食べずに眠りこけた。明日はアンコールワットだ。朝日見れるかな。くしょん。
2007年02月04日
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そう、宿にいた70歳の日本人のおじいさん。生まれは中国でいろいろ旅をしてきたそうな。100カ国は回ったとおっしゃるおじいさんが一番面白いと思ったところは、タイのおとなりカンボジアにあるアンコールワットだとのこと。意外と普通な意見だなと思いながらも、こんな素敵なじい様が言うのならば行ってみたいとうずうずしてきた。タイの隣だし、アンコールワットのある町シェムリアップはわりとタイ側にある。ま、ま、ま。行けたら行ってみよう、と私はもうちょっとタイ北部をうろつくことにした。チェンマイは居心地がよかったが、外国人ばかりですぐ飽きた。で、タイの東北部を目指すことにした。イサーンといわれる地域である。そうとうな田舎らしい。タイ人にイサーンに行くと言うと「はぁ?そんなとこ行ってもなにもないよ」とか「あそこは野蛮だ。蛇やら犬やら食べるんだよ」とか結構、別世界扱いされている。そうなると、ますます見て見たい!まずはウドンターニという町までバスに乗る。そして乗り換えてノーンカイというラオスとの国境がある町に着いた。ノーンカイ不思議な町だった。メコン川沿いの宿に泊まる。川の方にレストランが併設されている。対岸はもちろんラオス。部屋は狭いけど、安いからいいの。宿にトゥクトゥクのお兄ちゃんがいた。よくあることだけど、宿に泊まっている客を観光に連れて行こうとトゥクトゥク野郎が宿に入り浸ってのんびり客待ちしている。で、ここの宿にもいたんだけど、やつはかなり面白いトゥクトゥク野郎だった。名前は「倫太郎」、もちろんタイ人なんだけど日本名を持っている。そんで、日本語ペラペラ。ぜんぜん訛りもなく、不気味なほどに日本語がうまい。何で?と聞くと「ここに来る日本人から覚えたんだよー」という。すごい、プロだ。もちろん彼は私を観光に連れて行きたいのだ。で、私はノーンカイの町を回ってもらうよう頼んだ。ノーンカイはちゃんとガイドブックに載っている。そりゃ、バンコクやチェンマイ、リゾート地に比べれはメモ程度の情報だけど、怪しいお寺やラオスへ繋がる友好橋など興味がある。まずは怪しいお寺へ。お寺と言っても園内に変な像がうじゃうじゃしたところで、ほんとに不気味でユーモラスでへんてこな世界。一応ちゃんとストーリーというか歴史はあるらしい。バラモン教と仏教のカオスみたいな・・・意外と壮大なテーマパークではしゃいでしまった。かなり素敵なレポートがあったのでお借りします(リンクフリーだからいいよね)→ワットケークへそのお寺の中でよくタイ人に「アジノモト!」「コンバンワー!」とか言われた。倫太郎はなかなかセンスがよく、川沿いにある気持ちのよい飯屋に連れて行ってくれたり、友好橋を下から眺められる川原に連れていってくれたり、夜は変なカラオケのある飲み屋に連れて行ってくれた。タイ語のカラオケを聞き続けるのはかなりきつかったけど、もうどうでもいいやーとなるのがタイの旅。長い一日を振り返りながら、狭い部屋のベッドでぐっすり眠る。ここでもトカゲが鳴いてるよー。次の日はぷらぷら町を歩く。商店街をくまなく回り、住宅街を見回り、疲れたらメコン川みながらお茶をする。郵便局にもいったし、することは別にないのでただただ歩き回った。ちらほら日本人もいたようだ。ノーンカイにはどれくらいいたかな。3,4日だったかな。倫太郎にラオスに行くか?と誘われたけど、頭の片隅にカンボジアがやっぱり残っていたので、ラオスは眺めるだけして南下することにした。また電車の長い旅。ノーンカイ駅からバンコクまでいっきに夜行列車で行く事に。倫太郎に見送ってもらいながら出発。そういえば駅に行く前に宿の近くでお茶していると日本人のおじさんと会った。ほんの10分ぐらいしかしゃべってないのだけど、約一年後にこのおじさんと井の頭公園のフリマで出会うのだ・・・!名前も知らなかったし、東京にいるっていうことも知らなかった。しかも私はたまたま東京に遊びに行っていたという恐るべき再会だったのだ。不思議な田舎ノーンカイともお別れして、またまた大都会バンコクへ。とりあえずまたカオサンに戻り、いよいよカンボジアへ行こうと決心した。そしたら、もう早い。ほいほいほいっと、仲良くなった旅行会社で手配してもらい出発だ。生まれてはじめての陸路での国境越えにもわくわくする。しかし、噂どおり陸路でのアンコールワットの町シェムリアップへの道のりはかなり厳しい修行だった。ということで、次はカンボジアへ行くよ。はっ、くしょん!
2007年01月27日
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待ちに待った、象さんとの散歩。象たちの背中にイスのようなものを取り付けてくれている。乗ってみる。高い・・・象自体大きいのでかなり上に乗ると高いが、さらにイスに座ると高くて山道を歩くと木の枝に注意しないと顔面傷だらけになってしまう。日本人のお姉さんと二人でのる。象使いのお兄さんがうまく象を操っている。せまい山道をでっかい象がのっそり歩いていくのだけど、結構怖い・・・。揺れるし、もし一歩でも象が踏み外せば、谷の方に滑り落ちるかもしれない。最悪、象の下敷きになってぺっちゃんこ。こっちはハラハラドキドキしてたけど、象さんたちは観光地の象さんとはちがって、かなりのんびり屋で、自由。道草も多く、急に立ち止まっては、好物の草や枝に噛み付いたり、ジャンボ級なウンチをしたりする。やっぱり象は可愛い。上から象を見たのは初めてだった。象の背中から見た象の頭の形はE.Tみたいだった。肌の質感やしわの雰囲気も似てる。頭にはちょびちょび硬い毛が生えている。私は背中に取り付けられたイスをおりて、じかに象に座ってみたくなった。イスからそっとおりて、ずるずると象さんの首根っこのとこにまたがる。つかまるところがないので、耳をつかんで揺れに耐えた。長い鼻をいろんな方向に向けながら、象さんはのんびり歩いていく。頭にしがみついて、ほお擦りしたり、硬い毛をひっぱったりしてもしても象はおかまいなしでのっそのっそ進む。可愛い。いいやつだ。1時間ぐらいで象ライドは終わってしまった。残念だけど、象さんたちはきっと疲れただろう。首根っこにしがみついた人間のせてたら、肩がこってしかたがないだろう。山を象にのってくだるのは楽しかった。ちょっとおしり痛いけど。ありがとう。お世話になった象たちとお別れして、次はいかだで川下り。象の山へ戻っていくぼてっとした後ろ姿が、また、ほんとに愛らしくてしかたがなかった。今度は2組にわかれていかだに乗る。竹をつないだだけのいかだに、これまた竹の棒を使ってかじをとる。これがものすごくおもしろかったのだ。川の流れはそんなに速くはなさそうで、いがいと速い。竹の棒だけで操るのは難しかった。でも流れにまかせていれば、勝手に進む。ということで、そのうち竹の棒は、武器と化す・・・。2台のいかだの間で戦闘開始!竹の棒で突っつきあったり、いかだでぶつかり合ったりしながら次々と川へ落とされていく。水着なんて着てなかったのに・・・。敵の船にはジャンヌ・ダルク化したフランス美人が本領発揮。めっちゃ強い。竹の棒を自由にあやつり、雄叫び上げながら次々に私達を水の中に沈めていく。しかもこっちがどんだけ必死に仕掛けても絶対に落ちない。完全にやられた。フランス軍にやられちまった。そうこうしているうちに、昨日と同じピックアップトラックが迎えに来ていた。トレッキングは終了に。びしょびしょどろどろの私たちは満面の笑顔でトラックに揺られてチェンマイの町へ戻った。そして次の日、強烈な筋肉痛に陥り、一緒に行った日本人のお姉さんとタイマッサージを受けに行った。初めてのタイマッサージ。というか、マッサージ自体うけるのは初めてだった。でも、ものすごくよかった。場所は静かで風通しがよく気持ちがいい。かすかに花の匂いがする。ゆったりした服に着替え、かすかにいい香のするおしぼりをアイピロー代わりに。あしからじっくり、しっかりほぐしてくれて1時間100バーツ。300円ぐらい。気持ちよかった。相変わらず筋肉痛はあるけど、体が軽くなった。かなりタイの観光客らしくなってきた。そしてまた面白い出会いが待っていた。100カ国は回ったという、70代の日本人のおじいさん。そんな超ベテラン旅人に聞いてしまったのさ。今まで行って、一番面白かったとこは?ってね。そしたら、っくしょん!!ではまた、っくしゅん!
2007年01月25日
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タイの北部でトレッキングはタイ旅行のお決まり・・・カレン族の村についてからが真のトレッキングの始まりだった。車が入れないので、こっからは徒歩。最初は山の中の田んぼのあぜ道なんかをみんなでわいわいあるいて、まだまだ余裕。なんか、日本の田舎のような雰囲気もある。「ふるさと」を歌いたくなる。だけど・・・どんどん山道が険しくなる。草を踏み倒し、岩を登り、足が滑る。ガイドのおっちゃんはかなり早いし、待ってくれても私達が追いつくとすぐに歩き出すので、追いかけ組の私たちはいつまでたっても休憩できない。そして一番笑えたのが、丸太の一本橋渡り。なんじゃーこらー!リポ〇タンDのCMばり。川の上に丸太一本の橋がありそれをガイドはすたこら渡っていく。怖すぎるー!川までは5,6mの高さだっただろうけど、それでも緊張する。もう、ファイトーいっぱーつっ!で気合入れて渡った。できた。できたよー!!誰一人落ちることなく一行は次のステージへ。。。そのうちまた別の村に着き、学校のようなところにいった。子どもたちが「おおきなくりのきのしたで」を歌っていた。日本語で。そしていよいよ今夜泊まるバンガローに到着。高床式の木のバンガロー。荷物を置いて川で遊んだりして、もういい加減日も暮れてくる。カレン族のおばさんたちがご飯を用意してくれていた。暗くなった外でろうそくを立ててみんなでご飯を食べる。ものすごくおいしかったことを今でも憶えている。そのあとはみんなで手品したりトランプしたりしてわいわい過ごした。フランス人のお姉さんがものすごく面白かった。モデルさんのようにスタイルがよくきれいなんだけど、かなり強烈で天真爛漫。だれもフランス語わからないのにしゃべりまくり、ひとりで爆笑している。かわいい人だった。明日の朝は待ちに待った象ライド!今日もよく遊んだしぐっすり寝よう。ところがやっぱり・・・寒すぎる!山の中で薄っぺらい寝袋だけでは耐えられない。高床式のバンガロウーは隙間だらけ。下から上から冷たい空気が押し寄せてくる。あぁ・・・眠れないよ。みんなも寒そうで寝付けないようだった。隣のお姉さんにくっついて寝ようかと思うほど辛い一夜だった・・・。ほぼ眠れずに朝を迎えたが焚き火にあたりながら解凍して山の中の静かな朝は神聖だった。村の中をぶらぶらしてると朝日が出てくるのが見えた。山の上にキラキラ朝日が光って、朝日の当たるものすべてがきれいに見えた。遠くは少しもやがかかっている。まだまだ寒いけど、きっと昼は温度が上がりそうだ。そして網でカレン族のおばちゃんが焼いてくれたトーストを食べる。異様な朝ごはん。でもおいしいよ。網目がかわいい。そしたら、象さん登場!!でかい・・・。4頭の象。本来は山の中で木を運んだりする働き象らしい。でも弱いメス象や年寄り象はこうやってトレッキングにきた連中を背中に乗せて山の中を散歩してくれるのだ。やばい、出かける時間だ。途中ですが失礼します。はっくしょん、くしょん、くしょん、くしょん、しょん、しょん、しょん、ん、ん、ん・・・
2007年01月21日
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再び復活・・・か、書きます!タイのアユタヤで19歳の誕生日会をしてもらい、夜行列車でチェンマイへ。夜行列車は贅沢してエアコン付きの寝台車に乗った。快適だった・・・。ぐっすり眠れたし、車窓からの景色も素敵だった。山の中に入っていく。タイ北部は山岳地帯みたい。いろんな少数民族の部族が暮らしている。チェンマイの駅に着くと客引きがたっぷり待っている。いつものように適当についていって宿を確保。日本人には有名な宿らしく、たくさんの日本人がいた。チェンマイはバンコクほど暑くなく、気持ちよかった。観光客はたくさんいるから外国人も暮らしやすく治安もいい。さっそく夜はナイトマーケットに出かけた。宿で会った日本人のおっちゃんとぶらぶらしておみやげ物屋が立ち並ぶ通りをひやかし、ムエタイとタイ舞踊が交互に見れるフードセンターでご飯を食べる。ムエタイはアマチュアだったと思うが初めて見て意外と興奮した。無料のショーだが、試合が終わるとチップをもらいに回ってくる。タイ舞踊のショーもおもしろかった。絶対、あの人オカマだよ、いや、ほんとの女の人だよとみんなで大激論。タイ舞踊の後にもチップをもらいにくるのだけど、やつは絶対オカマの方だったよ。とってもきれいだった。チェンマイといえばトレッキング・・・。私ももちろん行く気満々で、楽しみにしていた。で、早速次の日、宿でオーガナイズしてもらいカレン族の村を訪ねる1泊2日のトレッキングに参加した。日本人6人、フランス人カップルの計8人にガイドさんと運転手。リュックと寝袋を貸してくれた。ピックアップトラックに屋根をつけたような車の荷台に乗ってレッツゴー!みんなとは初対面だったが、すぐに仲良くなった。フランス人カップルもめちゃくちゃ素敵でノリがよく、フランス語オンリーでバンバン話しかけてくるのだ。驚いた事に日本人メンバーの中に高校のときの同級生のお兄ちゃんがいたのだ!もちろんお互い会ったことなんてないし、ちょっとしたことがきっかけでそのことに気がついたけど、最後まで気付かなかったとしてもおかしくない。すんごいおもしろかったな。私のトレッキングのイメージ→ハイキング、わいわいみんなで歌いながら景色見ながら歩いて草原でお弁当を食べる・・・みたいな感じです。で、まず向かったのは山のふもとで大きな滝を見ました。きれいな滝で、思い思いに散策していい感じ。水しぶきが気持ちいい。で、そのあとまた車でもっと山の奥に進んでカレン族の集落に着く。高床式の木造の家があり、子どもが駆け回り、みんなよく働いているようだった。家畜もいる。そこでちょっとランチタイム。何食べたかはもう忘れちゃった。それからが、トレッキング本番・・・のほほん気分の私のトレッキングのイメージを覆される事になる・・・くしょっ!
2007年01月08日
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とっても久々に書きます・・・また旅の話です。前回までのアメリカ旅行の後、約半年後にタイへ行ってみました。この旅の話は一気に片付けようと思います。(次の旅の話を早く書きたいので)2001年の冬のことです。2月の初め、18歳の終わりごろの話です。福岡空港からバンコクまで直行の飛行機だったのでとっても楽でした。またいつものようにバックパック一つ持っての一人旅行です。なぜタイに行こうと思ったのかはわかりません・・・いつものことですが。真冬の日本を出発して真夏のバンコクへ。寒いのが大嫌いな私はすごく嬉しくてわくわくした。空港から町の中心地までバスに乗ってみた。空港周辺は結構整備されていて、普通に都会な雰囲気で少し驚いた。でも飛び交う耳慣れないタイ語の会話や、まとわり着くような熱い空気がタイに来たなぁ~と思わせてくれた。しっかし、大渋滞。世界一渋滞のひどい国と聞いた。さっきから全然進まない。で、目的地はやっぱりカオサンだ。この「カオサン通り」とはバックパッカーなら誰でも知ってる、バンコク最大のパッカーたちの溜まり場だ。安宿が並び、旅行会社、屋台、外国人向けのバーやレストラン、海賊版のCDやPCソフト、Tシャツやアクセサリーお土産品に果ては偽の学生証までも作ってくれる。しかもかなり有名大学のもの・・・。タイ初心者の私はそんなファンキーなカオサンに行けばどうにかなると思っていた。バスに揺られて2時間。やっと到着。もうすっかり夜。だけどカオサン通りはギラギラして、大音量で音楽が流れている。しかも、ほんとに外国人ばっかりで、タイ人がいない。もう疲れたし、暑いし、宿は何でもいいやと声を掛けてきた客引きに引っ張られるままカオサン通り沿いのある宿にチェックイン。やっすい宿だ。だからクーラーなんて付いてない。虫が出ないことを祈りながら、荷物を降ろして・・・って、うわぁー、トカゲがいる~!!20cmぐらいの薄い茶色のトカゲが、この部屋の主のようだ・・・。ま、先に住んでいるならしかたがない。仲良くしようと思ったが、なんと、もう一匹いる!あ、夫婦なんだな、とあきらめていたが、向こうのほうがきっとびびっているはず。ほとんど動かない。私はすぐに気にならなくなった。外に出てぶらぶらしてみる。一人ぼっちだからやっぱりちょっと寂しい。でも屋台でビールを飲んでご機嫌になり、水などを買って、部屋に戻った。今日は初日で疲れた、ほろ酔い気分ですぐに夢の世界へ・・・となるはずだったが、外がうるさいっ!!!眠らぬカオサンは、(というか、夜のほうが元気がいいぐらい!?)しかもその通りに直接面した宿にチェックインしてしまったので、大音量のタイのディスコミュージックや、西洋人向けのロックやヒップホップがミックスされ、狂った観光客が吠えたり、歌ったり、バイクやトゥクトゥク(3輪のバイクのタクシーみたいなやつ。タイの名物かな)のボフボフうるさいエンジン音・・・挙句の果てに部屋の同居人のトカゲまでもが「キキキキキー!」と鳴き出すのだ・・・。トカゲって鳴くのだなぁと生まれて初めて知る事ができたが、まったく夜に反抗的な世界は静まりそうになかった。ほとんど眠れなかった私は次の日速攻荷物をまとめて、徹底的に宿探しを始めた。通り沿いではなく、通りを抜けて川のほうに歩き、その辺で宿を探してみた。でもみんな考える事は同じようでどこもほとんど満室だった。チェックアウトの時間もまだ早いので、とりあえずもうしばらく待つことになった。朝のバンコクは夜の残骸があちこちにちらばって、汚かった。でもそれでも青い空の下、静かな異国の朝は悪くない。バナナシェイクなど飲みながらぼけっと過ごす。やっと見つけた宿はドミトリーだったけど、なんとクーラーが付いている部屋だった!しかもきれいでなんかベッドとかもかわいい。難点は、男女共同部屋だということ・・・。洗濯がなんとなくしづらい。でも逞しい西洋人のお姉さんはフツーにタオル一枚とかでシャワーから帰ってくるからね。ということでバンコク。たいして観光してません。歩ける程度でふらふらしつつ、時々でっかい百貨店の立ち並ぶところで遊んだりしながら、過ごしていました。そして私はバンコクから電車で北にのぼり、アユタヤという町へ。遺跡の素晴らしい、静かな町でなかなか好きだった。ここのゲストハウスはオーナーがタイ人の女性で、その旦那様が日本人ということもあり日本人がたくさんいて、毎晩ナイトマーケットで遊んだ。このナイトマーケットが素晴らしく、川沿いにあり、夜は風が気持ちよかった。ここで毎晩チャンビア(象ビールという名前)というタイビールを飲みまくっていた。タイ人は氷を入れながらビールを飲む。暑いのですぐぬるくなるからだろう。で、チャンビールも結構濃い味の重い感じのビールなのだ。でもアユタヤでは結構ちゃんと観光してまわった。そして私はここで19歳の誕生日を迎えることになった。その時宿にいた人たちがパーティーを開いてくれた。歯が浮くような甘い派手な色のケーキを用意してくれ、いろんな料理を屋台で買ってきてくれ、ビールとメコンウイスキー(タイの安いウイスキー)で乾杯。宿で仲良くなったタイ人のおじさんにジャスミンの香がする石鹸のリースをいただいた。かなりの人数がいたのですっごく楽しかったけど、私はその日の夜にチェンマイ行きの寝台列車の予約を取っていたので、泣く泣く出発し、楽しい誕生日を初めて異国で迎えた。意外に時間がかかる。書き出すといろいろ思い出してくるなぁ・・・。とりあえず今日はこれくらいで。また一気に書いてしまうぞ!いつもいつも自己チュウなブログですみません。
2006年08月26日
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サンディエゴではたくさん友達もでき、毎日楽しかった。若い旅行者が多くて刺激的だった。でも、そろそろ出国の日が近づいてる。また憂鬱なロスに戻らなければならない。しかも飛行機はは真夜中の便。でも、夜遅い便だから、ぎりぎりまでサンディエゴにいて、出発するその日の昼にロスに戻っていいやとお気楽に考えた。電車で海沿いをロスまで登るのだ。いい考え。ということで、いよいよその日はやってきて、宿のみんなとお別れして駅に向かう。ロスまでの車窓はなかなか良かった。海の傍を走っていく。どれぐらい乗っていたか忘れたが、何の問題もなく昼過ぎぐらいにロサンゼルスに入ったと思う。初めにアムトラックに乗り込んだユニオン駅に戻ってきた。出発したときより、やっぱり余裕が出ているような気がする。そんなに長い時間ではないがさ迷って楽しんできた時間が私を心強くしてくれる。ユニオン駅のきれいな天井の高い駅舎をくぐりぬけて、またてくてく不気味に人気のないまぶしいロサンゼルスの街を歩き、最初に泊まった宿になんとなく戻ってみた。すると、そこにはサンタフェの宿で仲良くしていた、イタ飯シェフのお兄ちゃんがいた。再会にもりあがり、もともと面倒見のいい彼は私の荷物を預かってくれ、近くのホテルに空港までのシャトルバスを頼んだらいいよってそこのフロントまで連れて行ってくれた。フロントでは日本語も通じ、宿泊していないのに快く空港まで送ってくれると言ってくれた。なので、もう心配する事はなくなった。ということで、イタ飯の兄ちゃんと何人かの日本人旅行者とビールでものんでのんびり過ごした。相変わらずリトルトーキョーはなんだか滑稽で、青空の下、二宮金次郎の銅像がうきまっくっていて、切なかった。そこにいた日本人旅行者はその日メジャーリーグを見に行くって言っていた。確か、日本人の選手がいるチームの試合だった。詳しくないからよくわからないけど、いいなぁ~行ってみたいなぁ、やっぱりまだ帰りたくないよ・・・と思った。夜になってそろそろ出発。イタ飯のお兄ちゃんは野球に行かず残ってくれ、シャトルバスまで見送ってくれた。ほんとにこんなお兄ちゃんがいたらいいなぁと別れを惜しみながら出発。(日本に帰ってからこのお兄ちゃんを含む4人のサンタフェで会った旅行者と関西で遊んだ。東京にいるサンタフェであったお姉さんのところにも何度も遊びにいった。日本各地に友達ができるのも旅行のよいところ・・・)時間が時間なので、シャトルバスの乗客は私一人。眠らないロスのビル群をバックにバスはハイウェイを突っ走る。ものすごいスピードで引きつりながらも、遠くなっていく夜景を眺めて、いやぁ~短い間だったけど、いろいろあったなぁ。と、ちょっぴり寂しくなった。でもいつでも来れるとも思った。必要があれば・・・空港に着いて、もう眠くてきつかったが、空港の冷房が効きすぎていて凍えるほど寒くあまり休めなかった。ま、無事に飛行機に乗り込んでアシアナ航空でソウルに向かう。9時間ぐらいのフライトかな。行きがけみたいに隣は美人の香港人だったら楽しかったのに、帰りはでかいおじさん方に挟まれて、窮屈だった・・・。朝早くソウルの空港に着いた。福岡はもうすぐそこなのに6時間も待ち時間があった。今のインチョン空港ならきれいでお店もたくさんあり時間潰す手はいろいろあるが、当時のソウルの国際空港はキンポ空港なので暗いし、免税店も小さく見るところがない・・・ということで、人も少ないし、ベンチをベッドにリュックを枕にして寝まくった。飛行機の中でもほとんど眠れなかったし、疲れてもう動く気もなかった。朝の静かな空港は寝る場所にもってこいだった。がやっぱり、冷房がきつかった。で、いよいよ日本に。久しぶりに日本語が普通に聞こえて、お店の人は笑顔で優しく、アメリカの無愛想で威圧的な感じとはまったく違い、ほっとしたが、ちょっと物足りないような妙な気がした。でもお母さんと妹が迎えに来てくれていて、帰るところがあるっていうのは幸せだなと思い、私はますます旅にはまっていくのを確信した。ということで、2000年アメリカの旅は無事に楽しむ事ができた。ありがたい気持ちでいっぱいで、ほんとにいい旅だった。やっと書き終わりましたが、次はタイ+カンボジア編に飛びます・・・へっくしょん!
2006年07月06日
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同じ部屋のお姉さんにもらった美術館のチケットを持ってサンディエゴ郊外に出かけることに。一人で市電を乗り継いで美術館へ向かったと思う。新しいきれいな美術館で真っ白な建物で明るい陽射しが降り込んでいた。美術館は海の近くにあったが、この前みんなで出かけたようなビーチではなく、崖が入り組んでいるような海岸線だった。で、美術館ではちょうどフリーダ・カーロの特集展示をしていた。あと、彼女の才能を見つけ出し、のちのち旦那さんになるディエゴ・リベラの絵も同時に集められていた。よかった・・・。ほんとにいい企画展示だった。フリーダ・カーロの絵の生命感と力強さに感激した。たとえ眉毛が繋がっていても美しすぎる彼女の自画像にドッキドキだった。かなり劇的な一生を絵を描きつづけて駆け抜けた彼女の熱い血の流れが鮮やかに画面から感じ取れる。どれも素晴らしく可愛らしくグロテスクにシュールでリアル。大事故の怪我の後遺症に悩み、もともと体の弱い彼女はベットに寝ながら最後の最後まで描いていたらしい。そんな彼女のアトリエを再現してあった。いいな、そういうの。最期まで自分の仕事を貫き作品を産み出して力尽きていく。かっこよすぎます。フリーダ・カーロの絵にやられちゃって他の絵についてはあまり憶えてない。ていうか、全然忘れた。ま、でもモダンアートの作品が面白かった。庭があり、そこにもいろんな作品が並んでいた。カラフルなおいしそうな頭部が吊り下げられていたり、いろいろくすっと笑えるような作品があった。美術館を堪能し、がけっぷちの海を散歩し、優雅な一日を送ることができた。宿に戻れば相変わらずな感じで、夜はみんなでビール飲んで騒いでいた窓の外には観光用の馬車がかっぽかっぽ歩いている。週末だった。ものすごく騒がしい夜で、昼間の優雅さはぶっ飛んでしまったが、それもそれでいいと思う。もうそろそろアメリカの旅も終わりを迎える、んだな。じゃ、はっくしょん!
2006年07月02日
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宿ではビーチや動物園などの観光地へマイクロバスで送迎してくれるサービスがあった。宿の一見けだるそうで悪そぉ~なロン毛の兄ちゃんが運転して連れて行ってくれる。そこで、みんなでビーチへ出かけることに。カナダでワーホリ中の日本人旅行者とトルコ人、オーストリア人、オーストラリア人、スペイン人、ドイツ人、フランス人・・・多国籍な雰囲気でノリノリだった。ビーチは曇り空だというのに、人だらけ・・・日本のビーチのように人で埋め尽くされ、音楽がガンガン流れ、ビーチパラソルや、レジャーシートでカラフルに彩られていて、少々せわしないがにぎわっていて楽しい。海の水は残念ながらそこまできれいではなかったが、砂浜でごろごろねっころがって、みんな虫干ししている。空にはアメリカのビーチでよく見る、宣伝広告の旗を引いた飛行機が飛び交っている。海もやっぱり楽しいな。散々旅行中、日焼けしていたが、また余計に焼けてひりひりして痛かった。ビーチ周辺で遊んで結構くたくたになって宿に戻る。みんなでビール飲んで打ち上げ(?)してわいわい!しかし、だ!酔ったオーストリア人が絡んでくる。逃げ回っても、私の人生史上最高に酒癖の悪いやつですきあらば顔を近づけキスしようとしてくる(笑)この変態め!と退けてもやつは酔っ払って言うこと聞かない。酔ってるから仕方ないとはいえ、我慢できない!っとそのとき、別のオーストリア人が割って入って追っ払ってくれ、渋々やつは部屋に帰って行った。そして、助けてくれたオーストリア人がオーストリアを代表してか(?)、深々と謝ってくれた。おかげで、オーストリアとの戦は回避できたのだ。今となっては、いい思い出だ・・・(笑)そんなこんなでサンディエゴの日々はあわただしく、いろんな人がいて面白かった。旅行者だけでなく、ホステルで暮らしながら、何か勉強している人や、仕事をしている人もいた。そんな中、同じ部屋のアメリカ人のお姉さんが美術館のチケットをくれた。アート関係の勉強をしているきれいな人で、いい美術館だから是非行ってみてと行き方を教えてくれた。フリーダ・カーロの絵がたくさんあるという。絶対行こうと思い、久々に一人で動いた。ということで、また・・・へっくしょん。
2006年06月21日
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サンディエゴ最初の観光は動物園だった。動物園、実はあんまり好きではない。やっぱり不自然な感じがするからな。でも動物を見るのは好きだ。行けば子供になったと思って無邪気に楽しめる。しかもサンディエゴの動物園にはパンダがいるらしい。フランス人の兄さんと確か、バスなどローカルな交通手段で動物園へ向かった。私の英語はめちゃくちゃで、ネイティブの人との会話はチンプンカンプンだった。しかし、このフレンチ兄さんも英語はでたらめで、あてにならなかった。特に二人とも読むことが苦手で、時刻表や地図、案内書を読めず、道行く人に尋ねながら地道に進んでいった。でもなんとかてくてく動物園に向かい、無事に着いた。動物園はたくさんの家族連れや若者で溢れていた。結構有名な動物園のようだった。で、やっぱり一番人気はパンダだったようだ。私達はパンダに並ぶ人の列にびびり、あっさりパンダはあきらめた。そこで、広い園内をまわる2階建てバスのツアーに参加することにした。それも少し待たされたが、暑い中広大な動物園の歩き回るより楽で手っ取り早い。迷子になることもないし、動物の前ではストップしてくれるのだ。ということで、張り切って2階の席に座った。みんな異常に興奮していて、子供も大人も楽しそうだった。で、またガイドのアナウンスが熱い!乗客みんなが口笛鳴らしたり、拍手したり、大爆笑で大うけしている。が、私とフレンチ兄さんは「(・・・し~ん・・・)ねぇ、今なんて言ってたかわかった?」と聞くと「いや全然・・・(し~ん・・・)」と言う状態。でも動物を見るのに英語なんて必要ない!詳しい生態の説明などはわからなくても、動物は見てるだけで楽しかったりする。日本語マニアに陥りつつあるフレンチ兄さんに「熊は日本語で何ていうの?」「キリンは?」「象は?」と次々に聞かれ、しかも動物園の地図に日本語で書いてくれとまで言う。動物を見る合間に私はせっせと動物の絵の横にひらがなと漢字で書けるものは漢字も付けて書き込んでいた。フレンチ兄さんも漢字にはいたく喜んでくれていた。私も「あの動物フランス語で何ていうの?」って何度か尋ねたが、一つも憶えていない。ひとつとしてまともに発音できなかった。だいたい、彼の名前も発音が難しすぎて憶えきれなった。さすが人気のある動物園(たぶん・・・)で動物もいろいろいて、日本カモシカがいたことは今でも覚えている。ちょっとした珍しい動物もいてなかなか楽しかった。私達はバスで園内を回って、ちょっとランチタイムをとってから、もう動物園を後にした。動物園の周囲にある森のような公園をけっこう歩いて、また街にもどった。無事楽しい動物園トリップを過ごしました。次は海に行くんだな、みんなで。珍道中・・・っくしょん!
2006年06月15日
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いよいよフラッグスタッフを出ることにした。帰国の日が近づいてくるのでやっぱり西を目指す。でもロスには居たくないので、サンディエゴまで下った。また電車の旅だ。サンディエゴはカリフォルニアの一番南にあり、ここもメキシコへ入れる国境がある。日帰りのツアーなんかもたくさんあった。サンディエゴの町はきれいで、ロスほどに威圧感は無く過ごしやすかった。港には海軍の船もたくさん浮いていたが、いろんなお店やレストランが立ち並んでちゃんと観光地としてもにぎわっていた。私はインターナショナルホステルにチェックインした。街の中にあるホステルで、そんなに大きなホステルではないが、にぎわっていた。キッチンがあり、希望すれば3ドルぐらいで食べれるそこに住み込んでいるシェフが作ってくれるという、日替わりメニューがあった。朝はワッフルの生地が用意されており、好きに自分で焼いて食べれた。ドミトリーで一泊15ドルぐらいだったかな。世界各国の若者が集まっていて、狭い憩いの場では夜は毎晩パーティだった。最初仲良くなったのはフランス人で、名前は忘れてしまったけど私を日本人だと思っていきなり通訳してくれと言ってきたのだ。メキシコで出会った日本の女性旅行者を好きになり、メールを送りたいということで、英語で書いた手紙を日本語に訳してほしいらしい。そして、それをローマ字で日本語のメールを送りたいそうだ。『そんな手間掛けて読みにくいメール送るなよ~!英語でいいやん!』と内心思ったが、彼はかなりわくわくしていたので、引き受けてみた。しかもその日本人旅行者からもらったという絵葉書が久留米のもので、『おぉ!またマニアックなものをもらったなぁ~』と思いつつ「私の出身地と近いよ」というとフランス人はいきなり日本地図を書き出して「どこ?どこ?確か彼女の出身地はここらへん・・・、で君のとこは?」と大興奮の様子。とりあえず早く訳してあげよう・・・って最初から「Dear my princess」と来た。やっぱり「親愛なる私のお姫様/shinnainaru watashi no ohimesama」でいいのかー!?なんだ、最初から難しい・・・でもいいや。フランス人になった気分でかなり恥かしい文章をほぼ直訳してやった。きっとメールをもらうほうも送り手がフランス人だとわかれば、クスッと笑えるだろう。そしてやつに渡すと、早速宿にあるインターネットに向かい、懸命にローマ字で日本語をうっていた。そして出来上がったら私を呼びに来て、間違いがないかチェックしてくれという気合。う~ん、確かに読みにくい・・・でも彼は満足で、喜んでくれた。で、次の日彼とサンディエゴの動物園に行くことにした。果たしてパンダに会えるのか!?っくしゅん!
2006年06月14日
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フラッグスタッフでの忘れられない出会いの一つに日本人のヒッピー少女との出会いがある。ある日ユースでまったりしていると、日本人らしきお兄さんがいた。よく日焼けした顔でジーンズにTシャツに長髪、一見ネイティブアメリカンのようにも見える。向こうも私を日本人かなぁ~という感じで見ていてぺこりと会釈してきたので、あ、日本の人だなと思い挨拶した。さっき宿に着いたらしく、どこかの山に篭ってネイティブアメリカンのお祭り『サンダンス』の手伝いをしていたらしい。私はそんなお祭りなんてまったく知らないし、そのお祭りの内容のハードさに驚きつつ久しぶりに出会った日本人にうれしかった。そのお兄さんがもう一人日本人がいるよって教えてくれ、私を紹介してくれた。彼女が天然ヒッピー少女だ。会った時、彼女はほぼネイティブな英語を喋っていた。だからものすごく年上に見えて、うわー頼もしい!と思った。彼女も日に焼けて肌は褐色でコットンのロングスカートにいろいろなアクセサリーをたくさんつけていて可愛かった。声もはきはきと喋り、気さくでよく笑う。まさにアリゾナの太陽のように明るい。彼女と私はすぐに仲良くなった。なぜならお互い同じ年で、同じ名字で、どうでもいいが名前の画数が同じだった。彼女と近くのカフェに行ってお茶したり、メキシカンフードのお店で夕飯食べたり、宿に戻ってビール飲んだりしていろんなことをしゃべった。彼女はものすごく意志の強い子で中学を卒業してからアメリカに留学していたそう。だから英語もぺらぺらで日本人らしくない。彼女曰く日本がいやだったらしい。で、アメリカでインディアンに興味を持つようになって、ヒッピーな仲間達とアメリカ中旅して周り、ときどきこうやって大きなお祭りの手伝いをしたりするそうだ。手伝いも誰でもできるわけじゃなく、部族によっては一切外部のものを入れないと言うとこもあるらしいが、部族外のものが許可されるのもやっぱり信頼が得られないと手伝いすらできないらしい。彼女はサンダンスで1週間ほどテント暮らしで泊り込み、手伝いをしたらしい。毎年行っているようで、来年はもしかしたら祭りに参加させてもらえるかもしれないと嬉しそうに喋ったいた。最後の儀式で荒野に放されたヤギを一人一匹捕まえないといけなかったらしくて彼女は一日中ヤギを追いかけたと言う。いたるとこにあざや傷があったが、やっぱり豪快に笑っていた。彼女と過ごした時間はほんのちょっとで2日間ぐらいだった。彼女はフェニックスに向かい、それからどこに行くかは忘れたけど、日本に帰国するといっていた。私はフラッグスタッフのバス停まで一緒について行き、バスに乗るまで一緒にいた。もちろん連絡先は交換し、また会おうねと言っていっぱいハグして見送った。彼女とはそれ以来会えずにいる。でも会えると思う。いつでも会える。何度か日本に戻ってから手紙をくれたり、電話をくれたりした。彼女がピースウォーク(日本に落とされた原爆のウランを採掘した場所に古くから暮らしていたどこかのネイティブアメリカンの部族の人が来て、長崎から広島まで核反対と平和を祈りながらを練り歩くというもの・・・)のときに福岡に来ていて、すぐ近くにいると電話をもらったけど、理由は忘れたが会えなかった。でも彼女は時々ものすごいタイミングで手紙を送ってくれたりする。そして救われちゃうんだな。こうやって思い出していると、妙に彼女に手紙を書きたくなる。ところで私は「ヒッピー」という言葉が嫌いだ。私はふらふら旅をしていたけど、ヒッピーと呼ばれるのが嫌だった。なんだか反社会的で群れていて、逃げのイメージがある。一度日本でアメリカの同時多発テロ9・11以降に11月11日にいたるところでジョン・レノンの「イマジン」が歌われるというイベントがあった。おそらく世界規模でやったのだと思うけど、フラッグスタッフで会ったこの天然ヒッピー少女がメールをくれ私の住んでいるところの近くの会場を調べて教えてくれた。ま、ちょっと行ってみるかととある公園に行ったが、どうもあの雰囲気がだめなのだ。なんだがみんなドレッドヘアーにターバン、派手な染物のひらひらした服、ピースマークのペンダント・・・ギターやジャンベをならして何やら歌っている。みんな大抵いい人なんだ。でもなんか妙に悲しくなってしまう。私はちょっと彼らと話をして、帰りたくなったので、一緒に行った友達とビールでも飲みにいこっかと、その場を後にした。結局「イマジン」は歌わずに。いいんだ、いいんだ、別に歌っても。ヒッピーな彼女の事はいまでも大好きだし。ただ自分がヒッピーであると思うのはなんだか違うのだ、っくしょん。
2006年06月02日
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小さなフラッグスタッフのダウンタウンを歩く。最初フラッグスタッフに真夜中に駅に着いたとき、さ迷ったあたりを歩いていた。あの時はちょっぴり余裕なかったのだけど、今回はちょい悪親父風ピーターとその友達といっしょだから楽しい。週末でどこのバーもきらきらして、音楽が外まで溢れている。まず一軒目。ジャズのウッドベースが渋く響いてくるこじんまり(どこのバーも小さいです)したバーにピーターが目を付けた。ドアのところにはもちろんセキュリティーがいる。ピーター達についてこっそり入ろうとしたけど・・・やっぱり止められた。「IDは?」と言われたが「持ってない」と答える。するとやぱりだめだと言われた。ピーターとは仲がいいみたいで、ピーターがいろいろ説得してくれたが、どうしてもセキュリティーのおっちゃんは許してくれなかった。グッド・ジョブ!です・・・。すごくいい感じのバーでビール1杯だけでいいから入ってみたかった。でもいいバーになればなるほどセキュリティーは厳しいのだな。何件かあたるが、どうもうまく行かないのでちょっとはずれにあるバーに行ってみようと、夜の町を散歩する。いつものことながら私はどこをどう歩いているのかさっぱりわからない。方向音痴だし慣れない町だし、でもそれが気持ちいいのだ。自分がどこに立っているのかわからないと思うだけでゾクゾクする。変態?そして私達のお粗末な作戦はやっと成功することに。町外れのスポーツバーに潜入。作戦はピーターと友達の間に私が挟まってドアをさっと通り抜けるという荒業。しかし止められる事もなく成功し、普通にカウンターに座ってビールを出してくれた。ピーターの友達を見送るために出かけたのに私のせいで振り回してしまったような気がするが、私はカウンターに座ってでっかいビールをアメリカのおっちゃん達と飲んでる事がおかしくてしかたなかった。小さなバーだがビールの種類はたくさんあり、もちろん生でサーバーがずらりと並んでいた。カウンターの中でちょっと長めのおおきなジョッキにサーバーからうまく注ぐのをみてるのも楽しかった。しかしでかい、ジョッキだ。テレビでは野球のナイターが放送されていた。あまりメジャーリーグのことはわからなかったからほとんどみてないが、お客のみんなもそこまで野球に夢中ではなかった。それぞれがぎゃはぎゃは騒いでいた。私達はビールばかりをとことん飲み、どうでもいい話題で盛り上がった。ピーターは日本の風呂や温泉に興味があるらしくて、そういう話題やピーターの友達の引越し先や職探しなどのリアルな話まで延々と続けた。私は難しい話になったり英語がわからなくなると眠くなり、カウンターに肘をついて周囲の様子を眺めていた。みんな陽気でよく飲む。女の人だってよく飲む。何もない町の夜の社交場。さまざまな人が集まってお酒飲んで喋って笑ってときどき怒ったりもして。で、それぞれの場所に戻り生活し、また夜になればどこからともなく集まってくる。愛すべき空間だ。ふらふら酔っ払って帰るときの退屈な夜の町の乾いた空気が気持ちよかった。お酒は飲めても飲めなくてもどちらでもいいと思う。でも私はお酒を趣味にしていたいと思う。飲みニケーション賛成派だ。このアメリカ旅行でバーに入ったのはこの時だけだった。ピーターありがとうよ。当時の私にとっては貴重な体験でした。(いまなら余裕で毎晩飲み歩ける!)くしょっ!
2006年05月26日
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フラッグスタッフの宿はのんびりしていて、敷地内に部屋用の建物、ちょっとしたキッチンとビリヤードやダーツのある憩いの場のある建物や倉庫、そして庭が広がっていた。静かでほとんどみんなグランドキャニオンやセドナへトレッキングに行くので昼間はがらんとしている。日本人もいないようだった。私もよくグランドキャニオンやセドナのトレッキングツアーに行かないかと勧誘されたが、昔グランドキャニオンには行ったことがあったしなぜだか観光するのが億劫だった。なので昼間は一人でふらふらフラッグスタッフの町をうろつき、地元の図書館に行って英語は読めないので写真集や画集などをぱらぱら見たり、無料のネットでメールをチェックしたりしていた。宿のすぐ傍にオーガニック食品のお店があり、そこで果物をたんまり買って宿の庭で過ごしたりしていた。毎日天気がよかった気がする。空が真っ青だった。いつも昼間に宿でぼぉーっとしてるので、宿で働くおじさんが「いっつも暇そうだねぇ」という感じで声を掛けてきた。そのおじさんはいつも少々汚れた白いタンクトップを着ていて、ユニークな帽子を被っていた。おじさんのわりに引き締まった体で、そこで働く人のなかで中心的存在で毎日外でなんやかんや修理したり、日曜大工のようなことをしていた。他の頼りなさそうなスタッフにも慕われていた。宿にいる雑種の犬にもいつも追いかけられていた。彼のはピーター。血はドイツ人なのでペーターとも呼ばれていた。庭にある木の幹の周りにお面のような木の彫刻がいくつか掛かっていた。「それは誰かが作ったの?」とピーターに聞くと、「おれが作った、遊びでね」と答えた。よくみるとお面のようなものの他にもいろいろへんてこりんなものがある。暇なときにちょこちょこ作るらしい。なんとも器用なこのピーターおじさんはおもしろい人で仕事は黙々と真面目にやるが遊びもきちんとできる。夜になるとよくみんなでビリヤードをしていた。そしてピーターはものすごくうまいのだ。(素人目にだが・・・)ジュークボックスでレッチリなどの西海岸風ロック(?)を選びのりのりでみんなで遊ぶ。宿泊客も宿のスタッフもごちゃ混ぜで遊んでいた。私はダーツに以外にルールが面倒くさいことを思い知りながら、他の旅行者と遊んだり、眠そうな犬をおちょくったりしていた。思い出に残っているのがカナダ人のおばさん。名前も聞いてない(聞いてても憶えてないだけかも・・・)が、カナダから一人で旅行しているというおばさんで、金髪のショートカットが可愛らしくて、目元に笑いジワが素敵だった。よく一人旅をするらしくてお互い旅の日記を見せ合ったりして、なんかものすごくきれいな人だったのでしゃべりながらそのおばさんの絵をペンでちょこちょこ描いてみていた。明らかにアメリカ人の英語と違い、ものすごく聞き取りやすかった。旅行慣れしているや外国人と接する事に慣れている人は易しくしゃべってくれる。だからかな。その後ピーターがバーに行こうと誘ってくれた。そこのスタッフで次の日から旅に出るか、引っ越すかなんかでフラッグスタッフを去る人がいてその人と飲みに行くらしい。「やったー!バー行きたい!」と言ったが、以前サンタフェでバーに行けなかったことを思い出した。それで「まだ18歳でIDチェックされたら入れない」というと、「まぁ多分大丈夫。とりあえず行ってみよう」とのこと。さてどうなる事やら・・・続くへっくしょん!
2006年05月19日
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とりあえず駅の近くにユースがあるということはわかったのでユースを目指して町を歩く・・・でも地図もないし、外は真っ暗。駅の周りで何人かの人にユースの場所を尋ねてみるが、返事はみんなわからないと言う。ほんとにユースあるのかぁ?って不安になってきたが駅を少し離れて町の灯りを頼りに歩いていく。こじんまりとしたバーが並び、いい雰囲気だ。ジャズが店の外まで溢れていて、確かに暗いし人通りもほとんどないが、不思議とあまり怖い感じはしない。(実際フラッグスタッフはいい町で治安はよかった。)でも目的の宿はまったくわからない。人に尋ねたいけどなんせ人影がない。どっか交番でもあればいいけど、と思いながらさまよっていると、反対側の歩道を人が歩いているのが見えた。なんだかがたいのいい男の人みたいだけど、次にどこで人を見かけるかわからないから追っかけて思い切って声を掛けてみた。「ユースを探しているんです。しりませんか?」と尋ねると、彼は「ここらへんには2軒あると思うよ。1軒はこの近くで歩いていけるから連れて行ってあげる」と言ってくれた!私はやっと助かった~、と安心し彼についていった。知らない人について行ったらいけません、とよく言われたがこの時はそんなこと思いもつかなかった。彼は色黒で黒いロン毛の30代前半ぐらいのネイティブの血が流れる絵描きだった。彼も仕事でこの地に来たらしくモーテル暮らしをしているらしい。だからこの辺の宿事情に詳しかったのだろう。わかりやすい英語で話してくれ、親切だった。そうこうするうちにユースにたどり着いた。ユースはかなりきれいで夜中だと言うのにフロントには明々と電気がついていた。やっと着いた安心感でうれしく、一瞬疲れも忘れて案内してくれたお兄さんに深々とお礼を言ってフロントに向かった。ラッキーなことに部屋も空いている。よかったぁ~、とほっとして金額を尋ねると紳士的なフロントのおじさんはシングルで50ドルぐらいと言う。え?ちょっと高い・・・と思った私は「ここはユースホステルですよね?」と聞いてみた。すると紳士のおじさんは「昔はそうだったんだけどね、今は普通のホテルなんだよ。」がびーん。また振り出しに戻ったショックが顔に出てしまったようで、いかにもバックパッカーな風貌の私におじさんは親切に「ユースは駅の裏の方にあるよ。この通りをまっすぐ行って、あ~行って、こう行って踏切が、どうのこうの・・・」とユースの場所を教えてくれた。でもうまく英語が聞き取れなかったし、聞き返す元気もなく元来方向音痴な私はホテルの外でまた途方に暮れていた・・・しかし、ホテルの外になんとさっきここまで案内してくれた絵描きのお兄さんが立っている。リュックを背負ったままホテルを出てくる私に「どうした?泊まれないの?」と聞いてきてくれたのだ。私がチェックインできるか気にかけていてくれたようで、外で見ていてくれたらしい。うおぉ~、なんていい人なんだぁ!!と感動しつつ「もうここはユースじゃないって」と事情を話すと「じゃ、もう一軒の方に連れて行くよ。でも車で行くから駐車場にまずよっていい?」と言ってくれた。しかし私は車に乗るのはまずくないか、と思った。確かに親切でいい人だけど、やっぱり車に乗ってしまってどっかに連れ去られても文句言えないし・・・でもこの人はほんとに優しくていい人だから大丈夫だ・・・とか考えながらも気がついたら駐車場についていた。もう乗せてもらうしかない。これからまた一人で宿探すのも簡単じゃないし、お兄さん頼んだ!お兄さんは普通にさ、どうぞと言う感じで車のドアを開けてくれた。「ありがとう」といいつつ車に乗り込む。もうここまで来たらお兄さんを信頼するしかないのだけど、私はバックパックのポケットにいれていた日本でお母さんに持たされていたウサギの形の防犯ブザーをこっそり取り出し握り締めていた。車の中で防犯ブザーなんか持っていても何の役にも立たないけど気分的に暗いし知らない場所だしやっぱり不安だったのだ。でもそんなびびり気味の私に気付いてか気付かずかお兄さんはひょうひょうと車を出し、私の旅についていろいろ話を聞いてきた。「そういう旅はいいもんだね。僕もよく旅をしてるよ。今はフラッグスタッフにあるビルの壁に絵を描く仕事をしていて、それが終わればちがう土地に行って絵を描く仕事をするんだ。」と運転しながら話してくれた。「それってとてもクールだよ!ラッキーだねぇ」みたいなことを言い、私はなぜかこの人やっぱり信頼できると思い、防犯ブザーをそっとポケットに戻した。きっとほんの10分ぐらいのドライブだったと思う。ユースについた。この絵描きのお兄さんはやっぱり本物で最後までかっこよかった。というのも、ユースの前に車を止めると「僕はここで待っているから、チェックインできてもできなくても一度僕のとこまで知らせに来てくれ。もし泊まれなかったら、他の安い宿に連れて行くから」と言うのだ。ただの旅行者にこんなにも気に掛けてくれるなんてほんとに嬉しかった。ちょっとでも彼を疑った自分が恥ずかしかった。見ず知らずの英語もへたっぴな、夜中にふらついている外国人だというのにここまで親切にしてくれるなんて・・・。きっと私にはできない。宿には無事チェックインできた。女部屋のドミトリーのベッドが空いていた。駅で私が電話をかけたのはここのホステルだったらしい。一見ちゃらちゃらした(失礼!)宿のお兄ちゃんが電話があってからなかなか来ないから心配していたみたいな事を言っていた。とにかくやっと宿が見つかった。よかった。そして急いで表で待っているお兄さんに「チェックインできた!ありがとう!」と報告に行った。お兄さんは「よかったね。じゃぁ、エンジョイ・アメリカ!」みたいな感じで去っていった。もっときちんとお礼を言いたかった。でも心がいっぱいいっぱいでうまく言葉が出なかった。ほんとに私は偉大な出会いを体験でき幸せで一杯だった。今でもよくこのことを思い出す。もう二度と会うことがないだろうということはわかっているが今でも感謝の気持ちでいっぱいだ。このユースまで連れて行ってくれたネイティブの絵描きのお兄さんとの出会いをはじめ、ここフラッグスタッフで体験する出会いは今でも新鮮に思い浮かぶ事ができるほど強烈で意味のあるものだった。ということで、つづく・・っしゅん!
2006年05月16日
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オソノさんとサンタフェのユースに戻り、また4,5日過ごした。エルパソのホステルで会い、夜中にメキシコとの国境まで一緒に出かけた日本人のお兄さんもサンタフェに来た。やっぱりサンタフェは落ち着くし、なんかいろいろと楽だ。スーパーマーケットに行ったり、古着屋に行ったりして友達もたくさんできた。ここであった日本人旅行者5人とは日本に帰っても遊んだ。関西出身の人が多かったが、私が関西方面に遊びに行ったとき4人の友達が集まってくれ宿を提供してくれたり、京都や大阪でいろいろ遊んでくれた。東京に行ったときはサンタフェでも特に仲良くしてくれたお姉さんに会うことができ、お世話してくれた。関西のおじさん旅行者とはタイのアユタヤでも後に会うことになる・・・そんな思い出に溢れる町ともさよならする日がとうとう来た。なんとなく行き着いて、なんとなく出て行く。旅人だからね。どんなに気に入った場所でも居続ける事はできない。頑張って自分で電話して頼んだピックアップサービスが迎えに来てくれ、サンタフェの駅に連れて行ってもらう。旅行者友達や、仲良くしてくれた宿の人たちに感謝と別れの挨拶をしてから爽やかに出発できた。ほんとに居心地がよかった。またいつか行くかもしれない。でももう二度と行かないかもしれない。どちらでもいい。何かが私をあの場所に連れて行ってくれた。その事にただ感謝するのみだ。ま、毎日もほんとはそうなんだけどね。導かれてるし、生かされてる。旅をしているとそういうことを頻繁に強く感じる。だからもっと日々の他愛無いことも疎かにせず、注目し丁寧に感謝して生きたいと思える。ありがとうな気分でいつもいれたらやっぱりハッピーだ。で、次に向かう町。それはアリゾナのフラッグスタッフ。グランドキャニオンの傍の小さな町。またアムトラックに乗りしばし電車の旅。気持ちいい。広い平野をひた走る。フラッグスタッフは小さな町で、ガイドブックも地図も持っていなかった。「ま、どうにかなるよ」と余裕ぶっこいていた。だが私は遅れまくるアムトラックに焦りはじめた・・・。そう到着時間がずれにずれ、夜の12時近くになって電車を降ろされこじんまりとしたフラッグスタッフの駅で途方に暮れることになるのだ。好きな町、好きな人たちとの別れ、それに予定より長くなった移動に疲れ、ゆらゆら駅のロビーをさ迷い、夜更けに知らない町で宿を探さなければならないことが面倒になってきた。どうしよう・・・一緒に降りた人たちはそれぞれ迎えが来ていたり、予約したホテルへ足早に向かっている。あっという間に駅は静かになり、駅のロビーで一晩過ごそうかとも思ったが、駅の職員が今すぐにでもシャッターを閉めたい様子でせかせか片付けている。そうだよね、閉めるんだよね・・・ということでロビーにある周辺のホテルに無料で繋がる電話を見つけ、その中のホステルに恐る恐るかけてみる。案の定、英語が聞き取れない。駅から近いということはわかるのだが、なんせ外は暗いし、未知の場所。うぅ・・・億劫だ。どうなる事やらと思いながらとりあえず外を歩いてみる。そして・・・つづく。次回は感動のお話です。たぶん、っくしょん!
2006年05月13日
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エルパソ2日目に日本食レストランに行った。すし屋と鉄板焼きが一緒になって、どちらか選べるようになっている。アメリカでよく見かけるやつだ。私とオソノさんはすしバーの方を選んだ。カウンターには日本人らしきおじさんが法被にねじり鉢巻をして「へぃらっしゃい!」と威勢良く迎えてくれた。ちょっとわくわくしてきた・・・しかしその後おじさんとの会話は英語になる。家族経営のお店みたいで、接客担当の娘さんは上手に日本語を話すが、訛がある。で、娘さんとカウンターのおじさんの会話を聞くと韓国語だった。なるほど、韓国人が日本食料理屋をやってるのかぁ・・・おもしろい。すしも、まぁちょっと不思議な形のものもあったけど味はアメリカの南部で食べると思えば見事なものだった。日本で見るすしよりちょっと飾りが派手な気がしたがアメリカ人相手に商売するならコレぐらいがちょうどいいのかも、と思える。でも唯一コレはひどいと思ったものは、味噌汁。確か具はわかめと豆腐みたいなシンプルなやつだった。でもそのシンプルさ故に残念ながらまずさが際立つ・・・だって「だし」が、なぁーい!お湯に味噌を溶いているだけなのだ。きっとこの味噌汁をを始めて飲んだアメリカ人は可哀相に二度と味噌汁を飲みたいと思わないだろう。それかヘルシー志向の流行について行くために意地でこのまずい味噌汁を飲み続ける羽目になる人もいるかもしれない。ま、でも久しぶりに米粒を、しかもおすしを食べられて嬉しかった。エルパソから私はオソノさんと別れてツーソンかフェニックスに向かってそれから西に向かおうと思っていた。でも・・・おすしを食べながらオソノさんに「一緒にサンタフェに帰ろうよ」と言われ、私はその言葉を待っていたかのようにウキウキしてしまい、しばらく考えたが「そうする!」とサンタフェへの出戻りを決心した。それならそうと、早く帰ろう!といそいそとメキシコ系のバス会社のスタンドに向かった。アメリカではグレイハウンドというバス会社のバスを利用していたが、ここにはメキシカンなバス会社がある。エルパソからアルバカーキへ向かうバスに乗ることにした。そこからサンタフェまでまたバスにのるという作戦だ。さすがメキシカンなバスで駅のアナウンスもスペイン語が優先で強烈に訛った英語でアナウンスが付け足される。乗客もメキシコ系の人、メキシコ人ばかり。サンタフェあたりでもスペイン語はよく聞くことができる。でもここの方がやはり率は高いし英語もそんなにうまくない。バスに乗ってアルバカーキまでの長旅の途中一度検問があった。3人の警官が入ってきて麻薬犬も来た。一人一人IDを見せるように言われ、私達は当然パスポートを見せる。特に問題はなかったが、乗客はみんな一度降ろされて車内を麻薬犬と調べている。きっと不法侵入と麻薬取締りのためのけんもんだったのだろう。2人の乗客が連れて行かれたのを憶えている。夕方エルパソを出発したバスは翌日の朝早くアルバカーキに到着する。ま、熟睡はできないがうとうとしているうちに、アルバカーキに着いていた。でもさすがに一晩バスでへとへと。オールドタウンの公園のベンチで寝転んで休憩したり、マクドナルドに行ってちょっと休憩して今度はグレイハウンドのバス停に行ってサンタフェに向かう。このバス停のあたりは見覚えがある。一度止まった町だ。日曜日着いてしまい大変な目にあった。あの時はゴーストタウンだった。ま、この日も朝早いので人は少ないが、まだこの前より車も走っているし通勤している人も見受けられる。でもはやくサンタフェに帰りたい。という事でまたすぐバスに乗った。そして数時間後、サンタフェのユースに舞い戻った・・・ということだ、っくしょん!
2006年05月06日
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オソノさんとの旅はテキサス州のエルパソへと向かう事に。エルパソに入るとそこはすでにもうメキシコのような雰囲気。西部劇に出てくるような古い飲み屋やお店が立ち並び雑然として埃っぽい感じ。ダウンタウンはかろうじてアメリカ合衆国だったがちょっと一歩外れればそこは怪しいメキシコの匂いがしていた。エルパソのユースは歴史のありそうな古いビルだがホテルのようにきれいで、値段も高かった。フロントがあり、ロビーもぴかぴかだった。が、なんだか不気味な空気・・・人気がない。別に私は霊感があるわけでもなく幽霊を見たこともないけど、ちょっと怖かった。着いたのが夜だったというのもあるかもしれないが、サンタフェの和気あいあいとしたユースと比較すると、寂しげな馴染みにくいユースだった。でも地下にはビリヤード台があったり、憩いのスペースがあり贅沢な感じ。(だけどやっぱり人気はない・・・)夜だしすることないから、オソノさんと地下の憩いのスペースに行って見る。するとなんと日本人発見!なんだ、人いるね、しかも日本人・・・ということですぐに3人は打ち解けて、寂しげなユースの地下で酒盛り。あまりよく憶えてないが、エルパソのユースで出会ったお兄さんは個人旅行者でギターを持っていた気がする。ひげ面でアメリカ南部が似合っている。でも気さくで日本人くささもいい感じだった。またいつものペースでわいわいしていると、いきなりオソノさんが国境を見に行こうと言い出した。「はぁ?もう12時になるよ~!飲みすぎだってー!」と言いつつも私も行きたくなってきた。だって日本にいると国境線というものを見ることがない。島国だもんね。女一人だったら夜中に国境の町をぶらつくなんてたぶんしないけど、3人だし男の人もいるから大丈夫。しかもオソノさんが大丈夫と言えば、大丈夫な気がするのだ。それに国境までは全然歩いていける距離。ということで、ほろ酔い気分のなかエルパソナイトツアーへ!こんな時間にどこへ行く?という顔でフロントのおじさんに見送られ、大通りを歩く。ところどころにバーやナイトクラブがあるが暇そうな夜の街。人も車もほとんどない。私達はさくさく歩き国境を目指す。この時間だから国境は開いていない。でもわくわくする・・・。いよいよ町から外れてきてあたりの様子が変わった。さすがにちょっと不気味。道端にはゴミが散らばり、街灯も少なくかなり暗い。人攫いやら悪い人が出てきそう。しかし、そんなものより怖いものが足元に・・・!はじめは気付かなかったが、目を凝らすと歩く度に足元を何かがサササァ~と動いていく。ゴミか?と思ったがそれはなんと・・・大量のゴキちゃん達!ひぇ~!とさすがにびびった。歩くたびに一斉にゴキブリの群れが歩道の端にある排水溝か何かの網の下に向かって走っていく・・・こんなにゴキブリを大量に見たのは初めてだったしそれ以来まだない。そんなゴキブリたちに案内されて、ようやく国境に着いた。閉まっているから相変わらず人気はなく静かだけど、きっと昼間は人の往来、国と国の入口と出口としてにぎわっているのだろう。不法入国も絶えないと聞いた。でもこんな高速のインターみたいなゲートが国と国を分けるなんてことはそう簡単なことじゃないだろうな。日本の天然の国境に比べるとかなり頼りなさげだ。でも国境はおもしろい。複雑な歴史に翻弄されていつも不安定で混沌としている。でも実際そこに暮らす人々は結構柔軟に楽しんでいると思う。2つの違うもの(2つ以上のときもあるよね)が混ざり合うときそこには様々な新しいストーリ、歴史が生まれる。国境が意味するものはただ単に国が違うよと分けているだけなのだ。そこに良いも悪いなく、ただの事実として区別する。いろいろな形があっておもしろいよね、なんていう私はのん気すぎるのかな。誰もいない国境を眺めた後、またゴキブリロードを引き返す。ゆらゆら不気味に歩いている人や道端に座り込んだ人、映画やTVで見るようなパトカーに手を突いて所持品検査されている人などをちらちら見ながら3人でさくさく歩きユースに戻った。エルパソナイトツアーは無事終了し、国境を見たので興奮してなかなか寝付けなかった。暇そうな町をきちんと楽しむ事ができてよかった。オソノさんのおかげだ・・・っくしょん!
2006年05月05日
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サンタフェでの楽しい毎日を送り気がつけば一週間があっという間に過ぎていった。あまりの居心地のよさにのびてしまいそうだったが、そろそろ冒険もしたくなってきた、なんて思っていた頃・・・オソノさんが数日間休みが取れたと言うので、一緒に南下してリオグランデ川沿いに温泉が湧き出ると言うユースホステルまで行ってみようかという話になった。町の名前は忘れてしまったがバスでサンタフェから出かけたと思う。小さな町であまり活気はなく、小さなガーデンハウスのような住宅地があり、トレーラー生活をしている人もいるようなあまり裕福そうな町には見えなかった。とことん静かで、みんな何して遊ぶんだろうとか、お店などはどこにあるんだろうと思いつつ町にあった大きな貯水タンクのことがなぜか思い浮かぶ。ユースに着くと二人部屋にチェックインし、すぐに庭にある温泉を見に行った。いかにも手作り感に溢れ日本の露天風呂とは全然違うが旗がかざってあったり、デッキチェアーがあったりアットホームな仕上がりだ。なんと行っても目の前にはリオグランデ川が流れている。流れているといっても思ったより水量は少なく、ゆったりしている。川の向こうにはすぐ山がそびえている。ちょっと圧迫感がある。温泉はぬるめだった。混浴なので水着を着てはいる。ユースの裏庭にはネイティブアメリカンのテントのようなものがあり、希望すればそこにも宿泊できるみたいだった。でも見るからに危うい感じで、随分使われてないようだった。一息ついてからユースの周りを歩いてみた。オソノさんの友達が住んでいるという。ジュンコさんという日本の方で、何をしていたのかは忘れたが、こんなところにも日本人はいるんだなぁ、と驚いた。住所だけを頼りにジュンコさんの家を探す。住宅街の道端で遊ぶ子ども達に尋ねたりしながらなんとかジュンコさん発見。お掃除中でした。ガーデンハウスのような小さなお宅は風通しがよくお庭もあり可愛らしかったが、台風やハリケーンが来たときは大丈夫なのかなぁと、下世話にも心配になった。ここにジュンコさんはお一人で生活していたようだった。お掃除が終わったらユースに遊びに来ると言いうので私達は先に戻ってそろそろ夜ご飯にでもしようかと、ユースで食べた。ジュンコさんがユースに来てからみんなでビールを飲みながらそれぞれがそれぞれの話をして、私はまた新たな出会いができて嬉しかった。日も暮れてしまい周囲がかなり静かになってから私達は温泉にはいることにした。水着がなかったがユースで貸してもらえた。が、それがめちゃくちゃでかい水着でものすごく恥ずかしかったが、もう外は暗いし、私達以外人はいないようだし、いいか、と取りあえず温泉へ。夜の空気はやっぱりひんやりしてきて川が前にあるので余計にひやりとする気がした。少々ぬるめのお湯だったが久しぶりのお風呂が嬉しかった。夜も遅かったから3人で貸切だった。目の前にそびえる山が真っ黒で闇に隠れている分、威圧感があり怖かった。でもその山の闇が切れるとその空に星が散らばってきらきら光っていた。空が澄んでいて星がほんとにきれいだった。ほろ酔い気分で温泉に浸かり、楽しい人たちと他愛ない話をしながら贅沢な時間を過ごした。酔いが覚めてくる頃、急に旅の疲れが出たのか眠くなり、先に温泉から上がり眠る事にした。オソノさんとジュンコさんは久しぶりに会えたから話が止まらなかったのだと思う。チャプ、チャプと時折聞こえる水の音と二人のくすくす笑う声を微かに聞きながら私はドスンと眠りに落ちた・・・ここには2泊したかな。(もしかしたら1泊だったかもしれないけど、)この町からまたバスを乗り継ぎエルパソというテキサス州にあるメキシコとの国境がある町に向けて出発した。ではエルパソの話は近いうちに・・・はっくしょん!
2006年05月04日
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サントドミンゴの村を出発して、一行はまだまだ興奮ムンムンで車内で騒いでいた。真っ青な空に照りつける太陽にじりじり焦がされながらも風が気持ちいいそんな天気だった・・・ジョンは相変わらず完璧な運転で確実にアコマへ向かってくれ、私がもぞもぞトイレに行きたいと言うとトラックの溜まり場のようなところに立ち寄ってくれた。そこでもアメリカのデカすぎるトラックに大興奮の私達をトラックのうんちゃんに話を付けてくれトラックに乗せてもらったり写真を撮ってもらったりしておおはしゃぎでやり放題の私達にあきれることなく付き合ってくれていた(?)が、しかしアコマへ向かうハイウェイをひた走っている途中に天気が急変。よく天気は変わるところだった。毎日のように夕立が来る。そしてまた晴れて夜は星がきれいだった。でも今回の天気の変化は不気味な気配だった。一瞬にして空が暗くなりものすごい風が吹いてきたのだ。かなりの強風で大きなトラックはもう道のわきに止まるしかないほどの強い風だった。標識も異常に揺れ根元から折れてしまいそうだった。車内の雰囲気も一瞬で変わり、お気楽に騒いでいた一行もちょっぴり心配になってきた。ほとんどの車がもう進めず道に止まっているのにジョンは車を止める様子もなく「車が空いているうちにいっちまおう!」ぐらいの勢いで車を走らせた。しかし、車道に看板が倒れてきた。ジョンの自慢の車が傷ついては大変。危機一髪で難を逃れたがいきなり今度は直径1cm~2cmぐらいのひょうが降ってきた!「はぁ~!?8月やろー!!」って一行は驚きつつ、あきれつつ、なんじゃこりゃと途方に暮れそうになったときなんとジョンは車外に出てひょうを拾い始めた。そしてなんと「食ってみろ」と言うのだ!なんなんだ?と思うがどんどんみんなテンションが外れ始めなんかこの異常事態がおかしくて、もうやけくそで「おいし~!」とかわけのわからないことをいいながらみんなしてひょうを食べたのだ・・・倒れた看板を起し、またジョンはハンドルを取った。ひょうは止んだが大雨が降り続く。周囲の車もちょこちょこ動き出したがまだ大きなトラックは風が止むのを待っているようだ。めちゃくちゃ天気の悪い中ジョン号はとうとうアコマに到着した。ただっぴろいどこまでも礫砂漠の中にそびえ立つメサ。ものすごい迫力。きっと天気のいいときの青空をバックにそびえる雑誌の写真のようなアコマも美しかっただろうけど、この荒れ狂った天気の中で見るアコマも壮大さがまして見えたようだ。しかもラッキーな事に本当はアコマに登る前には料金所がありお金を払わないと入れないが、その料金所がこの悪天候のため閉まっていたのだ。そこでジョンは「やったねー、ただだよ~!」と言って料金所を横目にどんどん車を走らせメサのてっぺんを目指す。大雨の中急斜面の砂利道を登りまくる。かなり怖い。スリップしたりしないよね・・・。でもジョンはアコマの町の入り口まで私達をほんとに連れて行ってくれた。アコマには少数だが現在も生活している人がいる。が、この天候なので人影を見ることはなかった。それに居住区の中に入る事はできなかった。でも大雨の中、車から降りて異様にハイテンションではしゃぎまくる。ぎゃー、がぁー言いながら空中都市アコマの上から地平線までひろがる赤茶色の大地を見下ろす。あの時の景色はもうかなり忘れてしまったけど、どきどきが止まらず雨にびしょぬれになりながらなんか人間であることも忘れてワシか何かになって空から世界を見ているような気分だった。ってちょっと大げさだけど気持ちよかった。アコマに登って15分ぐらいでもう下界へ向けて出発した。異常な夢のような空中都市への旅は折り返しだ。何事もなかったかのように料金所を通り抜け、もと来たハイウェイを戻る。もう夕方から夜になる。雨は小降りになり空も少し明るくなってきた。ちょうど西に夕日が・・・って、なんて気持ち悪い夕日なのか!灰色のそらにぼよぉ~んと浮かぶのはサーモンピンクの丸い夕日だ。趣味の悪い夕日だが、気味が悪くジョンも写真を撮ってくれとカメラを渡してきた。そうこうしているうちにフロントガラスの前にちっこい竜巻みたいなのが見える!?もう何でもありな気分だったので改めて驚く事もなく、アコマの感動の余韻にまだしびれる私達は「あ、竜巻発見。」「へぇ~」という感じで軽くながしておいた。結局べつに竜巻は被害をもたらすようなものではなく、ちょっとつむじ風のでっかいやつといった感じで消えていった。とうとうサンタフェに戻りついた。私達はほんとにお世話になったジョンにお礼をしたくて夜ご飯をおごるからどこかお薦めのメキシコ料理屋に連れて行ってとお願いした。ジョンは行きつけのレストランに連れて行ってくれテキーラの利き酒をしたり辛いメキシコ料理にうなりながら楽しい時間を過ごした。そしてそろそろ2軒目にバーにでも行こうか!と盛り上がって「わ~い!」と喜んでいたがなんと私だけユースに連れ戻された・・・18歳だったからだ。アメリカでは21歳からお酒もタバコも認められる。お酒を買うときもIDを見せないといけない。特に日本人は若く見られるからサンタフェであった35歳の日本人旅行者もビールを買うときにパスポート見せろといわれたぐらい徹底している。ドラッグを手に入れるほうが簡単だと言われるぐらいだ。だからバーや飲み屋などお酒をメインにしたお店に入るときも必ず入り口でチェックされる。ジョンに「パスポート見せて」と言われ渡したが「やっぱ無理だね、擬装するのは・・・」と万能のジョンでも無理だと言う・・・という事で私一人先に送り届けられ、待っていたかのようにユースにいたオソノさんがのりのりでジョン号に乗って行った・・・ほんとにお世話になった超人ジョンに深々とお礼を述べ、ひとりさみしくみんなを見送った。しかしアコマの興奮につつまれたまま、きっと老人になってボケても忘れない長い印象的な一日に満足してすぐに眠りについた。長くなったなぁ。はっ、くしゅん!
2006年05月01日
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サンタフェ滞在中のでっかい思い出の一つに「空中都市」と呼ばれるアコマに出かけたこがどうしても頭に浮かぶ。たまたま雑誌でアコマのことを見て、しかも車でいける距離だということもあってどうしても行きたくなった。アコマはただっぴろい礫砂漠のなかに生えるようにそびえるメサ(テーブルマウンテン)の上にあるネイティブアメリカンの街だ。観光ツアーなどもあり、タオスのプエブロ同様観光地化している。でも「空中都市」というキャッチにあっさりつかまってしまい、どうしても行きたくなったのだ。そこで宿にいる人たちに声を掛けレンタカーで行かないかと提案したところ、5人ぐらいの日本人旅行者が集まった。で、レンタカーを借りに行こうとしたら、ある問題が。レンタカーを借りるときは免許証と保障証代わりのクレジットカードの名義が同じでないといけないのだが、免許証を持っている人がクレジットカードを持っていなかったのだ。それで一緒に旅行する仲間のクレジットカードを保障にしてくれと頼んでもやっぱり、レンタカー会社はOKしてくれなかった。電話帳でいろいろあたったがどこも同じ理由で断られた。最後の一社に電話してみるとなんと、「多分大丈夫」とのこと。で、みんなでわいわい行ってみるとそこのメキシカンな若ボスは「ごめんよ、やっぱりだめだ。」とあっさり断るではないか!期待させてわざわざ来店させて断るなんて質が悪すぎる!!みんなかなり切れ気味で店を出ようとしたら、さっきの若ボスが「俺の仕事は昼までだから、14時ごろユースに迎えに行く。行きたいところがあるんだろ?ここら辺の土地には詳しいし俺が運転するからどこにでも連れて行ってやるよ!」と言ってくれるのだ。「うそぉー!ほんとにー!?」とみんなで念を押すと「まかしとけっ!」という感じで若ボスは私達を見送ってくれた。で・・・宿でいささか緊張気味にみんなで若ボスを待つ。「ほんとに来るかなぁ~」「アメリカ人は口うまいからなぁ~」とかぼそぼそ言いながらまったりしていると・・・ブオォオン~!「来たぁ~!!」ほんとに14時ごろ若ボスは来たのだ。しかもめちゃくちゃでかい車で日本でいうマイクロバスのような立派な車で迎えに来てくれたのだ!みんなもう若ボスにめろめろでるんるん若ボス号に乗り込む。若ボスは乗れるだけ乗ってこぉーい!と気前よく言い、私達はそこら辺にいる人を誘いまくった。結局来たのは日本人ばかりで7人ぐらいだった。唯一英語が上手なカナダでワーホリ帰りのお姉さんを助席に乗せ無理やり通訳にしたて日本語オンリーで騒ぎまくる私達にあきれることなく若ボスはどこに行きたいのかと聞いてきたので「GO TO ACOMA!」と叫び「おっしゃー!」と若ボスは車を発進させた。若ボスの名前はジョン。なんて憶えやすいんだ。このナイスガイなメキシコ系アメリカ人のジョンはなんと14歳で親元を離れいろいろ歩き回りこのレンタカー会社を立ち上げまだ当時20代後半だったと思うが社長としてがんばっていた。しかしなんと心のでっかいやつなんだ!自分の会社の売り物であるピカピカに磨かれた大きな車を無料で提供してくれ、しかも自分が運転手役になって異国のわけのわからんほとんど男ばかりで色気もまったくないミーハー団体を笑顔で相手してくれるのだ。感動・・・。そんな優しいジョンに甘えまくり、途中インディアンアクセサリーで有名なサントドミンゴ(だっけ?)族の村に寄ってくれと宝石加工に興味のある人が言えばちゃんと寄ってくれ、嫌な顔一つせず暑い中みんなに付き合って村を歩いてくれた。一通り歩き回ってまたハイウェイに戻りアコマを目指す。が、アコマへの道のりはそう甘くはなかった・・・はっくしょん!("Bless you!" by jhon)
2006年05月01日
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のほほんとサンタフェで過ごしていたが、ある日事件は起きた。朝起きてそれぞれが掃除やら朝食やらシャワーやらと朝のお勤めをこなして、ちょっと一息つく頃に、同じ部屋のオーストラリア人の女の子二人組がカメラを盗まれたと言って慌てていた。幸いお金やカードなどは身につけていたので被害には合わなかったらしいが、旅の思い出を記録したフイルムごとカメラを盗まれひどく落ち込んでいた。自分の部屋で被害が出たことにみんなショックで朝から気分が悪かった。部屋は6人部屋だった。鍵は一人一人が持っていて誰かが中にいるときは鍵を閉めずに外出する。だから部屋に誰もいないときだけ鍵を掛ける感じだった。だからあまりセキュリティーは万全ではない。だれもいない時でもキッチンに行ったりするときは結構どこの部屋もオープンにドアは開けっ放しだったりした。あまりに居心地がいいしすぐみんな顔見知りになるから、油断してしまう。でも私も一応パスポートやお金、航空券などの貴重品は常に持ち歩いていた。これがドミトリーの面倒くさいところだ。で、そのカメラがなくなった日の午後、私はシャワーを浴びた。部屋にもシャワーはあるが外の共同シャワーの方が広くて使いやすいので空いている時はそっちを使うようにしていた。部屋にはアメリカ人のルームメイトが一人いたので鍵は閉めずに彼女に「シャワー浴びてくる」と言って部屋を出た。シャワーを浴びて部屋に戻ると鍵がかかっている。あ、誰もいないのかと思って鍵で開けるとさっきまでいたアメリカ人のルームメイトがいる。変だなぁ、鍵開けて行ったはずだけど・・・と思いつつもタオルを干したり、着替えをなおしたりしていた。すると彼女は軽く挨拶して部屋を出て行った。私は自分のベッドの上に異変を感じた。アメリカのクォーターコイン(25セントコイン)は州によってデザインが違うので私は面白半分コレクションしてジッパーつきの袋に集めていた。そのコインはさすがに風呂場に持っていってはなかった。そしてその袋が開いていてコインがベッドの上に十数枚転がっている。あれ?何か取り出すときにこぼしたのか?と思ったが、一緒においていた別のジッパーの袋にチップやバス代などに使うように集めておいた1ドルや5ドル札合計2,30ドル分がなくなっていて袋だけになっている・・・やられた!私はさ~っと目の前がくらくらしてきた。金額にして3000円ぐらいだからたいした額ではない。でもまさか自分がという悔しさと、かなり犯人が確信的にわかってしまったのでショックだった。さっきまでいた彼女に違いない・・・もしかしたら朝のカメラも・・・と頭の中でいろいろな考えが思いめぐるが体が動かない。私はベッドの上で散らばったコインを拾いながら哀しさで一杯だった。私が犯人かもしれないとにらんだ彼女は私が来たときからずっといるかなり大柄な女の人で料理人として働いているらしく、両親を事故か何かで亡くして以来仕事を探しながら旅をしていてサンタフェには結構長くいるというよな話を聞いた。なんせ彼女の英語はものすごく早い。私にはほとんどわからなかった。彼女は彼女の話を私に理解して欲しいという気持ちはないらしく、とりあえず話せれば気が済むといったしゃべり方だった。話すだけ話してどっかに行ってしまう。あまり人と一緒にいるのを見ない人だった。でもいつも笑顔で挨拶していたし、ダウンタウンからのバスが同じで一緒にユースに帰ったりした事もあった。モーリーとか言う名前だったっけ・・・私はとにかく誰かに話さないと、と思い、部屋を出た。するとすれちがいでモーリーは部屋に戻ってきた。私は彼女を見ても何も言えず、不細工な引きつった笑顔で挨拶して急いでオソノさんにお金を取られたと言いに行った。ひとしきり状況を説明して、モーリーが犯人かもしれないとつぶやくと私は疲労感で一杯だった。オソノさんはホステルの人たちに話をするから大丈夫と言ってくれた。そして気がすすまないまま部屋に戻ると誰もいない。ちょっとほっとして自分のベッドに腰かけ、バックパックのポケットが目に入った。嫌な予感がした。そのポケットに入れていた機関車トーマスの小銭入れをふと見てみると。やっぱり・・・空だ。それもほんとに小銭を集めただけのもので金額にして2000円になるかならないかぐらいだけど、置きっ放しにした自分に腹が立ち、またかというショックに半ベソだった。キッチンにいたオソノさんと日本人旅行者に話を聞いてもらいおろおろしていると、モーリーがキッチンに来た。彼女は私達が中で話しているのに気付くと軽く挨拶して冷蔵庫の中を見ていた。そこで急にオソノさんが英語でしゃべりだした。「今日、カメラやらお金やら盗難が続いている。もうこれ以上は許せないから警察に通報する」というようなことをわざと聞こえるように大きな声で牽制した。そこにいた日本人数名は私も含め「あれ?オソノさんどうしたの?」という感じでオソノさんの作戦に気がつかなかった。オソノさん曰くモーリーは顔色変えて慌ててキッチンを出て行ったとの事。それからその晩モーリーは帰ってこなかった。オソノさんや他の旅行者が気遣ってくれてイタ飯コックのお兄ちゃんを中心にしてみんなで日本食を作って晩ご飯を食べることにした。私も大分気をとりなをし、いい勉強になったと思っていたが、さぁいただきます!というときにホステルの従業員の人だちが来て取り囲まれ、まるで警察のように盗まれたときの様子やどうしてモーリーが犯人だと思うのかなどを聞きに来た。私はもうあまり話したくなかったけど、彼らとしてもどうにかしようとしてくれているのはわかったので協力した。でもその後、せっかく揚げ出し豆腐をつくってもらったのに箸がすすまなかった。そして食後ホステルの従業員が来て私の部屋の人たちをみんな別の部屋に移るように提案してきた。モーリーの荷物だけ残して・・・。ものすごく複雑な気持ちで哀しかった。こんなやり方ありかなぁ?とも思った。次の日の朝モーリーは一度ユースに帰ってきた。「おはよう」と挨拶した。そのあと彼女はいなくなった。それからいろんなとこに旅に出るがそれ以来一度も盗難の被害に合ってはいない。そんなに用心深く注意してはいないが、あのときのような哀しい被害にはもう二度と遭わないという妙な確信がある。私はモーリーに対して怒りを感じたり恨んだりという気持ちはまったくない。ただ彼女のことを思い出すと哀しくなるのだ。いつも一人でいるようで、どこかなにか諦めたような泳いだ目と一方的な口調。元気にしてるといいな、ちょっとはやせたかな・・・次は楽しい話を書きますね。くしゅん!
2006年04月03日
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ユースにかなりの日本人が集合していた。一人旅行者もいれば二人組みで来ている人もいたがみんなすぐに仲良しなった。ある日レンタカーで旅行していた二人組みのお姉さんたちの車と同じくレンタカー旅行者のイケメン建築士(?)の車とに分かれて2台でタオスのプエブロまでドライブに行くことになった。サンタフェのダウンタウンやユースの周辺での遊びに飽きてきた私はドライブに大興奮だった。総勢8人ぐらいで出かけた。私は二人組のお姉さん達の車に乗せてもらった。関東出身の美人コンビで国際線のフライトアテンダントさんだから英語も上手で、美人なのに気さくでおもしろくて、ほんとに優しくしてくれた。そのほかのメンバーもそれぞれかなり個性が強くておもしろい。そんな愉快な仲間とのドライブはほんとに楽しかった。(余談だが、のちのちこの美人コンビの一人とこのとき一緒に出かけたメンバーのお兄ちゃんが結婚する事になる。今は女の子3人が生まれ仲良く暮らしている。いい話。)今となってはどんなルートだったか覚えてないが、まずはただっぴろい荒野を走りひたすら地平線とでっかい岩のような山を見ながら、UFOの目撃情報が多いという場所(核爆弾の実験をしていると言う話も・・・)を通り過ぎ、エレファントなんとかっていう大きな湖で休憩した。きれいな深い緑色をした水で真っ青な空との画がやっぱり気持ちよかった。水面を風がなぞり白いしわがよっていた。湖の傍をみんなそれぞれ散歩して美味しい空気を味わってのびのびした。気持ちいい休憩スポットだった。それからまたしばらくドライブしていよいよタオスのプエブロに着いた。今もそのプエブロに暮らす人たちもいるが半分は観光地化している。ちょっと忘れたが入場料が行ったような気がする。カメラを持ち込む人は10ドルほど払わないといけないのは確かだ。私はもともとあんまりカメラが好きじゃないから持っていかなかった。(プエブロの外からこそこそ一枚写真撮らせてもらった・・・中途半端な写真です。)プエブロに入るとすぐ教会があった。教会ってちょっと不思議だ。ネイティブのひとでもクリスチャンはいるのかな。その辺の歴史的な背景とかを勉強してないからなぁ、わからない。藁と泥をねって作った壁を白く化粧した教会で自由に中を見れる。確かに教会の上には十字架が立っていたと思う。美人お姉さんコンビの一人は中に入るのを辞退していた。「なんだか神聖な場所みたいな気がするから、自分は入れない」みたいなことを言っていたと思う。そういう気になるのはわかる気がする。私もチベットのラサで中心にあるお寺に人が集まって、五体倒置をして祈りを捧げる人たちのところではお寺の中に入るのを辞退してしまった。観光客もカメラ片手にたくさん入って行く。その時一緒にいたアメリカ人旅行者に誘われたが、外で待っていると言って中には入れなかった。別にそのお寺に私が拒まれたと言う意味ではない。ただそこに集まる信者の方だちの真剣な思いが私のお寺を見たいという好奇心を上回って伝わってきたからだ。知識も信仰心も宙ぶらりんの私がお寺に入ることはお寺とそこに集まり祈る人たちに対していい気持ちがしないと思った。もしお寺に入っても、私は別に罰は受けないし、運がよければ新たな発見なんてものに出会うかもしれなかったし、お寺に入っていく観光客が悪いとかそういうことは思わないが、信者の祈る姿を見ただけでそのお寺の持つ力と魅力は十分に私は感じることができた。当時の私にはその場にたって祈りの光景を見ているだけでも精一杯だったぐらいパワフルな力を感じたような気になっていた。でもタオスのプエブロの教会にはそこまでのエネルギーは感じなかった。ま、単に私は興味の赴くままに中に入っていけた。中は薄暗くひんやりしていたと思う。普通に教会のように小さな祭壇の前に長いすが並びキリストの絵やらが飾ってあったかな。もうあんまり憶えてないなぁ。ただいつもより近く感じる真っ青な空に映えるきれいな白壁で美しかった。タオスのプエブロ内を思い思いに散策し私も一人ぶらぶら歩いた。照りつける日差しがびりびりと肌に感じるが気持ちよく、伝統的なアドビーの家を見たりお土産やさんに入ったり、ギャラリーを回りおもしろいものをたくさん見た。タオスプエブロを散策しての全体的な感想はなんか自然な感じでしっくりきたという感じだ。住民の方たちの飄々とした立ち居振る舞いや多くを語りはしないがなんか伝わってくる彼らの強さがなんか懐かしい感じで気持ちよかったのだ。きっとむか~しむか~し、こんなとこにいたのかもな、なんて。そいういえばここは世界遺産だったみたいだ。プエブロを出て森の中でちょっと食事したりしながらふらふらドライブして幸運にも夕方ものすごくきれいな夕日を見ることができた。あの夕日は今までの夕日ベスト5にまだ入っている。いや、ベスト3でもいいかも。見た場所がまたものすごい渓谷の橋の上からで、下を見ると足がすくむ。断崖絶壁でちょっとグランドキャニオンを思わせるような川による長い長い時間をかけて侵食された巨大な作品の上に架けられた橋からその崖の上に赤く燃える夕日が沈んでいく。西の空は赤くオレンジでその色がすべてを暖かく映してくれる。東の空はすでに闇に浸かり始め群青色の新鮮な夜の色を匂わせている。言葉がでなかった。それぞれ座り込んでみんな地球の美しさに打ちのめされていた。完全に日が沈みその余韻まで味わってから抜けた腰を持ち上げドライブに戻る。完全に夜になった。山の中のドライブは真っ暗でガードレールもない山道を降りていった。今思うとお姉さん達、かなり運転上手だ。私は山道ドライブもちょっとしたアトラクションみたいでおもしろがっていたが、運転する方はかなり神経使ったのではないかな。後ろの席でねっころがり、星がきれいだ~とか叫びながらそのうち居眠りしたりちゃっかり気ままにドライブを堪能していた。しかし途中でもう一台の車とはぐれてしまった。私達より先にいたはずなのに見失ってしまった・・・平地のハイウェイにはいりお姉さんは飛ばしに飛ばし追いかけた。でも見当たらないし、初めての道にちょっと焦っていた。きっと帰りつけるとは思うが確かな道は知らない。どうにか追いつこうと思ったところに事件が・・・。なんだか後ろがちかちか明るい。赤と青の電灯・・・!はでな車が来るなぁ、って!ぎゃぁ~パトカーやん!ご存知の通りアメリカのパトカーは赤と青のランプだ。私達の車の後ろについて止まるようにライトで合図する。道のわきに止め、みんなでし~ん・・・やばい。どうしよう・・・警官が歩いてきてお姉さんがドアを開ける。懐中電灯で警官は中を照らしチェック。免許証をチェックされ、おそるおそるお姉さんが「なんで止められたの?」と聞くと「スピード出しすぎ」ということ。警官は女しか車に乗っていないし、日本からの観光客と思ったのか安心したらしく、それに英語ぺらぺらのお姉さんが「あんまり英語わからなくって~」という絶妙な演技と美しい笑顔で警官もいちころ。「金曜日だからあまり飛ばさないようにね。車多いし事故多いから」という注意だけで罰は何も受けなかった。ということでますますはぐれてしまった私達はなるべく安全運転で標識をにらみながらなんとかサンタフェのホステルまで帰り着いた。しかも驚いた事にもう一台の車は辿りついていない。私達より先を走っていたと思っている私達は「どっかによって帰ってきてるんじゃない?」とかいいながらみんなで打ち上げビールを飲みながらまったりしていると、私達より1時間ぐらい遅くに帰ったきた。聞くとハイウェイを出てから迷いに迷い帰れなかったらしい・・・!それぞれの帰りのドライブの珍事件を報告しあい、楽しい一日を締めくくった。ほんとに楽しかった。あれれ、長引いた。読み返すのも面倒だな。誤字脱字お許しください・・・ありがとうございま、ぁっくしょん!
2006年04月02日
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ユースからサンタフェのダウンタウンまではバスで出かける。1Dayチケットみたいなのを2ドルぐらいで買えば一日乗り放題なので便利だった。サンタフェのダウンタウンは観光地で、町全体がネイティブアメリカン調のテーマパークみたいだ。小さい街なのでどこまでも歩いていける。だいたいお土産屋さんか、レストランか博物館である。アドビーを真似て作った建物ばかりなので町全体がピンク色だ。鮮やかな近い空の青と植物の濃い緑がものすごくきれいだった。しかし、町自体は退屈だった。白人の観光客であふれ、どこにはいっても同じようなお土産やさんばかり。唯一楽しみだったジョージア・オキーフの美術館も修理中で無料で入れるが、10枚ぐらいの絵しか見れなかった。でもとにかく歩き回った。サンタフェは以外に芸術の町で町をちょっと離れた通りなどにはギャラリーや作家のアトリエが並ぶ。そんな家や庭を覗きながらふらふらするのはなかなか見ものだった。何度も何度も暇なときにはサンタフェのダウンタウンに足を運んだが気に入った喫茶店でお茶するか、ネイティブアメリカンの露店アクセサリー屋さんをひやかすぐらいしかする事がなかった。でもサンタフェの青い空と治安のよさとおもしろい日本人旅行者がたくさんいるおかげで毎日ほんとに楽しかった。夕立がほぼ毎日来た。あの辺りはアメリカ一雷の落ちる回数が多いとこらしい。ほんと毎日ものすごい数の稲光を見た。ビールを飲みながら果てしない地平線に叩きつけられるように落ちる閃光に見とれていた。アメリカという国にはそんなに興味はないし、好きでも嫌いでもないけどやっぱり日本にはないこのスケールのでかい自然を目の当たりにできることはほんとに贅沢だった。地平線に沈む夕日を見たのも初めてだった。ま、スケールに関係なく自然は美しい。自然に感動できる魂でよかった。次はタオスのプエブロへのドライブの話にしましょうかな。はっくしょん!
2006年03月28日
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チェックインしたユースホステルはドミトリーで14ドルぐらいだった。6人部屋ぐらいで部屋の中にもトイレとシャワーがある。ネイティブアメリカン独特の藁と泥状の土で壁を作ったアドビーという家のように作られた部屋は窓が小さく昼間でも少々薄暗いがクーラーがないのに室内はひんやり涼しい。そして冬場は保温性に長けているらしい。ここのユースのアドビーは本物の土壁ではなく外はコンクリートで保護しているので修復はいらないが、実際タオスのプエブロ(ネイティブアメリカンの居住地区)に行ったときには本物の土壁の家が残っていて、「修復が大変なんだよ~」とネイティブのおっちゃんが言っていた。確かに乾季はまだしも雨や夕立の多い季節は大変だろうな。でも私はこのユースの部屋も雰囲気もすごく気に入った。広いキッチンがあり、大きな冷蔵庫にはそれぞれ宿泊者が名前を書いて入れてあり、パンや米やパスタ、一揃えのスパイスは使い放題で、マフィンやケーキもあり(時々賞味期限が切れていて、最悪マフィンを割ると糸を引く・・・)コーヒーも飲み放題。外にはちょっとしたくつろぎスペースもあり、屋内のロビーも明るすぎずラジオが流れみんなの憩いの場所になっていた。これで14ドルとは安い!でもちゃんと、やることやらねばならない。それは朝一のお掃除。宿泊者は朝起きるとできるだけ早くロビーに行き「お掃除カード」の取り合いをする。「トイレ掃除」「シャワー室の掃除」「キッチン掃除」「ロビーのモップがけ」「庭掃除」などなど・・・後になればなるほど面倒なものが残る。だからなるべく早くカードを選び、表に名前を記入して掃除を終わらせなければならない。最初の頃は何がどれくらい面倒かなんてわからないので適当にやっていたが、最終的に一番やりたくないと思ったのはキッチンだった・・・なんかやってもやってもきれいにならないし、人が朝食目指してやってくるし、大変だった。ま、でもどうせ一日、大してやることもないのだから掃除も楽しかった。そこには日本人も数名滞在していた。みんなとすぐ友達になっていろいろ遊び行ったし、イタ飯のコックさんをしているお兄ちゃんがいて、その人を中心にいつもみんなでご飯を作って毎晩酒盛りしていた。日が暮れるちょっと前ぐらいからみんな外に集まってご飯食べてビール、テキーラ、ワインを飲みまくる。ちょっと肌寒くなってくるとブランケットに包まってちびちびテキーラをなめる。そんな贅沢な時間を味わいながらぐーたら旅行を満喫していた。そのユースに日本人女性が一人住み込みでユースのお世話係をしていた。彼女がなんともユニークで大変印象的で今でもよく思い出す。(しかもついこないだ5年半ぶりに、彼女から電話が来た。もちろんサンタフェから・・・)当時彼女はユースに住み込みでユースの手伝いもしていたが、サンタフェのダウンタウンの日本食料理屋でも働いていた。彼女は日本で料理師の免許を趣味でとっていたらしく、それでなくてもやはり日本の女性で(ばりばりと素晴らしい仕事もしていたが、)妻であり母であったので日本の味は自然と身についている。だからサンタフェでメキシカンが「大匙一杯、ソイソース!イエス!」といってのんびり仕事をしている間に彼女は目分量で感覚でやってのける。しかも彼女の日本料理の方がどうしてもおいしい。だからバイト感覚で始めたしごともいつしか彼女は重要ポストに就くこととなり、活躍していた。彼女(オソノさんと呼びます)には私と同じ年の娘さんがいた。でオソノさんは一人でふらふらとやってきた娘と同い年の私を「な~んで、こんなとこに一人で来たのぉ!」と言いながらもすごく気に掛けてくれ、可愛がってくれた。「な~んでこんなとこに一人でいるのぉ!?」は私の台詞だ。だいたい私と同じ年の娘さんがいるのに一人でお母さんはアメリカの日本食料理屋でバイトしたりして、いいのぉ?という感じだ。しかもオソノさんは娘さんになんの断りもなく渡米したという。簡単に理由を説明させてもらうと・・・『オソノさんと、旦那さんと娘さんの3人家族でした。ものすごく仲のよい家族で旦那さんをとても愛していました。ところがその最愛の旦那さんが急に病気で早すぎる死をむかえます。娘と二人で持ち前のガッツで暮らしていましたが、娘さんが大学進学に伴って、家を出て一人暮らしをする事になってしまいました。それで家に残ったオソノさんは、思い出の詰まりすぎた家に一人でいると旦那さんが帰ってくる気がしてならず、たまらずアメリカに来たとの事・・・』この後言うまでもなく母と連絡が取れなくなった娘さんは慌てたそうだが、この母にこの子あり。娘さんは特に警察に連絡したりするわけでもなく、冷静に思い当る知人をたどるうちに母がアメリカにいる事を突き止めたらしい。そんなオソノさんもいい感じに関西人で明るく過去の話もあっけらかんと楽しく話してくれた。オソノさんのこれからの夢もいろいろ話してくれた。今もサンタフェに暮らし当時の夢を一人異国で実現し大活躍している。「やっと最近昔の事を振り返ったりできるようなってね、懐かしくなって電話してみた」といって電話をくれた。もう自分で家を借りてるし、部屋もあるからいつでも来なはれと言ってくれた。「私も、もうぼちぼちボーイフレンドでも作ってええころやわぁ。今まではそんなん邪魔になると思うて、成功する事だけ目標にしてきたからなぁ。あんたも若いうち好きなことしいや!」と以前よりパワーアップしていてうれしかった。サンタフェではオソノさんとの思い出がたくさんあるし、後々彼女と2人でテキサス、メキシコの国境まで数日間旅もした。ま、それはまた追々・・・。また長くなりました、ここまで読んでいただきありがとうございます。はっくしょんんんん!
2006年03月22日
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アルバカーキのゴーストタウンの散策は案の定すぐに飽きてしまい、落ち着かない部屋のベッドにねっころがりこれまた退屈なMTVを見たりしながらすごした。まだ幾分緊張しているようでしっかり眠れはしなかった。翌朝さっさとホテルをチェックアウトして昨日アムトラックを降りた駅に向かう。なんとなく行きたくなったサンタフェまでまた列車の旅だ。しかしだいたいなんで私はアメリカに行こうと思ったのか自分でもまったく不明で、旅行会社でふと目に付いたロス行きの航空券を買っていた。それになぜニューメキシコ州に興味があるのか不思議だった。確かに高校生の時にネイティブアメリカンに興味を持っていていろんな本を読んだりしていた時期はあったのだが、その影響かな。でもネイティブアメリカンの居住地はNM州以外にもたくさんあるなぁ。ま、まったく目的もなくふらふらしようと思って旅立つこと自体がへんてこりんであるかもしれないが、今思うと何か自分で決定して動き回ったと言うより、何か自然に何かによって連れて来られたような気がしないこともない。その辺の記憶が曖昧だ。ま、いつもその場のノリというか、ひらめきというか、そのへんのいい加減なものに頼っていて、でもそのスタイルでこれからずっと旅をするが後悔したことは一度も無いし、いつも最高の体験を味わってきた。だから、こんな感じでいいんだろうな。こんな感じで旅してる人は結構いるものだ。もう2度目のアムトラックなのでシステムはわかるし余裕だった。乗車時間もそんなに長くない。2,3時間だったけ。忘れた。窓際の席で景色を楽しんで乗ることができた。相変わらず乾いた土地で、でもところどころ大きな畑が広がっていて集落がぼつぼつある。トウモロコシ畑か綿畑かな・・・ついたサンタフェの駅はとても小さかった。小屋のような駅舎があって静かな駅だった。降りた人もアルバカーキに比べると断然少ない。降りてから、さてどうしようと思っているとおじさんが寄って来て「ホテルはどこだ?」と聞いてくる。『お、来た来た。きっと乗り合いタクシーかなんかの運転手だな』と思いながら「ホテルはない」というとやっぱり「はぁ!?」と言われる。でも親切に私を貧乏旅行者だと判断してくれて「ユースホステルに連れて行こう」と言ってくれた。ということで白いバンに乗って出発した。今までの乾燥した風景とはちょっと様子が変わり、山の中という感じだ。サンタフェは結構標高が高い。冬はスキーができるらしい。爽やかな天気で気持ちが良かった。緑がぴかぴかで空が青いて近い。暑いけどからっとしているから気持ちがいい。来た瞬間に『あ、サンタフェいい』と思った。ロスやアルバカーキでは味わう事のなかった感覚でうれしかった。おじさんとドライブを楽しんでちゃんとユースにチェックインできた。ここでたくさんのおもしろい人と様々な出来事に出会い、私はアメリカ旅行のほとんどをここで過ごす事になる。くしゅん!
2006年03月18日
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アムトラックの中ではあまり良く眠れなかった。でも外が白く、夜が明けてきたのでうれしくなった。スナックバーのある車両まで出かけて、暖かいココアとマフィンみたいなものを買った。そのまま自分の席に戻らず、展望車というか、車両の上半分が大きなガラスの窓で覆われた自由席に行ってみた。まだ朝早いので席はがらがらだった。座席は窓の方を向いて座るようになっている。やはりこの列車の旅は優雅だ。単に移動の手段というより、ちゃんとアミューズメントを盛り込んである。ココアをふーふーしながら、ぼーっと窓の外を見ていた。相変わらず乾いた礫砂漠の地を列車は懸命に進んでいた。こんなにただっ広い風景を間近に見たのは初めてかもしれない。改めて遠くに来たんだなって思ったし、ここでは誰も私のことを知らず、私は妙な切なさとわくわくする気持ちがごちゃ混ぜで「うーん、生きてるなぁ、やっぱ旅人なんだなぁ」とか思ってい、旅の毒に痺れていた。日が完全に昇り、朝が来た。列車の中が騒がしくなってきた。それぞれがそれぞれのことをやっている。食堂車に朝ごはんを食べに行く家族。下車の準備をする人。朝のざわめきもものともせず、まだ寝ている人もいる。私は外が見える展望車が気に入り相変わらず居座っていた。すると展望車に来て朝日に向かって伸びをしている感じのいいしわしわ笑顔のおばあちゃんがいた。彼女が私に何か話しかけてきたが何と言っているかよくわからなかった。聞き取れたのは「おはよう」と「どこから来たの?」だけ。だから私は「日本から来ました」と答えた。「誰ときたの?」と聞かれたので「一人で来ました」と言うとそのしわに囲まれた優しい青い目をまんまるにして驚き、私の肩をバシン、バシン叩きながら「すごいわ~!勇敢な子ね。私もそういうの好きよ!」と言いにっこり笑ってくれた。その笑顔があまりにも無邪気で優しかったので孤独に対してまだ怯えが残る私はものすごく励まされた。こういう瞬間に旅の麻薬的といえるような喜びを味わう事になり、抜け出せなくなるのだ。私の目的地アルバカーキはおそらく、もう、そう遠くはない。でもよく遅れるって言うし、ちょうど乗務員のトム(仮名)が通ったのでチケットを見せながら「アルバカーキ」と聞いてみた。「まだだ。あと2時間ぐらいさ。」と言っていた(と思う)。あと2時間後ということはお昼過ぎだ。私は本を読んだり、日記を書いたりしながら時間を過ごしているうちにいよいよアルバカーキに着いた。隣の体臭のきついおじさんにお別れを言い、アムトラックを降りた。かなり多くの人が降りた気がする。一応アルバカーキはニューメキシコ州の州都だったような。しかも金融関係の会社とか多いビジネスの町だとガイドブックで勉強したと思う。駅のホームでは感動の再会のシーンが至る所で繰り広げられている。お父さんを迎えに来ている家族や、おじいちゃんとおばあちゃんが孫たちを迎えに来ていたり、幸せそうな笑顔や楽しい子供の笑い声に溢れている。その反面、別れのシーンもたくさん見られる。笑顔でお別れしているものもあれば、もう涙をこらえていっぱいいっぱいの別れ。それも再会のシーンと同じくらい感動的で人間臭くて幸せだと思った。もちろん私には歓迎してくれる人はいるはずもなく、繰り広げられる感動の場面をちゃっかり観察しながら、さてどこに行こうかなとのんきに考えていた。しかし!大きな罠が私を迎えてくれた・・・それは「日曜日」ということだ。私の中での日曜日とはみんな出かけてお店は一番の稼ぎ時で街は活気に溢れ人で混んでいるというイメージだ。しかし、アルバカーキのダウンタウンに行ってもガラ~ンとして閑散としている。ヒュルリ~とい感じだ。高層ビルの心臓が止まっている・・・ゴーストタウンだ。そうか、キリスト教の国では日曜日は安息日でみんなお休みするんだっけ、と思い出しながらも一気に私のテンションも下がり、宿を探すという大仕事をどうやってやってのけようかと考えた。バスのターミナルや駅の案内所に行ってみようかと思ったがターミナルにはうつろな目をした人が座り込んだりねっころがっていたりするので怖くて近寄りにくかった。ということで私は知恵を絞り思いついたのが「教会」!日曜日なら教会ではミサがあるはず。ミサに来るぐらいの人ならきっと親切だろうし安全だと計算したのだ。しかも教会なら探すのは難しくないだろうと思い歩き出した。作戦は成功した。教会はすぐに見つかり、2人の女の人に会い、宿を探していると相談すると、近くの何とかINNを紹介してくれた。行ってみるとシングルで50ドルぐらいするきれいなホテルだったがたまにはゆっくり休まないとと思い贅沢だが泊まっていく事にした。部屋にはお風呂もテレビもあり、バルコニーもある。ホテルにはプールもありレストランもあった。一人で過ごすには広すぎる部屋だった。いくらゴーストタウンでも何かあるはずだと思い、アルバカーキの町を歩いてみる。が、ほんとに何もない。高層ビルとホテル、デパート。ちょっと外に外れると、ライブハウスやタギングの落書きが一面に施されたビルなどが立ち並んでいた。ほんとに人気がないことにある意味感動した。それにしても日差しが暑い・・・からりとしているので不快感はないが、太陽の光が刺さるように降り注がれている。何とか開いていたコンビニで水を買いさっきアムトラックを下車したばかりの駅に向かい、明日発のサンタフェ行きの列車のチケットを仕入れた。アルバカーキについて2,3時間後にもう、ここにいる意味はない!と決断してしまった。アルバカーキのオールドタウン(旧市街)の方に行けばまた気分は違うだろうけど、早くサンタフェに行きたいというのもあるしさっさと次の日の列車を予約した。そんな感じで、へっくしょん!
2006年03月14日
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ロサンゼルスのユニオン駅からアルバカーキまで1泊の列車の旅。こんなに長い列車の旅は初めてだ。席のクラスは覚えてないが、普通の席、つまりコンパートメントや寝台ではないやつ。この列車の終着駅はシカゴだ。ロスからシカゴまではどれぐらいかかるんだろう、2泊はするはずだ。いいなぁ。ホームを確認し、列車に乗り込み、自分の席を探す。2席ずつ並んだタイプの車両で、シートはアメリカ人仕様だから私には充分なスペースだった。でも隣の白人のおじさんの体臭がかなりきつくて、このまま1泊過ごすのかと思うとちょっと厳しい気もしたが、いろいろ話しかけてくる人懐っこい人なので我慢するしかない、しかもすぐ慣れると思った・・・しばらく出発の時間を待っていると、赤いベストを着たアムトラックの乗務員のお兄さんが来てなにやら挨拶を始める。英語がほとんどわからないので意味不明だったが、かなりの怒鳴り声でしゃべり始めた。きっと「やぁ、みんな!今日はオイラ達のアムトラックに乗ってくれてありがとうよ!オイラの名前はトム(仮名)さ。何かあったら気軽に声かけてくれ!みんなを無事に快適に目的地に運ぶのがオイラ達の喜びだからさっ!スナックバーは3号車で、食堂車は4号車。オープンヴューのテラスがついた車両は7号車だ!ではみんなアムトラックの旅を楽しんでくれ!」みたいな感じで話していたと思う。(ほとんど全部、自己流の解釈です)乗客の反応もさすがアメリカという感じのノリでいちいちこのトム(仮名)がしゃべる度に「うおぉ~!」とか「お~イエイ!」と叫び、拍手や口笛を鳴らす・・・なんという一体感。日本の新幹線などでこんなことはまずありえない。私はひたすらあっけにとられ、ビビっていた。しかしなかなか出発しない。定刻から30分は過ぎている。長距離列車は良く遅れると聞いていたがほんとうだった。ひどい時は結局一日遅れぐらいの遅れで到着する事もあるらしい。でも車内では文句を言う人など全然いない。アメリカはでっかい国なので、長距離の移動のメインはやはり飛行機なのだ。速さもコストの面でも飛行機の方が断然よい。だからビジネスマンのように時間に追われた人たちはもちろん飛行機を使う。こんなアムトラックのような長距離列車でのんびり旅をするような人たちは時間にもコストにも余裕がある、ある意味優雅で贅沢な人たちなのだ。結局は45分過ぎに出発。しかしゆっくり出発したかと思うと、いきなり引き返し始めた。そしてさっき出たばかりのホームに戻ってしまった。そこでもなぜか車内は盛り上がる。みんな大笑いしながら「あんたのスーツケースを忘れたからひき返してるのよ~!」とか「お、もう着いたのか!」と思い思いに叫びながら明るくあきれている。それからまたしばらくホームで待って、いよいよ定刻より1時間半ほど遅れて出発した。きっとこれでもマシな方だろう。通路を挟んで反対側のシートに黒人のおばあさんとおじさんが座っていた。彼らは母と息子だった。やたらきょろきょろ落ち着かない私に話しかけてきてくれて、私のへたくそな英語をじっと聞いてくれた。彼らは私より先の駅で降りると言っていた。いい感じの人たちで優しくてなにげに気を使ってくれ、お菓子や飲み物を分けてくれた。ほとんど外は暗かったが砂漠のように乾いた大地を走っていた。微かに見える植物は水分の少なそうなものばかりで、岩や石が転がったようなただただ広い大地が闇の中に広がっていて無限の空間のようで怖かったけど興奮した。車内は冷房が効きすぎて、寒かった。リュックから折りたたみのウインドブレーカーとバスタオルを取り出してそれに包まってとりあえず寝ようと思った。日本を出てからまともに眠ってない。それなのにやはり妙な興奮でなかなか寝付けなかったけど以前のように孤独感に怯えるような感覚はなかった。ただ寝るのがもったいないなという気が強かったのだ。体臭のきついおじさんももう寝ている。そのおじさんの反対を向いて、黒人のおじさんとおばあさんの黒いおだやかな寝顔を見ながら私もしばらくうとうとした。気がついいたら窓の外は白く夜が明け始めていた。そんな感じで、はっくしょん!
2006年03月05日
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ハリウッドの方に連れて行ってもらい、一応あの有名な山の所にある『HOLLYWOOD』と書かれた白いサインを見に行く。名前は忘れたが天文台みたいなところに登った。そこからロスの街が見下ろせるのだが、その反対側がハリウッドの文字が見える山になっている。だいたいみんな街を見下ろしに来るのだけど、なぜかみんな山のほうに向いて集まっている。私達もそっちに行ってみると、なんと山火事・・・!ハリウッドの文字も煙で霞んでいる。ヘリコプターが消化剤をまいている。消防車の音も聞こえる。多くの人がハラハラしながら野次馬していた。私も思わず写真を撮った。(ちょっとわかりにくいけど、山から煙が出てます・・・)またロスの街の方を改めて見てみる。確かにでっかい都市だ。乾燥した土地にジオラマのようにひろがる街は人間の暮らしの色が私には見えにくかった。見える色は巨大な街の銀色と空の青とその間に挟まれた汚染された茶色い空気の色。ま、これも人間の作り出した色だと思うが、早く別のとこに行きたいと思った。ジェームス・ディーンの像を見て山を下りた。途中何台かの消防車とすれちがった。まだ消火し切れてないようだ。でもすれちがう消防車に乗った消防士たちはえらく楽しそうだった。ブォ~!ビィ~ビィ~!とやたらクラクション鳴らしながらみんな笑顔ですれちがう車になにか叫んだり、手を降ったりしながら猛スピードで山を登っていっていた。なんか小学校のときの遠足や修学旅行を思い出す・・・こんな消防士で大丈夫か?と思ったが、ハリウッドの山火事は怪我人を出す事もなく鎮火されたらしい。私はまだまだ食欲がなかったが、チャイナタウンでレストランに入った。私はもともと中華料理が苦手だった。でもちょっとした炒飯や麺類なら食べれるので、少しだけ食べた。いよいよユニオン駅まで送ってもらう。一日中遊んでくれたお兄さんにお礼をいい、駅の前でお別れした。凹んでいた旅行初心者の私をいろいろなとこに連れて行ってくれて楽しませてくれ、ほんとにありがたかった。また一人になると思うとちょっと不安になったがアムトラックに乗るのが楽しみでわくわくもしていた。私は「世界の車窓から」とかWOWOWの「レールウェイストーリー」とかを見るのが日課だった。ビデオにとって自分のシリーズヤお気に入りをせっせと作っていた。移動好きの私にとって列車は一番好きな乗り物と言ってもいいほどだ。アムトラックに一泊し、翌日の昼過ぎにはニューメキシコ州のアルバカーキにつく予定だ・・・はっくしょん!
2006年03月01日
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ロサンゼルスを19時ごろに出発するアムトラックのチケットを買っていたので夕方まで同じ宿に泊まっている日本人旅行者のレンタカーに乗せてもらって遊んでもらった。まずガンクラブに行った。リトルトーキョーのすぐ近くはかなり治安の悪そうなスラムがある。そこのガンクラブで鉄砲を撃ちに行くというのだ。あまり気はすすまなかったが、ついていく。スラムは真っ昼間だというのに、泥酔しているのか、ホームレスなのかわからないが路上にへたり込んだり座り込んだ人がたくさんいて、車から降りるのが怖かった。で、結局ガンクラブは満員でちょっと見学だけして、すぐに出た。私にとってガンクラブはなんの興味も湧かなかったし、へぇ~と言う感じだった。その後サンタモニカに向かう。でっかいハイウェイを走るのは気持ちがいい。海が見れてうれしかった。さっきのスラムとは一転してサンタモニカ周辺のビーチはかなりバブリーな雰囲気で、でっかいリムジンやらお城のような家がたくさんあった。さっきのスラムもこのリッチな風景が一気にアメリカの特徴を表している気がした。でも私にとってスラム街もこのセレブリティーな町並みもどうでもよく、スラムの人々を哀れむ気持ちもないし、なっがーいリムジンに乗る人をうらやむ気持ちも湧かない。ただ、そうなんだな、と観察したかった。サンタモニカで一番思い出に残っているのは、あるビーチのこと。車を降りてサンタモニカと書かれたゲートのある桟橋を見たり、その周辺のお店を覗いたり、ゲームセンターとかをうろうろして、ビーチ沿いを歩いていた。特別海はきれいではないが、空は青く宣伝の旗をひいた飛行機が飛び、風が気持ちよかった。ジョギングする人やロラーブレードで行き来する人も多く、昨日味わった強烈な不安も忘れられそうだった。そしてそのうちビーチ雰囲気がちょっと変だなと思い始めた。ものすごいマッチョな人がやたら多く、ビーチに鉄棒があり、懸垂する人やら片手で腕立て伏せする人やら妙にみんなムキムキで熱心に体を鍛えている。さっきまではブランコやアスレチックで遊ぶ子供もいたが、ここでは決まって上半身裸の大男が丸太の上でバランス取りながら太極拳のような舞(?)をやったり、かなり妙な雰囲気なのだ。でもそこのビーチに立っていた看板がすべて解決してくれた。そのビーチの名は・・・『MUSCLE BEACH』つまり、「筋肉ビーチ」なのだ。筋肉ムキムキになりたい人たちが黙々とトレーニングするためのビーチなんだな。この素晴らしいネーミングに感動し、看板の写真を撮った。この写真を日本に戻ってから現像に出すとパノラマサイズになっていた。ただ看板を撮っただけなのにでっかく引き伸ばされてプリントされていた・・・あきれたが、それをみるといまだに笑える。その後ハリウッドの方にドライブする・・・へっくしょん。
2006年02月28日
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ソウルからロスまでの飛行機の中はすごく楽しかった。隣のお姉さんと仲良くなれた。香港出身の彼女は高校の英語の先生。彼女の夫がお医者さんでサンディエゴに留学しているので、夏休みを使って遊びに行くというのだ。久しぶりに夫に会えるのだからうれしくて仕方ないのだろう。ほんとにいい顔して、きれいな優しい人だった。「あなたは何でアメリカへ行くの?」と聞かれたが、たいして理由もないので「いやぁ~ふらふらするの」って言うと、「はぁ?」と言う感じだったが、「勇気があるわ」と言ってくれた。彼女は英語を上手にしゃべるが私はめちゃくちゃだった。でも持参したポケットタイプの英和と和英が一緒になった辞書を使ったり、中国語と日本語の不思議な筆談もすごく楽しかった。なんせロスまでの時間は長い・・・私よりも詳しい彼女の日本の芸能界やドラマ、コスメについての熱い語りや、韓国系の航空会社ならではの機内食ビビンバの試食で盛り上がった。機内が暗くなり、周りが寝静まっても彼女と私の興奮は冷めずしゃべり続けた。だからロスまではあっという間だった。ロスに着いて彼女の夫とも会うことができた。彼も優しい人で、もしサンディエゴに来る事があればと、彼の電話番号と住所をくれた。記念に写真を撮ってお互いのいい旅を願って別れた。その後この旅を終えて日本から私は彼女の香港の住所に手紙と写真を送った。彼女もアメリカ旅行の写真と様々なアメリカでの出来事を書いて知らせてくれた。・・・そんな感じでいい感じに始まったアメリカ放浪。でも彼女達と空港で別れて直後、私は急に不安に襲われた。ロスの空港はバカでかい。8ターミナルとかあるらしい。それにダウンタウンまでどうやっていこうかとかも決めてなかった。リュックからってうろうろしながら途方に暮れた。とりあえず私の中にはリトルトーキョーに行けば安い宿があって、日本語も通じるかもという甘い考えがあった。すると乗り合いタクシーのおっさんに声を掛けられたので、ダウンタウンに行きたいと言うと「乗れ」と言われた。とりあえず従って特等席の生まれて初の右側の助席に座らされた。金額の相場もよくわからなかったし、仕組みも良くわからなかったがどんどんきちんとお客さんが来るから安心だった。私を含めて5,6組のお客さんを乗せて出発だった。ダウンタウンまでのドライブはものすごいスピードにただただびびっていた。ハイウェイはものすごく広くて平気で150kmぐらいで走っている。ダウンタウンまでは結構距離があったような気がする。どんどん街の大きなビル群が近づいてくる。一度ロスには行ったことがあった。14,5歳のときに家族旅行でディズニーランドとかラスベガス、グランドキャニオンに行ったのだ。ダウンタウンに入るとそれぞれハイアットやヒルトンなどの有名ホテルを点々と回りお客さんを降ろしていく。タクシーのおっさんがとうとう私に尋ねてきた。「おまえはどこに泊まるんだ?」「わからない。まだきめてない」「はぁ!?」私は当時18歳になっていたが黄色人種はだいたい若く見られる。きっとおっさんは私のことを15,6歳だと思っていたらしい。何言ってんだ、このガキはと思ったに違いない。とりあえず私は「リトルトーキョーに連れてって」と頼んだ。なんかおっさんはぶつぶつ言っていたがよくわからなかった。おっさんは親切にもリトルトーキョーの中で一番きれいなホテルに連れて行ってくれたが、私は地球の歩き方に乗っていた激安宿を探して歩いた。日本人のバックパッカーには有名な古くなった病院を改装してつくったという宿を見つけ出した。フロントには白いランニングがまぶしい黄色人種の兄ちゃんがいた。もしや日本語しゃべるのかもと期待したが、彼は台湾か中国系のアメリカ人だったので日本語は通じなかった。でも無事部屋も見つかったし、フロントには日本語の新聞や少年ジャンプやマガジンなどのマンガもある。部屋は14,5ドルだった気がする。でも汚かったし、共同のシャワーはひどかった。お湯は出ないし水がチョロチョロ出るだけ。ここほんとに大国アメリカか?と焦った。たぶん女のお客さんはいなかっただろうな。とりあえず荷物を置いて落ち着いたら外に出てみた。リトルトーキョーは不気味だった。日本語の看板や日本食を売ったスーパーなどがあり、有名な二宮金次郎の像も見た。日本人のようなおじいちゃんがうれしそうに手を振ってきたり、英語で声をかけてくるから変な感じだった。ちょっと外を歩いてすぐにロスは楽しくない・・・と思った。人の気配がしない。車は広い道路をじゃんじゃん走るが歩いている人がいない。人を見かけたと思ったら、ホームレスのおっちゃんとかがにやにや手を振ってくる。そのまま私はユニオン駅まで歩き念願のアムトラック(アメリカ横断もする大きな列車)のチケットを買いに行った。次の夜にはニューメキシコに向けて出発するチケットを頑張って手に入れた。(だって駅のお姉さんが早口の英語で怖かった・・・)そのまま水と蜂蜜とパンを買って部屋に戻ったが、夕方、夜になるにつれて私はものすごく怖くなってきた。「なんで私は一人でこんなとこにいるんだぁ~!?」と今更ながらビビリ出したのだ。今思うとほんとおかしな話だが、買ったパンもまったくのどを通らず、豆電球一個の部屋でうずくまっていた。疲れているのの眠る事もできず、いらいらと不安でいっぱいだった。太陽が沈むと同時に私の気持ちも凹み落ちて行った。このまま帰りのチケットを変更して日本に戻ろうかとも思った。今頃不安になるなんて遅すぎる!と自分で突っ込みながらもホームシックだと認めざるを得なかった。とうとう私はお母さんに電話すると決め、ロビーに下りていった。するとそこに数人の日本人が集まって飲んでいた。「あ~日本語だぁ!」とウキウキしたがすでにみんなわいわいやっているので声掛けにくかった。でも「こんばんわ、日本に電話したいんですけど誰か教えてくれませんか」と尋ねてみた。するととりあえずコレクトコールのことを教えてくれた。トライ・・・。しかしなんと娘がホームシックで苦しんでいるというのに我が鬼母はコレクトコールは高いからと拒否してきたのだ!さすがである。取次ぎ役のお姉さんが優しくクレジットカードでの国際電話の方が安いということを教えてくれたので、見守ってくれていた宿の日本人のお兄さん方と再度クレジットカードを使った国際電話に挑戦した。そしてやっとお母さんの声が聞けたのだ。無事に着いたよと状況を報告しホームシックということはなんだか言えなかった。あまり長くは話せないから「またかけるから」と言って切った。気持ちもちょっと落ち着いた。宿の人たちとおしゃべりしてもっと気分がよくなって部屋に戻ってしばらくはねむれなかったが朝方やっと眠りについた。アメリカ第一日目。妙に長い一日だった。ただ単に空間を移動することが好きなのだ。留まっていられない。そしてマイノリティーでいることのリスクと快感が単に気持ちよくて私は旅にはまっていく。約5年半前のこと・・・はっくしょん!
2006年02月27日
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2000年8月私はいよいよ異国をふらふらするべく旅へ出発した。手に入れた格安航空券はアシアナ航空のソウル経由ロスの往復券で復路は一度だけ変更が効くOPEN/FIXというやつだった。その時初めてアシアナ航空という韓国の航空会社を知ったが、福岡から出発するので関空や成田に出るよりも時間もかからず、安くていいのだ。空港までお母さんが送ってくれた。そしてのんびりお茶していると、私の名前を呼ぶアナウンス・・・慌てて外に出るとグランドホステスのお姉さんがものすごい勢いで走ってくる。「アシアナ航空のお客様ですか?」というや否や、私の持っていたチケットでクロだとわかったらしく「走ってください!!」と猛ダッシュ。初めて一人で国際線に乗る私はチェックインもしたし、のんびりと15分ぐらい前に行けばいいやと思っていた。無知とは恐ろしい。バックパックを背負ったまま空港をダッシュし、お姉さんはトランシーバーで「犯人逮捕しました!」というふうに渋く連絡しつつ私より10mは先を走っている。涙目のお母さんとのお別れもあっけなく、「んじゃ、行ってくるね~・・・・ドタバタ・・・」という感じ。当時は出国審査で出国カードを書かないといけなかったが初めてでもたもたする私に代わり、「私が書きますから、パスポートください!」とスーパーお姉さんがやってくれた。で、無事出国のスタンプをもらい、飛行機までお姉さんとラストスパート。ほんとお世話になりました。既に乗客のみなさんは揃っていて、やはり私は最後の乗客だった。かなり空席が目立ったがソウルまで1時間ぐらい。あんだけ迷惑掛けて、走り回ったわりにはあっという間のフライトだった。ソウルに着いた。当時はまだ新しいインチョン国際空港がなく、キンポ国際空港でトランジット。この時も私はわけがわからず、ソウルに着いたら普通のお客さんと一緒に外に出てしまった。乗り継ぎの時間もそんなにないのでソウル市内に出る時間もなく、暗い古い空港の中で時間をつぶし、なんやかんやあったが、無事トランジット成功。ロス行きのジャンボジェット機に前回の失敗を繰り返すことなくばっちり乗り込んだ。・・・続く
2006年01月20日
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私は旅が好きです。大抵、私の旅に目的はありませんのだ。空間を移動しているという感覚がものすごく快感なのです。前世は多分マグロかカツオか何か止まったら死んでしまう(?)というような回遊魚だったと思います。 ただただ移りゆく景色を眺めていることがいい。点と点をつなぐように何かを探しているようで、実は何も見つける気はないみたいなスタイルで気ままに行き着いてしまった空間に立ち、ただ見て、聞いて、出会って、別れることをひたすら繰り返すだけなのです。そうすることで私は自分の存在を実感していたのです。わかる人にはわかる感覚でしょうが、わからない人もたくさんいていいと思います。私も他人の感覚を理解できない事なんてしょっちゅうです。 そんな私のかわいい旅は私の中で静かに息を潜めているのですが、いつか何らかの形でまとめて外に出してあげたい気持ちが時々湧いていました。でもなかなかそんな作業は進みませんでした。そこで、ブログに適当に記録を付けていこうかと思いました。かなり自分のための作業なので、一番楽しいのは絶対私自身なのですが、あなたの旅と比べたりして遊んでいただければうれしいです。 私は小さい頃から旅人意識がありました・・・ 小学校1年生のころから帰宅するのは一人で通学路を無視してぶらぶら帰るのが大好きでした。私は幼少時代、とても恵まれた環境で同年代の幼なじみがたくさんいる中ですくすく成長しました。私はそんな幼なじみと兄弟同然に仲良く楽しく元気に遊んで暮らしていたのですが、ときどきそんな彼らに嘘をついてでも一人で帰宅する事が日課でした。黄色い帽子にでっかいぴかぴかの赤いランドセルを背負って、うろうろ冒険するのです。 そしてよくイメージしていました。いつかリュック一つ背負って遠い国の古い石畳の坂道を登っていく自分の姿や、自由気ままに行きたいところへ行き、自分の足で歩き、その風景、匂いを体験する自分の姿をいつも思っていました。私はどこへでも行けるし、旅をする事が許されていると信じていました。あはは。。。 イメージは成長するとともにより現実的になり、高校3年の頃からバイトを初め自然と資金を貯め始めました。高校を卒業し、一応大学に進んだもののとりあえず夏休みに「どっか、いく!」と決め、なんでかわからないのですが、ロサンゼルス行きのチケットを予約していました。両親には何も相談していなかったのですが、未成年は保護者のサインがいるので、その時初めてお母さんに「8月アメリカ行くから、サインして。」となんとも親不孝な私。でも私は両親に反対されるとは思いませんでした。心配かけるのは悪いな、とは思っていたが、やりたいことはやるしかないし、私の両親はきっとそうしなさいと言うと思っていました。結局、そうでした。お母さんは、心配だけど、自分で決めて、自力でやりたいことをやってみる私のことを好きだと言ってくれました。その結果、ノリノリで私は福岡発ソウル経由ロス行きの90日オープンか何かの格安チケットを手に入れました。続く・・・
2005年12月18日
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ついにブログに挑戦です。おもいっきり機械音痴な私ですが、ぼちぼち書いていきたいと思います。もともと言葉を書くことは好きで歩きながらとか電車の中とかでふと好きなフレーズを浮かべては詩の様な、言葉遊びを昔からよくやってました。たまたま書き留められたものは作品として可愛がり、ときどき自分で本を作ってみたりしています。(かなりアナログナ、まさに文集といった感じですが・・・)でもとにかく自由でなければだめな性格なので学校の作文や小論文などは気が進まないタイプです。なので日記はどうでしょうかね。ブログという独特な場に興味があるのでそのへん楽しみながらマイペースにやっていけたらいいなと思います。内容としては、とにかく自由に気の向くままに書いていきたいのですが、他愛無い日々の出来事や、今取り組んでいる事、興味があることなどでしょうね。はっくしょん!
2005年12月14日
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