我が町のように、新旧入り混じってお盆が執り行われる街に住んでいると、初盆参りをする際、相手方が、新旧いづれかで行うのかの確認は欠かせない。
だが、
最近になって気がついたというか、灰色のもやもやしたものが生まれることがある。わが町は、日本でも平均的な地方ということで、広島と並び、新製品の試験販売がおこなわれる町なのだが、近頃とみに、初盆祭りに伺う前の確認をおこたると、とんでもない事態が生じるようになった。
はっきりいおう。その年どしで、お盆が変わるお宅がある、ということだ。
もともと、当地では新旧どちらで執り行うかは、そのお宅が決めることだったらしい。
住んでいる地域に倣う場合もあれば、本家に従うお宅もある。
また、最近は専業主婦が減ったので、お勤め先の事情というのもある。
我が家も、これまでのところ、なるべく盆祭り自体を簡素化して、朝昼晩の精進料理と施餓鬼、馬と牛の飼い葉のお供えを時には略すこともあった。
できるかぎりのことをするから、足りない部分は勘弁してねと、胸のうちで謝りながら。
要は、気持ちの問題なので、仏様の寛大な慈悲におすがりしようというわけだ。
仏祭りは、まさに内内のことだが、それでもお参りに来てくださる方がいると、途端、世間様の目が気になるものだ。
よそ様では、どのようにやっているのだろうか。時に、他家を見習ったり、お盆用品を調達に行った店舗や知人の方々のありがたい助言やアドバイスにかじりつく。
そもそもは、お盆をどちらにするかも、諸事情により、最も良いと思えるものを選べばよい、ということではないだろうか。
もしかしたら、当主が信仰を変えてしまっていて、お盆自体をしたくないお宅もあるかもしれない。
7月か、8月か
ここにもうひとつの決定要件が誕生したらしい。
それは、お寺さんの事情だ。新盆で回りきれない場合は、なるべく旧にふるようにするらしい。
かくて、毎年毎年、しつこく確認をせねばならなくなったという次第である。
思い込みを外すー血圧を測っているときに… 2016.07.08
なが~~~い小休止の中で 2016.03.02
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