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正月にメキシコで蜜入国させてきた噂のジャンピングビーンズである。驚くべきことに、購入した店の店主は3ヶ月くらいは生きると思うよ、で、暖かくすればもっと、豆がタカタカタ動いて、活発になり面白いよ、でも早く死ぬよ、という忠告を受けていたのであるが、3月の頃、突然、音はならなくなり、死んだと思っていたのだが、本日、家に帰ると、パッパパカパパーンで、蛾が生まれてパタパタ飛んでいるのであった。このまま、外に放つと、外来種が天敵のない日本で大繁栄してしまい生態系を潰してしまうので、ここでぷらっちくの中で死んでもらうことにはなるのだが、それでも、私は、少し、びびり、そして、生きるってコトはいいことだぜと、感慨深くもなり、とりあえず、泡盛でひとつ、一人虚しくも乾杯とご機嫌なのであった。ワタクシは、日本の法律を遵守します、できるだけ。 しかし、考えてみれば、このプラスチックの中で短き一生を終えるのだが、ほとんどの生命体というのは、単なる遺伝子を次に続けるために存在して、世の中の哀れも虚しさもないと考えられる。 最たるものは、ウスバカゲロウであろう。愛はカゲロウなんて歌を思い出した、あなた、古いね。そんな例えにされるのは、こいつには口がないからだ。口がないので、勿論、一生を何も食べも飲みもしないで、死ぬ、死ぬといっても1~2週間生きる。しかし、成虫になって1日目に生殖活動をする。それが愛か?幼虫の頃は、食べる、食べるといっても、幼虫の名前は、アリジゴクだ。アリジゴクとしての期間は2~3年だ。昆虫では長寿だ。生まれ変わって、すぐ死ぬ、そういうのが、愛なのだろうか?愛を理解せぬまま立派な大人になってしまった私は、幼年に教訓を得たのであった。ちなみにアリジゴクには、排泄がない。肛門がない。愛をどんどん溜め込んでいるということなのであろう。分かりました。 反面、以外にも、自然界では蝉も1ヶ月ぐらい生きるらしいね。でも一番長生きするのは、水虫ではなかろうか。質問の答えがこの日記だ2008年正月旅行 ハリウッド、蝋人形館1 ハリウッド、蝋人形館2 ハリウッド、蝋人形館3 ハリウッド、蝋人形館4 市内から空港に戻る、Los Angeles アンティグア観光1 Guatemala アンティグア観光2 Guatemala アンティグア観光3 Guatemala アンティグア観光4 Guatemala グアテマラ歴史のお勉強 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の昼 Guatemala アンティグア、カーササントドミンゴ宿泊の夜 Guatemala パカヤ火山登山 Guatemala ホンジュラスの歴史 Honduras マヤ遺跡コパンにいく Honduras コパン,マヤ遺跡1 Honduras コパン,マヤ遺跡2 Honduras コパンルイナスの夜 Honduras Honduras→El Salvador陸路移動 エルサルバドルのお勉強の時間 El Salvador エルサルバドルの夜 El Salvador サンサルバドル→ロサンジェルス El Salvador サンタモニカへブルーバスで行く、Los Angeles ベニスビーチで今年最後の夕陽、Los Angeles サンタモニカ、Los Angeles ロサンゼルスでお正月、Los Angeles サンディエゴからティファナに向かうMexico メキシコ入国ティファナMexico メキシコ入国ティファナ2Mexico メキシコ入国ティファナ3Mexico サンディエゴの朝夜 San Diego サンフランシスコから帰国 San Francisco アメリカ中米gourmetの旅 お土産 ジャンピングビーン・ジャンピングビーン2
2008.05.31
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八尾市は大阪市の東に位置し、東大阪市の南にある生駒山の麓の市である。歯ブラシ生産量日本一でもあり、全国の4割を占める大富豪都市である。奈良県広陵町が靴日本一であるように、奈良県大和郡山市が金魚生産日本一であるように、そこに存在するのである。今東光、桑田選手、豊川悦治、ジミー大西、河内屋菊水丸の出身であり、アオタサンが住む町でも有名である。何より有名なのが、第2種空港でありながら定期便が就航していない八尾空港である。周辺には違法建築物や樹木のせいで結構問題なんだそうである。神戸空港は第3空港であり、第2空港といえば、福岡空港のように格が上である。八尾には、玉串川というありがたい川が流れており、その少ない藻や流木でできた陸地に亀が群がり、それにドブ鯉が恋をして故意に群がっている。八尾では、さすがに、焼肉もどこかが変におかしいのです。さすがに、ディープ大阪の一派八尾らしく、苦情もむちゃ大阪弁です。八尾の酒屋には意味不明のオブジェもあります。どこの都市かとはいいませんが、全国ひったくりナンバー2です。以上で八尾を語りつくし、終わります。そんな訳で、大阪市内に戻り、法善寺横町水掛さまにおまいりしますが、栄養がいきすぎて、苔が生えてしまいました。 人は、目の前にある水を正確にかけるのも難しく、隣の灯篭にも懸命に水がかかるので栄養過多となり苔が生えています。非常に厳かな気分になります。お参りの後は、大阪プロレスを見た。話題の店には時間がないので行ってないです。最後に、コスプレというか、カツラやに行って終わりました。
2008.05.30
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前にも十分に説明したのだが、覚えていない人は10人中約10人なので、再三説明しておくとすれば、妹の家のキッチンの窓の外の木にぶら下がっているのが、ピーナツが詰まったもので、いろんな鳥が飛んできて、結構、面白いのである。学のない妹ではあるが、横に鳥図鑑を装備し、パラパラとめくりながら、その鳥の名前を調べるという按配である。そんな訳で、その後、イギリスで最も美しいカントリーサイドなんて賞賛されるコッツウォルズに行くと、その餌が2.2ポンドで売っていた、というか、田舎に行くとよくある、無人野菜売りと同じ、無人鳥餌売りであった。2.2ポンドは、英語でいうと約440円である。私は、今回イギリスに行くに当たって、おどろおどろしいところをピックアップはしていたが、概ね、ロンドンに多く、私が今回降り立ったバーミンガムから、もしかしていけるとしたら、ワイト島の蝋人形館かヨークのヨーロッパの拷問ダーク史の人形を集めたヨークダンジョンかというところであったのだが、何故か間違って、非常に美しき村にやってきたのであった。号外・・・・東京税関は26日、成田空港第2旅客ターミナルの手荷物荷さばき場で麻薬探知犬の訓練中に、厚生労働省から借りた訓練用の大麻樹脂約124グラムを紛失したと発表した。 発表によると、紛失したのは25日。麻薬探知犬訓練センター(千葉県成田市三里塚)の男性職員(38)が、香港から午後3時30分ごろに到着した旅客便の乗客のスーツケースの外側ポケットに訓練用の大麻樹脂を収めた金属製容器(縦約11センチ、横約9センチ、高さ約3センチ)を新聞紙にくるんだ状態で入れて、探知犬の訓練を行っていた。 一般客の荷物を使った訓練は内部規定で禁止されており、持ち主にも知らされていなかった。探知犬も大麻樹脂に気づかなかったという。同税関では、持ち主がそのまま持ち去った可能性が高いとみている。 男性職員は「違反は承知していたが、実戦に近い形で、訓練効果を高めたいと思ってやった。過去にも一般客のスーツケースを使った訓練をしたことがある」などと話しているという。同センターでは、成田国際空港署や千葉県薬務課に紛失の報告をした。 東京税関成田支署の田中万平支署長は「麻薬を取り締まる税関がこのような事態を招いたことは誠に遺憾。二度と起こらないよう厳正に対処したい」と陳謝している。(2008年5月26日14時00分 読売新聞) 俺もいつはめられるかわかったもんじゃねえ。人事でないよ、ホウロウサン。とにかく、コツオルズにゆかりの人物といえば、ハリパタや、ピターラビットのポター、オースチンにチャーチル、ウイリアムモリスってところで、何とも、私から遠く離れているような気になって仕方ないのであるが、気のせいである。何箇所かの村を訪れたのであるが、ここはチッピングノートンという村で、村自体は200メートル程度1本道を歩けば、だいたい終わりである。終わりにしても仕方ないので、ティタイムである。茶である。ヨーメイヨーツアー!馬も放し飼いであり、自由に宙を舞っているという感じでもアル。恐ろしいライオンも、放し飼いで自由に宙を舞っているので、気をつけなければならない。しかし、餌は十分に与えられているので襲われることはなさそうだが、じゃれられると、怪我をするかも知れない。 私は、こう見えても、子供は苦手というか、私になついてこないのだが、犬猫はわりとなついてくる方だ。私を見ると、自然に帰ったと感じるのかも知れないが、もしかしたら、そうではないかも知れない。そんな私も、今まで一度も噛んだことのない犬に噛まれたこともあるので、あんまり侮れない。侮れないといえば、フィリピンで噛まれた時は、本気で狂犬病を心配して狂いそうになった。シカシ、何にせよ、私にふさわしい風景ではあることは間違いない。歴史がそれを実証するか、さもなくば無視するであろう。くるくる回っていると、オックスフォードに着く。凄く簡単な言葉であるが、3年前にイギリスの車中で、カーナビが、次のランドアバウトを何々せよ、と何度も命令され、ロータリー交差点であることが判明。イギリスにはやたら馬車の時代の名残かラウンドアバウトが多く、ロータリーのことをラウンドアバウトであるということを知った。高校生の頃から、てっきり、YESのアルバムの名前壊れ物の一曲目の曲「回り道」かと思っていた。次の村に行こうとしていた時、妹の旦那のママから、昼食の用意できてずっと待ってるんだけどと携帯電話が入り、てっきり夕食と思っていたので、腹がパンパンのまま時速120キロぐらいで戻るのであった。勿論、私がせせこましい日本の道路の細々路を超高級車で140キロで走るのとはわけが違う。車は少ないし、アップダウンはあれ、まっすぐな道が続き、ラウンドアバウトのおかげでほとんど信号で待つという行き急ぎにはイライラすることもなく、何と言っていいか考えると、何というかである。そして、私のイギリス最後の晩餐に招かれるのであった。といって戻って食べたのでは下記、フィッシュアンドチップスではないが、これは私が到着した最初の晩に、やっぱイギリスはこれでしょう、といって連れて行ってもらったバーである。というか、正直いうと、最初の晩と最後の晩しかなく、中間の晩はなかったのである。2泊しかヨーロッパでしてないと会社にバラスと、バカにされるので、今のところ、永遠に黙っているともりである。おまけに、お土産を買うほどの経済学的余裕はまだ若き獅子である私にはないのである。あるのはせいぜい熱き血潮程度である。それにしても、連れて行ってもらった店は空いていた。メーデーもあり3連休なので、現地の人は、ユーロ圏、特にアイルランドなどに旅行に行っているのではないかということであった。何せ、ポンドは強すぎて、国内旅行は高くて仕方ないのである。ビール代は、日本のバーと変わらなかったが、このフィッシュアンドチップスでさえ1300円である。白身魚かナイルパーチか。この辺はラグビーの発祥の地であった。ラグビーはイギリス中部のコベントリーの近くにある。何故、コベントリーといったかというと、前にコベントリーからパリに飛んだことがあるからだ。もはやヨーロッパ間の格安航空券はバカである。飛行機代は2000円、空港税は6000円という料金であった。そんな訳で、妹夫婦もヨーロッパの旅行はしまくりである。何せ、格安飛行機の飛んでいる空港まで行くアクセス(自家用車ならガソリン代と駐車料金)が一番高いので、いかに空港まで安く行くかがキーポイントらしい。 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.29
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砲丸を頬で肌触りを感じる。優しいタオル誘惑と瞑想と迷惑人の抜け殻としてのズボン人間の命をすり減らす神々しい乗り物ゴミ箱から腐ったバナナが見える牛の見える家、家を見る牛聞こえる音を絵にする本を匂う女 本はスイフトのガリバー旅行記テントウムシが住む口、テントウムシとミイラ腹痛を我慢する男、100パーセントシルクロードにうずくまる 隣にヤンキー、シルクロードにうずくまる滑走路と虚しい人彼女をさば折にしたポーズで静止アイホープソー!!!!浴槽でクロール!ガンジスでバタフライ!セーヌでドザエモン!鼻にビー玉が詰まり真剣に悩み考える紳士トイレットペーパーが扇風機に当たり、揺れ、足に当たり、こそばい最大の恥辱、髪の長い女性の髪の毛を、鼻に入れられておちょくられる姿電気男にしびれない女はいないぜインド踏査男泣きの涙は雀の涙意思の時代考えたふりをする人退治、胎児、帯磁ジョイントが向こうへ、コカコーラがこちらへ。(owari)
2008.05.28
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生駒山の宝山寺は、商売の寺であり、昔、大阪の商人などが、よくお参りに来ていた場所なのではあるが、その門前町は、いわゆる遊郭になっており、ちょっとお参りに行ってくるわ、といいつつ、遊びに行ってついでにお参りするという歴史があり、今も、細々と営業は続いているようである。風営法と小さく掲げられている。 人通りのほとんどない寂しい通りではあるが、若い場違いと思われる少し派手系女性が歩いているのを見ると、ソレ系の方なのだと、一目瞭然である。生駒山は宝山寺を中心にいくつかの宗教施設があるようだが、その実態は、宗教法人化されていないためか、よく把握されていない。昔、何かの本で読んだが、(あ、崔洋一のエッセイだな)生駒山に西部には、朝鮮のシャーマン信仰の寺もあるということであった。暗峠(くらがりとうげ)門前町はそのまま、宝山寺へと続く。牛の軍団。チベット寺を彷彿させられる原色の幕。チベットでは緑の平原や雪一面の平原の季節もあるが、まったく石だけの、石色以外に色のない風景が360度続くことがあり、その中での崖に張り付いたチベット寺の原色の幕は、天国を思い起こさせられる。昨年、チベットまで列車が開通したが、当時は、バスで2泊した後にラサについた。安多(アムド)というところに泊まった。青海省と西蔵(チベット)自治区の境界(5000メートル超え)に位置するところからチベットに入った最初の町である。海抜4500メートルの高地にある。喉が乾き、よく眠れないまま、朝を迎えた時に、しまった!と思った。高山病による発熱であり、目玉を動かすのも痛い状態に成り下がっていたのであった。もとより、その前後、記憶が不安定になるのである。それは、高山病のせいでもあるが、あまりに素晴らしい風景が単純に何時間も続くのみだからであった。安多を検索すると、どうやら、鉄道の駅になったようで、そればかりが検索されてくる。更に、奥に進む。やがて、霧が益々濃くなっていく。幽界への入り口か、硫黄のにおいがしてきそうな気がする。もやもやは私の頭の中のようである。全体像。生駒駅前は、ぴっくり通り。あー、ピックリした小判!高野山 ケーブルカーで高野山へ 企業のお墓どこかポンチな高野山 金剛峯寺 ビルマ寺おまけ 宗教都市天理おまけ 生駒宝山寺 おまけ 生駒宝山寺2
2008.05.27
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テントウムシが住む口、テントウムシとミイラ彼女をさば折にしたポーズで静止本を匂う女 本はスイフトのガリバー旅行記滑走路と虚しい人腹痛を我慢する男、100パーセントシルクロードにうずくまる 隣にヤンキー、シルクロードにうずくまる鼻にビー玉が詰まり真剣に悩み考える紳士トイレットペーパーが扇風機に当たり、揺れ、足に当たり、こそばい最大の恥辱、髪の長い女性の髪の毛を、鼻に入れられておちょくられる姿聞こえる音を絵にする人の抜け殻としてのズボンゴミ箱から腐ったバナナが見える牛の見える家、家を見る牛人間の命をすり減らす神々しい乗り物ジョイントが向こうへ、コカコーラがこちらへ。砲丸を頬で肌触りを感じる。 優しいタオル誘惑と瞑想と迷惑新幹線をヒッチハイクサドゥVSラスタマン 朝日を祈る、その川にドザエモン
2008.05.26
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生駒は奈良県でも、なかなか絶妙な立地であり、十二分に大阪通勤圏内の場所である。大阪のミナミを出て、東大阪を抜け、生駒山のトンネルを越えると共に、速効で生駒である。それも、急行でビビュンと言っちまうので、東大阪の東部地域(奈良寄り、生駒寄り)の普通電車しか停まらない地域よりも、時間的には早く大阪市内に入ってしまうということもあり、東大阪の若い市民は大阪市や生駒市に引っ越すことも結構多いという有様である。おまけに大阪の工場の悪い空気は、東へと流れ、生駒山にぶつかり、東大阪に落ちていくということも噂され、一山超えた生駒の方が空気がよいという噂もあるほどだ。 それよりも、いつもより早く寝たために、夜が長かったきがするどころか、原爆が隣町で爆発するのを眺めている夢を見た。ガソリンが下がって上がったけど、下がったより上がった方が大きかった。25円以上上がった。便乗値上げされたな。石油にことだけど、こういった最近の石油価格高騰は、投機のためだけであるので、ほんま腹立たしいわけである。原油先物取引市場では実際の取引の1000倍から2000倍もペーパー取引が行われている。第一次オイルショックまで1バレル3ドルの時代が何十年も続いてきたことが嘘のようである。ガソリンリター170円とするとおおよそ、税金60円、原油輸入価格80円 、物流・生成費10円 、元売と給油所の利益20円ということだ。(私の勝手な計算、多少間違っているだろう)4割は日本国内での税金。1バレル120ドルとすると、1リットル80円の元売。ちなみに、この80円のうち、7割8割がその産油国の課税というから、石油原油会社の入る金って10円未満ってことだわな。ということは、原価は数円のはずである。 最近は、ホントに100万人にひとりのスーパークラスな人間が出てきて、その他多くの人間を圧迫しているが、その人間がどこに集まるか、一つの指標になるのが、ガルフシトリームなどの自家用ジェットの離発着であろう。世界で行われる会議やイベントにどれだけ、ヤバイ人間が来ているかはその近くの空港に行くことか。同社機がもっとも多く集まるのは、スイスのダボス会議(世界経済フォーラム)らしい。その日は世界1500の同社プライベートジェットの1割がチュリヒ空港に集まるという。きっとヤバイ会議が行われているのだろう。そしてこういった人々は、地元であう人間より、各種世界中のパーティや会議で出会う知人の方が多くなるのであろう。 飛行機といえば、でもないが、先日成田空港30周年ということで、奇しくもA380エアバスシンガポー航空も天候で遅れてきて何だか成田の先行きを示唆するような日であった。元々、無茶苦茶な空港であることは、日本人だけでなく、その不便さをやってくるガイコツジンも思っているはずである。当時の技術では、海上に空港を拡幅というのは無理だったかもしれないが、今や、インチョンも香港も海上に24時間空港を作り、日本も羽田沖に拡幅できるようになり、成田の役目は終わりつつあると思う、ざまあみろだ。国交省もやっと、海上拡幅に伴い、2010年よりアメリカやヨーロッパ便の発着を羽田より認めるようになり、千葉県民以外の人々というか、今まで不便に思っていた人々にとっては朗報であろう。この際、かねがね私も主張するように、横田基地と成田の交換と羽田沖拡幅の2台柱でどうかね。 というか、写真のことをすっかり忘れていたのであるが、私は奈良県生駒で1年ほど働いていたことがあるのだが、生駒山には行った事がないし、一度、ケーブルカーに乗ることにした。とてもファンシーファンキーであり、乗客は大喜びだ、というか、誰も乗っていなかったりもする。てなわけで乗るのが恥ずかしい。生駒山山頂に行くのは、乗り換えが必要なのだが、乗り換え部分で、また待ち時間があったので、諦めることとした。諦めた結果、分かったことは、時間を有効に使うということであった。しかし、時間を無効に使うことは最高の贅沢でもあることを思うのであった。高野山 ケーブルカーで高野山へ 企業のお墓どこかポンチな高野山 金剛峯寺 ビルマ寺おまけ 宗教都市天理おまけ 生駒宝山寺 おまけ 生駒宝山寺2
2008.05.25
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小学校低学年の頃の行動範囲というのは、往々にして、せいぜい次の駅であったろうか。たまに、親の教育の一環として、どこどこみにいってごらん、とギリギリの金を渡されて、友達と、史跡や、映画を見に行ったりということはあった。 ビルマ寺に入った。そこに、小学校低学年らしき子供が二人、見学していた。周りの景観と違うド派手なタイビルマにあるピカピカ寺に、子供的感覚がピピーンと来たのではないだろうか。 しかし、寺の奥に、地下に下りることができるようになっており、しかも、真っ暗で、壁には「手すりを持って歩いていってください」と書かれていた。子供はびびった。そして、受付に戻り、受付のおばさんに、「ここはオバケ屋敷?」と尋ね、私は隣で聞いていて声を出さずに爆笑した。受付のおばちゃんは「オバケ屋敷違うよ、涅槃像があるのよ、坊や達ドコから来たの?」といい、子供達2人組は「ナカモズから来ました。」といって、オバケ屋敷じゃないんだ、といって、二人手をつないで地下の闇に消えていった。その後、マニ車のように、仏像の前で、お経をくるくる回すのがあったのだが、子供らしく、自分が回っていたのを目撃し、またも、私は子供の浅知恵に、声を出さずに笑ったのであった。子供達は、無理やり親に言われて、高野山に来たのであろうが、そりゃ、あんまり面白くなかったのであろう、帰りのバスでまた一緒になったのだが、疲れていたようであった。ケーブルカーは当然、一番前をぶんどり、(私は一番後ろをぶんどり)乗り物はやはり子供らしく楽しそうにしていた。普通電車に乗り、橋本に着くと、1時間に2本はる急行電車が出たばかりで、3分後の特急に乗るか、30分ホームでボーっとするか。選択を迫られてしまうのである。特急料金は500円である。私は、大富豪が故、大人の見栄もあって、数秒考えたが、特急券を買った。関西においては、私鉄で特急料金を取られるということに関しては、かなりの抵抗があるんである。私のかつて利用していた阪急、阪神、京阪は特急に別料金を取られることはなかったから、特にそう思うのである。 特急に乗り、座席に座ると、例の子供達二人組が、ホームの地べたに座っていた。友達といるだけで楽しいのだろうな、と思いつつ、親にはちょうどのお金しか渡されていないと想像されて、結構、微笑ましかったのであった。ワンパクでもいい、逞しく育って欲しいのマルダイハムなのであった。少年よ、妄想を抱け!である。情けねいのは、最近のオヤジやババアである。まず、橋本駅で特急券を買おうとしたオヤジ、「これ、行きの特急券使えないの?」と真面目に駅員に質問。その後、特急に乗ってきた別のオヤジであるが、大声で「禁煙車って喫煙か?」と大真面目で大声を出していた。そして最後に、検札にきた女性車掌に、特急券を持っていないことがばれ(というか、私の席に座っていたババア)「何で、こんな短い間に、別料金なん!直ぐ来た電車に乗っただけやん!」と抗議していたババア。少年たちよ、こんな大人にならないで下さい!電飾入りのブッダも大活躍です。今は亡きキンサンギンサンです。全く、カワイイだなんて老人を馬鹿にしたバカ騒ぎでした。チャイティヨ・パゴダも紹介されてますた。最後に今日の主役の2人の子供たちの登場です。高野山 ケーブルカーで高野山へ 企業のお墓どこかポンチな高野山 金剛峯寺 ビルマ寺おまけ 宗教都市天理おまけ 生駒宝山寺 おまけ 生駒宝山寺2
2008.05.24
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それは、ベルヘルム2世である。コスプレ王である。特にスコットランドの男物スカートがお好きであったようである。ベルヘルム2世は勘違い王でもあった。世界の王になりたかったというか、寒いのが嫌いだったので、南の海に行きたくて領土が欲しくて、イスタンブールに乗り込んで行ったりしてるのである。ベルヘルム2世のエピソードとしては、ドイツ人が初めてキリマンジャロに登ったからという理由で、あの山欲しいよ、ほしいほしいと祖母のビクトリア女王におねだりしたのである。そのため、子煩悩かどうか知らないが、祖母のイギリスが持っていたケニア領にあったキリマンジャロを、ベルヘルム2世のドイツ領タンザニアに国境線をずらしたという噂。おまけに、ドイツでは、第一次世界大戦が始まって、ドイツ革命もおきて、オランダに亡命したどころか、晩年はヒトラーから多額の年金を提供されて、反ナチスの立場もとれずと、フリードリヒ大王やビスマルクは尊敬されているが、ベルヘルム2世の評判は現在も散々君である。 ところで、全然関係ないが、マサコちゃんの話をしてもいいでしょうか。類まれなる才女、バリバリキャリアウーマンが皇室なんかに入っちゃったこと、カックンのきわみみたいなことを言われてるけど、よくよく、調べてみると、確かに賢くないと無理なのだが、いわゆる世間の思っているほどではないことがみえてくる。 まずは、その田園調布の何とか有名小学校であるが、初めから試験でバシッと入ったわけではなくて、親の海外勤務の帰国に伴い、母の母校であるこの小学校の編入試験を2回目で合格したわけで、いわゆるお受験はしていない。東京大学には、これも、学士入学で編入なので、いわゆる東大入試を受けたわけではない。日本の学士入学はアメリカの大学に似て面接とか論文の比重が高いのである。父親はハーバード大学卒業の東大客員教授で外交官という何らかのコネがあったと考えるのもおかしくはない。それに、在学中に外務省に入ったので、中退しているので、東大法学部としての能力は不明のままだ。外務省は、今は国家公務員試験であるが、当時は、外務省独自の試験であったからこれまた親の七光り説もあるかも、というか、事務次官候補者の娘さんが受験してきて、落とす勇気のある人事担当者がいるだろうか。(実際、外交官の子供は外交官が多かった)その後の仕事振りも不明であるが、英国留学、国際機関何課、北米何課とか、ソレはソレは外務省でも栄光の所属であったが、何せ、父親が現役の幹部であった。まあ、あまり、サラリーマン社長が自分の子供を同じ会社に入れるかどうか考えてみれば、まあ、公私混同と思われて親子共々嫌なんじゃないでしょうかねえ。やっぱ、どちらにせよ、生まれたときから違うせかいかって?ていうか、うわさばなしばかりして、わたしもおばさんみたいでやーねー。 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.23
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ドロドロに解けたようなドロロン閻魔君の帽子のような物体から鋭い眼が覗いてます。 むむ、少し外れた道を行くと、何だか、ピラミッドか、アンコールワットか、ボロブドゥールのような物体が見えてきた。無縁塚の団体様の塊であった。前を歩くハイヒールで歩きにくそうな女性も、そのおどろおどろしさにチラ見するだけだ。とんでもない案件である!地蔵に涎掛けに頭巾、そんな集団を彼女達は、順調に無視した。その後、歩いて行く人々も無視し、私だけが真剣に眺めているのシュールな姿であった。無縁といいながらも、名前が入ったものもあります。 穴が開いているその奥にもぎっしりお地蔵さんが詰まっています。こっそり、誰かがいらないものを置いていった可能性もあります。 数える気にはなれませんでした、ごめん。 積みきれないお地蔵さんは、脇に置かれてます、ペコちゃん。汗かき神社に辿り着いた頃には、かなり汗をかいていたことは秘密です。 スーパースター弘法大師の奥の院以外、色のない墓が続いてましたが、ただひとつ、ナイスなコンクリート青一点。墓シリーズも終わりかけ、参道が一般道路と併走するようになり、俗界の看板が見え始めました。 高野山では、年をとったら実践したいと思います。高野山では、宿坊の前に何故だか貴様と俺とは同期の桜なんです。高野山では、御影石磨きの墓以外にもキャラクターグッズ石売っているんです。高野山では、何が何でも「だらにすけ」高野山では、胃腸には、大師だらにすけ、なんです。とにかく、高野山では、延命にはだらにすけ丸なんです。脳源なんです。 とにかく、高野山では、独特の方法があるんです。 神様の戸籍と、どんな病気も治る秘霊符にチャレンジしてみたいです。高野山では、布団屋もキャラクターモンなんです。高野山では、土産物屋でも、ゆっくり休憩できないんです。高野山では、救急車の文字はロシア語キリル文字のように鏡文字なんです。おまけにナンバーはシブク119なんです。 高野山では、信号機にキャラクターを入れることが条例で決められているんです。高野山では、「しょうかせいのち」と一瞬読んでしまうほどの混迷振りだったんです。 高野山では、私よりケーブルカーはぼろっちいのです。 高野山での不謹慎な厳しい修行を終え、私は帰ります。電車の中で学文路(かむろ)駅に私の恋心を揺さぶる看板を見つけました。カムロは、18年ぐらい前に、仕事で行ったことがあります。しかしその時はウブだったので気がつきませんでした。今後のターゲットの一つとなりそうです。高野山 ケーブルカーで高野山へ 企業のお墓どこかポンチな高野山 金剛峯寺 ビルマ寺おまけ 宗教都市天理おまけ 生駒宝山寺 おまけ 生駒宝山寺2
2008.05.22
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20年程前、霧の中、少し肌寒い季節、3ヶ月程度のアジアの旅から帰ってきた秋に高野山に行った。高野山には、老杉の中に20万とも30万とも言われる有名無名の墓がある。日本の場合、家族や一族で墓に入ることを考えれば、おおよそ100万人は葬られている死者の町なのである。何せ高野山の生きている人口は4~5000人である。正しく死者の都市である。人類というのは、諸説があるが、二本足で立ってから死んだ人口が、今と生きている人口と同じ60億人程度から2、300億人程度という幅があるとしても、それでも、2~300億人である。ほんの2,300年前、産業革命で爆発的に増えた人口も世界人口は10億人それまで農耕の始まった頃の1万年前といえば、1億人、キリスト生まれた頃で、2億から3億人、そして戦後20億人、わずか50年で60億人・・・20年前、私は、アジアの旅に出た頃である。旅とは恥ずかしい言い方ではあるが、何度か書いたように、当時感化されるような書物はそう多くなかった。インド本で文庫本になったのは10冊もなかったと思う。その中で藤原新也氏の「全東洋街道」の日本の終着点に高野山があった。 学生当時、日本国内の旅行は高くて、そうそうできるものではなかった。しかし、私は、かぶれていた精神を発揮し、テントを持ち、高野山に行った。高野山は、900メートルのところからいきなり盆地になり、その盆地に、山々が重なり、地形的に、空海が彗眼で撰んだだけある、特殊な地形である。蓮が咲いているような形なのである。20年前は、金はなくとも、学校をサボる限り時間があった。他の学生同様インチキな学生だったのである。日本の大学生の特徴は、その人生上あまり多くない、その若くて自由な時間にあるのであって、勉強が好きなら勉強してもいいが、何もしたくなかったら何もしなくていいとう、そういう意味では世界まれなる一般平民が味わえる素晴らしい時間帯だったのであった。高野山の麓から歩いて登り、それゆえ、地形的なものがよく分からないまま、どこだか分からない宿坊の近くの森で、テントを置き、不法に寝たのであった。平日だったからかも知れないし、世界遺産でもなかったので、人はほとんどいたような記憶はないし、墓と杉の中の済んだ空気の中、深山を歩いた記憶しか残されてなかった。街の記憶はなく、金剛峰寺の国宝の屏風は見たのだが、今回、こんなに大きな寺だったということは記憶にない。 私は、この日記を書くに当たって、暫く、前東洋街道の本を10分近く費やし、探し出した。この本からの私の忘れえぬ2つのフレーズ、人間は肉でしょ、気持ちイッパイあるでしょ・・・・と、もうひとつ、高野山の最後のフレーズ、旅はバイブルである・・・そのフレーズがなかったのである。20年間、ずっとずっと、最終章最後のページに書かれていると思っていたのに、それはなかった。あったのは、人は生きていくのにいくつかの節目があるように、旅の氷点があるということだった。すっかり私は忘れていた、というより、どこかで何かとすり替えされていたのであった。どのあたりに泊まり、どのあたりを歩きという記憶は失い、総本山奥の院でさえ、行った覚えがなかった。あったのは、その墓場の参道だけであった。皇族公家に大名、戦国大名に至っては6割以上、それは20年前も気がついたのであった。そして、私は、死者の病に冒されるかのごとく、眠れなかったことだけであった。その夜、私は、買い込んだバーボン、アーリータイムスを1本空けたことだけは覚えている。そして、ほとんど眠らなかったことも覚えている。参道以外は金剛峰寺に行ったことだけは覚えているが、その他は何も覚えていない。私は、浮かれていたのだ。多分。帰りの電車の中、揺られながら、私は、大いに眠ったことは覚えており、すぐに、大阪に着いたような気がする。とにかく、高野山に行った頃、若気の至りというほどのハイな状態だった。ハイになりすぎると、落ち込むことを知ったが、学生時代は、自分を突き詰めたり理詰めで固めてしまうほど時間があったのだ。何だかそんなことを思い出し、今、苦笑いしている。それにしても、弘法大師は、日本のスーパースターであることを改めて感じるのであった。高野山 ケーブルカーで高野山へ 企業のお墓どこかポンチな高野山 金剛峯寺 ビルマ寺おまけ 宗教都市天理おまけ 生駒宝山寺 おまけ 生駒宝山寺2
2008.05.21
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ホウロウのタツジンサンに、タノマレテ、デブサンをニホンのシュウキョウのソーホンザンともイウベキ、コーヤサンをアンナイするコトとナリマシタ。オオカサシテーから90フン、ナンカイデンシャのキュウコウにノリマス。ケッシテ、タカイオカネ(850エン)をハラッテトッキュウにノッテハイケマセン。タッタ15フンしかチガイマセンカラ。ゴクラクバシエキはシュウテンナノデ、もしデブサンがアワテンボでも、寝ててもダイジョルブです。ソコには、ミンカのイッケンもナイので、ソノママ、ケーブルカーニノッテクダサイ。ジカンガアレバ、デブサンのスキナハイキングもカノウです。モシヒガエリがスキナラ、ケーブルカーをオススメするシダイです。コウヤサンは、ニホンのサイコウホウボウズのクウカイが、ヒライタ、900メートルのヤマのウエにアル、ニホンサイダイキュウのシュウキョウトシです。イッパイ、ガイコクジンもイマスよ。デブサン、ヘンカンがメンドウなんで、ソロソロ、カンジとヒラカナもマジエテもイイデスカ?(ハイイイデスヨ)デブサン、ケーブルカーを降りたからといって、いきなり歩いていくと、いきなり、南海バス所有の専用道路なんで、歩いていると、私のように怒られるので、怒られる前に、素直にバスに乗ってください。1日乗車券は800円ですが、2回しか乗らないなら買ってはいけません、一番奥まで行って400円、戻ってきて途中から乗って駅に戻ると350円とかですから。100メートルで気温が0.6度下がることはご存知でしょうが、体感温度は、オーストラリア人さんはどうでしょうか?だいたい、5,6度下がりますが、大丈夫ですか?但し、デブサンが3回以上乗るつもりなら、買った方がお得度はドドーンと増します。余ったお金でオーストラリアに帰れるぐらいです。バスは、一番奥の奥の院で降りてください。いろんな企業のお墓とかありますが、デビサンは興味がないかも知れませんし、写真をバシビシ撮っているのは世にも奇妙な一流のブリガーぐらいですから、順調に無視してくださいね。無視したくても、シロアリいますからね。ニホンゴでいえば、ホワイトアントね。親鸞聖人は、私の宗教の開祖でもあります。南無阿弥陀仏です。はいリピート、デブサン、ナームアーミダアアアアブー。>デブサン、あなたの国の宗主国の英国何チャラ寺なんです。デブサン、ラッキーです、この時期、紅葉の紅葉を見ることができるなんて、デブサン、チアフルワンダフルテルブル。今、中国が大変になことになってますが、ついこの間も、関西では、大地震があったんです。被災した市民なら誰か知り合いが死んでるはずなんです。私の場合は4人です。アボーン。アボーン、アンボン島はですね、オランダ領インドネシアの島でですね、デブサンの祖国オーストラリア人捕虜が、日本人に多く虐殺されたとこ。僕らは、自虐的にいうけど、そんな子孫なんだ。アボーン。日本人はこんな島知らないだろうけど、きっとデブサン、あなたなら知っているでしょ。お次は、東ニューギニアです。ニューギニアは世界で2番目に大きい島ですけど、デブサン、戦時中はあなたの国の植民地だったそうですね。ここで、マッカルサーと終戦まで日本軍は戦い、というか飢えと戦いですね、20万人のニポンジンの18万人が死にました。戦艦陸奥で死んだ人々の墓です。陸奥はねえ、戦地でチンポツしたのではなくてですね、広島で停泊中謎の撃沈。乗務員も爆破でほとんどショック死しちゃったの。スパイの仕業かと思うけど、当時、結構、いじめによる自殺は多かったのね。爆破自殺説が濃厚なの。結構、自殺自爆で、船、沈んだらしいよ。日本有数の、ハイカー、松尾芭蕉です。日本語で単純英訳して言うと、Parents are frequently deep and baby's voices・・・うーん、すごい情緒だねえ。深いねえ、デビサン、ハルジサンのチェックを受けそうなぐらいスゴイデス。昔の人の墓は、ダンゴなんです。おでんのだんごといいながら、もう少し詳しくいうと、5段の上から空、風、水、地、あれれ、もういひとつはですねえ、ちょっと待って、ネットで調べるから・・・・空と水の間に火がありました。そこんところよろしく。日本人で知らない人はモグリともいえる有名人、豊臣秀吉の墓です。彼は、刀狩や太閤検地に隣組の整備やなにゃらで、日本人を右に倣え人間に仕立て上げたことで有名な人です。日本人気質はここで屈折の芽生えを迎えるのです。あと彼で有名なのは指が6本あったことでしょうか。それと厳しい性病でしょうか。水をかけるといいことがあるそうです。もう飽きてきたから解説やめていい?デブサン、これは織田信長これは、親鸞の先生。浄土宗。加賀の前田家、3番目にでかい墓。一番大きいのは、秀吉の奥さんか何かの墓だって。市川団十郎大名、チョット違うけど、ガイコクジンワカラナイから大丈夫。明智小五郎石田純一島津はこちら伊達政宗はこちら疲れたら座ったらいいってわけではないですよ、弘法大使が座った岩ですから。徳川家はハートなんです。武田シンヂ、それはボクの友達の名前です。毛利です。無能が3本の槍を一緒におるぐらいなら一人ずつ折れと諭しました。ここから先は、写真ダメです。川に何かが突き刺さってます。ヌードもダメです。酒もダメです。マリワナもダメです。スケベイなこともダメです。向こうに見えるのは奥の院、空海がいます。さすがにチベットを思い起こさせる色合いです。デブサン、ちょっとは勉強と観光になりましたか。高野山 ケーブルカーで高野山へ 企業のお墓どこかポンチな高野山 金剛峯寺 ビルマ寺おまけ 宗教都市天理おまけ 生駒宝山寺 おまけ 生駒宝山寺2
2008.05.20
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まずは、マイひしゃくを勝手に拝借して手を洗う。しろありよ、永遠にねむってもいいが、それなら、普通の蟻の将来はどうなるんどえしょうか。シャープです、亀山工場に続いて、大阪は堺に進出して、建築費高騰を煽ってます。日本臓器製造。ア、違う、日本臓器製薬です。新明和工業のお墓は、ロケットです。土木建築殉教者達よ。ドバイを中心に最近建築費が上がってしゃあないよ。福助です。こちらは、アジア航測グループ御一行様です。どちらかというとテトラポットです。この企業とは、カップを見たら、社名をみなくても、何となく、ウエシマコーヒーと想像されました。カップの中には、コーヒーかと思いましたが、透明なコーヒーでした。この企業のお墓では、今から律儀にも式典があるようです。ジェイテクトです。福助なんです。企業のお墓には、何故だかどこにも名刺入れがあります。入れといたら、優待券でもくれるとうのだろうか。いろんな動物も、ペットかどうかは分かりませんが、合同のお墓を作ってもらいました。うさぎとか馬とか猿とか帽子かぶせられたりとか牛とか鶏とか羊とか・・・あれ逃げ出している・・・何が逃げ出したかは、私も想像できるわ。エトサン。日産自動車で亡くなった方もおられるのですよ、ゴーンさん、ご存知?献体しました。我妻が三途の川で待ってますが、両目は盲目になってます、献体したから。千代田生命ですが、できるだけ、保険会社は保険を払いたくありません。しかし、この石柱だけは、参道に面して企業アッピールしてます。紀陽銀行までですか、過労死なんでしょうか。事故死はなさそうに見えるのですが、どうでしょう。密かに、お遍路さんの後ろにも、ニューな方がおられます。ゼネラル永治達の方々です。黒光りしてます。(ごねん、ゼネラルさんのことはしりませんでした)犬も立派な墓をもらいました。少し生意気で幸せですね。四国お遍路さんのお墓も十分準備しておりますので、遠慮なくくたばってもいいですね。ヤクルトなんです。ヤクルトおばさんなんです。かつて、上海で、ヤクルトおばさん大人気で、みんなが皆、ヤクルトおねえさんしていたこともあった。ドレスメーカー学園大集合です。東洋ゴムです。ストゥーパのような形がに、土嚢になっとる。石材なので、墓は石で作りましたがよろしいでしょうか。お茶目な色のお墓ですがよろしいでしょうか。クボタです。石綿の人々にも、です。江戸東京消防、よし!田口さんなのか、田中さんなのか瀧口さんなのか、いちよし!高橋商事サンメンバーズ高橋不動産埼玉グランドホテル埼玉セレモニーと、何とも欲張りというか、資金不足というか、こんなけ経営してるんだおいう自己顕示欲か。老人会御一行です。名刺入れたらごりえきありますか。写真のお墓です、写真入りです。写真を永遠に残せるっていいね、何だか、香港に来たみたいです。らくがきをしてもいいところのお墓提供は丸善アチャコでした。強い動物碑です。高知県のあかんぼうは、何故だか、ケンシロウみたいな手をした観音様ポーズを祭ってます。ボクの親友にコマツ君がいますが、彼は、機械メーカーの小松に行かずに、エーザイに行きました。でも、ボクの親友のスミトモ君は、名前が同じだからという理由だけで住友銀行に行こうとして、実父に怒られました。景教ってさあ、中国に伝わったネストリアス派のキリスト教のことだと思うんだけどさあ・・・飛行機です。ここまで南海電車にのってきました。はっきりいって、関西で一番品の薄い電車です。江崎グリコです。隣は狐目の男の墓です。今やグリコの主力商品はお菓子ではありません。これは、飛田の遊郭の女郎たちを弔っておるのか、素晴らしい。東洋製紙です。小林製薬ってさ、企業にくせにホームページ面白いんだよね。松下電器、結構、ジミーな感じです。森下仁丹です。とても勉強になったと思いますが、結構、バブル時期に作られたものも多く、その頃に建てた企業は、結構ほったらかしだそうです、チーン。graveは埋葬のために掘った穴が語源、tombは埋葬された上や下にある墓石や墓標。墓参りはグレーブ、歴史的な墓の見学はトンやね。高野山 ケーブルカーで高野山へ 企業のお墓どこかポンチな高野山 金剛峯寺 ビルマ寺おまけ 宗教都市天理おまけ 生駒宝山寺 おまけ 生駒宝山寺2
2008.05.19
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空港で余ったスペインペセタをマルクに両替する。空港詰銀行マンは「わおっ、君はスペイン人かい?」と派手な反応をするので、「気持ちはね」といった。結局、八時間で出会ったドイツ人で一番陽気な人だった。 イミグレーションの仕組がよく分からない。EC加盟国らしき白人は、どんどん外へ出て行く。気の弱い私は、黄色人種が同じ様に通り過ぎて行くのを確認して、ドキドキしながら外へ出た。「おい、ちょっと待て」なんかゆうなよ、と祈りながら。 そういえば、何かの本で昔読んだ。スイスに入国する時、その人はスタンプを集めていたので、イミグレーションオフィサーに「パスポートにスタンプを押して下さい」と頼むと「そうすれば、私は君に対してこの国での責任をとらなければならなくなるんだよ」といわれて、断られたという。 何か、密入国したような感覚に陥り、足が不自然に速くなる。列車口を探すが改札口がない。自主的に買わなければならないらしい。いい人の私はキセルなどできない。それに、こういったシステムは、見つかれば問答無用に罰金なのだろう。乗り越しという概念はない筈だ。感嘆仕切れぬ良心の呵責だなあ、と思いながら、列車に乗る。 フランクフルト、駅を出ると、どんよりとした天候、ごみくず。何か、ルフトハンザ航空で見たフランクフルトの紹介ビデオ、ファイナンシャルシティとはえらく違い、ちょぼくれている。駅前の安っぽいポルノ小屋やピーピーングルーム、エロビデオセンターなどなどばかりだが、人通りは少なく、呼び込みがジャンパーを羽織って震えている。枯れたソドムの世界。いきなり駅前から裏街道開始、わびしい欲望の世界、先進国と呼ばれる国での寂しい一面。それら副産物を惜しげもなく顕にしているきつい現実。多少愉しくなってきた。 しかし、私の目指すところは、さらに先だ三百メートルぐらい。ガイドブック「地球の歩き方ヨーロッパ編」のフランクフルトの二ページを千切ったものを見ると、番外に「デンジャラスゾーン、要注意はシラー記念像近く、行っちゃ駄目」と書いてある。「ここだあ」と私は静かに叫んだ。 シラー広場。零度。寒いだけで、人影さえない。寒いだけなのだが、自由の空気が流れている。そして、緊張の空気が流れている。その自由と緊張をどうやって弄ぶかが問題だ。 暖かい季節にここに集まる人々は、今、きっと、先程地下道で見たように、少し暖かい所に移動しているのだろう。次回、交ぜてもらうよ。 意味もなく、ずんずん進み、川沿いの美術館や博物館や記念館を順番に入り、何度か職員に「こんにちわ」と日本語で声をかけられた。やはり、同盟国に共感があるのだろうか。ヨーロッパでは辺境だからなあ。内面的自由を得てこそ、初めて外面的自由を獲得する。深みが重要である、トーマスマンはいっていたような気がする。そう思いながら、また空港に戻って行った。 旅の余韻は一週間しか続かなかった。一月十七日の地震まで。 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.18
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空港で二千円をユーロに両替する。フランクフルト空港は世界でも有数に便利な空港だ。オランダのスポール空港もアムステルダム中央駅まで四駅二十分だが、フランクフルト空港からは、なんと3駅10分でフランクフルト中央駅である。 EU連合になってからは、EU以外から来るとイミグレーションがある。イミグレーションの外にEU内の飛行機の出発ゲートがある。昨年のオランダも、スタンプは乗り継ぎのために最初に降りたフランクフルトになっている。空港から出ていないのにである。 フランクフルト市内に入るのは、13年ぶりということになるが、考えれば、社会人になってからのヨーロッパデビューはスペインであり、その帰りにドイツに寄ったのであった。過去の記憶を手繰り寄せようとするのだが、暖かいスペインからどんよりしたフランクフルトに入った心情だけがまだ残っていた。 列車に乗るり、トンネルを越えると緑の中。フランクフルト中央駅の1つ手前まで緑の中を走る。アムステルダムも同じだ。大都市なのに、何故、住宅街がないのか、良く分からないのだが土地の有効利用ができているのか。 フランクフルト、駅を出ると、晴れやかな天候、ごみくずもなく、天候や気温でこう印象が変わるものだと思う。しかし駅前は相変わらず、安っぽいポルノ小屋やピーピーングルーム、エロビデオセンターなどなどばかりだが、その部分だけは人通りは少なく、女性おばさんに入れと呼び止められる。枯れたソドムの世界を歩く男は、割と入っていく。いきなり駅前から裏街道開始、わびしい欲望の世界、先進国と呼ばれる国での寂しい一面。それら副産物を惜しげもなく顕にしているきつい現実。やはり多少愉しくなってきた。 しかし、私の目指すところは、更に意味なく、進むのであった。 今回は、前日に、徹夜に近い状態でフランクフルト情報を集めたのだが、おおよそ、見所のない所ばかりで、どうも珍スポットとかもない状態で、大変困った状態となり、思案している間に、寝過ごしたという経緯もあったが、とにかく、歩くのであった。ヨーロッパでは珍しく、高層ビルが集まるフランクフルトではあるが、高層ビルは、我々にとってもう珍しくもないものであり、ニューヨークや香港や上海で十分というイメージだ。 アンナカレリーナにはこうある。幸福な家族は、おおよそ似通ったものだが、不幸な家族は、その不幸がどれも違っている。勿論、スターバックスも物色したが、珍しく、店員が寄ってきて、何も買わないのに、ダンケシェーンといってくれた。日本みたいやな。全然関係ないけど、歩いていて琵琶湖の面積640平方キロメートルに世界人口66億人を集結させれば、一人当たり0.1平方メートル、つまり30センチ角の中の満員電車状態に詰めると、琵琶湖に入るぐらい、そんなたくさんの人間が世界に住んでいるんだなあ、と思う。 帰りの中央駅で切符の買い方を自動販売機で押すべき番号を確認していると、話しかけてきた中年男性がいた。ドイツ語かと思い分からないと思っていると、ドイツ訛りの英語であり、空港に行くのかといっていることがわかり、ボタンを押してくれた。ありがとうといい小銭を入れていても、彼は何故か離れず恨めしそうに自動販売機を眺めている。お釣りをとったところで、少し分けてくれといわれ、0.1ユーロ渡す。彼は微笑んだ。電車に乗り、ドイツにもどこにでも生活の厳しい人はいるものだと思っていたが、ふと気がついた。彼は、旧東ドイツの人間だったのかも知れないと。併合した時、西ドイツの6割の力しかなかった東ドイツ、そして、シュタージュなど秘密警察で働いていた人間は、もう、どうしようもなかった。ソ連東欧の崩壊で、どの国が一番酷かったか考えると、いうまでもなく、東ドイツだろう。国家がなくなったのだ。彼は、東ドイツで従順な国家公務員だったのかも知れない。しょぼくれた目と自分の運命を呪う姿が頭を過ぎった。 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.17
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私の場合の特殊事情として、私としては、温和とハンサムと柔軟性だけが取り柄なので何ともいえないのではあるが、先日100メートル先のマンションにて殺人事件があったのである。奇しくも、私が、一度は検討した物件である、というか、奇しくも不思議な物件であったことを覚えている。その部屋は、実は、かなり格安だったにも関わらず、永らく埋まってなかったのである。多分、私は怨念や因縁は信じないが、その部屋はもともと自殺か孤独死か何かがあった物件であろうと想像される。だって、格安でそんなに長く埋まらないはずがないと思ったのであった。奇しくもその部屋で殺されたというのは、少しヤバイと思って、もし、私が借りていたら・・・と思うと、やっぱり殺された時間帯は、決して私が家にはいない時間帯なので、死ななかったと勝手に解釈する。不思議なことに、阪神大震災も、私は思うのである。もしあの地震が2時間遅れの通勤時間帯であったならば、電車は倒壊して死んでいたかもしれない・・・ノンノン、私は、偶然にも働きすぎで平日であった1月17日は代休を取っていたのであった。つまり、午前中は元々熟睡予定だったのである。偶然にも、今回も私は、中国四川省にも、ミャンマーにもいなかったのである。本当に偶然だと思う。そうやって、常に誰もがいつ死ぬか分からないと漠然と思いつつ、自分だけは死なないと思っている所存なのである。そうやって、私はあまり怒らない、温和で従順で卑屈なところだけが取り柄でもあるのだが、さすがに、自動車税には憤慨である。またもや5万円とう自動車税である。重量税か、何か知らんけど、一方的通知である。車を持っているだけというだけであるのにである。おまけに、先週は我が家より高い超高級車が駄々をこねてレッドゾーンに達したのである。何だかウオーターポンプ交換だのクーラントホース交換だのクーラントエクスパンション交換だのファンカップリング取替えだのなんかのホース交換とかタンクだのラジエター交換だの要は横文字ばかりの交換で修理代が15万円に達しており、私の平穏で豊穣で静寂な生活にヒビがはいるような大富豪的見積もりがあったので、大変憤慨しつつも、車に関しては玄人なので、大変な出費を強いられて、とりあえず憤慨しているのである。しかしながら、憤慨とか平和とか結束とかコミットメントということは実は今日の「おっれとドイツ」という題目には全く関係ないので、話を元に戻したくなった次第である。つまり、といいつつ何がつまりかは別として、私は、ボーイスカウトの子分肌であるカブスカウトに所属していているときに、組ごとに各国版に分かれ、それぞれ調べながらも、歌を二つ持って来いという厳命を隊長から受けたのである。ちなみに隊長は何を泣くそう電電公社に努めていたが、その後、組長は勝手にNTTの人となった人物である。全然NTNとは関係ないほどである。それにしても、組長とは物騒な物言いでもある。そこで割り当てられたわが組の国家が西ドイツだったのである。そういうわけで、ネット社会でない私(小学生)は、早速、親に勧められるままに、ドイツ領事館に行ったのである。そこで、分厚い本を無料でもらってきたのであった。そのあたりの記憶がかなり曖昧なのも私のエグゼクティブな特徴であもある。その中で、その本を全然参考にしないで、歌ったのが、乾杯の歌と、シューベルトのノバラである。魔笛ではない、野ばらである。きよらにさけるのである。その後、遠くドイツから離れ、大学生になっても、ヨーロッパは金が高すぎて行けるはずもなく、一人旅行では特にご飯が楽しくないという事情により、結局は、西ベルリンには行ってみたいなと思いつつ、ドイツ統一となったのであった。そんな訳で、ベルリンに行った時には、既に、ドイツは統一であった。そのときは、ただのベルリン天使の歌状態であった。それにしても、何故だか、日本人はかどうか分からないのだが、昔の戦友つながりなのか分からないが、ヨーロッパ人の中では、比較的ドイツ人と仲良くなる可能性が高いのは偶然か。ヨーロッパの片田舎という意識があるからか、ただただドイツ人が多いからか。ドイツ人はほんま旅行好きだ。そういえば、チベットで出会った変なドイツ人も、勝手に変なゲルマン人、ヘンゲルだったような気がする。ちなみに、カブスカウトで、ドイツの歌を二つ覚えなさいという隊長からの命令に、シューベルトの「野ばら」と民謡の「乾杯の歌」があり、未だに、歌えるというのは、よっぽど印象深かったのか。清らに避ける野中のバラ~。乾杯の歌作曲 ドイツ民謡 訳詞者 不詳盃をもて さァ卓をたたけ立ち上がれ飲めや 歌えやもろびと祝いの盃 さァなつかしい昔のなじみ 心の盃を 飲めや歌え 若き春の日のために 飲めや歌え みそなわす神のために 飲めや歌え わが命のために 飲めや歌え わが愛のために ヘイ盃をもて さァ卓をたたけ立ち上がれ飲めや 歌えやもろびと祝いの盃 さァなつかしい昔のなじみ 心の盃を 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.16
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鏡を見て、そう、筋肉筋肉のひとつひとつの動きが分かる。けいれんして動いてる。何だか、歴史ある高級なめし皮だ。象形文字が何百年先の人に理解できるか。音楽が止まった。止まったら、残った音は波の音とバッテリーの音だけが取り残された。違う違う、鏡のことを考えていたんだった。しげしげと第三者の目が、鏡の中の自分みたいな顔を不思議そうにみていて、脳の奥地の装置から発生する声が、鏡の中の男に向かって何か勝手に喋っている。絶対、他人に見られたら、頭がおかしくなっていると思われるに違いないと、どこかで確信している。しかし、他にもいろいろ遣りたいことがあって困っているし、目や鼻や口や考えや手や足がばらばらに勝手に脳の命令を無視して動いている、好きなことをしている。じっとしていられない。雨、自分の中へ、そう鏡の中へ入っちまう。しかし、抜け出すにはページを変えるしかない。俺の下は口を捜している、口の輪郭が分からないのでレロレロ舌が動いているのか、口が開いているのか、閉まっているのか分かんね。ページをめくると、俺は、真っ白なページを見て、そのまぶしさに、「ああ、まっしろ!」と叫び、嬉しさで頭を抱えてしまった。光の直線がまっすぐしぎて、このわけの分からないものから、文字が直線的に生まれ出てくる。これは自動書記だ、すばらしいね、うーん。生み出される一方で、終わりがないのが困っちゃうが、疲れちゃう、まるで、六甲山頂でエンストした車に乗ってる気分だよ。JAFを頼む面倒を考えるととても面倒といえよう。とにかく、紫の光線が美しい、いつの間にか、海の中に入っているんだ。キレイな海だ、薄い緑の光の色が混じっているのは、聡明な貝殻に囲まれて、いつの間にか物語のはしっこにいるみたいで、勝手に刻み込まれた。あ、電気が消える。消えそうだから消える。何が残ったか。じっとしている。海の中の次の招待はナンだろうか、ワクワクして待っている。早く。犬。結局、あわてただけだった。何があったって、違うよ、何もない。何もないからあわててしまって、鏡を割ってしまって大騒ぎだ、祭りだ。もはや自分を収拾できず、もはや、他人事にしてしまおう。他人事と笑ってしまおう。単なる落書きであり、同時に聖なる文字だったりしてて、聖なる文字に落書きしているいたずらっ子に過ぎない、やっぱり笑ってごまかすしか仕方ない。むらさきの牛だ。そのかわいい牛の次は、何か虫が鳴いている。ナンだと思ったら、自分の鼻から鼻水が垂れそうになって、ズズッと吸っている音だった。汗か。さっきから、汗がでてくるジワっという音まで聞こえてくる。電気の時間は終わったので、ローソクを差が出してきたところだ。この混沌とした部屋の中をローソク持って歩くんだよ。歩いているっていっても、俺にあるのは、目だけだ。空中のどこかで脳も身体もないのに、空中に浮いた思考と、移動する目があるだけだ。やらなければならないこと、思い出した。鼻かむんだった。テッシュだ。さっきから、目元の下の方が、ズズっずずっと音が鳴っているとちょっと気になってたんだけど、それは、鼻水を鼻の奥に戻す作業の音だった。目の下の方が、どうも、丘になっていると思ってたら、それは、まさしく鼻と呼ばれるもの他ならなかった。火が教えてくれた。早く鼻かめよ、と。ついに、俺は鼻をかんだ。大きな仕事を終えた。テッシュについた鼻水が、自分の身体から出た液体だと思うと、不思議なものだし、身体から離れた瞬間に何だか汚いものになってしまうと感じてしまうところが悲しい。ミラクルである。何故、老廃物が自分から離れると、そう毛嫌いするのか、ミラクルである、苦労である。リラックスだ、リラックス、奥歯に物が挟まっって力入れたらあっかんよ。少し休めよ、休み暇ないけど、休めよ、50メートル先から俺は俺を見下ろした、オーイ、俺は俺を慰めろよ。空母が俺の思考回路の元だ!ア、間違った、考えるのは頭の中だった。バカだね。ライターを探すのに、ライターで火をつけて探して、バカだね、ソノバカな様子を真剣に目は見てたよ。俺は50メートル先にいる。考えだけが、後方に残されている。俺の体に向かって叫ぶ、オーイ。おーい。
2008.05.15
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20代前半、私は、仕事の関係で天理市に行った事があった。そのときの異様な印象を忘れまい。5,6階建の切り妻の瓦葺の建物が、市内のあちこちにあり、そこに、「おかえりなさい」の垂れ幕が連呼されていたのであった。それまでの私の天理教のイメージは、駅前で踊っている、陽気なおじさんおばさんってな感じで、何だか、関わらないけど楽しそうな感じだなあという印象ではあった。勿論、中山ミキさんが貧乏のどん底で神がかりになったことは知ってはいた。その後、何となく気になる宗教のまま今日に至り、今も、特に偏見も深い理解もないまま、一応とりあえず、自分の人生を続けている。 天理教が生まれたのは、幕末末期で社会が混乱した頃で、同時に金光教や黒住教、如来教などが同時多発的に誕生している。のほんの新興宗教はこういった幕末期に生まれたとする説と、大本が誕生した頃を発生時期と考える説がアル。その他にも説はあるが、それは、宗教の発生時期と拡大時期にお往々にしてズレがあるからであろう。天理教も同じで幕末に発生したとはいえ、大正や昭和に信者が増え、宗教都市天理市ができていったわけだ。勿論、天理教も戦時中は宗教弾圧を受けた。「じば」が人類発祥の地である神話が存在し、古事記や日本書紀と異なるからである。それに、当時は医者にかからず、神に一条やと言われて薬や治療を拒否して、祈祷や呪いに頼ったからであろう。教祖中山みきはその神がかりの振る舞いからカリスマではあったが、ついついなのか、自分は115歳まで生きると公言してしまっていたのであるが、実際は90歳に亡くなった。予言は外れたが、勿論、早すぎる死に新たに宗教的に解釈することで、危機を脱したのであった。寿命を自ら縮めてでも信者を救済すべく肉体を捨て、本当の神になったのであった。何と言うか、これは、キリストの死も同じである。イエスキリストの処刑によって奇跡は起こらなかった。そこで、3日後の復活説という信仰を新たに生み出していったこととおなじである。とにかく、天理教の特徴は分派が多きことだ。誰もが天理王命の啓示を受けることが主張できたからであろう。まあ、そういった簡単解釈はさておき、天理市の建築指導要綱には奇妙な条文がある。簡単に言えば、建物を建てるのは自由だが、近隣の人ではなくても、誰もが口出しできるようになっているのである。天理市で建物を建てようとしたら、誰が現れるかは明白であろう。子供達には、聖地「じば」の祭りがある。本堂です。人間には等身大に心地よい広さというのがある。例えば、天安門広場、あれは、もはや広すぎて心地悪いほどだ。天理教の前の敷地の広大な広さ、我慢のギリギリの線をついていた。茶しばくけ?オートバイを輸送しています。電車の中で、若いカップルの前におばさんが来て「あれ?今からお二人教会?」と尋ねた。もじもじしながら、「いえ、今日は・・・」と若人は答える。とにかく、参考にしたいときにはここ。とにかく、陽気である。歴史アル高校です。海外にも盛んに行ってまして、各大陸の建物もあります。にっこり寮商店街だって、ウエルカムだぜ思わず飲兵衛の触手が激しく反応する。陽気出版に、はらぼらすもう。本屋も専門家し、本の表紙が原色でキレイです。稚拙な漫画絵の笑顔が怖い感じがします。勉強になります。jtbおしまいに、天理教ハッピ見返り美人。とにかく、天理市を歩いていると、私だけがふざけた観光客に思え、私以外のすべての方々が天理教の方々に思え、何だか怒られそうな気がしないでもないが、そこは、インドに行ってはヒンドゥ教やイスラム教ばかりに囲まれ中東に行けばイスラム教に囲まれるような程度かもしれない。天理教も勿論、他宗教や無宗教にも寛容だ。寛容さは好きだ。栄光のためでなく、ただお客様のためだけに!お金を下ろすハッピ女性もいます。つるし柿勤務のハッピさまもおられます。雨に濡れてもハッピ。専門店脇を通ってもハッピ。happiハッピー高野山 ケーブルカーで高野山へ 企業のお墓どこかポンチな高野山 金剛峯寺 ビルマ寺おまけ 宗教都市天理おまけ 生駒宝山寺 おまけ 生駒宝山寺2
2008.05.14
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頭がないので、誰か親切なドイツ人さんが、どっかの食べ物か何かについていた丸いシールを貼って完璧な人間を完成させました。白昼、広場の真ん中で、変な動物の上に乗っかり、急所を隠しつつ、オーと叫ぶ。白昼、広場の噴水のまま、曖昧な顔をして、顔を隠して、急所隠さず。あのおじさんは、オルゴールをクルクル回して、ノー天気な人間さま。完全燃焼宴の後。私たちセクシーサイクリスト、皆で、このマシン乗って出かけると、注目度120パーセント。地球がコペルニクス転回したときに、備えよ常に。俺の力作だと言わんばかりに得意げにタバコを吸う男ですが、これ教会の壁なんです、ヤバイです。穴という穴から水を噴出してよろしいかしらん、ダンケシェーン。といいつつ、フランクフルトに住む3分の1はドイツ国籍ではないです。動かない大道芸人、結構、皆さん無視してます。動かない大道芸人、結構、皆さん無視してます。無視されて、ニヤケテルモーツアルト。キノコを持ってます、フォフォフォ。建物に裸で飾られるのは、ちょっと恥ずかしいの所存です。ああ、そこの通りがかりの人、挟まれたのだが、出してくれないか?マイン川沿いに、寝そべる女性が、なんだか、今にもお尻をむきそうな感じがしたのは、私の妄想でしょうか。こんな、ポーズさして、フランク市民はどういう了見なんだ、ウララー!超加藤です。日本のポルシェです。裸で、キショイ爬虫類触ったら結構クセになる。石像、バランスが大切だ!栄養も、世界の富の偏在も!右像:おい、お前の方が軽くなってないか? 左像:あほなこというな、もう限界じゃ、バランス悪いんちゃう?お前の方が、怠慢こいとんちゃうん?騒動から200年、お互いソッポを向いています。コノ暗号解けたら、ドイツロマンチック街道旅行プレゼントよ。雨に濡れても、雪に降られても、カンカン照りでも、わいらいっつもココ。そんな訳で、百年もたつと、色あせてきたわ。今までの思い出って何よ。そんなんゆうて、わしなんか、雨宿りできるけど、傘の代わりに建物支えて何百年でっせ。てなわけで、ドイツで結婚。クラクション五月蝿い近所迷惑カーは行き、私も、空港に戻る。 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.13
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残念ながら、資本家や大金持ちの行動や思考について、ハルジ氏のリクエストに答えるというか、更に深遠な考察をすることは、浅知恵の私には困難だということが、3分程机に座っていたら分かったので、パスさせて頂くこととなった。想像できないことであるが、勿論小市民的な思想は子供の時の教育からないのであろう。気がついた時には、もうそういう考え方になっていた、知らないうちにそういうものを身体化していた、というものだろうか。具体的にいうと、親の影響や教育により、気がつけば4ヶ国語ぐらい話せて、一流どころの芸術に接して本物の鑑識眼を持ち合わせ、パーティで軽くなんだかピアノを弾き、各国にセカンドハウスがありといった、潤沢に文化資本を享受している人々であって、貧乏臭いかけらのひとつもないということか。親が子供に分刻みのスケジュールで習い事をさせたり、インターナショナルスクールやお受験させたりといった、金でそれを身につけようという発想とは違うものかもしれない、遅れてきた気がついてしまったことを金にまかせてブランド物を買いあさり身をそれで固めまくるといったこととは違うのかもしれない、つまりは、頑張ちゃったら負け、初めから勝っている人が総取りの世界てな感じか。一方、日本も、今や、フリーターやニートの問題で困っている。ここまでは、大企業やその他企業が、人件費削減でこれらの人々や派遣で、出費を減らし利益を上げてきた。そして、金貸し業が、CMで甘い言葉で囁き、これらの人々に金を貸して更に利益を出した。しかし、もう直ぐ限界であろう。生きるだけに精一杯の人は、家も車も買わない。国債も買わないどころか、預貯金もできない。(だから結婚もできない、そして孤独死していく)税金など搾取を第一に考える政府や国家は多分、この可処分所得の少ないことにとっくに気がついているはずである。なので、何とか、手を打ってくるとは思うのだが・・・、どうでしょう。まあ、浅はかな手というのは、とりあえず正社員として定職についてもらって、素敵な奥さんもらって、子供は2人以上生んでもらって、35年ローン組んで家を買ってもらい、少なくとも5年置きぐらいにファミリーカーを買い換えてもらうような政策か。つまり過去の踏襲。まずはそうだなあ、えーっと、えーっと、説教からだ!実は、既存の経済学にも欠点というか補完されてない部分はあって、その一つに、というか、とりあえず、勝手に経済学にして、勝手にひとつだけにしたのだが、余剰価値とか、拡大再生産というものはいままで散々概念としてあり実践もあったが、人口が減少してモノが余ってしまう、という余剰無価値や縮小再生産みたいなものはなかった。その時を迎えようとしている。どうすんだ。知識は経験に気後れする。自分の感覚や感性で物事を判断できる経験に、知識は圧倒される。 とかなんとかいて、まあ、なんだかんだいって、そのうち死んじゃうんですね。コノ前のイギリスの続きじゃないけれど、その時思ったひとつに、昔の建物を次の世代の人々が使っていく。人は死んでいくが、建物や大きな木はその後も生き続ける。ハハーン、こういったヨーロッパで盆栽や日本庭園が流行るのが何となく分かったような気がした。もう、この木が成長した頃には生きていない、もうこの家が拡張されている姿を見ることができない。それを盆栽や日本庭園の小さなミニチュアの世界が体現してくれているんだ、なんて思った。逆にワーキングクラスには、盆栽も日本庭園も特に流行っていないのではないかとも思った。ところで、地球温暖化は二酸化炭素が原因か? 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.12
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私事であるが、大学の時に、マルクス経済学概要を受講しており、一度も授業に出ないまま、試験だけは、適当にかまし、オマケで可をもらったことがあるのだが、実は、そもそもである。マルクスは実際経済には疎く、経済感覚がないどころか、経済援助を受けていたエンゲルス宅の使用人にまで手を出し子供を作ってしまうという、下半身学にも甚だダラシナイ部分があったのだが、その経済観念のない彼が、空想の世界で、世界中に大きな影響を及ぼすような資本論を書き上げ、数々の国が曲がりなりにも実践しようとしたことは、スゴイことである。 しかしながら、万国のプロレタリアートよ、立ち上がれ!ではないが、彼の周りにもいっぱいの労働者があたことであろうが、恐らく、そう資本家というのはいなかったに違いない。資本論には、資本家の観点による記述というのは、見当たらない。資本家とは、利潤を追求するものだと、雑に括られているようだ。 考えてみれば、カーネギーやナポレオンヒルの記述や、有名な経営者(ビルゲイツやウオーレンバフェット)の記述には、その成功術のようなものは、書かれているが、成功以外のことで、資本家がどう生きてどう振舞っているのか、書かれていない(もしかして、書かれているかもしれないが、資本家ではないので、分からない) 我々に植え付けられた思想は、資本家とは公共の利益より、利益を最大限に追求する私利私欲の塊、つまり悪である、ということである。自分が資本家だったらどう振舞うのか、それは、周りにずっと資本家の友達や知り合いがあまりいないし、著述のある知識人も資本家ではないし、何となく共感できない別の人間にしか思えないのである。 まあ、そういうこととは、関係ないのだが、ヨーロッパに行けば、何となく、本当に豊かそうな人々が、結構、街中を歩いていても感じることができる。パリやロンドンの街を歩いていると、一等地に無茶苦茶広そうな邸宅があったり、それを歴史的に使っているからだからか。数十年でスクラップ&ビルドを繰り返す日本と違って、高いかもしれないが、何代にも渡って家を所有し続けると、子孫は、ローンに負われず、楽ってことなんだろうか。これでは、日本で資本を蓄えられるのは企業や銀行家であろうか。 まあ、関係ないけど、コッツウォルズのチッピングカムデンに行った。自分の土地から取れたライムストーンで造った家に静かに、何世代も暮らしていく、人々と自然との調和の村。そもそも、産業革命以降、石炭の採れないこの地域は、鉄道網から外され、昔ながらの暮らしを強いられてきたという歴史に、いつのまにやら観光業が発達して、もっともイギリスらしい風景などといわれるに至ったのであった。コッツウォルズとは、オックスフォード、バース(風呂の語源の町)、チュルトナム、ストラトフォードアポネイボン(シェークスピアの生まれた町)に囲まれた地域をいう。ここに、小さな村が点在するという訳だ。私の心は、正直でないのかも知れない。美しい風景は、気分は良くしてくれるが、しばし、退屈で、私の中に、ポエチックなものが生まれてこない。
2008.05.11
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母の部屋というか建物昨日の続きである。それよりも、むかつくというか、一番イギリスで驚いたのが、空港出国税が7000円であったことは、ここでは、伏せておき、ファームハウスについての講釈である、というか、受け売りである。といか、昨晩は、頑張りすぎて、日記の規定1万文字を大幅に超えたので、仕方なく、超えた分を今日アップする次第である。もう飽きたが我慢してあと1日だけ恥と理性の揺らぎに付き合ってください。カントリーサイドの住宅には、農業労働者を住まわせるためのコテージと、ジェントルマンの邸宅であるハウスの他に、もう一種類ある。それがファームハウスである。 ファーマーとは、農場主、農家、農民 、といった日本語に訳されるが、もともとの意味は少し違うようである。 大土地を所有するジェントルマンの関心は、もっぱら広大な農園からの利益であり、生産性の向上を最優先した。農業労働者には過酷な労働を強いる一方で、賃金をできるだけ押さえようとした。いわゆる搾取である。家畜や農作物の品種改良も、徹底的に進めた。蒸気機関が発明されれば、直ちにその動力装置がついた農業機械を導入した。ときあたかも産業革命の時代、それはまた、農業革命の時代でもあったのだ。 次第に、農業経営が高度化し、複雑になるにつれ、ジェントルマンだけでは対応できなくなっていった。土地を持たない農業労働者は農業経営の知識を持たなかった。そこでジェントルマンは、所有地をいくつかの農場に分割し、それぞれ農業経営に詳しい専門家と契約して経営を任せることにした。このような農場経営の専門家、あるいは農場管理人をファーマーといったのようなのである。いわゆる、ジェントルマンとファーマーの関係を現代社会の仕組みでいうと、会社のオーナー社長と工場長の関係であろうか。そんなファーマーを住まわせるために用意した住宅がファームハウスである。(もちろん、ジェントルマンの所有で、ファーマーからいえば借家である) 農場管理を任されたファーマーは、労働者の中に埋没してはならない。そこでファームハウスは、労働者のヴィレッジからも離れ、ジェントルマンのハウスからも離れて、孤高を保たなくてはならず、農場を管理しやすくするため、農場の中心に配置された。その規模は、ファーマーの自尊心を損なわないように、コテージより大きく、しかし、ジェントルマンのハウスに比べれば、はるかに小規模だったというものである。現在においては、そういうものではないのだが、母親はそういったところを2年前にご購入されたようである。それにしても、その敷地は、こう表現したらいいだろうか、隣地の境界線が見えない。妹の旦那の父親は、貴族でも農場経営者でもなかった。しかし、彼が生まれた時には、もう既にかなりの財産を不動産事業により得ていたと推測される。何せ、生まれ育った家はもっと大きかったという。(前を通ったが、道から敷地の奥のほうに邸宅が見えた)彼自身は、さすがに、生まれた時から裕福だったので、一切のブランド物を持っていない。というか、今回も3日ほど同じ服を着ていた。詳しいことは、分からないのだが、庭師に掃除人を雇い、各種維持費だけで、いくらかかるのだろうかと、邪推してしまう、私なのであった。表札は、そのまま、今写真を見て気がついたが、キャッスルファームと書いてあった。苗字ではありません。とにかく、2年前に購入したという家の中を歩いてみる。まずは、義弟君の一階である。2階までの吹き抜けのワンルームである。かくれんぼの余地はないといえよう。(まずといっても、まずでおわりであり、次に、が昨日の日記に続くのである)キッチン側の床はテラコッタであり、私の栄光のジャケットが椅子にかかっている。何故かかっているかといえば、ジャケットでやってきたから他ならない。申し訳ないことに、ジャケットは、アメリカ製であるところのカルバンクラインであったことは、永遠の秘密である。前のペントハウスから鎧も引越ししてきていた。家に鎧があると、ちょっとキショイかと思われるかも知れないが、結構自然にあって、至って普通である。京都に買いに来たものと、ネットオークションで落としたものと、まあそれぞれいろいろヤバイ入手経路はあるのだが、一体200万円前後だというのである。多分、他にお金を使うことがないのだとも言える。3年ぶりにイギリスに行き、彼の家にいったというのに、帽子コレクションや鉄砲コレクションが更に増えていることに、気がつかないフリをしたが、ついつい、2階廊下だったので、気がついてしまった。古い日本の箪笥もあった。日本人である私が箪笥を持っていないというのにである。何せ、私は、箪笥が日に焼けたら困るので北向きの部屋に住んでいるのだが、引っ越してから、箪笥持ってないじゃん、と気がつくほどの英才ぶりなのだから。良くは分からないのだが、24時間温まりぱなしのAvianのオーブンがある。冬は暖かくていいだろうが、夏はサウナ地獄に耐えるのだろうかとチョトダケ心配した。時差ぼけにふさわしく、早朝7時に起きた私は、朝から、勝手に冷蔵庫を空け、勝手にギネスビールを飲んでみたりなんかするのだが、それは、永遠の秘密でもある。テレビは民放やBBCなどで6だか8局。イギリス人らしフットボール(サッカー)ファンでもあり、衛星放送だかなんだかを導入、堂々の100チャンネル以上である。仕事部屋そういえば、昨晩、ブドワイザーを飲んだ。ピルスナービールで世界最高!といいたいのは、やっぱチェコビールである。チェコ人は一人当たりのビール消費量が世界の堂々第一位である。キッチンの窓の向こう側には、ピーナツを詰めたものをぶら下げている。そうすると、鳥が飛んできて、ついばむのである。横には、カラーの鳥の本が置いてあって、それをめくりながら、鳥の名前を覚えるのである。勿論、私も、名前までは覚えなかったが、その鳥が何という名前の鳥だかは、分かったが、アルツハイマー近い私は、鳥の名前は5秒後には忘りた。ところで、プールバーって、意味を検索して初めて意味が分かったよ。 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.10
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とにかく、2年前に購入したという家の中を歩いてみる。母の家、そのまま母屋のキッチン部分です。アイランドキッチンです。お父様の書斎であり、お父様の仕事場でもありますが、お父様はここでただの一度も仕事をしたことがないのでありました。1662年と一番古い家の壁に刻まれてました。考えれば、まだ私は生まれてません。気がつけば、私の5代先も生まれてません。メアリー2世の時代です。鄭成功が暴れていた時代です。その頃の暖炉に、最新の暖炉入れていいかしら?別にいいよ。ダイニングルームちゅう感じです。ローストビーフに温野菜に何かにかにかに、ワインを飲ませてもらいました。絵も、絵心が分からないのと、私の猥雑な趣味では理解できないのですが、一ついえることは、古い絵だということです。少なくとも、1ヶ月から100年はたっています。そういえば、ヨーロッパ人って蝋燭が好きだね、そのあたりは私と同じで、私も、死ぬほど蝋燭持ってますが、蝋人形は持ってません。見るだけです。やはり、扉も、350年もたつと、デコボコになるのでしょうか。1階のリビングルームです。20畳ぐらいでしょうか。3階のリビングルームは50畳ぐらいあるので、暖房費が大変です。てかそういうことを考えるのが小市民かもしれません。だんだん何の部屋か分からなくなってきました。惰性で何の部屋か分からないままに写真に収めてるだらけた状態です。やっぱ家具ってのは、框付が豪華に見えるのでしょうか。何というか、クラッシクな家にモダンデザインで住むのが流行っているというか、それが人気あるらしいですよ。もら、モダンレトロとか、クラッシクモダンとか、相反する言葉をつなげる奴ね。食事に来た妹の旦那の姉の子供13歳が荷物を置いていた部屋に勝手に知らない間に入ってしまい、知らない間に、バスルームから写真を撮りましたが、私は変質者ではありませんから、あくまで鍵の開いていたゲストルームですから。知らぬ存ぜぬは許しません!部屋ではなく、2階の廊下です。自分の廊下で休みますか?私の家は部屋を効率よく使うために、玄関に入ると、いきなりリビングですから。ホテルライクな部屋ともいえます。頭脳明晰と誠実さとハンサム以外に私にはあまりトリエがないのだが、不思議なことに、犬を抑えるという能力は昔からあるようで、誰にでも初めての訪問者に吠えまくる2匹の犬も、私が初めて会った瞬間から綿神は従順だったという事実に妹たちは驚いていた。更に、犬はメスだったから、いわずもがなである。馬小屋ですが、どこを見渡しても、馬はいませんでした。多分、散歩中です。改装工事をしたいそうですが、改装しても使い道がないというのが、専らの悩みのようです。別の棟に移りますが、また馬小屋でした。馬が多すぎてびっくりです。雨の日も、馬でロデオができるようになってます。日本語で言うと、砂地の体育館です。バーカウンターで酒を飲みながら、ロデオの人々を見ることが出来ます。しかし、今日は、馬が休みで、バーテンダーも休みでありました。馬を勝手に走らせながら隣の部屋でビリヤードができるという構造になってます。2階から、馬の大行進を見学した夢を見ました。もう馬刺しは食えません、代わりに、ウニを食べたいと決意した次第です。別棟に行くと、農機具置き場でした。でも、こんなの使うのかどうかは不明です。しかし、アメリカではミニ耕運機がよく売れている。芝刈りするためである。プールと、ジャグジーです。プールは、風呂の巻き蓋のようなものが敷かれており、ゴミがはいることや、野良馬がはまることや、水温を保つことや、酔っ払いが足を滑らせることを想定しているのである。プールバーの2階は、バーカウンターになっており、今日は休日なのでバーテンダーがいないので、冷蔵庫に、バンバンビールを入れて、音楽を鳴らす。やっぱりイギリスだから、パンクかピンクフロイドだと思ったが、ここではストーンズである。私と義弟は、同じ年代であり、妹とは違い、共通音楽が多いのである。ビリヤード代がここにもあります。プレイ料は、恥ずかしながら、嗚呼堂々の無料です。サウナです。実は、私は、個人宅サウナには驚かない体質なのである。私は、何故ならフィンランドの民家に2軒お世話になったが、個人宅にちゃんとサウナがあるのである。首都ヘルシンキの安宿でさえ、最上階にサウナがあるのである。さすが、サウナの国である。嗚呼、マイナス30度の中、サウナで死ぬほどギリギリまで我慢してから、素っ裸で雪の中で体托(っていうの?)をとった20代後半の真冬であった。いやもしかしたら30歳になってたかも。暗いけど、吹き抜け2階が、さっきのバーね。プールは飾りかと思いきや、なんだか、紙が置いてあった。水質検査である。え、誰も泳がないのに、プールが使えるようになってる訳かい?と私はチョトダケ驚愕するのであった。そして、ボタンを探して、押してみると、先ほどの風呂巻き蓋が自動的にぐいーンとかいいながら本当に巻かれていくのであった。いいかね、泳いで?いいよね、泳いで。泳いでから、なんだか、運動器具使ってサイクリングしてもいいよね。いいですよ、温水プールだから、大丈夫、と神の声がした、さすがである、というか、シンクロザイズゾしてもいい?いいよと神と共鳴した。といいつつ、久しぶりに120メートル、5往復泳いで、水泳はイイと実感しながら、シャワーを浴び、とトイレに行ってから、寝ていると、皆が来たので、ビリヤードプレイした。勿論、極度に下手なことを確認してからである。なんだか、学生の頃、レトロ感覚でプールバーがはやったが、ホンマにプールバー状態だ。私は下手なのに、その後、フィリピンのビーチやタイのカオサンロードで散々、ビリヤードの9ボールとかで、金をむしとられて、第三国に経済貢献をしたことを思い出した。ビールも、経済学ではなく、物理学的に言う、加速度的に空き瓶は増えていき、明日の朝、4時に起きることは忘れ、すっかり、飲むことや、球をつくことに忙しかったのである。すっかり、二日酔いで乗り物に乗って気分が悪くなるかも知れないということを忘れていた。(翌日、飛行機が出発前にバックしたときに、チョトだけ気分が悪いような気がした。すがすがしい吐き気はあった)最後に、唯一の私のお土産である。妹夫婦の部屋、というか離れ 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.09
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バーミンガムに紙袋一枚に、ジャケット姿で登場した、頼まれていた荷物が全部まだフランクフルトにあるままに登場した役立たずのアニキであったが、そもそも、イギリスに来るという名目は、妹旦那の父が先日心臓発作でお亡くなりになったということで、私も、挨拶ぐらいはと勝手に思っただけであり、実に身勝手な意見であった。 バーミンガムから少し離れたラグビーというラグビー発祥の町近くのハムレットという呼び名のカントリーサイドに住んでいるということであった。ここで、イギリスのカントリー歴史というか、ハムレットを少し調べつつ、まとめながら(まとまらないけど)話を進行させておこう、私の記憶のために。私のお勉強のために。私には関係のない栄光のために。今日見るようなイギリスの田園風景は、16世紀から18世紀にかけて、ジェントルマンによるエンクロージャー(つまり囲い込み運動)によって形づくられたものだ。このことは、高校の教科書でも習ったことがある。つまり、中世には、農民たちが森を開拓し、定住して農業を営んでいたが、ジェントルマンたちが囲い込み、農民たちを、土地を所有しない労働者に追い立てていった。「持てる者」と「持たざる者」の階級に分かれていったという歴史がある。一旦、古い住宅のほとんどが取り払われ、ジェントルマンによって再配置されていった。(新興ジェントルマンは産業革命時に多く生み出されたが、まあ、貴族ってことだろうか)コテージというのは、地主階級であるジェントルマンの所有物で、ジェントルマンの農場で雇用される農民に貸し与えられた住宅だ。そのコテージが集合してヴィレッジを形成していった。そこはそっくりジェントルマンの所有であり、ジェントルマンの負担で、ヴィレッジには教会(イギリス国教会派)や小学校も設置された。 ヴィレッジの日本語訳は、ふつう、「村」だが、日本の村では地主も、小作農も同じ集落に住んでいたし、村人は、必ずしも村にあるお寺の信徒である必要はなかった。 しかし、イギリスのヴィレッジに住んでいたのは農業労働者のみで、地主階級であるジェントルマンの住まい、つまりハウスは、ヴィレッジから離れていた。(ハウスから離れたところにヴィレッジを作った) 同じコテージの集合体でも、規模が小さければハムレット(小村)と呼ばれる。両者を区分する明確な戸数は決まっていないらしいが、教会があるかないかがおおよその目安になる。(妹も、ビレッジがあるのは、概ね教会があるかどうかだと言っていた) 妹夫婦は、母親の住んでいる館の横の、農作物物置小屋を改造したところに、住んでおり、コーチハウスという。恐らくではあるが、私の勝手な憶測によると、この住んでいる家は、ファームハウスであろう。一番古い手建物部分が1600年代である。とにかく、2年前に購入したという家の庭を歩いてみる。妹の旦那の家。お父さんの形見は、白い革張りシートのベンツのEクラスだが、壊れている。玄関から新聞受けまで母屋、1600年代の建物を基礎に増築されたもの母が一人で住んでます。母屋を前からみたところ300メートル歩いてもまだ敷地内です。池をkoえてもまだ敷地内です。何かの石像で終点。朝は隣地の羊と、鳥のさえずりがケタタマシク、悪人正機の私でさえ、心穏やかになるという不思議。ボートに乗って島にも行けます。義弟宅玄関のひとつ。今日は水が出てません。橋を渡って島にも行けます。島からしか見えない隠された滝。島の中。木に囲まれた迷路をゆく。まるで、ジャックニコルスンの恐怖映画「シャイニング」の狂った父が子供を追いかけるシーンのようだ。木の迷路の中心に小さなパティオ。水鳥が限りなく飛んでいる。母屋の方の門。少し前面道路に出ると、家の前は桜。母屋の前のテラス。母屋の前の幾何学池。石像が並ぶ。温室。野菜を作っています。庭に植え替える苗を育てるところ。真正面から母屋。ガです。マです。二人合わせてガマです。馬小屋。ただし馬は勝ってませんが、10馬以上飼えます。馬を走らせるところです。ロデオもできます。テニスコートもあります、が、だれも、テニスはしません。テニスコートの横に、車が走ることのできる道があります。多分、苗や肥料を運んでくる道です。またもや温室です。温室が2、3あります。多すぎて数え切れません。ちなみに、土日なので、ガーデナーの人は休みです。はっきりいって一番驚いたのがこれです。ヘリポートです。農機具や農機を収納する倉庫です。またもや、馬小屋です。幾何学的庭園です。奥の建物の一部が、義弟の仕事場です。庭のタイルの色違いで人間チェスができます。できるだけです。プールハウスです。中は温水プールとサウナとバーカウンターとプールバーです。泳いでいるうちに夜となりました。義弟家側の門の前にも桜です。7億円に彼女はついていません。彼女は、私の妹の旦那の姉の子供です。13歳ですが、大学生ぐらいに見えます。はるばる謎の東洋人エグゼクテイブが来たからということで、母親に連れられて食事会に参加してくれました。 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.08
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日本海に面する舞鶴を出発したのは、昨晩深夜に及ぶ緻密計画による予定より4時間ほど遅れた。(プランニング、トラベルゾーニングに熱中し、道程効率の検討に次ぐ検討は、深夜に及んだため、朝、寝過ごしたのであった) 直ぐ横の福井県、原発銀座の初発、小浜の原発施設を見学し、小浜市民と、オバマ氏を応援しようという趣向に、まあまあ、呆れながらも賛同の意を示しながらも、少し、南下し、田舎を走り、水上勉先生の作ったと思われる若州一滴文庫に到着したのは閉館10分前であった。飢餓海峡である!誰も来ないのをいいことに、門を閉めようとしていたと思われる受付の真摯なイメージの方に、まだいけるかどうか確認したところ、ちょっとぐらい時間オーバーしてもいいですよ、私の車のナンバーを確認して、遠方からのお客に気使ってくれたのであった。竹人形の里をどうぞご堪能あれって感じである。とにかく、うなだれているところがチョト怖い感じがしつつも、遂に、竹まできたかあ、と蝋やマネキンを哂うのであった。
2008.05.07
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・・日帰りアジア、1泊3日のアメリカといった数々の栄光を達成した自慢にもならない私の次の目論みでもなんでもないのだが、2泊4日のヨオロッパとなった。何せ、私は、時差調整をするために、出発日には、午前4時半まで起きており、仮眠して6時に起きて、7時に空港に向かうという、順調な滑り出しのプランを練っていたのであった。勿論、4時半までは順調に眠気を我慢しながらも、耐え、順調に、寝過ごし、起きると、何故か8時を過ぎており、何が起こっているのかは多少不明どころであり、離陸時間が10時10分、40分前までのチェックイン、大阪駅から空港まで60分を換算すると、もはや、カウンターで頼み込むしかないという按配であった。 おまけに、パッキングはまだしていないのであった。とりあえず、着替えをつっこみ、各種お土産をつっこみ、ダンボールに、持ち手を作り、(荷物は、ダンボール一箱とゴロゴロである)急いで、家を出たところで、駅の改札口にて、パスポートを忘れていることに気がつき、もう荷物とられてもいいかという覚悟をして、猛ダッシュで家に戻ったのであった。大阪駅からバス停までも猛攻ダッシュすると、バスは出そうになっており、待ってくれと、バスの前に荷物を置き、自動販売機に行ったが、とにかく焦っているので、意味なく、伊丹空港行バスチケットを2枚買ってしまった。多分、金額が似ていたからであろう。急いで、払い戻しを受けて、バスに乗り込んだら、オーマイガールデンウイークの渋滞!空港では、もはやカウンターには誰も客の列はないのではあったが、神は私を味方するのか、神風が吹いたのか、飛行機自体が順調に、50分遅れてくれているのであった。ベリラッキであった。遅れているが故に、私は、すかさず、チェックインでき、荷物も2つあったが、2つあわせて15キロだったので、無事、荷物も2つとも預かってくれたのであった。50分遅れにより、私には15分程度の余裕さえ生まれ、しばし、ゆっくり過ごし、12時間半後にはフランクフルトに到着したのはいいが、遅れていた分、乗り継ぎ蛾これまたギリギリなのであった。広い空港を走りまくり、5分の余裕もないまま、たった30人弱の人間を乗せた飛行機は、1時間半後には、イギリスのバーミンガムに到着したのであった。到着したのは、私だけであった。乗り継ぎにセイコウしたのは私だけであった。荷物は乗り継ぎに失敗したのであった。私は、手提げ袋一つである。とりあえず、迎えに来てくれた妹夫婦に、「靴下と下着が買いたいのだが」と素直に申告するのであった。(つづく、と思う) 2008年イギリス旅行イギリス行 義弟の家1 義弟の家2 義弟の家3義弟の家4 コッツウォルズ コッツウォルズ2 フランクフルト フランクフル2ト 2008年のフランクフルトの思い出 1995年のフランクフルトの思い出 フランクフルト3
2008.05.06
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七宝寺、その真実、涅槃まで明暦元年(1655年)三月早朝、領主能勢頼隆公が当地に、紫雲に乗った七面大明神を感得し、以来、国家安穏・子孫繁栄・開運勝利を願い安置勧請されたのでR。釈尊が8年間過ごされた霊鷲山、日蓮大聖人が9年間過ごされた身廷山にも似た霊験あらたかな霊場でR。山内には、大阪摂津大佛をはじめとして、諸仏諸天がまつられ、仏の慈悲を感じられる、日蓮宗の行場でR。というわけで、ありがたいままに、そのまま北上し京都府北部の舞鶴に向かう。太平洋と日本海に面する本州の県は兵庫県だけであるが、海のなさそうな京都府にも日本海に海を持つ、海を持つどころか、海軍も持っているのである。舞鶴に行くのは、大学の時以来ぶりである。舞鶴に友達が海外から来ていたので、遊びに行ったのであるが、我々の高校時代にとって、舞鶴といえば、ひとつのキーワードでもあった。高校の頃は、卒業して、車の免許とって、皆で、北海道を車で飛ばそうってのがキーワードになっていて、関西から北海道に行くには、舞鶴港からのフェリーとなる。そこで、我々は、大学に入れば、舞鶴だ!というのがキーワードであった、というか、我々とは、私のことであり、実際は、大学1年の夏、まだ自動車免許は教習所通い中であり(卒業に6ヶ月かかった。入学してから、原付で免停3ヶ月になったため、5ヶ月半、自動車学校をさぼっていたてmである)、北海道じゃといっていた高校時代のことをすっかり忘れ、フィリピンに行ったことは、記憶に新しい。当山は釈迦ケ嶽七面山七寶寺と号すこんにちは、よくもまあ、テッペンまで起こしやっす。当方、大仏です。結構、でかいです。10.6メートルでよろしくおねがいします。スンゲエ田舎なんですけど、田舎にも買って、雷神してまんねん。最近、誰も来てくれなくってねえ、おこしやす。おこしやす、地蔵一同お待ちしております。古風な60年代のキャバレーのお出迎えのようで、そこんところよしく。眉毛が太くてすみません。あっしは、上の空ですみません。髪の毛長くて、それはすみません。おれたち、ジゾーファイヴ、よろしくな。うりぼうとたけのこがまあまあ好きです。ポッポポーハトポッポーっと大声で歌ってみてもいい?それより猿にまとわりつかれて結構、鬱陶しいです。馬のお面をかぶるのが好き!杖持ってたと思ってたら、間違って龍持ってましたんですが。橋を渡るって、龍に会おう、トリスを飲んでハワイへ行こう。何とも、私たち、ジゾ捨て山って感じなんですけど。 トーテムです!ポールです!、2人合わせてトーテムポールです!ふくろうです!獅子です!ウサギです!猿です!4人あわせて・・・・ナニにするよ・・・夫は洋二です!妻です!二人合わせて夫婦岩でなくって、爪楊枝です!ここにあるレゾンドートルがわっかりません! 物持ちがいいです!うらやましい?俺たち、日本の古い神様たちです!会議中です!議長の天照大神です。熊野大神です。淡島明神です。伊邪那岐(伊弉諾)神です。伊邪那美(伊弉冉)神です。櫛名田姫神です。須佐之男神です。稲荷神です。住吉の神です。恵比寿神です。大国主神です。大気津姫神です。猿田彦大神です。木花咲耶姫神です(コノ前、霧島シリーズで登場した者です! 実は、適当なこと言ってます!何故だか、吊るされ三兄弟です!でっかく行きます、遠くからでも、私は見えます。ペットはダメです!とにかく、物見遊山でのお越しはご遠慮ください! よく見たら、観音様の頭にホトケサマがイッパイです。私の頭も負けてません!
2008.05.05
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当山は釈迦ケ嶽七面山七寶寺と号すこんにちは、よくもまあ、テッペンまで起こしやっす。当方、大仏です。結構、でかいです。10.6メートルでよろしくおねがいします。スンゲエ田舎なんですけど、田舎にも買って、雷神してまんねん。 最近、誰も来てくれなくってねえ、おこしやす。おこしやす、地蔵一同お待ちしております。古風な60年代のキャバレーのお出迎えのようで、そこんところよしく。眉毛が太くてすみません。あっしは、上の空ですみません。髪の毛長くて、それはすみません。おれたち、ジゾーファイヴ、よろしくな。うりぼうとたけのこがまあまあ好きです。ポッポポーハトポッポーっと大声で歌ってみてもいい?それより猿にまとわりつかれて結構、鬱陶しいです。 馬のお面をかぶるのが好き!杖持ってたと思ってたら、間違って龍持ってましたんですが。 橋を渡るって、龍に会おう、トリスを飲んでハワイへ行こう。何とも、私たち、ジゾ捨て山って感じなんですけど。トーテムです!ポールです!、2人合わせてトーテムポールです!ふくろうです!獅子です!ウサギです!猿です!4人あわせて・・・・ナニにするよ・・・夫は洋二です!妻です!二人合わせて夫婦岩でなくって、爪楊枝です!ここにあるレゾンドートルがわっかりません!物持ちがいいです!うらやましい?俺たち、日本の古い神様たちです!会議中です!議長の天照大神です。熊野大神です。淡島明神です。伊邪那岐(伊弉諾)神です。伊邪那美(伊弉冉)神です。櫛名田姫神です。須佐之男神です。稲荷神です。住吉の神です。恵比寿神です。大国主神です。大気津姫神です。猿田彦大神です。木花咲耶姫神です霧島シリーズで登場した者です! 実は、適当なこと言ってます!何故だか、吊るされ三兄弟です!でっかく行きます、遠くからでも、私は見えます。ペットはダメです!とにかく、物見遊山でのお越しはご遠慮ください!よく見たら、観音様の頭にホトケサマがイッパイです。私の頭も負けてません!
2008.05.04
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まあ、事件を起こしたということで、別に私に謝られても仕方ないのであるが、総長ジキジキに招待してもらうことになりました。ところで自衛隊の人の給料は、HPでみたので分かったけども、そんなことより、周辺事態ってことばやめて欲しいですね、ニホンゴじゃないです、と国防総長に伝えておきました。日本軍に圧力をかけるように、ゆうときました。遠くでも、訓練だか魚釣りだか、脱走だか、何かをしている模様です。とりあえず、招待には素直に受けなければならないので、超高級車で乗り込み、とりあえず、自転車置き場に置いておきました。とりあえず、どこでもとめていいよといわれたので、将校用の自転車置き場に停めて置いていいかな。どれでも、好きに運転してくださいといわれたのだが、そういわれると迷うのが人の心である。相談したときには、後押しを確認するためのものだが、いきなりのチョイスには他の性能の情報がないので、分からないものなのです。とりあえず、防衛大臣には、他にも誰か連れてきていいよという話だったので、愛人2人と、下男一人も連れて行くと、結構興奮して、私より先に歩いていくのでした、微笑ましいです。 カモメの水兵さんに、敬礼されました。遠く日本の大地に、セーラー服が伝わったことを感慨深く思いました。試し撃ちしてもいいですよというので、撃ってみると、舞鶴市庁舎がぶっとびました。ゴメン。一応、一個持って帰ってくださいといわれたので、お土産にしました。決して、私の家には来ないように。いつ爆発するかわからなくなりました。 最近は、所要で、日本のいろんな田舎を車で駆け巡ったりなんかしているのですが、結構、田舎にいくと、自衛官募集の看板が目立ちます。事故を起こしたあたごの下っ端乗組員も結構、素直ないい奴らのはずなんですけどね、なんだか、沖縄にいる不良アメリカ軍兵士のように、チンピラじゃないような気もします。 ところで、自衛隊には、いっぱいの自衛隊新聞が発行されていて、それぞれの部署が別々に、広告掲載しませんかと、よく電話がかかってきます。一本化して欲しいところです。ところで、防衛大学に入れば幹部候補生ですが、学校に行きながら給料がもらえるのですが、シレーっと民間に就職してしまう輩が多くて、今後の日本の将来が懸念されます。しかし、自衛隊も、もうずっとその存在をダブルスタンダードでやってきたわけですけど、第一次世界大戦でヨーロッパ各国が、戦争を放棄するに調印したのに、そこに、ただし、自衛権を有するという例外を設けたために、第二次世界大戦にもつながっていったという経緯もあるので、あんまり自衛権は信用でけへんものなんですよね。水兵さんは、もし私が、若くして高校生の頃にでも子供を作っていたら、このくらいの年齢にはなっているんではないかと思ったほどです。下男はミリタリーオタクなので、根掘り葉掘り専門的なことをしつこく質問して、19歳の水兵さんを困らせています。とにかく、船内に入るのは、レバーハンドルが多すぎて、どれを回せばいいのか、わからないぐらいのカモフラージュ度です。船内を大臣に案内されたのですが、これからは国家機密ということで、写真撮影はNGとなりました。とりあえず、日本国家を震撼させられる出来事をいろいろ知りましたが、ここには発表できないのが残念です。暴動が起こります。戦闘機に乗って、これから空の旅にでることにしました。スクランブルです。国防総長の計らいにより、おもいやり予算から燃料費はひっぱってきてくれるということでした。どのヘルメット使ってもいいよということでしたので、蜂の刺青の入ったヘルメットを選択したのですが、汗臭くて塩臭くてノーヘルにしました。 火気厳禁ということで、タバコは控え、スニフにしときました。 滑走路に、ぽこっと管制塔がありました。勝手に操作したので、戦闘機が下男を轢きました。まごころの補給のお陰で、ハイオクガソリンも多分、値上げなしです。というか、税金かかりませんから。こんな施設は是非、デートコースとして開放するように、私がアドバイスというか提案してみたところ、早速承認され、カップルを呼び寄せました。さて、ご好意に甘えて、お土産をもらい、帰ることにしました。ベビースター自衛隊編です。 国家とはなにか、裸の自衛隊を垣間見た有意義な一日でした。
2008.05.03
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しかし、私が、長岡市寺泊に到着した時には、既に、受付終了である。 640年前のお方がおられるそうです。古い方ランキングです 知り合いには、ナツコはいないが、カラオケで、ツイストのナツコをシャウトしたことは17回ぐらいある。勿論、椅子は壊れた。この方ではありません怪獣怪物もので、どんなのが結構子供心に怖かったかといえば、その代表格が、超人バロムワンのミイラルゲである。この青銅のお方が、即身仏になられました。子持ち石、何故だか、ダンコン有。 それにしても、もう、大変時間がなくなっているのであることに、気がつきつつあった私は、その後、空港までの時間をシュムレーションしながら、カーナビを見ると、飛行機の出発時間をすでに越している。これはやばい、15分前にはチェックイン及び金属探知機を通過していなければならないうえに、ガソリンを満タンにしなければならない。ということは、60キロあまりの距離を25分ぐらい短縮しなければならない。非常にヤバイ状態の中、田舎の信号は無視しつつ、高速道路に入ってからというもの、時速1550キロぐらいで、とばしつつあり、汗は滲む。レンタカー屋にも電話して、速効で、出て空港まで送ってもらえるようすたんっばってもらう。空港カウンターに到着したのは、出発16分前であった。受付がおわてったので、続きを見たい方はこちら佐渡島、チンプレイスの宝庫島(なんだか、兄弟の淡路島に似てるなあ)(新潟編終了)2008年新潟旅行 上越市へ 柏崎・痴娪の家 柏崎フィッシャーマンズ 出雲崎石油記念館 出雲崎石油記念館2 長岡市ミイラ
2008.05.02
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だまし討ちのぶったくり国家によって、ガソリンが上がる前に、ガソリンがバカ程好きな我が超高級車を転がして、いや、180キロで高速道路を走らせて、以前から行こうと思っていた日本唯一の引揚げ資料を展示した舞鶴岸壁の母館に学習に行ってきた。何せ、私は、勉強が好きなおりこうさん、または俺降参なのである。今までも、シベリア抑留、ラーゲリその体験談を何冊か読んだことがあるが、簡単に言葉にはできないものがある。昭和33年までの間、66万人の人々が帰ってきた。終戦時、海外に居た軍人は320万人、民間人が300万人であったという。昔から、国家は国民を裏切るものだ。抑留にしても、関東軍とスターリンの密約により、残された軍人たちを強制労働させるために、売ったのだ。日本というのは、今も昔も、売国奴なのだ、もし、何も考えたくない人がいたら、国や政府のやろうとすることに、とにかく反対を唱えれば、まず間違いはない。石井731部隊でなくてよかった。学生の頃、はまった、不毛地帯のモデル、瀬島リュウゾウもおそらく、洗脳されたのであろう。しかし、すごい顔である。寒さで、顔が限りなく平面形になっていったというのか、人形作りの人が下手だったのか。ひたすら悲劇のダークワンダーランドに、しばし、動けぬ人となるのであった。ああ、今、ガソリンが30円値上がりした。またしても騙された。
2008.05.01
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