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夜明けを創るセミナーの御案内を色々な人にメールで送っている。よくよく考えれば、申し込みのテンプレートをPDFファイルでメールで送り、それをFAXしてもらうよりも、あらかじめメールで申し込みの返信ができるようにするほうが早いのである。しかし、早ければよいというものではない、やはり先輩や先生などには、きちんとした形での報告連絡相談が大切である。余談だが、メールといえども、「拝啓」やせめて「前略」など、きちんとした挨拶から書き始めるように心がけたい。何故なら、メールだとどうしても「こんにちは」とか「元気ですか」などの軽い言葉から始まってしまいがちであるからである。(それがメールの良いところかもしれないが)しかし、やはり占部先生は凄い。何が凄いと感じるかというと、どんなに忙しい時でも、私のような者にでも、すぐに返信をして下さる。セミナーなどの案内を出しているとそれが良くわかる。何度も何度もメールを出しても、「見ました」の返信さえしてもらえないことがほとんどである。最近では「それがあたり前なのだ」と割り切って、どうしたらすぐに返信してくれるかという工夫をし始めた。例えば「『見ました』の返事だけとりあえず下さい」とか「欠席の場合は、返信しないで下さい」など。苦労が絶えない。そんな現状であるから、占部先生のように「超多忙」「超激務」の毎日を過ごされているはずであるにもかかわらず、返信してくださるのを、「有難い」と思うと同時に「これこそが学ぶべき『姿勢』である」と強く思う。口先だけではない。知識を伝えるだけではない。素晴らしい「師」というものは、その生き方全てがお手本となる事を、自分自身も身にしみこませておきたい。
May 4, 2005
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昨日、友人を送りにベイサイドプレイスへ行く途中、舞鶴公園の横を通りました。桜が非常にきれいな名所で、たくさんの方が訪れていました。そこで、今日、家族皆を連れて、舞鶴公園へ行ってきました。 桜が本当にきれいに満開でした。(^^)v自然の美しさというものは、本当に人の心を和ませてくれるものですね。
Apr 9, 2005
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毎日一生懸命生きているからこそ、「自分で生きている」と勘違いしがちになる。だけれど、思えば今ここに存在できるのは、たくさんの人の「お陰」だけど、忘れてしまうよね。毎日一生懸命生きていると。だから時々は、立ち止まって、そんな感謝を感じたい。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の話「忘恩」私たちは皆一人で生きているわけではありません。誰の世話にもなっていないという人でも、どこかで誰かの『お陰』をもらって生活しているものなのです。けれどもその『お陰』に対して、気づき感謝できる人は少ないものです。「会社の経営が苦しい時期に、あんなに援助してやったのに、 こっちが困って頼み事をしても、冷たい態度だ」と、相手の忘恩行為に腹を立てることがあります。「可愛がってあげたのに、恩をあだで返された」「信用してお金を貸したのに、だまされた」など、自分の好意を無にし、感謝さえしない相手に「傷つけられた」と感じることもあります。しかし、私たちは「おたがいさま」「おかげさま」で生きているわけですから、相手が感謝しなくても、「相手を思い」「尽くしていくこと」が正しいあり方ではないでしょうか。相手を非難できるほど、自分は忘恩行為をしていないといえるでしょうか。人に助けられ、思いやりを受けてきた事を自覚しないまま、自分ひとりで生きてきたと錯覚してはいないでしょうか。考えてみたいところです。
Apr 6, 2005
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人を変えたり、自分自身が変わっていくのは、「お説教」でも、「勉強になる話」でも、いい話でもないんだなぁと思う。本当に人に『気づき』を与え、感化するのは、『ひくい、やさしい、あたたかい』、誰を非難したり批判したりすることなく、その人間力で人を包み込む人柄ではないかと思う。誰かの詩にあったように『あなたがそばにいるだけで、みんなが温かくなる』そんな人間性を身に付けて年をとっていきたいものですね。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日のお話■私はしあわせ」■ ご紹介するのは、「笑顔の種蒔き」をライフワークとしている、福田純子さんの体験です。福田さんは福岡市で文化団体「笑顔共和国」を創設、その大統領として、講演活動やセミナーを全国で展開しています。 ある日、講演を終えた福田さんは、豊橋から博多に戻る新幹線に乗りました。車内に入ると、ハッとするほど美しく輝いた女性が目に留まりました。「すてきな人だなぁ」と思いながら、自分の座る指定席を探していると、なんとその女性の隣でした。席に座ってしばらくは黙っていましたが、車内販売にコーヒーを頼むときに偶然口をきき、それをきっかけに親しくなりました。 笑顔の美しいその人は、千葉に住む浅倉志津子さん。ご主人が広島に単身赴任しているとのことです。笑顔に関心の探い福田さんは、「どうしてそんなに笑顔が美しいのですか」と尋ねてみました。浅倉さんは、にっこりほほ笑んで言いました。「ありがとうございます。うれしいです。もし私の笑顔がそうならば、 それは母のおかげだと思います」 浅倉さんのお母さんには、二つの習慣があったそうです。一つは、朝起きるといちばんに、大きな鏡に向かって、「今日も一日笑顔でがんばりましょうね」と誓うこと。もう一つは、日に何十回となく「私はしあわせ」と言葉に出して言うことです。よい言葉を繰り返す浅倉さんのお母さんの晩年は、孫もたくさんできて、自分の息子や娘の家に順番に移り住む暮らし振りぶりだったそうです。いつも笑顔を絶やさず、「私はしあわせ」と言って明るく振る舞うので、子どもたちの間でもひっぱりだこでした。次の家に移るときは、子どものほうから電話が入り、「そろそろ、こちらに釆ませんか」とお呼びがかかり、「ハイハイ」と言って移っていったそうです。八十歳になったとき、お母さんは病で二日ほど入院しました。その間にも、多くの人たちが次から次へと見舞いに訪れます。たくさんの人に見守られる中、お母さんは、「ワタシハシアワセ」とひとこと言って、そのまま安らかに天国に旅立ったそうです。そのときの顔は観音様のようだったといいます。「あのおばあちゃんのような生き方がしたい。 あのおばあちゃんのような顔で死にたい。 それが私ども親戚一同の願いなのです」と浅倉さん。 福田さんは感動し、この話を全国に伝えて歩くようになったといいます。「私はしあわせ」なんと簡単な言葉でしょう。けれども、言葉には大きなエネルギーがあります。暗い言葉、嘆きの言葉、人を責める言葉を繰り返すのではなく、自分を幸福にし、周囲の人を豊かにする、簡単で楽しいプラスの言葉を繰り返し唱えたいものです。そうすれば、その言葉に見合った現実を体験することになるでしょう。
Apr 2, 2005
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「人間性」を変える為には、「習慣を変える」ことだね。「人間性」とは、その人全般をあらわすもの。よく、「あの人は仕事はできるけど、人間性がね」などと言われたり、また逆に、「あの人は、人はいいんだけど、仕事がねぇ」と言われたりする「人間性」とは、何がどう違うのか。それは、習慣が違うのだ。ここで言うところの「習慣」とは、目に見える習慣もあれば、「心の習慣」「ものの考え方」も含めていっている。人生を変えるのは「習慣作り」これに成功できるか否かなんだよねぇ。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の話「習慣」今では習慣になっていることでも、初めをたどっていけば、面倒くさい中始めたことかもしれません。仕事一つとってみても、やり始めたころは、何か後ろ向きで、重苦しいものだったことが少なくないでしょう。だからこそ、行動を始める場合には、意志の力は特に必要です。意識的に、同じこと、同じ仕事を、毎日繰り返すように、自分自身を持っていきます。現実に続けていると、まもなく楽にやれるようになるものです。初めの頃はどんなに面倒くさいことでも構わないのです。どんなにおっくうでも、ただひたすら毎日、例外なく取り組んでいると、それは間違いなく楽しいものになっていきます。全て習慣というものは、こういう風につくられ、実践されるものです。同じ事を繰り返しできるというのは、つまらないことではなく、実は大変意義深い事です。いわゆる努力というのも、続けられるから努力というわけです。思いつきで、二度や三度試してみるのは、誰にでも出来る容易な事です。自分にしっかり根付くのは、同じ事をできる習慣にあるのです。
Mar 23, 2005
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本田健さんの「幸せな小金持ちシリーズ」にも書いてあるが、成功するためには、「好きな事をやる」というのが大切だと書いてあった。また、望月俊孝さんの「幸せの宝地図」にも同じようなことが書いてある。自分が本当に楽しい、好きだと思えることを仕事にしている、という意味では、今の仕事は十分に楽しい。楽しんでいる。しかし、「経営」ということについて話し始めると、楽しんだり、ワクワクしたりして仕事をするのが、何かいけない事のような、非常識極まりない生き方、であるような思いがしてくるのは何でだろう?あなたは、今している仕事を、本当に「ワクワク」「楽しく」「周りの人を幸せに」というような状況でやれていますか~?「一番やりたいことは何ですか?」「その仕事を生業として生きていけるとしたら、 どんな仕事をしますか」という文章に出会って考えた。(-_-;)もし、何の制約もせず、その問いに答えるとしたら「会員制の本屋さん」だろう。自分が感銘した本、人が感銘を受けた自分も共感できる本、どの年齢の時に、どんな本に出会えたら、そうだなぁ、つまり、「本の診断士」「私、今これこれこういう状況で、 こういうことに悩んでいるんですが」「ふむふむ」「あなたの夢は?」「これこれこういう事がしたいんですが!」「そうか。それだったら、この本なんかどうですか? きっとあなたを素晴らしい方向へと導いてくれますよ」な~んていう感じで、コーヒーでも一緒に飲みながら話したり。そして出来ることなら、その二階では「学習塾」以前学習塾の先生でしたが、教師というのは、人間の人生に関与できる、一つの言葉でその人の人生さえ大げさに言えば変える事も出来る。素晴らしい職業だと思う。そして、今お世話になっている先生の秘書。(人生の中で、この先生(現職の高校の教諭)に出会えた事が、自分でも財産であると思う)この三つを一緒に小さなオフィスでもいいからやりたい。これが今の自分の夢であ~る。
Mar 17, 2005
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「あなたの夢は何か」と聞かれたことがある。僕もそうだが、ほとんどの人は、「夢は何ですか」と聞かれても答えられない人がほとんどじゃないかな。(^^ゞあなたはどうですか?「夢」と聞かれると、何かたいそう大きな事に思えるから、とっさに答えられない。だから、「一番欲しいものは何?」「一番行きたいところはどこ?」「あと一年で死ぬとしたら何をする?」「あと一年と言われていて、一年過ぎたら、 あと三年は生きられます、って言われたら何をする?」こう考えると、意外と自分の夢に近いものが口をついて出てくる。その当時は欲しいものがいくつかあった。「自分の家」「車」等々。しかし、「モノ」というものは、手に入れるまでは、非常に「価値のあるもの」に思えるが、手に入れてしまうと、意外にその価値は自分の中で薄くなるのが手に入れてみてわかった。(※お金持ちのようなケタはずれの価値あるものがうちにはないからねぇ)『行きたいところ』これはまだまだある。一つは「スイス」スイスの「アルプス登山鉄道」に死ぬまでに一度乗りたい。もう一ヶ所は「南極」南極でオーロラを見てみたい。その他にも素晴らしい国々や場所が世界にはある。あ、新婚旅行で行った「メキシコの『ロスカボス』」最高であった。大学の時に、面白い話を友人としたことがある。「なぁ、人間がさあ、 欲しいものを全部手に入れたあとで 最後に欲しいと思うものって、なんやろ?」そんな哲学めいた話を夜中まで語り合う友人がいた。「車とか、女とか、金とか、食べ物とか、 そんなものを全部手に入れてしまった時、 人間は何を求めるんやろ? それなら、最初から、それを手に入れに行った方が、 いいと思わんか?」そんな話をよくしたなあ。(^_^;)何の話だったっけ?あ、そうそう、夢の話。長くなってきたから、「今の夢」の話は、次に書きます。
Mar 16, 2005
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光陰矢のごとしとはよく言ったもので、気を許した隙に、6日間も過ぎてしまった。(-_-;)本当に毎日続けるというのは難しいですね。まあ、しかし、「人生は今日からが始まり、昨日まではリハーサル」 ~ヒューマンスキル研究所 田中真澄先生~の言葉のように、「やれない自分」を悲嘆するよりも、「また今日からチャレンジする自分」を応援したいなぁそんな風にのんきに陽気に、プラス思考で、(^.^)/習慣化するまでがんばろう、と思う今日この頃(^_^)v
Mar 15, 2005
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毎日毎日「バタバタ」と忙しくしているのに、一向によくならない。そういう状況を、経済的には「バタバタ貧乏」=「バタ貧」というらしい。これには大笑いしたが、その後苦笑い。ほとんどの人がそうだよね。「バタ貧」経営者が多いらしい。「今、忙しいので」「毎日バタバタですよ」この言葉をひとつのステイタスのように感じている人がいたら、これは怖いですよ~。一年後も十年後も「バタ貧」は変わらないんです。何でそうなのか。人がやるべき仕事にはいくつかあって、1.「緊急でかつ重要だと思える仕事」 これは、例えば目の前の『日限が切られた仕事』とか、 お客様からのクレームとか、発注業務とかである。 「仕事に追われている」という状態。 これが、バタビンの最大原因。 肉体的にも疲れるから、本人は「仕事を良くやってる」と思っている。 しかし、十年後もそのまま。一向に変わらない。2.「緊急ではあるが重要でない仕事」 これは、急な来客とか、あるいは付き合いの会合などがある。 自分は本当は行きたくないのだけれど、 「頼むよ」などと言われ、付き合いで行くような行事。 また、付き合いの冠婚葬祭もこれに含まれる。3.「緊急ではないが重要」★★★ バタ貧を脱出するには、ここに力を入れる必要がある。 従業員さんの教育、 自分自身の自己啓発の時間、 今後の計画を立てる時間と仕事。 この仕事をこなす時間をしっかり確保することだ。 しかし、一見この仕事は「今は必要ない」と見えがちだから、 「そのうちに」とか 「時間が取れるようになったら」 といったような正当な「言い訳」をして時間をとらない。僕も凡人である。凡人が人並み以上になろうとすれば、「人並み以上の努力」が必要だ。「人並み以上の努力」とは、まずは「時間量」。これでカバーするしかない。そしてその質を次に高める。どこに時間を割くか。それは、「緊急ではないが重要」その時間を如何につくることができるかにかかっている。
Mar 9, 2005
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今日6時からランチェスター勉強会があった。アメリカの大富豪となった「チャールズ・シュワップ社長」の話。シュワップ社長は人生コンサルタントの「アイビーリー」氏に、「企業が成功していくためにどうしたらよいか」と尋ねる。リー氏は、「わかりました社長。それでは『今日やるべき仕事』を、 6項目紙に書いて下さい。どうぞ」「それでは、その書き出した6項目に『優先順位』を お付けになってください」「それを必ず今日中にする『習慣』を身につけてください。 社長、もしこれさえ出来なければ、これから私が提案する、 ただの一つも、社長は実現できないでしょう」シュワップ社長は、その習慣を一生懸命身につけた。ところでリー氏は、このようにも言った。「最初は出来なくても構いません。しかし、努力するのです。 そのうちに優先順位がすぐにわかるようになり、 紙に書き出さずとも、仕事が出来るようになるでしょう。 そして社長、もしこの習慣で成功を収めましたら、 心ばかりの御礼で結構ですから、 この口座に謝礼をお振込み下さい。 私の報酬はそれで結構です」その1年後、リー氏の口座にはシュワップ社長から、25万ドルの報酬が振り込まれたということである。成功するためには、特別なことはいらない。誰もが出来そうで、誰もがやることが出来ない、その習慣を身につけることだと思う。早速今日からがんばりましょう!\(^o^)/
Mar 9, 2005
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虹を見た。それも二重の虹。デジカメで撮れば良かったなぁ。ふと思い出しました。小さい頃、「虹の柱の出ている元の所には、『幸せの宝』が隠されている」と言う話を聞いて、一生懸命に虹を追いかけた事を思い出した。大人になると、虹を見ても感動しなくなったりするけど、あの頃の心は、いつまでも持ち続けていたいと思いませんか。余談でした。
Mar 8, 2005
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うちの店のある店舗に今、入り込んでます。この店は、福岡県の粕屋郡篠栗町にあるんだけど、小さな190坪ぐらいのスーパーである。隣には500坪の○イエーさん、その隣には安売りディスカウントで有名な○キョウさん。品揃えも、価格も当然負けてます。(^^ゞマルキョウなんて、メチャメチャ安いのがある。うちのパートさんの中にも、こっそり○キョウで買い物してる人もいる。この前、競合店調査していたら、パートさんにばったり会った。(@_@;)当然その人は怒られると思ったんだろう。「すみません」と言った。後で呼び出して、逆に謝ったんだよね。「ごめんね、うちがもっと安売りできればねぇ」「え?」「いやいや、○キョウで激安商品があったら、 気を使わずかいなよ。それでいいんだよ(^^)v」「すみません」「謝ることないよ、店はお客様が選ぶんだから(^.^)」 安売りしなくてもお客様がたくさん来てくれる、 そんな店にしたいねぇ。頑張ろうね」ほんとのことである。しかし、うちも負けてませんよ!あの手この手で、元気に頑張ってま~す!普通は「安い店が売れる」「大きな店が売れる」そう思っているけれど、一概にそうでもない。((+_+))この3店では、3店の中でうちが一番売れているから不思議である。そうなんです。○イエーさんと、○キョウさんの弱点は、「人間」なのです。商品力、価格よりも、はるかにお客様を惹きつけてやまないのは、やはり「人間」なのです。お客様への気配り、やさしさ、思いやり。心からの「お買い物のお手伝い精神」が、うちの従業員にはある。他の店は、チラシにお金をかける。うちは、人間にお金をかけて教育する。そして、共に一生付き合う「仲間」として、育ちあいたいと思っている。この精神を持った集団が、負けるわけがない。だから、お客様が答えを出してくれると信じている。これからも頑張らないとね。人間教育に終わりはないからね\(^o^)/
Mar 8, 2005
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昨日、ある店舗の販促会議に参加した。この店には、素晴らしい女性従業員さんがたくさんいる。店舗を離れ、今は営業本部にいるが、店で勉強させてもらったことの自分への影響は計り知れない。3000万もの現金を、店舗活性のために、自由に使えというような、社長の腹の大きさに、如何に社長が自分の将来の独立の事を、考えてくれているのかがわかる。話を元に戻そうね。(^^ゞ店で会議に参加した。会議というものは、どこでもそうかもしれないが、主催者(リーダー)が問題点等を一方的に話し、改善を要求する。しかし、今振り返ると、そのように問題点を指摘しても、実はほとんど変わらないのが現実。何故か?それは、その変化に対して、当の本人が「価値観」や「喜び」を見出していないからだと僕は思う。例えば、靴をそろえない人がいるとする。その人に「おまえ、靴を揃えんか!」と怒っても、その人は「靴をそろえる習慣」がないし、「靴をそろえることに価値観」も持っていないのだから、いつまでたっても「靴はそろえない」大切なのは、その人が喜びを持って、「靴をそろえる」ように仕向けること。だから、会社でも「価値観教育」と「習慣教育」の二つが必要だと思う。「価値観教育」は、自分が携わっている仕事の一つ一つに、「意味」を持たせること。「習慣教育」は、本人は意味はわからないけれども、繰り返し繰り返しやることによって、いつの間にかそれが習慣になってしまった。という教育方法だ。つまり、特に女性の従業員さんというものは、男性が怒って、注意しても「動かない」もし、批判したり、欠点を注意してばかりの上司がいるとすれば、それは単に、「自分の自己満足」であるか、上司に報告する際の「私はこんなに指導しています」という為のものである、としか言えないと思うのだ。ヤル気を持って取り組ませるには、「一緒になって喜び」「一緒になって励まし」「成果が出たら自分のことのように喜ぶ」そして何より、上司自身がその事に喜びと価値観を持って、「楽しくやる」これが大事だね。\(^o^)/
Mar 7, 2005
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自分の日記を書いたり、他の方々が書いた日記を読んだりするのが、最近楽しみでしょうがない。(^^ゞこの楽天の日記のサイトには、一体どれくらいの人が、日記を書いているのだろうか。何万人?何十万人?その数はわからないが、このサイトに出会って、いろんな人と出会えたことが本当に嬉しい。顔もあわせたことのない人達ばかりなのだが、フェイストゥフェイスでないから、会話の行き違いや、ふとした言葉のはずみで相手を傷つけたりすることも少ない。まして、この無数の人達との出会いの中で、心から共感できるような人と出会えたりすると、この上ない喜びである。そんな人と、文章で話したり、思いをめぐらせたり...。まるで、恋をしている高校生のような気持ちになったりもする。いやしかし、本当にこの日記は、文章力もつくし、自分自身を振り返ることもできるし、出会いもあるし、情報も得ることができるし、本当に素晴らしいと思う。こんなサイトを紹介してくれた、大分のオグさんに、心からお礼を言いたい。そして、皆で幸せになりたい。「喜べば喜びが喜び集めて喜びに来る」という。今度は、自分が喜びを発信できる人間となりたいものだと思う。いや、しかし、本当に最近ツイてる。\(^o^)/
Mar 6, 2005
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今日は世間話を。雪が降るとなんだかワクワクするのはなぜかなぁ。朝カーテンを開けて、雪・雪・雪「おぉ!雪や~!!」と感動している自分が、小学生のときに同じ体験をしたときと、ほとんど変わっていない反応を、雪を見てしているのに気が付いた。(-_-;)それでも、「雪だ!」と素直に感動できる自分が意外と好きだったりして。(*^。^*)ふと見ると、庭に梅の花が咲いていた。冷たい雪の下に、春の息吹を力強く感じさせる梅の花に、また感動したりした。「おぉ!俺も頑張らねば!」と一人燃えたりしたりして...(^^ゞ
Mar 6, 2005
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嫌われる上司がいる。人間性で嫌われる上司がいる。人を指導する立場に立てば、嫌われることも言わなければならない時があるが、「人間性」を見られて、嫌われる人間がいる。自分自身をも含めての反省だが、意外と他人は良く見えるが、自分のことは見えないもんだね。(※いや、ホンと気をつけないとね)社長が来たときには、「あっ!社長!おはようございますっ!」部下からおはようございますと言われた時は、「うむ、おはよう」そのあまりの違いに、部下は上司の人間性を疑う。(いやいや、ホンと気をつけないとね)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の気づき「お辞儀」お辞儀というと日本人特有の習慣と考えがちですが、ロシアの文豪トルストイは、「いかなるときでも、お辞儀はし足りないよりもし過ぎるほうが良い」という言葉を残しています。会社を経営するTさんは、取引先の人はもちろん、家族が日ごろお世話になっている人、友人の家族、近所の人など顔を知っている人に対して、年齢に関係なく、出会ったときには足を止め、丁寧にお辞儀をしています。その姿は多くの人に好感をもたれ信頼を得ています。知っている人とであったとき、すれ違う際には軽くお辞儀をするのが普通ですが、このとき歩いている足を止めてとっさにお辞儀が出来ているでしょうか。馬鹿ていねいな挨拶は見苦しいものですが、足を止め、「こんにちは。いつもお世話になっております」と明るく挨拶できる習慣を身につけたいものです。また、上司やお客様に対してだけお辞儀や挨拶をしていることはないでしょうか。近所の人、年下の人にも顔を合わせたときには、挨拶していきましょう。お互いに声を掛け合って、気持ちの良い関係を作りたいものです。
Mar 5, 2005
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今日は、ちょっと世間話を。会社でよくある会議。難しい話が続く。報告につぐ報告と、一方的な話で終わる会議というものは、終わったあとに、「あれ?今日は何の会議だったかな?」と思うほど、内容も覚えていないし、次の行動も出ない。最近思う。人は「他人に強制」されては、絶対に動かない。確かに業務上、動くということもあるだろう。また、嫌々ながら動いた結果、何か新しい発見があるということもあるだろう。しかし、大きな結果には結びつかない。「1:1.6:1.6の二乗」の法則というのがある。人は強制されれば「1」の行動はする。人は納得すると「1.6倍」の働きをする。そして、人は自分みずからが「よしやろう!」となった時、「1.6の二乗」(約2.7倍)の働きをする、という法則である。特にスーパーマーケットの女性従業員さんを動かす時は、「笑わせる」のが一番良い。会議中笑えば笑っただけ(※もちろん内容もしっかりしていなければならないが)「頑張りま~す!」と即行動する。どんなに有能な人間でも、一人では何も事を成さない。周りの協力が得られて初めて、物事は成功する。ましてや経営となれば「協力」ではなく、どれだけ「よしやろう」の人をたくさんつくれるかということにかかっている。笑わせて人を動かすことのできる人間は、本当に能力がないとできない。リーダーは自分に厳しくなければならないが、他人は厳しくされても、自発的には動かない。
Mar 4, 2005
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失敗や、「やらなければよかった」「言わなければ良かった」と後悔することは誰でもありますね。けど、いつまでもそれにとらわれていると、出会える人や。、素晴らしいツキも逃げていきます。風邪にかかった人に、「お前は昔、風邪をひいただろう!」というように、人を責める人もいますが、自分自身がいつまでも、自分自身を責めすぎないということも大事でしょうね。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の気づき「過去の失敗」過去の行いに罪悪感を抱いて、くよくよ悩んだり、落ち込んだすることは、誰にでもあることです。自分の失敗やミスで引き起こされた事態がことあるごとに思い出され、つらい気分になってしまうことがあります。そのために仕事が手につかなくなったり、考え事をして、また失敗をしてしまうこともあります。過去の失敗を教訓にして反省することと、罪悪感にとらわれて自分を責め続けることは違います。自分を責めて悩んでも解決することはありません。現在の不調は過去のつまづきのせいだと思い込んでいる人がいますが、それはつまづきのせいではなく、過去にとらわれてしまい、いつまでもひきずり、何のステップアップも出来ない自分自身に問題があるのです。同じ失敗を繰り返さないよう反省したなら、その後ろはふりむかないで、しっかり立ち直ることが大切です。いつまでも思いわずらうことは、貴重な今という時間を無駄にしているのです。
Mar 3, 2005
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この前、「聖少女ポリアンナ物語」というアニメを見た。(※娘が見たいって言ったからだよ(-_-;))そのアニメの中でポリアンナは、お父さんを亡くす。お父さんは最後にポリアンナに、「ポリアンナ、『良かった探し』をするんだよ」といって死んでいく。その言葉を胸に、ポリアンナは良かった探しを見つける。いじめにあっても、苦しいことがあっても、どんな時でもポリアンナは、そのものごとの中で「よかった~」と、「良かった探し」をするのである。大人の目でこのアニメを見ると、非常に大きな気づきがあって、感動させられました。(-_-;)ポリアンナに比べ、自分は...(T_T)いやいや、勉強になりました。大人になればなるほど、「良いこと」をすぐに行動できないものですねぇ。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物「柔らかく」社会人になって、若い間はよく声もかけてくれるし、周りも良く教えてくれます。それは若さがあふれ、自然と輝いているからでしょう。これが一定の年齢になると、仕事も覚えてくるし、落ち着きも出てきて、周りから声をかけてもらえることも減ってきます。また、周りとの関係の中で、変に意地を張ったり、プライドが邪魔をして、協調が難しくなることもあるようです。それが積み重なってくると、もう周りから声をかけてくれず、下手をすると自分が浮いてしまったり、孤立したりすることもあります。ユニーの顧問西川俊男さんは、若いころ、お母さんから色々と商売の教えを聞かされていました。次もその一つです。「柔らかな体質にするんだよ。まちがっていたら繰り返すんだよ。 頑固になるなよ。角張るなよ。柔らかくなれよ。 それが若いということ。若ければ周りの人が教えてくれるよ」単純でありながら、人が生きていくうえで重要なことを直言しています。柔らかであり続けること。これは従順であるということでなく、良いことを見つけだせる素直さのことでしょう。若さとは年齢ではなく、「心の柔らかさ」のことを言うのです。
Mar 1, 2005
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昨日電車の中で見た「おばさん」は、「福の神」のような顔をしていたね。かと思えば、近寄ることさえ恐ろしいような「顔」の「おじさん」「おばさん」もいるね。聞いた話では、「笑う」ときは、60もの顔の筋肉が動くそうだが、「しかめ面」「不満顔」のときは、4つぐらいしか顔の筋肉が動かないそうだよ。要するに「福福しい」顔は、自分の訓練によって「つくられる」ものなんだね。じゃあ、「こころ」は?◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物「性格づくり」人間は古来から「不老不死」を追い求めました。しかし、物やお金を得ることは出来ても「老い」ということに対する人間の願望は叶えられないようです。老いるという事は、悪い性格が強調されるのだそうです。体力知力が衰えていくのに、辛抱する力はそのままではなく、我慢する力も衰えていくのが普通です。ですから、逃れられない「老い」に対しては、若いうちからの性格づくり、習慣作りが大切になってきます。「いつも感謝する気持ちを忘れないこと」「嫌なこと思いどおりにならないことがあっても、 できるだけ穏やかに受け入れていくこと」です。こうあれば「今現在」が良くなってきます。今が良くなれば、上手に老いていく事が可能になるでしょう。いずれにしても、年を重ねるということは老いることであり、人間にとって、大変手ごわいものです。「良く老いる」ということは難しいものですが、人や周りに対して感謝して生き、感謝を重ねることで、ずいぶん人生は良い方向へ行くでしょう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆全ては「習慣づくり」だね。身体に良い事を習慣で取り入れれば、体が健康になる。成功したければ、成功する習慣を取り入れる。金持ちになりたければ、金持ちになれる習慣を取り入れる。家族が幸せでいたいと思えば、幸せになる習慣を取り入れる。心も一緒だね。人をねたんだり、恨んだりばかりしていれば、その「習慣」を訓練しているのだから、そんな人間になるのは当たり前だね。一つ一つ、良い習慣を取り入れていきたいものだよね。
Feb 28, 2005
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人の話を聴くのは難しい。「あの人はいい人」「信頼できる」などと良い印象を待たれている人のほとんどは、「聞き上手」であるらしい。ものすごく商品を販売するトップセールスマン。話がうまい人よりも、聴くのがうまいセールスマンの方が売れる、というから面白い。よく会社でも「人がなかなか育たない」と言う人がいる。よく見るとそのほとんどは、「しゃべりすぎる人」であるようだ。じっと観察してみると、これが本当に当たっている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物『十四歳の感受性』「聴く」と言う字は耳偏に十四の心、と書きます。これは一説によれば、「聴く」という行為は、「十四歳のみずみずしい感受性を持って丸ごと受け止める行為」であるからだといわれています。家庭でも良く見られますが、妻が話しているのに、フンフンと生返事しているのは、「聴いている」行為ではないというわけです。人は誰かに自分の思いや考え、悩み、願いごとなどなんであれ、文字通りの意味で聴いてもらったとき、大きな満足感を得ます。阪神淡路大震災のとき、仮設住宅で暮らしていた被災者の、大きな支えとなったのが、心配事をただじっと聞いてくれる、ボランティアの方々だったというのは、有名な話です。何かとあわただしく、気ぜわしく、夫婦や家族間でさえすれ違いの多い毎日です。今一度、じっくり「聴く」事の大切さを、確認しあいたいものです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆自分の話を一生懸命聴いてくれる人を、人は好きになる。何か心配事が合っても、話を聞いてくれるだけで、自分の心がすっとする。そういうことも多くある。しかし、振り返ってみると、話を聞いているうちに、「それはあんたが悪い」とか「それは違うんじゃない?」などと、自分の話しをし始める人がいる。人のことは良く見えるが、自分もそうだろう。あらためて、反省したいものだ。
Feb 26, 2005
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「自分なりに頑張った」「自分なりに気を配った」「自分なりに考えた」など、よく耳にする言葉ですね。しかし、この言葉の後に「でも」と続き、さらに言い訳や自己弁護の言葉が続くことが少なくないようです。そしてその時点で早々とあきらめてしまうようです。確かに結果が全てではありません。頑張ったプロセス(過程)にも価値はあるでしょう。一生懸命頑張って結果が出ないこともあります。うまくいかなかったからといって、その人の努力が足りなかったとばかりはいえないでしょう。しかし、うまくいかなかった時、「自分なりに頑張ったのだから、まあいいか」と自分自身に言い訳し、簡単にあきらめてしまってはいないでしょうか。「自分の能力はこんなものだ」と天井をはって、自己満足に陥ってはいないでしょうか。それまでの努力を無駄にしないためにも、何故うまくいかなかったのか。もう一度振り返り、もう少しねばってみましょう。また違う結果が生まれることでしょう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物蚤(ノミ)は、1mmぐらいしか体がないのに、2m近くジャンプするという。しかし、その蚤(ノミ)にコップをかぶせ、しばらくすると、ノミハ一生懸命何度もジャンプし、コップにぶつかり、ぶつかり、何度もはねる。しかし、何度もしていると、いつの間にか、それ以上飛ばなくなり、2mも跳べるはずのノミが、コップをはずしても、その高さしか飛ばなくなるから不思議である。人間も同じようだ。自分自身で、目に見えない、「できない」「できるはずがない」という「ガラスのコップ」を作ってしまってはいないだろうか。
Feb 25, 2005
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NHKの朝の連続ドラマの主人公「わかば」は、大学を卒業して造園の道を選びますが、草引きばかりの毎日が続きます。その中で草ひきが重要な仕事であるという事を学んでいくのですが、私たちが送っている毎日の仕事の中でも、どんな仕事であっても雑用はないと思います。コピー取り、お茶くみ、掃除、片付け、道具の手入れ。最近ではとりわけ掃除を大切にする企業が増えてきました。掃除の達人として有名な「鍵山秀三郎さん」の話です。硬い「ほうきまめ」が出来るほど、毎日の掃除に励んでいた鍵山さんは、「無駄なことだ。こんな事をしても会社にとっても何もならない」とよく言われたそうです。たこが出来るほど道を掃き、丹念に便器を磨き上げることで、鍵山さんは人として生きる知恵を学んだといいます。両親も「人間はいつも見ているものに心が似てくる」と掃除に心血を注いだそうです。心が澄みわたり、きれいになる。これが掃除をする当人へのごほうびであるのです。一見、直接利益にはつながらない、こまごまとした用事や、日々の掃除は、ことさら大事であると認識を深めたいものです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物鍵山先生の講義は何度も聞いたことがある。僕自身、その事に共感して「トイレ『磨き』」を始めた。(※鍵山先生は「トイレ掃除」とは言わず「トイレ磨き」という)最初にこの「トイレ磨き」を間近に見た人は衝撃的だろう。鍵山先生は一心不乱に「磨く」男子便所の便器の真ん中の「さな」も(※真ん中にはまっている陶器)へらで、固まった「アンモニア」だろうが、どぶのようになった塊であろうが、素手で、磨いていく。おそらく、この文章を読んでいる人は、文章を読んだだけで、「汚い」「気持ち悪い」という感情が沸くだろう。自分もそうだった。しかし、鍵山先生たちは、「汚い」という感情などないかのように、一心不乱に磨いていく。裸足、素手で。一緒にやるとわかる。いつの間にか、「汚い」と思わなくなる。そして、きれいに磨きあがった「便器」が、愛しくてしょうがないような気持ちになる。これは、「やった人」にしかわからない感情である。「別にそんなことしなくてもいいよ」そう思えば、やらなければ良い。しかし、やってみればわかる。そして、やらなければ絶対にその気持ちは永遠にわからない。
Feb 23, 2005
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その人がいるだけで、周りの雰囲気が和らぐとか、心地よい緊張感があってよいなど、形はさまざまで、ひとくくりには言えませんが、いろいろな要素が混ざり合って、気持ちよく快さが感じられる人がいます。好感の持てる人の魅力の源は何なのでしょうか。若いころはそこにいるだけで、自然と華やいだ雰囲気が漂います。けれどもある程度の年齢になってくると、外見だけでなく、内面的な要素が重要になってくるのではないでしょうか。また、話をするのがうまい事が好感に結びつく、と考えている人も少なくなくないはずです。ある報告によると、人が話を聞くときに相手の印象をどこから受けるかという調査で、目から入る印象が八割以上、耳からは一割未満という結果が出たそうです。これは話す人の目に見える態度で印象が大方決まっていくという事です。思いやりや誠実などは、言葉だけでは伝わりにくいものです。人に好かれる人は、しぐさや表情が豊かで、真心をうまく伝えているものです。いろいろかんがえられる要素の中でも、相手の立場を理解し、話の間や態度からにじみ出ている人間性が、好感度の大きな要素なのです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物若い時は何といっても「元気」「明るい」「プラス思考」これですね!何があっても、ウェルカムトラブル!ぐらいの明るさで、ガンガン進むことが出来る人は、魅力があるものです。50を超えたら、その気持ちも忘れずに、やっぱり、「ひくい」「やさしい」「あたたかい」ですかね。周りのいろいろな方を見ていても、自分自身が年を取って「この人のようになりたいなぁ」と思う人は、大きくくくれば、そんなあたたかさを持っている人のようです。
Feb 22, 2005
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スポーツや芸能、また実業の世界で、人の輝かしい実績や実例を見たり、聞いたりする事があります。「すごいなぁ」「うらやましいなぁ」と嘆息したりすると同時に、「やっぱり自分には出来ない」と落胆してしまう人もいるでしょう。この「自分には出来ない」とすぐに思ってしまう人は、自分にないものだけは、次々と並べることが出来ます。まず、「お金」、「余裕」「人材」「技術」「時間」がない。あげくに「どうすればいいか教えて欲しい」とこぼしてしまうことさえあります。大成する人としない人との違いは、やはり強い気持ちがあるかどうかであり、努力をするかどうかなのです。つまり、うまくいかなかった時、すぐにあきらめてしまうかどうかなわけです。努力は全くしないわけではなく、するにはするのですが、時に壁にあたってしまうと、「もうやめた」となってしまうのです。言い訳や体裁の良い理由をつけて、自分を慰めていく生き方より、少しずつでいいから、努力を続け、前へ進もうとする生き方をしましょう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(今日の贈り物)「自分には出来ない」と思う人でも、前に進まなければならないときが来る。その時がくれば、「自分には出来ない」と言っている人でも、前に進む勇気は出る。それが人間だと思う。「出来ない」のではなく「やらない」だけである。戦争中にあった出来事、ある女性の話。「まわりは全て火の海だった。 私の家も焼け落ち、妹が大きな柱の下敷きになって、 泣き叫んでいた。 私は必死になって、助けを求めた。 私の叫び声に気づいた近くのおじさんが、 助けに来てくれた。 必死に柱を持ち上げようとしたが、上がらなかった。 『お嬢ちゃん、ごめんよ。おじさんには無理だ』 そう言って、おじさんは去っていった。 私は絶望感に襲われながら、さらに大声で叫んでいた。 しばらくして、遠くに母の姿が見えた。 母は大やけどを全身に負っていた。 『おかあちゃん!』 母は黙って、柱の下敷きになっている妹を見た。 しばらくすると母は、 まだ、パチパチといっている柱に肩をあて、 『ふぐぬーーーーっ!!!』 と、叫びともかけ声とも呼べぬ声をあげ、 真っ赤な顔で、柱を持ち上げようとした。 メキメキッという音を立てながら、 柱は持ち上がった。 母のおかげで妹は助かったが、 母はそのまま息絶えた。 私はその時の母の姿を、今でも忘れないし、 一生忘れないだろう。 そしてどんなにつらい時も、 あの時の母の姿を思い出し、 負けずに立ち上がりたいといつも思っている」いかがですか。僕はこの話を読んだ時、鳥肌が立ちました。どんな人間でも「その時」自分自身が「覚悟」をすれば、どんな状況の中でも、「負けること」はない。そう思わされました。
Feb 21, 2005
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◆わかる、できる、いやでない◆子どもはよく「わからない」とか「いやだ」という言葉をはきます。算数の勉強をしていて、「どうして、その答えになるかわからない」また大人が話している言葉、内容が、「話を聞いても、わからない」など、よく口にします。「できない」も「いやだ」も同様です。人間の成長を定義すれば、「今、わからないことがわかるようになる」ことです。また、別の言い方をすれば、「今、嫌な事が嫌でなくなり、今できないことができるようになる」ことによって、成長はもたらされるということです。これは子どもにかぎったことではなく、大人にとってもいえることです。わからないことがわかるようになる。たとえば「挨拶なんてばかばかしい」と、自分からしなかった人が、率先して挨拶をするよう心がけて実践すると、「人と仲よくなれる」ことがわかってくるのも一つでしょう。また知らない人に会って話をするのがいやだった人が、毎日続けることによって、そうではなくなる事や、会議での細かい提案書づくりなど、自分にはできなかったものが、できるようになる。現在の自分の日常を見渡して、今までの自分と比べてみましょう。そうすると確実に自分が成長していることがわかってきます。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(今日の贈り物)出来なかったことができるようになるという事が、「自分の成長の証(あかし)」である、と言う今日の話。全くその通りですね。そのためには、「何が出来て、何が出来ない自分であるか」これを知ること。確か、中国の「孔子」もこんな事を言っていました。「『物事を知る』ということの始まりは、 『知らない自分を知ること』である」いやいや、全くその通りですね。(^^ゞ
Feb 20, 2005
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幸せな人とはどんな人のことを指すのでしょうか。地位や名誉やお金をたくさん持っている人のことでしょうか。富が多ければ多いほど、幸せは増すのでしょうか。「多さまであろうと、農民であろうと、 自己の家庭で平和を見出すものが一番幸福な人間である」とゲーテは格言集に記しています。メーテルリンクの「青い鳥」のように、遠くに探しに行かなくても、いつも自分のそばにいてくれるのが、幸福なのです。しかし、日常生活の中に幸福があるといわれても、自分は幸福だと感じられる人とそうでない人が出てきます。その差に現れるのが「感謝する能力」です。自分を取り巻く状況や、かかわりのある人たちの中に、どれだけ感謝の対象を見つけられるかによって、幸福感が違ってくるのです。自分は多くの人に支えられ、助けられているということに気づいたなら、そこに感謝の気持ちが生まれ、「ありがたいなあ」と幸せを感じることができます。人でなくても動物でも物でも、自然に対しても感謝できるでしょう。反対に感謝できず、不平不満を積もらせたなら、不幸な気持ちになるはずです。自分の周囲に「ありがとう」をたくさん見つけながら、生活しましょう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(今日の贈り物)筑波大学の教授の村上和雄先生が、「息の結晶」の実験をした。ビニール袋に息を吐いてそれを「結晶」にするのだが、一方は「幸せいっぱいの人」に息を吐きこんでもらい、もう一方には「不平不満の人」に息を吐きこんでもらう。すると、顕微鏡で見ると、なんと「幸せの息」は見事な結晶になり、もう一方は、黒くにごったぐちゃぐちゃの結晶ができるのだ。それほどの現象がおきる、「人間の感情」人生に影響しないわけはない。今多くの人が成功しているが、「感謝の心で生きること」「人のご縁を大切にすること」などは、成功していく人間の必須条件であると言っていた。
Feb 18, 2005
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【気持ちだけでなく】「気持ち」は意欲になり、「意欲」は行動になり、結果はまた気持ちをつくっていきます。たとえば自分に専門性を身につけたいという気持ちをもつと、次は「それでは、これを始めてこうしよう」という意欲になり、実際に行動されるわけです。何か行いを重ねていくと結果が出て、その結果からまた気持ちが現れます。こういう循環はあるにしても、いつでも自分をたくましく変えられるのは、「行動」「行為」によってもたらされます。強い気持ちが一時あったとしても、行動にならなければ、すぐに消えてなくなることも少なくないのです。 古代ギリシャ時代のアリストテレスは、こんな言葉を残しています。「正しい行為をおこなうことによってこそ、 われわれは正しくなり、 節度ある行為をおこなうことによってこそ、 われわれは節度をもつようになり、 果敢な行為をおこなうことによってこそ、 われわれは果敢になる」。 行為なくしては、人は変わりようがないのです。口先だけ、気持ちだけの人間に終わらないよう、「意欲」から「行為」へとつなげ、日々実践していける前向きな生き方を心がけましよう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(今日の贈り物)人間を変えるのは「習慣」だね。最近つくづくそう思う。逆に、何気ないことであっても、小さな「良い習慣」を毎日続ければ、長い年月の間で、それはその人の「人間性」となる。多くの成功者が、歴史が、これは証明しているよね。さぁ、あなたも一緒に今日から良い習慣を始めましょう。3日坊主、大いに結構!(^_^)駄目ならまた始めればいいさ!人間だから。あるよ、そんな弱いところ。「人生は今日からが始まり! 昨日までは『リハーサル』!」
Feb 17, 2005
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あなたは、この記事を見てどのように感じますか。全ての子供たちがこうである、とも言い切れませんが、今の日本、何か大きな「間違いの流れ」に流されている、そんな気がする記事です。死んでも「リセット可」=15%が「生き返る」-小中学生に意識調査・長崎県 15%以上の児童生徒が「人は死んでも生き返る」と考え、その理由として「ゲームはリセットできるから」と答えた子供もいた-。佐世保市の小6女児殺害事件を受けて、長崎県教委が県内の小中学生約3600人を対象に実施した「生と死」のイメージに関する意識調査で、こんな結果が24日まとまった。 調査対象は小学4年と6年、中学2年生。「死んだ人が生き返ると思うか」と尋ねたところ、全体の15.4%が「生き返る」と回答。うち、一番多かったのは中学2年生で18.5%を占めた。小学4年生と6年生は、それぞれ14.7%、13.1%。 理由については、「本や人から見聞きした」が49.3%で全体の半数近くを占めたが、次いで「テレビや映画で見た」が29.2%、「ゲームでリセットできるから」が7.2%となり、人の死をゲーム感覚で受け止めるような様子もうかがえた。(時事通信1月25日)長崎県教委が発表したこの意識調査の結果は何を伝えているだろうか。私はそれを単純に子どもたちがテレビや映画、テレビゲームの影響を受けてそうなったとは思えない。もちろん複合的な背景があるわけだし、現象に目を奪われず本質的なものは何か考えるべきだと思った。平成9年の神戸の少年による殺人事件は大変なショックを与えたが、これまでの少年による殺人事件とは明らかに違う問題が見られたからである。彼は自分の中で「バモイドオキ神」という自分の神さまを創り上げ、この「神様」に相談し、命令され、彼は殺人行為を行っている。また、平成12年の17歳の少年が佐賀で西鉄バスのバスジャックを起こし、乗客を殺害した事件では、彼の事件を起こす前の手記に次のような記述があった。何で僕はこんなことを書いているんだろうさっき犯行声明を出してきた何か恐ろしいことを書いた気がする僕は昔から怒ると何をするかわからないと言われたけど最近もう一人の別のが出てきたそして僕に恐ろしいことをすすめる人を殺せ 人を殺せだれか僕を止めてくださいもう止まらない もう止まらないと記している。彼は警察の取調べの中で「私は神戸の少年を神として尊敬している」といっていっている。平成15年の長崎市において幼児が殺害された事件、いわゆる「駿ちゃん」事件でも補導された12歳の少年が警察の聴取に対して、少年は自分は小さい頃から生き物の虐待をやってきた。それがエスカレートして生き物の虐待をやってきた。それがエスカレートして猫をいじめるようになり、子どもを虐待するようになったという趣旨の供述をしている。彼は取調べ中に「あんたらにはわからんやろね、ボクの苦しみ」といったという。平成16年の佐世保事件でも同級生の女の子を殺害した少女は映画「バトルロワイヤル」が好きだったという。この映画は全国の中学3年生4万3000クラスの中から無作為に選ばれた1クラスを、最後の1人になるまで殺し合わせるという国の方針が瀬戸内海に浮かぶ小島の分校に下りた。42名の中学3年生たちは、新しい担任と名乗る見知らぬ男から「プログラム」の開始を告げられる。クラスメート同士が与えられた武器で殺し合い、ただ1人の勝者を決めるという残酷なストーリーだ。この事件ではネット上のトラブルなどもあったようでこの映画の影響だけを過大視することはできないが、いずれも共通するのは超観念的な架空の世界に喘いでいる子どもたちの姿が浮かぶことである。
Feb 14, 2005
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普段は何かを伝えるときに正確に言葉を選んで話す人でも、疲れやストレスがたまると、自分の感情をかなりオーバーに表現することがあります。実際は稀であっても、「あの人はいつもそうです」とか、全員でもないのに、「会社の皆がそう言っています」などです。私たちは会話をしながら、頭の中で無意識に、自分だけの常識で素早く判断して口に出してしまうときがあります。しかし、価値、基準、認識などはたとえ親子の間でも違います。これに気づかないで会話をしていると、時と場合によっては大きな誤解が生まれ、思いがけないトラブルを招いたりします。「私はコーヒー党で一日に七、八杯はコーヒーを飲みます。 あなたはいかがですか?」と聞かれると、「私もそうです」という人もいれば、「コーヒーは口にしないのでめったに飲みません」という人もいて、答えは人によってバラバラです。よい人間関係を維持しようと思えば、相互のより正しい理解が必要です。お互いの違いを否定して溝を作るのではなく、人との違いを知ることで共に成長していけるものです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆人の噂に惑わされないこと。とはいえ、人は噂に左右されがちである。どうしたらそうならないか。それは、一次情報のみを耳に入れることである。当事者から聞いた。そうしているのを見た。そのように言われた。自分の手で触った。自分の耳で聞いた。それ以外の情報は、二次情報。しかし、人は二次情報、三次情報に惑わされる。「○○さんから聞いた話だけど」「○○という噂だよ」この話に耳を傾けると、職場の人間関係の中では、「百害あって一利なし」人間関係が壊れていく。
Jan 26, 2005
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Mさんはいつも完璧を目指そうとしていました。仕事も自分のできる限りのことをこなして、与えられた以上の結果を出そうと心がけていたため、評価は得られましたが、いつも自分を追い込んでいくようになり、追い詰められた気持ちになっていました。そんなMさんに母親が、「すき間が大切よ。いつも自分の中にすき間を作っておきなさい」と声をかけたそうです。与えられたものを完璧に、次から次へとこなしていこうとするために、Mさんは自分の器が絶えずいっぱいになっていることに気づきました。自分の空間がいっぱいでは、それ以上新しいものは入りません。仕事でいっぱいになっているだけでは、充実感の幅も広がらないと考えたMさんは、外から新しいものが取り入れることができる空間を、できるだけとっておこうと心がけるようになりました。仕事をこなしていく中で、常に手一杯になってしまうことは、よくあることです。それでかえって心が圧迫されてしまうこともあるでしょう。充実感につなげるためにも、つとめて自分の空間に「すき間」を作っておきましょう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆こころの「すき間」大切ですね。毎日毎日、一日を振り返ることすらできないような生活は、充実感こそあるかもしれませんが、自分が仕事に追われてしまっては、心の豊かさは手に入らないものです。仕事があること。家族がいてくれること。親がいてくれること。仲間がいてくれること。そんなことにすら気づかない自分にさえ、気づいていないのかもしれません。
Jan 24, 2005
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今、学校の先生の問題が新聞やマスコミをにぎわしているが、全ての先生方がそのような体たらくと言うわけではない。これはある知り合いから聞いた話である。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆多くの学校の中で、ある小さな島の中学校のことが忘れられない。生徒たちは、登下校の際、校長室の外を通っていく。そのとき、窓の外から校長先生に声をかける。「おはようございます」「さようなら」。返事があってもなくても、あいさつを欠かさない。そうするのが決まりなのか、私には理由がわからなかった。もう一つ、わからないことがあった。校長先生は、実は校長室にほとんどいないという。しょっちゅう作業着姿で校庭に出て、草抜きをしたり花壇の世話をしたりしている。だから、校舎周りは美しい。でも、なぜ校長先生がそんなことをするのか、不思議だった。たいてい校長先生といえば、校長室で何やら書類を書いたりしているものだ。島の校長先生は暇なのだと思うことにした。だが、どうやらそうではなかった。何回か通ううちに、その理由に気がついた。この中学校には若い先生が多い。新規採用の先生の多くは、山か島に赴任する。何もない島の若い先生たちの楽しみは、同僚や先輩とのおしゃべりである。彼らはいつも職員室に集まって、楽しそうにおしゃべりをしている。だから、職員室からは、いつもにぎやかな話し声が聞こえてくる。子どもの話題、授業の仕方、行事の相談。職員室は、校長室の隣にあった。仕切りは薄いパネルである。校長室にいれば、職員室のようすは手に取るようにわかる。だから校長先生は、彼らが遠慮なく話し合えるように、つとめて校長室を不在にしていたのだ。そして、先生たちも気づいていた。「俺は外の作業のほうが似合っているんだ」という校長先生が、その実、年若い彼らが萎縮しないよう気遣っていることを。生徒たちが下校しても、先生たちは帰らない。彼らは職員室で仕事を続けながら、変わらず教育談義に花を咲かせる。ときどき、大声の校長先生も加わって、いっそうにぎやかな話になる。中学生たちが、校長不在の校長室の外を通るとき、なぜあいさつをするのか。理由は簡単かもしれない。彼らは、そんな校長先生が好きなのだ。そして、校長先生と先生たちの仲のよい姿を見るのが好きなのだ。家庭と同じことだと納得した。この学校の子どもたちは幸せだったに違いない。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆両親が喧嘩している姿というものを見ている子供は、決して健全な状態では、育たないように、学校内でも、校長先生と職場の教師が「仲良く」生活している学校は、検算な子供が育つのだとしみじみ思った話だった。
Jan 19, 2005
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普通の人がこうして億万長者になった~一代で富を築いた人々の人生の知恵~という本を今、夢中になって読んでいる。著者の本田健さんは、「アラブ大富豪の教え」や「スイス人銀行家の教え」でも有名な方だ。思えば、大分のオグさんから教えてもらった、「本調子!」という冗談みたいなタイトルの一冊の本との出会いから、かれこれ約2ヶ月程度で、30冊近い本をアマゾンで買った。といっても今回は、今までと違い、「あれやらこれやら」と雑買いしたのではなく、(本田さんは「それも大切」と言っているが)『その世界』の分野の本を、つながりつながりで購入した。(一番最近買ったのは「地上最強の商人」、なんと1万円!)(@_@;)「本調子!」著者の清水さんをはじめ、斉藤一人さん、望月俊孝さん、そして、今は「本田健さん」に嵌っている。(^_^)嫁さんに「億万長者になれるバイ!絶対なれる!」というと、「アホか」と言う顔をされたが、人間、変われば変わるものだ。毎日毎日、繰り返し繰り返し、心の奥底に刷り込まれ続けていく事柄は、いつしかその人の人格を変えてしまう。大金持ちにならなくても、自分をそして家族を幸せにし、人を幸せにできるぐらいの億万長者、「幸せな小金持ち」ぐらいなら、なろうと思えばなれると信じている今日この頃である。
Jan 14, 2005
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「責任ある行動と言うのは、ただひとつ。 自分が心からしたいということをすることである」スターウォーズの映画で、人間の心の奥底に宿る、不思議な力のことを「フォース」と呼んでいるが、1999年3月に亡くなられた、「マイク=マクマナス先生」は人間が心で感じる「ワクワクする」感情、気持ちのことを、「ソース」と呼んだ。冒頭の文はマイク先生の著書の冒頭に書かれている一文だ。「ヤル気と言うのは無理やりに起こそうとしても、 うまくいきません。持続もしません。 他の人にやる気を起こさせようとしてみてください。 しばらくは張り切っていても、そのうち必ずヤル気が しぼんでくるはずです。 自分を奮起させようとしても同じ事です。 ヤル気は続きません。 無理矢理にヤル気を出す必要があるのは、 『したくない事をしなければならない時』だけです」その後も、本の中に書いてある通念を打ち破る、「ものの考え方」が、次々と雪崩のように、怒涛のごとく、僕の心に入ってくる。「適正があるからと言って、それをする必要もなければ、 それを好きになる必要もないんだ。それとは逆に、 能力がなくても、自分自身が『ワクワク』する事、 好きな事ならやった方がよい」「私達にとって『決断をグズグズ先に延ばすこと』は、 最善の行為だ」まったく!こんな本を読むと、本当に『ワクワク』しますね。思うに、今本当に幸せな時代に僕らはいるんじゃないかな。
Jan 11, 2005
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「原因と結果の法則」のしくみ心の中に蒔かれた「思い」という種のすべてが、それ自身と同種のものを生み出す。それは遅かれ早かれ、「行い」として花開き、やがては環境という実を結ぶことになる。良い思いは良い実を結び、思い思いは悪い実を結びます。「外側の世界」である「環境」は、心という内側の世界に合わせて形づくられる。人間は、自分自身の果実の収穫人として、苦悩と学びの双方から学ぶことができる。「原因と結果の法則」はあらゆる場所で機能しているのです。人々が刑務所に入ったり貧困に苦しんだりするのは、過酷な運命や環境のせいなどでは決してない。かれらがそうなるのは、ひとえに、かれら自身の不純な思いと利己的な願望のせいなのである。澄んだ心をもつ人間は、たとえどんな誘惑を受けようとも、けっして犯罪に走ったりすることはない。心の中で養われ、パワーを増した犯罪思考が、「機会」をとらえてそれ自身を外部に漏らしたとき、犯罪は発生する。環境は人間を創りません。私たちの環境は、私たち自身のことを外側に漏らすのみである。気高い思いばかりをめぐらしている人が、邪悪な道に落ち、苦悩する、などということはけっして起こらない。同様に、邪悪な思いばかりをめぐらしている人が、気高い目標を達成して真の幸せを感じる、などということも絶対に起こらない。人間は自分の思いの主人です。よって人間は、自分の人格の制作者であり、環境の設計者なのです。私たちは、自分が望んでいるものではなく、自分と同種のものを引き寄せるのである。もっとも内奥にある真の思いや願望は、たとえそれが清らかなものであろうと、けがれたものであろうと、それ自身の食べ物をもち、それによって着々と育まれます。◆◆◆いかがでしたか?◆◆◆昨日の夜から、夢中になって読んだ本の一節です。よく人は自分の運命を「環境」のせいにしたりしますが、「環境は人を作らない」とこの謎の大哲学者は言っています。今世界中で有名な成功への哲学等を書いている著名な方々は、この哲学者の影響を受けていると言うことです。感謝します。心に今日も根が張りました。
Jan 9, 2005
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新年明けましておめでとうございます。(^^)vと、もう8日だから、いまさらそう言うのも遅いかなぁ。(;一_一)とはいえ、昨年は、本当に色々な新しい出会いの一年でした。億万長者には会えるし、企業の成功者には会えるし、日本の伝統文化を守る、伝統工芸士にも会えたし、学者先生、大物政治家先生、あ、そうそう、関取にも会えたなぁ。本当に、なんか「ツイてる」というか、そういう感じですね。今年は更に、ここ1~2ヶ月で急速に、自分の内面に「変化」がおきていて、今は「それをじっくりと育てている」と言う感じかなぁ。しかし、本当に幸せな時代、チャンスの多い時代に、生まれたことに幸せを感じている今日この頃です。ここにちょくちょくきて頂いている皆様、今年も見放すことなく、また遊びに来てくださいねぇ。
Jan 8, 2005
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マスコミや新聞等で華々しく報道される成功者。しかしその成功への道のりの中には、数々の苦難がある。このような話は良く聞く話であるが、この本の中に書いてあることは、あまりに衝撃的であった。普通の人間が、成功者となっていく過程で、ほとんどの人間に同じくして訪れる「苦難」。しかしそれは、偶然に起こるものではなく、ほとんどの人間に同じくして起こっていくのだ、ということが「どうしてそうなのか」がわかる。成功したいと誰しもが思う。また、成功したら手に入るであろう物を想像する。そしてそれが実際に手に入った時、自分が想像していなかったものは「失うもの」何を失うのか、どうして失うのか。それがあまりにもリアルに描かれていく。そして、それは全て真実。成功した時に、成功者にしか手に入れることのできないものがある。しかし、それを手に入れる為の代償を「失う覚悟」はあるのか。それを失うことの無いよう、書かれたのがこの本である。なぜ、人はその大切なものを成功する過程で失ってしまうのか?その答えは、「人間だから」では無いだろうか。野心、欲望、嫉妬、プライド...。自分自身でも「自分がどうしようもできないこと」がある。どうしても自分の中に生まれてしまう「感情」がある。どうしてなのかと言われれば、「人間だから」と答えるしかないだろう。だからこそ、少しでも失うことが少ないように、この本は出版されたのだろう。一読の価値あり「成功者の告白」
Dec 20, 2004
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「自分の中で何か違う部分が動き始める」こんな表現おかしいかもしれませんが、そういうのありませんか?最近、毎日のようにいたるところで、暇さえあれば、貪るように本を読んでいます。学生時代の「濫読」とは異なり、あるテーマにしたがって、濫読しています。それは、「人のつながり」まぁ、大したことではないんですが、アマゾンなどで本を買うと、「次はこんなのどうですか?」「あなたが買った本を読んだ人は、他にもこんな本読んでるよ」ってこんな風に教えてくれるもんだから、次々にそれで読んでます。人の分類では「斉藤一人」さんとか「本田健」さんとか「後藤芳徳」さんとか「染谷和巳」先生とか「高橋克衛」さんとか「七田真」先生とかここ1ヶ月で、20冊くらい買って(こっそり)読んでます。※嫁さんには内緒(来月の請求時が恐ろしい)読んでいるうちに、「自分が知らない世界」「自分の中に無い感覚」それに自然に触れさせてもらうようで、(その人達が語りかけてくれているようで)自分の中に、「もしかしてこの感覚が当たり前になったら、 自分もこうなるよね」そんな感じになって夢中に読んでいます。さっき目を通したのは、「本がいままでの10倍早く読める法」これ書いたのは医学博士の粟田昌裕先生。1分間で10万字だって!(約200ページ)信じられる?でもさぁ、これホントなら知らない人は人生で損してるよね。東芝とか電通とかの研修で使われているそうな。凡人にはこういう情報は、今まで「門外不出」だったのかもね。情報が瞬時に公開される、誰もが知ることのできる今の時代だからこそ、僕ら凡人にもチャンスがある、そんな良い時代かもしれないね。この僕のつまらないサイトに何度か訪れてくれいる方、ありがとうございます。とりあえず、5年後僕がどう変化しているか。あなたは「生き証人」となるかもしれません。な~んちゃって。
Dec 14, 2004
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今日読んだ本は、早坂茂三著「籠に乗る人担ぐ人」昭和38年、池田内閣の総選挙の時。車で出発してにぎやかにやっていると、親方(角栄)が大声で「メシにしよう」と言った。大きな孟宗竹の包みを開けると、赤ん坊ほどの大きな握り飯が二つ。ポカンとしている私に、「お前も早く食え!」「早飯ができないものに、ろくなものはいない」何かが歯に当たった。握り飯を割ってみると、骨付き皮付きの塩鮭が一切れ。でかい。それに口がひん曲がるほど塩辛い。親父は骨をそっくりとって、うまそうにしゃぶっている。彼は五分と経たないうちに、デカ飯を二つも食べてしまった。「選挙の時は、握り飯に限る!これが一番だ! 刺身だ、とんかつだと並べて、一時間以上もかけて食ってる奴は、 必ず落ちる。選挙は戦だ!戦の時は昔から握り飯と決まっている」◆田中角栄と言うと「ロッキード事件」「政治献金」など あまり良くないイメージがある。 しかし、やはり日本の最高頂点に上り詰める男の生き様には、 何か学ぶべき大きな人間性がある。 この豪胆さは、見習いたいものだなぁ。
Dec 7, 2004
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今鹿児島に来ている。鹿児島の喜入町のスーパーの支援に来ている。※喜入町は11月から鹿児島市と合併した。店舗近くにある「シーメンズクラブ」全部屋数40ほどの、そう大きくは無いホテル。12月に入り、気温が相当低くなってきた。日中は気温は上がるものの、朝晩はかなり冷える。部屋にある暖房のスイッチを押した。動かない...。というより、寒い風が入り込んでいる。(-_-;)部屋には浴衣が一枚。それに着替えて、ベッドに入った。それでも寒い。(-_-;)翌日、ホテルのフロントで「部屋がものすごく寒かったんですが、暖房は?」というと、その場にいた女性が、「そうですかぁ、申し訳ありま...」その時!後ろにいた初老の管理者風の男性が、ピシャリ!「入れておりません!9度ですから!」何という事であろう。この生き残りの厳しい時代に、このようなホテルがあろうとは!「そりゃ、あんた達の勝手な規則で、お客には関係なかろうもん!お客が寒いといっているんだから、入れなさい!」とは言いませんでした。企業は「経費を節減すれば、利益が出る、存続できる」と思っているのであろうが、このホテルはいずれ潰れるね。知り合いであれば、そんな色んな事を話してあげたいけど、別にそれほどの関係でもないし。「人の振り見て我が振りなおせ」怖いですね~。反省反省。
Dec 6, 2004
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最近本を読んでいる。いたるところで読んでいる。トイレ、風呂、車の中、ちょっとよった昼食、夕食を食べる店。「読書をしないと『バカ』になる」学生のころから思っていた。最近、同じ考えの人達で多くの方々が成功を収めている、という事実に出会い、また感動している。「本を読む時間が無い」という人は、是非こうして本を読んだらいい。それは、「同時進行でたくさんの本を読むこと」「ナイル殺人事件」を書いた「アガサクリスティー」は、トイレの中であの長編小説を書き上げたそうである。毎日毎日少しずつ...。「本調子」読書普及協会から出ている。まさに、人生が変わるかもしれない一冊だなぁ。
Dec 4, 2004
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佐賀の伊万里モラロジー事務所の「維持員研修会」があり、1時間話をするということになった。何で自分のような者が、といつも思うのであるが、自分の勉強の為と、お役に立てることが少しでもあるのならという気持ちで話させて頂いた。研修会終了後に、会の責任者の大串さんが、伊万里の自分の窯と店を案内してくれた。大串さんは20歳の時から、この道に進み、伝統工芸士として現在も作品を作っている。 ※左が大串さん、右が私です。伊万里は鍋島藩御用達の伝統ある窯元が多く、今でも多くの観光客が訪れている。大串さんの店には様々な伊万里焼が展示販売してあり、近くの窯元も案内してくれた。 ※美しく並んだ大串さんの作品僕はどちらかというと、「安物買いの銭失い」な方である。こんな、高価ではあるが、本当に良いものを、大切に長く、心を込めて使える人間でありたいと思うとともに、そういう生活をしたいものだなと思った。今はどちらかというと、お茶であればなんでも良い、湯飲みなんて飲めれば良い。というような暮らしである。反省反省。
Nov 22, 2004
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今日、というより、昨日ですか、すでに。石黒先生と2日間過ごさせていただきました。石黒先生は、RS総研というコンサルタント会社の先生なのですが、この先生、何といっても現場の女性達をやる気にさせる達人です。 ※写真はホームページより転載http://homepage1.nifty.com/showbynohint/今では、お得意のスーパーマーケットだけでなく、NTTドコモやその他、他業界のコンサルタントも行っているそうです。今日も鹿児島、喜入の鈴東商店。その鈴東の従業員さんを集めての、セミナーを主催して開催しました。終わっての感想は、「やって良かった」。小さな企業の一番大切なことは、やはり「皆の意思統一」、どのような方向に進もうとしているのか、どのように変化しようとしているのかということを、周知徹底させないと、うまくいくことも行かない。しかし、本当に時々皆さんの日記を拝見させてもらうけど、きちんと毎日書いている人ってスゴイですね。気がつくと以前の日記は13日。本当に昨日書いた気がするのに...(・_・;)それと、ボランティアの報告書は、次にまとめていますので、見たい方は、そちらをご覧下さい。http://homepage2.nifty.com/jhc-fukuoka/newpage-awajiborannthia.html
Nov 21, 2004
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「千福寺」は、高野山真言宗のお寺で、住職の山階住職は、ボーイスカウトを52年も続けており、地域の子供達の育成をしている。その宿泊などにも使われるこのお寺には、宿泊用の広い部屋がいくつもあり、今回災害ボランティアの方々が宿泊できるようにと、無料でお寺を開放しているのだった。今日の宿にどこにテントを張ろうかと思っていると、ボランティアセンターの方が、「千福寺の住職にお聞きしてみましょうか」と言われたのが縁で、千福寺に泊めていただくことになった。千福寺には、高野山総本山から8名の方々が先鋒隊としてこられ、千福寺を中心にボランティア活動を行うとの事であった。(※写真は千福寺でお会いした、高野山総本山の方々)全国からさまざまな支援物資や、義援金が送られてきている。送る側はそれが被災地で困っている方々に「有効に使われている」と思っている。しかし実際には、被災地に送られてくる物資が、本当に必要としている人の手に渡ることは少ない。また、義援金の使われ方に関しては「どのように使われているか」の報告などない。全国から集められた義援金がいくらで、それがどのように使われたかということは誰も知らない。それを寄付した「善意の人々」にも知らされない。 被災地に送られてくる生鮮物などを腐らせてしまうことも多いという。誰にどのように配分するべきかという事を話し合っているうちに腐らせてしまうのである。しかしそれも仕方のないことであるかもしれない。ボランティアを取り仕切っている人達は「行政の責任者」ではなく、社会福祉協議会の有志の人であったり、ボランティアをしている団体の方だったりするからである。この事は一切知らされない。自分たちが善意で送ったものが被災地の弱者の手に渡ることなく腐ってしまったというようなことがわかれば大変なことになるからである。しかし、このことに関しては、誰も責めることができないし、責任の所在がないからこのようなことになるのである。「現場」には、自分の目で見なければわからないことや問題点が、たくさんある。これは仕事も一緒だが...。
Nov 13, 2004
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岡本さんの家に到着した、僕ら一行はすぐに作業に取り掛かった。9時に災害ボランティアセンターで受付後、歩いて10時には着いたのだが、作業内容を聞いて、一旦センターに引き返した。床下の粘土状の泥を取り出すのには、カッパを着てマスクをしての完全武装での作業が必要だったからだ。 床下には、粘土状の泥が一面に敷き詰められていた。床下浸水の結果、厚さ2センチほどの泥が隙間なく敷き詰められた状態である。岡本さんの家は、特に床下の高さがなく、床下の作業は困難を極めた。いやいや、とにかく狭い狭い。携帯ランプを持って、真っ暗闇の床下を、「ほふく前進(はいつくばって進む)」して進むのである。手首まで隠したビニール手袋をつけた手で、砂と泥の隙間に手を入れて、手の甲で泥を取り、チリトリに入れていくのだ。いやいや、終わったのは約6時間後。背筋が痛いのなんのって。38歳の体は、運動不足を訴えておりました。~次回へ続く~
Nov 11, 2004
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淡路島洲本町のボランティアセンターには、朝から続々とボランティア希望者が訪れていた。同じ兵庫県の豊岡市の方には、毎日多い時で1000人以上のボランティアの方々が近郊から集まって来ていた。 行ってみてはじめて知ったのだが、災害センター本部は、行政が動かしているわけではなく、災害ボランティア団体や、社会福祉協議会の有志の方々が運営しているのであった。洲本町の行政は関与していないというのは奇妙な事実であった。センターには毎日多くの「ニーズ」(ボランティア要請)の電話がかかってくる。それをセンター本部の方々がまとめ、ボランティア登録をした人達に、それぞれ指示をしていくという仕組みであった。まったく初めてのボランティア参加(災害ボランティア)であったので、指示書に書かれた「必要器具一覧」を「道具貸付所」で借りて、一路災害申請をされた岡本さん宅へ向かった。~次回へ続く~
Nov 10, 2004
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マスコミでは新潟の地震が毎日のように報道されているが、台風23号の被害もまだまだ終わっていない。11月1日~5日まで、災害ボランティアに参加するべく、福岡を車で出発した。最終的に参加人数は4人。現地の方々に負担がかからないように、テントや寝袋を持参しての参加であった。淡路島まで福岡から約700キロ。10時に出発してから、到着したのは、夜の7時過ぎであった。町は一見復興してしまったように見えたのだが、通りを一つ中にはいると、写真のような現状であった。まさに現地と報道はまったく違っていた。そして、お年寄りの方々は、電話もテレビも何もない状況の中、ボランティアが来ていることすら知らないといった有様であった。
Nov 9, 2004
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11月1日より兵庫地域にボランティアに行くことにしていたのだが、今回いざいくと決めて動き始めると、これがなかなか勉強になった。僕の場合は、先方の方々と連絡を取りながらの参加であったのでことがスムーズに運んでいるが、大規模災害の場合は、個人でのボランティア参加は非常に難しいのが事実である。支援地域は日々刻々と変化しているし、今日救援が必要であったところが、明日は必要でなくなるし、昨日まではボランティアはまだ不必要としていたところが、今日はお願いしますという具合だ。中にはボランティアに参加していながら、宿の手配を要求したり、自分の食事を求めたりと、何の為にボランティアに参加したのかわからない人たちもいるようである。「何でもします!」というより、「自分にはこれができます!」という人のほうが役に立つというのも納得できる。ボランティアに行ったはいいが、指示を受けなければ何をしていいかわからないという集団ができると、受け入れ側は非常に困るのである。かと言って、好意で自費で参加しようという「善意の人達」をむげに扱うわけにも行かないし。これが非常に難しいところのようだ。それならば、ボランティアにかかる費用を、義援金という形で寄付してもらったほうがよっぽど現地の人にとってはいいということになる。金だけ渡して、何もしないという、日本の政治とは少し意味合いが違うが、ボランティアの現状というのは、実際の支援活動と、善意の行為との差というものもしっかり考えた上で行動しなければかえって迷惑をかける事になりかねない。今回そういった状況も踏まえて、新幹線で行くところを急遽変更して自動車で現地に向かうことにした。何時間かかるかわからないが、車で参加してテントや飯ごうなど、「野宿でも結構、どこにでも移動します」というようにしていれば、先方にも負担がかからないからである。さて、その結果はどうなることだろうか。またご報告いたします。
Oct 29, 2004
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11月1日から5日間ほどではあるが、兵庫県豊中市に台風の被害に遭われた方々の、復旧支援の為のボランティアにいくことに決めた。最初は一人ででも行こうと思っていたのであるが、うちの社長に「有休お願いします。どうしても黙っておれません。兵庫の災害ボランティアに、受け皿ができましたので、自費で行ってきます」とお願いすると、「他にも賛同する人がいるのじゃないか?色々声をかけて一緒に連れて行け」といって頂いたので、声をかけてみたら、10名ほどになりそうである。ボランティアなどというものは、同情心や偽善がちらほら見える団体もいて今まで批判的であったが、同じ国に住む、同じ日本人の方々が、明日の生活にも絶望的になり、家を失い、思い出を失い、家族すらも失っている現状を見て、何か小さなことでもいいから自分にできることがないかと思った。大したことではないのですが、だから、行ってきます。
Oct 28, 2004
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16日から、勤務地が変わり、本部に勤務することとなった。思えば約2年間、宮田店の支援に始まり、経営が変わっての営業、10年ぐらい勤務していたかのような気がする。朝礼で店長交代の報告をした時には、何人もの従業員さんが大泣きしてくれたが、泣いてくれた女性従業員ほど振り返ると思い出深い人が多かった。時には厳しいことも言わなければならないし、叱った事もある。止む無く辞めて行った人達もいた。一人一人の思い出を振り返ると、本当にこの2年間で一番勉強になったのは、自分自身であったろう。スーパーマーケットというのは、女性の80%~90%が「パート」の女性である。しかし、どんなに素晴らしい店、安い商品、面白いイベントをしようとも、一番大切なのは、この女性たちが「やる気を出すこと」である。簡単に言うが、この女性達は「普通の女性」である。家に帰れば子供達の食事の用意をし、ご主人の世話をし、その空いた時間を使ってスーパーに働きに来ているのである。今は女性の時代という。確かにその面はあると思う。スーパーでも男性より女性の方が役に立つ面は大いにある。しかし、経営する側が陥りやすい誤解は、いつの間にか「仕事のできるようになった女性達」をそれが当たり前のように扱ってしまいがちなことである。「やる気」は決して自然発生するものではない。それは「群れのリーダー(店長)」の人格、魅力、情熱、思いやり、それらに触発され、それを支えるチーム(集団)が同じように成長した時、組織(店)全体を明るい、やる気の、温かい雰囲気が包み、いつ知らずとなくお客様が支持してくれる店になって行くような気がする。今度は、鹿児島に行きます。日記もがんばって書きます。皆さんお互いがんばりましょう!色々と書き込んでくださって有難うございます。
Oct 21, 2004
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