松下一郎のグリーンブレーカーズ

松下一郎のグリーンブレーカーズ

2020.12.14
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サツマイモを伝えた甘藷翁(からいもおんじゃ)。
以前の記事ですが、次回関連で再掲載です。

 ↓

サツマイモ生産量の約4割・・・といいますから年間約50万トン
を生産するという日本一のさつまいも王国、鹿児島県。 その
鹿児島県で甘藷翁(からいもおんじゃ)として尊敬されているの
が前田利右衛門です。

このかたが、琉球(沖縄)から唐イモ(サツマイモ)を持ち帰り
薩摩の国での栽培を広めたといわれていますよ。

ときに1705年(宝永2年)のことでした。これ以降、薩摩で大


カライモ → リュウキュウイモ → そして サツマイモ

と、その呼び名を変えながら、日本の全国区の作物へと普及
していったというわけです。
ということは、この甘藷翁(からいもおんじゃ)なくして、その後の
救荒作物[飢饉時のありがたい食物]としてのサツマイモの活躍
はなかったこ ととあいなります。

そう、いまに伝わる

 1713年  瀬戸内(大三島)における 下見吉十郎
 1715年  長崎(対馬)における 原田三郎右衛門
 1716年  京都における 島利兵衛
 1733年  島根(大森)における 井戸正明
 1734年  東京(江戸)における 青木昆陽

サツマイモを救荒
作物として各チで普及に努めた
]もなかったはずなのです。
そうなれば、1732年の享保の飢饉・1782年の天明の飢饉・18
32年の天保の飢饉の際には、もっともっとたくさんの人命が失わ
れていたにちがいありません。
そしてそれ以降も[ 第二次大戦前後にいたるまで ]前田利右衛門
は、ほんとうにたくさんの日本人を飢えから救ったことになります。

もちろん飢饉のときだけではありません。

もしなんらかの歴史のいたずらで、このときにサツマイモが伝わ
らなかったと仮定すれば・・・ひょっとすると現代に生きるあなたが
普段たべているヤキイモやチップスはもとより、ボタモチやイモ餡
〔あん〕、そしてあのおいしいスゥィートポテトはなかったかもしれ
ない。そうそう、あなたが秘蔵している大事な芋焼酎も、ひょっと
すると存在しなかったかもしれない/笑。

そう考えると、人の行動がもたらすその後の事象というものには、
なかなかに興味深いものがありますよね。

そしてその後の甘藷翁(からいもおんじゃ)。はからずも薩摩のみ
ならず日本の国の飢饉を救うことになった前田利右衛門。しかし 
再び琉球に渡るときに遭難して死亡 します。

この利右衛門遭難の話を聞いたとき、彼に感謝していた薩摩の
領民はお金を持ち寄り、供養堂を建てました[ 現在、鹿児島県山川町岡児ヶ水
の徳光とっこう神社とされています/
こちら ]。
また、この山川町内だけでなく、その頌徳碑[感謝の意を刻んだ碑
のこと]は薩摩半島だけでなく、大隅半島の串良町など鹿児島県内
の各地でも確認されているといいます。

ということで、今回はサツマイモ伝来に関係した薩摩の国の船乗り
についてのおはなしでした。

 新しい作物を導入し・結果的に産業化した 利右衛門さん。
  これは六次産業化の、ひとつの手本といえることかと。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg 「 夢で終らせない農業起業 」「 本当は危ない有機野菜





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Last updated  2020.12.14 15:07:49


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