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(字伊禮拝所)沖縄本島中部の「北谷町/ちゃたんちょう」にある「伊平集落」は戦前まで「伊禮/イリー集落」と「平安山/ハンザン集落」に分かれていました。「字伊禮拝所」にかつて「ハンザンヌル/平安山ノロ」が来て拝んでいた「トゥン/殿」が祀られており、キジムナーの妖精がいたと伝わる樹齢100〜200年のガジュマルの巨木があります。この拝所には鎮守の森と言われた「クランモー/蔵森」から移設された「クランモーヌカー/蔵森の井戸」と「クランモーフェーヌカー/蔵森南井戸」のウコール(香炉)が祀られ「アラカチヌカー」とも呼ばれる「クシヌカー/後の井戸」と「ウブガー/産井」であった「イーマガニクヌカー/上間兼久」のウコールも合祀されています。さらに「土帝君・祖霊神・火の神」のウコールを祀った祠も建立されています。「字伊禮拝所」の西側にある森の中に湧水井戸の「ウーチヌカー」があります。この井戸は旧暦5月15日の「グングヮチウマチー」の時に「ハンザンヌル」が祭祀を行う井戸で、雨乞いの際にも拝まれ豚を潰して供えていました。(字伊禮拝所の石碑)(トゥン/殿の拝所)(トゥン/殿の石碑)(トゥン/殿のウコール)(字伊禮拝所のガジュマル)(上間兼久・後の井戸・蔵森南井戸・蔵森の井戸の拝所)(上間兼久・後の井戸・蔵森南井戸・蔵森の井戸の香炉)(祠の賽銭箱と香炉)(土帝君・祖霊神・火の神の拝所)(土帝君・祖霊神・火の神の香炉)(ウーチヌカー)(ウーチヌカーの森)(ウーチヌカーの湧水)(ウーチヌカーのガジュマル)YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.03.25
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(歌三味線之始祖 赤犬子大主之墓碑)沖縄本島中部「読谷村/よみたんそん」に「楚辺/そべ集落」があります。この集落の西海岸に集落発祥の地と言われる「ユーバンタ」があり「ユータティバンタ/世立ちの崖」とも呼ばれています。戦前までこの崖の南東側は風葬地帯で現在は唄三線の始祖として知られる「アカヌクー/赤犬子」の墓碑が建立されています。「ユーバンタ」は魚群を発見する「イユミーバンタ」や旅立つ者を見送る「フナウクイ/船送り」の地であり、戦前は村の若者達が集い遊ぶ「アシビナー/遊び庭」でした。さらに「ユーバンタの浜」の南側には悲惨な沖縄戦の実相を伝え、平和の尊さを発信する象徴として「艦砲ぬ喰ぇー残さー之碑」が建てられています。この作品は1971年頃に「楚辺」出身の比嘉恒敏(ひがこうびん)氏が作詞作曲した沖縄民謡で、比嘉氏の4人娘の民謡グループ「でいご娘」がレコーディングし沖縄県内で大ヒットしました。(ユーバンタ/ユータティバンタ)(ユーバンタ/ユータティバンタからの風景)(赤犬子大主之墓碑)(ユーバンタの浜)(ユーバンタの浜の景色)(艦砲ぬ喰ぇー残さー之碑)(艦砲ぬ喰ぇー残さー之碑)(ユーバンタの浜)(艦砲ぬ喰ぇー残さー之碑)(艦砲ぬ喰ぇー残さー之碑)(艦砲ぬ喰ぇー残さー之碑)(ユーバンタの浜)(艦砲ぬ喰ぇー残さー之碑からの風景)(艦砲ぬ喰ぇー残さー之碑)YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.03.21
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(シタドゥミガー/シタズミガー)沖縄本島北部の「宜野座村/ぎのざそん」に「惣慶/そけい集落」があります。惣慶公民館の北側に「シタドゥミガー/シタズミガー」があり1945年頃まで集落の飲み水として利用されていました。旧暦9月9日の「カーウ拝み」には門中や各家庭で餅・酒・花米・ヒジュルウコー(火を付けない線香)を供えて水への感謝を込めて拝しています。また公民館の南西側には「ワタンジガー/渡地河」があり現在も水が湧き出ています。さらに公民館の南東側にある「カータ原遺跡群」には「カータガー/川田河」があります。沖縄貝塚時代中期(縄文時代晩期)の石斧やグスク時代の土器が発掘されている事から、かつての「惣慶」にはカータガー周辺に古い集落があったと考えられています。「惣慶」の地頭であった「惣慶忠義/1686-1749年」が次の歌を詠んだと伝わっています。『川田河の松の枝もちの美らさ 惣慶若者の並の美らさ 近く見りば伊計離、浜、平安座 遠く見りば 勝連与那城 波風静か うえばるじょうから 波うち立ててくる景色や どっと よへんでえびる』(シタドゥミガー/シタズミガー)(シタドゥミガー/シタズミガーのウコール)(シタドゥミガー/シタズミガーのヒジュルウコー)(シタドゥミガー/シタズミガー)(ワタンジガー/渡地河)(ワタンジガー/渡地河)(ワタンジガー/渡地河の湧水)(ワタンジガー/渡地河のウコール)(ワタンジガー/渡地河)(カータガー/川田河)(カータガー/川田河)(カータガー/川田河)(カータガー/川田河のウコール)(カータガー/川田河)YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.03.16
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(惣慶のお宮/惣慶宮)沖縄本島北部の「宜野座村/ぎのざそん」に「惣慶/そけい集落」があります。「惣慶公民館/惣慶区事務所」の西側に隣接する一帯には御嶽の森が広がり、1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『マチョウガマノ嶽 神名 アラハタヨリフサノ御イベ 惣慶村 麦大祭之時、仙香•花米九合・麦神酒二器、同村百姓中供之。漢那巫ニテ祭祀也。漢那巫崇拝所。』と記されています。かつては普段の立ち入りや木々の伐採が禁じられた男子禁制の御嶽で「漢那ノロ」を招き祭祀が行われていました。1942年、那覇市の「波の上宮」より「イザナミノミコト/伊弉冊尊・ハヤタマオノミコト/早玉男命・コトサカオノミコト/事解男命」の三神が分霊されました。「お宮」の東側に「ウブガー/産井」があり、集落で子供が産まれた時に使用する「ウビナディ/水撫で」として利用されました。さらに正月の「ワカミジ/若水」としても重宝されていました。(惣慶ウガン所/惣慶児童公園/南西側入り口の鳥居)(御嶽内のオキナワウラジオガシ)(惣慶のお宮/惣慶宮の鳥居)(惣慶のお宮/惣慶宮の鳥居扁額)(惣慶のお宮/惣慶宮の手水舎)(手水舎の石鉢)(惣慶のお宮/惣慶宮)(惣慶のお宮/惣慶宮の社殿内部)(ウブガー/産井)(ウブガー/産井)(ウブガー/産井のウコール)(シマカー/島カー)(シマカー/島カー)(シマカー/島カーのウコール)YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.03.14
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(惣慶のイシガントウ/石獅子/北側 : 久志岳の返し)沖縄本島北部の「宜野座村/ぎのざそん」に「惣慶/そけい集落」があります。この集落の東西北の入り口には「イシガントウ/石敢當」と呼ばれる石灰岩の村獅子が安置されています。かつて、人々に不幸をもたらす災い(悪霊や火災など)は集落の入り口から来ると信じられてきました。「イシガントウ」は集落に入ろうとする災いを跳ね返す「ヒーゲーシ」のために置かれたと伝えられています。この東西北の「イシガントウ」では明治44年まで旧暦9月5日に「シマカンカー」という年中行事が行われていました。「シマカンカー」は悪霊が集落へ侵入する事を防ぐ目的で催されり祭祀で、かつて集落にあったウシナー(闘牛場)で牛または豚を潰し、その肉を煮て東西北3箇所の「イシガントウ」に供えました。供えた肉は集落の人々に分け与えられ、子供達には「一口食/チュクチクェー」と言って一口づつ配っていたそうです。その後「惣慶集落」では暫く「シマカンカー」が途絶えていましたが、1985年に復活し現在も集落の大切な年中行事として継承されています。(惣慶のイシガントウ/石獅子/東側 : 安倍崎の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/東側 : 安倍崎の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/東側 : 安倍崎の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/東側 : 安倍崎の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/東側 : 安倍崎の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/西側 : 恩納岳の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/西側 : 恩納岳の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/西側 : 恩納岳の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/西側 : 恩納岳の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/西側 : 恩納岳の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/北側 : 久志岳の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/北側 : 久志岳の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/北側 : 久志岳の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/北側 : 久志岳の返し)(惣慶のイシガントウ/石獅子/北側 : 久志岳の返し)YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.03.09
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(イビ神/漢那村の祖霊神)沖縄本島北部の「宜野座村/ぎのざそん」に「漢那/かんな集落」があり、漢那ビーチの北側に漢那公民館(漢那区事務所)があります。この公民館の周辺は「ユウアギモー」と呼ばれる御嶽で、1713年に琉球王府が編纂した「琉球国由来記」に『ヨリアゲ森 二御前 漢那村 壱御前 神名 真南風ノワライヅカサノ御イベ 壱御前 神名 オラウセナデルヅカサノ御イベ』と記されています。「ユウアギモー」の聖域である「イービメー」一帯はかつて左縄が張り巡らされ男子禁制の場所でした。1938年に「イービメー」の石灰岩の上に神社風の神殿が造られ「お宮」と呼ばれるようになりました。その昔「イービメー」の岩の後ろには骨神を入れた骨甕が安置されていましたが、現在は「お宮」の脇に建てられた祠に納められています。1702年に刊行された「琉球国絵図郷村帳」には『はま村』と記載されている事から、琉球王国時代の漢那には「漢那村」と「浜村」があったと伝わっています。(イビ神/漢那村の祖霊神)(イビ神のウコール)(龍宮神の祠)(龍宮神の祠内部)(龍宮神のウコール)(漢那のお宮/漢那宮の鳥居)(漢那のお宮/漢那宮)(漢那のお宮/漢那宮)(漢那のお宮/漢那宮の拝所)(骨神の祠)(骨神の祠のウコール)(漢那のお宮/漢那宮の鐘)(ユウアギモーのイービメー)(渡地の御願所/浜村の祖霊神)(渡地の御願所/浜村の祖霊神の石碑)(渡地の御願所/浜村の祖霊神のウコール)YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.03.07
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(風葬墓/漢那ウェーヌアタイ木製家型墓)沖縄本島北部の「宜野座村/ぎのざそん」に「漢那/かんな集落」があり、この集落の東側丘陵に広がる「ヨリアゲ森」は「ウェーヌアタイ森」と呼ばれています。この森の中にある鍾乳洞穴には風葬墓があり「漢那ウェーヌアタイ木製家型墓」が安置されています。1912年頃に「漢那集落」の屋号「仲ニーブ」の老婆がこの風葬墓に納骨されていたのが一番新しいと言われています。木棺にまつわる伝承は、グスク時代に首里の奥方が重病にかかり亡くなるまでに早急に木棺を造るように命じられました。その後完成した木棺を浜から運ぼうとしましたが、奥方が亡くなった連絡により木棺は浜に放置されてしまいました。この木棺を「ウェーヌアタイ森」の風葬墓で使用したと伝わっています。宜野座村立博物館の調査の結果、木棺内の北側に納骨の空間が設けられ頭を西側、四肢骨や肋骨などは東側に配置されており計170体の方々が祀られていました。(ウェーヌアタイ森の鍾乳洞穴)(ウェーヌアタイ森の鍾乳洞穴/風葬墓)(ウェーヌアタイ森の鍾乳洞穴)(ウェーヌアタイ森の鍾乳洞穴)(風葬墓/漢那ウェーヌアタイ木製家型墓)(風葬墓/漢那ウェーヌアタイ木製家型墓のウコール)(風葬墓/漢那ウェーヌアタイ木製家型墓の内部)(風葬墓/漢那ウェーヌアタイ木製家型墓のウコール)(ウェーヌアタイ森の鍾乳洞穴)(風葬墓/漢那ウェーヌアタイ木製家型墓)(ウェーヌアタイ森の鍾乳洞穴)(風葬墓/漢那ウェーヌアタイ木製家型墓)(ウェーヌアタイ森の鍾乳洞穴)YouTubeチャンネルはこちら↓↓↓ゆっくり沖縄パワースポット
2024.03.02
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