♪ 紙魚だって仲間とおもふひもとけば紙の間(あわい)に銀のかがやき
出版物の年間推定販売額は2014年まで10年連続で減っていて、国内書店はネット書店の台頭にも押され苦境が続いている。書店の数は5月時点で約1万3500店で1年間で500店減ったという。
本好きが増えれば書店で買う人も増えるのは明白にしても、書店が身近なところになければネットで買うしかない。
実際には、リアル書店だろうがネット書店やKindleであろうが、「本好きの人が読む形式を変えて読む」だけなのでしょう。
この現状を考えれば、紀伊国屋がいくら頑張っても流通を変える事は出来ないだろうし、買取のリスクを負ってまでする価値のある本がどれほど出版されるかが問題になる。
SNSの浸透と電子通信が主流となって以来、人々はどんどん短いセンテンスの文章になれていく。長い文章を読むのがかなり苦痛になっているのではないだろうか。流行を追い周りの空気を読む癖が付いてしまっていて、世間で騒がれたものだけに群がる。
そんな輩が読む本は、話題性だけが重要で中身なんか関係が無い。ショウジョウバエの様に軽いスタンスで行動する彼らに迎合して世間も動いている。
「本はかたちがあってこそ本だ」と、大型店勤務が長い田口久美子さんの『書店不屈宣言』は言う。「書店は、未知の書物との魅惑的な出会いの場でもある」と昨日の「天声人語」でも書いていた。
我が家にはそう大きくない本棚に、文庫本があぶれているが(そう思うのはカミさんだけで、処分せよとうるさい)捨てる気などまったく起こらない。ストーリー優先で読み抜けていく人(カミさんもその一人)に取って、本は単なる娯楽のための消耗品に過ぎない。しかし、本当の本好きはそんな単純なものではない。
本そのものに人格の様なものが有って、その人格の様なものとの精神的交流が読書という行為なのだ。そこで触れ合って生まれたエモーションそのものが、掛けがえのない経験として本の中に埋め込まれる。
これは絶対に紙に印刷された「本」というものにしか生まれないもので、本の持っている手触りに関係がある。一枚一枚紙をめくる、ある一行で立ち止まる、傍線を引く、或いは後へ戻って読み返す。作者の思いを行間から読み取り、使われた文字からだって感じる事がある。
本は古くなってもその本質を失わない。時代を経たものの方が良い場合だってある。時空を越えたところでさえ行き来できるのが本の本分だし、心を遊ばせ脳内に信号を張り巡らせるのも本の醍醐味でしょう。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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