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2013.07.27
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2013/5/31 日本株投資戦略 ~債券から株式への資金シフト本格化へ/株価反発に備えよう~


澤上篤人が語る!今取るべき投資家の行動 - 2013-06-01



プーチン大統領も感激…「浜寺捕虜収容所」世界一の好待遇が示す歴史の真実


■誇りを持って伝えたい

大久保利通卿、日本初の公立公園、東洋一の海水浴場

かつて大阪の人々は夏になると、
南部の堺市から高石市にかけての海岸に海水浴に出かけた。
歌枕の地で高師浜(たかしのはま)と呼ばれ、古くから白砂青松の景勝で知られた。

明治になって新田開発が計画された。明治6(1873)年、たまたま訪れた大久保利通が、
伐採される松林を惜しんで、

 「音に聞く高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり」

と詠んだ。


浜寺公園である。

大正から昭和にかけて「東洋一の海水浴場」のにぎわいをみせたという。
人気の別荘地でもあった。しかし、戦後の高度経済成長の時代に沖合を埋め立てて
泉北臨海工業地帯が造成され、松林はそのままだが、今はもう海水浴客の姿はない。

南海高師浜駅の駅前に「浜寺俘虜(捕虜)収容所跡」のレリーフがある。
日露戦争で捕虜になったロシア兵の収容所がここにあった。
現在は住宅街になっているが、碁盤の目のように整然と区画された道路は
収容所の名残である。

明治37(1904)年2月から1年半に及んだ日露戦争では、
約8万人の捕虜が日本に送られた。うち最大時には2万8000人が浜寺に収容された。
当時の高石村の人口は約3500人だから、地元はさぞ驚天動地だったろう。


戦時には似つかわしくないが、気候温暖、風光明媚(めいび)が決め手になったという。

さかのぼる1899年、日本も参加してオランダ・ハーグで第1回万国平和会議が開かれ、
捕虜、傷病者に対する人道的な扱いが定められた。
日露戦争は会議後初めての大規模戦争であり、国際的に注視された。
一等国の仲間入りをめざす日本は、とりわけ捕虜の待遇に気を遣った。


突貫工事で居住棟を建てた。診療所、礼拝堂、パン工場などが設けられ、
日本語教室も開かれた。
まだ一般家庭に電気が行き届いていない時代に、収容所内ではどこも電灯がついた。

収容者には運動のために外出も許可され、毎朝隊列を組んで出かけ、夕方に戻った。
地元の住民との交流もあり、親しくなって家に招待される捕虜もいたという。

負傷者のために皇后陛下から義手、義足、義眼が贈られ、
ロシア政府からは同盟国だったフランスを介して手当金が支給された。

明治39(1906)年2月までに全員がロシアへ送還されたが、
収容中に亡くなった89人は共同墓地に手厚く葬られた。

余話もある。捕虜の中に「イスラエル建国の英雄」と呼ばれる
ユダヤ人のヨセフ・トランペルドールがいた。彼は親切な扱いに感激し、
日本のような小さな国がどうして大国ロシアに勝てたのかと考え、
「日本を手本としたユダヤ人国家を建設する」と誓った。

やがてパレスチナへ渡り、建国闘争で銃弾に倒れるが、「国のために死ぬほどの名誉はない」
と言って息を引き取った。これも日本兵から教えられた言葉だった。

浜寺公園の一角に「日露友好之像」が建っている。平成14(2002)年5月に建立され、
碑文には「ロシアの勇猛果敢なる子が永遠に人々の記憶にとどまらんことを!」。
当時の小泉純一郎首相、プーチン大統領が署名している。

自虐的に歴史を振り返り、隣国から要求されるまま謝罪を繰り返すより、
わずか100年ほど前に、世界に称賛され、胸を張れる史実があったことを覚えておきたい。

そして日本人としての誇りをこそ、子供たちに伝えたい、教えたい。

◇鹿間孝一

産経新聞大阪特派員兼論説委員。北海道生まれの大阪人。生涯一記者を自任していたが、
なぜか社命によりサンケイリビング新聞社、日本工業新聞社で経営にタッチして、
産経新聞に復帰した。記者歴30余年のうち大半が社会部遊軍。
これといった専門分野はないが、その分、広く浅く、何にでも興味を持つ。
とくに阪神タイガースとゴルフが好き。夕刊一面コラム「湊町365」
(MSN産経ニュースwestでは「浪速風」)を担当。
共著に「新聞記者 司馬遼太郎」「20世紀かく語りき」「ブランドはなぜ墜ちたか」
「なにが幼い命を奪ったのか 池田小児童殺傷事件」など。
司馬遼太郎に憧れるも、いうまでもなく遼に及ばず。








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最終更新日  2013.07.28 04:59:32
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