♪ 製本の表紙を作る工程にアイディア一つ生れて手を打つ
ある時、パッと目の前が開ける。そんな瞬間が時々やってくるのだ。だから楽しい。手引書の通りに簡単に出来るなら、自分がやるまでも無いとさえ思ったりする。まあ何にでも言えることで、難しいからこそ面白いのだ。
本に書いてあることはほんの一つの例に過ぎず、重要な「プロのコツ」みたいなものは大抵書かれていない。その「プロのコツ」を掴むには試行錯誤するしかないのだ。プロは自分で試行錯誤して掴んだノウハウを、そう簡単に不特定多数の人(高額を払っている特定の生徒は別かも知れないが)に教えるはずも無い。
一番肝心な事がどこにも書いてない。ネットで調べても出てこない。そこを自分で発見して、何でこの肝心な事をちゃんと書いておいてくれないのかと、腹が立ったりするが、それは詮無い事なのかも知れない。
敢えて糸綴じの位置をずらし、糸を赤で強調
ある時、自分なりの方法を発見し、”分かったゾーゥ”とほくそ笑んで、無上の喜びに浸った。それで上手くいく事は分かったが、その為には道具が要る。はてさて、どうしたものか。知人に作ってもらおうか、いや、身近にあるもので代用できないか。
あれこれ考えて、”おう、これで代用できるんじゃないか”と閃く。ちょいちょいと加工して”はい、出来上がり”。試して使ってみれば”いいじゃん、バッチシだッ!”。ポイントさえ押さえれば、道具なんて何でも構わない。金を掛ける必要もない。
手引書とは違ったやり方に変える事は多い。一つの工程でやり方が少し違うと、その後も微妙に違ってくるのか、上手くいかない事が多い。そこでまた立ち止まることになる。
そして、初めとは全然違うやり方でやってみると、上手くいく。最初からこっちの方でやった方が良かったと思うこともしばしばだ。
方形のものが一番使いやすそうだ
手引書は、細かいところ、諸々のコツなど、条件によって異なるものなどを懇切丁寧に書いていたら、何ページあっても足りない。やってみて、体得してもらうしかないという事なのだろう。
実際、失敗を重ねて始めて分かることは多い。「習うより慣れろ」とはそういう事。
安直に手に入れたものは、所詮それなりの価値しかないもの。工夫して、その人独自の技術を手に入れたものこそが本物だ。
習う事は確かに近道だが、そこには工夫する余地が生まれにくい。先生の言う事が「絶対」となって、そこから一歩を踏み出すことがなかなか出来ない。難しさに出合うと自分の能力を疑い、工夫して壁を打ち破るまでには至らない。
習う事をが嫌いな私は、そんな自分だけの方法を発見することが楽しくて、もの作りをしているのかも知れない。やってることに意味があるのであって、才能なんて関係ないと思う。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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