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タイでは、2つの空港が占領されているが、考えれば、知人たちが、いろんな事件にかすっているのではないかと思うのであった。まあ、例によって、国王の一言で、シューンとおさまるとは思うのですが。勿論、知人に死者も出た阪神淡路大震災はあるとしても、いくつか知人はそんな目にあっている。私は、大震災で、大阪に通えなくなり、通えないという理由から、東京に暫く出張になったのであるが、そこではサリン事件が起こった、といっても同じ東京にいただけだけど。全然話は脱線するが、ギボ愛子というペテン師(だが、彼女は、金を取って商売をしていなかっただけまだマシ)だが、本人は実際に、何かが見えていたという噂もある。シャルルボネ症候群ってやつだ。正常な精神なのにはっきりとした幻覚をみるというもの。ギボ先生は、視力が特に弱く、それを補うために、現れたのかもしれない。それで、考えてみれば、まつもとちづおも、ほとんど視力がない。ちなみに、彼の兄もほとんど視力がなかった(故人)。幻覚を霊的なものと勘違いしてみていたのかも知れない。その病気の原因は、明らかにされていないが、水俣病ではないかとの推測もある。(藤原新也説)バリ島のアメリカ人を殺すんだと、自分探しの自爆テロがディスコで自爆し、多くのオーストラリア人を殺してしまったときに、妹はバリに遊びに行っていた。去年、義弟が日本に来た次の日の同じ便が、エアポケットに入り、シートベルトをしていなかった何人かが、機内の天井まで吹き飛ばされ頭を打った。友達の友達がキンタマ肥大病にかかった。その後どうなったのか・・・。1989年、チベット暴動の最中では、大学の先輩が巻き込まれ、何とか、上海か北京に戻ったときに、朝日新聞のインタビューに答えて記事になっていた。中国の脱線事故で、日本の修学旅行生が巻き込まれて大惨事になったとき、知人も乗っていた。あいつらよお、軟座にすわってんだよねえ、いいよねえ、オレなんか、硬座だったよ。カックン。イランイラク戦時中にイランに私は行っているが、それは、特に危険な目は無し。神戸で、先生が遅刻しようとする生徒を締め出そうとして、校門の扉に挟まれて生徒が死亡した高校の生徒の家庭教師をしていた。サカキバラ事件の中学は、私の母校の航行の隣。今、どこに、いるのか。やぱり病気は治らないと思う。名前も何もかも変えているから、もし事故が起こって捕まっても、それが、サカキバラだったと分からない可能性が高いのではないか。ツインタワーで高校の同級生が勤務中に、飛行機のアタック有。大きな事件ではないが、私自身の最大の危機は、パキスタンのペシャワールで100メートルぐらい向こうの車が突然爆発したことであろうか。何が起こったか分からず、静かな感情になるのだが、暫くして考えると、2,3分ゆっくり多く飯を食ってたり寄り道していたら、車の横を歩いていたかも知れず、やばかったなあと思うのであった。そういえば、ムンバイの今回のテロで亡くなった方もチェックインがあと1,2分早く終わっていれば死ななかったし、5分ホテルの着くのが遅かったら死ななかったんだ。そういうのが、トラウマになっているかというと、そうではない。そういうのが、PTSDになっているかというとそうではない。というか、そういう言葉が一般的になりすぎて、広義な意味で安易に使われすぎて、私の嫌いな言葉になってしまっている。(ついでに、多重人格という言葉も胡散臭いと思う)親子関係が、完全にうまくいっているケースのほうが珍しいし、親に小さい頃暴力や暴言を受けても、ほとんど問題のない人の方が多いわけで、まあ、私もそういう傾向があるのだけど、他人や国や地域や親や先生のせいにすると、楽チンというのは、あるんだけど、それで病気に逃げたり、それが理解できれば、病気が治るってのも、楽チンな考え方だねえ。トラウマやPTSDとは、戦争とか、生死を脅かさたときに起こる現象であり、親から怒鳴られてもならないのであり、何十年も立ってから記憶を呼び起こして(それが、精神科医の誘導による偽りの記憶の場合もある)それがトラウマだったということはなく、すぐに、症状に表れるのである。自分ごとで、ツマラナイことだが、阪神大震災のあと暫く、人が死んで、何故自分が生き残っているのか、理由は震源地から離れていた、家が助かったとかであるが、涙もろくなってしまったのは、ああいうのが、もっと酷く、家族や身近な人が一緒に居て死んでしまったら、こういう病気になっちゃんだろうか、とも思った次第。といいつつ、大きな事故や事件があったら、最近、マスコミは、すぐに心のケアとか何とか言って、何だか美談話しているような気がしてならない。犯罪者は厚く保護され、被害者遺族は、野にほったらかされる。しかし、それは、どんな悲惨なことでも、自分と関係なければ、娯楽になってしまうんだ。このような悲劇を繰り返してはいけない!と(一応)声高々に報道し、関係ない人々は、わくわくしながら、テレビや新聞を見て、社会の現象や心の問題であるという説明を受け、なんとなく、納得するのである。
2008.11.30
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バンコク南西のパタヤ近郊の軍用基地、ウタパオ空港から、帰国しますとの連絡が入った。まあそれは、そうとして、福島県田村町工芸の村のメインな奴はカッパである。カッパが囲碁をしてもいいじゃないか、全部、白だけど。カッパがそばを食っていいじゃないか、箸の持ち方下手だけど。カッパが農作業に出かけていいじゃないか、カッパがパイナプルジャジャ持っててもいいじゃないか。ニセミッキーが中国ではなく、日本にいてもいいじゃないか。東北に居てもいいじゃないか。カッパに性別があってもいいじゃないか。カッパに性別があってもいいじゃないか。蛙が紛れ込んでいてもいいじゃないか。神社の主神にカッパが居てもいいじゃないか。カッパが守護神でもいいじゃないか。紅葉でもいいじゃないか。カッパが、笛を吹いてもいいじゃないか、カッパがウララのポーズをとってもいいじゃないか。カッパがツブラナ瞳でもいいじゃないか、カッパが金太郎を育ててもいいじゃないか。カッパがシンバル叩いてもいいじゃないか。カッパがお酌してもいいじゃないか。カッパがピアニカ吹いてもいいじゃないか。カッパがギターを弾いてもでもいいじゃないか、カッパが鍋をシンバルの代わりにしてもいいじゃないか。かっぱが屋根の向こうで縦乗りしてもいいじゃないか。カッパがオルガン弾いてもいいじゃないか。ウサギを仲間に入れてもいいじゃないか。かっぱがいわき市の方から寄贈されてもいいじゃないか。レイを巻いてもいいじゃないか。かっぱが鍵盤の歪んだオルガンを弾いてもいいじゃないか。小さなカッパが適当に配置されていてもいいじゃないか。かっぱじゃなくてもいいじゃないか。カッパの家族が居てもいいじゃないか。カッパが亀を育ててもいいじゃないか。カッパが太鼓を叩いてもハーモニカを吹いてもオーケストラしても、私の知ったこちゃない。ニセウルトラマンだ。正義の味方じゃなくてもいいじゃないか。出た、スクーターと一体化した蛙でもいいじゃないか、あ、カッパじゃなかった、すみません。カッパ、それぞれの人生でいいじゃないか・・。・・・。2008年福島旅行 まずは仙台へ 二本松 オニババの里 二本松の菊人形 田村のUFO館1 田村のUFO館2 田村の工芸1 田村の工芸2 田村の工芸3 郡山、デコ1 郡山、デコ2
2008.11.29
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ムンバイでテロがあったが、タージマハルホテルには、泊まったことはないが、泊まっている人と仲良くなって、図々しくも、バスタブを借りたことはある。静かな部屋からバルコニーに出ると、ボンベイの街が見渡せ、喧騒。インドとは、面白く、何故か、高台から聞こえるのは、車やバイクの複合体の騒音ではなく、人々のうめきの集合体なのである。静寂から喧騒まで1メートル。銃撃のあったホテル内のレストランでは、涼むために、キングスフィッシャービールは飲んだことはアル。2000円の食事をすうるところから30円の食事をするところまで1分の距離。何せ、タージマハルホテルの内外の段差はスゴイのであった。きれいな絨毯のロビーから、外に一歩出ると、かたわの乞食の集団に囲まれる。インドでは、最上級からどん底のまで、1メートルなのだ。スワナントカ空港も、ドンムアン旧国際空港も、閉鎖された。市内は、しかし、ぬるーい空気が流れているままのそうだ。スワナントカ空港といっても、正式にはスワンナプーム空港であるが、どうも、私ならず、ネパールを訪れたことのアル人なら、スワヤンブナート(通称、目玉寺院のあるとこ)を重ねて思い起こしてしまうかもしれない。スワヤンブナートには、カトマンドゥの中心から自転車でエクスカーションに行ったのだが、ついつい、若気の至りというか、寺院でついつい、ルーシースカイで、8時間の更なるトリップというか、ロングジャーニーになっちまったんだよ、バーロー、どうやって宿に帰ったんだよぉ。 バンコク新国際空港からは、タクシーでしか市内に行ったことはないとエグゼクティブぶりを昨日発表してしまったが、旧国際空港ドンムアンからは、バスやタクシーや列車、挙句にトゥクトゥクでさえ、暇なので行ったこともあるのだが、何せ、最大のものは、自転車でであろう。お茶目である、インテリである、汗かきである。アントンから94キロ走って着いた町はアユタヤ。鮎高からバンコクまでは、75キロプラス市内移動。 私は、タイ縦断を自転車でしていたのであったが、その自転車は、豆腐屋おじさん自転車なので、ドロップ式ではなく、0段変則の、黒光りの自転車であった。平均時速は、時速10キロだ。チェンマイ辺りの山岳地帯ではなくなったのではあるが、この2,3日風が凄かった。ただ、走るだけでは、大変つまらなく、当時は、重いラジカセを前籠に入れ、後ろの荷台には約100本のカセットテープを積むという前時代的なスタイルだった。仕方ない、1980年代後半のことであったのだから。スコールもあり、また、昼間は暑いので、いつも、6時には、出発していたのだが、その日は、今日はバンコクにいよいよ到着だという高揚感と安心感とだるさから、出発したのは、6時半。追い風が凄く、空元気である私も、あまりにもの進まなさに、この軟弱な足と、ボロ自転車め!と怒りながらもペダルをこぐのであった。3時間走って、進んだ距離は15キロ・・・て、歩いているのと変わらないじゃんか!。まあ、荷物は、30キロを越える訳なんだけど。途中、料金所があり、もしかして高速道路走ってるの?それとも、バンコクに入るのは、入域料金がかかるのか?と料金所の前で止まってしまうと、警察の人が出てきて、行け行けと指図してくれたどころか、水をくれた。遂に、遂に、午後1時半、ドンムアン空港前を通過!ここからはよく知った道だ、といいながら、多くの交通量で自転車は、かなり危ないのであった。バスの横風に、押し倒されそうになりながらも、全然進まないやんけ、どうしてだ!パワー不足だ、あ、めし、マダ今日食べてなかったしまった!とブツブツいう。横の屋台で21時間ぶりに飯を食った。勿論、またもやバーミーナムである。オマエには、カオパットとバーミーナムしかないのか?
2008.11.28
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伊丹を出発すると、すぐに、大気圏を突破し、日本も小さく見えるのである。 やがて、岡本太郎太陽の党、万博記念公園などが見えるのである。やがて、3つの河がほぼ同時に合流するのである、桂川、鴨川、木津川であり、それが淀川になるのである。その合流点の手前が、八幡市の男山であり、奥の山が八幡市の男山であり大山崎である。サントリー工場のあるところである。 山々に囲まれた盆地が、京都である。日本一のでかい琵琶湖が出現するのである。琵琶湖大橋も確認できるほどである。いつも緻密な計算の元、自分を常に第三者として俯瞰し、行動する他称デジタルマスターである私であるが、それでも、時折、資金計算ではなく、日帰り計算を間違えることもある。この前の新潟もそうであるが、先週の福島は、まさに、ギリギリボーイって感じであった。福島に入ると、喜多方ラーメンか?喜多方、ほとんど、山形県やないか、ラーメン以外に何があるというのだ。ラーメンだけでいいではないか。でも、騙されたと思ってついつい買ってしまったのだが、メンマやナルトが入っているぐらいで、ちーとも旨くないことを仮面の告白、隠者の告白しておく。皮にナルトがあるのは、愛嬌か。勿論ナルトの由来は、鳴門の渦潮他ならない。渦潮他ならない。先日、エジプトで無性にペプシが飲みたくなったが、あれから3ヶ月以上たつが、別に飲みたいという欲求はまだない。自動販売機で卵を買うと思えば大間違いである。しかし、卵は、奥が深い。昔は、スクランブルエッグが好きだったが、今は、サニーサイドって華南中華本中華。オレは、こんな教条的な駅があるとは、知らなかった。松川あいさつ駅。福島県田村市船引町春山駒場513-2の個人宅前を通ったとき、妙な山を見つけた。富士山でしょ?雪解けしてるけど。だから何なんだ、看板って、本当に、不思議ですねえ。バイクのほうが名物に見えました。もう空港に戻らないといけないけど、田舎に、意味なく機関車。また、卵ですか。ホテルでバイキング形式でも、卵を焼いてオムレツ作ってくれるところはマアママ好きだな。そんなこといっていると、時間が迫り、大変焦って来た。20分前にはチェックインしなければならないというのに、まだガソリンも満タンにしていないし、離陸45分前に、まだ仙台市内で渋滞に巻き込まれてイライラしている、とてもヤバイ。高速道路に乗り、時速160キロで走りながら、違反ながら携帯で電話をして、すみません、もうガソリンを入れる時間どころか、車を返す時間もありません、すみませんが、目分量で多めにガソリン代を払いますし、空港まで車取りに来てもらえませんか、と懇願し、渋々納得してもらう。仙台空港インターを降りると、まだ仙台空港まで4キロ少々あり、もう既に出発まで20分をきっていたが、すべての車を抜き去り、信号もちゃんと守り、空港に乗りつけ、待っていてくれた人に、適当にお金を払い、カウンターに走り、出発13分前に、泣きを入れながら、カウンターで鼻水を出しながら懇願したら、チェックインできた。これが東京大阪名古屋札幌福岡沖縄辺りだったら無理だっただろう。出発に10分の余裕さえ生まれた私は、急いで、X線検査のところまで走り、受付カウンターの人が見えなくなると、そのまま、検査場を通過し、急いで、ずんだシェイクを買いに行ったのであった。ずんだシェイク250円を購入しようとしたら、売り場のおねえあさんがトイレに行っており、もじもじしながら、はやくはやくと祈りながら、戻ってくると共に、鬼のような目で、スンダシェイク5秒でお願い!といい、250円を支払う律儀な私であった。あとは、X線を通って、機内に座りに、走るのみだ!明日に向かって飛行機に向かって走れ!2008年福島旅行 まずは仙台へ 二本松 オニババの里 二本松の菊人形 田村のUFO館1 田村のUFO館2 田村の工芸1 田村の工芸2 田村の工芸3 郡山、デコ1 郡山、デコ2
2008.11.27
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24時間バンコク、スワナントカ空港に缶詰だったが、遂に市内に向かうことになったとの連絡があった。スワナントカ空港には、2回行ったがタクシーでパッポンまで35分ぐらいである。いくらだったか忘れたけど、200か300バーツである。その他に、2回の高速料金、25バーツと40バーツを渡す。料金所で、運転手に渡す。要は市内まで1000円ぐらいである。 ここでは、何度も語ってきた、初めてのバンコク。1986年、ドンムアン空港も、当事のドンムアン空港の国内線だったドンムアンが国際線だった。 本当に小さな空港だったんだ。新ドンムアンができたときに、そのデカさとピカピカさにびびったんである。何せ、床で寝る場所さえなくなっていたぐらいである。1986年、何度も書いたが、金がなくなり、ドンムアン空港まで、明日帰国するという大学のガリバー先輩まで金を借りに行ったら、オレ、詐欺にあってカネナイといわれ、そうですかとうなだれ、一緒に、旧ドンムアン空港の2階の廊下で、寝袋を広げ、じゃあ、ボクがおごりますよといって、メコンウイスキーを買ってきて、地べたで酒盛りをした。初めて、バンコクに来たとき、確かに、どうしたらよいか良く分からず、とりあえず、空港を出て、前の道から、29番バスに乗った。2バーツ10円であった。しかし、ファランポーン中央駅までは、渋滞に巻き込まれ2時間かかったが、それはそれで楽しかった。その頃は、ドンムアンまでの高速道路もなく、ひたすら、でこぼこ道を行くのであった。パキスタン経由でバンコクに着いたときには、新しいドンムアン空港に変わっていた。1987年のことであった。夜中に着き、またどこかで寝ようとしたが、寝るところがない、仕方なく、朝までベンチに座るしかなかったんだ。寝るところがないなんて知ってたら、イミグレ出なかったのに。一度、ドンムアンに戻るときに、変なバスに乗り、空港入り口の反対側、東側で下ろされたときはびびったな。あおのバスの運転手の目が、完全に、ヤーマーで血走ってたな。覚醒系だ。運転しながら、一点集中で前を見ているように見えるけど、よく見たらどこも見ていないんだ。 大抵、ドンムアン空港には早目に着いて、チェックインを済まして、前の、ドンムアン村まで歩いて行って、いつも、最後の鶏ヤキメシ(カオパカイ)を食べるのだ。死ぬ前に何を食べるかといわれると、私は、やっぱりヤキメシを食べる、カオパッかナシゴレンだ、あ、どちらもヤキメシだ。先日の9月も、朝にバンコクを出たが、もう機内食は食べなかった。何せ、夜中に、屋台で、カオパッとソムタムとビールを屋台で飲み食べまくりである。パッポンの横だったので、多くのオカマが歩いているのを見学しながらである。そして、すぐに、マッサージに行き、今度は野外バーに行き、ゲームで、オババとビール1本をかけて、4つ並べのゲームを嗜むのである。 ドンムアン空港の前で、バスを降りると、タクシーが待っている。客が居ないと、空港に入ることができないので、ただで、空港まで送ってくれた。笑っちゃう。ヘイヘイー、フリーフリー!スワヤンナプーム国際空港が閉鎖、されるとうのは、異常事態である。早朝と夜中しか、今のところ、この空港を利用したことがないので、140キロ安全運転で、タクシーは走ってくれる。タイのクーデタっていつも、緩やかな感じだよね。インドから帰ってきたときは、もうタイに入ったら、帰ってきたという感じになってしまうんだよね。あと5,6時間乗らないと日本につかないんだけど。 働いてからというもの、バンコクの空港からは、タクシーしか利用したことがない。昔、タクシーがほとんどなく、トゥクトゥク(オートリキシャー)がいかに高かったか分かっちゃったんだよね。メーターで行くとこんなに安かったんだあと。考えたら、空港で寝たって、大変少ないんだよね、バンコクは何回もあるけど、あとは、インドのカルカタ、ムンバイぐらいか。ソウルは、空港に入ることを拒否されたし。 バングラデッュからバンコク帰ってきたとき、同じ飛行機から(ビーマン)降りてきたオーサカゲージツダイガクの学生が、やたらついてきて、スクンビットの同じホテルに泊まって、オマエこれ吸わせてやるよ、といったら、これスゴイです、スゴスギです、といいつつ、私から2000円ぐらいの金を借りた、返すといいながらもう20年もたちますがどうすればいいのか。 インドから、バンコクに帰ってきたとき、日本から来たばかりの大学の後輩が空港で待っていてくれた。一緒にタクシーに乗ったが、タクシーがパンク、もうかね払うから、いいよ、といったのに、律儀な彼は待ってくれ待ってくれといい、ワレワレは、仕方ないので、私がインドから仕入れてきたタバコのようなものを、高速道路の路肩でプカプカプーカ。 まだ、無事、市内に着きましたという連絡がない・・・・アジアで利用したことのある国際空港を思い出してみた。ソウル、プサン、マニラ、台北、上海、北京、香港、バリ、シンガポール、ミリ、クアラルンプール、バンコク、ホーチミン、プノンペン、ダッカ、カルカッタ、デリー、ムンバイ、カラチ・・・そうやって絞り込んでいくと、ビエンチャン、ヤンゴン、コロンボ、マレ、バンダルベリスリガワン、がまだやな。ねらい目。勝手に。
2008.11.26
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今、バンコクのついた人から国際電話があり、空港から町に行けませんと電話があった。反政府でもである。何だか、黄色い人が、空港に入ってきたんですけど・・・。とにかく、空港前のホテルに泊まる事になりましたが、機動隊がホテルの前にいっぱいいるんですけど・・・。とりあえず、肩が凝ったので、空港まで検問抜けて歩いていって、マッサージ受けてたんですけど、マッサージのおねえさん、外ばかり気にして、マッサージの途中で、バイバイと言って帰ってしまいました。とにかく、外は、すごいことになってますけど、結構、だらけてます。あ、黄色い、反政府の人、空港内のスターバックスでコーヒー飲んでいるんですけど・・・じゃあ。といって、実況中継電話は終わりました。私は仕事人
2008.11.26
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中学も、高校も、歴史の時間は、歴史の最初からするので、類人猿の時代がやたら詳しく、北京原人やオーストラロピテクスとか、クロマニョン人とか、やたら言葉だけは詳しいのである。しかし、重要なのは、近代史で、ここは、いつも、適当に読んどいてや、と2月3月になると、すっ飛ばされるのである。教科書には、一応、朝鮮戦争やベトナム戦争とかも載っているが、歴史では、こういうのを授業で習ったことがない。そのあと、4大文明とか習うのだが、何故だか、イギリスのストーンサークルやストーンヘンジが出てきて、きっと、言葉としては覚えている人も多いのではないか。ただ、それで、どうよ、行ってみたいか、と問われると、私の周りでも、イギリスに住む妹もストーンサークルには行ったことはない。勿論、イミテーションであれば、私も行った。万座環状列石は、日本最大のストーンサークルであり、縄文時代のものである。そうやって、秋田県鹿角市に行ってきたが、結果的には、行ってきました、というものであった。歴史の浪漫に思いを馳せる前に、関西は13度なのに、ここは3度である。寒いですか?風がないので、そう寒いわけではないです、が、雪が靴の中に入って冷たいです。子供の頃は、これも、宇宙人が作ったものなんかい!なんて無様にも思ったものだが、そんなことは全然なくって、ちゃんと地球人が作ったお墓である。だんだん、霊的なものや宇宙人とか、占いとか、超能力とか、オカルトとか、昔より、信じる人が増えているような気がする。ヤバイと思う。そんなものが、完全にないとはいえないが、テレビの影響がすごすぎるのではないかいな。というか、考える力がなくなりすぎているのではないかいな。テレビから星占いを止めて欲しい。血液占いも止めて欲しい。何の根拠もないのに、止めて欲しい。古代からの占星術、もう何千年もたっているなら、星の配列も変わっている、そんでもって、独自にアレンジしてるけど、根拠はない。1足したり、24で割ったり、何でやん。血液型は、何で4種類しかないねん。RH型やHLA型とか、何で出してこないねん、同じ血液型の人なんかいないのにである。とにかく、雪に埋もれて、頭の部分しか、ストーンが見えません。仕方ないのでHPで紹介しておきましょう。人生の7不思議を驀進中の私も、まあ確率や勘違いの問題なのかもしれないが、虫の知らせも、どうやら、偶然のクロスであることも、多いようだ。例えば、よく知った人が危篤の場合やもう少しで受験や人生の重要な局面を迎える前は、何かと、そのことばかり考えていたりなんかして、ほんの些細な出来事が、必然のように感じてしまうものかもしれない。電話がなったりとか、ヒューズが飛んだりとか、靴紐が切れたとか・・・しかし、前の日も、その前の日も些細な何かはあったかも知れない。前の日ヒューズが飛んで、次の日に、無言電話があって、その日の肉親がなくなり、翌日に肉親がなくなった時間に偶然起きたとすれば、多分、前後の日のことは、忘れてしまうかもしれないが、あの電話は、きっと、亡くなることを告げに来たんだと思ってしまうだろう。ま、そんな訳で、大変、太古の歴史から、勉強になったのであった。2008年秋田旅行 大館 中田蜂 秋田犬館 鹿角ストーンサークル 鹿角 尾去沢炭鉱
2008.11.25
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そう、昔は、いじめっ子という言葉はあってもいじめという言葉はなかったのだ。その違いは何か、セイキョウイクとはどんどん離れていくのであるが、まあ、そんなことは、どうでもいい。よくわからないが、いじめっ子は、まだ、私の時代にはいた。粗暴で、ガキ大将と違って人望もなかった。つまり、いじめっ子は、決して、話はするし、野球をしたりどこかに行くのに、一緒に行ったりすれど、友達ではなかった。孤立した存在であった。いじめっ子の家に遊びに行ったこともあるが、家や家族を見て、家庭でいろんな事情を抱えているから問題行動を起こすのだな(勿論、起こさないこの方が多いが)と、子供心に感じていたものである。家の中に、蟻の行列ができていたり、いい年した小学生の子供が、母親にべったり引っ付いて甘えていたり、やたら家がボロボロだったり・・・。国に例えれば、アメリカのようなものであり、弱いものを見つければ、直ちに子分にしようと画策するのであり、占領するのである。私は、何かと、立ち回り、スイスみたいな中立国的な立場で逃げ回っていたのだが、それでも、気がつけば、メンコ(というかカード)の枚数がごっそり、盗まれていたり、ゲイラカイトを知らない間にぱちられていたりはした。多分、あいつの仕業だろうが、証拠がない・・・。いじめっ子をそうやって、永世中立国的に避けることができたのは、いじめっ子とは、友達じゃなかったからだ。或いは、精神的にも、あいつは、私とは違う世界の人間だから仕方のない奴だ、と諦めたり、思うことによって納得もできたのであった。それに比べて、いじめって何だ。私は体験していないので、言葉だけの遊びになってしまうが、よく言われるように、加害者が被害者になったり、友達らしき、得体の知れない関係の中で、逃げ場も距離もないように思える。だいたい、いじめって言葉自体が、誰が、誰のいじめか、分からん言葉である。まあ、分からんことを言っても仕方ない。分かることをいえば、いじめっ子というのは、大抵、勉強ができなかった。そんでもって、家庭の経済的余裕がなかったり、親もヤンキーで教育に興味のない家は、中学校を卒業したら、就職していったが、そうではない、家は、やはり、子供を高校に行かせている。親は、あんた、高校ぐらい出てよ、お願いだから、と世間体か何かでそういったのだろう。子供は、勉強なんかもうしたくねーよ、バローといいながらも、働きたくもないので、一応、高校に行く。そういった高校は、まあ、いわゆる、ツッパリハイスクールロックンロール状態の学校で、世間からの評判は一層悪くなる。荒れた高校で、トイレに便器がなかったり、天井に穴が開いていたり、という惨状であった。高校の学校の帰りに、そういった高校に行った中学校の同級生に会うと、そういう武勇伝を聞かせてもらい、大いに笑ったものであった。不満が爆発していたのであった。ヤンキーやツッパリが全盛期を迎えたのであった。チンドン屋を見ているかのようであった。家庭内暴力も、流行ったなあ~。何だか、分からないけど、ヤンキーも突っ張りも、そのあとのチーマーまでもが懐かしい言葉となりつつあり、家庭内暴力にいたっては、家庭内殺人になってしまった。そして、いじめっ子は消えてしまった。そういえば、ヤンキー同士は、私たちが、せっせと、部活動や学校に通っている間に、セイキョウイクを受けないまま、聖行為を実践していて、高校の学校の帰りに、そういった高校に行った中学校の同級生に会うと、そういう武勇伝を聞かせてもらい、大いに羨ましく思ったものであった。これが、1980年代のセイキョウイク、私の場合、私の周辺の場合の紹介でした。2008年福島旅行 まずは仙台へ 二本松 オニババの里 二本松の菊人形 田村のUFO館1 田村のUFO館2 田村の工芸1 田村の工芸2 田村の工芸3 郡山、デコ1 郡山、デコ2
2008.11.24
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郡山市に突入した。郡山市は、奈良県の大和郡山市とは違う。おれは東京の狭山市が大阪狭山市と違うのと同じである。何せ、最初、狭山事件は大阪狭山市であった事件と思ってたぐらいだ。大和郡山市は、何を隠そう、金魚の日本最大の生産地である。コレを見に来たのではないが、不覚にも目に入ってしまったのである。まずは、自分が未成年であるか、まずは、不覚にも確認したのである。確かに、確実に間違いなく、ワタシは選挙権も持っているし、成人映画にも大手を振って行ける年齢であることを、免許証で確認したのであった。人手不足か何かのせいか、自動で入るようになっていおり、500円でコインを買い、入ると、音楽が流れるのであった。私は、年柄にもなく恥ずかしいのである。入場者数多数、ああ、人目につかなくて良かった。小学校5年のとき、講堂に集められたときに、男子だけ退出、女子だけ残されたという事態があった。(そのことを、20年たって覚えている同級生はいなかった)あれはきっと、初潮の話、生理の話だったのだと何年かたって思ったのであるが、当時は、私もまだセイキョウイク博士ではなかったので、女性にそういうことがあるとは知らなかった。しかし、男子とか女子とか言う言葉は、もう、私の中で死語ではある。ふと、そのことを思い出しながら、フト、凄いことを思い出したのである。実は、講堂に集まったのは、映画鑑賞のためであることを思い出したのである。いつも、映画鑑賞は、とても真面目なしぜんがどうのとかそんな内容だったのだが、あの日の映画が何だったか思い出した、というか多分、あの日の上映が、キューティハニーだったんだ。昔、キュティハニーやったよな、講堂で、と小学生時代の同級生に聞いても誰も覚えてないが、確かにやった。興奮いした男女の●●君や●●さんの顔まで覚えているのだ。その放映日がこの日だった可能性が非常に高いと気がついたのであった。文章をスラスラ好き勝手に書く、それは、ほんの少し、他人より詳しく記憶が残る体質なんだな、とそのとき思ったものである。私はその場で思ったことを、言葉にするのが非常に困難な性質であるのに、同級生のほとんど誰より、過去の何かと覚えているのである。そういえば、お前そんなこと、よう覚えてるな~、ってよく言われる。(但し、働いてからは、人生スピードが加速して、結構、覚えていない。)もしかすると、キューティハニーでちょいと、リラックスさせて、女子に、そんな生理の話を持っていったのではないかと、ほとんど意味ねえなと思ううのだが、先生方は当事思ったのかもしれない。浅はかよ。 さて、話題は、イキナリ中学生へ、の前に、人気のあった活発な女の子がいて、男子に交じっていつもサッカーをしていた子が居て、ある日、雨の中、彼女のお尻が真っ赤かになったことがあったんだ。ワタシは何のことか分からなかったし、彼女と中学生になってからの話、彼女も、めんすというものが、世の中に存在することを知らなかったらしい。ただ、何人かの男の子たちがニヤニヤしているのが不気味だったわと言っていた。中学校に入ると、俄然、セイに目覚め初める年頃である。(今の子らからすれば遅いか?) 得ろ系の話はおいといて、男女混合の話、生命の神秘、或いはその過程というものを最初に聞いたのは、多分、同級生である。そういう知識のある奴は近所にや実の少し年上の兄ちゃんとかがいる奴であった。そういえば、ビートルズやYMOなど、音楽関係も、結局は、そういった兄ちゃんのいる家庭がそもそもの発信源というかきっかけになっていたように思う。早速、私らチュウボーが励むことができるのは、辞書であった。辞書を片っ端から引き、他人の辞書に、重要な言葉、面す、成功、ランデブー、フレンチキス、咽喉、ヒワイ、ぺっちんぐ、男女交際などに、徹底的に赤線を引いていったものである。ワタシの辞書も、ご多分に漏れず、辞書を縦にすると、セクスのページが自動的に開くようになっていたものである。そんな中、セイキョウイクという時間はなかったのであるが、生物の時間に、乱死だの生死だの、雄しべだのめしべだのの授業をしていると、男女数人のマセガキが、クス、クスクスと笑いを抑えるのに懸命なのであった。保健の授業にも、そういった、授業はなく、私の同級生男子と休み時間に猥談をすると、どうも話がかみ合わないと思っていたら、彼は、ソーニューを、どうやら、あてがうものと思っていたようだ。つまり、ホットドッグのような感じになって挿入が完了と思っていたようだ。間違った聖知識である。ちゃんと、教えられなかったのである。高校生に入ると、保健の授業では、先生が、独自の視点から、コンドムを持ち出して、袋を開けて、説明をしたが、その場で、流石に、実験、お試し、演習、実行、というのはなかった。そういった中、高校2年か3年ぐらいの時に、新聞でエイズの話題が出て、偏見も当時は(今も世間ではアル)、ヤイノヤイノ休み時間には大いに話題になったのであった。神戸では、エイズ日本人第一号とかが出てきて、学生になって、その船員バーに飲みに行ってみたのだが、なんとも、毛等が好きでたまらない女性がいるのだろうか、破廉恥であった。そんな感じで、まともに、聖教育を受けてこなかったので、自力更生で盛教育を自分でしなければならないという羽目に陥ったのであった。前途多難で長い道のりであって、未だに辿りつかない道である。そんな訳で、イレブンPMとか、ウイークエンダーで間違った知識を大量投入されてしまう、性少年となってしまったのである。勿論、親が起きているといることはできないのである。そんな訳で、ヤングタウン金曜日(チンペー、ばんば博文、佐藤良子)やオールナイトニッポン土曜日(鶴h光)で間違った知識を大量投入されてしまう、性少年となってしまったのである。勿論、親が起きているとイヤホンで聞いていたのである。ラジオについては、非力ながら、録音もして、翌日、学校に出回るという感じで、聞いていなかったりすると、ハミゴになったりして、現在のいじめの第一歩だったかも知れない。ちょうど、あの少しあとから、いじめという言葉、そして、小学生や中学生の自殺が出始めたのであった。2008年福島旅行 まずは仙台へ 二本松 オニババの里 二本松の菊人形 田村のUFO館1 田村のUFO館2 田村の工芸1 田村の工芸2 田村の工芸3 郡山、デコ1 郡山、デコ2
2008.11.24
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先日、とういうか、昨日、筑波のドッグセンターで、すっかり、犬と和解してしまった私は、一目散に、次の犬はどうつだ!ということで、急遽、秋田犬の研究に勤しむため、大館に飛んだのである。秋田犬は、アキタケンではなく、アキタイヌと呼び、素晴らしいことに、パソコンでも、アキタケンと入れると、秋田県しかでてこないのであった。早速、秋田犬会館にて、十二分な見学及び勉強をしようとするが、いろいろ、他のしょーもないところを回っている間に、到着は16時10分となり、17時までと思いきや、16時にて閉館していたのであった。仕方ないのでHPで一部紹介しておこう。今まで、犬やネコを飼ったことがない。実家では、何故だか、何度か懇願したのだが、母親からは、死んだら寂しいので飼いません!といわれ続けたのであった。結局、私が飼ったのは、手乗り文鳥に、亀にザリガニに金魚にクワガタに、カマキリぐらいである。学生になってからは、旅行中に、ムササビ、タランチュラぐらいしか飼ったことがないのである。タランチュラが籠を破って脱走したことに気がついた朝、速攻で、荷物をぐちゃぐちゃにパッキングして、チェックアウトしたのが、まるで昨日のことのようだ。 何故ここで、秋田犬かというと、祖先がマタギ犬だからである。山岳狩猟犬である。江戸時代は大館犬といわれていた模様である。それだけでない、渋谷駅で帰らぬ主人を待ち続けている間に石化したハチ公は秋田犬である。本家本元のハチ公の出身地(大館市大子内の斉藤家(実は、明石康元国連事務次長の母の実家))まで、暗くなる頃、車を走らせたんである、とっても田舎である。ハチ公の記念碑は、一般の家である斉藤家の敷地内にあり、かなり大きな家であり、この家の人のものだったのか、と感心した次第である。出身地の家にも作られたハチ公も石化しているというより、ドロドロ系になっており、先日福島県のセメント工場並みの作品に仕上がりつつあったのであった。主人の家の前は、バス停になっており、立派なトイレがあるのであった。意味は良く分からない。国連からのプレゼントであろうか。とにかく、ハチ公の系譜であるコケ結構である。さて、中途半端に取材を終える前に何をぼさっとしていたかというと、やはり、旅の醍醐味は、食に有りである、なんちゃって、って感じで、偽装事件があるまで、比内鶏が有名なのは知らなかった、というか、比内が、ここにあるとは知らなかったという純然たる事実を突きつけられたのであった。普段、肉は、そう食べない私ではあるが、ここは、食べるべしと脳内が要求してきたので、食べることにしたのであった。比内鶏もまた、秋田犬同様、日本古来の種である。それも縄文時代かららしいのである(その前は知らないけど)。何せ、名古屋コーチンと薩摩地鶏とあわせて、3大地鶏の名誉を欲しい侭にしているのである。キリタンポもマタギの非常食からの発生であった。キャンプで食うと、うまいのである。詳しくは分からないが、日本で高級なのは、牛、豚、鳥の順かも知れないが、栄養があるのは、その反対の順のような気がするなあ。食べるともう空港に戻る時間である。街道沿いに、大館市に入ると、巨大な木造犬に会えるよ。2008年秋田旅行 大館 中田蜂 秋田犬館 鹿角ストーンサークル 鹿角 尾去沢炭鉱
2008.11.23
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ちょっと自慢してもいいかもしれないが、遂に、47都道府県を人生上初めて踏査した。前回、福島県を巡り、俄然、あと一つなら、俄然、最後の一つの県である茨城県に行かねばならぬ!と昨日思ったのであった。昨日思っただけに、大変、準備が甘く、えらい目にあったのであった。5箇所の取材地のうち成功したのが、たった一箇所という、小学生でいえば、落第である。行くことに成功したのは、ワンワンパークぐらいなものである。さすが、牛久大仏を擁するデカハコモノ県の茨城県である。犬も、心なしかデカイ。つくばワンワンパークの正式なホームページも健在である。 とにかく、自転車を借りたのが失敗であった。もはや、自転車でスーイスーイの予定が、山道であり、全身から汗が噴出し、志半ばで、去りました。ここにいくつもりだったんだ もはや、自転車でスーイスーイの予定が、山道であり、全身から汗が噴出し、志半ばで、去りました。ここにもいくつもりだったんだ。今度は車で行こう・・・。 なんとかたどり着いた、ガマ公園(非常に分かりにくい)は、無残にも潰れていた。つぶれてましたどうも、おかしいと思ったんだ。あんなけ、つくば駅に人が居たのに、筑波山口で自転車を借りたのは、私だけだったんだ。いきなり、急勾配の坂になって死んだ。寒いわ、汗は出て、それが、冷えてくるわでまた寒くなるわ、普段の運動不足で、息ができなくなるわ、で、狭い道路脇を車にビュンビュン抜かれるのは危なっかしいのだ。しかし、牛久大仏か、筑波か茨城県は迷ったのではあるが、珍すぽには、やっぱり効率よく、車にすべきであった(筑波山やろ、山とは気がつかずに借りたのは失敗)平坦な道になって、10キロほど走って、ガマロードを探しに言ったが、体力の限界により、引返す。なんじゃ、駅からのほうが、近かったやないか・・・がまろーど。バスで筑波駅に着く手前、筑波大学に前にあったやないか。自転車に乗ったが、無駄な走りを30キロも走ったような気がする。敗北だ。まあ、筑波の印象については、また次回に譲る、もう明日か明後日は筋肉痛だでよ。
2008.11.22
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・・・韓国歴史博物館を見回っていると、そうだなあ、とふと、思ったのであった。何を思ったかというと、もうすぐ、北朝鮮が終わるんだなあ、ということであった。北朝鮮が崩壊して困るのは、実は各国困ると思う。アメリカも、いつまでもこの国は混迷しておいて欲しいと思っている。韓国の一般市民なんか、結構戸惑うだろう。もし戦後、計画通りに日本が分断されていて、東日本が独裁者の国で貧困にあえいでいたとすると、もう自国の失策を海外のせいにして、仮想敵国を作り、国民にコンナに苦しいならもういっそのこと戦争してくれなんて思う国民がいる国家が崩壊したら、同民族の統一を心情的には願うとしても、難民のような人々が流れ込んできて、一挙に貧乏になるてことは、やっぱり避けたいなあと思うであろう。分からないが、韓国の普通の人々たちは、あまり、統一の話をしないのではないか。現実的に、やっぱり、期待としてではるが、北朝鮮が終われば、やがて、韓国が併合することになるとは思うのだが、そのときには、中国や香港、台湾、日本が協力体制でやっていかなければならない。西ドイツもそうであるように、、元に戻るのは、10年はかかるであろう。しかし、それがうまくいくとすると、楽観的に考えるのだが、逆に、アジアの結束が固まってきたりして。キーワードはなんだ、やっぱアジアか、黄色人種か、儒教か・・・。こうなったら、またもアメリカは黙ってないよね、怒るよね、おれんとおこがお山の大将だ!おれんとこが世界で一番反映しときゃなきゃだめだ、つうの!イスラムはやめて、儒教テロとの戦いだ!といって、エンパイヤーステートビル、自爆さしたりなんかして。日本なんか、飼い犬に手かまれたあ、この前中東の日本にしちゃろ思ったイラクに手をかまれたばっかりやのに・・・・・。それにしても、やっぱり、将来は、明るく考えることが大切だわ。そして、100年後のことなんか、わかんないんだよね、知ったこっちゃねえ、とムチャクチャしろというんじゃないよ、科学者や政治屋が100年後の予測をしたって仕方ねえ、ってことだよ。明るい未来が大切さ(少し力入ってないけど)!ちょいと、話が横にそれそうになったので、話を戻そうとするが、どこに戻ればいいんだ!政治的に地政学的に、中国も韓国もそんなにうまくいっているとは思えないが、きたるXデーには、ほら、仲良くやろうぜ、戦争したがっている暴走を止めようぜ、ってことだよね。そもそも、一般人で、韓国人にも中国人にも嫌な思いをしたことはほとんどない。中国人の制度上で泣かされたり、団体になって人民になったら1億回ぐらい嫌な目にはあったけどさ。一応、韓国も中国に追従してさ、日本は戦争責任を謝ってないと、激怒しながらも、激怒し、暴動し、テレビの報道では、小さな暴動が合った大使館辺りだけを、チョイチョイと写したりして。勿論、中国のメディアには、日本が過去を謝罪したことをまともに報道していないとは思う。同時に、日本人側も、「何べん、同じ、謝罪繰り返すんだよ、バロー」といいながら、能面のような顔をして謝罪しているので、アジア人が見て、こいつら本気じゃねえなと思ってしまうのだろう。本心どこやねんと。しかし、国会政治家の役割とはなんやねん、とうと、地方政治家との大きな違いは、対外関係で、国を有利に導くこと、国益を最大限にすることだから、中国も韓国も、ギャーギャー騒ぐことで、和解するより、何らかのメリットがあるのだろう。日本の政治家は、だいたい国賊なので、アメリゴのいいなりだわな、というか、その戦争でガツンといわされた、アメリカは、何故戦争責任はどうなんだといつも責めてこないのか?そりゃ、一応、戦後の合意によって、もうその件は解決したことにしよう、そのほうが、アメリカにメリットがると判断したからに過ぎない。今考えたら、ナチソネとかは、アジアに考慮して、靖国参拝をやめた。自分の信念や矜持より、国益を優艶したからであろう。反面、最近は、私人や公人や何でもいいんだけど、どうでもいいんだけど、あ、そうだ、アメリカは、参拝にやっぱり何もいってこないというよりも、日本の政治家が参拝したり、取りやめたりしているのは、アジア諸国がギャギャーいうからではなく、アメリカが、今年は行け、今年は、行くなと、云われて、参拝したりせなんだりしてるんだろー!違う?本心、日本がまた、軍国主義になるなんて、誰も、どこの国も思ってねえよ。国際社会がゆるさねえよ、ネット右翼ほんまに徴兵制なったらチビルだけじゃん、とにかく、100年先どころじゃなく、数年先は、情勢も変わっていると思う。各国変わらないよう、変わらないよう、画策しているって感じだねえ。尻切れトンボで終わり。あ、そうそう、板門店は、日曜には行けないんだよねえ。(ツアーしかない)そんな訳で、行けませんでした。ワタシの大学の先輩たちは学生時代に、みんな行ってるんだよなあ。あのときゃ、興味なかったというより、草履やTシャツではツアーに参加できないという理由だけで、行かなかったんだなあ。誰が、20年後、ワタシが飛行機の中まで革靴で乗ったり、ネクタイを締めたまま行ったりすると創造できたであろうか?というか、会社の帰りに乗るから仕方ないか・・・板門店は、実は、韓国人は観光では、いけないと言う事を知り、はあ、そういえば、写真えみると西洋人や日本人ぽいのばかりだなあと思ってたところなんだよねえ。そういうわけで、韓国のミニチュア達の勇姿を披露したまでであった。マンセー!・・・・・今、写りの悪いテレビで「3丁目の夕日」をやっている。目立つのは、タバコだ。タバコ吸いまくりの昭和30年代、遠慮なく、画面でタバコが吸えるシーンをバンバン登場させられる。まず、間違いなく、この映画の影のスポンサーはJTやな。
2008.11.21
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ハシレ、トーイモーイ博士、ブチッコリン星でこのひとらと対談したあとも、電波が耳に入ってきたからであった。ブチッ。オキロ、オキろ、今すぐ、仙台に行け、ブチッ仙台に着きました。マチガエタ、マチガエタ、隣の県の福島県に行け、ユウコリンニアエ、ブチッショウテンガイに、我々の仲間が多数出現している、友好せよ、ブチッソノアト、ワレワレの宇宙船に乗れ、ブチッあのお、これ、トイレなんですけど・・・ワレワレノ、マザーシップのコックピットに入れ、ブチッあのー、満員のようですので、UFO館に移動していいですか?ワレワレは、3.5人で一人前だ、ワカルカ、ブチッワタシハ、イータン、アナタの恋人、ブチッアナタハ、UFO道を目指さなければならない、平均、地球人の場合、通信添削で3ヶ月でUFO道初段マデイク、ブチッオマエタチが神と崇めているのは、ワレワレの祖先である、認識せよ、ブチッワレワレノ、基地を特別に紹介する。これは、マジェステック12に保管されていた看板だ、ブチッモシ、マダ、オマエ心の余裕があれば、紅葉を楽しめ、ブチックルマドメを模倣した、宇宙船ダ、ワカルカ、ブチッワタシハ、メーラ、ワタシもアナタの恋人、ブチッワレワレの、宇宙船をキャラクターにした、買え!、ブチッワレワレの宇宙船は、日本車にも扮しているのだが、これは、ユニバーサルシークレット、ブチッワレワレの拠点である、物産店で、資金を貯めているのだぞ、ブチッワレワレの常食は、とびうおだ、九州語に直すと、アゴだ、ブチッワレワレは、日々530円でガンバッテイル、燃料となるとびうおが入らないので、シャモで誤魔化している、おススメは、カボチャについた特製マヨネーズである、ブチッワレワレは、宇宙飛行資金を得るだめに、サルビスも厭わないのである、ブチッワレワレのマザーシップの無重力発生動力源は、カボチャである、ブチッワレワレの姿は双眼鏡に似せたカモフラージュもオチャノコサイサイである、ブチッワレワレのマザーシップは照明器具に似せたカモフラージュもオチャノコサイサイである、ブチッワレワレは、福島弁を勉強シテイル、ブチッハヤク、仙台空港にカエレ、マニアワナイぞ、ブチッワレワレは、ガラス越しに、オマエタチ地球人とコンタクトする、ブチッ一番後ろの席に座れ、ワレワレをお見せする、往路と同じ席に座れ、お土産にズンダシェイクを飲め、ブチッイマカラ、飛行機を遠隔操作して、大気圏外にダス、ブチッアレハ、富士山と呼ばれる、ワレワレの基地である、ブチッ2008年福島旅行 まずは仙台へ 二本松 オニババの里 二本松の菊人形 田村のUFO館1 田村のUFO館2 田村の工芸1 田村の工芸2 田村の工芸3 郡山、デコ1 郡山、デコ2
2008.11.20
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どちらに、進んでいいのか、分からない。どちらに行けばいいですか。工芸の里に、驚くべき事実が判明した。というか、ここ探すのにえらい手間取った。半分諦めそうになった。こういう芸術工芸品が出迎えてくれた。全景の一部が見えてきた。びびって、ちびってしまいそうになったどころか、漏らしてしまった。お下劣も、霞んで見えてしまう。あなたがたは、何ですか?芸術ですか?工芸ですか?キッチュですか?神ですか?かつて現役だった本物のバイクと、手と足が引っ付いているんですけど、いいですか?観音もトーテムポールもパンダも何が何でも一緒くたで、生物の坩堝、人種の坩堝である。ホースのようなものが付いているので、多分、現役で活躍すると、水が出ると思われる。水だけではないかもしれない。クッキングカエル、訳分からん着物、変なチャップリン、小判のついた狸、すみません。宇宙服美人というか、バカボンの親父変形(というか、伊勢の元秘宝館の館長というか)、セクシー植木というか・・・混迷を極めています。仰げば、懐かしのダッコちゃん、鶴が見上げます。カモメのジョナサンというか、上海雑技団パンダというか、ちびったというか、わやや。ペコちゃんもどきとか、パーマンもどきとか、そんな問題ではないと思いまツ。振り返る地蔵といっても、振り返ることが出来ないんですが・・・。ヘイ、そこのハクイねえちゃん、オイラの自慢のバイクに乗らないかい?5番だぜ!レモンイエローだぜ!なんか、目つき悪いな。多分、うどん職人の後ろで踊っている人が不快なんだろうなあ。なんだか、かわいいな、と思ってしまった私も、重症度を増しつつあった・・・。明るい、やけに、明るい!!ノー天気度合いが最高さ。もう怖いものは、ナイって感じでよろしいでしょうか。何故、あなただけ、他の作品の方々と隔離されていますが。隔離されても、文句もない。私も10円入れて、カッパ君と揺られることにしました、が、壊れてました。ねずみ君に凄まれました。日本一といわれても、リアリティを感じにくいのは、多分、私だけであろう。遠くにお城も見えます。あっぱれで、涙で前が見えません。明るいな。なんだか、在りし日のタイガーバームガーデンを思い出したな、遂に中国失速しだしたな。大工ですか、殿ですか。錯綜中。植木鉢とか、ダダとか、メリーさんとか。やっぱり、わやや。年老いたマリリン。脱力系で行こう!肩の力を抜いて、明るい憂愁に向かって羽ばたこう!もはや、誰もついてこれねえぜ。2008年福島旅行 まずは仙台へ 二本松 オニババの里 二本松の菊人形 田村のUFO館1 田村のUFO館2 田村の工芸1 田村の工芸2 田村の工芸3 郡山、デコ1 郡山、デコ2
2008.11.19
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先日は、UFOにからめ、ゆううこりんのバックグラウンドを暴いたのであるが、ふと、電車に乗りながら、考えていた。何の変哲もない、郊外化した風景。普通の家庭に育ち、普通の高校に行ったのか・・・。実は、以前、生まれながらにして、人間は、残念ながら、だいたい育ちが決まっている、物心つけば、既に3ヶ国語が話せ、バカンスには外国に行き、ピアノが簡単に弾けるというのと、気がついてから頑張って後追いしてみる人生とは、大きな違いがあるというようなこと云々を書いた(思った)こともあるのだが、更に、よくよく、考えてみれば、いったい、日本のどこが、学歴社会なんだろう、と思うのであった。学歴社会とは、多くの人がそれを批判しながらも、多くの人が、その信仰を信じていい学校へ行けるように邁進するてな構造なのかも知れないが、学歴社会には、スタート地点が平等でなければならなく、それぞれの階層において、またそれぞれの競争を同時スタートでやっていくという、ある種公平であるような気がする。しかし、現状例えば、東大の親の子は東大に行く可能性が高いし、そうでなくとも、東大生の親の平均年収は1000万円を超えているということは、それなりに、教育をさせる財力があるということだろう。いいや、そんなことはない、頑張れば、東大に行ける、その気になれば東大に行ける、という意見もあるかも知れない。問題は、頑張れば、とか、その気になるかどうかである。頑張ったりするのが当たり前、その気になるバックグラウンドが生まれるのは、やはり、それなりの家庭なり親なりがいるということである。子供は親の真似をするものだし、その家庭の中で生きていく。たとえ、高学歴でない親でも、大変賢かったり、知的な親であれば、あるいは努力することを苦にしないような親であれば、やはり、子供もそれを見習っていくであろう。 教育は、点数をつけられないような方向に進みつつあるという。間違いかもしれないが、例えば国語で漢字100個覚えるのは、記憶力と努力の賜物であるが、読書感想文とか、思ったことを自由に書いてみましょうなんか問題や課題がでるとしても、先生は、どう判断したり点数をつけたりするのだろうか。自由に書くことの背景に、それまでのバックグラウンドが大いに反映される。知的な会話の家の子と、くだらないテレビの話題ばかりしている家の子の文章力はどうなんだ、本が並べられている家と、一冊も本のない家の子が書いた自由感想文には、雲泥の差があるのではないか。もし、帰国子女の子と中1でしか英語を習っていない中2同士が、さあて、自由に英語で感想文を書いてみましょう、なんか言われたら、そんなのおかしいよ、と親は言うかもしれないが、日本語では誰も言わないだろう。だって、親は、日本語なら同じだと思っているからだ、違うちゅうに。 そういえば、話は変わるが、東大の話ではないが、超一流大学は、就職がいいが、同じように、有名企業にジャンジャン入り就職の大変いい中堅大学というのは存在する。それは、下から上がってくる成蹊、成城、学習院大学などだ。どうして就職率がいいかは、言うまでもない。しかし、たまに、地方都市から就職率の良さを見て、大学から一部は行ってくる学生さんも居て、現実をみて愕然とするのであり、だれも回りは、就職活動をしている様子はなく、というか、その前に、学生時代から、経済力の差を感じてしまうのである。小学校から私学に行く子は就職活動の必要はないし、縁故でいいところに就職するし、大学から入ってきたその1割程度の学生が就職活動頑張ってして、名の通ったところに就職できないわけ。 考えてみれば、私も、中学、高校は公立であったが、小学校から大学まで、試験で振り落とされるたびに、だんだん、同じような人間の集まりになってきた。今考えたら、小学生では、ホント変な奴がいたし、思考回路が全然違うほど頭の回転の速い奴もいたし、ホントにかわいそうなくらいバカもいた。でも大学までいってしまえば、自分よりチョットバカ、チョットダケ変、チョトダケ賢い程度な奴ばかりになってしまったのは、まあ、愛嬌というか、仕方ないことなんだねえ。勿論、学歴と経済的成功には何の関連性もない。勿論、学歴と、経済的成功と、幸せとは、あまり関係ない。 まあ、ゆうこりんは別にふぁんでもないけど、下妻物語のふかだきょうこと、ボクの彼女はサイボーグのあやせはるかが、まあまあファンだなあ、と思った(その他に出ている作品のファンではない)ら、もしかして、共通点は人形?ヤバイな、嘘っこクラブ冗談のつもりだったのに、そろそろ引退しなければヤバイんじゃない?と思った今日このごろです。
2008.11.18
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ついつい、王宮に連れて行った彼女が写ってしまったが、それは、愛嬌というものであり、シアヌーク殿下も許してくれるだろう。実は、カンボジアのガイドブックを持っていったのだが、首都プノンペンより、先にアンコールワットのあるシェリムアップのページより始まり、多くのページが割かれ、まるで、首都の見所が、虐殺の場しかないような空気をガイドブックからして醸し出している。実は全然関係ないのだが、アジアを歩いていると、何となく、過剰、豊饒、ってのが人間なんだなあ。って感じがする。そういえば、人間って怠け者かもしれないが、動物のように、必要最低限のこと以上にしてしまう。肉食動物でも家族愛や仲間愛は別にして、過剰に獲物を採ることはないし、ビーバーや鳥や虫も自分や家族の家以上に、増殖させて巣を作ることもないが、人間は、必要以上の家の広さを確保する。必要以上の労働をする、必要以上の勉強をする、必要以上にとにかく生産する。遺伝子が成すのか、その過剰が嬉しいのだ。穀物を作りすぎて、人に与えるのが喜びだ、工芸品や工場で作りすぎて、人に与えるのが好きだ。それを余剰という観点から体系的にまとめたのがマルクスなのかも知れない。考えてみれば、というか気がつけば、そうやって必要以上に働き、完全な平等というか、対価交換とうのは、普通ないのだ。対価以上に働いているのが大多数で、もしかしたら、資本家は人間の習性を勝手に利用してしまっていて、対価以上のものを得ているのかも知れない。そうでなければ、完全なというか、高度な資本主義になってしまう。ひとつの形が、積極的になったニートかもしれない。家に引きこもっていれば食えるのだから。必要以上のことをしない。しかし、そこには、親が一方的に愛情とかメンタルなものを除いて不平等を強いられている。食われるだけである。アジアの大家族制を見ていると、なんだか、そんなことを思うのであった。実は、アンコールワットには行きました。独立記念塔ワットプノン実は、全然、関係ないのだが、インド料理が食べたくなり、近くでないか、検索して、芦屋駅から歩いていけるインド料理屋に行ってきたのであるが、ふと、勘定するときに、店名を確認すると、サンタナと書いてあり、店員さん(というか、奥さん)に、これって、もしかして、プーリのサンタナロッジのサンタナ????と確認すると、そうです、といい、旦那がクンナさんということが分かった。クンナさんは、私のことを覚えてはいないだろうが、日本でも、もう2回も会っているのである。1回目が神戸の異人館クラブで(小学校の同級生がコックとして働いていたので)食べに行くと、クンナさん登場、びびったのが、もう17年ぐらい前、そして10年ぐらい前に、たまたまミナミのインド料理屋に行くと、またもやクンナさん登場、というか、オーナーになっていたのであった。それからは、すっかり忘れていたが、この前、テレビ番組、ナニコレ珍百系で松方弘樹に似たインド人というので登場してまたもやびびったのであった。なんとも、因果なものよ。 2008年カンボジア旅行カンボジア到着 カンボジアに来た キリングフィールド 小学校が収容所となった プノンペンはナーガだらけ カンボジア国立博物館 カンボジア王宮 ウドンへ 市場から空港へ カンボジアタイgourmetの旅
2008.11.17
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ここに写っている和室で、彼女の出身地、茂原市について、白熱議論したのであった。博多華丸大吉もきていたが、まあ、それはそれでそれだ。とにかく、彼女の休憩場兼私とのインタビューは、この銀河の間で行われたということである。ちなみに、隣は、宇宙の間であるが、まあ、それは、どうでもよい。実物写真は、肖像権の問題があると、私は見立てたので、とりあえず、記念撮影としてゆうこりんのブーツを撮影しておいた、なんだか、フェティテッシュであり、ストルカーのようで、すみません。すぐ帰ります。あとは、スタッフ2人と博多くんのものである(どこまでが苗字か分からないんですが・・・吉本)密会の場所は、コリン星、UFOふれあい館3階であった。私は出演しないが、詳しい模様は、東京テレビのチャンピオンズというので、放映される模様である。一応、私も東京にはシバシバ行くが、シバシバ住んでいないので、見ることができないのである。では、小倉さんのことは、さておいて、そのUFOふれあい館の思い出を語ることとしよう。電話機がUFO型といえば、そう見えるのである。女子トイレのマークも、スカートではなく、円盤の上に乗っているんですね。撮影隊と私御一行しかいないという事情もあり、館長が自ら案内してくれた。受付で住所(県名)を書くと、ほお、兵庫県からわざわざですか、どうやってここの存在を知りましたか、日本でも珍しい博物館ですから。ほらUFO関連の本は5万冊あります。どうぞご覧ください。といいつつ、随所随所で、顔を出し、どうですかと尋ねたり、説明してくれるのであった。真っ暗な部屋なので、スイッチにも工夫がされているのを見逃さない鋭い私であった。架空の人物、トーイモーイ博士も御在宅である。館長に勧められるまま、延々とビデオを見せてくれるのであった。宇宙人の存在を信じますか?証明しようがないが、浪漫といえば浪漫であり、危機感を煽るといえば煽る。懐かしいなあ、この絵、小学校のときに、本で見たことアルわ。話を元に戻すと、何を隠そう、私自身芸能情報には造詣が深いので、小倉さんのことは良く知らなかったので、事前に(本当は帰ってから)調べてみたのである。コリン星については、最近は封印しているのだろうか。お菓子しか食べないといっていたが、以前は本当にそうだったらしく、貧血になったので、他のものも食べるようになったとか、まあ、そんなことはどうでもよい。コリン星やお姫様については、いろいろな番組でツッコミを入れられたり恋愛騒動を起こしたので、もう封印したんだろうけど、そうなると、フツーのゲイノージンになってしまった感もある。というか、まあ、それはどうでもいいんだけど。注目したいのは、前述したとおり、彼女の出身地である。私の大学の先輩も住んでいる、千葉県の茂原市である。茂原市に限らずであるが、全国の郊外都市というのは、どこでも同じで、何もなく、かといって、田舎でもなく、沿道にファストな風景が見受けられ、車で走っていても、何の特徴もなく、どこの都市にいるか分からないのである。休憩。なんだか、しょぼい。そんな郊外都市で味気ない生活を過ごした一少女が、妄想?を駆り立てていったという可能性は十分に考えられる。無味乾燥な現実の裏返しとしてのファンタジーなんていえば言い過ぎか。そして、憧れのおとぎの国、芸能界に突っ込んで行き、その現実をみるにつけ、ファンタジーがすっかり色あせていき、コリン星が馬鹿ばかしく思えるようになっていったのかも知れない。多分、5年もすれば、いなくなる栄枯盛衰の激しい芸能界である。因果な商売よ~。男前マイクル富岡、か?確かに、時々、今でも日進妬きそばUFOの毒々しい味を欲します。私にはよくわからないのであるが、テレビ関係者が、やたら私のUFO博物館見学の邪魔にならないように、やたらめったら気を遣ってくれるのであった。もしかして、私を市井のいんてりげんちゃと勘違いしたのかも知れない。ただの散歩人なんです。すみません。ところで、まあ、多分、飛行機の見間違えだとは思うのだが、一度だけ、小学生のとき、夕焼けの中、変な飛び方をしている飛行物体を見たことはある。未確認飛行物体としては、私の中ではUFOであるが、多分見間違いだと今も思っている。3歳のときの思い出に、これは、多分、いろんなバイアスが入っているので、現実ではないのだが、ある道(家の近く)で、耳の中に、宇宙船の中での交信音が入ってきた。日本語ではなく、交信終了ことに、プチっと交信が切れる音がするのであった。多分、いろんな記憶が混じり混じって変な記憶となっているのであろう。それにしても、私も、まだ1000万円払っても、宇宙旅行したいなという淡い夢は持ち続けたままであり、バカにするならしておくがよい。この場所は、UFO出現多発地帯ということで、こういう博物館を大真面目で作るという根性にアッパレである。福島県飯野町である。あなたと~、いっしょにぃ~、あの山の向こうに行きたい~。それにしても、小倉さんに演技指導するのは、まあまあ大変でした。私も、この宇宙人の中に入って、出演予定です。皆さん見てね、私は見ません。2008年福島旅行 まずは仙台へ 二本松 オニババの里 二本松の菊人形 田村のUFO館1 田村のUFO館2 田村の工芸1 田村の工芸2 田村の工芸3 郡山、デコ1 郡山、デコ2
2008.11.16
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福島県は、二本松の菊人形である。生まれて初めて福島県に行き、あと全国で行っていない都道府県は一つとなったのであった。大河ドラマ、篤姫を知っていますか?私は知らないというか、見ていないというか、幕末のファーストレディーの登場なのです。宮崎葵です。好きですか?私は、初めてその女優の名を知ったぐらいです。鶴田真由も出ているが、雨宮とうこの同級生でもある。関係ないか。まあ、そんな訳で、枯れかけの菊から、付け替えられた菊を纏った、ヒロイン、ヒーローたちの登場です。何故死んでいるわけでもないのに、花で覆うかは、まあ、意味不明というところでよろしいでしょうか。ボク、宮崎あおい、つくるひと。わたし、ぼく、作られるのまっている人。外国人も登場です。大抵の人形の場所というのは、大変見学者が多く、前に進むだけでも大変なのであるが、ここは、期間限定、日本最大の菊の祭典、人気の大河ドラマの3セットが育ち、入場料1000円にもかかわらず、一人も見学者がおらず閑散としていたのは、まあ、愛嬌であった。しかし、史実として、この大奥の行動は大変興味深いものであったが、ドラマになっているとは、シラナンダのであった。 2008年福島旅行 まずは仙台へ 二本松 オニババの里 二本松の菊人形 田村のUFO館1 田村のUFO館2 田村の工芸1 田村の工芸2 田村の工芸3 郡山、デコ1 郡山、デコ2
2008.11.15
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どちらに、水が流れているか分からない淀みのふもとを歩くと、鴨長明的な気分にならなくもない。送電線の前に一日立っていると、日が暮れる。大和の口の部分を穴で誤魔化していいと思っているのかい?ダイワかヤマトか。店内の写真が撮れずにすみません、外から見ると、直線距離は1.5メートルぐらいでした。カメムシ研究家の方の家を遂に発見。テキーラサンライズが飲めるところ。坂の頂上に来ると、これが最後のときなんだ。何を?しんちくそっくりさんということは、新婚さんいらっしゃいらっしゃいには出られません。こんな地球には興味ありません。私に品物を下さい、尺八かいます。オレの車は宇宙人に使われとうない。世の中は確実に苦しくなってきている閉塞感の中で。百万円はいくらで買えるのだろうか。これも、いわゆるひとつのルイビトンです。押すなといわれても、今では遅すぎる、激しい嵐の中、押してしまいました。老人とクロスワードパズル。私もバイトしてた。粋なTシャツ着て、乗り合いバイタク乗らない?・・・慮る心、気がつく心、アルツハイマーになっても忘れまい。その前に、覚えろ、おれ。
2008.11.14
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自分が情けない。もう、あと長くても何十年もこの世にいないのに。こんなときにも言葉が出ないんだ。
2008.11.13
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誇り高き民族の歴史と文化、祖先の息吹を再現したロッテワールド民族博物館ここにあり、である。 朝鮮の歴史は、そりゃもう、そらそれである。 私は、死刑制度に反対ではないのだが、世界は死刑制度は当然廃止される方向にある。というのは、人権や、人間が人間を裁くのはおかしいとか、冤罪の可能性とかあるが、実際のところ、死刑にしようが、しまいが、見せしめにはなっておらず、犯罪の件数との関連性がないのである。日本では、何で死刑になるか知ってますか。絞首刑です。もし、死刑後、冤罪と分かったら、さいこうどのくらい補償されるかというと、最高3000万円。アホなアナウンサーが、家族の感情にに代わって、国が執行しているなんて、いってたことを思い出す。ちゃうやないか、法律に則って事務的に裁判し、判決し、執行することになっているのだ。遺族が、こいつを死刑にしても戻ってこない、一生かけてつぐなってくれと希望すれば、無期懲役か?もう許してやってくれとなったら、無罪になるのか? しかし、何度も書いているように、囚人一人当たり年間の費用は2,300万円かかることだし、まともに働けないような人間が刑務所にいっぱいいるし、刑務所で木彫りや靴の型つくりの訓練しても、出所してどうにもならないし、最近じゃ仕事がないから刑務所に入りたがる人もいるし、せめて囚人だけで、刑務所経営を成り立たせて欲しいものなのだが・・・・。 どうするよ、裁判員制度で呼ばれたらよ。そういえば、マイクルクライトンが死去したね。ジュラシックパークとか、ERとか。でも医者になった頃、旅行した頃の自伝、インアートラベラーズが一番面白かった。その伝記をインドで読んだんだよなあ。本、映画、音楽、そういったものは、その頃の光景を思い出す一つの指標だ。インド亜大陸は、どこまでも続く平地で、雨季、雨の中、列車は走る。私は、マイクルクライトンを読んでいる。ふと、車窓からの風景を見ると、地平線の彼方まで水浸しである。大地がない壮大な風景。列車の線路部分だけが盛土されて2,3メートル盛り上がっているのだ。随分彼方に、膝ぐらいまで水に浸かった人影が見える。地平線の彼方まで、おそらく2,30センチほど、大地が一面に水浸しになっているのだ。・・・確か、3月、これまた乾期にインド亜大陸、デカン高原を列車が走っているときも、ふと顔を上げると、地平線の向こうまで平面であった。そのときに読んでいたのが、阿部公房だった。終わりし道の標べに、という本を偶然、アジャンター村の安宿で唯一あった日本語の本を見つけたのであった。そこで、ネパールで知り合った日本人と交換したSFの本と勝手に交換して持ち出したのであった。その阿部公房の本の裏に、何故だか、住所が書いてあった。その住所に、帰国後、本見つけましたよ、って葉書を送ってみると、見事、返事はなかった。そして、ちくしてつやも亡くなった。昔は、旧左翼的なひとりだったと認識している。 89年ニュースキャスターになったときは、びびった。あの朝日ジャーナルの編集長が、テレビにじゃんじゃん出る?若者たちの神々で、新人類なる言葉を一般的にしたり、アメリカから帰ってきて、デュゥーダの意味が分からなかったといったり、何だか懐かしい。盟友、ホンダ勝一が、命の危険にさらされているので、あまり世間に顔を出さないのに対し、何で筑紫さんはニュースキャスターになんだよ、との質問に、照れ笑いしながら、彼は、目立ちたがり屋さんだから、なんていっていたのが懐かしい。ニュース23も20年近くやっていると、流石に板に着いてきたが、最初、テレビの映り方が妙に素人チックで下手だったなあと思ったものだ。テレビに対して、メンチきってんだよね。そういえば、現代無用辞典とかこんなものいらない辞典とか、面白く読んだ。なんだか、辻本清美に国会議員を勧めたのは彼であったし、私の中では、彼とホンダカついちと、小田まこと辻本きよみがセットとしてあるんだな。そろそろ、画像に合わせて韓国の歴史について、書かねばならぬ時が近づきつつあると思ったのであるが、疲れてきたので、次回、第2号にすることにし、あとは画像余りでよろしくお願いします。 2008年韓国旅行 韓国到着 ソウルの迷宮 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)1 ・ 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)2 民族博物館1 民族博物館2 民族博物館3 1986年韓国到着 1990年韓国到着
2008.11.12
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私がサイパンの夜を夜な夜な遊びほうけていたなんていう噂は嘘なのであり、虚無であり、風説であり、空想であり、昼間もちゃんと昼には起きて、数少ない観光もしっかりと、堪能しているのである。バンザイクリフだけでは、終わらず、スーサイドクリフだけでは終わらず、その他風光明媚で、心の洗濯、戦争による悲惨な出来事で暗澹たる気分から、気分転換を行ったのである。この月見島と勝手に日本人が読んだ島には、なんともいえない同じような服装を着た三人の恋人を私は連れて行ったのであった。はるばる韓国から呼び寄せたのであった。勿論、戦争遺跡地域では、無駄な論争を避けるために別行動していたのである。と、思ったら、英語もバードアイランドじゃん。ギャフン。続いて向かったのが、アクティブダートな道(どんな道や?)を越えて、紋黄蝶がバカほど夥しく飛んでいる場所がカラベら洞窟。つまり、スペイン語で、骸骨だよね、ちゃうかったかいチッチー?名前の由来は、囚人の死体をどんどん、この洞窟に掘り込んだというスペイン人の仕業から。なので、霊気もなんとなく、漂うって感じの場所。オイオイ、もう、戦争だの死体だの自殺だの虐殺だのからの気分転換で島巡りをしているんじゃないのかよー、またかよぉ。このまま、元気に洞窟内に入ると、二度と出られない気がしたので、草々に退散する。次、もう次、と山腹部に成功者たちが立てた住宅街をすり抜ける。次は、何となく、良く分からない何だかルルドみたいなところ。水は出てますが、どうも、飲めそうにないです。五島列島のルルドの水は飲めたんですけど。売店が一軒だけ有り、特に何を売ろうというわけでもなく、その店の子供が無邪気にまとわりついてきました。次は、洞窟を抜ければ、そこは、断崖絶壁に囲まれたビーチだったという、紅の豚ででてきたような場所。分かりにくいので、下に下りていきます。洞窟を抜けると、そこは雪国であったわけではなく、私は汗だくになった。下に降り、上を見上げると後光が・・・すみません、私の今までの悪行を許してください。今までの善行はチャラにしてください・・・外灘への出口。やがて、私のジーンズは波にさらわれ、濡れていった。11月11日11時11分号。2008年サイパン旅行 サイパン行 廃墟的なガラパン 歴史蝋人形博物館 僕の彼女紹介します バンザイクリフ バードアイランド managaha サイパンに咲く花
2008.11.11
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朱色はエライ人だと分かるの場所。着替えをして、記念写真が撮れるの場所。漢文の勉強のできるの場所。散髪も元気にできるの場所。警察の真似ができるの場所。拷問ゴッコができるの場所。拷問ゴッコを無視して事務作業に没頭できるの場所。ラーメンも啜ることもできるの場所。爪の垢を取る作業に没頭できるの場所。泣きを入れることのできるの場所。一服しながら考え事もできるの場所。皇居の周りを強制散歩させることのできるの場所。今日の夜飯を逃したことを哲学的アプローチで考えるの原始人。現在風の顔立ちをした早く生まれすぎたのリリカル原始人。 ファミリーサービス中の原始人主人とその一家。狩の途中で、ポロリ出たものを気にしないの原始人。今、手を離したら、お星様が見れるかなあと思索するの原始人。流し目でキメルの原始人。肉がないので、草を採るの原始人。ウサギの糞を集めるの原始人。母さん父さんたちが夜なべしてなめしたの原始人。朝になって人が変わったのに、まだ、なめしているの原始人。おまえ、いつまで、摺ってんねん。もういいんじゃない?ジャ、食べるか。原始人を眺めるうら若き乙女の方。どこみてるんだい、乙女の方の目を追った。 2008年韓国旅行 韓国到着 ソウルの迷宮 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)1 ・ 西大門刑務所(トーチャーミュージアム)2 民族博物館1 民族博物館2 民族博物館3 1986年韓国到着 1990年韓国到着
2008.11.10
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フランクフルトもこうやって描き出したが、ドイツは即物的えろである。フランクフルトも駅前に、得ろエリアがあったので、もしかして、ミュンヘンもミュンヘン中央駅付近にあるのではないかと、思い歩いてみると、駅を出て、右側一帯にやっぱりあった。そのエリアは、イスラム居住地域とも混じっており、エジプト人などの男女が歩き回り、祖国への電話やインターネットができるカフェとか電話電信所も多く混じっている。勿論、ヘタレの私は、その内部まで潜入して詳細を報告するというには、時間とお金と度胸がないために、いっちょ周りして終了であるが、ついでに、小腹が減ったので、ついついおやつとする。何故か、1件だけ、アラブ料理の店に、中国人が切り盛りしていて、何だか、流行っていたので、そこで、ちょっと食べてみるって感じとなる。こんな中途半端な時間に食べてしまったことと、睡眠を長いこととっていなかったため、このあと数時間後の香港に向かう機内の中で、食事途中で、気を失い、眠ってしまったことは、まるで記憶のない子供時代ぶりとなるのであった。ところで、この人が、平成という名前を考えました。陽明学の大家です。天皇の玉砕放送も、頑張って草稿しました。 そういえば、一度、アムステルダムでオチャラケストリップに行ったことがある。何だか知らないけど、おっ立ってたまま、何だか知らないけど、ギャグをかますのだ。あまり面白いものでもなかった。アムステルダムでも、バンコクでも、本番ショー(通称シロクロショー)を見たが、英語で言うところのエクササイズであり、いくらショーとはいえ、コミカル滑稽なものに見えて仕方ないというか、エクササイズなのであった。よくよくみていると、体位を何度も変えるのだが、その体位でのぴすとん運動の回数がすべて同じなのであった。つまり、男は、1,2,3,4,5と数を数えているのである。そうえば、マダ、ハンブルグに行っていない。ハンバーガーの語源でもあるが、チーズブルグはチーズバーガーの語源ではないのだ。次回は、どこにいくのかそろそろ、また考えを巡らし始める私なのであった。な、レオちゃん。 2008年夏旅行 成田→コペンハーゲン →カイロ→ミュンヘン→香港→深セン→香港→マカオ→香港→大阪の1週間 コペンハーゲン エロティカミュージアム コペンハーゲン観光 カイロへ ピラミッドでやられた スフィンクスは何を見ているのか ピラミッド観光 ミイラの作り方 エジプト刑事博物館、戦争博物館 カイロの高台に立つシデタル カイロ ハーンハリーリ カイロ 死者の町 カイロ ワックスミュージアム カイロ コプト教 エジプト gourmetの旅 人生7不思議4つ目、パラレルワールド ドイツのベッカム ミュンヘンのなにこれ ミュンヘン フリードリヒの町 ミュンヘン 狩猟博物館 ミュンヘン教会 BMWメルセデスアウディのミュンヘン ミュンヘン裏通り・・・ 銀行で元に換えたら偽札つかまされた 銀行で元に換えたら偽札つかまされた雑感 シンセン 中国ニセ5000年の悠久の歴史を2時間で辿る シンセン 中国を一周 シンセン ヨーロッパ シンセン アフリカ 大陸 シンセン アジアオセアニア シンセン アメリカ 大陸 シンセン フェイクチャイナを思う シンセンナイト 香港 便所レストラン 香港 マダムタッソー1 ・香港 マダムタッソー2 マカオ観光案内 マカオの夜 オマケ
2008.11.09
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戦没者のあとに、咲く花々、草木。死者を栄養分にして、立派に育つ。 誰も、天皇バンザイなんか言って死んでねえよ、と思いながら、ふと、今の平成天皇、今生天皇のことを思った。親の姿を見て育ったんだなあ。そういえば、昭和天皇もヒドラ(ヒットラーではない)の研究家、生物学者で、ヒドラは、単細胞、つまり、自分が分離していく、はさみで切ったら2匹になるってな感じの生き物で、これぞ、永遠に命を続ける生物である、アメーバのようなものだ。それと国家を兼ね合わせたのか?と邪推。国家・・・・なんて、新しい概念なんだ。まあ、国家、そんなことはまた別の機会にするとして、今上天皇である。彼の笑顔は、なかなか良い、と私は思う。天皇制は基本的に、お金の無駄なので、反対だが、今の天皇は、自分の立場に結構イライラしているというか、マスコミに不満を持っているが、立場的になんともできないいじらしさが感じられる。まあ、天皇制ということばは、左翼用語だからね。今の天皇は、きっと、天皇制を反対しており、戦争反対論者であろう。昭和天皇と違い、今の天皇は、決して、君が代が流れても、自ら歌っていない。そのことをもっと報道して欲しいと思っているはずだ。そういえば、何年か前に、韓国首脳と天皇が会ったときに、天皇ははっきりと、昔、朝鮮から渡ってきた人と天皇子孫は血がつながっていると言っている(調べてみたら、桓武天皇の生母が百済の王の子孫であるということが続日本書紀に書かれていて、韓国とゆかりを感じますといっている)。このことを、海外のメディアは、大々的に報道したが、日本のメディアはビビッて、無視あるいは、限りなく無視した。きっと、天皇は、翌日、「美智子や、テレビや新聞はどう報道している?」と世間話をしたに違いない。「あなたねえ、日本のカスみたいな報道機関があなたの言いたかったことなんか書くはずないじゃないですか」ああ、そうか、天皇は落胆しただろう。オランダなどの王室では、王族が、普通に路面電車に乗ったりしている。天皇は、多分、結構、それをうらやましいなあと思っているに違いない。タブーは増殖している。美智子さんは、さんであり、曲がりにも、ミッチーブームというぐらいであった。今で、チーといわれるのは、スッチーとかサッチーとかぐらいか、あ、古い?今では、さまである、マーサではだめなのか、キコチャンではだめなのか、ナマズ王ではだめなのか?単なるガキにさえ、愛子様とか悠仁さまとか、うっとうしくねえけ。皇太子も、マーサのキャリアや人格を否定する動きがあったと文句を言っているが、必死の訴えであったことも、懐かしい。ほんま、皇室のひとらは、結構哀れである。そいうえば、今の天皇、一度、こっそり一人で皇居の外を出て散歩してたなあ。びびって、SPに取り押さえられたなあ。必死の抵抗か。うめいている。金正日であえ、こっそり、日本に何度も来ている噂があるほどなのに。天皇が、君が代を歌わない。天皇自身を称える歌だからということもあるかもしれないが、昭和天皇は歌っていた。愛国なんとか法に違反してないか?髪の毛が垂れているのを直す姿の写真のどこがタブーなんだ?何で外国メディアが先に発表するのか。何で、まさちゃんの懐妊を誘拐事件でもないのに、報道を控えるのか?何で外国メディアが先に報道するのか?国を愛しましょう?ほっといてくれ。愛してもくれてないくせに、強制するなんてね。まずは、国が国民を愛してくれ。愛って何じゃろ、何じゃろ。マスコミは、何だ、右翼の抗議による、過剰反応、過剰防衛になってきているのか?何に過剰防衛しているのかい?大袈裟にいえば、マスメディアが発達してきた第2次世界大戦まえぐらいから、常に戦争や侵略の前提として、大衆を煽ってきたわ。やらないと、やられちまうぞ!とアメリカ911にせよ、テイコクニポンのアジア侵略にせよ、ナチスのユダヤジンホロコーストにせよ、常に恐怖と不安を煽る。自衛戦争だ。本当は、結構分からんよ、本当に北朝鮮が危ないのか、実は事実が万一たいしたことないということが、もし分かっていても、それじゃあ、ニュースにならないからね。温暖化で地球がヤバイのか、実は事実が万一たいしたことがないということが、もし分かったとしても、それじゃあニュースにならないからね。ある特定宗教が、アルカイダが・・・一般人は、死に、その上を花が咲き乱れる。2008年サイパン旅行 サイパン行 廃墟的なガラパン 歴史蝋人形博物館 僕の彼女紹介します バンザイクリフ バードアイランド managaha サイパンに咲く花
2008.11.08
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練馬区に足を踏み入れたのは、10年はゆうに越していると思う。西武池袋線の駅を見ると、練馬前後のそれぞれの駅に友達がかつて住んでおり、どの駅も降りたなあ、と記憶が蘇りつつあった。練馬駅を降りたのも、もう16年ぶりであり、駅が高架になり、駅の位置が若干移動し、デパートができていた。少し迷って、昔と変わらぬ昔から取り残された家があった。 昔は、彼の家の玄関は、バーカウンターから入るようになっていた。今は、そのバーカウンターは彼の経営する花屋になっていた。花屋・・・ 就職活動で、実は、私は、大手花屋をいくつか受けたのだ。しかし、私の学歴では、変な話、もう、花屋さんは、面接がない、というか、勝手に特別枠になるのであった。憧れの職業と思うのだが、結局、花ビジネスを何となくひいてしまった私であった。何故か。同じ大学のゼミの奴が、1つだけ単位を落として、留年し、会社の好意により、働きながら、週に1度だけ、その授業を受けさせてもらっていたのだった。私は、最初から留年しているので、なんだか、同じ留年で、先輩になられるのも、シャクだなというか、同じゼミの奴と仲良くしていかねばならないというのも恥ずかしいというか、それより、なんだか、無条件で就職OKってのが気に入らなかったのかも知れない、なんとも、傲慢な、20代の青い季節だった。 大学には喫茶店がいくつかあった。今でこそ、少し古いが生協のなんとかさんって有名になったが、当事も、自由に投稿質問ができて、掲示板に回答が張り出されるシステムであった。結構不真面目な意見にも、真摯に答えてくれるのが面白くて、時々、投稿してみたりなんかしたりしている、屈折した大学生時代であった。「すみませんが、私は、遅れてきたフラワーチルドレンです。この喫茶店店内を花で埋め尽くしてくだい。お願いします」と投稿しると、掲示板には「貴重な意見、ありがとうございます。できればそういうことをしたのですが、予算の関係上大変難しいのです、云々」との返答が掲示板に貼られていた。 結局、私は、お花屋さんにはならなかった。彼は、花屋になった。16年ぶりに訪問して、店内に入ってみた。「まいど、●●くん」彼もすぐに私のことを分かってくれた。ネットで検索して、なんとなく訪ねてみた旨を伝え、15分ほど話をした。彼も、子供5人を抱えながら、順調に、離婚していた。毎月、大変だよ、と彼は言った。ヘリコプター会社などに勤務していた彼が、花屋を選んだ理由が何となく分かるような気がした。それは、旅行のせいなんだと。大きなウエイトを占めすぎんだ、きっと。 彼と最初に会ったのが、パキスタンのカラチであった。その日、パキスタン航空はギリシアから飛んできて、私と共に、カラチ12時間トランジット組の日本人若人が8人いたことを思い出す。皆、ヨーロッパ帰りで、(彼はエジプト帰り)私だけがアジアを経験していた。私は、陸路でヨーロッパまで行き、お金が尽きてアテネから帰国するところだったので、皆を12時間パキスタン案内へとご招待したのであった。ヨーロッパを満喫してきたりホームステイしてきた人たちが、何故だか、たった12時間のパキスタンが一番面白かったよ、なんてノー天気に言ってたような気がする。男たちはその後博報堂やNHKに就職していった。女たちは青学やフェリスのお嬢さんだったので、その後、それなりのその後だったのだろう。年賀状のやり取りが続いたり、一人は神戸出身で彼女が神戸に帰ってきたときには遊ぼうと言われて遊んだなア。しかし、彼だけは、その後アジアにはまっていき、今は、養育費にさい悩まされながらも、自営業の道を歩んでいる優しい奴だったんだ。 12時間のトランジットで何故だか、パキスタン航空は空港ホテルを用意してくれた。でも、私は、市内に遊びに行かないかと声をかけ、一台のタクシーと交渉した。タクシーのあんちゃんも面白い奴で、一人一日1ドルで交渉がまとまった、といっても、1台のタクシーに運転手含め9人が乗るのである。これはハイテンションにならざるを得ない。前に女の子3人、後部座席に野郎5人。運転手は飛ばす。抜いていく車に、私たちは、イエイエイエイ!と叫び、追い抜かれる運転手も笑顔であった。その気の緩みと、許容を皆は実感してくれたのであはないだろうか。なんとなく、私も嬉しかった。18年たった今でも、きっと、あのときのことを覚えてくれていると思う。きっと。きっと、アジアとは戦争できない、敵対できないと思ってくれていると。(アジアとは戦争してないけど。アジアを支配していた欧米と戦争した) まあ。私の結論としては、あさみとやり直したいってことぐらいだよ。
2008.11.07
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この紀行文の補足である。日本最北端の地には、いろんな平和を祈る記念碑が乱立しているのである。領土というものを考えさせられるフリができる場所でもある。勿論、私は、ヘーワ主義者の虚無主義者なので、というか、金持ちや、野望家のために死にたくないだけで、国家は、残念ながら、守らなければヤラレチマウという仕方ない局面にあることも、まずまず、分かっているつもりだ。ヘーワ主義なので、徴兵制には反対なのだが、最近の傾向を見ていると、徴兵制で、テッテテキにガッツを注入せなあかんのちゃうの、といった寂しい状況を考えざる得ない。小皇帝といわれる中国人の子供も、兵役につくと、見違えるように帰ってくる子も多いという。アメリカのように、最下層が仕方なく、食うために兵役に付かざる得ないという状況にもなりかねない、北朝鮮のように、もう戦争起こってムチャクチャになって欲しいわと思う人々が増えちまうかも知れない。そういえば、戦争はムチャクチャになることもあって、兵役で行かされた東大の廣松先生(哲学者)は、中学も卒業してない上官に最初徹底的にいびられたと書いていたなあ。絶対、若い頃の屈辱の経験?は先生の思想に影響を及ぼしたのだろうなあ。反対に、上官の中学生、快感だったろうなあ。平常の世の中ではヒエラルヒーは崩れることはないからなあ。先日、日本海軍を見てきたが、現物の海兵隊君を見ると、まるで純粋無垢な息子のようであった。私は、どうしようもない、あれくれヤンキーが自衛隊に入るものだと思っていたのに、みなさん、かわいいのである。もっと大人の30代40代の自衛官には何度も会ったことがあるが、どうも、皆さん、大人しくて従順なのだ。それは、ポーズかもしれないが、命令すれば、何だか聞いてくれそうな勢いなのであった。とにかく、日本では、自衛隊は尊敬されてはいないので、韓国とかスイスとか、一般人もゲーノージンもスポーツ選手も徴兵に取られて、それなりに尊敬されているのが羨ましいなと、きっと日本の自衛官は思っているのだろうなあ。まあ、きっと、徴兵を逃れる健康体の輩もいるのだろうが、金持ちも有名人もその平等な手段生活の中で、一般人を知り、結構、考え方も変わるのであろうなあ。日本人って淡白なんだろうか。そういえば、あっちのほうも、ギリシアやクロアチアをトップにして、すごい下位にあるのは、分かるけど、出生率の低さも、いろんな原因があるが、ウスーくなっているのもあるだろうなあ。危機感があると、濃くなるみたいですね。戦時中、1泊だけ、家に帰ってきたりすると、その日に、子供ができちゃったりするのは、事実だモノのな。生殖能力の異常な高まりである。最近では、真面目に、オランダっ妻の風俗専門店というのが、あるらしいが、人形研究家の第一人者の私にも理解のできないことである。生身の女性は相手ができないというのだが、あるいは面倒だというのだが、別に、とか、関係ねえ、とか言う奴は、もういいです。そんなの関係ねえ、が下火になってよかったよ。 2008年北海道旅行 夕張訪問 夕張炭鉱1 夕張炭鉱2 幸せの黄色いハンカチ 札幌市真駒内霊園1 ・ 札幌市真駒内霊園2 支笏湖 稚内へ 稚内無事帰るロード 稚内細密紀行
2008.11.06
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決して、前の女性についていった訳ではない、行く方向が似通っていただけなのだ。生身の人間が好きなのは、健全かと思いながらも、他人と話すのスゲー面倒で、誰かとワイワイ飲みに行ったり遊びに行ったりするより、一人で飲んだり、ブラブラしたり好きな私ですが、それでも頑張って頬がチックしながらも営業やってます。でも、私は電車を乗り換えたのです。20分、山手線を回り、巣鴨に到着した。これから演歌で売り出しします。おばちゃんたちに囲まれて握手してで、私も、間違えて列に並んでしまいそうになった。未だに、これでも、騙されるというのが、分からないのだが、老人人口の多いここでは、銀行あげてアッピール。町の掲示板も、オレオレ振込み注意喚起の堂々のスペース。こういう根拠のないものでも、騙すんでしょうえ。やたら声をかけられる坊主。嗚呼、18年ぶりの巣鴨。前は、何故巣鴨に来たか不明だが、確か、アテネから成田へ帰り、巣鴨を経由して、伊香保に行ったんだ。当時は、老人の原宿、というキャッチフレーズに惹かれて見に行ったのであった。ここ巣鴨地蔵通りは、日本橋をスタートした中仙道の最初の休憩所であり、老人が早くも休憩に入ったから今も老人が多いのかもしれない。東京での高齢者のインタビューはだいたいここで行われ、今日もやっていた。多分、明日の次期大統領選挙はどうなると思いますか?小浜ですか、負け印ですか?ってインタビューだったのかもしれない。たまには、若者も歩いています。まずいソフトクリーム食べました。八町ミソ味です。こんなまずいのあまりたべたことないです。恐怖のアカパン。何か、安いような気もしますが、気のせいか。巣鴨プリズンはない、どこだ、現在の池袋、サンシャインシティである。お宅の聖地から老人の聖地へ来たが、実は、ラジコンの聖地でもあり、本社は巣鴨のままで、テンポを秋葉原に出しているという会社がいくつかあるそうだ。お地蔵さんを磨くのに、長蛇の列です。確か、18年前もここに来たということを思い出したのだが、何かが当事の記憶と違うと思っていたら、歩く方向が違うのだ。私の記憶する東西南北の方向が違うのだ。あご(とびうお)を出汁をとった五島うどん。五島列島では、日帰りなのに2回食べ、お土産まで買って帰ったのは私である。とにかく、萌え~。
2008.11.05
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聖地にようこそ。お土産は、びっしち、燃え屈したってところ。あきはばななって安易な名前なので、こちらは土産物にはちょっと・・・。小沢の一浪饅頭か・・・しんちゃんまんじゅう売れたなあ・・・羽田空港にも、山口県にもあったよ・・・。(涙)お宅は、こういうカリー好き?会社に黙ってアキバで並んでたら、同僚も並んでてばれました、って会社には勤めてないんですよねえ。実は、私は、虚実家も兼ねたくなり、25年前に、事業を立ち上げる寸前までいったのである。それは、絶対受けるぞ、のイヤークリーンセンターであった。それこそ、女の子の膝枕の耳かきである。女の子の募集以前に資金がなく、諦めたが、高校生の同じクラスの奴らなら、私の野望を知っているはずだ。しかし、こんなところで流行っているとは、生まれてくるのが、25年早かったかもしれない。しかし、今も金がないので、事業を立ち上げることができない、というか、事業意欲がない、老人的青年実業家である。萌えの人が配っているが、武装商店の宣伝だったのだろうか。もえ。私が写真を写すかどうか、迷っている間に4人も入っていった。栗がなんちゃらとか、おれには、マロンにロマンはないよ、すみません。歩行者天国はなくなったのである。あの事件以降。萌えの人は、身障者にも親切だが、急に、警察が通ると、深々と挨拶していたのが、印象的な昼下がりであった。萌えの人はまあ配っているんだけど、結構、意味無く、彼女に道を聞く人たちが多いんだよなあ。もえ系喫茶店はもう一度行ったからもういいわ。何故ここで演説したの?とてつもない麻生。顔のこというのはフェアじゃないけど、彼の口は、何故、歪んでいるのですか?子供の頃、口がいがんでるやつは、チャンソリのせいやといわれてました。チャンソリってシンナーのことだよ。でも本当は韓国語の文句なんだけど、どっからうちの地域でシンナーになっちゃったんだろう。マリリンは、頭よかったのに、バカを演じさせられて。エリッククラプトンやエリックサティやEHエリックの回し者です。これ、クルクル回っていて、結構、怖いんだよ。愛でたくないんだよ。コインロッカーらしく・・・荷物侵入・・・・ニモツ来日・・・・・見知らぬロッカー・・・荷物の選択を・・コインロッカーらしく・・・何も迷ってないけど。・ ・・あれから、本当に、警官だらけになったようだ。あの事件、加藤が、レンタカーで歩行者天国に突っ込み、次々と人々をナイフで殺傷してから5ヶ月が経過したが、まだ、秋葉原は物々しい。あいつと、サカキバラが同じ年だということは、単なる偶然で危ない世代でもなんでもないと思うのだが、もしかして、こいつは、同じ年のサカキバラに憧れと、羨望と嫉妬を抱いていたのかも知れない。もしそうなら14歳で大悪事を行ったあいつを追い越すことができない劣等感にさい悩まされたとしたら、暗澹とした気分になる。サカキバラは、私の出身高校の隣にある中学校あるが、あのいったいは歩道が、血ちはいわないが、ドス赤いベルトで舗装されている。高校のとき、あの色が嫌いだったな、と最初に思い出したことだった。そういえば、同時に、あいつじゃないか、とある同級生の人物の顔がぼんやり思い出されたのも恥ずかしいことだった。加藤某と、私たちの違いって何なの?って悩む人たちがいるとうのも多い、いつ自分がこんなことをしでかすか分からないと思う奴も多い、どこが違うのって違いを考えている人も多いだろう。生活様式がほとんど同じで同情すべき環境にあるのかもしれないが、趣味が同じなのかもしれないが、違いは簡単であり、人を殺したか殺してないかだけだ。99.9999パーセントの人は無差別殺人なんかしないのだ。だから、悩んだり比較したりすることは、何もないんだ。悩むな、崇めるな、崇拝するなよ、間違っても。そういいながらも、報道によると、寝ているときと仕事しているとき以外は、ほとんど、携帯電話のネットと接続されていたみたいだ。しかし、通話記録は皆無に等しい。しかし、ネット社会や負け組やゲーム的や各社社会やだのを持ち出してきて、そうんかよ。それは、問題は多いが、殺人とは別で考えようぜ、てな気分に、殺人現場の前立つと、思ってしまう。バーチャルな世界やその中を行き来する人々を、見ていても、そこに、殺人や孤独や反社会やそういうのとは、また別な事象に見えるのだ。確かに、何だか、ヤバイよなあとか、ちょっとついていけんな、とかオタクとか、そういうのは、見受けられ、垣間見ることはできるのだが、それが何だというのだ。こいつは、顔がすべてだ、といっているが、こいつは、暗いだけで、普通の顔であることは、誰もが認めるところであろう。こいつが、負け組で、秋葉原をうろついている人々を勝ち組だと思ったのだろうか。国会議事堂や霞ヶ関に突っ込まなかったのは、勝ち組どころか、違う世界過ぎる人々だったからか。誰でもよかった・・そういう発言をした人は、人類のために、人体実験で、死んで欲しい。苦しみもだえながら死んで欲しい。懲罰主義は犯罪抑止にはならない、死刑主義は犯罪抑止にはならないというが、苦しんで苦しんで死んでいくことが分かっていたら、多少の抑止力にはならないのか?自分で死ねないから死刑にして欲しいからって殺人する奴って、簡単に絞首刑とかで苦しまずに死ねることを知っているからではないのか?ま、そこまでは、分からんけど。苦しんで拷問受けてでも、人間どこまで耐えられるか実験ででも殺して欲しいか、自殺デモするほうがよっぽどましか、私には分からんが。冤罪の可能性もあるから、私は、死刑には反対だったんだけど、30歳ぐらい過ぎてから考えを改めてしまうようになったよ。サカキバラも、世の中のために殺してやるのが、正しかったと思うようになったよ。性犯罪は治らないんだ。サカキバラが釈放されたのが、単なる何年もかけてカウンセリングした意地でしかないんだ。何億円使ったと思う?その結果、治りませんでした、っていえますか?のうのうとこんな奴が生きていていいのですか?正義の見方なら私にもできます。何で、アニメの人、上げ胸系なんですか?オレは、でかい胸好きじゃないです!喫茶店からボーっと眺めていると、特徴としては、独り者が多い。タスキ掛けのショルダーバックの人が多い、めがね率が高い、ヒッピーがいない、などが挙げられる。関西にサトー無線はないし、コマーシャルソングも知らん。あまり飲みたくないコーヒーちょっとこすプレ系はいってきた、みたいな。電車からも見えるビルなんです。というわけで、紙面の都合上、アキバレポートを終了させていただきます。今日は萌えました。燃え~。
2008.11.04
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昨晩、日本に来てもう1ヶ月にもあるという、ほんまに仕事してるの?って感じのイギリス在住の妹夫婦(旦那=イギリス人)と、少し飲みに行ったが、そこにたまたま飲みに着ていたドイツ国籍のモロッコ人から、ホンジュラス製の葉巻を恵んでもらい、2時間も煙の中で溺れた訳であった。二日酔いで、会社の出先に高級車ロイヤルサルーンで突っ込んだが、加齢のせいか二日酔いが昼下がりになってもしっくり復活してこないので、早々に、退散し、コすモスで汚れた精神を洗い流すことに決定。ランニングしたい気分にまでなりつつあったが、そういえば、高橋尚子選手が引退したのだが、まあよく頑張ったものだと思う、私としては、多分、監督から離れてチームキューチャンだっけ、を作ったところのコーチが、恋人だったんではないだろうかと思うのである。なんというか、世代論はツマラナイのだが、現在のそうだねえ、35歳前後で、オジョウギワの悪さがカッコワルイ、それでもやりたいってところがあるのかもしれない。高橋選手、清原選手、桑田選手、そうそう横綱近くまで行ってズルズル頑張った小錦格好良かったじゃないか。しかし、今後のキャリアも一切絶頂期に捨てて引退した新庄選手や中田選手は、スマートに見えるが、何を目指しどうしていくのか、あまり興味はないが、新しい価値観のようなものがあるのかもしれない。コスモス畑をブラブラ歩いていると、誰が何のために無料で、こういうの植えてくれているんだろう。こんな広大な敷地に。今が満開だとすれば、摘むための売り物でもなかろう。人々を楽しませたい、そんな親切なボランティアなのであろうか。ふと、イラクで捕まって、自己責任じゃなんじゃ、と非難された3人の若者?達のことを思い出した。日本政府の対応は、おかしかったし、世論の反応も変だったが、あの3人もヤレヤレだったなあ。ボランティアは、失業である。失業してても生きていける人、年金やパートナーの収入で生計を立てられる人がやっている。われわれジャーナリストには事実を伝える使命がアル・・・人質になった一人の青年は言ってたなあ。恥ずかしいなあ。他人の不幸で飯を食うって考えがないんかなあ。そういえば、私も、若い頃には文切り型な言い分してたなあ、若いってバカだなあ、恥ずかしいなあ。いいなあ。ある種、そんなに年齢が変わることのない彼に新鮮な眩暈まで覚えたほどであったなあ。(名前は郡山君であるが、ハルジ氏ではない)もっと、恥ずかしいかったのは、あの女の子だったなあ。ボランティアと自分探しがセットになってるんだよなあ。実家の仕送り受けてさ、30歳にもなってさ、豊かだなあ、日本社会。確か、その後、ヒッピーみたいな格好をした物見遊山的にイラクに行った若者も捕まって、首を切られてしまったな。殺されたからというのと、遺族から自己責任でイラクに行った、政治的な利用を止めて欲しいと嘆願されたために、3人のようなバッシングはなかったなあ。まあ、話は、それていったが、マラソンでいうと、11月3日というのは、考えれば、高校の時の駅伝の地区大会の日であり、未だに、思い出すことはあまりないとはいえ、よく走りこんだものであった。確かに、頑張ったといえる。結果が、うまくいけば、その達成感が、うまくいかなくても、その屈辱感を味わうことが大切であり、老婆心ながら、勉強や運動は、その内容も重要だが、やったんだという経験が、今後の人生にチョッピリ強いって感じがするんだけどねえ。仕方なく、ニートになった人は仕方ないけど、元々の語源通りのニートなら、そら将来、悲惨になっても自業自得のような気がしますが。あ、時代が違う?あ、そう。コスモスのこぼれ種が、時々、道端に咲いている。昔から見た風景であるはずなのに、子供の頃と、コスモスとの記憶がない。あぜ道に黄花コスモスの代わりにタンポポしか思いつかない貧弱な子供時代の記憶。人の記憶がにじむはず・・・まあ、そんな、余計なことを考えながら、散歩は続くのである。早く、散歩で飯が食えるようにならないかなあ・・・。画像余り・・・1時間半もみちゃったよ
2008.11.03
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韓国側からの強い主張により、KIMCHIが正式英記表示名となり、ニポンジンが勝手に使っていたKIMUCHIは廃止とる大論争があったことは、記憶に新しい1996年のことである。いつの日からか、外国人の表記、呼び方は、できるだけその国に合わせるよう要望を受け入れたニポンであるが、(キンンイチセイ→キムイルソン)結構対応はばらばらであり、向こうの国もちゃんと、日本語で発音記名されているかというとはなはだ不明である。キムチ博物館である、フィールドといえば、先日カンボジアの虐殺フィールドに行ってきたので、ちょっとフィールド違いで安堵である。サムソン駅からテクテクCOEXショッピングモールを歩き、インターコンチの手前で、きらびやかなショッピング街に委細を放ち、ただ1件地下2階に、博物館はあった。キムチの味も、それぞれ、好みによるが、大阪鶴橋のキムチ店の家族が、家庭用に別に作ったキムチをわけてもらったことがあるが、それが一番旨かった。韓国では、日本の冷蔵庫が売れない。キムチ保存庫がないからだ。日本向けのキムチは甘いが、こちらは酸味が効いている。旨いキムチをつけるのはよい嫁だといいつつ、やはり時代の流れ、若い世代では、スーパーで買う人のほうが多い。当然のことであるが、韓国では、写真を撮る時に「キムチ」という。断じてチーズではない。韓国では、日本向けにキムチを輸出しているが、それ以上に安価なキムチを中国から輸入している。そんな訳で、食堂に行くと、キムチ食べ放題のところが多いのである。とにかく、博物館では、韓国を代表するキムチ約20種類が展示されており、ポッサムキムチ、ぺチュキムチ、コチュソバギ、カクテキキムチ、チョンガキムチ、胡麻の葉のキムチなど昔から各地方で作られてきたキムチの種類は実に多種多様で、プラステックやけど、食ったろかという気分にもなりつつあるのであった。昔のキムチは辛くなかった。唐辛子が日本から伝わってからだという。豊臣が朝鮮侵略した際に、兵士が足の中に血行をよくするために唐辛子を入れていたからなんて噂もアル。いずれにせよ、唐辛子を初めて食べた人、勇気あるなあ。燃えたのではないでしょうか。それにも負けず、食べるようになったとは、感心である。勿論、試食コーナーでは食べ放題である。しかし、食べる時間もなく、先に急がなければならない私御一行であった。キムチつくりの風景。おねえさんが優しくやさしく教えてくれるのであった。チョンガーとは、独身のことであり、大阪では「あいつチャンガーやからな」と普通名詞になっていたが、私の周りだけか?そんな訳で、そろそろ空港に向かわなければならない時間が刻一刻と近づきつつあった。なんとなく、中国から入ったキムチを暫く置いといて、韓国産として日本に流れてきているのではないかと思うようになりました。しかし、キムチも身近な食べ物になったものだなあ。大学のとき、朝鮮民族問題を受講していたけど、最後のアンケートで、韓国のイメージを書いてくださいとあったので、キムチ、酒強い、と書いておいた。何故だか、単位落とした。キムチ菌というか乳酸菌。キムチ下さいはいどうぞ
2008.11.02
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ああ、なんかどうでもええやん、のほうがしっくりきます。(東大阪市)当て字の店はいくらでもあるが、なかなか秀逸だなあ、と思った次第。花とおじさんって、組み合わせが、何となく危ないと感じるのは、私だけではあるまい。ボケ老人になってしまい、細きかずこに騙されて結婚された人。特殊なピストンを造るってさ、なんだか、少しエッジに感じた昼下がりの秋の風。住宅街を歩いていたら家の壁に鏡があり、自分の性格が曲がっていることに気がつきました。根性もまがってました。子供の頃は、根性ババ色とかいって、他人をからかいました。あ、普通の地蔵が普通の街角にあった普通の風景。普通が一番?平凡であるって難しいことだよ。(八尾市)こんな機械野郎に串かつ作ってほしくねえ。(淀川区十三)こんなクリームやチョコ乗ったビールジョッキーなんて、わしは、飲みとうない。モンモン彫りこんだやくざ牛なんて、わしは、食いとうない。(神戸市)何となく、道端に意識して作られた役人が作ったアートは嫌いだ。(大阪市東住吉区)噴水の時間になっても、浮浪者の方々は、微妙だに動かず、ひたすら、拾ってきたパンをモグモグさせていました。この門、韓国で見ました。バリバリじゃん。バリバリ、最近、死語。2コイチの家が離婚して、分離して、1戸だけがその場に残りました。未練がましいです。日本では各地で見られる寂しい光景です。寒空が始まろうとしているのに、私の心の中は南国か?心なしか、そんな家が見えたようなきがした。東住吉区の針中野で、ハリ治療したい。意思は石をもつらぬく。初志一貫。反対運動の中、黒服着て歩くのはアナーキー。ソウルのスーパーでキムチ買ったら、液体として空港で没収され、空港職員の胃袋行きと相成る。スクウォターのお住まい。私も、なりたいくんに、なりたい。初めて買ったレコードこそ、およげたいやきくんでした、すみません、ありきたりで。女性でも、男性でも、情熱的で、熱心なのは、いい人間だ。(コペンハーゲン)こんなところで、終わりたい。(稚内)石の犬。越境じゃなくて、越冬、死んでるから平気なのさ。散髪屋かと思ったら、ラーメン屋、こういうハップニングが世の中には必要だ。強そうな温泉の湯煙です。突き刺さる鋭利な赤が眩しい。初めは微笑ましい気がするんですが、次第にリードがよくもつれないものだと、感心し、1匹蹴り上げてみたらどうなんねん、と悪魔が囁き笛を吹く。絵馬に得る婦人を思い起こした人、古くて、スケベ。(サイパン)秋であった。意味が分からないところに、素晴らしさがある。
2008.11.01
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