2024/08/22
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テーマ: 社交ダンス(9435)
カテゴリ: 映画のはなし
親善使節団を派遣するため、オスマン帝国海軍の軍艦エルトゥールル号は、618名の乗組員と共に1890年(明治22年)に日本へやってきました。

明治天皇への謁見を果たし、帰国の途についた矢先、和歌山県串本町沖で台風に遭い座礁。

紀伊大島の村民たちは、嵐の中、全員総出で救助に当たります。

この実話はどこかで聴いたことがあって、トルコ人は親日家が多いと記憶していました。







1890年といえば、 オーストリア=ハンガリー帝国 の時代です。

軍艦は蒸気機関を備えた帆船で、トルコからインドを回って日本まで、普通に往復しても2年かかります。

命懸けですよね。エルトゥールル号はかなり老朽化が進んだ軍艦でした。

座礁したことで機関室が浸水し、大爆発を起こして、ムスタファ大尉(ケナン・エジェ)含め、この海難事故で生き残ったのは1割ほどだったようです。







外人なんて、見るの初めてだったでしょうね。田村先生がなんで英語話せたのかもちょと不思議でしたが。

ここは漁村で、昔から海で困っている人を助けるのは当たり前という心情が体に染み付いている村人たちでした。

怪我人を収容して貧しいながらも食糧を工面し、漁を休んで遺留品や遺体を回収。

ボランティア精神というより、神様、仏様のような人々でした。





舞台は1985年(昭和60年)のテヘランに変わります。

イラクのサダム・フセイン大統領が停戦合意を破棄してイランに一斉攻撃を宣言します。

取り残された自国民を救出するべく各国が手を尽くす中、日本は飛行機を派遣できず、多くの日本人が戦場に取り残されることになってしまいました。

たまたま友人を訪ねた人もいれば、仕事で滞在していた人、日本人学校の生徒たち、大使館員も。





絶望的な気分で空港に取り残された日本人約300名を救ったのは、トルコでした。

救援機を送ってくれたんです。

空港で待機していたトルコ人たちは自国民を優先しろと騒ぎ立てますが、トルコ大使館の人がみんなを説得するんですね。







そしてトルコの人たちが、ゲートに向かう道をさーっと開けてくれるんです。

モーゼが海を割った時みたいに感動します。

日本人学校の先生(忽那汐里)とトルコ大使館員(ケナン・エジェ)は、生まれ変わりだったんでしょうかね。





『海難1890』は、2015年制作の日本・トルコ合作映画。

日本とトルコの友好125周年を記念した作品です。 第39回日本アカデミー賞10部門で受賞しました。



この映画を見たトルコ人は、日本人ていい人だなあと思ってくれると思います。

いい映画でした。オススメです。














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Last updated  2024/08/23 08:36:09 PM
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