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2026.04.20
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テーマ: 健康・薬(131)
カテゴリ: 健康



​​​『子ども達に贈る12章』第11章―「愛」とは何か
真弓定夫先生の著書『子ども達に贈る12章』、今回は第11章をご紹介します。
**無私の気持ちで子どもと接する**
ひととして生きていく上で、日常生活すべてについて日本の気候風土に合った環境をつくり上げていかなければならないのは当然のことです。しかしそれ以上に気を配らなければならないのは、心の問題です。育児においてもっとも大切なのは、親と子の間にかけられる愛のかけ橋だと真弓先生は説きます。
すべてのひとと接する上で言えることですが、とくに親として、子どもに対しての無私の気持ちを持ち続けていなければならない。子どもに何らかの報いを求める心が生ずると、愛のかけ橋はゆらぎ、虹もその美しい姿を消してしまう、と。
逆に無私の心を持ち続けて子どもに接していれば、子どもの方もそれを察知して、有形であれ無形であれ、必ず親に愛のよろこびをもたらしてくれるものだと先生は確信しています。
次に大切なのは、常に子どもと同じ眼の高さで接することです。「眼通し、鼻通し、肩通し」という言葉があります。対等な立場にある者には眼を見て、目上の人には鼻を見て、雲上の人には肩を見て話すとよい、ということです。人間として親子は常に対等であるべきですから、いつも同じ眼の高さで愛のまなざしを送り続けていかなければならない、と先生は言います。
親子間に何か問題が生じた時には、親のほうが自らをふりかえって、それぞれの子どもたちと同じ年齢の時には自分がどうしていたかを謙虚に思い返した上で対応してほしい。こうした姿勢がとれることは、親としての大切な資質であり、子どもが小さい時から眼通り適わぬ親子になっていただきたくない――先生はそう願っています。
**覚他の精神をふまえ、愛のまなざしを送る**
こうした親子の愛情や交流は、受胎した時から始まります。子どもたちに胎児期・乳幼児期のうちから限りない愛情を注ぎ続けてこられたすばらしい医師がいます。三宅廉さんです。
三宅さんは1951年10月24日、47歳の時に京都府立医大小児科教授の要職を放擲し、神戸市生田区の原っぱの一隅に、日本で初めて小児科と産婦人科を一致させた周産期教育病院「パルモア病院」を創設しました。他者の気持ちを察知することを根底として、ひたすら新生児と産婦のための医療に献身された方です。
愛を考える時、もっとも大切なことは、いつも自分のことばかりではなく、他者への思いやりや心配りを欠かさないこと。そのことを、真弓先生が子どもの頃には「覚他の精神」として徹底的に教えこまれたといいます。
たとえばお産の重要さ、大変さは誰しも理解できるでしょう。しかし、その労苦の対象として、ともすれば産婦のほうにばかり眼が向けられていて、新生児のほうがあまりにも軽視されてはいないでしょうか。
産みの苦しみを訴えることができる産婦にくらべて、生まれる苦しみを訴えるすべを持たない新生児のほうは、どうしても顧みられることが少ないと言えます。
これは「赤ちゃんを産んだ」という出産に対するわが国の一般的な表現にも表れています。日本以外の多くの国では「赤ちゃんが生まれた」と、新生児に主体性を持たせて表現することが多いのです。
考えてもみてください。胎内では子宮の中で羊水に包まれ、暗い液体の中で過ごしてきた胎児が、明るい気体の世界に出た時の著しい環境の変化。それ以前に、狭い産道をくぐり抜ける時の圧迫がどれほど想像を超えたものか。
そうしたことを思う時、生まれたばかりの赤ちゃんに対して、覚他の精神をしっかりとふまえた上で愛のまなざしを送ることこそ、親としての愛の原点と言えるのではないでしょうか。
逆に、生まれた赤ちゃんが大きいとか小さいとかで一喜一憂するのは、親の身勝手と言わざるを得ません。生まれた赤ちゃんが小さいと、三宅さんはいつも母親にこう言っていたそうです。「小さかったからお産が軽かった。これからはたっぷりと母乳を出すことで赤ちゃんに恩返しをしないといけませんよ」と。
**パルモア病院に込められた両親への愛のメッセージ**
「臍帯によって結ばれ、感覚によって連なる母子の関係はまことに不分離である。このふたりの間にすばらしい交感がある。しかし、そのままで終わってはならない。私どもはその背後にあってこのふたりの関係を暖かく見守り、これを正しく愛へ導く。これがこの病院の指導理念である」
母子像の向かいには和田真澄製作の「父子像」が対をなして飾られています。そこにはパウロの言葉が引かれ、「父たるものよ、神の薫陶と訓練によって子らを育てなさい。この訓練と教育こそ父独自の世界である。そこに父存在の意義がある」と書かれています。
さらに正面には田畑一製作の「生誕」の像があり、「これはまさしく人生の序幕であり神秘な愛の結実でもある。生命の畏敬もここから始まる」と刻まれています。これらはすべて三宅さんご自身が心をこめて書かれたものです。
**胎児期から乳児期はもっとも大切**
私どもには、胎児期・乳児期の記憶はほとんど残っていません。しかし、それらは潜在意識の中に得がたい体験として刻みこまれています。「三つ児の魂、百までも」と言われる所以です。そうした認識からしても、胎児期から乳児期にかけてもっともっと大切にしなければならないと真弓先生は説きます。
3000年以上も前の中国の古典医学書「黄帝内経素問」には、妊婦が驚いたり逆上したりすると胎児は怯え、気の弱い子どもになってしまうので、妊婦は気をしずめなければならない、という趣旨のことが記されています。
元禄時代の漢学者・柳生正治は「懐胎とおぼしき月より、よろず心のつつしみ深く、露ばかりも悪念なきようにたしなみ、手足わざいずれもあやまちなきようにして出産を待つ、これを胎教というなり」と、その大切さを強調しています。
江戸時代の柳生恒軒はその著書『いなご草』の中で、「それ、人の子胎内にありては母と一気なり。母の心のさまを子の心に移し、母の身のはたらきを子の身に移す」と記しています。胎児と一緒にいる母の気の持ち方次第で、胎児がよくも悪くもなる。その「一気」とは、母の愛情と言いかえてもよいのではないか、と真弓先生は語ります。
**望ましいのは、おおいなる愛**
その愛を、長野県伊那市で漢方思之塾を開設されていた伊藤真愚さんは、移り変わってゆく4つの形としてとらえていました。
まず「狭く小さい愛」。これは一対一の極限の中にあり、自分だけは、わが子だけはといった利己的な愛です。これは逆転すると嫉妬や憎悪に変わってしまいます。
次に「教える愛」。親子の愛、師弟の愛などで、真に人を生かし、生命を全うする愛でなければなりません。伊藤さんはつねづね、親子の愛・師弟の愛は教える愛だけであってはならないと言っていました。
さらに「許す愛」。知性や努力だけでは制御できなくなった時、それをうち超えた許す愛が必要になってきます。
そして最終的に望ましいのは「おおいなる愛」です。その人がそこにいるだけでまわりがほのぼのと暖かくなる、いわば太陽のようなおおらかな愛。育児の最終的な目的は、自らもおおいなる愛を持ち、その継承者をこの世に生み出すことなのです。
小児科医として50年あまりの診療生活を送る中で、真弓先生にもご自身なりの愛に関する考え方が育まれました。
「他者に送る愛は無限大であることが望ましい。一方、他者に求める愛は無でなければならない」
そうした気持ちを持ち続けていると、無限大と無は表裏一体であることが自然にわかってくる。こちらがそうした気持ちで接していれば、いつの日か、相手もそれを理解して同じような気持ちを抱いてくれるようになる。そこから円滑な人間関係が熟成され、豊かな心温まる毎日の生活を送ることができるようになる――先生はそう確信しています。
そしてこのことは、そっくりそのまま育児という親子関係にも当てはまるのではないか、と。
**脱薬薬剤師より**
この第11章を読んで、「愛」と「健康」が切り離せないものであることをあらためて感じました。
無私の気持ちで子どもに接すること。覚他の精神で新生児にまなざしを送ること。胎児期から愛情を注ぎ続けること。どれも目に見えないものですが、子どもの心と身体の健康を根底から支えているのだと思います。
「他者に送る愛は無限大、求める愛は無」。薬剤師として日々患者さんと向き合う中でも、この言葉は深く胸に響きます。薬で身体を整えることには限界があります。しかし愛のある環境で育った子どもは、自ら健やかに生きる力を身につけていくのではないでしょうか。
次回はいよいよ最終章、第12章をご紹介します。
治療より予防。薬に頼る前に、まず健康的な生活習慣を。
子どもたちの未来のために、今できることから始めませんか。





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最終更新日  2026.04.20 19:03:05
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