♪ 日に継ぎてブログアップに時をさく現に吾や寂しかるらむ
Facebookに日常の行動を毎日アップしている人を見るにつけ、ああこの人は淋しさを抱えているんだろうなと思ったりする。そういう意味から言えば自分も同じ事をしているわけだし、そういうものを内包していて無意識のうちにこういう形で表に現れているのかも知れない。
金にもならない事をしているわけだし、面倒な手間を掛けてまでそれをすることの意味は(人によって違うのかも知れないが)、所詮は自己顕示のための方便としてSNSを利用しているということだろう。
私は、日記代わりに短歌を毎日詠むことを続けているが、それがもたらしてくれるものは計り知れない。また、「毎日必ずアップすること」という、自分へ課したものがあるからこそ続けられている。
もっと推敲を重ねて、いい歌だけをアップするのが理想かも知れないが、そうすると続けるのが辛くなる時が必ずやって来る。歌のレベルを採るか、継続を取るか、日記を兼ねていることを思えば当然ながら後者の方になる。
自分勝手な事ばかりを、ランダムに節操なく書き綴っているこのブログに、毎日多くの方が訪問して下さっている。年齢も性別も、何処のどんな方たちがアクセスして呉れているのか、コメントが無いので何とも想像さえがつかない。
しかし、その方が却って意識せずにいられて好都合だと気づいてからは、ただただ有り難いと思うばかり。
今年の8月6日に50万アクセスを越えてから、既に5万8千を上乗せしています。今年のある時期(気づいたらそうなっていた)からアクセス数がアップしていて、あんまりいい加減なことを書く訳にはいかなくなったなあと、少しばかりプレッシャーを感じている。
まあ、そうは言っても所詮 無名のオッサンが好きなことを書いているに過ぎないブログ。そんな事は気にせずに”今まで通りでいいかな”とこれまた自己中心的独断を下している今日この頃です。
《 2015年 》
日記短歌を開始してから、今年の5月に10年目に突入していて、もはやルーティンとなって久しい。ブログの内容を変えようかと思っていても、毎日となるとあまり凝ったことは出来ないし、続けることに主眼を置いているので無理は禁物だ。
バックナンバーから過去のブログを振り返ってみるとその日の事がまざまざと蘇ってくる。もし短歌をやっていなかったら、こうも鮮明に思い出すことはないでしょう。たとえ有っても数は少ないだろうと思う。心と頭を総動員しての事だけに、印象付けられるものも強くなるのだろう。
タイトルの「俯瞰、達観。仰観、諦観。」も気に入っている。
ブログを人に言う時は「楽歌TNK31」と入力して検索する方法を伝えている。これで簡単に表示できるので、一々アドレスを入力する必要もない。
「ルーティーンもまた、楽しからずや。」毎日のアクセスが、今の半分になったら止めようかと思う。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
◆ 満10年となりました。 2016.05.07 コメント(2)
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◆ 思い付きの出たとこ勝負 2016.05.05
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