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2019年05月20日
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ベルギーのブリュッセル空港でテロリストらによる極悪非道な爆破事件がおきた。国際空港という世界中から多くの人が集まる場所で、一体なんということをしてくれたのだろう。空港と言えばなんの関係もない人々があつまるところだ。なかには悲しみの別れをしている人もいれば、逆に喜びの再会をしている人もいる。そんな「これ」といった属性の人々を狙うテロというのは、いった何をターゲットにしておこなっているものなのだろう?もしかしたら世界73億人の中に「私は違う」と言い切れる人がいないのかも知れない。
2016年03月22日
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『エンパワメントの連鎖』自分の歩みを語り、意味づけをするご家族と玉木さんの写真10年という月日が経ち、その間に私の病気にも名前が付きました。副腎白質ジストロフィーという病気で、一番症状が穏やかだというALDというタイプです。厳しい大脳症状を示し、亡くなってしまう患者さんも多い小児タイプでなかったことは幸いですが、やはり治療方法の見えない難病であることに変わりありません。10年経った今では要介護度5の認定をいただくまでになってしまいました。 なのにこうして車いすに体を縛り付けてでも起きて活動している姿には、無駄とは知りつつ「なんとかなるサ」と強がりを言って障害者としての毎日を闘ってきたことが、決して無駄ではなかったのだと思い知らされます。 病気との闘いも同じですが、人間が一生のうちに果たせる営みには限界があります。この人生の意味を紡ぎなおす営みが、苦しみの拡大を防ぎ、連鎖を断つ力となるのではないでしょうか。人生はやり直せません。しかし、その歩みを他の人に「語り直す」ことで、過去の出来事に新たな意味づけを行い、「練り直す」ことができるわけです。当事者の本来持つ力を引き出して、自身の抱える問題を解決できるように自ら力づけることを「エンパワーメント」と言いますが、私はこの人生の体験の練り直しを「エンパワメントの連鎖」と呼びたいと思っていました。体験をわかちあい、互いに勇気づける玉木さんの開いた発表会で自身の体験を仲間に語る女性玉木さんの開いた発表会で自身の体験を仲間に語る女性多くの障害を持つ友人たちが集まる場で、リーダーのお役目をいただいた私は、彼らの病気や障害との体験を発表する場を数多く設けました。一人一人が生きてきた人生の重みとかけがえのなさを共有しようとしたのです。 これらに共に涙し、悩みを懸命に乗り越えようとする姿を全力で励ます。その体験のわかちあいを通じ、語り手も今後の人生を切り開く糧へと転じることができる。こう考えたからです。 強直性脊椎炎の障害があるAさんは寝返りも座ることもできない毎日の体験を話されました。それを聞いたBさんが「せめて仲間の待つ家にはこの足で歩いていきたい」という言葉にハッとしたそうです。Bさんは、その一言が、新たなステージへ挑戦する勇気をくれた、と嬉しそうに話してくれました…。 聞き手もまた、自分が抱える課題に立ち向かう勇気を、体験からくみ取り、わきたたせることができるのです。 こうした同苦=同じ立場での苦しみのやりとりによって、エンパワメントの連鎖を、結果的に実現できたと言えるのではないでしょうか。 私達障害者に求められるものは、障害に打ち克つ強さはもちろんのこと、障害の苦しみを乗り越える賢さではないでしょうか。賢さなどは必要だと言われても、すぐ身につくものではありません。 しかし体験発表と云う場を通じて「語り直す」ことができれば、聞き手はそれを自分なりに「練り直して」、自分の賢さとして身に付けていくことができるでしょう。こうした小さな積み重ねが、強く賢い障害者を生み出してきたと言えるでしょう。 これらすべてを自分一人で演じることは不可能ですが、障害を持つ友らにそういうステージを用意することは可能です。その効果は目に見える強さ、賢さにつながります。まさにエンパワメントの連鎖だと言えましょう。 失敗もありました。かつて私は全国の障害を持つ友らと一緒に、障害者の在宅就労を目指して、社会の仕組みを変えようと働きかけるNPOを運営していました。障害者が仕事をすることを通じてエンパワメントの連鎖を具現化しようとするものでした。我が家の稼業の合間に活動するつもりだったのですが、NPOに期待する声の高まりとともに、NPOの合間にすら稼業に取り組む時間がなくなってしまいました。全国で在宅就労のチャンスを求めるフォーラムを開催し、マイクロビジネス協議会に参加するなど、休日もないほどの忙しさです。「忙しい」という言葉は嫌いなのですが、個人的には財政の大ピンチです。 また誕生したばかりのNPO(特定非営利活動法人)という組織に対する世の中の誤解が大きかったこともあり、収入の道を広げることができませんでした。仲間への給与すら支払うこともできず、申し訳ない気持ちが一杯で、即刻撤退を決め込みました。 撤退にあたっては全国の障害者から、撤退を惜しむ声ばかりでなく、撤退を非難する声が殺到しましたが、身内から栄養失調者など出すわけには行きませんでした。人間らしい判断ができたことを、よかったと思っていますが、計画に甘さがあったことは否めません。体の自由はきかないけれど その後も穏やかに身体障害は進行を続けましたが、穏やかではあれ、体を車いすに縛り付けておかないと、ほんの少しの日常活動にも不自由を感じるほどです。といって人生に幕を降ろしてしまうわけにはまいりません。 何度「もう終わりにしよう」と思ったか知れませんが、好きだった海外旅行を今でも続けています。 その中でも今年の正月に出かけたフィリピンへの旅行が、強く印象に残っています。 義弟がカメラマンで、世界中を走り回って赤ちゃんの写真を撮りまくっているのですが、フィリピンのピナツボ火山山麓にある噴火後のスラムを訪ねた時、冨田江里子さんという日本人女性の看護師さんと出会ったのです。 縁あって知り合った彼女はボランティアでクリニックを開設し、お産の手伝いを中心にしながら、ご近所さんの医療のお手伝いまでしています。貧しくて病院などにかかれない人ばかりですので大変な人気者なのですが、彼女はとりわけ、家もなく、お金もなく、学校にも行けず、病気を抱えた子供たちを決して見捨てずに、初等教育を行う教室まで開設しています。 そのクリニックまではマニラから車で4時間ほどのところなのですが、同じくフィリピンで果樹園を経営なさる男性が、私たちの移動を助けてくれました。彼女は村の子供たちに「明日車いすに乗ったオジサンが来るよ」と、あらかじめ予告していたようです。 子供たちの住むところは近在の集落のゴミが集められるゴミの山、車も通れない細い橋を渡った山あいの集落、そして海岸の砂浜沿いに青テントの住宅(?)が建ち並ぶスラムでした。それらの集落で集まった子供たちは、およそ200人。 看護師さんが用意していたお菓子や風船を、200人の子供たちの頭を一人一人撫で、通じてはいないのでしょうが激励の言葉をかけながらプレゼントして来ました。集落の子供達と玉木さんの写真それぞれの集落で子供たちと写した写真を見て絶句しました。子供たちが一人残らず素晴らしい笑顔で写真に納まっているのです。普段から差別され、いじめられ、ろくに食事すらできない彼らにとって、みんな公平に扱われたことが、限りない喜びであったようです。 この旅を終えて「本当に行って良かった」と思いました。自分の体を冷静に見る限り、電車を乗り継いで関西空港まで行き、わずか3時間半とはいえ、飛行機に乗って海外に出かけ、さらにそこで何泊もしてくるなんて考えられません。 手すりの付いていないベッドで寝起きすること、手すりもついていないトイレを使うこと、ましてやお風呂やシャワーも問題外です。日常訪問看護師さんのお世話になっている身には、トイレの問題も深刻です。 何度「やっぱりよそうか」と思ったか知れません。それでも、この体で行ったから、子供たちに喜んでもらえた。大体、砂浜に車いすで訪れた人間は前代未聞だそうです。「サンタさん、来年も来てね」と、厳しいリクエストまでいただいてしまいました。お正月のない国では、正月三日などまだクリスマスだったようです。「OK必ず来るよ」と約束してしまいましたので、来年の正月もフィリピンで迎えることになりそうです。玉木さんご夫婦の写真子供たちと立場こそ違え、これもエンパワメントの連鎖として、将来に向けて良い結果を出していけたらと思います。これからも動かぬ体で、エンパワメントの貴重な導火線役を務めて行けたらと思っています。福祉賞50年委員からのメッセージ「エンパワメントの連鎖」素晴らしい言葉だと思います。 我が国は、アジアの中では障がい者支援の先進国です。アジアの人々を訪ねて、結果として啓発していることは、非常に意義深いことだと思います。まさに「エンパワメントの連鎖」です。 障がい者の後輩として今後もぜひ頑張っていただきたいと思います。
2015年08月13日
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私たちが世界への普及を目指しているFFCウォーターを、さらにわかりやすく、さらに楽しいものとして味わえるテーマパーク(?)が来年6月にできることになった。フューチャー・ファーム・コミュニティ三重といって、津市の伊勢自動車道芸濃出入り口の近所にできる。ここにはすでに8haのFFCの水や土壌を活用した花木の栽培農場があって、現代ではまれにしか見ることのない里山がある。この里山に隣接した3.3haの土地に、栽培農場をはじめ、ファーマーズマーケット、フードコート、三重大学と連携した農産物の高付加価値化や6次産業化を目指す教室などもできる。もちろん大駐車場完備だ。高齢者が働き、若者が集う、観光資源ともなるということで、地方創生の一翼を担うものとなるだろう。フューチャー・ファーム・コミュニティ三重・・・名前は長いが、イニシャルをとれば「FFC」だ。障害者用駐車場も6台分できるというから、完成したら孫たちを連れて遊びに(食べに)行きたい。住所は三重県津市高野尾町大谷5680番地 だ。
2015年06月05日
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波の音を聞きながら、ヤシの木陰でちょっとロマンチックな小説でも読んで、いつしか眠りの世界に入ってしまい、気が付いたら夕食とビールの用意ができていた・・・なんていいな。ハワイは観光地じゃない。リゾート地だ。夜を遊び明かし、あるいは飲み明かして、昼は寝る。これなら時差ボケも出なくていいかも知れない。今度ハワイへ行くときは試してみよう。ただあんまり健康的だとは思えない。短時間の昼寝にとどめておくべきかな?
2015年06月04日
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なんだか知らないけれど、今年はえらく早い梅雨入りだ。一年に一度の障害者の会合を、梅雨入り前にと思って6月7日に設定したのだが、どうも週末も雨になるらしい。車いすの障害者は傘がさせない、松葉の障害者も傘はダメだ。なんとか昼間だけでも雨雲に近寄らないでほしいものだ。私も現在は車が利用できないから、新大阪から1時間に1本の市バスに電動車いすを積んで出かけないといけない。バスの到着を待つのも濡れるだろうし、バス停から会場までも15分以上かかる。なんとか、なんとか、降らないでほしい。
2015年06月03日
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昨日寝屋川市で開催されたFFC説明会に、ゲストスピーカーとしてお招きを受け、私の35年間にわたる副腎白質ジストロフィー(難病)との闘いについてお話をしてきた。4月に発売された雑誌「PHP]に掲載された私の書いたエッセイ「一緒にがんばりませんか」を題材のひとつに話をシタノダガ、スピーチの終了後、多くの方に囲まれた。私と同じようにお体の不自由な方もいらしたし、ご病気や生活、お仕事さまざまな分野でご苦労をなさっている方ばかりだった。お時間がなかったので、お一人お一人のお話にゆっくり耳を傾けることはできなかったのだが、「一緒にがんばりましょう」と、固い握手をさせていただいた。この握手が、皆様の今日からの生きる勇気、生きる喜びに、少しでもつながるよう祈りたい。
2015年06月03日
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日本から大変近い、4000もの島々から成り立つ国フィリピンで、貧しい母子のための無料診療所を開設。日々支援活動を続けていられる、助産師・看護士の冨田江里子さんをお迎えした講演会を開催します。家もない、学校にも行けない、着る服もない、食べられない、どんなひどい病気になっても病院にも行かれない。こんな貧しさがこの世の中にあるんだろうか。そんな現実をお話しいただきます。本当の貧困、本当の豊かさとはなんだろう。生きるとはどういうことなんだろう。命についてご一緒に考えてみませんか。会期:2015年7月13日(月)13:00-15:00会場:ココプラザ新大阪(下の写真をご参照ください)2階先着200名様限り支援金(参加費)1000円 (会場費を除き全額を、富田さんの活動支援金として寄付します)主催:フィランソ参加ご希望の方は、玉木あてメールでご連絡ください。f-tamaki@ac.auone-net.jp入場券や支援金のやりとりは、メールで相談しましょう。下の写真の大勢の子供は、今年の1月玉木がフィリピンに行ったとき出迎えてくれた、浜辺に住む子供たちです。
2015年04月14日
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どうも最近楽天ブログは書いている最中に、突然画面が消えてしまうトラブルが多いから、すべての書き込みをFACEBOOKへ移動することにした。FACEBOOKのページを開き、玉木文憲と友達を探してくれれば、私のページに行ける。ついでに友達登録をしてくれれば、なおありがたい。
2014年11月17日
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土曜日に来春から北陸新幹線の車両となるE7系に長野新幹線で乗ってきた。「おっ」と思ったのだが、この車両のシートに付いている枕は、上下に30cm近く上下するのだ。たかが枕のことだけど、乗車姿勢がとても楽になる。その上、各座席にコンセントが備えられている。これは便利だ。帰り道に乗ったのだが、スマホを使っている人たちが、みなさん充電しながらスマホを使っていた。ただ前にも書いたが、障害者用トイレに東海道新幹線のN700系のように、横幅がないのが残念だ。
2014年11月09日
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http://www.youtube.com/watch?v=8bRH72OIS4A民謡に会津磐梯山という歌がある。この中に「小原庄助さん なんで身上(しんしょう)つぶした 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした あぁもっともだもっともだ」というおはやしがある。これを聞いていて「身上」というのを「身障」に置き換えたらおもしろいと思った。私達障害者は、俗に身障者と呼ばれる。周囲から「体の為にあれやっちゃいけないこれやっちゃいけない。あれもしろこれもしろ」と言われてストレスはたまる一方だ。そうでなくても体の自由がきかないばかりに、ストレスいっぱいの毎日をおくっているのにだ。だから「玉木文憲さん なんで身障つぶした よく寝て 美味い酒 たばこが大好きで それで身障つぶした あぁもっともだもっともだ」と歌ってみた。身障つぶしたとは、身体障害をぶっこわしたという意味だ。小原庄助さんの身上つぶしたというのは「家財産をなくした」という意味だが、このようにストレスばらいの道楽を積み重ねることによって、障害があろうがなかろうが、ストレスのない毎日を送れるならと思うのだ。できることなら障害そのものにも、どこかへ飛んで行ってくれたらいいのに・・・だ。
2014年11月05日
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10/28にLEDの卓上灯をAMAZONに注文した。AMAZONは出荷の確かさ、配達の速さで、少なくとも私には信用のある通販会社である。中国のアリババがソフトバンクと組んで日本にも進出するようだが、やはりAMAZONや楽天にはかなわないだろう。ところが注文した商品が10/29に出荷されたというのに、なかなか届かない。よく見ると「China Postで出荷しました」とある。11月4日になっても届かないので調べてみると、状態発生日(海外で発生した場合は現地時間) 配送履歴 詳細 取扱局 県名・国名郵便番号2014/10/31 19:23 引受 200237 CHINA 2014/11/02 12:22 国際交換局から発送 SHANGHAI CHINA とある。引き受けにも発送にも、2日3日と時間がかかっている。遅さには定評のあった郵便局でさえ、最近は翌日配達が当たり前だ。こういう配達業者を使っていいる出品業者は、広告の段階でその実情をきちんと述べてもらいたいものだ。机の上が暗いお蔭で、書類の字が読めない。老眼世代にはとんでもない話だ。こわれて届くことのないよう願いたい。
2014年11月04日
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上の写真はルイヴィトンの広告に使われた写真でモハメッド・アリがお孫さんと一緒に移っている。下の写真はフィンランドのヘルシンキ電車通りで写した私の写真だ。この2枚の写真の中で、アリさんと私は同じルイヴィトンの60cmのボストンバッグを携えているのだが、注目してもらいたいのは、そのバッグの大きさだ。私はこの広告を見た時「コンパクトでいいバッグだな」と思った。しかしこのバッグは両方とも60cmサイズの同じバッグだ。持つ人の体の大きさが違うだけで、こんなにも表情を変えるものかと感心した。それにしてもアリお爺ちゃん、いい体してますね。
2014年11月02日
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介護保険のレンタルで電動車いすを借り入れ、かなり気に入って乗り回しているのだが、ある日ふと「こんなに楽していいのかな」と思った。電動車いすは重たいから玄関での乗り降りや出し入れにちょっとした苦労が伴うのだが、外に出てしまうとこんなに楽なものはない。今まで車で行ってた近場など、車いすでひとっ走りだ。もう少しスピードが出れば言うことないのだが、なにしろ楽だ。罪悪感も伴う。そう思った私は、買い物などの近場への外出が続く日なら、手動車いすを使おうと決めて、玄関に手動車いすを置き、電動車いすはクローゼットに片づけた。体幹機能が衰えているから、手動の車いすをこぐのは大変だ。道路には水はけの傾斜が付いているから、体がどんどん傾いてしまって、ハンドリムをまわすのが困難になるのだ。ただこんな弱々しい姿は自分でも見たくない。世界の街を走りぬいてきた力強いチェアウォーカーとして、できる努力は続けて行きたい。
2014年11月02日
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今日の昼過ぎ、夏か!と思わせるゲリラ豪雨が降ってきたのだが、雨がやんだ夕方には超冷たい北風が吹き荒れた。どうやら木枯らし1号のようだ。木枯らし1号の吹くのが他の地域に比べて早いのか遅いのか知らないが、「春一番」に比べて、全然心浮き立つ気配はない。いよいよあの寒い季節が到来するのかと思うと、体が引き締まる。鬼に笑われそうだが、桜の季節が待ち遠しい。
2014年10月27日
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来春北陸新幹線が金沢まで開通する。その新鋭列車が長野新幹線の「あさま」として走り始めている。昨日所要があって群馬県の渋川へ行くのに、東京駅から高崎駅までこの新幹線を利用した。ところがこの列車の障害者用トイレは障害者には使えない物であることが判明した。東海道新幹線のN700系のトイレのように、車いすで便器に向かって斜め横からアプローチできないのだ。これじゃ昔の新幹線と同じだ。せっかくN700系で世紀の大改革をしたのに、より新しい新幹線がこれでは泣きたくなる。JR東海と東日本という会社の違いはあるのだろうけれど、私たちにとっては同じシンカンセンである。スピードは速くなったのだが、新幹線のおかげで長距離旅行をする人が増えた。障害者だってこのバリアフリーな列車の登場を喜んでいる。だからトイレぐらい、より新しい世紀のバリアフリートイレにしてほしかった。JR東日本さんには、情報不足の失態を恥じてほしいものだ。
2014年10月17日
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大分の友人から特産のカボスが届いた。もうそんな季節かと思わせる。酸っぱいものは苦手なのだが、焼き魚などに香りをつけていただくことにしよう。季節といえば、鳴門金時がそろそろいい季節だ。八百屋を歩き回って、うまそうな金時を捜し歩くのが楽しみだ。しかし酒飲みにとって、やはり秋の味覚といえば、サンマを置いて他にない。一年に何匹のサンマを胃袋に入れるのか知れないが、東日本大震災のあと石巻の友人から「支援をありがとう」と、特大のサンマをひと箱いただいた。今まで何匹のサンマを見たかわからないのだが、石巻のサンマはみごとなほどにデカかった。で、庶民の味とは言えぬほど美味かった。刺身よし、塩焼きよし、つみれ汁よし・・・今年も美味いサンマにめぐり合えるように。
2014年10月09日
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今日は妻の誕生日だ。誕生日を祝う花も届いた。美しいデンファレだ。こんなきれいな洋ランを見ていたら、美味しいワインが飲みたくなった。そうだ買いに行こう。
2014年10月08日
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日本列島に接近しつつある台風18号が、あさって6日にも近畿から関東にかけて襲い掛かりそうだ。強烈な雨前線を伴っているので、新幹線が動くかどうか心配だ。こともあろうか出張で、6日7日と一泊で横浜へ行くことになっているのだ。新大阪駅までは車いすタクシーを使おうかと思っているのだが、横浜はどうなるのだろう?これはともあれ、台風19号が発生し、18号と似たような進路で北上している。12日には群馬県渋川市の老人ホームに移った母を訪問しようと計画している。12日に19号が来るようなことがあると、もう踏んだり蹴ったりだ。せっかく今年の秋は台風が少ないと思っていたのに、どうして10月になって。210日も220日もとっくに通り過ぎているのに。ネ。
2014年10月04日
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今日待望の車いすが届いた。電動アシスト車いすといって、ジョイスティックで操作するのではなく、自分の手でハンドリムを操作する。ここまでは手動式の車いすと変わらないのだが、電動アシスト自転車と同じで、こぐ力を倍増し維持するので、とてもラクチンだ。まだ操作には慣れが必要なのだろうが、これからが楽しみではある。車体はスエーデン製のアクトモア、これにヤマハのIJX2を積んでいる。
2014年10月01日
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私達世代の男子をターゲットとした雑誌が創刊された。「MADURO」というヤンジイがターゲットとされる。ヤンジイはヤングジジイではなく、やんちゃジジイだ。つまり私達団塊世代を主力とする50代までの、バブル期以前の華やかさを知る男たちだ。その華やかな世代が年をとったのだ。団塊の世代は拙著「団塊これからだ」でも描いたように、昭和ヒトケタやドブネズミ世代とは明らかに異なる、大人としての成長をしてきた。フォークソング、GS、ディスコ、学生運動、ベンチャーズ、ビートルズ、受験戦争、出世競争・・・俺たちを取り巻いてきた社会は大変マルチだった。そんな俺たちが介護保険だ年金だと目の色を変える70代80代と同じ爺さんになるはずがない。いや中にはリストラなんて経験をした人もいるだろうが、基本的に俺達世代はやんちゃだ。マルチなことを忘れたくない。ただ雑誌を開くと、やたら高額品の広告が目立つ。たしかに国民資産の80%を持つのが爺さん世代であって、広告主の気持ちもわからないではないが、高いものばかりを好んで持ち歩くだけでは、今までの金持ちジジイと変わらない。高いものではなく、ホンモノにこだわる消費者でありたい。マガジンハウスの出版ではないが、「ポパイ」の兄貴分としてインテリの入ったホンモノ追及の「ブルータス」が齢を重ねたような雑誌であってほしいと思う。ここまで生きてジジイになったからには、いつか死ぬことも考えなくてはならない。あまりにやんちゃすぎて、葬式の時に誰も本気で別れを惜しんでくれないというのもちょっと寂しい。「俺はこういう生き方をしたんだ」と胸を張れるジジイとして、子や孫が少しは憧れを感じてくれるような生き方をしたい。いずれにせよ、生き方について考えさせられる良いきっかけとなる雑誌であってほしい。
2014年09月25日
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昨日初めて京都から撮影された富士山の写真が公開された。富士山が計算上は見えるとされる京都府から、奈良県天理市の住職、新林正真(しょうしん)さん(45)が初めて撮影に成功した。地形図などから富士山は全国20都府県で見えるとされるが、京都府だけは証拠写真がなかった。撮影地点は、京都市左京区久多川合町の山林で、富士山からの距離は261キロ。21日午前5時20分ごろ、連なる山の間から富士山の山頂らしき姿が小さく浮かび、撮影したという。私は上の写真の神奈川県茅ケ崎市で生まれ育った。東を見れば江の島、南を見れば太平洋の大海原と絵の詩岩、北を望めば丹沢と大山、そして西の空には常に富士山がその威風堂々たる偉容を見せていた。だから大阪に転勤して何がさびしかったって、富士山の見えないことがいちばんだった。神奈川にいようが、東京に住まおうが、ちょっと足を伸ばせば富士山は見えた。その富士山が京都から見えたというのは驚愕だが、あれだけ小さく霞んで鹿みえないというのでは・・・来月新幹線で上京するから、富士川鉄橋からの眺めを楽しみにしておこう。
2014年09月23日
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今日の名神高速は、普段と違い商用車とトラックが大変少なく、ボートや自転車を積んだ車が多かった。たしかに沿線の滋賀県岐阜県にはアウトドア派の遊び場がたくさんありそうだ。実際琵琶湖では、ジェットスキーやボートが楽しそうに走っていた。しかし若い人はすごいと思う。運転して行って、一日中遊んで、また運転して帰るのだから。私などは行き道だけ運転して、遊ばずに帰り道に付き、しかも帰り道はピンチヒッターに運転してもらったのだから問題外だ。
2014年09月14日
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この写真を見て、遠い少年時代のことを思い出す人は少なくないだろう。私たちの小学生時代、たしか一本10円だった鉛筆が買えなかった。たしか入学祝にもらった1ダースの箱入りの鉛筆を、短くなってもていねいに削り、サックとかをはめて、使えなくなるまで使ったもんだ。今朝の新聞に昭和天皇実録の話が多く出ていた。団塊の世代の私は、終戦以前の話はまったくわからない。ただ昭和天皇陛下が、鉛筆を数cmの長さになるまで使っていらっしゃったという記述には心打たれた。同じ昭和という時代を生き、昭和の国民の貧しさを共に味わってこられたのだ。昭和の時代の終わりには高度成長期やバブルの時代もあって、ついうっかりすると「昭和の貧しさ」なんて言葉を忘れてしまいそうになる。あのころはあのころなりの貧富の差があったように思うけれど、今の時代から見れば、みんなが貧乏人だった。昭和天皇のお心を忘れないように生きて行きたい。
2014年09月09日
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秋の高気圧が近づき、涼やかな風が吹いて、萩の花が咲き始めたという。色美しく、可憐な花姿の萩は、大好きな花の一つだ。しかし萩にはとてもいやな思い出がある。今から35年前の30才の9月、仕事が大好きだった私は家族に見送られて、いつものように駅に向かった。ところが駅に向かう足取りがいつもと違う。脛に痛みが走り、一歩一歩つまづくのだ。駅までは家から坂道を下り、県道を渡るともうひとつ小高い丘を越えて行く。私の足で歩いて20分ほどの距離だ。県道を渡ったところであまりのしんどさに、小川の土手に腰かけてひと休み。そのとき目の前に咲いていたのが萩の花だった。桃色の花びらをはらはらとこぼす様は、まさに美しい。あまりの不調にさっそく病院に駆け込んだ。「気のせいでしょう、なんともないですよ」そう言われ続けながらホスピタルショッピングを20数年続けた。当時まだこの病気は、世界でも発見されていなかったのだから仕方がない。ただ診察のたびに「いつから?」と尋ねられ、「昭和54年の9月から」とはっきり答えることができた。萩の花の印象が強かったからだ。今となっては思い出してもしょうがないことだけど、萩の花を見るたびに、発病の時の悔しさを思い出す。同時にすすきにも初穂が出たという。私の父の実家がある箱根でも、青春時代の仕事のステージのひとつとなった軽井沢の浅間山の麓でも、何百万本というすすきの穂が風になびいていた美しさを思い出す。萩の花にはちょっと苦い思いでもあるのだが、秋ってやはり素敵な季節だ。毎日を目に入る秋を愛でながら「ブラボー」と言って過ごしたい。
2014年09月08日
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東京に住んでいる頃、八王子の高尾に都営の霊園を購入し、父と祖母を埋葬していた。で墓参りと言うとお彼岸やお盆のころというのが当たり前になっているのだが、この付近は東京でも滅多にないお墓銀座である。お彼岸のころの道路の渋滞は半端ではない。延々と続くラッシュの先で、お墓に着いても今度は車を停める場所すらない。路上にチョイ停めしてスペアの運転者を車に残して参拝し、交代して参拝を済ませたらすぐに墓地をあとにする。こんな状態だから昼食をとる場所すらない。大阪に来て、体をこわしたこともあって、八王子のお墓を参ることはできなくなってしまった。八王子でなくても、大阪近郊であっても、もうラッシュは耐えられないし、なんといっても墓地のあの芝生は車いすでは走りにくいものだ。今度滋賀県の大津郊外に墓苑が販売された。義父も亡くなったので家族の総意で購入を決めていたらしいが、私一人で反対していた。琵琶湖畔に納骨堂があるのだが、車で行けば2時間、新幹線で行けばわずか2駅、駅からタクシーで5分だ。納骨堂なら車いすでも楽に入ってお参りできる。これから子や孫の代になって、お墓詣りなどがいまほど当たり前ではない時代になっても安心できる。今は守る人のいないお墓の増加が問題になっている時代だと言う。つまりお墓の墓場がふえているのだそうだ。だからここに決めた。いくら近いところを求めても、大阪市内ではちょっと考えにくいから。将来的には私もここに入るのだろうが、どうやら春の彼岸過ぎにはちょっとした花見の名所だそうだ。納骨堂というと、いくぶんしめやかな気持ちになりそうなのだが、墓参りに来てついでに花見を楽しんでいってくれるなら、埋葬されている側も気楽だってもんだ。いいところが見つかった。
2014年09月04日
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国内でのデング熱感染者が4人になった。地球温暖化が進み、日本列島ももはや亜熱帯気候であると言われ始めたころから、すでに危機感は覚え始めていた。熱帯に住むヒトスジシマ蚊が日本に生息し、感染者の血を吸うことがあれば、その蚊が次々と刺す人々はすべて感染者となってしまう。今まで感染者が現れなかったのは、もとの感染者が蚊に襲われなかった・・・それだけの話である。だからこれはニュースには違いないが、驚くべきことではない。「ついに来たか」という感じなのだ。これからお彼岸の連休などもあり、東南アジアなど近場の外国に出かける人も多いだろう。どうか「もともとの感染者」になって、国内に感染者を広げないようご尽力いただきたいものだ。
2014年08月31日
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大阪は日本で一番暑い都市だといわれるが、なぜか今年はいくらかしのぎやすいような気がする。それを裏付けるようなデータが発表された。7月の猛暑日はとても多かったようなのだが、8月19日現在、8月の猛暑日はなんとゼロだというのだ。道理でしのぎやすいと思うのだが、やはりちょっと気を抜くと外気の温度は34度とか33度あるわけで、あぁ暑いわ。
2014年08月19日
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今朝の朝日新聞別綴じのGLOBE全面広告に車いすマラソンが取り上げられていた。ホノルルマラソンに参加した時、車いすマラソンを間近で見た。私達ウォーキング組より30分早くスタートした彼らはダウンタウンをまわって、再びスタート地点のアラモアナ公園山側をビュンと通り過ぎる。先導のバイクに引っ張られものすごいスピードだ。後続のパトチャリに乗ったポリスも必死で追いかける。世界レベルのマラソンランナーのスピードがおよそ20km/h、車いすランナーのスピードが30km/h、下り坂では50km/hにもなる。42.195kmを1時間20分で走り抜けるのだ。私たちが5kmを一生懸命歩いて、ワイキキビーチ前をゴールのカピオラニパークに向けて歩いている時、車いすのランナーたちがパークから帰ってくる。疲れた顔で「終わりました」と両手を広げてホテルに帰って行く。私たちのタイムがおよそ1時間。彼らはダイヤモンドヘッドをまわった42kmを1時間半足らずで走ってきたのだ。彼らの存在の陰には障害者スポーツの父と呼ばれる中村裕博士の存在が欠かせないのだが、一人の障害者としては、やはり障害者のスポーツや自立、社会参加に心血を注いだルードヴィヒ・グットマン博士の次の言葉が命に刻まれている。「失われたものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」
2014年08月17日
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今日からビーチバレー世界大会の代表決定戦が大阪で行われている。という話だけだったら別にビックリすることもないのだが、なんと大阪駅より徒歩1分のグランフロント大阪にコートが作られて開催しているのだ。これには驚いた。ひと晩でダンプで砂を運び込み作り上げたという。その砂の量220トン、造成には6時間がかかったという。ただ今日は雨、ギャラリーにはあまり良い天気ではない。決勝の3日には夏らしい天気になるだろうか。
2014年08月02日
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マンションの前庭に植えたタイタンビカスが咲いた。どうやら3-4日前から咲いていたようなのだが、最近引きこもり気味の(?)私は気付くことができなかったようだ。もう咲き終わった花びらがぶら下がっているから。例年は赤から咲き始めるのだが、今年はまだ赤い花が見られない。真冬に患った低温熱傷の傷が深くなってしまい、その治療の為に月曜日から半月程手術入院する。たいした手術ではないから「怖い」などというものではないが、見事に咲いているタイタンビカスに勇気をもらえるようだ。
2014年07月12日
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私の友人木島英登さんが4冊目の本を出版した。とは言っても、彼の本を単行本にしてくれる出版社はなかったようで、かわいそうに電子書籍の自費出版になってしまっている。でも、ということはタダで読めるということで、なんともありがたい。http://www.kijikiji.com/book/読みやすいkindle版でも出ていて、¥850だ。私はkindleで読んだのだが、以下の目次にあるように、私の世界旅行とは圧倒的な差がある。第1章 新たなる挑戦 2001年 - 2003年 スキー場での刺激 米国 1 ハンドサイクル イギリス 3 カーニバルへの道(1)トリニダードトバゴ 10 カーニバルへの道(2) 18 ロッキー山脈を越える(1)出会い編 米国 28 ロッキー山脈を越える(2)激走編 35 第2章 会社を辞めて 2003年 - 2005年 動物の楽園 ナミビア 45 金メダリストに介助される ウズベキスタン 53 サハラ砂漠へ モロッコ 58 空を飛ぶ ネパール 64 第3章 生命の危機 2004年 - 2008年 おしっこが出ない バングラディシュ 70 原因不明の高熱 マダガスカル 77 肺炎で入院 ボリビア 85 川に流される ラオス 93 第4章 カウントダウン 2008年 - 2009年 バンジージャンプ ニュージーランド 99 修練の旅 西アフリカ 104 北極のオーロラ グリーンランド冒険は素晴らしいことだが、木島さんももう3人の子持ちだ。あまり無理のないようにお願いしたいものだ。
2014年07月03日
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今日3年ぶりに入院した病院のベッドサイド備え付けのテレビが液晶テレビに変わっていたのには少し驚いたのだが(当たり前か?)、そのテレビがネット対応になっていたのには驚いた。3年前に入院したときはロビーにネットコーナーなるものがあって、車椅子では立ち入ることができなかった。入院患者はみなそれぞれに携帯のWIFI機器などを買って対応していたようだ。アイホンも現在ほど電波がよくなかったから、完璧にネットからおいてけぼりにされていたような気分だった。しかしこうして目の前にネット環境を置かれてみると、アイホンやアイパッドの使い心地のよくなった現在、もうあんまり必要がないように思う。
2014年06月25日
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明日から入院なので、荷造りをしていた。入院だからといって、普段の出張や旅行と荷物の中身やバッグが変わるわけではない。ただ宿泊先がホテルではないため、なにかと注文が多い。洗面道具を忘れるな、タオルやパジャマ、日用薬も忘れるな・・・そんな注文にひとつひとつ応えて荷造りしていたら、荷物がひとまわり大きくなったような気がする。そもそも今回の入院は難病患者としての不可抗力と、注意力不足によるものじゃないだろうか。寒い季節、電気アンカを低温で使っていたのだが、寝返りが打てないためずっと同じ場所にあたり続けていたようだ。当初褥瘡かと思われていた傷が、実は低温火傷によるもので、脛の深部まで「よくやけ」じょうたいになっているそうで、手術を受けることになったのだ。手術は分割払いで、一回目は一週間で肉芽を掘り起こして人工真皮を植え、二回目はおよそ二週間の予定で皮膚移植を行う。傷の状態が医師も今まで見たことのない状態だと言うので、いくらか心配ではあるが、生体細胞にとって「よかれ」と思うことはすべてやってきたから、成功は間違いないと思う。ドクターにも「最高のイメージを描いてお願いしますね」とお願いしておいた。手術の翌日から妻が出張なので、忘れ物のないことを祈る。
2014年06月24日
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単行本がなかなか出版されないのだが、電子書籍になった「二人で紡ぐ世界旅2」が好評だ。AMAZONのKindleだからとても読みやすい。http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%A7%E7%B4%A1%E3%81%90%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%97%85%EF%BC%92-%E7%8E%89%E6%9C%A8%E6%96%87%E6%86%B2-ebook/dp/B00I7LVMJW?ref=bit_bds-p25_serp_cr_jpnat_link&tag=bds-p25-serp-jp-cr-22&ascsubtag=お値段も560円と格安だ。
2014年06月23日
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今では東北新幹線や秋田新幹線を走る最新鋭機にとって代わられた気配のある300km/hオーバーの新幹線だが、数年前東京から広島県の福山にいたる出張の途上、500系の新幹線と0系の新幹線を岡山で乗り継いで移動したことがある。500系のぞみは東海道新幹線では、マックス270km/hしか出さないのだが、新大阪を過ぎた山陽新幹線では300km/hでひた走る。乗っている時にはあまり感じなかったのだが、岡山で0系のこだまに乗り換えた途端、ほっとするものを感じた。今まで自分の体を磁場のような、高周波のような、いかにも不自然なものが取り巻いていた。それが時速220km/hの世界になったら、みごとに消え去ったのだ。現在東海道を285km/hでぶっ飛ばすN700系ののぞみから0系こだまに乗り換えたことはない。最近こだまも700系なのだ。だから500系とN700系を比較することはできないのだが、乗り心地とスピードは共存しないものなのだろうか。
2014年06月16日
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友人から「今年もアマリリスが咲きました」とメールをいただいた。で、じっくり見るとこんな大味な花だったかなと思う。考えてみれば今まで実物のアマリリスは見たことがないのだ。歌は耳に馴染んでいる。一番みんなで聞こう楽しいオルゴールをラリラリラリラしらべはアマリリス二番フランス土産やさしいその音色はラリラリラリラしらべはアマリリスhttp://www.youtube.com/watch?v=n7x1V-o8Nf8
2014年06月11日
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公明新聞の波紋特集に投書した短い文章を掲載してもらえた。今回は父の日特集ということで、父についての投書が求められていた。拙著「父からの伝言」にあるように、わずか13年の間に積み重ねられた父との思いでは大きい。中でも山谷時代の思いでは格別だ。当時の山谷と云う街は、普通の人生を投げ捨てたような男たちが集まる町だった。そんな街で、自分たちの人生を立てなおそうともがいた日々がなつかしい。結局父が亡くなることで幕を閉じたのだが、その後も孤児院生活と云う考えもしなかった日々が始まった。よくぞまぁ、グレずに還暦を通り過ぎたものだと思う。
2014年06月07日
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小学生の頃、御殿場線の下曽我駅から国府津乗り換えで茅ヶ崎まで越境通学していた。このとき国府津駅で乗り換えするのに、駅の脇にある操車場(機関区っていうのかな?)の機関車が並んでいる車庫(?)のうえに不思議な数字が並んでいた。1:29:300勉強は好きで得意だったが、この数字が一体何を表すのかはまったくわからず忘れていた。それが最近、インターネットのグーグルの写真サイトに写真が載っていて、思い出さされてしまった。便利な社会だ。わからないことがあれば、インターネットに尋ねればすぐわかる。「1:29:300の法則とは、労働災害における経験則のひとつで、1件の重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというものです。この法則を導き出したハーバート・ウィリアム・ハインリッヒ(Herbert William Heinrich)(1886年~1962年)に由来して、ハインリッヒの法則とも呼ばれています。 アメリカの損害保険会社にて技術・調査部の副部長をしていたハインリッヒが1929年11月に、労働災害の発生確率を分析した結果を論文として発表したもので、1件の重大災害の裏には、29件のかすり傷程度の軽災害があり、その裏には300件もの「ヒヤリ・ハット」した(危うく大惨事になる)傷害のない災害が発生していたことを明らかにしました。」とあった。これはマーケティング理論としても使われているようだ。昭和30年代に使われていたものだから、やや古臭い理論なのだろうが、やっとわかって安心した。
2014年06月04日
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まだ関西空港ができる前、伊丹空港に降りて行く飛行機の中にはこんな懐かしい飛行機が飛んでいた。JALパックで売り出したDC8だ。JALパックでは、その中心となる路線はハワイ路線だったと思うのだが、この当時伊丹に飛んできていたDC8は台北発の日本アジア航空だ。当時大阪の空を飛んでいた飛行機の中でも、格別騒々しい騒音を振りまきながら飛んでいた。田中角栄さんが「ピーシーズ」で検挙された後だったと思うが、アメリカのユナイテッド航空が伊丹とサンフランシスコを結ぶ路線に、ロッキードのトライスター機を使っていた。一度アメッリカへ行くのに乗ったのだが、機内はあちこちがクラフトテープでメンディングされ、とても太平洋を渡る飛行機には思えなかった。ただ機内食のステーキはとてもおいしく、オレンジジュースもとてもおいしかった。ルフトハンザに限った話ではないのだが、この頃の空の主役はジャンボ機だった。国内線でも人気キャラクターのイラストに彩られたジャンボ機がたくさん飛んでいた。今はもう国内の航空会社はジャンボ機などを飛ばせていない。次の世代の飛行機が待ち望まれるところだが、B787は期待外れで、これから一体どうなるのだろう。B777ではいくらなんでも燃料の無駄遣いが大きすぎると思う。
2014年05月29日
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大阪と札幌を丸1日かけて結ぶ国内最長路線の寝台特急「トワイライトエクスプレス」が、来春限りで引退することになったそうだ。JR西日本の看板列車として25年にわたって運行してきたが、車両の老朽化が激しいこと、新幹線対応となる青函トンネルが通れなくなるなどの理由から存続を断念したようだ。 「トワイライト」の運行は1989年7月に始まった。大阪駅を正午前に出発し、福井、金沢、富山など日本海沿いの駅に停車。札幌駅まで約22時間かけて走る。運行距離1495・7キロは国内で最も長い。 シックな濃緑の車体、豪華な個室寝台やサロンカー、高級ホテルのような食事やサービスなどを、日本海に沈む夕日を眺めながら楽しめる。日本海に沈む夕日と言えば、俗にいう「西陽」である。夏場の大阪あたりでは徹底的に嫌われる西陽なのだが、これを25年間も売りにしていたのだからすごい。ま、日本海に沈む夕日がきれいなのは冬場なのだろうが。数年前札幌に行ったとき、空港からの列車から降りるとホームの反対側で22時間の旅を終えて一息ついているトワイライトエクスプレスがいた。鉄道好きの私にとってはあこがれの特急だ。一度妻と一緒にこの特急で札幌まで行ってみたいと思っていた。しかし車いす利用という私にとって、国内の在来線の鉄道利用は困難なものだ。「引退」の声を聞き、あきらめの気持ちにふんぎりがついたような気がする。
2014年05月28日
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一日に200通を超える迷惑メールも、いよいよ我慢の限界が訪れ、メルアドを変更することにした。知らん顔していりゃいいのかも知れないが「メッセージが着信しました」という表示が出ていると、かかってきた電話にすぐ出ることさえできないのだ。それにしてもメルアドを変更するためのマイソフトバンクからの手続きの煩雑なことといったらない。契約の時に設定したいろんなパスワードって、みなさん憶えていますか?
2014年05月26日
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わが家の近所に文化住宅ばかりが建ち並ぶ、ほとんどスラムのような一角があった。そのスラムがいきなり取り壊されて、新しい道路を中心とした街が生まれつつある。その街の片隅に、セブンイレブンと交番と、歯医者さんが一軒引っ越してきた。我が家から徒歩5分以内であるからご近所だ。今まで通っていた歯医者さんが徒歩20分ほどだったから、これはもう即浮気コースだ。早速予約を入れて、今日行ってみた。衛生士は美人揃い、建物はバリアフリー。これだけで浮気は本気に。歯石の掃除をしてもらったのだが、歯科医師の腕がいいのか、機材がいいのかこれはわからないのだが、いままでにないほど口の中は爽やかになったのだ。そもそも虫歯とか入れ歯とかには縁のない男だ。これ以上望むものは何もない。すばらしい歯医者が近くにできたことに感謝している。
2014年05月20日
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近ごろテレビでやっている虫コナーズのCM、あれよく見れば懐かしの三人娘じゃないか。いや、もう娘とは言い難いが、私と同世代の人間なら思い出に刻まれた三人だ。しかしこの三人の中で「あなたが噛んだ小指が痛い」の伊藤ゆかりさんが、一緒に歌って踊っているのはショックだ。彼女にはこんなシーンはイメージにあわない。http://www.youtube.com/watch?v=J1de2aG3E0c
2014年05月19日
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ものすごくしゃれたおかきをいただいた。「かるたとり」という名の缶入りのおかきの詰め合わせだ。写真のようにおかき一枚の入った袋には詠み人の姿が描かれ、百人一首の歌が表裏に別れて印刷されていいる。そもそも小倉百人一首は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家が選んだ秀歌撰である。その原型は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、定家が作成した色紙である。蓮生は、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のため、定家に色紙の作成を依頼した。定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。小倉百人一首が成立した年代は確定されていないが、13世紀の前半と推定される。成立当時には、この百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれた。後に、定家が小倉山で編纂したという由来から、「小倉百人一首」という通称が定着した。室町時代後期に連歌師の宗祇が著した『百人一首抄』(宗祇抄)によって研究・紹介されると、小倉百人一首は歌道の入門編として一般にも知られるようになった。江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの形態で広く庶民に広まり、人々が楽しめる遊戯としても普及した。ちなみに、このおかきを作っている会社は株式会社浜見屋さんで、屋号がなんと「小倉山荘」さんだ。知る限りいまだできたばかりの製品だろうが、しゃれた名前をつけたものだ。
2014年05月17日
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坊主に限らず、お経を唱える声を聞くと、どうしても葬式を連想してしまう。これは日本の仏教界が江戸時代以降檀徒制度に甘え、結婚式は神社、葬式はお寺といった変な習慣を作ってしまったことに始まる。本来出家信徒、在家信徒に限らず、勤行と云うのは経を読誦することによって、勤め励むことを指す。仏教用語としては、仏教における実践徳目である波羅蜜のひとつ精進波羅蜜(しょうじんはらみつ。 この場合は仏道修行に勤め励むこと)と同一視され、寺院や自宅の仏壇の前で時を定めて行う読誦・礼拝などの儀式をいう。お勤め(おつとめ)ともいう。勤行には、平時の日課として行われる日常勤行のほか、彼岸会、盂蘭盆会などの年中行事に行われるもの、故人の追善の法要として行われるものがある。その意義については、仏教徒である事を自ら証するため、経典に説かれる善業(ぜんごう)のひとつとしての実践などど説かれる。また追善法要として行うものは、善業を行った功徳を、故人の冥福を祈って回向するものである。また仏恩・師恩に対する報恩報謝、仏徳讃嘆の為に行うという意義も説かれる。茶道の千家などでは、朝晩の勤行を当たり前のこととして公言している。坊主がやるとどうしても葬式くさくなるのだが、仏教を信奉する在家の仏教徒においては、もっと堂々と勤行をすればいいのではないだろうか。私はかつてカトリックのクリスチャンであったが、(ちょっと古い)ラテン語でのミサの祈りを完ぺきにできる。もう年頃ではないが、司祭の傍らでミサをサポートする赤いローブに白いスモックの侍者がつとめられたということだ。日本人はどうしても宗教的なにおいを、人前に出したがらない。どうしてだかわからない。信教の自由は憲法で保障されているはずなのだが。だから外国人には「ニッポンには宗教がない」などと揶揄される。信じ込む信じ込まぬは別にして、やはり宗教的バックボーンを持たぬことには、やはりさびしさを覚える。伊勢神宮でも創価学会でもイスラムでもいいじゃないか。生きる骨格がほしい。
2014年05月10日
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わが家の南西側にオフィスビル1棟と、超高層マンション1棟が建設中だ。両方ともわが家への日照を遮るものではないし、多くの眺望が失われるものではないのだが、8月に開催される十三の大花火大会を完全にブロックする位置に建てられている。マンションはもう20回までできているようだから、もう少し高くなるのだろう。花火の音だけは聞こえるのだろうから、ちょっとつらいものがある。去年まではエアコンの効いた部屋で、冷たいビールなど飲みながら花火を楽しめたのだが、やはり無料の贅沢というのは、いつまでも続かない。超高層マンションへの買い替えも当然考えたのだが、納得できる間取りの物件がなかった。バリアフリーという大きな条件があるだけに、薄っぺらなコンセプトのマンションにはやはり住むことができない。仕方ないから今年からは、花火とは縁のない夏を過ごすことにしよう。
2014年05月10日
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かつて横浜に住んでいた時、江の島や城ケ島にドライブすることはよくあった。そのたび、行くたびに現地でサザエのつぼ焼きや、ハマグリの浜焼きの良い香りに悩まされた。私は酒飲みであるから、こうした美味い物を食すときに、左手にビールのないことを「よし」とすることができない。サザエなりハマグリなりを、ビール抜きで食べてくればいいのだろうが、それのできない悲しさがある。会社帰りに美味い貝を食べさせてくれる店は?と探したが、渋谷あたりでこんなもんを注文したら、目の玉が飛び出すような料金を請求されるに決まってる。ここに登場したのが、貝好きサラリーマンの救世主、ホンビナス貝だ。東京湾のアサリやハマグリと変わらぬ漁場で大量に獲れているというアメリカ産の二枚貝だ。見た目はハマグリそっくりながら、アサリやハマグリのように、砂地に限るというものではなしに、泥地でも獲れるそうだ。歯ごたえよし、香りよし、味よしで、これから産地が広がるにつれ、貝好きの評価を高めていくだろう。だからといって江の島や城ケ島での酔っ払い運転が許されるというわけではない。会社帰りの居酒屋で、あるいは我が家で、ふところを気にせずに、美味いビール(と貝)が楽しめるということだ。
2014年05月07日
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今朝の天声人語にこのような記述があった。こどもの日の第1回を祝ったのは1949(昭和24)年だった。全国で270万人が産声をあげた年で、奇(く)しくもベビーブームの頂点にあたる▼〈我ら戦争に敗れたあとに/一千万人の赤んぼが生(うま)れた/だから海はまつ青で/空はだからまつ青だ〉と叙情詩人の三好達治は書いた。生まれくる子は、傷だらけの体で立ち上がったこの国の、かけがえのない授かりものだった何を隠そう、昭和24年といえば私の生まれ年だ。私たちが海を真っ青にし、空を真っ青にして、傷だらけの日本を立ち上がらせたのかと思う。▼えんやこらと復興の泥坂を上る大人を、小さな瞳が励ました。筆者は昭和30年代の生まれだが、あの頃も子どもが多かった覚えがある。昨今は、表で遊ぶ姿を見かけることも少ない▼少子化に加えて、子どもの日常はますます遊びから遠のいていると聞く。時間、空間、仲間の三つを、遊びに欠かせない「サンマ(三間)」と呼ぶそうだ。放課後の外遊びもサンマがあればこそ。いまや都市部では原っぱという「黄金空間」も消えて久しい▼〈少年時友とつくりし秘密基地ふと訪ぬれば友が住みおり〉笹公人(ささきみひと)。鬼ごっこも缶けりも、長じて何かの役に立ったとも思えないまま、何かの役に立っている。それが遊びというものだろう。サンマを上手に確保するつとめが社会にある。無論こどもの日だけではなく。たしかに私たちは上手なサンマの使い手だった。ただオトナになって年を重ねた今になっても、このサンマ(=時間、空間、仲間)は、私たちが生きるための宝物だと思う。同じ朝日新聞にこどもの日広告という全面広告があって、「天声人語」ならぬ「子声子語」という子供の書いたコラムが出ていた。すばらしい作文だ。画像が小さくて読みにくいかも知れないが、どうかご覧いただきたい。
2014年05月05日
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今日和歌山からダンボール一杯のうすいえんどうが届いた。決して高い品物ではないのだが、現在スーパーの店頭をにぎわしている商品だから、なんだか時流に乗り遅れないようでちょっとうれしい。うすいえんどうといえば、思い浮かぶのはまずは豆ごはんだろうが、左党にうれしいのはやはり塩ゆで豆だ。明日が楽しみだ。
2014年05月03日
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