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昨夜私が作った書類をとりに朝はやく、社長が出社すると言っていたので8時前に出社したけれど社長はもう、ひと仕事してお客さんのところに出かけた後だった。はや!!ゆうべは、夜中に「忘年会、ひとつ終了ー!」と、電話を掛けてきて歌を歌ったり、ご機嫌だったので「たくさんお酒飲んだんですか?」と聞くと「いや、ある種のアルコール飲料を飲んだだけ。」と、応えていた社長。今朝はさぞ、起きるのが辛かったろうに。働き者だな。おっちゃんは。でも、よく考えたら私も社長の電話で夜中に起こされて朝は、5時に起きて朝ごはん作って息子を課外授業に送り出して来たんだから私も、働き者か?今年も、あと少しだしがんばろ~♪
2007/12/20
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娘が通っている草月流のいけばな教室にドイツからインターンシップで来ているマティアス君を連れて行った。エニシダとアイリスをまず、形どおりに生け、次に自分の思いどうりに生けてみるというやり方でマティアス君は、とってもかっこよく生けて皆に驚かれていた。センスなんだろうなあ~。生徒さんは、マティアスくんの他に先生の息子さんを含め男の子が3人と女の子が1人で男の子が多いことにマティアスが驚いていた。家でも生けられるように花器と剣山を借りて帰った。地下鉄まで一緒に歩きながら「どうだった?」と聞くと「楽しかった。」と応えたので「続ける?」とさらに聞くと「うん、続ける。」と言う答え。そっか、楽しかったんだな~♪よかった!よかった♪来年もなんだか楽しいことになりそうです♪
2007/12/19
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「あああ・・また、おこっちまった。これで、この保険会社にも行けなくなったな~~。」昨日の勢いとは打って変わってへこむ社長。大丈夫ですよ♪「こうして、どんどんいける会社が減るなあ・・」と、ぼやくので「社長の場合、だんだん世間が狭くなる・・と言うわけでもないところが不思議ですよね。」と、ちょっと持ち上げてみる。普通、癇癪を起こしてこんなことになった場合どんどん世間が狭くなるけれど社長の場合は、本人が気にしているほど叱られた当人は、恨みに思っていないような気がするのだ。実際、9月に転勤した前任者くんは転勤の挨拶に来て「社長には、いちばん勉強させてもらいました。ありがとうございました!」と、深々と頭を下げおっちゃんを泣かせた。「どんどん付き合いも広がっているし、世間が狭くなっているんだか、広くなっているんだか、わからんね。」と、私。「好き嫌いが、ハッキリしてるからな。」と社長。ほんとだねえ。まあ、元気出していきましょう!
2007/12/18
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本社の人間の答えをそのまま伝えるだけならお前なんぞいらんわっ!お前はサラリーマンで出世もあるかもしれんが本社と喧嘩せんか!喧嘩をっ!「こんな答えでは、代理店さんは納得しません!納得できる理由をキチンと示してください!!」と、何で喰らいつかんかー!ぶつかっていけよ!体を張れ!男を見せろ!男をっ!また、社長が担当さんに怒鳴っている。新しい担当さんに代わるたびに同じようなことをいっていて「オレも少々嫌になったよ。もう言わん。」と、先日言っていたのに。何も、どうしても出来んことまでしてくれ!と言っているわけじゃない。「これは、どうしても出来ません。」ならそれでもええんや!「これこれ、こういう理由で出来ません。」と言う答えが欲しいんや。本社の人間の答えを右から左に伝えるだけならお前の存在意味は、何もないじゃないか。お前の仕事は何だ?考えんか!この、ぼけっ!社長~、血圧あがりますよ~。
2007/12/17
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息子の学校の近くに介護老人ホームがあって今日は息子がそこへ「餅つき」のボランティア行った。生徒会の人たちばかり10人ほどだったらしい。男子の参加は2年の水球部の先輩息子の二人だけ。杵と臼で、ペッたんペッたんのお餅つきだったらしく当然男子が杵を使うことになったのだ。全部で30臼。息子はそのうち15臼ほどついたらしい。「寒いし、きついし、バアさんには叱られるし。」「何でバアさんに叱られたと?」「なんか、つき方が下手だって。」はっはっは!そりゃそうだろう。「餅が固くなるから、5分でつきあげろって言われて、超きつかった!」と息子。ふ~ん。なかなか厳しいね。「皆、寒いとか言って部屋に入っちゃうしさ。」そんなもんだよ!まあ、このひ弱な息子が15臼も餅をついたかと思うとちょっと嬉しい。帰ってきて、3時間ほど爆睡していたがまあ、当然かな~。お土産の、つきたて餅はとっても美味しかったです♪また、ボランティアがんばってくれい!
2007/12/16
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商店街で、友だちがF-エステートの女社長さんと話をしているのを発見!「何してるの~?」と近づいていくと社長さんが「今からオヤツを買いに行く」という。「いいな~!オヤツ!」というと「あら!あなた達も食べる?」と社長さん。「わ~い!わ~い!」と無邪気に喜ぶオバさん二名。「何がいいの?」「ケーキ!」厚かましいお願いにニコニコしながら、「わかった。」と社長さん。「コーヒー入れて待ってま~す♪」私たちっておねだり上手?それとも年取って、図々しくなったってことかな~?
2007/12/15
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娘がお花を習い始めた。草月流だという。いいんじゃないの?お母さんが池坊だからって池坊にする必要なないんだし。楽しければいい。実際、楽しそうに行っている。クリスマスのアレンジを作ってきたので事務所に飾ることにした。事務所は暖かいのでクリスマスまで持たないかもしれないがなかなか素敵なアレンジなのでいろんな人に見てもらうほうがいい。遊びに来た友人が「こういうアレンジって、こんな場所じゃないと映えないのよね。」と言ってくれた。雑然とした生活空間では、勿体ないと。そのとおりかも。今年のわが社のクリスマスはなかなか大人の雰囲気でいい感じです。
2007/12/14
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社長から、暗~い声で電話が。しかも朝っぱらから。「オレを叱ってくれー!」どうしたんでしょう?「なんで?」と聞くと「言いたくない。」と社長。「あ、そう。」と電話を切ろうとすると「おい!待て!話す!」要するに、朝早く元気に契約をもらいに行ったのに肝心の申込書を忘れたのだという?「わすれた~?どこに?」「家に。」「え~~!?」珍しいこともあるもんだ。「なにやってるんですか?」というと、「だからオレを叱ってくれ~!」と甘えたことを言うので「いっそ、ぶってあげましょうか?」というと「ぶつ?いやいかん!」と社長。「お前は、加減を知らんからな。ひどいことになる。」という。「そんなことはありませんよ。」というと「いや、そんなことある!」と、キッパリ。お前はお構いなしに、急所を突いてくるからな!はっ!と胸を突かれても死なんがお前は心臓を突いて来るからな!心臓突かれたら、死ぬからな!やべえ!やべえ!そんな・・・そうかな?
2007/12/13
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ある団体の研修旅行で神戸に行って来ました。異人館をめぐり夜はルミナリエを見て中華料理を食べてきました。「もう、異人館には何度も来た!」というような、セレブな奥様方と一緒だったので神戸初めて!元町でお買い物出来る身分でない!われわれ若手組(?)はコーヒーのにしむらでコーヒーを飲んだあと異人館めぐりへ。うろこの館やベンの家など共通チケットを買って筋肉痛を覚悟しながら集合時間に間に合うべく最後には小走りで坂道の街をウロウロしました。やっぱり、私たちまだ若いね!とか、自分で言いながら。「点灯式を見なければ、ルミナリエに来た価値がない!」という、セレブ奥様の指示で6時点灯という、一時間前に会場に着き点灯を待つ。正月の初詣のような混雑ぶりで早くきてよかったと思う。ルミナリエも、資金不足で今年は期間が短くなり来年以降の開催も危ぶまれているらしい。参加者への寄付を募っていた。100円の寄付を!と言うことだったので500円づつ募金箱にいれた。こんどまた、子供と再度来るまで続いてもらいたいなあ。阪神大震災の傷跡はすっかり癒えたように感じた。日本人って、頑張りやさんなんだね。と、友だちと話しながら南京町に中華を食べに行った。っが!予約していたお店は南京街ではなく三宮駅の先にあるという!さんざん歩き回って、疲れた足に鞭打って三宮駅のさきの本店まで、また歩いた。歩き回った旅行だったがその分食べたのでダイエットにはならなかったんですよねえ。でも、楽しい旅行でした。
2007/12/12
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「お母さん、お米が届いたよ。」家に帰ると、子供たちが待ち構えていた。宅急便の箱を開けてみると分厚いビニールの袋に入った米が二袋。「あれ?お米しか入ってない!」と息子。「当たり前やん。おじちゃんが送ったんバイ。」と娘。母がお米を送ってくる時はお菓子や缶詰やお小遣いやらぎゅうぎゅう詰めで来るのでコロンとお米だけ入っているダンボールに激しく違和感を感じたようだ。「お婆ちゃんみたいな宅急便やったら逆に気使うわ!」と私。「干した米じゃなさそうだよ。」早速、送ってきたお米でご飯を炊いてくれた娘が笑う。「言うてやんしゃんな!」と釘を刺し弟に、電話する。「ありがとね~!」「おお。着いたか~。」「早速食べよるよ~。」「そうか~。陽に干すなよ~!」「了解~!」これだけの会話でサッサと電話を切って着替えていると「お母さんの姉弟って変。」と娘が笑う。「どこが?」というと「なんか・・・変。」そうか?娘が炊くご飯はちょっと硬めで本当は少々好みではないのだけれど何もせずに食べられるご飯はありがたく美味しい。弟にも娘にも感謝だなあ。。
2007/12/11
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「バアさんがさあ、アンタに米送ってくれって言っとるんだけどさあ・・」と、弟が言うので「忙しいんだから、ついででいいよ。」というと「そうか、じゃあ今度な。」といったあと急に笑い出し「あのねえ、米に虫がついても陽に干したらあかんよ!」というので「あたりまえやん!乾燥して食べられんよ。」というと「うん!ものすごく不味いでねえ!」干したんかい!「だって、そんなこと知らんもん!」と弟。農家の長男に生まれて40過ぎになって、知らんかったんかい!ま、そんなもんかな・・。母に思いっきり笑われたらしい。「笑い事じゃねえくらい、不味いよ。」そりゃ、ご愁傷さま。「新しい米が来てから送るからな。」と弟。ありがとう。といって電話を切った。なんだか、弟からお米が届くのか・・!と思ったらそれはそれで、楽しみになった。
2007/12/10
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11月になって「お母さんどう?」と弟に電話すると「うん、ぼちぼちやな・・」と言う答え。「髪も抜けてないらしいやん。」というと「抜けたぞ!全部抜けてないだけや。」という。そうか・・心配かけんように、そう言ったんだな。「食いてえ!ってもんを、届けてるけどな。俺も忙しいし、毎日行ってるわけじゃねえぞ。」そりゃあ、仕方がないわ~。「婆さんがおらんでなあ、家が大変なことになっとるわ~」母が今までしてきたことの大きさを弟夫婦も、あらためて感じているらしい。「柿畑なんぞ、『どうぞ好きなだけ持っていってください!』状態じゃ!」う~ん・・・そうか。「全部はできん。」もっともだ。こうして、代替わりしていくんだな。
2007/12/09
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母の入院している病院では福祉大学の実習生を受け入れているらしく母にも、実習生に担当をさせてもらえないか?という依頼があったので快く引き受けたらしい。「それがええ子でねえ!」2週間ほどの実習期間中いろんな話をしたりお世話をしてもらったり病気のことを教えてもらったりものすごく楽しかったらしい。しかも、実習生を送り込んでいる大学の教授がご丁寧にも御礼に来られて話がはずみ、仲良くなったのだという。よかったよかった。「看護婦さんも先生も、生徒さんもみんな良くってねえ。」なんだか、とても楽しそうでウキウキした声で話すのを聞いてこちらも嬉しくなってきた。ガンで入院していてこんなに楽しそうに入院生活のことを話せるのは本当に有り難いことだ。いい病院にご縁があったとあらためて、紹介してくださった先生にも感謝する。伯母たちも毎週のようにやって来てはおしゃべりして帰るので病室では喋らないように注意されたという。ううう・・同室の患者さんすみません。ツライ治療には違いないだろうが病気を受け入れて、治療して、治って退院するんだという前向きな気持ちでいてくれるのが有り難い。何よりも、明るいのが有り難い。のんきな人だとは思っていたがこんなに明るい人だったのかと今更ながら、母の気持ちの素直さや強靭さに驚いた。伊達に年取ってねえ!
2007/12/08
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10月に入って治療もワンクールを終えたらしく一時帰宅していると母から電話があった。主治医から、「家に帰って、美味しいものを沢山食べてきてください。」と言われ、楽しみにしながら帰ってみるとお寿司にウナギにヤキトリにご馳走を山盛り用意して待っていてくれたらしい。「美味しくてねえ!沢山食べたのに、まだオニギリ作って食べようかと思うくらいやわ~!」と母。結構なことだ。忙しいのに、よくしてくれる弟の嫁さんにも感謝する。どうやら、首の腫瘍は随分小さくなってきたようで喋るのも苦しそうだった声が随分張りのある声になっている。かすれもなくなってきている。よかった。「先生が、『きれいに治るよ。』って。」と母。そうか~、よかったよかった。笑うjこと希望を持つことがん治療にはストレスを減らすことが大切だというのはこの仕事をしていて、知識としては知っていたがこうして笑いながら「よかったよかった。」と言い合えるには家族の助けが大きいのだと言うことをあらためて実感する。母は、寂しさを感じていない孤独な気持ちで病気に向き合っていない「寂しくない」ということは気持ちを前向きにコントロールするのにものすごく重要な事なんだと、あらためて実感した。ありがたいことだ。
2007/12/07
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娘が「いつ見舞いに行く?」と、聞いてきた。「お母さんだけ行ってきてもいいよ。」という。「もう、お母さんがいないと困る年でもないし。」それはそうだけどね。福岡から岐阜の病院までお見舞いということになれば日帰りというわけにも行かないし結果、弟夫婦に世話になることになるな・・と思い、母の様子を聞くのを兼ねて弟に電話をしてみた。食事がイケナイようだが治療は順調にすすんでいるという。「お見舞いだけどさ。」というと「あ~!こんでええよ!」と一言。「むしろ、来てもらったら迷惑。」「え・・・?」「アンタがきても役には立たんしねえ。」そりゃそうだ。「ほら、み~んな忙しいでさ~、来てもらっても困るんだわ~。」あ・・そうですか。思わず、笑ってしまった。弟らしい。一見、ぶっきらぼうでヒドイ言い方のようだがお金を使って、わざわざ見舞いに来なくていいようにこんな言い方をしたんだな・・と、、苦笑いしつつ、ありがたいと思う。「死にそうになったら、電話する。」というので「出来れば、もっと前に電話してくれ!」と、キッパリ言い置いて、電話を切った。
2007/12/06
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「悪性リンパ腫や。」と、弟から電話が入った。「そっか。」と私。とりあえず、他にガンがないかPET検査をして、それから治療に入るらしい。PET検査も万能ではないがリンパ節の腫瘍が転移したものであれば間違いなく映し出すだろうから片道2時間以上かかる病院に行くことになるがこの際、遠くまで出かけて検査する価値はある。伯母が道中寂しいだろうから一緒に行こうか?と電話してきたらしい。喉がふさがって喋るのも難儀なので丁重に断ったという。伯母は、気分的には保護者のようで心配で仕方がないらしい。PET検査の結果は「他にガンは見つからなかった。」というものだった。ひと安心する。翌日から早速入院の準備をして悪性リンパ腫の治療が始まった。
2007/12/05
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社長から「結果がでるまでそっちに居てもいいぞ。」と電話が入ったが娘の仕事もあるし息子の課外授業もあるしそういうわけにもいかない。羽島駅まで、送ってくれた弟が別れ際に「おい、金貯めとけよ。」と突然言い出した。「ババアの葬式になるかもしれんからな。」「・・・・・」ったく!縁起でもない言い草だが弟も、結構ショックであれこれ考えたんだな・・平然として見えたけどな・・と思う。「うん。」と応えて別れた。
2007/12/04
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まず弟に、診察の結果を話す。「考えられるのは、他の臓器からの転移か悪性リンパ腫。」というと「そうか~。」と一言。とにかく、2日後には福岡に帰る私に出来ることは何もない。「よろしく頼むね。」というと「うん、まあ心配するな。」という。だいたい普段から、気が強くてオッカナイ弟だがこんな時は頼りになる。伯母たちからは、電話が次々にかかっていて気を揉んでいる様子。何度も電話を掛けてきていたらしい一番上の伯母に電話をすると若いお嫁さんが出て「今、モチの木に登っています。」という。この暑いのに、なにしてんだ?どうやら、庭木の剪定をしているらしい。このくそ暑いのに!しかも90歳を過ぎているのに!と、呆れる。お昼ごはんの時間を見計らって再度かける。「悪性の可能性は大きいが、検査待ち。」と伝えると、「私、心配で心配で。」という。「まあ、ここで気を揉んどってもしょうがないでねえ・・」と、慰める。「こんなになるまで、なんで放っといたかねえ・・」と、不満も出る。「それを言っても仕方がないでねえ・・」と諌める。「そうやねえ・・」5月に叔父が肝臓ガンで亡くなって次に母が何らかのガンということになると姉妹の下から順番に病気を患うようで何となく不安になるという。「大丈夫。今はガンでも簡単には死なんから。」というと「そうやねえ。確かにねえ。」と、ちょっと明るい声になる。「この頃、いい薬が出来とるもんねえ。」「そうそう。治る病気になってきたもん。」「そうやねえ。また、結果を教えてね。」結果は必ず伝えると約束して、電話を切った。歳をとって、弟や妹から病気になるというのは、辛いことだろうな・・と、伯母の心配する気持ちを思う。母は、7回忌も終わってホッとしたのか体を休めることが多くなった。随分体もだるくて、きつかったろうに。すっかりやせ細った姿をみると心が痛んだ。つづく
2007/12/03
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いつもは、1人で来るので気持ちもしっかりしているけど今日は、私がついて来ているので何もかもまかせっきりになってしまって情けないわ・・と、母が言う。「病気の時ぐらいいいんじゃないの?」と答える。お盆の最中だったが結構患者さんも多くて母の知り合いの奥様(といってもお婆ちゃん)は自転車で転んだらしく近所の若い奥さんに、連れてきてもらっていた。「この人の目の前で転んだんよ。」とお婆さん。「ほ~んと、ビックリ!でも誰も居ないところで転ばんで良かったよねえ。」たしかに。加えて、それが優しい奥さんでよかった。母が、その奥さん方と話をしている間に私だけ先生に呼ばれた。「レントゲンにあやしい影はありませんでした。」と先生。ひと安心する。「おっぱいもシコリはないし。」黙って聞く。「ただ、リンパ節にあれだけ大きなシコリがあるって言うのは何らかの悪性のものがあると考えるのが普通でね。」「はい。」「あと考えられるのは、リンパ腫。」悪性リンパ腫か・・「検査の結果は何時ごろでしょう?」「一週間ぐらいやね。」「よろしくお願いします。」「あなたに連絡すればいいのかな?」「いえ、私は一緒に住んでいないので、できれば弟に。」「ああ、一緒に住んでないの。そうか~~。」今更ながら、遠くに嫁に行ったこと離婚して、尚且つ実家に戻らなかったことその他もろもろの親不孝を思う。母には、先生から説明をしてもらった。「悪性かどうかはわからないけど、とにかくちゃんと調べて治療せんとね。」という、先生の言葉に素直にうなづく。「はい、この頃物が飲み込みにくいし。」「うんうん。治療せなあかんね。」優しい先生でよかったと思う。とにかく、細胞診の結果を待って次ぎの病院を紹介してもらうことにしてとりあえず、家に帰った。つづく
2007/12/02
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8月以来、日記もかけないままそろそろ2007年も終わろうとしていてこのままではダメだな~と、気を取り直してPCに向かっています。いろんなことがたっぷりあった5ヶ月間でしたが一番大きな出来事は母の病気でした。父の7回忌で実家に帰ってみると母の首に大きな「しこり」が出来ていました。大粒の梅の実ぐらいのグリグリで首のリンパ節のあたり。「痛くない?」と聞くと「痛くないけど、この頃物が飲み込みにくくなった。」という。しこりが悪性と仮定してリンパ節に転移しているとするとまずは肺がんか乳がん・・夜、一緒にお風呂に入っておっぱいの様子を見ました。・・・が特別おっぱいにくぼみや引きつれはない。もっとも84歳のおっぱいだからよくわからない部分もあるけど特別変わったところはない。さすがに、触らせてくれ!とは言い出せず、すぐに病院に連れて行こうと決めお風呂をあがりました。「お父さんの7回忌までは。」となんだか1人でがんばっていた母もいよいよ物が飲み込みにくくなり伯母たちからも、すぐに病院に行くように薦められ法要の翌日、病院にいくことに。暑いから・・とか今日は休みかも・・とかなにかと病院に行くのを渋る母を朝から待ち構えて、病院に連れて行く。歩いて5分ほどのところにかかりつけの病院があるのでそこで見てもらうことに。ここでは、4月に健康診断をしていて胸部レントゲンに影がありしばらく通院していたところ。きれいな病院で先生も看護士さんも親切で安心する。「ああ・・グリグリ大きくなちゃったね。」と先生。「ちょっと、おっぱい触らせてね。」と胸の触診。「胸のレントゲン撮ろうか。」と胸部のレントゲン。「ちょっと、細胞をとって調べるからチクットするね。」とシコリの細胞診。とりあえず、この病院で出来ることは全部してもらった。つづく
2007/12/01
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足早にやってきた台風でJRが止まるとの情報に体育祭のことで学校に行っている息子に急いで電話をする。JRが止まると困るから急いで帰りなさいよ!博多駅にいた私は駅員さんに確認し一部急行が運休しただけでまだ筑肥線は止まっていないことを確認し再度息子に電話を入れた。筑肥線は止まらないから電車で帰ってきなさいね!「わかった。」と答える息子に安心して早々に店を閉め自宅に戻ったが待てど暮らせど、息子は帰ってこない。イライラしながら、息子の携帯に電話をするが応答がない。「何のために形態持たせとるんじゃ!」と怒りながら、何度も電話をするが応答がない。え~!筑肥線 止まったっちゃろうか?と思い、地下鉄まで見に行ってみるものの電車は普通に走っている。腹を立てながら家に帰ると娘が携帯で怒鳴っているのが聞こえた。「バカか?お前は!お姉ちゃんがお金出してやるけんすぐタクシー拾って帰って来い!!」呆れたことに友だちと、学校から歩いて帰ってきたらしい。もっと呆れたことに友だちの家の近くまで歩いて友達と別れた途端に、不安になったらしく娘に電話をしてきたようなのだ。どうしたバカっちゃろうか?「タクシー拾えんし、電話してもどこも繋がらん。」しばらくして、情けない声で電話が入る。「そこにいなさい。」財布だけをつかんで表に飛び出しタクシーを捜す。とても流しのタクシーを拾うのは無理かと思ったけれど運よく、近くのタクシー会社の車を拾えた。ずぶ濡れの息子を拾ってタクシーに乗せる。座席が濡れるので運転手さんにタオルを借りた。とほほ・・社長に話すと「わっはっは!青春だ!青春だ!」と、大笑い。何でこんなにバカな事をするのか理解に苦しむ・・「いい思い出になるさ♪」と、一言。いい思い出って・・男って、ほ~んとバカだなあ。
2007/08/02
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近ごろ流行のスピリチュアルな相談をもう、随分前からやっているヤスオちゃん。娘が「時々お爺ちゃんが夢に出てきて彼氏を叱っている。」という話をすると「お爺ちゃんは、あなたを気にかけているのよ。」と、にっこり。彼氏を叱っているのは父が、彼氏をつまらない男だと思っているのだという。「お爺ちゃん、本当はとても愉快な人だったのよ。」という、ヤスオちゃんの言葉に、私はとても驚いた。父は、生真面目で厳しい人だと思っていたし冗談の通じるような人ではなかった。とても怖いイメージが大きかったのだが・・。「ああ・・でも、私わかる。」と娘。「お爺ちゃんはいつも、楽しそうに笑う人だったよ。」う・・・ん。なるほどぉ・・。父が長生きだったことや生涯一小学校教員だったこともあり確かに、教え子の同窓会には、よく呼ばれていた。父が亡くなった日も数十年前の教え子の皆さんが偶然、同窓会の時の写真を持って尋ねて来られた。生真面目で怖いだけの先生だったらそんなふうな慕われ方は、しなかったかもなあ・・私の知らない父が突然甦って、にっこり笑っているような気がした。もうすぐ父の七回忌。今年は、去年までとは違う気持ちで父の墓参りが出来るかもしれないな・・盆休みに合わせて、七回忌の法要も執り行うと母から電話があった。母や弟に、ヤスオちゃんから聞いた父のこと「愉快な人」だった父のことを話すのがなんだか、待ちきれないような気分になりました。
2007/07/27
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コンサートの後、和代ちゃんを呼び出し一緒に飲むはずだったのにせいこちゃんが電話するのを忘れていて随分飲んだころに、思い出して電話すると和代ちゃんがお着物でやってきた。「まったく!もう・・子供用に作ったカレー食べちゃったわよ!」あと、数分電話が遅かったら、着物も脱いでいるところだったという。「あら、裸でもよかったわよ~。」すでに、十分飲んでいて特に反省する様子もないせいこちゃん。口で言うほど、怒っている様子もない和代ちゃん。見た目は、女5人と男1人のテーブルだが中身は女6人なのでそれはそれは賑やかだし大いに盛り上がる。 それもそのはず。6人中5人がB型でせいこちゃんだけがAB型。そのうち、ヤスオちゃんと私と和代ちゃんは同じ亥年のB型だもん。恐ろしい組み合わせの飲み会に、なっとったいね♪ 誰も気を使ってくれないが誰にも気をつかわなくていいので楽しいこと、この上ない。焼き椎茸を頼んで、ソフトドリンクを飲みながら嬉しそうに椎茸を、モクモク食べる娘を見てヤスオちゃんが「あんた地味ねえ!」と笑いながら自分も焼き椎茸をつまんでいる。 伊勢えびのお造りは残りをお味噌汁にしてもらったのだがこれが、またちゃんと人数分のお椀に入ってきて食べやすくていい。皆、殻についた実をしゃぶりながらお酒を飲む。何を話したか、いちいち思い出せないほど勝手に皆、しゃべりまくりついに、閉店までねばって飲んでしまった。 ビールに焼酎に日本酒。お造りの盛り合わせ。伊勢えびのお造り(味噌汁込み)箱うに。イカの姿煮。焼き椎茸と焼きピーマン。タコわさ。おにぎりなどなど・・お腹一杯食べて飲んで1人3千円ほど!久しぶりに磯貝に来たのだけど相変わらず、安くて旨いな~♪お腹も心も満腹になりちょっと喉がかれてしまった幸せな夜でした。
2007/07/26
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娘と娘の友だちウチダと六楽師のコンサートに行ってきた。会場には、思いがけずたくさんの友人が来ていてちょっと驚く。オカリナとケーナ奏者である和田さんはもちろんスチールドラムを自在に操るパーカッションシンセサイザーとピアノを同時に弾きこなすキーボード深い音色のチェロ心にしみこむようなギターの音優しい人柄があふれ出ているようなコントラバスすべてが素晴らしかった。周りの人の話しを聞いているとどうやら、リピーターも多いらしく「前に来たときは、八楽師だったんだよ。」という声も聞こえた。CDが飛ぶように売れていた。うちの娘とウチダはコンサートが始まるとすやすや寝入ってしまい休憩で目を覚ますと「気持ちよかった~!癒された~♪」と、すっきりした顔でにっこり♪ウチダは仕事で、最後までいられず残念そうだった。コンサートが終わった後ヤスオちゃんとヤスオちゃんの友だちセイコちゃんと私たち親子5人で藤崎の「磯貝」↓で飲むことに。http://rp.gnavi.co.jp/sb/3007734/当然コンサートの話が、まずは話題の中心で「涙がでて止まらなかった。」とヤスオちゃん。和田さんには、演奏が始まると何かが乗り移っているという。大きな樹と龍が舞っているのが見えたらしい。そりゃすごい!このようなことには、非常に鈍感な私でさえオカリナとかケーナとか笛の音には、何か魂をゆすぶられるものがあるような気がした。また、和田さんのコンサートがあったら次ぎもぜひ行きたい。と、皆口をそろえた。素敵なコンサートでした。
2007/07/25
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夕方、時間があるなら顔の引き締めをしてあげる。左右違う顔になって、面白いよ!というメールが届いた。ああ、あれか!と思う。残念ながら、夕方は予定が入っていたのでお顔の引き締め会は流れたがそれにしても、お顔の引き締め効果のある化粧品を勧められる事が、最近多くなった!年をとったせいなんだろうなあ・・とは、思うものの最近どこの化粧品会社も顔の半分に美容液を塗ってみて左右の違いを見せるという引き締め効果デモンストレーションをするのでこれには最近、新鮮味を感じなくなった。はいはい。すごいねえ!随分、垂れてたんだねえ。とほほ。。。しかし、毎回こうなると「あら、あんまり変わりませんね。」と言わせてみたい。という、意地悪な気持ちがムクムクと沸いてくる。次、いつするかは未定だけどまた今晩から、引き締め効果があるってことで買った某化粧品会社のパックでもするかな~。めんどくさいので買って、1.2回使っただけでそのままになっていたけれどあれも買っただけじゃ、効果はないもんねえ。ようやく、日の目を見るか?お肌引き締めパックちゃん。「美は一日にして成らず。」「継続は力なり。」年をとるにつれて「なお一層の努力」が必要なのは何とも、煩わしいことである。やれやれ。
2007/07/23
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今日から夏休みのはずだが今日から、夏の課外授業があっていつもと同じ時間に家を出る息子。今日はお弁当を作らなくていいというので、朝ご飯の用意をゆっくりしたが夏休みに入ったという気分には程遠い。夕方、家に帰ってみると夜市にも行かず、息子はテレビを見ていた。「行こうと思って下まで降りたけど、人ごみを見てくじけた。」という。「腹減った。」というのを聞いてそうか~、疲れてるんだな~。と思う。外では賑やかなお祭りが続いていたが我が家では静かに、本を読んだり、テレビを見たりして過ごした。10時近くなって外で、喧嘩をしているような声が聞こえた。お!元気だね~!と思う。うちの王子は?と見ると風呂にも入らずベットでグーグー寝ていた。お疲れさん♪ゆっくり寝なっせ♪
2007/07/21
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朝から、サニー高取店の駐輪場はお祭りの準備で賑やか。そうか~、もう夏祭りの季節なんだなあ~と、気がつく。ってことは、今夜から毎週土曜日は土曜夜市があるってことだね。娘は、「ウチダと土曜夜市に行く約束をした。」らしい。息子は「もう、夜市って年でもないけど・・」と云いながら「ビンゴゲームは参加しよう!」とか言っている。楽しみにしてんじゃん!去年までは息子が、土曜日は塾だったのでお祭りって気分でもなかったが今年は私も、久しぶりに出かけてみるかな~。じゃ、そろそろ片付けて帰るかな~♪
2007/07/20
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今日は私のお誕生日なので外で食べよう♪ということになり西新の粉屋にスパゲッティを食べに行った。粉屋は久しぶり。しかも家族で粉屋に行くのは本当に久しぶり。マスターのタカシマさんは相変わらずダンディーで、ちっとも変わらないがお店は、落ち着いた雰囲気に改装されていたし満員のお客さんで大賑わいだった。娘が予約をしてくれていたので奥のテーブル席で、ゆっくり食事が出来た。どうやら、お誕生日の食事会だと娘が電話で言ったみたいで「どなたのお誕生日ですか?」と尋ねられ、ちょっと驚いた。私であることを告げるとタカシマさんが顔を覗かせ「お母さんやったとね!」とニコ♪私と娘はアンティパストとお好きなスパゲッティとケーキセットで、2人前3500円のセットを。息子はサラダとお好きなスパゲッティとケーキセットで一人前1800円のセットを頼み3人でシェアして食べた。美味しかった。ここの麺は、自家製の生麺でプリプリしていて、ガッツリしたソースにも和風のソースにもよく合う。私はいつもの「和風海の幸」娘は3種類のチーズのなんとか・・というの息子は、どこに行ってもカルボナーラ。どれも美味しくて、「幸せ~!」と云いながら食べた。娘は、来週東京から帰ってくる友達と一番にここに来る!と早速電話をしていた。こども達から、ロバート・B・パーカーの「ハガー・マガー」のペーパーバックとタンクトップをお祝いにもらった。母親が欲しがっているものをちゃんと用意してくれて、泣かせる。食事が終わりケーキセットが運ばれてきたら私のレア・チーズケーキに小さなチョコレートのプレートが乗ってきて「さとみさん、おたんじょうびおめでとう!」と書いてあった。驚いたし、何だかあったか~い気持ちになった。みんな、今日は本当にありがとう♪ケーキもおいしかった。お勘定はなんと!娘が払ってくれた。一つ歳をとるたびにこども達も大人になっていくんだなあ~と、しみじみ感じた。歳をとるのも、けっこういいなあ♪
2007/07/20
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夕方、コンサートのチケットを持ってオニちゃんがやってきた。オニちゃんとは、息子が中学校の時、一緒にPTAの役員をした仲だが今回、彼女の友人でオカリナ奏者の和田名保子さんという人のコンサートがももちパレスであって、そのチケットを届けてくれたのだ。「Feel the Moon」雅天空 六楽師コンサートhttp://www.geocities.jp/windocarina/new/live/0725.html7月25日はなにか、特別な一日らしい。月の公転を基にした、コズミック・ダイアリーの一年の終わりの特別な日なんだそうだ。娘と娘の友だちのウチダにも声を掛けたら「行く!行く!」と二つ返事。ウチダは去年だったか、天神を裸足で歩いていたヤツで先月、息子の誕生日を祝いにきてくれて魚の絵と、得意のペニスの絵を描いてくれた。最近じいちゃんから、パリに家を買ってもらったと言っていた。スピリチュアルな相談に乗ってくれるヤスオちゃんやお祭り女のコピーライター、セイコちゃんも来るらしい。特別な日でなくても、面白いことになりそうだ。平日ですけど、出かけてみません?「和田名保子さんのHP」http://www.geocities.jp/windocarina/new/live/live.html
2007/07/19
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知り合いのお孫さんも、息子と同じ高校に通っているらしい。息子に知っているか聞いたら「うん、クラスは違うけど知ってるよ。」とのこと。「今日も見かけたよ。今日も目がキラキラしてた。」と息子。「キラキラ?」「うん。彼はねえ。いつも目がキラキラしててねえ、こんな人を純粋って言うんだろうなあ・・と僕はいつも思うよ。」という。ほう!「あんたは純粋じゃないとね?」と聞くと。「ったく。僕なんかどぶに落ちたような存在だよ。」と、随分悲観的な事を言う。「でも蓮は沼の泥の中から咲くよ。」というと、「う~ん。じゃあ、どぶなんていいもんじゃないかも。」「どぶの方がマシなものってなんだ?」「そうだなあ・・お風呂のぬめり、台所のぬめりとか?」へんなやつ!ハニカミ王子と同級生でハンカチ王子が登場する、ず~っと前から「王子」と呼んで育てたのにぬめりって・・好きな芸能人は「さくらももこ」と「辛酸なめ子」とか言ってるし将来の希望は、さくらプロダクションに就職・・って?いいのか?わるいのか?う~ん・・どこで間違ったのかなあ・・?まあ、面白くていいけどさ。
2007/07/18
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”週末は、田舎で過ごす!”という企画を、グラウンドワークがいろいろしているのだけれどこれが、次から次ぎにアイディアが出てきて驚く。ブルーベリー狩りもその一つ。実は、ブルーベリーを出荷している農家のお父さんが昨年亡くなったため奥さんは収穫はできても、山から車で集荷場まで運べない。「どうにかならんかねえ・・」という相談を受けてじゃあ、皆でブルーベリー摘みに行って持って帰りましょうや!ということになり、この企画が出来上がったらしい。8月の4日(土)と18日(土)の両日実施。雨天決行。お昼付き。大人一人3900円。福岡市天神の日銀前からバスが出ます。詳しくはこちら↓http://www.h3.dion.ne.jp/~gw-fuku/2007-08kikaku.pdfブルーベリー食べ放題!お土産用1パック付き♪ジャム作りが大好きな、アカセのお母さんに話すと「ブルーベリー買ってきて♪お金あげるから。」とのこと。喜んで!1キロ1000円です。友人にも電話して、一緒に行こう!と誘うと「虫がいるようなところはイヤ!」という、「じゃあ、ブルーベリー買ってこようか?」というと「自分で作るのはイや。出来上がったヤツを買ってきて。」とのこと。はいはい。わかりました。昨日も、ホタルと石橋の館にブルーベリーが出ていたけれど粒が大きくて、美味しそうでしたよ♪今回は、息子も行く♪という。何だか楽しそうだと思ったらしい。となると、長靴を買ってやらないかん。成長期で、何回も履いていないのに中学の時買った長靴は、もう履けんもん。先日買ってきたスニーカーは28センチだった。背は164センチくらいなのに、バカの大足ってヤツか?大豆を植えた残りの部分に8月になったら、白菜植えよう!と、いう話も出ているらしい。来年の話になるが、なんとかさんの竹林での竹の子掘りも、すでに企画済みらしい。なんだか、こんな風に田舎に知り合いが増えていくのって嬉しい♪商店街との交流ができたら楽しいなぁ。ブルーベリー狩りご一緒に行きません?
2007/07/17
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星野村に、大豆の苗を植えに行って来ました。上陽町のホタルと石橋の館にオープンしたレストランゆずのきでお昼を食べた後ゆっくり、山の段々畑に行こう♪ということで、昼前には上陽に着いたのだけど初参加の大学生「ハラさん」が、車に酔ってダウン。大学生、特に女子大生は、睡眠不足のせいか車に酔う子が多いんですよねえ。その点、おばさん達は元気です。レストランゆずのきでは、グリーンカレーを食べました。スパイシーで美味しかったけどご飯が多すぎて、お残ししてしまいました。体調の回復しないハラさんを置いて星野の段々畑に出発。現地では、グラウンドワークのメンバーとも合流し車で山道を登ります。生憎の雨だったけれど長靴と合羽と帽子で、完全防備の私。「よし!これで完璧!」と悦に入っていると「完璧と思いようのは、本人だけバイ。」と、星野村のタニグチさんに突っ込まれる。やっぱりそうか!わっはっは!!現地に着いてみると、村の人たちが畑を耕して、畝をつくり、畑は苗を植えるばかりになっていました。今回は、サイトウさんのお友だちの子供さん「ハルくん」とご主人も参加。場が、実に和んで楽しく作業がスタートします。苗を植え始めるとすぐに、雨が降り出し山は霧に包まれて、合羽を着ていても汗と雨とで、ずぶ濡れに。「いやあ、カンカン照りよりなんぼかいいさ。」と、村のお父さん。なるほど、そういうもんか・・・。しかし、山の霧雨に包まれてする作業は不思議に苦痛ではない。張り切っている無邪気なハルちゃんの存在にも癒される。「一人でしよったら、辛かばい。皆でするけんよかっさ。」と、お父さん。そうですよねえ。苗を植えながら、ふと素朴な疑問が沸き起こり、聞いてみる。「直接、種を蒔いたらいかんと?」「うん、畑に種ば蒔ききよったら、すぐにカラスや鳩が来て食べていくとよ。」ああ!なるほど。「やけん、しばらく育ててから植えなおすったい。」そうか。豆だもんなあ。美味しいんだろうなあ。双葉が出たら、あっという間になくなるんだそうだ。作業が終わる頃に、やっと雨が止んだ。麓まで続く段々畑の景色が素晴らしい。畑にブルーシートを広げて、スイカとおばしゃんの手作り饅頭でお茶を頂く。スイカは甘いし、お饅頭は美味しかった。ハルちゃんは、虫取りに夢中だ。畑の周りには、ミョウガが群生していてその側の小さな水路には、カワニナがビックリするほど沢山いた。「ここは、ホタルが沢山いそうヤネ!」というと「ああ、いるかもなあ。わざわざコゲナとこまで来んけどな。」とのこと。ホタルは清流にしか棲めないと思われがちだけれど実際は、ホタルの餌であるカワニナが清流にしか棲まないためホタルといえば清流と思われているだけらしい。ホタル自身は、それほどきれいな流れでなくても棲めるのだそうだ。そうだったのか。カワニナが鍵だったのか。濡れたまま帰るのも辛いのでハラさんをひろって、べんがら村の温泉に入って帰る。まだ、外が明るいうちに温泉に浸かるのは、実に気持ちがいい。次は、枝豆として食べられる頃草取りをかねて、畑を見にこよう!と、帰りの車の中で話し合った。楽しみである。
2007/07/16
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夕方、娘と待ち合わせてリニューアルしたアフタヌーンティー・ベーカリーでお茶をした。シナモンドーナッツとオレンジ・アイスティーが美味しかった。帰りに二人で地下鉄を待っていると到着した電車から締め込み姿のお兄さん(お父さん?)が二人、颯爽と降車。(颯爽とと言う感じでしたよ!)それを見て「おお!ママおしりだよ!」と娘。うんうん。その格好で電車のってきたんだねえ。「あのお尻さあ、2月ぐらいからヒップアップするようにジムで鍛えるって知ってた?」と聞くと「うん。エステに行くらしいよ。」と娘。エステ!親子三代、山笠に出ていることなど珍しくない博多の男衆。10代の息子のお尻は、当然プリッと上がっている。60・70代のジイサンのお尻は垂れていても、それはそれで味がある。しかし、40代のお父さんは息子のお尻とまではいかなくても垂れて、形が崩れていては見苦しい。そこで、見苦しくないだけのお尻にするために2月3月頃から、鍛え始めるのだそうだ。ちなみに、ごりょんさんも一緒に付き合ってこの時期だけ、シェイプアップするらしい。そして、山笠が終わってリバウンドする。毎年、この繰り返しなんだとか。7月1日から15日間。博多の人々は、この山笠期間中のために一年を過ごすんだなあ・・・とあらためて思う。しかし、あれだけ堂々とお尻を見せるには陰ながら、涙ぐましい努力があるのかと思うとどこぞの旦那様であろう男衆のお尻がついつい、愛おしくなってしまう私なのでありました。
2007/07/13
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あ~暑い!と思いながら、春吉近辺を歩いていると「警察も山笠期間中は、甘いよな~。」という話し声が。この時期の博多で山笠以上に強くなれるものは何もない。山が終わらなければこの町は、仕事の話も選挙の話も始まらん。いい町なのだ。今年は、ゆっくり飾り山を見る余裕もなかったが呉服町のビジネスセンタービルの東流れの飾り山はなかなか良い。見送りの「孫悟空」が素晴らしい。猪八戒は思いっきり豚だし沙悟浄は緑色の河童そのものだが躍動感があって、素晴らしい。ちなみに走る山は愛染明王で、こちらも素晴らしいできばえである。気がつけば、明日は集団山見せ。朝、中山社長が「セミがボツボツ出てきたよ。」といっていたけど山が終われば、本格的な夏が来る。本格的な夏が来る前に台風が来そうな気配なのだが台風が来ても追い山はあるんだろうか?グラウンドワークの大豆作りのための畑仕事は、16日に延期になった。山笠は延期できないので関係者の皆様方はさぞ気のもめることだろう。無事、奉納出来ることを陰ながら祈ろう。
2007/07/12
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久しぶりの雨。博多の町も、梅雨に入ったようで朝から、降ったり止んだりの雨。午前中、博多駅前に用事があって出かけた。用事を済ませた帰り道駅前で信号待ちをしていると背後から「傘やろうか?」という男性の声。振り向いてみると自転車に全財産を積んでいるような様子の使い込んだ紺色の合羽を着たおっちゃんが傘を差さずに信号待ちをしている若い女性に声を掛けていた。「ほれ、女性用のがあるバイ。」と、折り畳み傘を、大荷物の中からゴソゴソ取り出して若い女性に差し出した。いつの間にか、雨は結構な強さで降り出していた。声を掛けられた女性はというと、声を掛けられたことに戸惑い明らかに迷惑な様子で「いえ、大丈夫です!」と言っている。「買わんでいいやん。持っていきなよ。」とおっちゃん。見ると、自転車にはビニール傘や、男性用の傘など他にも何本かの傘が積まれている。「いえ、もうすぐそこまでですから!」若い女性は、声を掛けられたこと自体にも、ストレスを感じている様子。おっちゃんの方を、見ないで一刻も早く信号が変わるのを願っているように雨の中、落ち着かない様子で信号機を見つめていた。信号が変わって、女性は逃げるようにその場を立ち去りまっすぐコンビニに入っていった。「知らない人」と言うだけでなく「ホームレスのような人」に傘をもらうのは、かなり勇気がいるよなあ。彼女の態度は、普通の反応だよなあ。でも私なら、もらっちゃうんだろうな~。お礼を言って名刺なんか、渡しちゃうかもな~。バカだもんなぁ。何となく、あのおっちゃんが寂しい気持ちになったような気がしてちょっぴり気になった。地下鉄で、その女性とは、また一緒になった。おしゃれなTシャツとジーンズの女性の手にはコンビニのビニール傘が。品の良いゴールドで、袋までついていたおっちゃんの折り畳み傘を思い出していた。
2007/06/14
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法人会の女性部会の研修旅行で大分県中津の「八面山金色温泉」というところに行ってきた。→金色温泉会員のほとんどが、社長の奥様方で多少気は使ったものの実に楽しい2日間でした。世慣れた、セレブの奥様方ばかりでそれなりの苦労を乗り越えてきたらしいおば様方はそれぞれに、人生を楽しむ術を知っているし人当たりが良く、何よりも優しい。「先月はね、アラスカに行ってきたの。」「私は、8月には、スイスにいくのよ。」「私も、8月トルコに行こうと思うけど、このプランどう?」「年取ってから、こんなハードスケジュールはだめよ!」「そう?」「オランダがきれいよ。」「オランダは、何年か前に行ったのよ。」「エーゲ海クルーズが、船に乗ってるだけで楽よ。」「クルーズはいいわねえ。」口を挟むのも、あいづちを打つことも出来ない私はただ、ニコニコとお話を聞いておりました。もっともっと、この技に磨きをかけるべきだと実感しました。帰路二日目は、羅漢寺という、有名なお寺にお参り。シーズンオフの平日ということで我ら一行以外には、老人会御一行様ぐらい。静かな古刹をめぐることが出来ました。山の上にある羅漢寺まではリフトで。咲き乱れる南天の花や、緑の木々をのんびり眺めながらのリフトの小旅行(5分ほど)。暑くて日焼けが気になったものの、なかなか気持ちがよくシェイプアップに!と無理をして山道を登らなくて良かった。羅漢寺に向かうリフトを乗る前に禅海和尚のお墓がある「禅海堂」という建物があり青の洞門を30年かけて掘ったという禅海和尚の遺品(実際に使ったノミなど)が展示されておりました。子供の頃に読んだ青の洞門を実際に通ってさらに、実際使ったという道具を見ると何だか不思議な気持ちになりました。羅漢寺は、500羅漢さんでも有名だけれどしゃもじに願い事をかいて納める珍しい願掛けがあって、皆さん家族の分までせっせと書いて、納めておられました。羅漢寺を降りて、麓のおみやげ物屋さんで食事をしていると、羅漢寺のお坊さんから「今日は、大変潤いました。どうぞ麓でも、沢山お金を落としていってください。」と声をかけられたと先輩のお姉さまが、笑っておられました。お坊さん、ナイス!ゆっくりバスで行きゆったりとお風呂に入りたっぷりお食事を頂く楽しい旅でした。宿の「こがね山荘」も素敵でした。夜、思いがけない地震があったことも良い旅の思い出になりました。家族で行ってみたい場所が一つ増えました。
2007/06/07
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カリスマ主婦モデルの黒田知永子氏が離婚していたというニュースを朝からやっていた。勝ち犬だったからこそのカリスマ性が離婚によって損なわれるのでは・・?というようなコメントつきで。「負け犬の遠吠え」によると『現在結婚していない』というのが負け犬の条件らしいので美しく、仕事もバリバリこなし子供を生み育て、親権を持っていたとしても負け犬は、負け犬。離婚したことによる、黒田さんの幸福感や挫折感とはまったく関係がなく、負け犬の分類に入ってしまう。負け犬になっても、彼女は世の主婦層に受け入れられるのか?よけいなことではあるが何となく、今日は一日中気になっていた。カリスマ主婦という言い方自体私自身の多少の嫉妬心も含めて胡散臭いもののように感じていたので家族の中に問題が起きての離婚という結果は「やっぱりな。」という気持ちが強い。本物の良妻賢母は、家庭以外の場所に生きがいを見つけたりはしないものだ。『良妻賢母と言われるようでは、まだまだ。』と、以前読んだ「祇園の真実」という本に書いてあったがその通りなんだろうと、私も思う。「カリスマ主婦」は「良妻賢母」と同じ意味ではないのだろうが主婦=良妻賢母であらねばならないような気持ちになるのはなんでだろうなあ・・。完璧な人間がいないように完璧な子育ても、完璧な主婦も本当はいないはずなのに。ただ、家族のことを、他の何よりも優先できないことで私自身、欠陥人間のような気分になることもありそれこそが負け犬体質なのだ!完璧であるかどうかは問題ではない!と酒井順子氏にズバリ言われてしまうと「参りました!キャイーん。」と、お腹を見せるしかない。黒田さん、あなたもそうだったんですねえ。なにカリスマ主婦なんぞという分けのわからん言われ方なんぞとっとと捨てて、颯爽と、もしくは坦々とこれからの人生を歩んでいってもらいたいと思う。がんばってください。私みたいなオバちゃんにしかも、それほど好意を持ってみてもいなかったオバちゃんに応援されて嬉しいもんでもないとは思うけど。一応、がんばっ♪
2007/06/01
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超高速で5月が過ぎた。つい先日、連休が終わったような気がするのに。とはいえ、盛りだくさんの5月であった。毎週何らかの会議に出席。NPOと財団法人の総会が2つあった。保険会社の勉強会があり、出席する。訪問いただいた方々とおしゃべりをし書類の整理もしているのだが隣の薬剤師さんには「一体いつこのお店は開いているのか?」という疑問を投げかけられる始末。プライベートでも息子の授業参観があったり進路説明会があったり(早くも!)息子によれば「中間テストは死んだ!」らしいがそのくらいなにさ!!私なんぞ、ミニドックを受けて内臓脂肪のうえにコレステロールと尿酸値が高いことが判明し「5キロ痩せること!」という診断がでたんだじぇ!福岡一ストイックな生活が似合わない私に減量だのダイエットだの、シェイプアップだの・・・いっそ突き抜けるほど肥えてみるか?「5キロ痩せたら、第二の人生があるかもよ♪」とフカガワ先生。第二の人生は、もういいかも・・・とはいえ内臓脂肪の除去に効果があるというボディーバランスというブルブルする健康機器を友人と半額づつ出し合って買ってしまったところをみると「もういいよお・・」と口では言いつつ何かが変わることを、心のどこかで期待しているのかもしれませんけど♪親子とも、五月病になっているような暇はなくそれはそれで、幸せなことかと思いつつ。6月も、6日7日と法人会の女性部会の旅行。12日の乳がんセミナー等々予定表が埋まりつつある。6月は決算月だし。また、リセットして頑張るかな♪はい。6月上旬の上陽町はホタルと銘茶祭りをやってます。ホタルもそろそろ飛んでいるみたいです。週末は、ホタル見物で込み始めるかもしれません。↓ホタルと石橋の館ホームページhttp://joyo-town.jp/yakata/contents/yakata.htm グラウンドワークの企画で明日、明後日と天神の日銀前からツアーバスも出ます。週末は、田舎の空気もよろしいかと♪
2007/05/31
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午前中、母に電話をする。叔父のお葬式は明日で今日は夕方、仕事の予約が入っているけれど明日の朝、新幹線で行けば1時のお葬式には間に合うから行こうか?というと、帰りの新幹線代は出してくれるという。親ってありがたいな・・叔父は肝臓がんだったらしく入院して3日目に亡くなったという。「よう喋って、元気そうだったのに・・」と母。叔母たちも見舞いに行っていて「目は見えんが、声でわかる。」と喜んで、顔や手を撫で回し喜んでいたという。亡くなった時も周りに家族も看護師さんもがいたのに誰も気がつかないくらいす~~っと亡くなったらしい。「ああ、眠ったね。」と言っていたら亡くなっていたらしい。喋り、笑い亡くなるまで毎日(といっても3日だが)見舞いに行った伯母に「ありがとう。ありがとう。」と50回以上も繰り返し「なむあみだぶ・・あむあみだぶ・・」と云いながら大きく息を吸いこんで、吐き出して眠ったと思ったら、亡くなっていたらしい。さして苦しみもせず穏やかな終焉にいつも穏やかだった叔父の一生を思う。母としばらく、叔父の話をしてしみじみ寂しさを感じる。「じゃあ、直接会場に行くから。」と電話を切ると折り返し電話が鳴り弟が「遠いのにわざわざこんでいい。」と言っている。と、ちょっと戸惑ったような母の声。母も、弟には弱い。「わかった。じゃあ弔電だけ打っとくから。」というと、「じゃあ、香典は立替とくから。」という。ありがたく、そうしていただく。なんだか、お別れに行かなくてはいけないような気もするが遠い空から、叔父を送り出そうと思う。いままですべてのことにおじさん、ありがとう。という、感謝をこめて。
2007/05/05
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八女の上陽町で、新茶祭りがあり中国の留学生や大学生たちと一緒にお手伝いに出かけた。あいにくの雨で、ホタルと石橋の館は訪れる人もまばら。それでも、「星野村まで雫茶を飲みに来た。」という、山口からお越しのご夫婦や石橋を見に来たという、ご家族連れ近所にお住まいの皆さんが雨の中、立ち寄ってくださった。トルコの留学生、セチキンさんの作るケバブサンドウィッチと大谷さんのスモークサーモンでスモークサーモンサンドウィッチの屋台を出した。ケバブはスパイシーで、とっても美味しかった。ボランティアでバイト料も出せない代わりに夕ご飯はバーベキューをしよう!ということでミウラさんという、大工さんがセカンドハウスとして建てて一般にも宿泊等、貸し出しをしてくれる家に準備隊として、一足先に着く。ウッドデッキのテラスに露天風呂。冷暖房も食器類も寝具も調味料からお酒や炭まで揃っていて何を使っても良いという。おしゃれな造りにも、充実した設備にもそこからの眺めにも驚く。暗くなると、朧橋のライトがとても美しい。「天気が良くて、星が見えたらもっと素晴らしいよ!」と、地元の方々。そうだろうなあ。準備をしている時に弟から携帯に電話があり叔父が亡くなったという知らせが入った。「遠いんだから、来なくていいぞ。弔電だけ打っておいてくれ。」とのこと。「わかった。」と答えながら最近、目が見えなくなっていたおじのことを思いながら野菜を切ったり、準備をした。そういえば、叔父も人が沢山来るのが好きだったなあ。バーベキューの炭が赤々と熾った頃にはドンドン人が集まって人数は14人と聞いていたのに結果的に20人以上になり買い出した食糧はすべて食べつくした。若者のはてしない食欲に、オバサンは仰天しつつ中国の留学生、男子組とともに帰途に着いた。新茶とちまき、野菜のお土産に息子が、「地味な土産~!」と笑う。ちまきは砂糖抜きで、とても美味しかった。息子はそのまま、私は砂糖をつけて食べた。このほうが、砂糖の摂取量も結果的に少ないのだろうなあ。亡くなるまで、おそらくダイエットとは無縁だった優しい叔父のことを思いつつ床についた。
2007/05/04
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今日から博多どんたく。西新の宴舞台場も、一日賑わった。会場では、恒例のガラポンくじと商店街が出す、ヨーヨーつりと綿菓子やきらく会が作る、ヤキトリと焼きそばなどのバザーが、お祭り気分を盛り上げる。オープニングで鏡開きがあって振る舞い酒があるのでお約束のように、酔っ払いがいるが皆、慣れたもので、上手に対処している。お弁当や、おつまみもたっぷり用意されていてお手伝いはボランティアだけれど皆、楽しくやっている。私は、ヨーヨーを作ったり接客したり、おにぎり屋さんを手伝ったり綿菓子を作ったりウロウロしながら、アレコレ手伝った。樽酒が入った、2リットルのペットボトルが行ったり来たりして樽酒が、お手伝いのテントに運ばれる。飲みながら、食べながら、喋りながら綿菓子を売り、焼き鳥を焼く。舞台では、フラダンス、ジャズダンス日舞、太鼓、手話ダンスアカペラ、フォークソング、R&B、カラオケなどなどよくも、これほど沢山の出演者がいたものだと今年もまた感心する。4歳から90歳まで!という、幅広い年齢層の出演者達なのだ。芸どころ博多の底力を見る思いがする。各地区の公民館や文化センターで様々な芸事を習い、楽しむ人がいてどんたくの宴舞台という、発表する場所がある。博多から、多くの芸能人をだしているのもうなづけるというものだ。夕方近くになって花バスが西新にもやってきた。電飾の飾り付けをしたバスだが昔の派手な電飾に比べるとかなりおとなしめの電飾ではある。「何だ?あのショボイ電飾は!」と、さっそく商店街の親父さんたちが野次る。「あげな情けない飾りじゃあ、つまらんばい!」お酒が入っているので、手厳しい。「いやいや!省エネですよ♪」というと「省エネやらつまらん!」と、お父さん。ご時勢ですって♪お父さん。5時半には、舞台が終了した。同時にバザーの屋台も終了して軽く後片付けをした後軽い打ち上げがあった。明日もまたあるけれど今日だけのお手伝いさんもいるので今日は今日で、お疲れ様会♪ということだ。私も明日は、上陽の新茶祭りのお手伝いなのだ。軽く、樽酒とオツマミでさらっと反省会をしてさっと終わった。帰りに西新派出所の前を通りかかると会場に一日中いた酔っ払いが派出所のおまわりさん相手になにやら語っていた。おまわりさんも、にこやかに応対している。博多のおまわりさんは、酔っ払いには慣れているのだ。博多どんたくは、明日も続く。天気も心配なさそうだ。明日の私は、上陽町の新茶祭りのお手伝い。朝8時に日銀前に集合だ。「お手伝いは、何をすると?」と聞いたら「う~ん。なんかみんなで楽しめたらいいな♪」という返事が返ってきたので「あ、そう。」で終わった。何をするのかわからないまま朝8時、日銀前に集合です。明日も、楽しもう♪
2007/05/03
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「ショーック!ショック!ショック!」夕方、社長からの電話。「どうしたんですか?」と聞くと「ショックな事があったと・・・」と、力のない声。ふむ。大抵、社長がショック!だの激しい落ち込み!だの言う場合は最愛の息子に「お父さん、あっちに行って!」とか「うざいよ。黙っててくれん?」などと言われた時。「また、お坊ちゃまにいじめられたんですか?」と聞くと「ちがう!仕事のことったい!」と言う。「仕事の事って・・契約が流れたんですか?」というと「違う!申込み書はもらってきた!」と言う。「ふむ。じゃあなに?」と再度聞くと「もう!ショック!ショック!ショック!『あんた、ミスが多いな!』って言われた!もう~~~ショック!!!」なんだ、そんなことか。そういえば、申込み書の書かなくて良い場所に名前が書いてあって訂正印をもらいに行ったんだったっけ?「落ち込んだ!気分をよくしてくれ!」と社長。はあ?「ほめてくれ!」はあ・・「オレをほめてほめて、気分を良くしてくれ!!」やれやれ・・「社長はえらい!仕事が速いし顔が広いし、嫌な事もとっとと済ますし不備補完も、もう済ませたなんてなかなかマネができないよ!」と、思いついたことをのべてみる。・・と「そんなんじゃダメだ!オレがミスして、ただサッサと仕事したってだけじゃねえか。もっと、オレが素晴らしい人間だってことをチカラいっぱい言ってくれ!」はあああ~~!?「わかった。社長は素晴らしい!運動神経はいいし、腹出てるのに足速いし声が大きいし、人気者だし社長は素晴らしいよっ!」と私。「おい!ちょっと待て!それはほめてるのか?」と社長。「そうです。」「腹出てるは余計だろう!」「そうかな?」「当たり前だ!もっと、上手くほめんか!頭が良くて、男前で、仕事が出来て、モテモテで!・・とかな!」「・・・・」「もう、天にも昇るように、ものすごくほめてくれ!」「わかった。お世辞を言うんですね。」「ちがう!心から言ってくれ!」「・・・・」「ほれ!いいぞ・・」「はい!どうぞ~!」「社長は頭が良くて、男前で、仕事が出来て、モテモテで素晴らしいな~!」「ダメダメ!気持ちがこもってない!もっと、気持ちをこめて!はい!」「ったく!せからしかねえ!」駄々っ子か?結局、私がキレて社長の機嫌も、同時に直ったようです。まったくどこまでも、人騒がせなオッサンです。
2007/04/26
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息子に、CDプレイヤーを買ってやる約束をしていたので夕方、ドンキで待ち合わせて、広告の品を購入した。あちこち見て歩けば、もっとお買い得品があるかもしれないが息子も私も、時は金なりである。ポータブルCDプレイヤーが、3990円也。あまり聞いたことがないメーカーだったけどまあいいや!思ったより安くついたのでいい気分で、隣のフレッシュネスバーガーに寄り二人でハンバーガーを食べた。夜、私はグラウンドワーク福岡の定例会があるのでガッツリ食べよう!と息子は、ねぎミソバーガーと照り焼きチキン私は、チーズ・チリバーガーのようなのを食べた。「いつ食べても、ねぎミソはうまいな!」と息子。息子の頼んだ、パイナップルジュースもとても美味しかった。チリ・チーズバーガーは、チリビーンズが入っていたりして実に私好みで美味しかったがカフェ・ラテはぬるくて、苦くて大失敗だった。ハンバーガーを食べながら学校の話を聞く。今日は、英語の単語テストがあって先週の単語テストでは合格者が、クラスで息子一人だけだったらしいので今日の首尾はどうだったか、気になって聞いてみると「うん、今回はほとんどが合格だったよ。」とのこと。みんな、がんばったらしい♪数学が、難しくてヤバイ!という。中学の時教えてもらっていた九大生の先生に、連絡を取ろうか?というと「う~ん、まだいい。」と言う返事。手遅れになる前に、手を打ちたいがもう少し、自分でがんばってみる・・というので、様子を見ることにする。フレッシュネスバーガーの前で「じゃあね。」と別れた。数時間で家に帰るのに何だか、ちょっと寂しかった。社長を笑えない。私もまだまだ、子離れできないようである。
2007/04/25
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オレンジ通りに引っ越して以来週に一回は、商店街の半被を着て近所をウロウロすると決めている社長が最近、一声運動なるものを新たに始めた。近所の商店街の皆様に「こんちわ~~」と一声、声を掛けていくというもの。「なんで?」と理由を聞くと、「まだまだココでは、オレの顔が売れているとはいいがたい!顔を覚えてもらうには声を掛けるのが一番だ!」ということだそうな。お魚屋さん、お肉屋さんお花屋さん、薬局、酒屋さん・・「こんちわ~」とこまめに、声を掛けていく。どこの店でも、誰が声を掛けたのか一瞬ビックリした顔をされるがそこは、さすが商売人の皆様。「ああ!こんにちわ~!」と元気な返事が返ってくる。だからといって、特別仲良くなっているというわけでもない。でも、なんとなく「変な人だけど、この商店街の人。」と言うのは、あまねく知れ渡ってきたように思う。ただ、個人的に少々気になるのがその声の掛け方。「こんちゃ~!」とも「うんちゃ~!」とも「あんちゃ~!」とも聞こえる何とも不明瞭な声で時にはただ「あああ~~!」と唸っているようにも、聞こえる。「言語が不明瞭!」と指摘すると「いいんだ!」と社長。「これは一声運動であって、一言運動じゃねえんだから。」と。ただ、声を出して、相手に聞こえればいいらしい。ああ、そうですか。何だかふざけたとはいえ地道な「一声運動」は今日もまた静かなオレンジ通りに響くのでありました。
2007/04/24
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息子の高校は、学ランである。なかなか、硬派な感じでいい!と言いたいところだが中学も学ランだったのであまり代わり映えがしないと言うのが正直なところだ。上着はボタンが違うだけなので中学校の学ランでも構わないのだろうけれど中学の入学時に買った学ランは上着はつんつるてんでズボンはこれ以上無理なほど、裾上げしていてお尻は、擦り切れて継ぎがあたっている状態でもちろん、合格発表の日の物品購入で、新しい学ランを誂えた。ズボンには、校章が刺繍してある。ここはちょっと、中学とはちがうなあ・・と思う。中学校の時は、入学早々学ランのボタンを潰したりなくしたりしていたがまだまだピカピカの学ランである。息子の中学の卒業式のとき、娘は「やつは何個『ボタンください♪』って言われるかな~♪」と、密かに楽しみにしていたらしいが誰からも、「くれ」と言われず(笑)そもそも、そのような習慣もなくなっているようで「つまらん!情けない!」と時代の移り変わりを、一人で怒っていた。高校の学ランの下は、特に決まりがないらしい。Tシャツでも、トレーナーでも基本的には何を着て行ってもいいらしく靴下まで決められている私立高校に比べると公立高校は、ゆるくていいな~~と、しみじみ思う。思えば、中学よりゆるいということだ。息子は、カッターシャツを着ていっているが高校入学時に買ったのは一枚だけで中学の時のと交代で着て行っている。細かいところで、公立はお金が要らないんですねえ。しかし、毎日持っていくカバンはカバン自体は軽いとはいえ置き勉は禁止だし毎日、辞書まで持って行っているのでその重さたるや、相当なもので学ランの肩が、すでに少々摺れてきている。学ランにも、3年間がんばって貰いたいものである。
2007/04/23
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昨日は、夕方から法人会の女性部会の総会だったのでアクサ生命への提出書類を社長に頼んで出かけました。 会場がキャナルシティのグランドハイアットだったので保険会社に寄ってから、出かけるというのを「オレが出してきてやるから。」と、胸を叩くので、お願いしました。総会と懇親会が終わって、事務所に帰りお店を片付けて、娘と待ち合わせ帰宅途中、社長から電話が入ったので「あ!アクサに行ってもらえました?」と、確認すると「ああ・・アクサやろ?」と社長。「そうそう。口座振替用紙、出してもらえました?」「ああ、アクサねえ、無くなったらしいよ。」「・・・・・」呆れて、一瞬声が出なかった。「出すの忘れたんですか?」「いやあ・・その・・お坊ちゃまのお迎えがあってさあ・・」「だから?」「この世の出来事と、わが子とどちらが大事か?と言われたら、わが子やろうが?」「はあ?」「だいたいな、オレにそういうことを頼むお前が悪いよ。」「・・・・・・」「そう。あなたが悪い。」「・・・・・・」「え~っと、ゴメンなさい。」わが社は、相変わらずの漫才コンビでやっております。息子の受験は、私立、公立ともにおかげさまで合格して、彼は今、一時間近くかけて西区の県立筑前高校に通っています。朝補習が今週から始まり6時半ごろ家を出て学校に行きます。弁当を作るのに、私は5時起きです。とりあえず5日間がんばろう!と思いつつ、日々を過ごしています。仕事の方は、4月から保険料率が変わったり申し込み書やパンフレットなど帳票類の変更で、入れ替えがあったり保険会社の支払い漏れの件で連日大量のFAXが流れてきたりで少々カリカリしたりしていましたがやっと、落ち着きました。気持ちが落ち着かないと食事もゆっくりかんで食べないようで早食いとともに大食いになっていて先日うけたミニドックの結果コレステロールと尿酸値が高く「運動をして5キロ痩せたら、第二の人生が待ってるよ。」とフカガワクリニックの先生に言われました。第二の人生に、興味はありませんが確かに身が重いのを感じていたので近ごろ、せっせと歩くようにしています。もうすぐ、「博多どんたく」がやってきます。商店街からも、割り当てのお知らせがまわってきました。また、商店街からたよりをお届けできればと思います。
2007/04/21
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今月も元夫に養育費の請求の電話をした。お金がないことはわかっているが養育費は私のお金ではない。息子のお金なんだしもうすぐ受験だしない袖は振れん!などと言う言い草にしょうがないねえ。じゃあいいよ!などと言っている場合ではないのだ。「うん、ホントに厳しくてね。」と元夫。それはわかっとうよ。「2月2日は私立の入試っちゃんね。」と私。「どこ受けると?」と聞くので「大濠高校。」と答える。「そうかあ・・」黙っていると「持って行きたいのは山々だけどねえ・・」と、随分情けない声になった。それでも黙っていると「実は、さいたま市で甥の結婚式があるのに行けないくらいでさ・・」というので驚いた!「結婚式っていつ?」と聞くと「明日。」というのでまたまた驚いた。一応、明日の結婚式の会場だけは聞いておいた。何時に始まるのかは知らないようだった。お金のほうは夕方、2万円届いた。夜、娘に彼女の従弟にあたるS君の結婚式の話をすると「まったく、なんでこんな御目出度いことを言わないかねえ。」と、彼女なりに憤慨していた。「私らには知らせたくなかったとかもしれんけどさ。」祝電ぐらい打とう!ということになった。息子と娘の名前で今日は祝電を打った。文例1015ーーーレモンのようにフレッシュでビールのようにコクがありジュースのように甘い生活を二人で仲良くつくってください。末ながくお幸せに。ーーーーーーーー近頃の電報の文例はなかなかよく出来ている。明日の午前中に配達してもらうことにした。いくらなんでも午前中に式も披露宴も終わることはないだろう。元夫の一番上のお姉さんとはなぜか絶交状態になっているようなので式には出ないだろうし元舅は昨年亡くなったし親戚は、誰が出席するんだろう・・?子供たちが話し合っている。「でも、S君は『誰が来ん!』とか、そんなこと気にしない人だよね。」と、子供たちが口々に言う。「落ちついとんしゃあ人やけんね。」・・だね。もう、遠く離れてしまった元親戚だけど末永くお幸せに♪と、皆で東の方を向いて陰ながらお祝いした。やっぱり、お祝いのほうがいいもんだな。
2007/01/26
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香典とは別に息子の言葉と名前で弔電を打った。おばちゃん、お別れに行けなくてごめんね。知らせを聞いてビックリしました。思えば、おばちゃんにはスペースワールドやら城島後楽園やらケンちゃんと一緒に、いろんなところに連れて行ってもらいました。お遊びに行くと、いつもご飯をご馳走になりました。おばちゃんのご飯は美味しかったです。おばちゃんは型破りな母親だったかもしれないけれどいいお母さんだったと思います。こんなに早く、お別れを言わなければならないとは僕は本当に残念です。安らかに眠ってください。ご冥福をお祈りします。メッセージを伝えるのに思わず声が詰まってしまった。本当に息子はK子ちゃん一家にお世話になった。息子は息子で、様々な思いがあったのだろう。昨日は学校で、仲の良かった友だちと、先生に話をしたと言っていた。「転校した子のことはどうしようもないのよ。」と、先生は申し訳なさそうに息子に言われたらしい。それはそうだろう。仕方のないことだ。見栄っ張りで教育ママだったK子ちゃんは「息子を灘校に行かせるねん!」と、息巻いていた。「ケンちゃん、灘校受けるのかな・・?」仲の良かった友だちとはそのことを話したと言っていた。どうかな・・夜、東の方を向いて親子で手を合わせた。
2007/01/25
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お葬式に行けない代わりにお花でも・・と思い共通の友人に電話すると「お花ねえ・・」と、あまり気乗りのしない返事が返ってきた。「香典にせん?」と友人。「だってK子ちゃん、お金好きやったからさあ・・」「ああ・・」と私。そうだ。彼女はお花もらうよりお金もらうほうが好きな子だったなあ・・「そうやねえ。お金好きやったねえ・・」何だか、涙が出てきた。ロマンチックのカケラもない超現実的な女だった。それでいて、寂しがり屋のかわいい女だった。お葬式に行くと言う友人に香典を託けた。
2007/01/24
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このブログにも度々登場して保険の見直しやらがん保険の素朴な質問やらでネタを提供してくれていた友人の「K子ちゃん」が亡くなった。早朝6時30分だったと言う。体が悪いことは知っていたし人工透析一歩手前でもう保険には入れないがためにアレコレ保険のトラブルにも巻き込まれたり感じなくてよいストレスを感じたりいつも、てんやわんやしている人だったけれどこんなに早く亡くなるとは・・・友人からの知らせに絶句した。家業をたたんで身内のお姉さんを頼って神戸に2年前引っ越していた。新幹線に乗れば数時間の処だけれどこの時期、とても遠いところのような気がした。夜になって彼女のご主人のシゲルちゃんから電話があり亡くなるまでの様子を聞いた。本人も死ぬなどとは思ってもなくてまわりも、それほど悪くなっているとは思わずのほほんと過ごしていたのだという。それが、転院した先の医師の能力の問題なのかいわば患者と医師とのコミュニケーション不足だったのか気づいた時には、腎臓よりも肝臓の機能が低下していて手遅れの状態だったのだという。なんということだろう・・「お別れ、行けなくてゴメンね。」そう謝ると「何ゆうてんねん。こんな時期に!」と、シゲルちゃんは言ってくれた。彼女にもうちの息子と同じ年の息子がいるのだ。3歳からず~っと一緒の学校に通っていた大の仲良しだった。「東の方向いて、手合わせてくれたらええねん。」と、こんな時なのに気遣ってそういってくれた。「気を落さんでね・・」そう伝えるのが、精一杯だった。
2007/01/23
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