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先日、両国国技館で、ダライラマの講演会を拝聴しに行ってきました。講演会のテーマは「ラムツォ・ラムスム(主要な・三種類)」つまり、三つの要点と言うことです。
今日のダライラマの講演は、ツォンカパが弟子のガワン・タクパに授けた「ラムツォ・ラムスム」を解説して下さいました。
資料道、加行道、見道、修行道、無学道という階梯と菩薩の十地とを対応させ、般若波羅蜜の重要性を説かれ、空の直接体験することで深い菩提心を起こし、自と他の分別を超え、修行を深めて行くと言うアウトラインを提示した上で、「正しい見解」を生じさせるには、煩悩障と所知障の両方を滅しなければならない。
煩悩障は功徳がある程度備わることで、煩悩障を段滅することが出来るようになりますが、所知障が残ります。 これが阿羅漢の状態です。
所知障を滅する為には、空性を直接体験しなくてはなりません。
空性を直接体験する為には、まずは、自我に対する考察から始まります。
「私(自我)とは何?」どこに自我があるの?頭? 心臓?脳ミソ? そうやって観察して行くと、分子レベルでバラバラに分解しても、どこにも自分を成立させている自性は無いということに到達します。
ただ条件によって、一時的に成立している(縁起している)ものに、名前を付けて、実在しているように錯覚しているのが、世俗的な有り様ですが、どこにも、自らを存在させる自性はないので、互いに寄り添う形で、相互に依存している状態が縁起であるという真実に気が付きます。
この一切が縁起しているという事実と、「空」というのは、「自性を受け入れない」ということですが、この二つが別々に表れている限りは、仏陀の真意を正しく理解していないと言う。
このような「正見」に到達するには、輪廻の快楽や愛着に束縛されているのならば、正しい見解には到達できません。
まずは、永遠に続く輪廻を、心から忌み嫌い、この輪廻から抜け出したいという気持ちにならなくてはならないので、最初に「出離」の心を持つようにします。
輪廻の栄華を願う気持ちは、開かれ、開放された意識になりたいと願う人が、永遠の牢獄の囚人になりたいという、矛盾した動機を持つようなものです。
出離の動機を持つと、輪廻に苦しむ衆生を助けてあげたいという利他の願望が起こるようになります。 その為には、自分自身が最高の正覚を得なくてはなりません。
中途半端じゃ駄目なのです。 一切智の悟りを得たいという発願を立てます。これが菩提心の生起です。
この最高の菩提心を起こす気持ちが、正しい見解を成立させるのです。つまり「正見」が成立し、三つの要点がこれで揃います。
この三要訣は、宗派を超え、チベットの中で重要視されてきました。
チベットには四つの宗派がありますが、それぞれが違うアプローチで、真実の探求をしているうちに、同じ手法にたどり着いている。
この講演会の中で使われたTXTの14ある詩句の中の、13番目の詩句の訳が、実在論と虚無論の訳が逆になっていましたが、それに対し難癖を付ける人は居ないでしょう。
通訳者の勘違いと、その過去の訳を使ったチベットハウスのチェックの見落としがあっただけですから。
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