視えないけど あるもの...
“ 感じること ”
をテーマにした はるはなブログは
この 視えない何か...も サブ・テーマになっています
わたしたちの住む この世界には 一人ひとりに
マッチした方法で 視えない世界とのパイプラインが
あるんだなぁ~ と はるはなは 思っています
その視えないものは 人のココロであったり...
または 違う世界のたましいの姿であったり...
どちらも 感じること
が 大切だったりしますょね (^.^)
わたしたちは たましいのレベルで 視えないものと 繋がろうとしているのかな~
なんて 思ったりしています
それらを 受け入れる人 そうでない人
その人によって 違うのも 仕方のないことなのでしょう
この世界に慣れてくると いつの間にか 目に移るものだけで 物事を判断してしまいます
目の前のカタチに囚われないよう 大切なものを見失わないよう
光の世界にいる たましいの仲間たちは 色々なやり方で そっと わたしたちと コミュニケーションを 計ろうとしているかのようです
視えない世界の いろいろを 見つけるには 目で見たことではなく
やはり “ 感じる ” と言うココロが 大切なのかな?って 思うのです
両親の不仲により ココロが不安定だった わたしは
中学生になった辺りまでは すでに他界していた 父の実母の姿を 何度か見たことがあります もちろん 父の実母は この世界に いないので それが 何だったのか... 今は 解りません
けれど 当時は なぜ 見えているのか...
それが どういう意味なのか...
ただ 怖いと言うだけで 自分自身でも 見えたことを否定したり 気がつかない振りをしていました
その姿が 見えなくなったのは 両親が 正式に離婚をした頃からでした
一度でも そういった経験があると 全面的に そのような 視えない世界を 否定することは 出来なくなっていました![]()
もしかしたら 本当にあるのかもしれない...
そんな思いが 出始めたのも 多感な中学生の頃でした
祖母の姿は もう 見ることはないのですが その場の雰囲気や気配などを
感じることは 今でもあります
ただ 見えていないので こればかりは 自分でも どうすることも出来ません...
けれど 見えていないからといって その感覚を 否定したり 蔑んだりするのは
せっかく授かった スピリチュアルな感性を 低くしてしまうような気がします
見えていても その人のココロのあり方や 人間性によっては 謝った捉え方をしてしまうこともあるでしょう...
目には視えないけど この世界には きっと わたしたちが まだ気がついていないことが
いっぱいあるような♪ そんな 気がしています (*^_^*)
■ もしかしたら *5* も あるかな? ■
○o。. 最後まで 読んでくれて ありがとう~ .。o○
||| イラスト素材は : ふわふわ。り さまから お借りしています♪ |||
時の浪費は お金の浪費っ☆ 2007.07.13
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