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心斎橋大丸 御堂筋入り口デパートの催事『現代クラフト7人展』で大丸に出勤すること6日間9じころ通用門をはいってエレベーターで7階10時がちかづくと照明があかるくなり館内放送最高の笑顔でお客さまをお迎えしましょう売り場タントー者から朝礼があって昨日までの売上がコレコレ・・・目標はコレコレ・・・明日からの土日は・・・などとハッパをかけられる『現代クラフト7人展』は日本画の展覧会『院展』の出口のそば。大阪欄間や貝塚のつげ櫛などなどの伝統工芸の職人さんのブース14、5とあわせて1区画をなしてる。このコーナーの告知のための地下鉄中づりや、DM発送、展示のしつらえなどなどで大丸は2000万の予算を使ったそーで・・・ともかく院展から出て来られてのぞいてくださる方々を接客する昼ご飯は8階の社員食堂カツ丼250円とかでスンゴク安いしいろいろあって大きいトコは福利厚生がちゃんとしててウラヤマシーデパートのウラがわって迷路みたいでオモシローほんとそんなウラを知って歩き回るのがワクワクでしたそして食堂や屋上の喫煙スペースなどで見るデパートのオネイサンたちは店内で「最高の笑顔で接客中」の姿とは違う「素の人間」売り場によっていろんな服装でかなりお疲れだったり/うつぶして眠ってたり/ケータイやってたり/タバコふかしてたり・・・若いオネイサンたちがつくだ煮にできるぐらい大量にいるのに女性性をまったく感じない一日10時間 立ち詰めで「最高の笑顔」をふりまく仕事素の人間にたちかえって憩うウラ女性男性を越えた「働くヒトたち」の生身のカンジでそんな雰囲気が心地よくステキやった
2004年10月31日
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朝 目をさますとシャワーして一階の茶店で無料のモーニングを食べ大丸へ出勤長堀通りと道頓堀 御堂筋と堺筋このもっとも『街』なブロックで6日間の街暮し 21日 台風一過の宗右衛門町大丸は10じやから9時過ぎに出勤夜のおそいこのまちは昨夜のなごりフィリピン/韓国/ロシアのフーゾク/マッサージ/ダンサーが仕事あけで歩いてたり夜を徹して遊んだおっさん/にいちゃんがボケーとしてたりホストのおにいさんたちが『お疲れっ』と別れたりいろんな朝を目にできるちゃんと出勤する勤め人やOLの波にのって心斎橋大丸の通用門から7階にまだ暗い店内で10じの開店準備する
2004年10月30日
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宗右衛門町のウィークリーマンションに6泊心斎橋大丸から10分あるく道すがらは大阪ミナの歓楽街東京でゆーと新宿歌舞伎町 あやしげなマッサージやホストクラブなどなど・・・ある晩カンゼンに寝入っていた深夜1じすぎ11階の20号室 ぼくの部屋のインターホンがピンポーン♪だれかが訪ねてくるはずもないのにっ!!!!恐怖っ!!!!どなたですか・・・・返事なし。さらに恐怖っ!玄関ドアのぞき穴から見ても視界にはだれも映らない・・・またもやピンポーン♪どっ、どなたですかぁ・・・・返事なし。恐怖さらに倍!ドアのチェーンをかけて鍵をあけこわごわドアをあけると そこに立っていたのはっ!きれいな 若い オネイサン??????「杉原さまですか?」「ちがいます」「?・・・すみません部屋をまちがえました」出張フーゾクのオネイサンでしたぁ~!杉原さまになりすまして部屋にはいってもらえばよかったなぁ・・・と しばらくしてから考えて、また寝た。「街の悪徳」って・・・こーゆーことなんやなぁ「街の悪徳」は甘美です。
2004年10月28日
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きのうの深夜 大阪心斎橋大丸での展示『現代クラフト作家7人展』から帰って、きょうから日常に復帰。 大丸の「大」の字 筆文字の起筆、ハネなど1・3・5・7と奇数に分かれてるふだんの永源寺の山里でのくらしからゆーとウィークリーマンションに6泊しての心斎橋は非日常。デパートの催事で売るのは陶器祭やクラフトフェアでの路上での販売とは雰囲気のちがうものでした。デパートによっては立ち居ふるまい、行儀作法までストリクトなトコもあるそーですが、心斎橋大丸はわりと自由にやらせてもらって、背広着てじーっと立っとかんなんのかと思たら、そーでもなく、ぼくはいつもどーり三線演奏もし、ギャグにまぶしてのやきもの講座=商品説明もOK で、日本画の展覧会『院展』の退場口から出て来られるお客さまたち、おもしろがってくださってました♪またうちのメルマガ『ハプー通信』の読者で大阪在住の方々がおおぜい来てくださってほんとにありがたかったです。感謝感謝です~♪
2004年10月26日
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長浜は湖北の街 びわ湖のそばのお城からは彦根城が見える彦根城は伊井家の城 江戸時代の城長浜城は秀吉の最初の城信長にほめられて ここではじめて城持ち大名になった秀吉の馬印(うまじるし)は千なりヒョウタンそれでこんなヒョウタンの形の灯りができた 形がヒョウタン こまかい地紋もヒョウタン 高さ50センチ長浜城/祭の山車/侍と腰元/花火大会びわ湖の水鳥/SL/盆梅・・・長浜の風物の透かし彫り長浜はびわ湖の湖上運送の時代の集積地豪商がたくさん輩出絹織物の「浜ちりめん」でも一時代を築いた寺社仏閣、歴史風物に富んだトコやけど湖北の小都市として落ち込みがはげしかった20年ほど前から小樽の成功にならって街起こしガラス工芸/オルゴール/工芸とアート/町並み保存つまりは『文化』で街起こしいろんなイベントをつるべ打ちしょっちゅうSL走らせたりついには「寅さん」のロケまで誘致成功街起こしで観光都市に変貌した先発成功例長浜の観光情報はここ↓長浜観光
2004年10月15日
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彦根はびわ湖のそばの10万人の街。外堀、内堀がのこっていて彦根東高校もその中に。弓道部や剣道部の生徒が歩いてたりすると雰囲気。お城で国宝になってるのは3つだけ。岐阜の犬山城と姫路城とここ彦根城の3つ。彦根城の天守閣はちいさいけれど「さすがに国宝」とゆーカンジです。 はじめて云った時、ひとのいなくなった夕方で城への階段をのぼってると上からおおぜいの侍や腰元がワラワラと下りてきてビックリした。その中にひときわシブイさむらいが居てたちすくんでいると・・・中村主力(なかむらもんど)=藤田まこと、でした。必殺シリーズのロケがあったんですね。タイムスリップしたみたいでおもしろかったです。彦根観光はここ↓彦根観光
2004年10月12日
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多賀は彦根のちょっと下なんと云っても近江で一番大きな多賀大社なんか格でゆーと伊勢神宮祭神の親社(おややしろ)にあたるとか初詣での人出はここが県内で一番多いそれで門前の空家をつかって正月3が日湖東エリアのものづくりが集まってクラフト版お店やさんごっこ『藝や』とゆーイベントそれでできたのが絵馬の皿祈る形 願いをこめる形 五角形絵馬の皿この形 モダンこの形 受験生につかってホシイごーかく=合格=五角の皿やから・・・ザブトン一枚?さらっと多賀をのぞくなら↓多賀町
2004年10月09日
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五個荘町は八日市の北 近江八幡の東近江商人の屋敷が多く残り散策するのにいい佇まい湖東エリア一帯は古い質のいい民家がのこってるみんな近江商人が江戸/京都/大阪で成功し隠居したあと、ふるさとで晩年を過ごすために建てたものこれらの屋敷は「お店(おたな)」とよばれる戦国時代に戦の場になった近江信長や秀吉などの軍資金調立にこたえた商人たちは特権を得て、自由商人として往来自由。まづ近江の産物=薬/蚊屋/麻織物/綿・・・をもって諸国へ商売先の現地で諸国物産を仕入れ帰路に販売。売り手良し 買い手良し 作り手良し 三方一両得野に寝て山に伏し 商いして万民の利をはかる商いは国の礎 質素倹約し 才覚を恃んで花を咲かす近江商人は「ノレンを守る」とは云わず 「先祖さんを守る」と云ったそう一方でそのきびしい商い、利益追求と特権に守られてで地方商人をつぶして行くことから・・・「近江商人が通ったあとはペンペン草も生えん」と悪口も。行き来、情報流通のとざされた藩制の時代に関所を自由に越えられた・・・これは強い。ニッポンの商社トップ10社のうち6社が近江商人にルーツを持つ。ひとくちに近江商人とくくられるが八幡/八日市/日野/五個荘/彦根商人と扱う産物もちがってたそうその五個荘の屋敷の前には掘割りがあってコイが泳ぎアヒルが遊んでるンで・・・こんなお皿ができた。五個荘の町並みはここ↓五個荘町
2004年10月08日
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滋賀県のやきもの 今日はちょっと休んで・・・永源寺町の栗うちは町営キャンプ場に隣接 『愛郷の森』の横↓愛郷の森一番近い民家までは1、6キロ森と林と川 自然だらけ猿は良く来る鹿も敷地内の栗 秋になると毬をたくさん落とす
2004年10月07日
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びわ湖のほとりの近江八幡から東にのびる国道421。この道が八風街道とよばれる所以は・・・近江八幡→八日市→永源寺→八風峠→桑名とつながってるから。実はいまはちょっと北の石榑峠を越えてるんやけど。そやからひろい蒲生平野を横切って、鈴鹿山地に入るとそこから延々と山がつづく、そんな山里が永源寺町です。人口6500自然に恵まれたこの山里の風景溪と山をわたる風それら目にするすべてを栄養としてこんなやきものが・・・ 町内でイチゴ狩りしてうまれたイチゴ文様もとなりの蒲生町で独立して7年。永源寺町に移って12年。もうすっかり滋賀県人。
2004年10月06日
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びわ湖の東がわには平野蒲生平野もしくは近江平野とよばれる蒲生町はそんな農村地帯1300年前 百済滅亡の折り 海を越えて亡命してきた千数百人が土地を与えられたところ日本最古の三重の石塔のある石塔寺(いしどうじ)があって朝鮮様式のその石塔のまわりにおびただしい地蔵と仏の石仏があるそれでできたのが・・・ 地蔵文の湯のみ 蒲生町に独立したのが1985年新興住宅地に友人たちにてつだってもらって建てた10畳の小屋でやきもの屋としてのスタートを切りました先に紹介した万葉集『あかねさす』の文様とこの地蔵文が最初のヒット作。くりかえしのご注文があって定番になりごはんが食べられるようになった思い出の図柄。ありがたい図柄。石塔寺の石仏の画像はここ↓八風街道みちしるべ
2004年10月05日
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びわ湖岸の近江八幡から東へのびる国道421、これが八風街道。25分で八日市市。1300年前、大津に都があった白鳳時代は、このあたり一帯が『蒲生野』と呼ばれてた。天智天皇の時代。弟が後の天武天皇=大海人皇子(おおあまのおうじ)、そのお妃が額大王(ぬかたのおおきみ)このふたりの相聞歌(恋を詠いあった和歌)からこの湯のみ・・・あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君がそでふるむらさきの匂へる妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋いめやも・・・えらいカワイらしい額大王ですけど・・・不倫の歌ですか?と聞かれるがそうじゃないらしー・・・ま、文字の文様ってことにしておいてください。くわしくはこのドライブガイド↓を見てねー♪八風街道みちしるべ
2004年10月02日
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八幡堀はうちからクルマ40分。JR近江八幡駅から10分むこうの旧市街。秀吉の甥っ子の秀次がつくった運河です。白壁の倉や石畳の歩道が続くいい散策コース。周辺には近江商人の資料館や民家改造の喫茶店など。なんでもないレトロな町家のたたずまいを歩くと和む。日牟礼八幡神宮からロープウェイで八幡山にのぼればびわ湖が一望できる。するとそこに沖ノ島が見える。びわ湖でただひとつ人がすんでる島。前は島に小学校があったけど、いまはスクールボート(バスではなく)で市内の小学校に通う。ぼくのおすすめドライブコースはここ↓八風街道みちしるべ八幡堀の画像はここ↓八幡堀
2004年10月01日
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