大型店の進出でついに店じまいしてしまった、そこそこに歴史のあった星野書店さん。
家から近い事もあって時々利用していたのに、今は古びたシャッターが下りたままだ。
大店法の廃止で大型店が郊外に沢山出来て、死んでいった味のある個人経営の店は少なくない。
大型店は肉食獣、小型店は草食獣と言った人がいる。
大型店は郊外へどんどん進出して弱肉強食そのままの生態をもって個人の店を食いつぶしていった。小型店は地元に根を下ろして来客をじっと持っている草食系そのものだ。
米国の「外圧」によって大店法が廃止になったという経緯から考えても、如何にもアメリカの弱肉強食的なやり方が日本を食い物にしているといってもいい。
同時に、中心市街地の空洞化を食い止めるため、新たに「中心市街地活性化法」が制定され、都市計画の面からも規制を強化しようと、「都市計画法」が一部改正された。
これら三つの立法は相互に関連しているので、第142国会では、大規模小売店舗立地法、中心市街地活性化法と改正都市計画法の3法が、まとめて「まちづくり3法」と呼ばれた。
これら3法のうち、中心市街地活性化法と改正都市計画法は速やかに施行された。一方、大規模小売店舗立地法は、大型店進出に対する中心市街地の体力が強化されるのを待つ必要があるとして、2年後の2000年6月に施行されており、この時点で大規模小売店舗法も廃止された。 ウィキペディア(Wikipedia)より
岡田克也(民主党)は、当時通産官僚として大店法改正案の内容を知る立場にあり、イオンと通産省が、岡田克也を媒介として「大店立地法」という情報で繋がってても不思議じゃない構図があったという。
イオン(旧ジャスコ)は、改正前から郊外地をターゲットに、誰もが出遅れた大規模な店舗展開をできる準備をし、その結果、それまで業界での双頭の一つダイエーを押し遣るほどの力を得たのだそうです。
○岡田克也のプロフィール
1976年 4月 通商産業省入省。
1986年 4月 兼職禁止規定(国家公務員法103条)に気づいて、岡田興産の
取締役辞任
1988年 7月 大臣官房企画官を最後に通商産業省を退職。衆議院選挙に
三重県から出馬を表明。(当時、時効は解けていない)
1988年 9月 岡田興産の代表取締役就任
1989年 4月 学説上の国家公務員法違反の公訴時効成立
1990年 1月 衆議院解散
1990年 2月 衆議院議員選挙に初当選。自民党政治改革を実現する若手
議員の会の中心メンバーとして政治改革の実現に奔走。
1990年 4月 岡田興産の代表取締役辞任
庶民としては、政治と言うものは複雑に絡み合っていて、一筋縄ではいかないなかなか厄介なものだと思うしかないのか。
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