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この楽天ブログの存在さえ忘れていましたが、新しい職場で新たなネットワーク環境になって、偶然昔の登録の情報を見つけました。 この「倫子」をテーマに書き始めた日記は、確か五島列島に行ってその後、尻切れトンボの様に途切れてしまってました。 入院していた伯父は他界してしまいましたが、あれからも色々ありました。 倫子の後にお付き合いした美人の女性とは、実は今でも繋がっています。週一位で逢って、関係は続いています。 僕は元々得意な仏教や心理学をテーマにした書き込みをMIXIで大量に書いていて、ここでも前に書きましたが、倫子との関係が始まる時に断ったダライラマの研究機関の責任者の立場に対する未練なのか、MIXIでもトランスパーソナル心理学のコミュニティの管理人の立場になりました。 最近は余り書き込みはしていないんですが、心理学系つまり、潜在意識の活用の方角の研鑽に勤しんでいます。 エックハルト・トールやバイロン・ケイティを始め、元祖引き寄せのマーフィーの「思考は実現する」から思考にアイデンティティを観ると、ペイン(痛み)ボディが形成され、根源的な怖れや不安感に支配されるようになるという多くの人の実体験から大乗仏教や密教、心理学的アプローチなどを統合すると、様々な道が開けることが明らかになって来ています。 つい、昔の日記が懐かしく、現状報告にやって来ました。
2016年03月29日
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倫子は自分の好みを体現した可愛い女の子でした。特に性格や明るい所は最高の女性でした。先日関係が終わった女性は、見た目において完成していて美の体現者だったのです。 誰が見ても彼女の美しさは絶賛され羨ましがられました。 自分はHが巧いらしく、二人ともそれがあって別れられなかったと言う。 基本は不倫なので束縛する権利はないのですが、二人共、街を歩いていても滅多に見ることの無いスペシャルな美人でした。 単なる美形だけならこないだ別れた子が美人でエッチしててもゾクッとするほどで、倫子へは存在全てを掛けれる程、思っていました。こんな冴えないオヤジが立て続けに絶世の美女達としまくっていたのは正に奇跡でしたねこんな想定外の美人達と別れたら次は無いよだって目に入らないからね
2012年01月06日
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そんな気持ちだから、今の恋は終わってしまった倫子の元気さが愛おしいな。 何処かであえないかな。
2011年12月29日
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やっぱり、倫子の記憶は鮮明なままだなぁオイラの原体験そのものの存在だったんだなまた入院になりました。前の入院の時は脳の手術があったから生きて帰れる保証は無かったけど、今回は薬と点滴だけで、経過を見守る感じです。まだ倫子は引っ越してないのかな?だとしたら近いのにな。東神奈川にある済生会と同じ済生会が鶴見にあって、昔住んでいた近所の人にさっき会いました。
2011年12月17日
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彼女は本当に知性が高いと思われる。知性の中でも観照知が極めて優れている。普段は集中力が無く、あれこれ気になり散漫になりがちだが、 観照に徹するとモードが変わる。 自我意識と連動し易いのは弱点だが、瞑想を教えれば、直ぐに熟練者になることは間違い無い。性に関する集中力もずば抜けているので、いかに自我意識が出ないようにするかが、焦点を合わせる所です。
2011年08月20日
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元々は商社のOLだった彼女はクンダリーニの覚醒体験以来、まともな仕事が困難になって、今は進学塾の先生をやっているのですが、様々な問題があると、相談してくる。 倫子の時と同じで、感受性は高く、性的な快楽に脆い。倫子はそれを自覚していたので、会わなければ、忘れることも出来るが、会ってしまったら、欲求に流されてしまうと、会うことを拒んだな今の彼女は考えるから、脆い。その方が僕には都合が良いけど行く先は不安ですね。 自分で判断して自分で決めれば自分の意志で決めたと安心出来ると思っているからです。しかし、本当の意味では、総ての現象は、自分の欲求に基づいていて、それを正当化したくて思考してますが、それも自己正当化のために使われます。その事が解るようになるまで、一緒にいれるのかな?
2011年08月05日
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今の彼女は信じられないくらいの美人だけど、疲れる。珍しいことだけど、彼女の不安定さは、伝説の域にたっしている。倫子と居たときの安らぎが懐かしい。最近、妄想している自分に呆れるけど、倫子が目の前に現れたらどうするのか? 面白い問いだけど、残念ながらそれはない。
2011年08月02日
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こんなに愛を語ることは、倫子以来だし、倫子の時を超える熱烈さです。こんなに胸を焦がす思いをするなんて、想像を遙かに超える恋だけれどけれど、これも霧のように雲散霧消してしまうんだよなぁ
2011年07月23日
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愛がありそうで、いつも冷ややかな気持ちの持ち主で、先日はこれで終わりという二人になったと思っていたら、彼女の意識にいつの間にやら、スイッチが入ったのか、急に可愛いくなった。元々形状容姿は最高に美しいのに愛がないのが玉に瑕だったのが、可愛いくなって、魅力百倍です。倫子の時より深い絆になるかも知れない。どうなることやら…
2011年07月05日
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最期は、自分で幕を引いた感じでしたが、最初っから、本当の意味では心を開いてくれないな、と感じていたけれど、脚は開くけど、心は開いてくれない娘の心情は複雑で、難航しました。信頼関係が壊れた時に、もう終わりだ、と思い終わりを告げたけど、彼女は身体の関係は維持したいと主張してきたが、人形を抱いているようで、悲しかった。もう直ぐ、東京の日本橋にある会社に就職するけど、彼女の地域に近いけど、心は果てしなく遠い。
2011年06月07日
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社会性、人間性、社交性、仕事においても優れた人間であったあった彼女は、よりレベルの高い存在へと進化しようとしてクンダリーニが覚醒したのですが、クンダリーニを知る人は少ない。精神科に行っても、彼女を正しく診断出来ない。あらゆるカテゴリーに適合しないのです。高い知性で、対人関係は良く、常識的な認識や適応は問題なく、人に頼られる存在の彼女は、覚醒以来、全ての認識の基準を失った。自分の知覚の全てが信用できなくなってしまったのです。彼女はあらゆる視点の分析も、治癒法も理解し、受け入れてくれるのだが、「知性」それも「自我」に関する捕われが強くなって、人に見られる意思きが強く働き、人に良く思われたという欲求が強いのです。 殆ど全てを明け渡してくれた彼女に、あと何がしてあげれるであろうか?
2011年05月24日
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彼女は霊的な進化力、つまりクンダリーニが覚醒し至高体験をして素晴らしさ故に、現実も色あせて、認識は鋭く深くなったのに人の意識の背後にある動機等もリアルに感じ、ついには商社の事務職の仕事も出来なくなり、休職を経た後に、ついには離職を余儀無くされてしまったのです。しかし、外見からは分からず、それゆえに、ギャップは大きくなり本人は苦しくなっていく・・・それが2年半も続き、混乱が定着してしまったのです。二年半の内に積重ねた日々は、彼女の意識を汚してしまったので、浮き沈みは多いのです。ベットインはスムーズで早かったのに、それからが遅々として進まないのです。しかし、女神のような美しさと、高い知性はモロに好みなのです。生まれも同じ九州。兄弟の一番上で、住まいの移り変わりが、正しく重なっていて、同じ町内に居たのは驚きです。今は、かなり遠いのですが、会おうと思えば会える距離だから、火が着きやすいので困った二人になりそうです。
2011年05月16日
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過去の記憶だけじゃなく、今でも倫子が好きだという気持ちがあるというのがハッキリ解る。忘れようと、見ないようにしていたが、全てに置いて倫子に優る想いを抱ける相手はいない。今回の相手は、スペシャルな美貌を持つ、心優しい女性です。本当に相武沙希と瓜二つの美人です。こんな美しい人が世の中には居るんだな・・・と思っている程、その美しさは特別です。そんな女性と寝ても、倫子が欲しい。倫子の全てが欲しい。あの乗りも、優しさも、可愛さも、あの貧乳も、全てが愛おしい。あれから何年経ったのだろう。逢いたいな。
2011年05月12日
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自分から、キスを求めてもらうのは、嬉しいものです。毎日メールのやり取りをして、いよいよホテルに行こうと約束を・・・そして東京で待ち合わせ。直ぐに結ばれたけど、何か釈然としない。関係は大きく進展したが、相武沙季にそっくりの彼女は美し過ぎる。寝てても美し過ぎる彼女は見とれてしまうほど美しいこんな関係になっても彼女が去っていくことを想定してしまう。倫子の時のトラウマになっていることを今更ながら気付かされました。
2011年05月11日
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仕事の打合せで、新木場の方に行って、時間が早く済んだので、駄目元で、目当てのあの子にメールをしたら、千葉まで来てくれるなら、逢いましょうという事に、新木場自体が、殆ど千葉なので、ヤッターって感じで、千葉に向かう。しかし、直ぐに次のメールが・・・「申し訳ありませんが。」という書き出しから始まるメールを見て、駄目だったか。と一瞬思ったのですが、母親との用事がバッティングしたので、待ち合わせの駅を変えて欲しいとの趣旨でした。自分にとっては、より近い駅だったので、嬉しいですが、結構待たされて、意気消沈。前の彼女(倫子)の事を気にしている様だけど、遠回りにしか聞いて来ない。彼女は、心身のバランスが崩れて、相談に来たのですが、その治癒のプロセスとして、信頼関係が何よりも大事だという話は、納得し、自分が何度も父親の仕事の関係で、海外の暮らしが多く、日本での閉ざされた人間関係に疲れているというのもあって、自己超越欲求は強いのです。倫子よりも美人の人は、そうは居ません。そんな彼女との過す時間は悪くはありません。一緒に寝てみたいという彼女の要望に応えるべく、ラブホへ。しかし、周辺にはラブホは無い(笑)しょうがないね、またの機会にしましょうね。という僕の発言に物足りなかったのか、ちょっと不満気。彼女は気分が高まっていたらしく、カラオケに行きましょうと。誘ってくるが、帰りの時間も気になってきたので、彼女のニーズに合わせて、身体を触っていると、キスを求めてきた。 最高の女性に求められれば、悪い気はしない。関係は大きく進展したが、今後彼女の気持ちはどうなる事やら。
2011年05月07日
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今度の相手とはスムーズな展開のようで、今ひとつ上手く行かない。倫子の時も、最初はかなりの時間が掛かったが、会い始めると、一揆加勢で進んで行った。倫子は、自分の好みのそのものだったが、今度の子は、美人度は倫子を上回るかも知れない。性格はお淑やかだが、自分は倫子の天真爛漫さが何よりも好きだった。まだまだ時間の経過が必要な状況だけれども、どうなることやら?倫子と同じで、逝った事がないらしいが、一度、寝てみたら、こっちのペースになるでしょう。さてさて、そこまで行くものだろうか?
2011年04月28日
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未だはっきりは、しないのだけれども 浮ついた気持ちが無く、内面に高まる期待が大きく強く膨らむこの気持ちは、倫子との出会いの時と同じだ。 何の期待も無く、状況が流れる。次第に、相手のニーズが自分の望みとマッチしていく。倫子よりも一つ上の年だけど、十分若い。海外で過した年数も何年もあり、非常に知性が高く、優しいけれど、人に流され易い傾向がある。イク経験が無いというのは、あった頃の倫子と同じだ。そしてもう一つ同じなのは、自分の好みのタイプで、奇跡的にマッチしている。これ以上の理想はは無いと言うほどです。 駅で待ち合わせ、会った時はこの美人は誰?と言うほど、想定外の容姿でした。どんな流れになっていくのか?、
2011年04月23日
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昔から縁ある土地、川崎に引っ越しました。中学生の時から、高校生の時まで、思ってくれる人は川崎だったので、奇妙な縁は感じ、仕事を始める前のアルバイトでオヤジの手伝いで、現場に行ったときに、川崎は公害の町のイメージが強く、何となく嫌いでした。 倫子も最初は川崎の学校に行き、何度か行ったのに、妻の実家があったので、足は遠かったのが、そこが住まいになってしまい、今は散歩も新鮮な感じです。川崎は自転車が多く、中国のようです。車の駐車場が高く、バイクの駐輪場がなかなか取れないのですが、バスはかなりの足になり、仕事柄バスの朝は遅いから、少し心配です。ラーメン屋は、いっぱい有るのですが、医者にラーメンを禁じられているので、辛いですね
2011年04月20日
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最近は、色んな事情が重なり、我が身の老いを認めざるを得ない状態ですいつかは老い、肉体を捨てなくてはならないのは、頭では分かっていたのに、心では若い積もりでいたんでしょう。思い返せば倫子と過ごした日々が最後の華だったんでしょう。本気で来世の準備に入るかな…
2011年02月03日
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自分の名付け親でもある伯父が危篤というので、五島に行くことになりました。長崎といえば、今世間では「龍馬伝」で賑わっています。飛行機の機内でも、「龍馬伝」のパンフを片手に持つ人の多いこと。 昔、新婚旅行の時、オーストラリアに向かう機内で、異常な頭痛で肝を冷やしましたが、今回は脳内動脈瘤の破裂の危険も無いので、悠々と飛行機に。長崎の大村空港について、直ぐに五島に渡るために、長崎港へ向かう。空港から高速バスで800円、大波止に向かう。着いて「五島うどん」を食べるつもりが、数分で船が出るらしい。猛ダッシュで、高速フェリーに乗る。 高速フェリーが出来る前は4時間半は掛かっていたのに、今は90分で着く。出る前は、関東は雨だったのに、長崎港は快晴。五島に着くと、親戚が福江港に待っていてくれていた。福江港で親戚のやっているタクシー会社で、レンタカーを借りて、2泊する親戚の伯父の家に向かう。 免許を持っているのが自分だけなので、道は全く知らないけど、略一本道なので、迷うことはない、カーナビもあるので、不安はないけど、道が狭く、交通量は少ないので、皆飛ばしている。記憶では、福江島は小さな島だと記憶していたが、実際はそれなりの街だった。隠れキリシタンの多い町で、文化遺産級の教会がいくつもある。伯父の家は「荒川」というところで、住人も少なく、郵送物も番地を入れなくても「荒川」の町名と、名前を書くだけで届く凄いところです。荒川には「荒川温泉」という温泉があるのですが、かなりの高温で、自分で水を入れなければ、熱くて大変な温泉です。 料金は300円台、女性は髪の毛を洗うなら、20円増しです。朝、横浜を早い時間に出て、羽田空港でも走って飛行機に乗ったので、朝食も食べず、五島に着いたのは昼を回っていたので、お腹が減っていた。帰ってきたら食べようということで、先にお見舞いに行くことにして、日本の最西南端の大瀬崎灯台のそばにある病院に向かう。伯父はもう94歳という長寿なので、これで他界しても大往生です。何時もは目を瞑ったままなのに、僕の名前を聞き、目を開け、食べさせようとすると、何時もは拒否するらしいが、眼か涙がこぼれながらも食事をしてくれた。原爆の被害にあったので、子供は出来ず、僕が子供の様な関係にあった。昔は、倫子の家のそばに住んでいたが、もう30年くらい前に、五島に帰っていた。元々が五島の家系らしく、頓泊の浜のそばには立派なお墓がある。頓泊の浜は、遠浅で、かなりの距離浅い砂浜が延々と広がっている。工場も殆ど無く、未開発なところなので、水も綺麗で澄んでいる。少し離れて見ると、海はコバルト・グリーンに輝く宝石のようです。妻の親は沖縄の人なので、沖縄には親戚がいるし、自分も本土や石垣島には行ったことがあるのですが、海は五島の方が綺麗です。病院から帰ると、横浜の父の下で働いていたことのある親戚が顔を出していた。大きな伊勢エビを五匹持って、刺身も沢山持ってきてくれている。伊勢エビもレッドロブスターで出される小ぶりのものでなく、背腸を取れば丸ごとかぶりつけるようなものです。伯父の家は、ベランダを開けると、ベランダの下は「海」というロケーションで、今は、岸壁に防波堤が出来て、直ぐ下が海ではないけど、2M先が海というところです。あっという間に、3日目が来て長崎に戻ることに。長崎に戻ると、港で、父の弟さんとその娘が待っている。長崎のお寺の納骨堂に預けっていた先祖のお骨を横浜に持って帰る手はずになったいたのです。 何体分のお骨は先祖のお骨として焼く直し、小さなものにしてもらい、横浜に引き取ることで、一件落着。折角長崎に来たのだから、少し観光して一泊して帰ろうと、母と、妹との三人で過すことになった。 昔、母が銀嶺ということで、勤めていたので、その話を聞きながら、新地の中華街へ。横浜の中華街に比べたら、コジンマリしているが、チャンポンと角煮マンは本場のを食べなくてはと、、、翌日、帰りの飛行機の予約を済ませ、僕が幼少期に住んでいた住まいを見ていこうと稲佐山というグラバー園の反対の山に向かう。 外人墓地のそばでタクシーを降りると、家の写真を撮っている人が居る、40歳を過ぎていると思われる写真を撮っている女性は、怪しげだ!(笑)不振に思いつつ、昔住んでいたところのそばなので、何をしているいのかと思いつつ、挨拶を。 その女性は言い訳するように、「私は福山雅治のファンなんです。」ファンクラブにも入っているという、苦笑いして聞いていると、どこから来たんですかと聞いて来る、「横浜です」と答えると、「私も横浜の中区から来ているんです」という。ファンは凄いなと思いつつ、福山を慕い長崎に来ている人の多さに、驚く旅でした。
2010年10月04日
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高校生であった頃、横浜の大きな喫茶店でアルバイトとして働いてことがあった。今はスターバックスコーヒーになっているのですが、シャルの直営店で売り上げもそれなりにあった。その時に、社員として入って来た子と交際が少しの間だけあったのです。この子は、ヤンキーで、横浜では少しは名が知れていたのです。言い方は悪いけど、あばずれって表現が会う子で、喧嘩っ早くて、気が強い子だったのです。僕は、「爺や」と呼ばれていて、彼女は甘えるのが上手だった。ラブラブのカップルだったけど、あるとき、僕がタバコを吸う女性が嫌いで、彼女にタバコを止めることを迫り、それが元で大喧嘩になった。 ラブラブだったから彼女は辞めることに同意したんですが、荒れていた彼女は禁煙なんかが出来る状態ではなかったのです。彼女は隠れて吸うようになり、それを他のお人から聞いた僕は、自分勝手に、彼女を責めた。自分は相変わらず吸っているのにです。それから別れるまで、喧嘩(というより険悪な仲)が続いたのですが、実は、彼女とは肉体関係にはなっていないのです。 そうプラトニックな恋愛だったのです。勿論二人とも、未だ年は若かったけど、経験済み、処女でも童貞でもない。しかし、二人は仲が壊れるのが怖くて、互いに手を出せなかった。これが高校一年の話だから、もう直ぐ30年が経とうとしている。今でも懐かしいと思う。そのプラトニックな愛よりも、倫子との想いはプラトニックな気がする。 勿論、肉体関係が無かった訳ではない。いやむしろ、エッチはしまくった。けど、倫子に対する思いは、プラトニックだったんだなぁ・・・そう思う、今です。元気にしてるかな?引越しはしたかな?彼氏は何人目かな?元気なら良いや(^^♪
2010年09月02日
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いつまでも倫子を思う気持ちは、変わらずに有り続けています。会えなくなってから数年もの月日が経ってはいるのに、倫子のことは、時間が止まった様に新鮮さが保たれている。さすがに何を見ても倫子が投影されることは無くなって行ったが、倫子を思う気持ちは、依然として不動の気持ちが有り続けている。一度は、会って話したい。あれからいくつもの恋をしたのでしょう。人とは沢山会っているのに、倫子のことは特別扱いの自分は客観的に見てると面白い。苦しさはもうない。 安らかな気持ちが有り続けている悪くない時間が過ぎていく・・・
2010年08月07日
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楽天の登録が難航していたのですが、今のままで、ログイン出来たので、登録はこのまま続けます。携帯の登録が前のままで、それが変更できないので、ここまま続けます。脳の手術の後、峰巣炎になり、1ヶ月も治らないので、医者を転々とし、今日、行った所で判明したのが、5、6年前の下肢静脈瘤の手術をし、両足の内腿の静脈が無い為に、足の治りが遅いのではないかという結論に達しました。 土曜日に紹介状を書いてもらい、外科に検診に行き、問題を調べてもらいます。
2010年07月22日
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この登録形態のままでは会員のログインが出来なくなって仕舞いました。新たに楽天の会員登録をし直す為にこのブログの登録を切り替えます。倫子が来たのが判らなくなるのが悲しいですが、今のままでも解らないので、登録を変えます。
2010年06月30日
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6月10日お昼くらいに手術します 脳内の動脈瘤を破裂させない為の手術をやることに決まりました。 頭を開き脳内の動脈瘤を封印するのですが、位置や形を開いて確認しなくては可能な術式が確定しないので、開いて見てのお楽しみなのですが、開いて見る事のリスクもある。 脳を開いて患部の血管を出すために脳内を触る、しかし触った部分の脳は死んでしまう可能性が高いため、脳梗塞になってしまう。 今までの事も忘れてしまうのかな? 倫子はことは覚えているのかな? アルツハイマーになったら大変だよ。 手術が上手く行かず目が醒めなくてもしょうがないが、倫子を忘れるのは嫌だな
2010年06月08日
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閻魔大王の使いに帰って貰ったのに、まだ待っていました今日、担当医に呼ばれ、経過のCTの写真、MRAの写真、血管造影の写真を見ながら説明を受けました。高気圧のカプセル1時間、点滴を2時間し、酸素のマスクを24時間、毎日やっていたのが今日から全部終わり、毎日薬を飲むことになった。明日からどんな治療になるんだろう。そう思っていたら、看護婦がやっぱり薬はなしになったと言う。で、担当医の話に戻ります。脳梗塞の症状はこの1週間で良くなったと言う。 しかし血管造影で新たな事が判ったのです。医者曰わく、先日有名になった木村拓也コーチって知ってますか? と聞く。名前は知ってますと答えると、同じのがあると言う、つまり脳内に動脈瘤があるという。 くも膜下出血の可能性があると言う。普通の検査では発見出来なかったことが今日発見されました。ついている事この上ないくらいのラッキーです。お迎えが来てくれるのか、放置されるのか、引き取り手があるやらないやら…
2010年05月21日
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倫子の勤めている会社のすぐ近いお寺でアジア仏教界において理解しあう為に師事しているニチャン・リンポチェと、真言宗の住職とミャンマーの高僧とがお話をされるので、お寺に向かうと、同行したのが看護婦が、僕と少し話して、突然、救急車を呼んだ。僕がおかしいからだと言う。ところが病院に行くと脳梗塞だという。ろれつが回らない以外症状がない。これからは、気を付けなくてはならない。数年前、倫子の上司によく似た症状だからと、病院に行ったら下肢静脈瘤だったことがあった。 それから高血圧はダメだと身にしみたが、もっと気を付けなくてはならないと思いました。生きてる内に倫子に会いたいな
2010年05月19日
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人は、一日一日と、人生の終わりに近づいています。 ついつい、自分は永遠にこのまま、生き続けるような気になって、自分がいつか死ぬことを忘れてしまいがちです。 頭では、自分もいつか死んでしまう事は解っています。 しかし、実感があるかというと、実感ということで言うなら、永遠に未来が続くという感覚の方がより強く私たちの中にあります。 かつて、僕と関わり、病気が治癒したというケースが数点ありました。最初の強烈な治癒の体験となったのが、統合失調症(精神分裂症)の大学生が、瞬く間で治癒したケースで、その大学生は、このブログに良く登場する「倫子」の紹介者である、音楽(声楽とピアノ)の先生なのです。 その元女子大生の音楽の先生の教え子が、倫子だったのです。 倫子の壇那の浮気が元で、精神的に苦しんでいた倫子を紹介してくれた元女子大生は僕と倫子がそんな関係になるなんて思いも拠らなかったでしょうが、ここの所、続けて会いに来てくれたので、倫子との仲と、破局した事を伝えたら、驚きと共に、離れて行った倫子の幸せを強く願い、元女子大生も僕に正式に学びたいと、思いを新たに、またちょくちょく来る事を宣言し、倫子のことを話せる人が現われるなんて思って居なかったので驚きました。
2010年04月17日
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倫子がさよならを告げてから、これこれ3年だか5年の月日が経ったけど・・・自分の中では、未だに変わらぬ倫子への想いがあり続けている。自分でも呆れるほど、変わらぬ想いがあることを驚いている。倫子を考えると、募る想いになるので、ここのところ倫子の事は考えないようにしていた。今日、桜木町駅前のTOCみなとみらいの内装管理の仕事は終わり、19日には、グランドオープンだ。 何を見ても何を感じても倫子が溢れてくる。明後日には、倫子を紹介してくれた人が会いに来る。いい加減、倫子との仲を話してしまうかも知れない。もう終わった恋だから、いいかなこれで桜木町ともお別れ。
2010年03月15日
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人の出会いやつながりは、単なる偶然だけではない・・・ そう感じることは、今まで沢山あった。 来月から、内監室の勤務になるけど、そこのサブディレクターに、どこかで会いましたよね? と言われたが、思い出さなかったけど、内装の監督とやっていた頃、その時のC業者としてその人の会社が入っていたのです。 それは、茨城と栃木のイオンの内装で関わっていたのですが、その時は、建築のゼネコンを差し置いて、頭の会社の代理人なので、少し目立ったのでしょう。久しぶりの出会いだったけど、その人は、家の住まいの近くに住んでいるとのことで、またまたビックリ。 今度はその人のサポートという立場になる。 二ヶ月の工期だけど、桜木町駅のすぐ隣の大きなビルが仕事場だ。昔、倫子という恋人に出会った時、山崎まさよしの歌と彼女が結び付いたけど、その歌詞で出てくる桜木町が縁で思い出した。彼女の本名でインターネットで検索を掛けたら、ヒットした。倫子が仕事で、元気に活躍していることが、ブログに掲載されている記事が載っている。何となく優しく、笑が込み上げる記事だ!こちらは、まだまだに胸を張って会えるような状況には至っていない。が、倫子には光り輝いていて欲しいと、願う。 いつまでも・・・
2010年01月26日
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愛は目立たないけど、どこにでもある。テロや事件や事故は、ニュースになり、日々報道されています。報道されなくても、いつも私たちの周りにあり、いつも私たちを包んでいるのが愛です。家族や友人達や愛は、探さなくてもいついでもそこにあります。思いやりの気持ちは、経典に書かれているから素晴らしいのではなく、皆が経験的に知っているから慈悲というのは素晴らしいと言えます。 瞑想も、あらゆる宗教、精神的取り組みの中でその有用性は認められています。 今まで紹介している「止の瞑想」はどんな宗教でも有用性を認められていますが、「止の瞑想」そのものは仏教ではいかなる修行階梯にも達したことにはなりません。 しかし、心が静まった状態(止)を達成していないと、より高い段階の理解するには、理解が困難です。 そして、良く、ヴィパッサナー(観)の実践を勧める本や、テーラワーダの師達の話が紹介されたりしますが、ヴィパッサナーが出来るようになる為には、集中力を養うことと、洞察を育成することが必要です。更に対象を個別に認識する能力も求められます。伝統的には「七種作意(ナナシュサイ)」と呼ばれる7種類の観想を通じて、第一禅の境地に至ると言われています。こうやって到達できる境地を靜慮(ジョウリョ)と言います。ここからがヴィパッサナー(観)と呼ばれます。このヴィパッサナーに至る手法はテーラワーダに細かい含蓄があります。テーラワーダにしたら、ゴールなので、思い入れも相当にあります。大乗仏教にはそこは通過点なので、様々なバリエーションに繋がります。 バリエーションがあると言うことは、(観)に対するアプローチも沢山あります。禅定の段階は先の、第一禅(初禅)から第二禅、第三禅、第四禅、空無辺処、識無辺処、有所無処、非想非非想処(有頂天)まであり、輪廻は無限の過去から続いています。 過去世のいずれかにおいて、このように高位の精神的境地に到達したことがあるはずなのですが、現在の生においては、欲望の領域の心が表だって支配的になっていることで、堕落しているだけで、誰もが元の境地に戻れる状態にあります。
2010年01月22日
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八つの対抗手段―静寂の境地を阻害するものへの対抗『中辺分別論(チュウヘンブンベツロン)』という弥勒(マイトレーヤ)の教えの中で、瞑想への取り組みの中で、五つの過失を克服する八断行(ハチダンギョウ)によって心の安定状態を得られると言います。これは簡単に言うと、「止の瞑想」の秘訣です。心を集中させ、静寂の境地に至る為の秘訣とも言えます。私たちの集中を妨げ、励めない状態になるには、「五つの過失」があるのです。その五つを挙げます。1、怠惰(タイダ、懈怠)―――なまけ、励まないこと2、教えを忘れること、集中すべき対象を忘れること3、心が過度に暗くなったり、明るくなったりすること4、心が過度に暗くなったり明るくなっても、対抗手段を取らない事。5、心が過度に暗くなったり明るくなった時に極端な対抗手段をとるこ この五つの過失に対し、八つの対抗手段が定められています。怠惰に対し、対抗手段が四つあります。解りやすく言い換えると、すぐ眠くなったり、眠いダルイ、何もしたくないという状態です。これの対抗手段が1)信頼(信)2)欲求(欲)3)努力(勤)4)柔軟性(軽安(キョウアン))この四つが沈み込みに対する対抗手段です。これらを流れで説明すると・・・瞑想修行というのは、心の安定を得られるという「信頼」が生まれます。 これによって、もっと安定した状態や、開放される状態を求める「欲求」が生じ、更に「努力」するようになります。 それによって「軽安(キョウアン」という柔軟な状態に至るのです。5)次に対象を忘れるということに対し、「記憶保持(念)」が必要になります。 この記憶を保持する対処法は、心が過度に暗くなったり明るくなっりすることの対処法としても機能します。6)心の浮き沈みに対する中心的な対抗手段は「監視作用(正知[ショウチ])です。」細かく正確に認識しようという観照することです。7)そして、心が過度に暗くなったり明るくなっても、対抗手段を取らない事に対しては、ちゃんと対抗手段を取らなくてはならないという理解と、ちゃんと対抗手段を取ろうと、意思することです。8)最後に極端に対応し過ぎてしまうことに対しては、冷静に対処しようという前もって決意することです。以上八つが、瞑想する時の障害となるものに対する対処法です。
2010年01月22日
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五つの煩悩と対抗手段瞑想において静寂な意識になることを強力に固執している煩悩が五つあります。欲望(貪欲(トンヨク))怒り(瞋恚(シンニ))無知蒙昧(愚痴(グチ))慢心(我慢(ガマン))理屈っぽい思考(尋思(ジンシ)) 欲望や欲求が支配的であるような人は、欲望の対象について瞑想します。 対象がいつまでも輝きを保っていられるのか? 対象は変わらない姿で居続けるのか? などと、無常について考察します。 怒りに対抗する手段としては、慈しむ感情を育成します。慈しむ感情と、哀れむ感情は養成すると、無限に深くなっていくのです。 愚痴に対する対抗手段としては、縁起のあり方を瞑想します。曖昧な思考や自分を良く見せたいという無知な意識に支配されている人は、縁起の相互依存という自性がない(それ自体を成立させる性質)ということを考察します。慢心を克服する対抗手段には、心身の構成要素の分類設定を瞑想します。 例えば五蘊という感覚器官と感受作用、表象作用、意思作用、識別作用によって、「私」という思いを付与させているのは、諸条件の集積であると瞑想します。 私という感覚は、条件の集まりで、私というイメージを確かなものにしていきます。理屈っぽい思考を克服する手段としては、呼吸の呼気と吸気に集中し、それ自体に瞑想します。 これらはテーラワーダの伝統の中でもこの瞑想方は重要視されいます。呼吸に集中することで、戯論(ケロン―プラパンチャ)を止める方法として静寂の境地に留まる方法として近年でも注目されています。
2010年01月21日
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上野の森美術館に行って、チベットのダライラマのお住まいであった、ポタラ宮の秘宝の展示会があったので行ってきました。 元は、ポタラ宮にあったものが、盗まれ、紛失していたものを展示されているのです。 一説によると、ペマ・ギャルポ氏があれは盗品なので、チベットの為にあそこに行くべきではない、と仰っていたようですが、今回、自分が行くことになったのは、文化大革命以前に何度も、ポタラ宮に行っているので、置いてある仏像やタンカを見るだけで、説明を読まなくても解説してくださる活仏のリンポチェが行かれると言うので、ご一緒させていただいたのです。 中で販売している仏像や物品は、価格もかなり安く、他では考えられない金額でした。 個人的にはサキャ派の相承の始祖達の金ヒカの像が、一番印象的でした。「道果説(ラムデー)」を創始したヴィルーパとその継承達の像の装飾品がハギ取られた状態の後だけが虚しく跡が残っているのが寂しい感じでした。 最後に、リンポチェとお茶をしながら、インドの建設中の僧院の防水のアドバイスをしながら、懐かしい人と、色んなお話が出来た事が、今日の素敵な時間を楽しみました。
2009年12月18日
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私達はただ条件によって、一時的に成立している(縁起している)ものに、名前を付けて、実在しているように錯覚しているのが、世俗的な有り様です。しかし、どこにも、自らを存在させる自性はないので、互いに寄り添う形で、相互に依存している状態が縁起であるという真実に気が付きます。 この一切が縁起しているという事実と、「空」というのは、「自性を受け入れない」ということですが、この二つが別々に表れている限りは、仏陀の真意を正しく理解していないと言う。 このような「正見」に到達するには、輪廻の快楽や愛着に束縛されているのならば、正しい見解には到達できません。 まずは、永遠に続く輪廻を、心から忌み嫌い、この輪廻から抜け出したいという気持ちにならなくてはならないので、最初に「出離」の心を持つようにします。 輪廻の栄華を願う気持ちは、開かれ、開放された意識になりたいと願う人が、永遠の牢獄の囚人になりたいという、矛盾した動機を持つようなものです。 出離の動機を持つと、輪廻に苦しむ衆生を助けてあげたいという利他の願望が起こるようになります。 その為には、自分自身が最高の正覚を得なくてはなりません。 中途半端じゃ駄目なのです。 一切智の悟りを得たいという発願を立てます。これが菩提心の生起です。 この最高の菩提心を起こす気持ちが、正しい見解を成立させるのです。 つまり「正見」が成立し、三つの要点がこれで揃います。 この三要訣は、宗派を超え、チベットの中で重要視されてきました。 チベットには四つの宗派がありますが、それぞれが違うアプローチで、真実の探求をしているうちに、同じ手法にたどり着いている。 この講演会の中で使われたTXTの14ある詩句の中の、13番目の詩句の訳が、実在論と虚無論の訳が逆になっていましたが、それに対し難癖を付ける人は居ないでしょう。通訳者の勘違いと、その過去の訳を使ったチベットハウスのチェックの見落としがあっただけですから
2009年11月12日
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先日、両国国技館で、ダライラマの講演会を拝聴しに行ってきました。 講演会のテーマは「ラムツォ・ラムスム(主要な・三種類)」つまり、三つの要点と言うことです。 今日のダライラマの講演は、ツォンカパが弟子のガワン・タクパに授けた「ラムツォ・ラムスム」を解説して下さいました。 資料道、加行道、見道、修行道、無学道という階梯と菩薩の十地とを対応させ、般若波羅蜜の重要性を説かれ、空の直接体験することで深い菩提心を起こし、自と他の分別を超え、修行を深めて行くと言うアウトラインを提示した上で、「正しい見解」を生じさせるには、煩悩障と所知障の両方を滅しなければならない。 煩悩障は功徳がある程度備わることで、煩悩障を段滅することが出来るようになりますが、所知障が残ります。 これが阿羅漢の状態です。 所知障を滅する為には、空性を直接体験しなくてはなりません。 空性を直接体験する為には、まずは、自我に対する考察から始まります。 「私(自我)とは何?」どこに自我があるの? 頭? 心臓?脳ミソ? そうやって観察して行くと、分子レベルでバラバラに分解しても、どこにも自分を成立させている自性は無いということに到達します。 ただ条件によって、一時的に成立している(縁起している)ものに、名前を付けて、実在しているように錯覚しているのが、世俗的な有り様ですが、どこにも、自らを存在させる自性はないので、互いに寄り添う形で、相互に依存している状態が縁起であるという真実に気が付きます。 この一切が縁起しているという事実と、「空」というのは、「自性を受け入れない」ということですが、この二つが別々に表れている限りは、仏陀の真意を正しく理解していないと言う。 このような「正見」に到達するには、輪廻の快楽や愛着に束縛されているのならば、正しい見解には到達できません。 まずは、永遠に続く輪廻を、心から忌み嫌い、この輪廻から抜け出したいという気持ちにならなくてはならないので、最初に「出離」の心を持つようにします。 輪廻の栄華を願う気持ちは、開かれ、開放された意識になりたいと願う人が、永遠の牢獄の囚人になりたいという、矛盾した動機を持つようなものです。 出離の動機を持つと、輪廻に苦しむ衆生を助けてあげたいという利他の願望が起こるようになります。 その為には、自分自身が最高の正覚を得なくてはなりません。 中途半端じゃ駄目なのです。 一切智の悟りを得たいという発願を立てます。これが菩提心の生起です。 この最高の菩提心を起こす気持ちが、正しい見解を成立させるのです。 つまり「正見」が成立し、三つの要点がこれで揃います。 この三要訣は、宗派を超え、チベットの中で重要視されてきました。 チベットには四つの宗派がありますが、それぞれが違うアプローチで、真実の探求をしているうちに、同じ手法にたどり着いている。 この講演会の中で使われたTXTの14ある詩句の中の、13番目の詩句の訳が、実在論と虚無論の訳が逆になっていましたが、それに対し難癖を付ける人は居ないでしょう。通訳者の勘違いと、その過去の訳を使ったチベットハウスのチェックの見落としがあっただけですから。
2009年11月09日
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明日のダライラマの講演会は、自分にとって他人事ではないものなのです。しかも、倫子に関係のある出来事なのです。10年くらい前、倫子と関係が深まる日、カウンセリングの倫子との待ち合わせを目黒えきでしたのです。 しかし、この日は別件でもう一件、重要な待ち合わせがあったのです。インドのダラムサラ(チベット亡命政府があるところ)から、高野山のお坊さんが、僕に会いに来ると言う。 その打ち合わせに合わせて、目黒で倫子に会うことにしたのです。その高野山のお坊さんが、突飛な要請をしてきた。科学と経済、それと仏教を融合した、教育と研究をするグループを東京に作りたいという話なんです。 しかし東京にはチベットの正式な亡命政府の機関がある。それなのに、奈良仏教界が集結して、新たなグループを東京に作るので、その責任者になって欲しいという申し出、仏教関係者なら、喉から手が出そうな申し出なのに、その話し合いの後には倫子の相談が待っている。倫子にはその価値があったのです。まだ倫子との関係が始まる数時間前のできごとです。その価値がある女、それが倫子だったのに。
2009年10月30日
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彼女(倫子)が勤めている会社の傍を通り、元気にやってるかな?そう思っていたら、対向車線に彼女の会社の車が居る。彼女の顔が見たいなという思いを抱きながら数年の月日が過ぎ去っていた。倫子が去っていって、色々あった。色んな人と出会い、日常は過ぎていく。彼女元気かな? そう思い対向車の車の運転手を見ると、あれ?見慣れた面影が・・・そう、倫子だった。 様々な思いが流れていく。 倫子もこちらを見ているようだが、彼女は視力が弱い。 分かるはずもない。会社の制服姿の倫子を見て、少し悲しくなった。彼女もこちら側に来てしまったという思いになったのです。彩りだった倫子の思い出が、一瞬、グレーになってしまった。 しかし、あの笑顔は健在なんだろうな・・・そう思いたかった。
2009年10月27日
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すっかり忘れていたのに、携帯が誕生日を知らせるメッセージが来る。 それは倫子の誕生日を知らせるメッセージだった。長いこと彼女を思い続けていた日々が走馬灯のような思いが流れて行く。月日か過ぎればこの記憶も喜ばしいものになると言っていた倫子の言葉が実現するのはもう少しのようだ
2009年08月07日
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最近また人が集まるようになってきた。 このブログは低迷してますが、mixiで仏教関係のコミュで盛んに書き込みをして物議をよんでいる。 人と会うと更に倫子を思ってしまう。 いい恋いをして美人に磨きをかけているのか? 懐かしさと切なさを思い起こす彼女の記憶。 皆に幸あれ
2009年02月17日
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ある心理学者の調べによると、どんな熱烈な恋愛感情でも3年しか持たないという統計が発表された。 そのことは20年くらい前に知っていた。だから、「いつかは恋愛感情は壊れてしまう」と、いつも引いていた。しかし、その説を自ら乗り越える経験をしてしまった。彼女と付き合って、五年近い日々が経っていたが、彼女への想いは一向に減らなかったのだ。 しかし、彼女は心変わりをして別れを告げ、去って行ってしまった。それから3年の月日が過ぎって行ったが、自分の時間は止まってしまった。彼女への想いは、そのままだ。氷で凍結してしまったようだ。今は彼女が幸せであって欲しいと願いの気持ちで一杯だが、彼女への気持ちは寸分も変わらない。一時期は辛いので、無理にでも忘れようと考えたが、それは無理だと悟ったので今は、成すがままにしている。思い出すときは、思い出し、思い出さない時は、そのまま放置している。まだ許されない愛っだったのかなぁ・・・
2009年02月03日
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出来事というのは、時間と空間の直線的な系列の中で、スッキリした因果関係の中で起っているように感覚的に思っています。 ところが世界というのは共時的に起っていて、様々なことが関連し合っていて、同時に起っています。 人体には100兆個の細胞があり、それは銀河系の全ての星より多いのです。 それらは関係し合い同時に動いています。 ある細胞が別の細胞に「今から食物を消化するから、君は少し休憩していてね。」なんて悠長なやり取りをする暇もなく、胆のうは胆汁を作り出し、免疫システムはばい菌を殺すシステムが動き、白血球がキラーT細胞が、自分の細胞以外の細胞が侵入するや否やばい菌を駆逐します。 細胞たちは、一度に一つ以上のことをこなしているだけではなく、他の細胞たちが行っている事を、絶えず関連し合いながら情報を共有しています。 逆にそれが出来なければ、身体のあっちこっちで混乱をきたしてしまいます。 個々の細胞は私達が考えるより、ずっと賢く協調性までも持っています。 生体リズムもそうですし、生理リズムも個々が地球のリズムや潮の干満のリズムにも影響されています。 月の28日周期も、女性の生理・出産リズムと密接です。 全ての証拠を列挙しなくても、私たちは宇宙のリズムと細胞レベルで影響を与え合っています。
2008年12月08日
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何が貴方なのでしょうか? どこからどこまでが貴方なのでしょうか? どういう訳か「自分」と呼んでいるもの、肌に閉じ込められた意識が、頭の中のどこかに位置していると感じています。場合によっては、心臓かマニプーラ・チャクラあたりに位置していると考えています。 それとも脳の中にありますかね? 脳のどの部分が自分なのでしょう?前頭葉なのか、脳下垂体なのか? それと脳全部が自分なのでしょうか?脳の一部を移植したら、移植先が貴方になりますか?それは、自分がどこにあるかを吟味したら出て来る問題です。 数年前に、若い女の子と話した時に、髪の毛を大事にしていて、髪の毛は自分自身だと思い込んでいたのですが、これは笑い話しではありません。我々もあまり変わらないのです。もっと合理的な回答がありますか?しかし、どんな実験をしても、どこの空間に自分が位置しているのかを発見できません。 ヴェーダ科学やユダヤのカバラなんかでも面白い洞察がなされています。私たちの意識の中心は、全ての時間と空間の中心であるというのです。少しだけ、貴方の意識が実際に貴方が座っているところに位置していると仮定しましょう。 物理学者達がそうであると保証しているように、宇宙が無限の広がりをもっていたら、無限は貴方がいるところから、あらゆる方向に広がっているのです。それは、同時にどこでもあり、どこにも居ません。貴方は宇宙空間の中心で、私も同じように宇宙の中心なのです。大分にいようと長崎にいようと横浜に居ても宇宙の中心で、貴方はどこにでも居て、何処にも居ないのです。 空間の中の「位置」というのは、認識の問題で、月が近くにあり、太陽は遠くにあるというのは、自分から見た地点からのみの問題で、実際には上下、左右、東西南北も全て便宜上の見方を指しているだけのポイントを表していますが、実際には無い問題なのです。宇宙の中の全ての位置は、非局在的なものなのです。つまり、私たちにはそれがここにある。 とか、そこにあるとか限定できないのです。
2008年11月28日
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「私はだれ?」 「私はどこから来たのだろう?」 「自分の人生の意味と目的は何?」 「自分が死んだらどこに行くのだろう?」 インド・チベット仏教ではこの問いに対する精緻な答えを用意していますが、そういった権威ある教えがあるけれども、この種の不安を覆い去るにはにはリアリティが少ないのが実情です。 例えば『死者の書』に書かれている死後のプロセスは、長期の時間を要しますが体験可能なものです。 しかし、そういった体験は自己催眠であるとか、思い込みでイリュージョンの世界だと言えば、そうかも知れないという物理科学の思い込みの方が容易く勝ってしまいます。 だから私たちは信じたい、と思ってそれを信じることにしがみ付いてしまうことがあります。 逆に、そういう世界は無いと信じたい人も同じように、しがみ付きます。 その方が安心できるんですね。 自分の思い込みで世界を把握してますから、自分が認知出来ないことがあっては困るのです。 科学は私たちに、自然の法則がどのように機能しているかの知識を沢山与えてくれています。電気の力、重力など、私たちは信じる事を必要とせずに経験できるのです。 ヴィパッサナー等の観照する視点は、様々な視点を提供してくれます。 小乗仏教で実践の主要なテーマである「観」の修行は、大乗仏教でも積極的に智慧と結び付けられ、金剛乗では、更なる深みを見せるようになります。 止・観も先があるのです。 止(シャマタ、止、シネー、ネパ)といのは、寂静の境地に留まる修行ですが、これは、寂静の状態を通じて「空」を発見する作業になります。 しかし、この「空」の発見をすることで、覚醒の境地を悟る事に役にたちます。 つまり、「空」を発見するだけでは終わりではないのです。 それはあくまで体験なのです。 ネパの後は、観(ヴィパッサナー、ラントン、ミョーワ)という洞察の状態があります。顕教のシステムの中では寂静の境地に入ったら、無限に、その寂静ないし空の状態に留まるようにします。 このシューニャターの状態に長く留まっていると、洞察が湧き起こってきます。 そして、明晰な意識が出てきて悟りが得られる訳ですが、密教やゾクチェンのやり方では、このやり方は受動的と捉え、もっと能動的に観の修行をやらねばならないと考えます。 空というのは、一つの経験に過ぎないので、自分自身のエネルギー(動きや思考)と関わって行きます。 これをミョーワ(不動)という状態で、積極的に動きと統合していきます。 そしてニャムニーの状態は二元を超えていくのですが、動きと寂静とを不二(統合)することでニャムニーとい覚醒の意識に入ります。 その後、ルンドップという最初から完成された状態の悟りにの三昧(サマディ)の状態があるのですが、脱線が過ぎましたので、元に戻します。 このような状態になれば、信じる必要もないのですが、それまでは思考や混乱に惑わされ、神経症的な反応になってしまいます。 基本的には、「私はだれ?」という問いには、自分の名前とか、性別、国籍、社会的な立場を答えて、自分を表したりしますが、それは表面的なセルフイメージ を言うだけで、「これは、肉と骨が入った袋です」と答えても同じです。 何が貴方なのでしょうか? どこからどくまでが貴方なのでしょうか?
2008年11月27日
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理由のある幸せ・・・私たちは、自分が何者であるのか?また自分とは何なのか?という問いを持っている。多くの人は、自分の職業、自分の好み、自分のポリシー、自分の名前、自分の住んでいる地域等を答えて、また外見上の特徴を語る事で、自分を指し示す。そう表面上の形容で自分を表す事になると信じている。そして自分が何を求めているのか?何が欲しいのか?あなたは?しかし、なぜあなたはそれを欲しいの?それは喜ばしいことなの?理由は、それがあると幸せになるような気がしているのです。お金? 地位? 名誉? 住い? 車? 恋人?それがあると本当に幸せになるの?理由のある幸せは、形を変えた不幸であると言われます。それらは吹き抜ける風のようにやってきては去っていきます。そしてその幸せが私たちから去っていく時は、やけ酒、やけ食い、その他様々な中毒的な行動に陥り易いのです。 それは喜びを見出したいと無意識が望み、中毒的な行動に快楽を求めようとするからなのです。幸せが外的な要因にあると思っている内は、真の喜ばしい意識状態にはなりません。私たちが幸せに感じる時、それは自分の内側にある喜びの素に繋がっている時に根源的な喜びを感じるのです。 幸せは私たちのなかに存在している意識状態なのです。外にあるもので自分を満たそうとしても、取り上げられてしまいます。個人的なことですが、僕は彼女と居る時は幸せだった。これ以上は要らないと思えた程、幸せを感じていた。しかし、彼女が居なくなったと同時にやってきた苦悩はどうだろう!全てを引き剥がされたような苦痛にさいなまれた。そういつの間にか、彼女の存在に依存し、自分の内なる輝きを失ってしまっていた。ほんと最近やっと、その傷は癒えて来たので、客観的に見れるようになったが・・・あのままじゃ駄目だったなぁと、如実に解る。自分が幸せになる事から離れていってしまっていた。私たちは宇宙のパワーと言ってもいいような生命の根源的な繋がりを持っている。全存在は繋がっていて、切り離すことは出来ないのに、盲目の恋にハマって、個人の境界線を作り出そうとして、混乱のループにはまり込んでしまっていた。
2008年11月21日
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世間ではスピリチュアリズム(スピリチュアル)という言葉が流行っています。 江原氏が、この言葉をはやらせましたが、自分の知り合いは彼を生理的に嫌がる人もいますが、一般的には女性の受けはとても良い。 あの笑顔が良いんでしょうかね。人間の根本的な欲求に、「知りたい」という欲求があります。色々な知識欲はありますが、特に苦しみに直結することは、ひとたび関心を持つと、無限の知りたい欲求になります。 代表的なものは恋愛ですね。 落ち着いてくると仕事や、将来の自分の立場などが不安の基になります。 やがて老・死がリアリティを持ち始める。最初は老後の世話などが関心事で、やがて自分自身の問題として真近な問題として立ち上がってきます。 老眼や足腰の衰えは実感をもたらします。最初は何故仕事しなきゃいけないの?という問いから、何の為に生きているんだろう?という根本的な問いになっていきます。その辺がスピリチュアリズムという言葉の真骨頂で、年配男性が仏教などに関心を持ち始めることと関係があります。インドの諺で、「自分の人生の意味を考えない人生は失敗だ」といのがあります。しかしながら、現代は情報が氾濫し、自分が何がしたいのか? さえ分らない人が多くなっています。 自分の生きてる意味、即答できますか?(笑)
2008年11月18日
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幸せな数年をもらった分を皆さんに還元すべく、役に立つブログ作りにシフトします。皆さん有難うございました。 タイトルも変え、「無境界」にするつもりです。 先日上司に言われた言葉、好きなことに全力を傾けるべきという言葉が頭から離れませんでした。リニューアル後も宜しくお願いします。
2008年11月10日
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まるで彼女との最後のデートを再現するように中華街を歩く 九州から親戚が出てきたから家族で中華街で食事をしようと「同発 新館」へ食事はコースで頼んだので、写真を撮るのを忘れた(/_;)食事を済ませた後、「関帝廟」を観てみたいというニーズに応え、寄ることにしかし、残念ながら廟は既に閉館。彼女と中で中国風の厳格なおみくじをやり、小吉だったような気がする。彼女は中吉だったかな?その後、チャイナ・ミュージアムに寄って、中華街観光?は終わる。チャイナ・ミュージアムの向かいには中国雑貨の「チャイハネ」がある。 ここは彼女のお気に入りのお店だった。安価であるのも魅力だが、センスが彼女の好みだったらしい。 今日の昼、前の仕事先の元請けのゼネコンの監督から電話があった。 辞めてからも気にしてくれて連絡がくるのは嬉しいものです。しかし、そこでショックな事を耳にした。 それは前にブログにも書いた完全主義者の先輩の事だ!ゼネコン監督によると、僕が辞めてから1ヶ月後には先輩も会社を辞めたらしい。理由は、会社の先輩への対応の悪さ、評価の低さに憤りを感じていたらしい。 先輩は、僕を追い込み、僕が彼女への配慮も出来なくなる程、荒れていたのは彼自身がストレスにまみれて大変だったのかと、思うと複雑な気分になる。 でも彼女はもう戻って来ない。 先輩のせいって訳ではないけど、あの時のストレスが無ければ、彼女から嫌われることは回避できたであろうと思う。彼女はそうではないと言うだろうけど、多分回避はできたであろう。彼女はきっとこう言う「別れが、早くなっただけで、いずれはそうなっていたよ」と・・・・ しかし、あの時期の別れを回避できたら、二人にはきっと違う未来が開けていただろう。 今はそう想う。 少なくとも何が一番大事なのかを気付くのは、ストレスまみれになっていたあの時期とは違うと断言できる。 しかし、残念ながら彼女との接点は昨日また一つ消滅した。 他のコミュニティでも彼女の登録が消滅した。
2007年04月08日
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珍しく彼女との空きスケジュールが合致したので、一緒に買い物に出かけることにした。 僕が作業服の代えが欲しくて、山下公園先にある「ホームズ」という大き目の倉庫のようなショップだ。 このホームズはホームセンター「島忠」のお洒落版というか、規模が大きくなったもののようだ。互いに時間が限られていたので、別々に商品を物色する。1~2ヶ月前に来た時には気付かなかったが、奥にフードコートのようなコーナーが出来ていた。 マクドナルドとラーメン屋が真っ先に目に付く。ラーメン屋は「蔵芸ラーメン」だ! 僕はスタンダードに蔵芸ラーメンを注文(^_^)/~ 680円彼女は海宝ラーメンだ、きっと美容や健康を意識して海藻たっぷりのものをチョイス。 700円二つが出来上がり、もらいに行くと、どちらが何のラーメンかが分らない。というのも、両方とも海藻が多いのだ!聞くと、写真では分り辛いけど、海宝ラーメンは中央にキクラゲが豊富に乗っている。 しかし全体的には蔵芸ラーメンのほうが海藻が多い気がした。見た目は醤油トンコツを想像していましたが、味は醤油ベースのダシスープと言うべき沢山のダシの混合スープなのかな? 最初はアッサリし過ぎで、物足りない感もあるが、段々ダシが良く取れているのを感じてくる。スープを飲み干す程には惚れないけど、そこそこのお味でした。彼女が帰った後、酒屋でとあるビールを探す。紅茶とリキュールで出来たお酒だ。以前買ったのはコンビにだったので、コンビにを探していたが中々出会えない。先ほど、酒屋のスーパーに行ったら、やはり無かったが、似たようなモノがあったので購入。 その名は「紅茶ビール」日本では紅茶の入ったものをビールと表現してはいけないらしく、発泡酒扱いなのです。ベルギー産で、アルコール度数は3.5度と低い。写真のビンは250mlこれは心地良い酔いを誘う発泡酒だ(^^♪
2005年04月28日
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横浜市旭区と緑区の境にある「四季の森」というズーラシアという動物園のそばにある公園に立ち寄ってみました。サクラが満開で、月曜から水曜に降るであろう雨で散るまではその優雅さを誇っていてくれるでしょう。一人で遊ぶ少年が目に付く。バットを持ちボールを打つその姿は、遠い日の自分を見るようだ。サクラと眩しい少年の笑顔を後にして、港みらいの「ワールドポーターズ」に向かう。 桂花ラーメン 新辛麺 お昼の時間になり、お腹がすいたので、「ワールドポーターズ」の一階にあるフードコーナーに入っている「桂花ラーメン」をチョイス。右の写真は桂花ラーメンと新製品の新辛麺(しんしんめん)です。桂花ラーメンは熊本ラーメンですが、川崎の八丁畷そばにある「熊本ラーメン」や都築区にある「しゃからしか」に比べると、2ランクから3ランクは劣る感は拭えない。 トンコツの臭みが消されぬままに現れちゃっている感じだ。 あの臭みは、トンコツ好きにはたまらないコクに感じられるんだろうけど、幼少期から首都圏に住む僕には抵抗がある。繁盛しているトンコツラーメンとちゃんぽんを出す二代目のラーメン屋店主と話し合った結果分ったのは、あの臭みは、仕入れの時のトンコツは冷凍もので来るのだと言うのだが、解凍が不十分だと嫌な形で臭みが出てしまうらしい。新辛麺を食べたのですが、これはラーメンの上にキャベツをたくさんのせ、シナチク、茎わかめが乗り、その上にチャーシューのコマ切れを豆板醤などで辛味の味付けをしている辛味成分のものを乗せている。これは臭みも消えているので、結構いける!スープの味も美味しい。
2005年04月08日
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