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仕事でいつも心がけている聖句があります。『ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。』 ルカの福音書 16:10小さな仕事だからまあいいや、はありません。極端に言えば、ゴミ捨てであろうと、ゴミ拾いであろうと、小さなことにも一生懸命でありたいと思い、そう心がけています。なぜなら、小さなことにいい加減な人は、大きなことにもいい加減、という御言葉がいつも心にあるからです。小さなことにどのように取り組んでいるか、私は上司として目を向けるようにしています。みんな嫌がることをいつも率先してやる子。私は影で見ていて知っています。あなたは小さなことに忠実ですか?「主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』」 マタイによる福音書 25:23
2016.11.18
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若い男性と働いていると、もったいないな〜〜って見ていて思うことがあります。特に21歳のかんちゃんや、かんちゃんと同級生のけんくん。2人ともいい子で可愛いくて優しいんだけど、仕事は上の空〜〜ほよよ〜〜まだ21だし、そんなに真剣に仕事しなくていいや、本気に仕事するのは年をもっととってからでいいや、とか考えているのかな?一生懸命さがないんです…涙人生を先送りにしてしまうのはもったいない❣️今をフルに生きて欲しいです。今一生懸命することって、ビックリするくらい後々の自分に全て役立ちます。イコール、頑張らずにテキトーだと、後々の自分にプラスにならず、引き出しも少ないことになってしまいます。しんどくなるのは、のちの自分です。◯◯をやってから…留学とか?もいいですが、今できること、今与えられていることに真剣に取り組めば必ず、役に立つ日、やってて良かった!頑張って良かった!と思う日が訪れます。例えば私の場合は短大の時、タイプライターの授業がありました。この授業では、ブラインドタッチを習得することを目的としていました。友人たちは、面倒くさーいと言って、ブラインドタッチを諦めていました。でも私はブラインドタッチを習得。面倒くさいけど、何度も練習してやりました。あの時、頑張って良かった!と何度も何度も思いました。タイプが早いだけで、めちゃくちゃ仕事が出来るように見えますし(笑)それだけでなく、仕事が人より何倍も早くなるので、その分楽できたり、ゆとりができたり、自分でもすぐに終わらせることができて良いことばかり!英語も、諦めてしまう友達がいましたが、TOEIC900超えました。英語で仕事の幅も広がり、友人が世界中に出来るから、人生の幅も広がりました。英語を頑張った良い実を今、たっくさん刈り取っています。高校のときは着物を着るバイトがあり、無料で着付けの先生をつけてくれました。これもいつかは必ず役立つはずだ!と思っていたので真剣にやり、完璧な着付けが出来るようになりました。一本帯を自分で作って着物を着れます。これも、どれだけ役に立ってきたことでしょう!もしも、ブラインドタッチも、着付けも、英語も、どれもダルいからテキトーにやってたら、今のたくさんの恵みはなかったと思います。自分へのプラスになるから、今から、若い間から、先延ばしせずに、今を生きてほしいなと彼らを見ていて思っています。今の積み重ねが未来の自分にそのまんまつながるょ…青年よ、キリストにあって大志を抱いてね❤️そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、 機会を十分に生かして用いなさい。エペソ人への手紙 5:15-16
2016.11.14
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クリスマスのお勉強をしましょう。まず、クリスマスは、Christmas と英語で書きます。よく見ると分かりますが、もともとはChristmas = Christ's Massから来ています。英語のChristはキリストを意味し、英語のMassとは、日本語でいうミサです。クリスマスの言葉の意味は、キリストのミサということですね。メリークリスマスのメリーとは形容詞で、明るいとか、楽しいとか。Joy to the world the Lord has come! もろびとこぞりて、主(キリスト)は来ませり〜〜♪という有名なクリスマスソングにあるように、主の誕生を喜び祝う日です。喜びがテーマ、だから、メリークリスマス!と言うのは明るく喜びに満ちたキリストのミサになりますように!と言っているのです。キリストを信じてない人がそんなこと言うのはおかしいですよね。だから、クリスチャンでない人たちはHappy Holidays! とご挨拶します。サンタクロースは、実在していたニコラスというクリスチャンの司祭(牧師)です。彼は貧しい子供たちを忘れず、恵まれない子供たちに夢と希望を与えていた。それが紆余曲折して、物語に組み込まれたりしたから、今の感じに仕上がった模様です。
2016.11.09
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私がクリスチャンになる前、親戚のイベントがすごくなんというか、葬儀とか、法事とか、お盆とかあるたびに気分が重くなっていました。参加したくないけど子供という身分上、参加せざるを得ず・・・何が嫌いって、とにかく暗い。とにかく闇。暗くて、希望も光もない。重すぎる空気・・・ですが、私がミッション系の短大でキリスト教に初めて触れ合った時、これだぁ~~~って思ったのは、キリスト教は光、明るい、希望がある、という点でした。「しっくりきた」「これだ」と感じたのが正直な当時の思いでした。きっと、普通の日本人だと他人と【違う】ことに飛び込む勇気がない人が多いかと思います。輪から外れたくない!みたいな。ですが、私は性格上外人なので(笑)人がなんと言おうと、自分が「これや!」と思ったら何もためらわずに飛び込みます。それが、キリスト教でした。キリスト教はクリスマスを見ても分かるように、光です。讃美歌も素敵。歌もお経みたいにくらぁ~~~~ドンヨリ・・・ではなくて明るい。それにステンドグラス。外の【光】が建物の中、しいては闇の中に差し込むデザイン。なぜキリスト教は光なのか。それはですね・・・神様が闇に光をもたらすお方だからであり、神様そのものが光だからです。イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」ヨハネによる福音書 8:12闇って考えてみると、【光が欠けている状態】ですよね。光がないところが闇。イエス様とともに歩む者はいつも光である神様といっしょなので、光の中を歩む者に変えられます。そんなこといったって、時折神様はわたしたちを難しい状況に投げ込まれるときもあります。イエス様もそうでした。天のお父様は御子であるイエス様のことをとても愛しておられたけれども、イエス様を難しい状況に投げ込まれました。まず、クリスマスの意味でもある、キリストの誕生。イエス様は神様であられて、時間にも物理的にも何にも縛られない存在であったのに、赤ちゃんという、またこの世という闇の多い世界に投げ込まれました。大人になったイエス様はハッピーでしたでしょうか。イエス様は、成功者であったでしょうか。もし自分がハッピーでなくて、成功もしていないとすれば、周りの人たちはどう反応するでしょうか。「この人の何が問題なのか。」と上から目線で人々はアドバイスをして来るのでしょうか。旧約聖書に出てくるヨブの友人たちのように・・・自分が2000年前に生きていたとして、イエス様の住む村人だったとします。フッツ―のルックスのイエスくん。特にカリスマ性もなく、なんかいっつも木を削って、テーブルを造ったり、家具を造ったりしてる、マリアさん家のイエスくん。そんなイエス兄さんは、悲しみの多い人、と呼ばれることもありました。イエス兄さんはハッピー?イエス兄さんは、この世では成功していたでしょうか。なんと、成功どころか、彼は弟子に裏切られます。友にも裏切られて逃げられます。最後は十字架にかかって死んでしまいました。これこそ、自分が優越感を感じるために使う「負け犬」という他人に投げかける言葉にピッタリではないだろうか。結婚もせず、子供もおらず、弟子に逃げられたイエス・キリスト。しかし、なぜ、二千年経ってもまだキリストの存在感はすごいのか。なぜ話題になるのか。映画にもなるし、小説にもなるし、音楽にもなるし。。。いまだ勉強されてるイエス・キリスト。神様の法則、神様のお考えは、私たち人間とはまったく違うのです。わたしたちは、しあわせや、他人の敷いたレールの上を生きることを求める。この世の成功を求める。それらを【神】とするからですね。しかし、イエス様はそんなことを求めて生きていない。イエス様は一本。天のお父様の御心を生きる。神様を信じ従って生きていた。神様の喜びが自分の喜び。神を神として生きておられたのです。キリストが追い求めていたのはこの世の幸せやこの世の成功ではなく、唯一まことの神、のみです。イエス様には悲しみが多かったかもしれない。でも、喜びと希望で満たされていました。なぜなら、神様は、神様だけは、死にいのちをもたらすことのできるお方である、と知っていたからです。その神を知らないと、闇の状況にあったり、死の状況にあれば、希望はないでしょう。光なんてとんでもない。そんな恐ろしいことはどう対処していいかわからなくなるかもしれません。だけど、そんな中でイエス様が希望を持てたのは、死が訪れたとしても、必ず自分は死からよみがえる、と知っていたからです。神様にはその力がある、と知っていたからです。聖書によりますと、実際にイエス様は十字架にかかった3日後に死からよみがえりました。そして、そのよみがえった新しい命は死ぬことのない永遠の命です。その命を、イエス様を信じる者には惜しげなく与えてくださいます。キリストがそうであったように、どんな状況におかれようともキリストにあっていつも勝利が約束されているのがクリスチャンであり、希望であり、光なのですね。あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。エペソ人への手紙 5:8
2016.11.07
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