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2023.08.05
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​ ミノルタのカメラは1933年(昭和8年)、大阪のモルタ合資会社が作った「セミミノルタ1型」というスプリングカメラからその起源が始まります。 モルタ合資会社は戦後すぐに「千代田光学精工」と改名しますが、商品名の「ミノルタ」はそのまま継続されました。 また最初からちょっと横道に逸れてしまいますが、皆さん「ミノルタ」という名前、どうして着いたかご存じですか?


 その後、「ミノルタ」は社名にまでなっていますが、起源はカメラの商品名として名付けられたものなのです。後のエントリー一眼レフの”ミノルタ・スィート”の「スィート」のあたる部分ですね。 社史によると”稔るほど頭を垂れる稲穂かな"の句の通り製品作りに謙虚でありたい、故に「稔る田・ミノルタ」。末尾の田は当時の創業社長・田嶋一雄氏の田を入れた、あるいはツァイス・イコンのカメラが「イコンタ」だったので末尾にタを入れてカメラらしいニュアンスにしたとも言われたりしています。 いずれにしてもこの会社はその後、独創的なアイデアで戦前戦後を通して名品と呼ばれる素晴らしいカメラを造りだしていくのです。 日本に於ける二眼レフの誕生についても昭和12年にこのモルタが作った「ミノルタフレックス」が第1号で、ローライを手本にしたとはいえ、各所に独自のアイデアが生かされた素晴らしいカメラに仕上がっているそうです。(私の手元には実機がないので詳細がわかりませんです)



 今回のテーマ「ミノルタセミP」は「セミミノルタ3C型」(昭和23年発売)の後継機で1952年(昭和27年)に製造が開始されたミノルタ史上最後のスプリングカメラとなってしまった、これまた名機です。 母体となったセミミノルタ3Cは凝りに凝った仕掛けを持つ高級カメラだったのですが、この頃から始まったコスト競争に勝ち残るためか非常にシンプルな装備のカメラに逆戻りしてしまっています。今となってはそれが功を奏してトラブルの少ない長きに亘って使える信頼性の高いカメラとなっていることは歴史の皮肉かもしれませんね。
 千代田光学はこのセミ判スプリングカメラや二眼レフのミノルタフレックスに改良に改良を加え作り続けながらも戦後の早い時期から将来の主力カメラはライカ版カメラになるとの予測をしていたようで、1948年に出したライカコピーの「ミノルタ35」の発売以降、開発の主力はもっぱら35ミリカメラで、当時ローライを越えたと云われた「オートコード」でさえ、1957年に二眼レフの集大成「オートコードRA」を最後に中判カメラから手を引いてしまいその後に至っています。 今になってみるとこの判断が正しかったことは60年代以降のカメラ史が証明していますね。
 1962年には「千代田光学精工」から「ミノルタカメラ」に再度社名変更し、35ミリ判カメラでは、カメラ史に残る名機の数々を生み出してきたことは周知のとおりです。 2003年からは、会社の存続をかけ日本最古の光学メーカー「コニカ」と手を組んで再出発を期すようですが、今後はどうなっていくのでしょうか。


 さて、この「ミノルタセミP」ですが、同時代の多くのカメラが鉄板をプレスしたボディ本体を有する中、何とフルダイキャストで形成されたボディ本体で実にがっしりとした剛性を持っています。 このダイキャストがまた凄く肉薄で見事な金属加工を見せています。そのせいで全体の重量も著しく軽く、セミ判ゆえの小ささでレンズを畳むとジャケットのポケットにラクラク入れて持ち歩けます。
 また、タスキ構造の精度が実に良く、丈夫なボディと相まってレンズをセットしたときのガッシリ感はイコンタ以上のものがありますね。日本人のモノ造りってこの辺が実に巧いですね。お手本をしっかり見据えながらいつしか手本以上のモノを造り上げてしまう。 このことは今後のアジアでも起こりうるでしょうか、東南アジア諸国や中国が競って日本の技術導入を図っていますが、いつかは立場が逆転するのでしょうかね。 ​​





 シャッターも戦後の製品なので勿論リモート式ですが、これがまたすこぶる調子がいい。 スプリングカメラをリモートシャッターにする場合、どうしても前蓋を利用してリンケージせざるを得ないのですが、これが難題で結構ギクシャクの元になります。しかし、このカメラに関しては各リンクのガタや遊びが全く無くてタッチも軽やかで普通のカメラと同様に扱えます。
 一見、大した技術ではないように思えますが数多くのスプリングカメラと付き合ってみると、これほど綺麗で信頼できるシャッターフィールを持つカメラは他に知りません。それこそ、イコンタやペルケオにも勝っているのではないかと思います。 ファインダーの右横にはアクセサリーシューが備えられていて発光器も取り付けられるのですが、シンクロターミナルがドイツ式のために残念ながら現在のストロボをシンクロさせることは出来ません。 当時の主目的としては発光器などよりも単独距離計などを取り付けるのに利用したものと思います。
 レンズはコーティングが施された3群3枚のプロマーS II・若干広角気味の75mm/3.5が付いています。シャッターはコーナン・フリッカーでバルブを含め0.5秒から1/200までの8速です。後 の”αスウィート”に通じるロッコール伝統の芯のしっかりした豊穣な描写が出来たでしょうか、作例をご覧ください。 ​​


Minolta Semi P の作例です




















​今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。


#minolta

#minoltasemip

#semip







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最終更新日  2024.08.22 07:01:58
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