|
♪ 価値感を変えるトリガー引かれたり変える代われる換えねばならぬ |
|---|
| 政府は、新型コロナウイルス対策で18都道府県に延長していた「まん延防止等重点措置」を、連休最後の「春分の日」の今日(21日)に全面解除。行楽地はどこも大賑わいになることでしょう。 ただ、コロナ慣れして自粛慣れしてしまった生活リズムは、もう元には戻らないかもしれない。私はそれは悪い事ではなく、逆に戻るべきではないと思っています。人間の、自然の摂理を無視し冒涜するような行為を見つめなおす良い機会です。一度立ち止まって、考え直す必要があるからです。 縄文時代は、紀元前約1万1000年から紀元前300年ごろまでの1万年ほど続いたのですが、現代人とそう違わない知恵と工夫のある生活をしていたことが分かっています。違うのは科学というテクノロジーが無かっただけです。銛と釣り針を使って、 近海魚を中心に、ブリ、サバ、イワシ、スズキに鯛、ヒラメ、さらにはフグまで獲っていたし、イカやウニも食べていた 。 貝の養殖 もしていた。 食用の牛、豚、アヒルなどの飼育 もしていたし、 栗の木を植えて管理 したりいていた。 三内丸山遺跡から出土した縄文人の食料の形跡のなかには、クルミの殻、鴨の骨に、鯛やサメの骨もある。サメは、今でははんぺんは高級品として知られています。魚の次に多く食べていたのが猪や鹿などの獣肉で、弓矢を使って、ときには鯨、北日本ではトドやアザラシ、オットセイも獲っていた。 ![]() 先人たちの底力 知恵泉「今こそ縄文に学べ!持続可能な社会を作るには」 より 縄文人の平均寿命は30〜35歳だったと見られますが、生まれてまもなく亡くなる子どもが多かったために平均寿命が低かっただけで、 約3割が65歳を超えるまで生きていた と報告されている。 当時の日本人は優れた文化を持っていた。人の死を忌み嫌うどころか一時の別れでいずれまた再生して蘇ると考えていたらしい。それはアニミズムに基づくものだったのでしょう。そのため自然崇拝によって、森や川、自然そのものが神聖なものとして守るべきものだった。その自然に戻って一体となることが死であるという、もっとも根源的な命の考え方があった。 ![]() 国連人口基金 より 人口が増えてゆく中で、疫病や自然災害、天変地異などによって苦しめられた。そこから逃れるために科学を発達させていく。そこに欲望の種がこぼれて増え続け、欲望を満たすことのためだけに生きるようになってしまったのが近代以降の地球人だ。 欲が欲を呼び、権力と結びつくことで幾何級数的に化け物のごとく肥大化してしまった。金が金を生む仕組みを作り、さも合法的とばかりに搾取を繰り返し、弱肉強食のヒエラルキー頂点に収まりながら睥睨して悪びれない。 進化を止めた現代のホモサピエンスは、縄文人と大して変わらない。ラテン語で「賢い人間」を意味するという名がおこがましい。ロボットにすべてを委ね、能力を預けてしまおうとしているのは、進化どころか後退を意味している。 そのうち、一部の権力者のクローン人間とそのグループだけの世界になって、人口は抑制され、すべての業務はロボットが担う。ロボットがロボットを作り、新陳代謝のない人類は虚弱化して滅びてゆく。ウィル・スミスが主役の映画のような、世紀末の世界を思い描くのは楽しい事ではない。 ![]() 【新カースト制度】日本人を年収・職業で12階級に仕分けてみた。 より 花鳥風月、吟風弄月、花鳥諷詠の嗜みを、懐古趣味と言ってしまってはあまりにも非人間的だ(夏目漱石風に)。この世から昆虫や野鳥、名前のない草や植物が消えてしまったら、人間の心の襞はのっぺらとなり情緒もへったくれもなくなってしまう。実際のものを知らなければバーチャルの非現実的な花園に身を委ねて満足することはできるかもしれない。作られた人工的な情緒に何の疑いも持たずに満足できるなんて、それはもうロボットの心と変わらない。 田舎暮らしを体験できる場所がぽつぽつと出来つつあって、体験した人の何割かはそこに移住したりするようにもなってきている。自然が身近にあることの良さを、無くなってから知るのではもう遅い。急に無くなれば驚きもするが、人間は徐々に変わっていくものに対して、とても疎い。茹でガエルになる前に、気づく必要がある。コロナ禍がそのチャンスを与えてくれたのだ。 便利な世の中になった。利用しない手はないので、チェックしてみてください。 |
〇☆〇大樹は、畏怖と憧憬が尊厳を伴って心… 2025.11.20
〇☆〇異常と異変の中に生きる 2025.11.18
☆◆☆小さな生き物たちは、この暑さの中でも… 2025.08.01
PR
カレンダー
キーワードサーチ
サイド自由欄
コメント新着