Easy Going~気楽に行こう~

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2019/02/28
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テーマ: 児童虐待(213)
カテゴリ: 事件・事故・災害
​​​​​​​​​​​2019年1月24日、千葉県野田市で小学四年生の女児が虐待で亡くなる事件が起きました。
亡くなった女の子が、心安らかに向かうべき所に行けますように、祈ります。
1.虐待案件の現状
2.事件のあらまし
3.虐待家庭の日常
4.私の体験談
5.周囲でできること
 ・189の周知
 ・学校関係者への要望
 ・児童相談所への要望
 ・その他の方々への要望
6.最後に、思うこと

​1.虐待案件の現状 ​​
もしかして、虐待死亡事故報道は年2~3回だから年2~3件程度あるもの、と誤解されてはいないでしょうか。

児童虐待による死亡事例の推移(児童数)より

虐待死亡は、心中を除いて年間約50人。ほぼ毎週1人が亡くなっています。

児童虐待そのものは、どのくらいでしょうか。 厚生労働省 平成29年度の児童虐待対応件数を公表 に、次のように記載されています。

児童虐待相談対応件数 13万3778件(前年度比1万1203件増)

      身体的虐待 3万3223件
      ネグレクト 2万6818件
      性的虐待     1540件

これらを把握した上で、そのひとつ、野田市の虐待死亡事件に着目します。

​2.この家庭で何が起きていたのか​

日本経済新聞さんのサイト の内容を、時系列でまとめなおしました。

●家族構成
・女児(10) 小4
・父親(41) 会社員 千葉県出身
・母親(32) 沖縄県糸満市出身
・妹(1)

●時系列
【2017年】
7月  女児は小学3年生。家族は、母親の実家のある沖縄県糸満市に住んでいた。
母親の親族から糸満市に 「父親が女児に恫喝している。母親にも支配的で外出や携帯電話をチェックしている」

8月  家族は千葉県野田市に転出し、女児は転校。
糸満市は、家族に関する情報を野田市に連絡。

11月6日  女児が、学校のいじめアンケートの自由記述欄に 「お父さんにぼう力を受けています」 と書く。顔にアザがあった。


欄外の書き込みは、当時の担任が 「けられて今もいたい」「なぐられる10回(こぶし)」「口をふさいで」「ゆかにおしつける」 「せなか首をちからいっぱいける」「おきなわでは、お母さんがやられていた」 などを聞き取ってメモしたもの。( 「10回殴られた」と聞き取りも 死亡小4女児アンケート より)

11月7日  柏市児童相談所(以下、柏児相)は 女児を一時保護
この後、柏児相は父親と8回面談。父親は虐待を否定。医師は、女児に心的外傷後ストレス障害(PTSD)の疑いがあると診断。

12月27日  柏児相は、女児の親族宅での生活を条件に 一時保護を解除 し、父親に「落ち着くまで女児と2人きりで会わない」と約束させた。行政上の措置ではなく、誓約書は取らなかった。(結果的に)この日以降、柏児相による自宅訪問はなかった。

【2018年】
1月12日  父母・学校側・市教委が学校で面談。野田市児童家庭課は、一時保護で印象を悪くしているためいない方がいいと判断して欠席。
父親は 「家族を引き離された者の気持ちが分からないのか」「保護が解除されたのは暴力がないという証しだろう」「訴訟を起こす」 などと強く抗議。アンケートの閲覧と複写を要求。
学校側は、個人情報で、女児本人の同意がないことを理由に拒否。
父親は 「実物を見せろ」 と迫り、 情報開示や信頼できる学校運営を誓う念書を要求

1月13日  学校は、父・親族宛に校長名で、前日の面会で父親が示した文面通りの念書を出す。

1月15日  父母は、市教育委員会(以下、市教委)へ。
父親は、女児本人が書いたアンケート開示の同意書を持参。母親も、女児が書いたものと認めた。
市教委は父親に、アンケートの欄外書き込みを消した上で、コピーを渡す。 「威圧的な態度に恐怖を感じ、屈して渡してしまった」 。柏児相への事前相談なし。

1月18日  父親は、 女児を転校 させる。女児は親族宅預かりのまま。

2月20日  市教委は、市要保護児童対策地域協議会(市・柏児相・野田署などの構成)で、コピーを渡したことを事後報告。

2月26日  柏児相職員3人が、親族宅を訪問して面談。自宅に戻せるか判断するためのもの。
父親は、女児が書いた 「お父さんに叩かれたというのは嘘です」 書面を提示。
お父さんに叩かれたというのは嘘です。小学校の先生に聞かれて思わず言ってしまいました。お父さん、お母さん、妹、〇〇(親族の呼び名)にたくさんの迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。ずっと前から早く4人で暮らしたいと思っていました。この間のときにも言いました。お父さんに早く会いたいです。児童相談所の人にはもう会いたくないので来ないでください。会うと嫌な気分になるので、今日でやめてください。お願いします。 千葉小4死亡事件 女児が父親に書かされた書面の要旨 より)
「娘と会わせないとの指示に法的根拠はあるのか。ないなら従う義務はない」「今日で連れ帰る」「名誉毀損で訴える」 などと女児の帰宅を要求。
 親族が「何も言わないんですか」と尋ね、職員は 「止めれば覆るんですか」「児相としていいとは言えない」 と発言。事実上押し切られた。(大声やひどい言葉やテーブルを叩くなど威圧感が激しく、また要求が一方的で会話成立が困難で、疲弊しきっていたのでは。)

2月27日  柏児相から市へ 「女児は自宅へ戻ったと思われる」 報告。
父親は、転校先の小学校へ 「今後は妻が娘を送り迎えする。第三者が来ても娘を引き渡さないように」 と連絡。

2月28日  柏児相の所内会議で、女児の帰宅を追認。児童福祉司の意見書もなく、帰宅を認めた結論についての記述もなく、虐待リスクが高まったことを認めた上での帰宅決定。

3月19日  柏児相、女児と転校先の小学校で面談。学校側は同席せず。
女児が帰宅していること、「嘘です」書面は父親に書かされたことを、ここで確認。 父親が仕事で不在で女児が自宅に戻った際、母親に父親から「こういう手紙を書くように」と内容を記したメールが届き、女児はそれを書き写した。柏児相は当初から、女児の本当の気持ちで書かれたものかを疑っていた。(この書面を書かせたことも虐待に当たる。)
柏児相は、学校が様子を見守り、気になることがあれば連絡するよう依頼していた。柏児相側も早急に動ける態勢を取っていた。
しかし転校先の小学校は、これまでの経緯を知らない。柏児相と学校が情報共有した記録は残されていないが、口頭で伝えた可能性はある。学校側は、事件後に 「書面のことを把握していれば、父親がそういうことをする人だとの認識を持って対応できたかもしれない」 としている。

4月  女児、小学4年生に。学級委員に立候補。

6月  学校のアンケート「いじめはありますか」に「いいえ」と答える。

9月  夏休み明けに10日ほど休む。

9月10日  父親から学校へ「母親が沖縄にいるため、 女児は親族宅から通わせる 」と連絡。学校は柏児相に伝える。

11月  学校のアンケート「いじめはありますか」に「いいえ」と答える。

12月22日  女児、冬休みに合わせて、 親族宅から自宅に戻る

12月30日ごろ~1月3日ごろ  父親が女児の顔を浴室床に打ちつける、膝でのし掛かる、胸や顔を圧迫するなどの暴行。 胸の骨折や打撲 。父母ともに女児を治療させず、女児のあざを隠すために 自宅軟禁 して外出させなかった。

【2019年】
1月7日  女児、始業式を欠席。父親が学校に「妻の実家(沖縄)に帰っているため少し休む」と連絡。

1月11日  父親が学校に「休みを1月いっぱいに延長したい」と連絡。

1月21日  柏児相、女児が始業式から休んでいることを把握。

1月22日ごろ  この頃から父親は、眠っている女児を起こして立たせて眠らせない、食事を与えないなどの虐待。母親 「止めても無駄だと思った。どうしようもなかった」

1月24日  父親は、午前10時から女児を立たせたまま休ませず、冷水シャワーを掛け続ける。
23時10分、父親が 「娘の意識と呼吸がない」 と110番通報。
23時20分、救急隊が到着。女児は服は着ていたが全身が濡れた状態。 女児の死亡を確認 。既に死後硬直(死後2~3時間は経過)。
この後の司法解剖で、肺から水が検出され、胃の内容物はほぼなく、骨折や複数の皮下出血や変色があった。死因は不明。

1月25日  父親逮捕
2月4日  母親逮捕

時系列まとめここまで

 私は被虐待当事者です。父親の半殺しも、母親のネグレクトも、日常茶飯事でした。おそらく、程度の差は五十歩百歩で、この家族と大差ない家庭で生まれ育ちました。(恥ずかしながら、ここまでこれだけまとめるだけでも、かなり大変でした。)
 書き出す前から、そして書いている今も、 「半殺しやネグレクトが日常だった私が、親どころか他人から半殺しにされた経験さえ一度もない人に、この家族特有の異常な日常をどう伝えたら伝わるのだろうか」 と不安です。
 どうか、この時系列で分かった気になって誰かを批判するのは、止めて下さい。学校・市教委・児相に、普通なら考えられない対応があったとしても、それほどまでに父親の態度が異常で高圧的だったのかもしれません。皆さん、ただの人間です。身の危険を感じれば恐怖します。誰もが、何よりもまずは自分の身を守る必要があります。

3.虐待家族の日常
 一般的な家庭は、割と、横並びな人間関係かと思います。
 虐待家庭の特徴は上下関係です。会社や部活のようではなく、 「完全支配ー絶対服従」 です。イメージとして、第二次世界大戦下の旧日本軍が近いでしょうか。
 この父親は、家庭内を完全支配しただけでなく、柏児相や市教委をも完全支配しようと、はなはだ威圧的で攻撃的な態度だったのでしょう。更に自分を、虐待する加害者であることを認めず、「娘を引き離された」と被害者としてふるまう辺り、対応は非常に難しかったでしょう。
 そういう父親が、職場では非の打ち所のない勤務態度だったようです。私の父も、自営業でまともにお金を稼いでいました。
 おそらく、職場では「絶対服従」で波風を一切立てなかったのでしょう。その無茶の反動ストレスを、家庭での「完全支配」で吐き出して、危ういバランスを取っていたのでしょう。

 母親も子供も、常に父親の言葉や身体の暴力に晒され続けていたのでしょう。
 どうしていつもこんな目に遭うのかと思った時に、そこで「お父さんが悪い」と考えて父親と対峙すれば問題解決できそうですが、あまりにも圧倒的で理不尽な暴言や暴力に晒され続けると、そんな気力は生まれなくなります。ただただ生き延びるので精一杯です。おまえが悪いと言われ続けれるままに、 「暴力をふるわれるのは私が悪いんだ」 と受け止めてしまうのです。
 父親は、自らの暴力に罪悪感を持たないように、相手に非があると自らを正当化する必要があり、そのため、ますます暴力をふるって、相手に落ち度があるように仕立て上げていたのでしょう。
 母親も子供も、暴力をふるわれるたびに、ますます 「やっぱり自分が悪いんだ」 で思考停止して、それ以上自分が傷付くことから自分を守るので精一杯の状態で、その場その場だけをしのいで生きていたのでしょう。​
虐待をされるという体験は、強い恐怖や不安、怒りや抑うつ、無力感やあきらめ、孤立無援感などの否定的な感情をもたらすほか、自責感や罪悪感、自尊感情や自己評価の低下、安心感や信頼感の喪失など、否定的な認知を強める。また、対人関係、学習能力、日常生活における問題解決能力、感情調整や行動制御能力などにことごとく影響を及ぼし、心身の健全な発達を阻害する。 虐待ーWikipedia より)

4.私の体験談
 私も、まだ3歳になるかならないかの頃から、物心つく前から、母が半殺しにされているのを、いつも見ていたように思います。子供の私が母を助けに入れたことはありませんでした。
 そして私も、日常的に半殺しにされていましたが、母が止めに入ってくれた記憶はありません。 私がお母さんを助けない悪い子だから、お母さんも私を助けてくれないんだ と思っていました。
 父には 「おまえが悪い子やで、直せるように、いい子になれるように、殴ったり蹴ったりしてやっとるんや。オレだって手や足が痛いけど、おまえのためを思ってやったっとるんや」 などと言われて半殺しにされていました。
 小3の時に、妹たち(双子)が生まれました。妹たちも頻繁に半殺しにされていたと思います。
 一度だけ、末妹がメタメタに殴られていたのを目の前で見て、いきなり私にスイッチが入ったかのように、地響きのような言葉にならないうなり声をあげて父に突進して、末妹を庇ったことがありました。
 それ以外は記憶にありません。互いに見て見ぬ振りをして、自分の身を守っていたのかもしれません。
 家庭や学校で凄まじい暴力をふるわれていたことは、知識としてあるのですが、体験としては、50歳の今もまだ全く思い出せません。 解離性健忘 という状態です。母や祖母や妹たちへの暴力も、同様に思い出せません。
 実は、48歳の時にあることがきっかけで、ほとんど食事のない凄まじいネグレクトで、状況的に何度か餓死しかかっていたのでは?と推察させる記憶が、続けざまに2件出ました。全く知らなくて、心底からびっくりして、大ショックでした。そして49歳で今度は、性的虐待の記憶が1件出ました。覚悟はしていましたが、大ショックでした。とにかくあまりにも気持ちの悪いものでした。
 暴力の記憶は、まだ何もありません。右前歯が差し歯なのは、父に殴られて折れたからなのを40代になって自覚しました。ずっとなんとなくモヤモヤ忘れていました。何がきっかけで殴られたのか、歯が折れた時の痛みはどうだったのか、顔にアザなどできたのか、他にどのくらい殴る蹴るされたのか、そういったことは全く思い出せません。ただ、折れた前歯を拾ったのは自分だったことは思い出しました。
 虐待の記憶の大半は、まだまだ、深い深い霧に包まれています。その記憶で私が傷付かないように、無意識が私を守ってくれています。
 記憶を解離させ続ける反動なのか、ずっと鬱状態です。他にもPTSD(追体験・回避・過覚醒)はじめ様々な症状を抱えています。15年ほど前から8年間ほど、ほぼ寝たきりでした。今もまだ寝たり起きたりの生活です。精神障害2級です。
 もうとうに父も母も他界しました。しかし元凶が両方死んでもなお、様々な症状や体調の悪さは変わらず、虐待の過去も消えません。当たり前ながら、最初から虐待のないのが一番です。

5.虐待について周囲でできそうなこと
●189(いちはやく:児童相談所全国共通ダイヤル)の周知
 110番で警察につながるように、189番に電話することで児童相談所にアクセスできます。虐待案件に限らず、子育て相談などにも応じてもらえます。
●学校関係者への要望
 あざなどのある身体的虐待は判りやすい一方、ネグレクトや性的虐待は判りにくいかと思います。もし次のような兆候があれば、気に掛けて頂けますか?
・病気をしていないのに体重が落ちた←ネグレクトかも
・夏休み明けに体重が落ちた←ネグレクトかも
・虫歯が多い←ネグレクトかも
・何日も入浴していない←ネグレクトやうつ病など
・体育の授業を見学したがる←着替えで暴力のアザがばれないよう隠す(身体虐待)、短パンや水着を嫌がる(性的虐待)など
・絵を描けない←なんらかのメンタルケアが必要かも
 身体検査などの結果をどなたかが一括してチェックされて、状況に応じてスクールカウンセラーなどの支援につなげて頂けるとありがたいです。
 これは、ほとんど私の経験談です。今から思うと、記憶を解離していたので、先生などに「うちにはごはんがありません」などを伝えようがなかったのです。「○歳なんだし、何かあれば自分で言えるだろう」ではないのです。
 もうひとつ、お尻や胸や性器を触られたり、後ろから抱きつかれたりした時に「ぎゃーっ!!」と大声を出させる授業をお願いします。性的虐待や性犯罪の防止になります。小1など小さい頃からやって欲しいです。特殊支援学校のお子さんには特に力を入れて頂けると嬉しいです。
●児童相談所への要望
 年間13万件以上にご対応いただき、たくさんの命が救われていることに、心から感謝します。
 何よりもまずご自愛下さい。今回の事件で、たくさんの皆様方が胸をかきむしられる思いでいらっしゃることと思いますが、救う立場の方々がよろめいていては安心して頼れません。
 一件、当事者として気になったことがあります。一時保護についてです。
 一般的に、女の子の顔に手を挙げてアザができるほど殴るのは非常識だ、というのは分かります。けれど、原家族での自分自身の感覚だと、殴られたぐらいで一時保護は唐突すぎるとも感じるのです。
 できれば初期介入は、児童の味方でもあり、父親の味方でもあり、母親の味方でもあって欲しいのです。誰もにとっての「児童相談所は安全だと安心できる相談所」をお願いします。
 しかし、私は、最後の顛末を知ってから、遡って事件の報道を見ています。今となって、例えばお母さんだけでも児相への信頼があれば、夏休み明けに休んだ時や年末年始の暴行時に、児相に助けを求められたかもしれない、と思うだけのことです。もしリアルタイムで身近で見ていたら、すぐさまの一時保護に(内心で当惑したとしても)安堵した気がします。私が今になって言っているのは、サッカーのPK戦で「今のシュートは右に蹴られたのだから、キーパーは左ではなく右に飛ぶべきだった」という結果論でしかありません。
●その他の方々への要望
・自治会(町内会)に入る
 ゴミ当番や清掃活動や防災訓練などに日頃から参加し、地域コミュニティに自分たち家族の居場所があるのは大事なことだと思います。(もちろん単身世帯も自治会に入って下さい。)
・マスコミ報道に煽られない、踊らされない
 今回なぜか、児童相談所にナンセンスな抗議電話が殺到したようです。見ず知らずの無関係者が電話をしてもしなくても、死んだ女児は生き返りませんし、両親も逮捕されていたのに。
 たださえ多忙な児相を、一層疲弊させただけではないでしょう。その抗議電話のせいで、もし本来の相談・通報電話がつながらなかったりして業務に支障を来せば、それこそ虐待死につながる可能性が大いにあります。
 今後、抗議電話をした人は公務執行妨害で逮捕されるべきでしょう。それだけでなく、煽動したマスコミ報道の番組プロデューサーや編集長なども、デマ拡散による公務執行妨害で逮捕されるべきでしょう。表現の自由という権利を行使するのなら、義務も果たして下さい。
・冷静になる
 虐待死亡事件が起きると、日頃は温厚そうな人でもSNSなどで 「容疑者をコ○セ」「○ねばいい」「同じ目に遭わせてやりたい」 などと書き込むため、凄まじい恐怖を感じます。
被虐待者の約2割で虐待が連鎖する と、何かで読んだことがあります。私の場合、父も母も、それぞれ問題を抱えた家庭で生まれ育っていました。私は、縁あって結婚したものの、子供に恵まれないという形で虐待の連鎖を断ち切りました。最近になり、 虐待による脳へのダメージ(萎縮など)が解明 されています。おそらく私は、もし子供を授かっていれば、意図せず虐待を連鎖させた2割でしょう。
 そんな私から、どうか虐待報道に接したら冷静になって下さい、とお願いします。
 虐待に遭った人が、結婚して、子供を授かって、その人なりに頑張ろうにも、どっちに向かってどう頑張ればいいのか分からず、一番避けたかった虐待の連鎖をやってしまっていることが本人にとってひどすぎて自覚できず、その挙げ句での惨劇に、胸を痛めるより「同じ目に遭わせろ」ですか?
 虐待に遭って生き抜いた人を、なぜそんなにも、また虐待に遭わせたいのですか?そしてコロ○たいのですか?
あなたは、なぜ「私は、虐待という完全支配ー絶対服従という手段で、この容疑者をコロ○たい」という意思表明を、SNSで全世界に向けて発信せずにはいられないのですか?

 この夫婦は、妊娠が判った時から小四で殺害するつもりだったのでしょうか。きっと違います。妊娠が判った時も、無事に出産した時も、嬉しかったはずです。亡くなった女児の名前は、すっごくカワイイです。絶対に、 心から愛しんで 育てるつもりだったと思うのです。

 私は、亡くなった女児のご冥福と、ご両親が今度こそ「完全支配ー絶対服従」以外の関係性を築けるようになることを、心から祈るばかりです。

6.最後に、思うこと
 これまでずっと、虐待死亡事件の報道を目にするたびに、死ねた被害者が羨ましくて、そんな自分に嫌気がさして罪悪感が起きるのでした。それでも現実に冷静に考えて、私も殺されてた方が楽だったよなー、と思われてしまうのです。
 今回思うところあって、この事件を調べました。PTSDが出まくり、ストレスが身体化して、めまい・吐き気・耳鳴り・頭痛・だるさなど、連日ひどいものでした。特に「司法解剖で胃の内容物がなかった」を読んでからはしばらく、食事をするのが苦しくて申し訳なかったです。
 主治医には「自分の意思でやるのを止めはしないけれど、本来は入院してカウンセリングを受けながらやるような作業だからね」と言われました。「いつでも入院できるからね!」と念押しされました。ムリせずぼちぼちやりました。入院せずに済みました。

 偶然にも、こちらの家庭環境とは、虐待以外にも重なる部分が多くありました。亡くなった女児と同じように、私にも9歳下の妹がいます(私の妹は双子です)。この双子の妹は、容疑者の父親と年が同じです。真ん中の妹には子供が4人いて、末の男女2人(これまた双子)が、亡くなった女児と年が同じです。亡くなった女児に、かわいい姪っ子が重なりました。

 家でも学校でも、いつも殴られて蹴られて半殺し。自分がなぜ生まれて生きているのか分かりません。 楽になりたい のに、自殺するパワーがありません。妹たちや母や祖母のために 長女の私が父を殺さなくてはいけない と思うのに、そのパワーもありません。余計に 自分なんか生きてちゃいけない死ななきゃいけない 、いつもそう思っていました。
 1度、何かあって切羽詰まって、児童相談所に電話したことがありました。
「助けて下さい!!妹たちが殺されます!!」
電話の向こうの女性は、あえて保留ボタンを押さず、電話の向こうで同僚に聞こえよがしに、
「ね~え~、どーするぅ~?殺されるとか言ってるけど~」
を繰り返すばかり。30分ほど粘りましたが埒があかず、とうとうこちらが根負けした時には、電話越しでハッキリ分かるようにホッとされました。 やっぱり私には生きる価値も資格もないんだ。死ななきゃいけないんだ。 日頃の思いが強くなりました。
 今回、学校・児相・市教委がからみながらも救えなかった命と、児相にも見捨てられた私達3姉妹が全員生きている事で、混乱しました。児相が介入して救う価値があると判断した命が救われなかったのなら、 児相に救う価値なしと見捨てられた私は生きていてはいけないのではないか、今すぐ自殺しなくてはいけないのではないか 、といった思いに強迫的に駆られたのでした。

 いろいろぐるぐる何日も悩み抜いて、出てきたのは、 という言葉でした。
 今回の事件で亡くなった子がいい子悪い子でもなく、私もいいでも悪いでもなく、たまたま 紙一重 で、たまたま私は生き延びて、たまたまどうしようもなく亡くなった子がいる。
 津波に呑まれて亡くなった人、呑まれずに逃げられた人、呑まれて沖合まで流されて津波第2波で陸に戻って生きている人と同じ。
 亡くなった命に振り返って、反省すべきは反省し、改善すべきは改善するとしても、誰かを批判する筋合いではないと思います。そして、もちろんゼロを目指しながらも、この先も虐待死亡ゼロにはならないでしょう、児相に抗議電話する人がゼロにならないように、交通事故がゼロにならないように。現実に向き合うと、そうなると思います。

 改めて私は、辛い苦しい思いを人一倍経験したからこそ、もう辛い苦しいは充分。それより平穏な日常を、嬉しい楽しい笑顔になれる出来事を、人一倍大事にしよう。人一倍経験しよう。せっかく生きているのだし、どうせ生きているのだから。
頑張って、死ぬまで生きよう。
 なんだか、そんな気持ちになりました。

 今までずっと 「自分は生きてちゃいけない。死ぬべき存在だ。自殺しなきゃいけないのに出来ない。死に損ないだ。殺され損ないだ」 という呪いに縛られていました。
 これから、その呪縛を切りほどいて、 「死ぬまで生きよう」 に上書きしていければ。

 亡くなった命に思いを巡らすと、どうしても宗教的になります。
 世間の雑多な悪意にからめられたりせず、怨霊や悪霊や自縛霊になったりせず、魂が鎮まりますように。そして産まれた時の”心から愛しまれる”魂のまま、あちらの世の向かうべき所へ向かいますように。
 この亡くなった子をはじめ、年間約50人の全ての御霊が救われますように。
 ご冥福を祈ります。合掌。

長文となりました。最後までご高覧下さいましてありがとうございます。​ ​​ ​​​​​​​​​​





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最終更新日  2019/03/11 06:32:27 PM
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