2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
全25件 (25件中 1-25件目)
1
ここんとこ日記の更新はそこそこやってるのにコメントがつかないと嘆いてたら、昨日は食い物の話題にしたとたんにコメント花盛り(汗)・・・どういうこっちゃ(^^;)ということで昨日に続き、パンの話。わが家の朝飯は物心ついて以来・・・というより先祖代々(ま、祖父の代以後は)パン食ですけれど、それでも年代によって微妙な変化は起こってますね。子供の頃はたいてい、厚切りトーストにバター、あとはミルクティーのみというパターンでしたけど、現在ではトースト以外にクロワッサンやスコーンの日もありますね。で、いつしか飲み物がコーヒーにかわり、若い頃は卵料理が多かったんですが、だんだん年齢を経るとともにヘルシー志向になりまして、今ではバターに代わってマーガリン、卵の代わりにサラダとチーズまたはヨーグルトです(汗)学生時代とそれにつづくフリーライター時代(フリーター時代といっても間違いじゃないが)は、パンの耳が主食で、文字通りパン(耳)と水だけの生活なんてのも経験しましたが・・・ところがこの「パンと水だけ」の生活というやつ、いわゆる清貧の限りをつくした?最低限の食事という比喩に使われたりしますけど、実はもっと悲惨な意味なんですね。何でもコメには人間の体を保つに必要な必須アミノ酸が全部含まれていて、あとせいぜい少量の豆類とか、植物性タンパクで不足分を補うだけで十分生きていけるんだそうですが、小麦など麦類には必須アミノ酸がいくつか欠けてるそうですね。だから麦類を主食にする以上は、動物性タンパク、最低でも乳製品を同時にとらないと体の機能を保てないんだそうです。要するに「パンと水だけ」ってのは、「食うや食わず」という意味なんだそうで・・・それを本で読んで以来、いかに食費をケチってもチーズかヨーグルトだけは食卓から放せないんですね(^^;)必須アミノ酸を補給するだけなら、良質の植物タンパクでも補える、という説もありまして・・・そういえばトーストに納豆をぬって食べるという、背筋も凍る言語道断な人種も、関東方面には生息しているというウワサですが、本当なのでしょうか(汗汗)
2007.01.30
コメント(2)
わが自宅の近所は、ひょっとすると全国一のパン屋密集地帯かも知れないというほど、あちこちにベーカリーがあって、朝起きてパンが切れていても、ちょっとひと歩きで焼きたてのハードブレッドやクロワッサンぐらいは手に入るのがうれしいところですが、それでも日常の買い物ついでにスーパーやコンビニのいわゆる「食パン」のお世話になる機会もけっこう多いです。スーパーに並んでる食パンですけど、大きく分けて5枚切りと6枚切りがありますよね。6枚切りはサンドイッチなどには適当ですが、ちょっとトーストには頼りないので、わが家の定番は5枚切り。分厚いぶんだけ中に火が通りにくくて、外はパリパリ、中はふんわりという理想的なトーストができるんですね。ところが耳寄りな話・・・最近関東某県からこちらに引っ越してきた同じマンションの奥さんが、あちらでは5枚切りというのは存在しなくて、こちらではじめて見てカルチャーショックを受けたというんです。そういえば・・・30年近く前は私も東京にいましたが、5枚切りというのはなかったなあ。今でもないんでしょうか?・・・実は同じ関西でも大阪や京都じゃあまり見かけないんですよ、5枚切り。奈良では一度見た気がする。何でも奈良県の人口一人当たりパン消費量は兵庫県に次いで全国2位だそうですから、大消費地でしか売ってないのだろうか?皆様のご近所のコンビニはいかがでしょう? 5枚切りって置いてます?余談ですが、その奥さんいわく、関東では食パンの耳を切り取ってしまった「耳なしパン」ならスーパーで売ってるとの話。・・・う~む私なんか耳こそパンの命だと思うんですが・・・狭い日本、ちょっと離れただけでこうまで食文化変わるんでしょうかね・・・(汗)耳、で思い出しました。子供の頃、近所のパン屋で食パンの耳だけビニール袋に入れて売ってましてね。確か一袋2円か3円か(汗)・・・で、買ってかえってフライパンで少量のサラダ油で軽く炒めてもらって、蜂蜜かメープルシロップをかけて食べるのが定番おやつでした。懐かしい思い出ですね・・・
2007.01.29
コメント(8)
(昨日の続き)ということで、年末以来もったいぶってました「連作」の正体は「水上の音楽」でした(汗)お聴きになった方の中に、自分が知ってる「水上」の曲じゃない、と不審に感じた方がいらっしゃるかも知れませんが、「水上」にはいろいろバージョンがあるんです。新ヘンデル全集版などでは「水上の音楽」というタイトルは3つの組曲の総称となっています。全部通して演奏すると1時間近くにもなる大曲ですが、昨日お聞かせした「序曲」は第1組曲の第1曲、つまり「全曲演奏版」のCDを買われたらその最初にかかる曲ですね。これに対して、一般にオーケストラ演奏会などで広く親しまれている「組曲・水上の音楽」というのは、ハーティという人が3つの組曲から6曲(実は5曲)を選び出してつなぎ合わせ、近代風にオーケストレーションを増強した編曲版なんです。ハーティ編曲版に使われている曲は、全曲版の通し番号でいうと第3曲、第5曲、第7曲、第8曲ときて、フィナーレが第11曲で、昨日の「序曲」は入っていません。曲の順序はといえば、第3曲(ABAの3部形式)をちょん切ってしまい(汗)、3A-5-7-8-3B-11、ということになります。今回私の「連作」で考えてるのは、「序曲」とハーティ版に使われた各曲を、原典版に多少手を加えた程度の編成でやってみようということです。本来野外演奏用の曲ですからチェンバロによる通奏低音なんかは入ってないわけですが、「序曲」では使ってみました(汗)・・・あとは、3Aと11でティンパニを使うぐらい。ハーティの編曲には確かに大オーケストラの華やかさはありますが、かえって原曲のもつ底力が失われるように思うので・・・それにしても、年末の「連載」でも書きましたが、こういう曲は王室の野外パーティのために書かれ、本来たった一回演奏されればお蔵入り、という性格のものだったわけですね。さいわいこの「水上」なんかは国王が大いに気に入って、いろんな機会にくりかえし演奏を所望したそうですから、楽譜が保存されていただけで、そんな理由でもなければ現代のわれわれがこの曲に接する機会はなかったかも知れません。ヘンデルだけではなく数多くの作曲家の手になる数え切れない曲が、そうやって使い捨てられて消えていったのでしょうね・・・
2007.01.28
コメント(0)
・・・というわけで(何が?)、本日がブログ1000日目です(^^)。よく続きましたね~。最初の半年ほどはいちびり半分でしたけど、いまやMIDI&エッセイ倉庫と化した感のある本館にかわって、堂々たる正面玄関(爆)平均アクセスのほうも、一時期は150人近くあって、枯れたオジサンの日記としちゃまあまあ健闘してたんですが、ここ1年余りは日記の更新があった日で5~60人、サボったら3~40人ぐらい。すっかりオジサンペースに落ちてしまいました(汗)・・・まあでもアフィリエイトも自動巡回もなしに、10万超えまできたわけですから、御の字といわなければなりませんね。この3年近くの間に、このブログを通じてたくさんのお客様とめぐり合い、落ち込んだときには勇気を頂き、またけたたましい電子騒音を押し付けては寛容なご感想をいただきました。ありがとうございます。お礼の印といたしまして、並行作業中の連作のうち1曲だけ先行完成させることにいたしました。日付が変わるまでにはお聞かせできると思います。ではお楽しみにお待ちください(^^)/////////////////////////////////////////////////////////////////では、どなた様も今後ともよしなに・・・ ヘンデル : 「水上の音楽」第1組曲から 序曲
2007.01.27
コメント(4)
昨日ぐらいかな、と思ってたら、冬眠してる間はアクセスも止まっちゃってまして(汗)・・・結局つい1時間半ほど前でした。10万アクセス達成ありがとうございます。先日から、ブログ開設ちょうど1000日目で10万か、などと冗談半分にお話してましたが、あと数時間で実現するとこでした。惜しかったようなほっとしたような(爆)ともあれ、この通好みの渋いオッサンのブログににぎにぎしくご来場賜りました延べ10万人の皆様方にあつく御礼申し上げますm(__)m・・・で。問題の10万人目ですが・・・通りすがりの自動巡回さまだったようで、なんとも冴えない気分(ーー;)ということで代わりに、開設999日目で99999ヒットの大ゾロ番ゲットのりえにゃん☆さんに読者代表で記念の粗品をお受け取りいただこうと思います(^^) いつもご愛読ありがとう。(^0^)/♪ ヘンデル:「見よ、勇者は帰る(オルゴール風?)」
2007.01.26
コメント(2)
ブログ開設1000日ということになります。カウンターのほうも10万までカウントダウン状態になってきましたね。実をいいますと密かに「1000日目で10万ヒット、1日平均アクセス100.0」の三冠達成を目論んでたのですが、予想よりややペースが早まって、どうやらあさって、998日目ぐらいでの6ケタ入りになりそうです(^^)昨年はMIDI引退宣言などだしまして、どうもそれも年末以後は有名無実で、「引退からの引退」も考えないと・・・と思ってますが、やはり数年前のようなエネルギーは残ってないのが本音でして、その頃なら当然「1000日記念」「10万ヒット記念」の大作に打ち込んでたところでしょうが、こんどはなかなかそうもいきません(汗) ちょっとずつ進行しつつあるヘンデルのセットモノがさしづめその代わりということになりましょうが、完成は早くても1100日目ぐらいではないか、と。最近は仕事のほうも大童ですんで、なかなか日記の更新も遅れがち・・・それでも100000人目のお客さんは、なんとかPCの前でお迎えしたいものだと思ってます(^^)
2007.01.23
コメント(4)
けさの出勤途上、三ノ宮駅前での話(-o-)JRのコンコース前で缶コーヒー飲んでたときのことです。なにやらものすごく大きな影が視界をさえぎって通ったような気がして、ふと目を上げると・・・・・・私の10メートルほどさきに、身の丈ゆうに2m強、赤ら顔に毛むくじゃらの巨大な鬼が立ってました。節分の出し物にしてはまだ早いんじゃないか、と一瞬思いましたが・・・よくみるとレッキとした人間でしてね。え~異人さんですけど。・・・まあ私も日本人としちゃ長身のほうで、ヨーロッパあたりへ出てもさほど身体で気後れすることはないんですが・・・さすがにここまでデカイとなると・・・体重にしたら自分の倍はあるよ(汗)・・・しかも、ただでさえ威圧感があるうえに、黒いサングラス。さらに何やらしかめっ面をして、ジロジロあたりを睥睨するさまは、あたかも映画「ゴッドファーザー」か「アンタッチャブル」か(汗)。まあ神戸の町中なら、1分歩くうちに1~2人は異人さんと「その筋の方」にはすれ違いますがね、その両方兼ね備えたヤツとなると・・・(汗)さすがにそうそう出会うもんじゃない。特にこんな至近距離では・・・私はソロソロと間合いを取って、壁伝いに撤退の態勢に入りました。・・・と、それを敏感に察知したのか、くだんの鬼・・・じゃない人物がいきなりこちらを振り返り、次の瞬間モロに視線が合ってしまいまして。ゲ、ガンつけられちゃったよ(激汗)次の瞬間、その人物がアゴで左右に合図を送ったと思いきや、彼の左右から3人の部下?たちがワラワラと現れ、私を包囲する構えに・・・しかもそのうえ、ボスがつかつかと歩み寄ってくるではないか! ・・・後ろはすでに壁で、逃れようもない。私の前までやってきたボスはおもむろにサングラスを外し、かがみこむように私に顔を近づけてきて・・・脳裏に一瞬、足にコンクリートの重しをつけて港に沈んでる自分の姿が浮かぶ・・・・・・で、ボスは突然顔をくちゃくちゃに崩して、声をかけてきたのさ。「How can we get to The Universal Studios・・・?」・・・答える前に、脳内で思い切り火炎放射器ぶっ放してやりましたよ(ーー;A
2007.01.22
コメント(2)
やはりウソだったか! ・・・という思いでしたね。納豆ダイエット効果捏造事件。もう10日以上前ですかね~。同じマンションに住んでる奥さんとスーパーで鉢合わせしたんですが、その奥さんの買い物籠を見て冷や汗でちゃいまして・・・なんと一番上に納豆のパックが山積みに・・・こ、ここのご家庭はたしか納豆嫌いだったはず。何でもご主人が私と同じで納豆といえば不倶戴天の敵と信じて疑わないタチだったそうで・・・「いや~それが先日TV見てたらね、すごいダイエット効果があるんですって。主人につきあって今まで食べなかったけど、これからウチでもせいぜい食べることにしようと思って・・・いや主人は食べないけど、私と子供たちだけね・・・それが近頃売り切れが多くって。よっぽど視聴率高かったのねえ、あの番組。」奥さんは嬉々としてTVで得た知識を披露して、私にも納豆派に転向するよう説得を試みましたが、いかにダイエットになろうとも、わが家に納豆菌の侵入を許す気にはなれず、私ははいはいと生返事しながら、奥さんと別れました。わが家は親の代・・・いや多分祖父の代から朝はパンと紅茶と決まってまして、以後私の代になっても、どこか温泉旅館にでも泊まらない限り、朝から米のごはんを食べるってことがないのです。だからまあ健康食としての納豆の効用などは知らないわけじゃないんですが、食べなれないうえにあの匂いでしょう(汗)・・・おそらく、今後一生食べなくても後悔はない、と思いますけれど・・・ただ、その奥さんの立ち話で、ちょっと妙だな、と思ってたんです。納豆が主に東日本で常食されてたのは、貴重なタンパク源としての効用でしょう。畑作が多い関東や東北では土地の生産性が悪くて、昔は飢饉も多かったですし、必須アミノ酸がどうしても不足がちだったでしょうから、納豆はそれを補う優秀な食材だったのでしょう。その高タンパク食品の納豆を食べ続けて、ダイエットになるとは思えんなあ・・・・・・と思ってたら、先日の捏造報道。問題の番組を制作したTV局への怒りももちろん、う~む踊らされた消費者にとっても、生産者にとっても迷惑な話だろうなあ。でもちょっと考えたら誰だっておかしいと気づきそうなものなのに・・・TVの影響力の大きさ・恐ろしさをあたためて知らされる事件でした。もちろん、わが家には関係ナイ話ではありますが(-0-;A
2007.01.21
コメント(0)
トシニモメゲズ シゴトニモメゲズジシンデオヤヲウシナッテモ ジコデヨメサンヲナクシテモメゲナイ ハガネノムシンケイヲモチカネハナク イツモ ガクフトパソコンニムカッテイルイチニチニマールボロヒトハコト コーヒートクロマメココアヲノミアラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニイレナガラ イツカワスレテナキネイリシテシマフミナトノミエルマンションノ サホドヒロクモナイヘヤニヰテ ヒガシニスーパーノバーゲンアレバイッテバンメシノカイダメヲシ ニシニアタラシイパンヤトミレバイッテアレコレシナサダメシ ミナミニボキンヲスルヒトアレバサイフノナカミヲキニシナガラキョウリョクシテヤリ キタニボランティアボシュウトキケバショウコリモナクカオヲツッコミデジタルオンゲンヒソヒソナラシ タマニハウラヤマウロウロアルキムスメニサンギョウハイキブツトヨバレ ヒョウショウモサレズ タイホモサレズサフイフモノニ ナッテシマッタモノハシカタガナイ(--;)
2007.01.19
コメント(4)
な~るほど(ーー)昨日の段階では考えがうまくまとまらなくて、ああいう書き方しましたが、自分の中に”Credo”という新しい人格が生まれたのが1995年1月17日だ、といったほうがいいようですね。それがやがて自我に目覚め、8歳にして外界に自己主張(HP)をはじめ、9歳にして日記をつけはじめて・・・う~む、してみるとオレはまだ12歳になったばかりなのか。これからますます生意気になるんだなあ(恐)・・・隠居なんて早すぎると叱られるのもごもっともか・・・(汗)
2007.01.18
コメント(0)
仕事帰りに東遊園地に寄って、ローソク立ててきました。心配していた雨も上がって、いつもながらの平和で厳かな集いになりました。ただ・・・ローソクたての青竹は犠牲者の数(約6500基)しかないのに、ローソクのほうは参列者の数だけ配られますので、遅く行ったらもう満杯で立てるところがないわけです。一基について2~3本同居してたりしましてね・・・これはご家族でお参りされたのかもしれません(^^;)被災者の感覚でいいますと、年は明けたといってもなかなか落ち着かないで、この17日が来てやっと新しい年がはじまる、という気がします。実際、いままで生きてきたン十年をどこかで区切るとしたら、1995年1月17日以降が第2の人生ですね。普通なら結婚したら第2、でしょうけど・・・この感覚はこの後一生変わらないでしょうね。当時の細かな記憶は、風化させないようにと努力しつつも少しずつ薄れていくのは避けようがありませんが、ただこの日付をもって、自分はいまの自分になったのだという自覚は、年を追うごとに深まってくる気がします。1月17日という日付の意味するものが、自分にとって少しずつ変化してきているのでしょうね。単なる悲しく恐ろしい思い出の日ではなく、もうひとつの誕生日であり、自分にとって生きる意味と目標を再確認する日であり、そしてこの日だけの特別な日ではなく一年365日が私の中で1月17日になりつつあるのを感じています。被災者という看板かかえてますと、ブログやっててもなかなかしんどくてね(汗)。少々のことで負けるわけにいかないし、女房なくしたぐらいじゃ泣けないし、視力が弱ったといって引退しても、やはり体力がつづくうちは若い連中のお尻も叩いてまわらないといけないし、因果な立場です(汗)・・・しかしこれが6500人の遺伝子を引き継ぐ者たちの宿命でしょうから、まだまだがんばって生きないとね。このブログももうすぐ開設1000日・・・アクセス数もまもなく10万の大台に乗ろうとしています。可能性としてはちょうど1000日目に10万突破、ということも大いにありえるペースですね。皆様のご声援にお答えして、今年も(汗)またよろしくお願いいたします。本館内・阪神淡路大震災記念ページへ↓
2007.01.17
コメント(0)
あすの震災記念日は、天気予報では雨になりそうですね・・・平日の早朝にはさすがに起きられないので、夜の仕事帰りにローソク灯してくるつもりですけど・・・いままで小雪がチラチラ、ということはあったけれど、不思議に雨が降った記憶がないんですが。もし土砂降りにでもなったらローソクどうなるんでしょうね、気になります・・・
2007.01.16
コメント(2)
バッハの曲は、テンポを動かすと死にますが、ヘンデルの曲は動かさないと死ぬんですね。一般論ですけど(--;)
2007.01.15
コメント(2)
朝早く起きて、厳島神社に参ってきました(--)といいましても宮島まで行ったわけじゃなくて、神戸市内にもあるんですよ。平清盛が福原遷都を強行した際、新都の周囲7箇所に厳島神社を勧請してきたんだそうで、いわば分家ですね。現存してるのは1社だけですが。ま、町の真ん中にぽつんと建ってる小さな社ですがね(汗)・・・ただ、遷都が本格化した際には、本社もろとも移転の構想もあったのかも知れません。その「分社」から歩いて数分で清盛塚。北条政権時に建てられたという石造十三重の立派な塔でして、長らく清盛の墓と信じられていたそうですが、発掘調査で遺骨は発見されなかったそうで、ただの供養塔らしいです。熱病で死んだ清盛の遺骨は、遺言によって福原に埋葬されたと伝えられていますが、実際にどこなのかはわかってないんですね。築造に生涯をかけた港に散骨されたという説もありますが、いまとなっては突き止めようがなく、やむを得ず兵庫港に近い地に供養塔を建てたのでしょう。清盛をはじめとして、平家政権のことは歴史の教科書をみるとあまりいいように書かれてませんけど(汗)現在の歴史評価というのは要するに勝者(源氏)の論理で書かれたものでしてね。清盛の事蹟などをみていくと、当時の日本人としては桁外れのスケールをもった人物だったことがわかります。国家経営の基本に海外貿易というものを置き(貿易立国、ですね)、そのための港などを整備し、さらには権力中枢(天皇)までその地に移して政治経済の両面の実権を手元で集中管理しようというわけで・・・ただ手段がいささか強引でいかにもワンマン政治家ですけどね(爆)もちろん神戸のように山と海が迫った狭い土地に、京都や奈良のような条坊制の新都をつくろうというのは土台無理でして、本気でやるなら古代フェニキアみたいな臨港都市をつくるべきでしてね。皇居にしても平安京の内裏のような平面じゃなくて、ヨーロッパの石造城砦みたいな高層建築でなきゃ、とても土地が足りません(汗)・・・そういった従来の日本の常識を覆す都市計画を立てるブレーンがなかったところが彼の限界ですかね。ま、その限界はあったとしても、清盛や平家政権の歴史的再評価というのは、今後進められていっていいですね。だいたい神戸という町は源氏嫌いが多いんで(爆)・・・神戸は明治開港によって発展した新しい町、というイメージが強いでしょうが、歴史はずいぶん古くからの蓄積があるんですね。福原京以後あまり歴史の表舞台にでたことはなかったですけど、国内海運の主要基地として栄えてきましたし、明治以前でもっとも海外との交流が深まったのは安土桃山のルネサンス期ですが、その直前の応仁の乱で焼き払われて壊滅的な打撃を受けまして、この時期に貿易の表玄関の機能を堺や博多に譲ってしまっていたのがなんとも痛い(汗)・・・市民自ら自分たちの町の歴史にもう少し理解を深めて、誇りをもってもいいんじゃないかな。私の遠い先祖が五島列島の海賊で隠れキリシタンの一族らしい、ということはこの日記でもたびたび書きましたし、昨年の今頃は祖母の語るCredo家大叙事詩をご紹介しましたが(汗)・・・五島など西海の島々には平家の落人伝説も多いですし、そのほか流刑になった政治犯とか、ありとあらゆる反体制・反権力分子が流れ込んできていたようですから、私の血の中にはそういった反骨の遺伝子がぎっしりつまっているんでしょうかね(爆)・・・などと妄想にふけりながら、清盛の夢の跡を散策してまいりました。
2007.01.14
コメント(0)
週末ともなれば、おちおち冬眠もしておれませんで(爆)・・・昨日の続きみたいなことになりますが、本来なら広島で一泊して、きょうは宮島にでも遊びに行きたかったんですけどね。まあ娘をひとりで留守番させてひとりで遊んでるわけにいかないし(汗)実をいいますとまだ一度も宮島には行ったことがないんです。厳島神社といえば平家ゆかりの聖地ですし、清盛を開港の祖にもつ神戸市民のひとりとしてはぜひ一度お参りしておかないとまずいんですがね。世界遺産にも登録されたし。ただし世界遺産になったとたんに度重なる台風の被害にあったりでこのところ散々なようですね。もう完全復旧したんでしょうか。そういえば、原爆ドームとならんで、2つの世界遺産をもつ県というのは、奈良県の3つを別にしたら広島県ぐらいですね。私は自然遺産のほうは知床も白神山地も屋久島も行ったことがないんですが、歴史遺産のほうは残るは宮島だけです。・・・あと首里城にも行ったことがありますが、まだ復元前で守礼の門だけしかなかったころでしてね。いちど復元された正殿も見に行きたいもんですね。
2007.01.13
コメント(2)
仕事帰りに広島に寄って晩飯食ってきました(--)・・・といっても酔狂ではなくて、大学関係のパーティーに教授の代参で顔だけ出してきただけですが。広島といえば東京あたりの方だとずいぶん遠い町、という感覚でしょうが、神戸からなら新幹線に乗ってしまえば1時間強、岡山が隣町でそのまた隣といった程度。結構訪れる機会も多いです。ホテルの立食パーティで特技の早食いを披露して30分ほどで切り上げ、隣接する平和公園を横切って帰ってきたんですが、原爆資料館の下をくぐるとき、ふとよみがえる記憶がありまして・・・12年前のちょうど今時分。正確には1月16日、は成人の日の振り替え休日だったですね。その日、半分プライベートで広島にきてたんですよ。私は広島に来たときには必ず原爆資料館には立ち寄って、あと慰霊碑にお参りしてましたが、その日資料館に入って生々しい惨状を物語る資料や廃墟の写真などを見てるうちに、ふと妙な錯覚にとらわれまして、これがもし神戸だったらさしずめこの写真はあのあたり、なんて、廃墟と化した神戸の光景が脳内にこびりついちゃいましてね。まあ原爆が落ちることはないにしても、大地震とか・・・なんて、ちょっと恐ろしかったですね。そしてその十数時間後にそれが現実のものになるとはもちろん予想もしてませんでしたが。・・・そんな思い出があるせいで、震災後もたびたび広島には行ったんですが、原爆資料館はご無沙汰。長崎の平和資料館には行きましたけどね。そんなことを思い出しながら広い夜の平和公園を歩いて、慰霊碑にだけお参りしてきました。大都市の真ん中にこれほどだだっ広いオープンスペースがある町も珍しく、せせこましい神戸の坂だらけの町に慣れた身にはうらやましい、とふと思いましたが・・・考えてみたら62年前は、この広大な空間には広島の都心部があったんですね・・・そう思うと北風が身に沁みてブルッと震えがきてしまいました・・・
2007.01.12
コメント(0)
昨日書いた「構想」の一端を暴露すると・・・年末に( ア )の曲数曲に同時に手をつけた、と書いたけど、その中に( イ )と( ウ )が入ってるので、あと( エ )( オ )( カ )の3曲作って全部つないだら( キ )の全曲が完成するなあ・・・上記の(ア)から(キ)までに正しい語句を入れよ。
2007.01.11
コメント(2)
冬眠宣言したばかりなのに、どうも寝付けませんで(汗)といって、仕事で忙しくなると日記に書けるようなネタも乏しいし(--;)MIDIは・・・しばらく中断しますが、この期に及んで大作の構想が浮かんできたりする(爆)・・・・・・・・・・早く冬眠せねば。
2007.01.10
コメント(4)
仕事が本格的に始まってしまい、なかなか家に帰ってからすぐPC,ということも出来なくなってしまいまして、ここ数日間はお休みということになるかもしれません。ま、そういいながらゴソゴソ穴から這い出してこないとは限りませんが(汗)では、週末には更新したいと思います。おやすみなさい。
2007.01.09
コメント(0)
昨年末からの突発性ヘンデル熱のおかげ?で、やっとこの曲に日の目を見せることができました(汗)今朝ほどUPした震災記念ページのBGMに使用した「天使たちよ、運びゆけ」のことですが、実はこの曲をMIDIにしようとしたのは今回が初めてではありません。この日記とお付き合いしてくださっている方なら、覚えていらっしゃると思いますが、1年半前、家内を交通事故で亡くしたときのこと。生前に冗談半分に、家内が先に死んだら追悼のMIDIをつくってやる約束をしてたのですが、最初呆然としていた私の脳内に浮かんだのがこの曲でした。ただ、葬儀までのあわただしい時間のなかでとてもこの曲を仕上げる余裕はなく、代わりにメンデルスゾーンの曲を選んで、それも結局は葬儀までには間に合わなかったのでした。家内自身はクリスチャン出身でしたが、わが家が一応表向きは仏教徒ということになってる関係で葬儀は成り行き上仏式ということになりまして・・・型どおり四十九日過ぎてから、納骨の前にあらためて教会で簡単な告別式を・・・といっても親しくしていた神父さんに聖書の一節を読み上げてもらっただけなんですが、そのときボランティアで関係していた聖歌隊のOG数人が集まって歌ってくれたのもこの曲でした。もともとこの曲を聖歌隊のレパートリーにしようとしたのは、その前年だったかの震災記念日のミサで歌うつもりだったからです。即製聖歌隊には難しい曲だった上にユニゾンで演奏効果がイマイチ、というのがネックになって、結局実現できませんでしたが(汗)・・・今回、震災記念のページにこの曲を使うことで、そのときの想いは何とか果たすことができたと思います。同時にこのMIDIは、家内との約束を果たすためのものでもあります。家内は私の両親とはちがって震災で亡くなったわけではありませんが、家内が自分の生きがいともいえるボランティア活動に出会ったきっかけがあの震災でしたし、私にとって彼女との14年間の思い出の大半はあの震災とそこからの復興の過程と切り離して考えられないものでした。ですから私はなんだか彼女が自分のつとめを果たし終えて、私の両親のあとを追っていたような気がしてならないんです。今年ももうすぐ「その日」・・・いま市内の学校や公民館ではボランティアによる6千数百本のローソク作りがはじまっています。私ももちろん当日は会場に行きますが、今年は家内の分としてもう1本ローソクを持参して、こっそり母のそばにでも立てて祈ってやりたいと思っています。
2007.01.06
コメント(4)
ちょっと予定より早いですが、本館の阪神淡路大震災記念ページのTOPを2年ぶりに更新しました。MIDIのほうもなんとか上がりましたし(汗)・・・こちらまたは、TOPの写真をクリックしてお入りください・・・
2007.01.06
コメント(0)
きょうは、事務連絡?のみ(汗)本館MIDIの部屋から、「ヘンデルの部屋」が独立しました。作曲家別ルームとしては、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンに次ぎ4番目。まだ曲数は少ないですが、今後も増えそうなので先行投資(爆)それにしても、改装後の部屋を眺めてると、私が作ったMIDIの大半は、ごく短い期間に集中してんだなあ・・・ま、それは長い音楽の歴史の中で本物の黄金時代はせいぜい百年あまりだった、ということでもあるけど。
2007.01.05
コメント(0)
きのう1日温泉で遊び倒したツケが回って、きょうは私は雑事に、娘は宿題におおわらわの日。それでも次の計画は少しずつ進みつつありまして・・・懲りないヤツじゃ(汗)。神戸周辺の住民にとっては因果な話ではあるんですが、クリスマスが過ぎ、正月が明けて松の内がおわるとすぐに、もうひとつ重要な記念日が来るんです。暗いほうですけどね。今年は本館の震災記念ページのTOPのリニューアルを、と思い立ちましてね。使う写真とかリンクとか準備は進んでるんですが、製作にかかったMIDIの方が難航してまして・・・難しい部分はほとんどありませんが、ちょいと個人的にも胸にこたえる曲でしてね(--)・・・無事UPを祈っててください(汗)明日は、気分転換に別の曲でも進めるか・・・
2007.01.04
コメント(0)
新春もはやくも3日目。今年はどこにも旅行に出ないかわり、近場で温泉三昧。というわけで、有馬の「太★の湯」に行ってきました。あまりこのネーミングは好きじゃないんですが・・・「太★が愛した温泉」というのを売り物にして、隣国の方々を刺激するのもよくない気がして(汗)中身のほうは、もちろん昔からの天然温泉(金泉・銀泉)を中心にして、最近ブームの岩盤浴用施設を大々的に取り入れてますね。改装前の「ヘルスセンター」はさながら中高年の楽園だったですが、これにしてから若い層の来客がどっと増えたようです。正月ということもあって、かなりの混雑でしたけど、岩盤浴も有料(30分500円)のほうは1時間半待ちぐらいで済んで、待ってる間に温泉のほうに行ってきました。ただここの温泉、金泉のほうは、だいぶ薄めてますね・・・湯船に浸かると胸ぐらいまで透けて見えてます(汗)・・・本物の金泉だったらドロドロで首から下は見えないですけど。よくガイドを読んでみると金銀混合だそうです(爆)。純・金泉に入りたい方は「金の湯」のほうがオススメですね。で、岩盤浴のほうは、使用してる石の種類も何種類もあるんですが、時間が限られてたのでゲルマニウム石のほうにしばらく横になったあと、金泉銀泉の蒸気で蒸しあげる一種の低温サウナに入ってころがってました。なかなか快適なものですね。個人的には晴れた山の上で岩の上にころがって昼寝する「とかげ」の方が気持ちいいですが(汗)そのあとこれも以前はなかった露天風呂でハーブバスにつかって締めてきました。きょう一日でだいぶダイエットになった気がする(爆)さて、明日からまたMIDI再開(引退した者のいうセリフか^^;)・・・次作の公開は1月17日の震災記念日を予定してます・・・
2007.01.03
コメント(2)
神戸港の汽笛が一斉に鳴っていますね・・・皆様、明けましておめでとうございます(^^)。去年の正月は、まだ服喪中の身でしたので、2年ぶりのおめでとうということで・・・昨年もいろいろあった1年でしたが・・・後半突然引退宣言などいたしまして、その割りに最後のラストスパートは異常でしたが(爆)これからは、体力と相談しながら、自分のやりたい曲だけ気まぐれにやっていきますので、よろしければ相も変らぬご愛顧をお願い申し上げます。去年のモーツァルトイヤーに変わって、今年は・・・シベリウス没後50年ですね。いよいよ著作権が切れる・・・かと思ったら、50年目一杯は著作権有効なんだって(--;)・・・来年正月には最終兵器をお耳に入れたいですね・・・では、今年もお年賀を・・・大晦日につくった一夜漬けですが(汗) ヘンデル:「セルセ」から「やさしき木蔭よ(ラルゴ)」 ・・・本年が皆様にとってよい1年でありますように。 おまけ(爆)/////////////////////////////////////////////////////////////昨年末から突発性ヘンデル特集にとりかかって、いつ出るか、とこの曲を楽しみに待っておられた方もいらっしゃるかも(汗)一般にヘンデルの曲として皆さんご存知なのは、「ハレルヤ」に、表彰式でおなじみの「勇者は帰る」に、この曲がいわば3羽ガラス(爆)でしょうか。ヴァイオリン独奏や弦楽合奏に編曲され「ヘンデルのラルゴ」の別名で知られる「オンブラ・マイ・フ」・・・ヘンデルのオペラは現代では全く廃れてしまっていますが、美しい旋律をもった当時のヒットナンバーの数々は、あるいはオラトリオに転用されたり、今もこの曲のように、世界各国で讃美歌に取り入れられ親しまれています。もう20年近く前になるんですが、フィンランドを訪れたとき、ヘルシンキのど真ん中に岩盤をくりぬいて銅のドームをかぶせたすごい教会がありまして、すばらしい音響効果だったですね。・・・その教会で、オルガン伴奏で少女聖歌隊がうたっていたのがこの曲でした・・・。
2007.01.01
コメント(4)
全25件 (25件中 1-25件目)
1